明けない夜を希う。   作:write0108

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……あぁ、またこの夢か。昨日も見た背景と、どこかに群れていく人々。何かを諦めたように、何かを失ったように、ただどこか一点へと向かっていく。

 

光の宿らない目にも、覚束ない歩き方にも、そんなに執着するなにかはなさそうなのに。俺も同じように、そのどこか一点を目指してみることにした。

 

乾いた風が俺の頬を撫でて、どこか遠くへと流れていく。不規則な足音以外は、何も聴こえない街だ。それなのに何ら変わらない日常があるかのように、建物や街路灯は光を灯している。

 

同じ場所に向かって歩いているからなのか、昨日とは違い誰かに声をかけられることはなかった。…だからなのか、昨日よりも孤独を強く感じる。

一歩踏みしめるごとに、不安に駆られるような感覚がある。

 

何故だか、長い間一人でいたような。自分の人生なんかよりも、もっと長い時間を、たった一人で歩かなくてはいけなかったかのような。そんな感覚が、俺の心を支配していく。

 

俺はそこで、歩くのをやめてもいいと思った。立ち止まって、踵を返して、そうでない方向へ歩いていくのも、正解なんじゃないかと思った。

ぬるま湯みたいな空間で、何となくの不安と戦うことでも、生きている実感は得られるから。

 

俺が踵を返すと、大量の人々が押し寄せてきた。昨日よりも数が多いように感じる。何かに取り憑かれたように、ただ俺とは逆の方向を目指していく。

 

俺はそれに巻き込まれるように、後ろ向きのまま押し流されていく。風景は遠くなって、気がついた頃には、周りの人間はもう立ち止まっていた。

 

「…ねぇ、貴方は私の友達?」

 

よく知った、溌剌とした声色ではなく。ただぽつりと、湿った存在感を持って。その言葉は、聞いた事のある響きをしていた。

 

俺が前を向くと、少女がそこに立っていた。笑顔はない。幾分か、目に光が宿っている。

 

「私は、貴方にとって、何?」

 

声はゆっくりと問い掛ける。いつもの破天荒さは欠片もない、よく考えて答えを出すことを前提としたような問い掛け。

 

「…私は、救われたいわけでも、傷付けたいわけでも、消え去りたいわけでもない。ただ、誰かを愛して、誰かに愛されたかっただけ」

 

息を呑む。夢なんかではないみたいに、少女は俺の知らない一面を見せ続けている。

 

「私はただ、貴方や…貴方達と、仲良くしたかった。喧嘩したり、すれ違ったりしても、いつか笑い合える。そんな関係性が作りたかっただけなのに」

 

少女の目からは光が消え失せていく。…やがて見知った、何も宿らない瞳で、少女は笑う。

 

「それすらも、私達には許されない。こんなことなら、私は人間になりたかった」

 

いつも通りの笑顔。悲痛な叫びには似つかわしくない、満面の笑みが、俺の胸を刺した。

 

「今どこにいるの?なんで何も言わずにいなくなってしまうの?嫌なら嫌って、帰りたいなら帰りたいって、そう言ってくれればよかったのに」

 

…温度のなかったはずの少女の言葉は、未だかつてないほどの熱を持って、俺の耳にこびりつく。

 

「…なんで、さよならも言わずに消えてしまうの?」

 

俺は手を伸ばす。手繰り寄せたい手ではなく、ただ空を切って…そして、目が覚めたことに気付いた。

 

俺にとっての終点。その端にあるベッドの上で、俺はただ手を伸ばしていた。

あれだけリアルだったのに、結局夢だったのか。伸ばした手の隙間から覗く見知った天井が、より無機質に見えた。

 

あれはやはり、間違いなく俺の夢で。都合のいい妄想以外の何物でもない。上がったままの腕はやがてベッドに落ちて、その感触はより一層今の夢の意味のなさを引き立てる。

 

目標もないのに現実を見れなくて、妄想なんかに逃げてしまう自分の子供っぽさに嫌気がさす。どうしてこうなってしまったのかに興味なんてないが、なぜこうなのかと苛立ちが募る。

 

体を起こすと、時刻は朝9時を回っていた。一気に体が芯から冷えるのを感じる。震える手で上司に電話をかける。

 

「すみません、寝坊してしまいました!すぐ向かいます!」

 

電話の先では溜め息が聞こえる。あぁ、また失敗した。急いでね、とだけ告げられ、電話はそこで切れた。

 

俺はとにかく急いで準備をして電車に乗る。学生と、身なりの整った社会人が入り混じる空間で、俺だけが落ちこぼれているように思う。俺だけが失敗をして、俺だけが周りの足を引っ張っている。そんな考えに頭を侵食されながら、とにかく早く会社の最寄り駅に着くことを願う。

 

すると、電車は急に止まった。慣性の法則で投げ出されそうになりながら、それでも何とか体制を整える。

 

何事かとざわざわし出す車内。俺はまた遅れるのかと肩を落とす。何を言ったらいいのか分からない。寝坊をした上に電車が止まってしまうなんてトラブル、想定もしていなかった。

 

『え〜、トラブルによりしばらくの間停車致します』

 

随分と焦った車内放送の声も、急に止まってしまった電車も、最悪の可能性を考えさせるのに充分だった。

 

俺は上司にメールを送る。暫くして心配したような文面が届いて、やっと事態の大きさに気付いた。

 

人身事故だそうだ。しかも全国放送に乗るほどの。車内からは外の状況は全く分からないが、ニュースアプリの情報だと、駅どころか踏切ですらない場所での事故らしい。

 

原因、というか被害者の心情が全く理解できないような状況での事故だったらしい。クソッ、何でこんなことになるんだ。考えても仕方のないことばかりを考える。被害者の年齢だとか、その死の理由だとか、そんなことを考える余裕はない。

 

それは俺の周りの人間もそうらしく、車内は依然落ち着きのない人ばかりだ。

 

何時間遅れても大丈夫だから、というメールに安心感を覚えつつ、空いている席に座る。気付きもしなかったが、この時間の車両はやけに空いていた。

 

前日のリプレイのような人生を送っていると、そんなことも視界の外になってしまう。俺はもう少し周りを見た方がいいのかもしれないな、などと楽天的に考えた。

 

目の前の焦りがなくなると、急に冷静になる。頭が回るのを強く感じる。車窓の外はたった今人身事故が起こったとは思えないほどに穏やかで、人気は感じなかった。

何だかあの日、俺が酔い潰れて座っていたあの場所のような、妙な寂寥感がある。

 

まだ懐かしむほどの時間は経っていないはずなのに。自分自身の時間感覚の緩さに少し笑うと、強い衝撃音がした。

 

驚いてその方向を見ると、血塗れの小さな人影があった。車窓にべったりと張り付いたその顔には、見覚えがある。気を失いそうになりながら、なんとか合わせた視線の先では。

 

少女の口が僅かに動いていて、俺の知っている限りそれは。

 

「見つけた」

 

そう動いているように見えた。


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