女の子を拾ったらなんやかんやで師匠になった   作:ゔぁにたす

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 Noli oblivisci dubitare.

 一人称。これほど信頼できない物語はない。


Immortalitas: 不死の少女と

 

 

~~~~~

 

 

 

 

 ──世界の果てまで深く広がる夜の静けさの中、ほんの数度だけ(さえず)る小鳥と、冷たいそよ風に身を揺らす木の葉だけがさざめく森。私は、そんな寂しい空間の拓けた場所に鎮座する無骨な岩の上に独り座っていた。

 

 

 

 私が他の世界から──転生という過程を経てこの世界へとやってきてどれくらい経ったのだろうか。前世の常識からかけ離れている、謂わばファンタジーなこの世界では、魔術や幻想的な生物の存在が当たり前で、空には天駆ける天馬が、地には巨体を揺らして何処かへと歩みを続ける亀がいた。そして人は魔術と呼ばれる不思議なチカラを使い──それは物語に描かれるような大規模な物ではなかったが──燭台に火を灯したり、無から水を生み出して田畑の土に撒いたり。

 

 そんな、胸の湧き心が弾むような風景が当たり前のように広がっていた。前世のように、灰色で覆われた高層ビルと道路は一切無く、電気によって光る街灯も無ければ、勿論インターネットだって飛んでいない。麟麟(りんりん)*1と輝く太陽に照らされた木々と、そんな陽を吸い込んで粼粼(りんりん)としている清流。そんな原風景を映し出しているようなまさに楽園と思える世界は、満喫しようと思って行動せずとも、ただそこにいるだけで感動を覚える様な新鮮で爽やかなものだった。

 

 

 そんな風に、始めはこの世界に心を躍らせていた。未知に溢れ、驚きに満ちたこの世界は数えきれない程私の心を感動させた。ある時は人間の魔術に、またある時は天を覆い隠してしまう巨体を持つ龍に。前世を捨てこの世界に生まれ落ちて今に至るまでの長い時の中で、ほんの始めだけは心の底から楽しめていた。自動車とは比較にならない豪華絢爛な馬車。もしかして中には王様が乗っているのだろうか。それとも、見目麗しい王女でもいるのだろうか。そんな事を空想するだけで楽しかった。

 人と会うだけで、見慣れない生物と触れ合うだけで、私は何度もお腹いっぱいに満足できた。いつの季節も満遍なく咲き誇る色とりどりの花々は、咲く前から散り際、そして枯れてからも鮮やかさを保ち続け、世界に無限の彩りを与えていた。冬の雪は、山を白く染め、冬に咲く花を白く凍らせ、厳かな大自然にやんわりとしたアクセントを加えて華麗に仕立て上げていった。

 

 

 

 

 

 遥か昔に、前世において私が事故死してしまい、それから気づいた時にはあの世の様な真っ白く、しかし黒色も混じっているような、そんな浮世離れした空間に居り、眼前には純白の翼を生やした女神がいるという、何とも安易なライトノベルにありきたりな展開。その渦中にいた私は、異世界転生の噂など幾度も聞いてきた身であったから、自分の置かれてそれからいる状況と、女神の口から紡がれる転生やら異世界といった言葉達に胸を弾ませた。むしろ、こんなにも非現実的な事に興奮しない者など存在しなかっただろう。

 

 そうして話が進み、私はその女神から二つの異能を授かった。一つは、『自分又は他者に望む通りの何かを授ける』というもの。これはとても有用そうに聞こえ、当時の私は大層喜んだものだ。

 そして問題は二つ目の、『不老不死』。浮かれていた私は、それを軽く聞き流してしまい、拒否する事も無く転生を終えてしまった。

 

 

 ────不老不死。それは、時代を問わず、人類の追い求めた究極の到達点である。どんなに堅実な理論を並べている科学者だろうと、大自然を畏れ、神を敬って生きた古代人だろうと、絶対に一度は夢見る、そんな憧れが不老不死である。最早、全ての研究はこの為にあるのだと言わせてしまうほどの、人類史における最大の願いだ。古い時代に生きた皇帝は不老不死を求め、蓬山(とこよのくに)を探し、或いは不老不死の薬だとして辰砂を服した。

 老いという恐怖を、死ぬという絶望を克服するという、何よりも魅力的な話。古い時代こそ、貧しい一般庶民は労働に嫌気がさし、不老不死なぞ要らぬと拒否し、その夢は貴族や王族のみが持つものだったが、文明が開化し、産業が革命を起こし、それから百年近く経って余裕ある暮らしを営めるようになった民衆は、不老不死を求めるようになり、その欲望を抑えつつも、やはり隠しきれずに『長寿の秘訣』だとかいった事を調べるのだ。

 

 そんな歴史からしても一見魅力的に見えるこの異能は────紛う事なき呪いだ。私の身体に一切の変化を許さないこの呪いは、老いず死なず、なんて生温い物ではない。転生した瞬間で肉体の時間軸が固定されている。

 肉体の時間軸が固定されているという事は、つまり私の身体は常に痛みも受けていない、傷も出来たことも無い、そんな新品ともいえる肉体のままであるという事。それは、何千回と同じ箇所に傷を負ったとしても、まるで初めてかの様に痛み、それに慣れる事も許されないという、あまりにも残酷な呪縛だった。

 

 何度骨を砕かれたか、何度丸焦げにされたか。その全ての体験により、ひたすら地獄を与え、痛覚が焼ききれても即座に再生され、また焼かれ、激痛は止まることを知らず、痛みの根源を取り除かねば、延々と痛みに打ちひしがれ、動けず、私は生ける屍と化した。

 

 その呪いは精神さえも蝕む。発狂は許されず、退行もさせずに、ただ純真な十六歳の私の精神のままだ。苦しみから逃れる事は許されない。

 ああ、きっとあの女神は天から私を見て気持ちの悪い笑みを浮かべているのだろう。不老という罪を与え、不死という業を押し付け、あらゆる物を改変する醜悪な異能を手に取らせて。あれは善神なんかじゃなく、悪魔なのだ。人の欲望を満たすナニカをちらつかせ、人の心を手に取る様に操り、そうして人間をマリオネットにし、悪趣味な劇をさせ、それを鑑賞して大笑いするような、そんな屑なのだろう。いや、そうに違いない。

 もしも、お前が善神だと言い張るならば、それならば私に死を授けよ。願わくば、私に真なる安らぎを与えよ。私が求めるものは、もう、『自身の死』ただそれだけなのだから。

 

 

 

 

 

 自身の死を願うようになったのは──この世界に転生して二年が経った頃か。私がとある人里に住み、慣れない異世界での暮らしをようやく覚えてきた頃の、突然の出来事だった。

 

 村が一瞬にして業火に焼き尽くされたのだ。村人達は悲鳴を上げる暇も、子供を避難させる事も、神に助けを求めて祈る事も何一つ許されず、瞬時に灰燼に帰された。当然、その場に居た私も例外なく、身体を灰へと還された。その事実を認識した瞬間には、もう私の身体は元通り再生されており、しかし声を出す暇も無くもう一度焼かれ、再生し、焼かれ、再生────延々と続く拷問に、魂が自壊しそうになるのを強引に抑え込まれ、身体が再生された瞬間に上空を見やれば、そこにはこの惨状の元凶である、悪龍が悠々と浮いていた。黒っぽい紫色の鱗に煤を被り、上空でうねり雄叫びを上げている龍を見て私は思考すら止めたくなる苦痛を無視し、それから強く、ドス黒い殺意を抱いた。生まれて初めて自分の感情に理性が支配された瞬間だった。

 

 その瞬間から、私の身体が火に燃やされる事は無くなった。もう一方の異能である、何かを与える能力。これは、与える、だなんて優しい言い方をしていいものではなかった。それは捻じ曲げる力。それは、無理やり作り替えてしまう力だった。そう、不老不死に引けを取らない、邪悪な呪いだった。

 私は、自身の形質を捻じ曲げ、火に焼かれない身体構造を瞬時に獲得し、熱による痛みは消えずとも身体が灰となる事は無くなり、そして次に天に届く跳躍力と鋼すらも容易く貫く膂力を手にした。そして悪龍へと一直線に跳び頭蓋を抑え、渾身の力を籠めて殴打すれば、そこから龍の頭は一つの塵も残さず消し飛んでいった。

 後に残ったのは、どうしようもない孤独と、燃え盛る家屋だけだった。

 

 

 

 独り残された私は、それを近くの都市の騎士に伝えた。私は、『何故お前だけ生き残ったのか』と尋問された。そして能力の事を含め、なぜ生き残ってしまったかを伝え、それから始まるのは拷問だった。きっと、騎士達は、不死である私に恐怖したのだろう。死ぬという恐怖を克服して死ななくなったのならば、それ自体がまた恐怖になるのだと、その時私は初めて知った。

 

 火あぶりにされようにも、火の全く効かなかった私は、何度も何度も川に沈められた。窒息し、酸素が尽きる極限の苦しみが何時間、何日と続き、そして引き上げられた時に咳き込んで、生存を彼等に告げてしまった私は、恐怖に震える剣で勢いよく串刺しにされた。股を裂かれ、脳天まで貫かれ、頭からは血の混じって朱色になった脳漿がぶちまけられていた。脳がかき乱され、思考が覚束なくなり、真っ二つになった心臓がどれだけ体外に血液を排出しても、私は失血死することなく、心臓は私の体積を遥かに超える血液を吐き出し続け、それに慄いた騎士が剣を引き抜けば、瞬きをする間、ほんの僅かな刹那の時間に私の身体は綺麗さっぱり治っていた。

 

 最早発狂寸前という様に、何度も何度も鈍器を叩きつけられ、骨が幾度となく粉砕され、内臓は数百回以上は潰れて血漿を辺り一面に撒き散らした。さらには人体実験でもするかのように、目玉がくり抜かれ、私の眼孔を離れた虹彩と目が合った騎士が半狂乱になりながら目を潰し、それから大樽一杯の毒物や劇物を口内に流し込まれた。内臓が焼け爛れ、細胞が壊死していくという、筆舌に尽くしがたい地獄の苦しみ。人体が一度に受けていい痛みの許容量を遥かに超えた激痛に、血を吐きながら痙攣し続ける口でもうやめてくださいと懇願しても、何かに突き動かされるように必死に私を嬲る騎士は手を止めず、別の新たな手法で私への拷問を再開する。

 

 数日間に渡り、散々手を尽くし、それでも私を殺せず、ようやく騎士達は諦めて私への拷問を止めた。それから手錠と目隠し、猿轡を付けられ足を縛られ、とどめと言わんばかりに心臓に杭を刺された私は馬車に載せられ、向かった先は王都。この世界の中枢だった。

 そこで私は手錠等外され、広場に立てられた木組みに吊るされ、磔刑に処された。不死身の怪物と蔑まれ、民衆からの恐怖を得た私は、数週間に渡って民から石を投げられ、短剣を刺され、包丁で切り刻まれ、音を置き去りにする鞭で顔を何度もひっ叩かれた。

 一か月も経てば、次第に民衆の感じる恐怖は鋼鉄を背負うかのような重圧となり、結果として私は禁足地と呼ばれる森に放たれた。全てに絶望し、疲弊した精神は、しかし肉体共に健康なままだった。だが、最早何もする気の起きなかった私は、そのまま数えきれない年月の間、この森を彷徨い続けた。

 いつからか、それすらも辞め、ただただ石の上に座って星を眺めるだけの彫像と私は成った。

 

 

 

 

 

 星を眺め、ああ、また一つ知らない星が増えたと、客星が新たに天球に現れたのをぼんやりと観察し、そうやって何をするわけでもなく星を見続けて見続け、何百年と経ったのだろう。あの村が焼かれてから、それでもめげずに生きて生き、それでも待ち受けていたのは地獄だった。最早、私に生を渇望する余力など残っている筈も無く、いつからかただ星を眺めるだけの、なんの起伏もない人生を送るようになって久しい。

 

 死ぬことは許されない。そしてこの世界で迫害された私には、数えきれない処刑が重ねられた。それが意味するのは、私が生きることもまた許されないという事。普通ならば、とっくに精神を崩壊させているだろう有り様で、それでも私は壊れる事さえも許されない。辿り着いたのは、何にも関与しないこと、それだけだった。今の私は、まさに生きても死んでもいない、存在していないと同義なのだろう。ただぼんやりと思考するだけのオブジェでしかない。何度と自殺を試みても、どうせ返って来るのは痛みと健康な肢体の二つだけ。やる事といえば、星を見る事ただ一つだった。

 

 

 ふと視線を落として自身の右手を見る。白く透き通るような肌に覆われたその手は、人里の長と握手した右手。私の世話をしてくれた人の肩を揉んだ右手。龍の脳髄を消し飛ばした右手。自分の心臓を、脳を抉り取った右手。森に迷い込んでしまっただけの、極々普通の少女に妖刀を持たせ、私を刺すよう命じた右手。

 

 いつからだろう。人と繋がる為に在ったはずの私の右手は、ドス黒い血と怨念がこびりついていくら洗っても落ちなくなってしまった。ワクワクとドキドキを映し出していた顔は、仮初めの微笑みと苦痛に喘ぐ歪んだ表情のみを作り出すようになってしまった。

 

 後悔。自責。何をもってしても、失ってしまった何かの埋め合わせにはならない。天高く瞬く星々は、きっと私の罪を知っている。苦痛も知っているだろう。けれども、それらはただ光り輝くだけで、私に笑顔で手を差し伸べる事も、狂気に満ちた表情で刃を突き付ける事も無い。私には、それが妙に心地よかった。夜になれば必ず私を遠くから見てくれる、それが、私に唯一生きているという実感を与えてくれていた。月は──遥か昔に地球から見たそれとは全く異なるが──星々を纏め上げ、ある時は剣となり、またある時は弓となり、最後には鏡となる。

 しかし、そのどれもが私を刺したものでも、射たものでも、映し出したものでもない。それはこの身を焼かれてから数千年、月以外に見る事のできないものなのだ。

 

 ひたすら深く、人も、他の生物もほとんどいない、暗く寂しげな森の中で、私はただ月と星の光だけを助けにして生きていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 そんな夜も更けた頃、私の耳は、永らく聞かなかったある音を拾っていた。その音に、私の背筋は無意識の内に伸ばされ、足がピクリと跳ね、右手に力が籠る。また誰かが私を殺しに来たのか。そう思いながら、フラフラと大岩から下り、音のする方向に歩みを進めようとすると、一層木の葉が騒めき、トカゲが地面を駆け抜けていき、ひと際大きな音を上げて私の前に現れたのは、まだ十五にも満たないであろう少女だった。森に入る前は綺麗だっただろう服は幾つかの穴が穿たれ、肌にも生傷が幾つも刻まれている。そんな少女は、私を見た瞬間に、何か驚いたような表情をした後、そのまま倒れこんだ。

 

 死んだのかと思って近づいてみると、どうやら脈もあり、息もしている様子。このまま捨て置いて事切れるのを待とうかという思いも一瞬頭をよぎったが、その考えを払い、手当をしてやる事にした。都合のいい事に、私にはたった一つの事以外を実現させる術があるのだから、少女の傷の手当程度、これっぽっちも難しくないのだ。

 

 まずは手近な物を変化させて包帯を作り出し、近くを流れる川の水を消毒用のエタノールに変え、消毒を済ませてから包帯を巻く。そして今にも絶えてしまいそうな、彼女の身体に蓄えられた栄養を、無理やり倍化を重ね、生命維持に必要な量まで増やせばひとまず安泰だ。

 それから、この付近は、野生の強力な魔物がうろついているので、念のために住居を作って危険を排さなければならない。それに、私と違って命も健康も気にかけなければならない生命(いのち)なのだから、雨風を凌げる場所でないといけない。私はあまり一つの事に専念できないから、つきっきりで守ってやるという事ができない。長い年月を生きた弊害で、何をしてもどうにもすぐ飽きてしまってボーッとしてしまう。

 

 遥か昔に何度も何度も重ねた自己改変により、既にこの世の生物のほとんどを凌駕する私の膂力を存分にふるって木を薙ぎ倒し、倒れた丸太を、風邪を魔術で操り創り出した鋭い鎌鼬を発して加工し、木材としてやれば、後は木材に『家という機能』を与えれば即座に一軒家が生み出される。自分で何度も振ってきたが、やはりこのチカラは便利。だが、この世界からしてみれば有害だな、と思い苦笑いする。建築家どころか、この世の生物の行う全ての営みは私が代わりに行えてしまうのだから、本当に邪悪なチカラである。

 

 さて、本当に私は何でも出来てしまう。ほんの一つの事だけを除いて。物理的なものでも、抽象的だったり、概念ですら与えてしまえる私のチカラでも、私自身に死を与える事は不可能。というより、死を与える事はできるが、死んだ瞬間には元の肉体に元通りなのだから、そんな事をしたところで全く無意味なのだ。

 

 そう、そんなチカラで予知した情報によれば、彼女が起きるのはほんの数時間後の夜明けだ。その間に、私は食事の準備でもするとしよう。数千年ぶりの食事を、倒れている彼女に振舞う為に。

 

 

 

 

 

 

◆老いという恐怖は、死という絶望は、生物から欠損してはならない最も重要な機能だった。◆

 

 

 

 

 

 

 追ってくる魔物から逃げ、禁足地の樹海へと足を踏み込んで──疲弊しきった身体に待っていたのは気絶だった。その意識が途切れる寸前で、人のような生物が朧気な視界に映り、この場所に人間がいるのかと驚き、その時点で記憶は途切れた。

 そして今まさに意識が戻り、見上げた天井は、新築の香りの(ほとばし)る、知らない天井だった。

 

 

「────あ、起きたんだ」

 

 

「ひィッ!?」

 

 

 自分のすぐ近くで声がした。それで思わず飛び起きた私が目にしたのは、腰まで届く、薄く透き通る白色の髪を揺らしながら、こちらに小さく振り向き、そして小さく笑みを浮かべる、自分と歳の大して変わらなさそうな少女だった。

 

 

「落ち着いて。焦らないで──すぐにご飯、炊きあがるから」

 

 

 私は口をパクパクさせながらも、何とか自分の今の状況を理解しようと寝ぼけた脳を回転させ、その間に少女は言葉を紡ぐ。人としばらく話していないようなぎこちなさのある喋り方は、不思議と安堵を覚えさせる。しかし、純白の、一筋ごとに星の光を織り込められているように美麗に輝く髪と、桃色の虹彩を暗く濁らせている瞳の対比が、どことなく不安定で、切なさを感じさせる。

 

 

「あッ、いや、あのっ! 大丈夫ですから! 私を介抱してくださったのは嬉しいですが、えっと……とにかくッ! もう追手もいないでしょうし、すぐに帰ります!」

 

 

「だから落ち着いて…………追手、ね。じゃあ、帰さない。追われる身なら、ここに隠れるのが一番の得策だから。────はい、出来たよ、お粥。お米は急ごしらえだから美味しくないかもしれないけど……」

 

 

 追手に言及してしまいはっとなるのも束の間、少女にそう言われ、少し強引に引き止められてしまった。

 目の前には、水分と米のバランスが美しいと形容できるまでに整った、煌めいて見える粥がある。対して私の腹は、数日にも渡る逃走も相まってすっからかんである。

 差し出された粥を見る。それから少女を見る。少女は、「もしかして具合が悪くて食べられないの?」と首を傾げている。その姿には、異性は勿論、同性ですらも虜にしてしまいそうな、そんな魔性の美しさが秘められていた。そんな美少女、そして命の恩人を前にして自分の悪い所は絶対に見せたくないな、と思った。

 

 

 ──しかし、私の口元からだらしなく垂れる涎は、既に隠しようもなかった。

 

 

「…………いただきますッ!!」

 

 

 レンゲを持ち、これでもかと粥に食らいつく。熱さに顔をしかめる時間すら惜しんで、とにかく喉に粥を流し込んでいく。私がそうして食らいついている間、少女はそれまでと変わらない、薄っすらとした笑みを浮かべ続けていた。

 

 

 

 

 

「ご、ごちそうさまでした」

 

 

「お粗末様でした」

 

 

 食べ終わる頃には、先程までの、不躾な食事を行っていた自分を見せてしまったという恥ずかしさを覚えていた。それも、先程までの作法も何もかも忘れて食事にありついていた自分を殴り飛ばしてしまいたい程の。いやしかし、事情も事情。仕方のなかった事だと自分に言い聞かせ、それから私は遠慮がちに口を開いた。

 

 

「……えーっと、その……」

 

 

「分かってる。追手の事でしょ? まだダメだよ。見慣れない魔物が出口でうろついてる。人型が二体に、魔人型が五体と、小竜が一体。貴女が出ていくには危険すぎる」

 

 

 少女は、しどろもどろな自分の言葉を、ほとんど聞かずに私の心を見透かして見せた。それに、今まさに見てきたかのように、詳細に魔物の動向について語っている。それは私の常識には全く当てはまらない、不思議なもので、それに私は心が惹かれたのだろう。考えるより先に、私の口はパッと開いた。

 

 

「あの……何でそんなに今の動向が細かく判るんですか? もしかして魔術を使えるんですか!?」

 

 

「えっ、いや、魔術ってよりは……」

 

 

「魔術じゃなくてもいいです。とにかく、不思議な力を使えるんですよね!? ────決めました。私を弟子にして下さいっ!」

 

 

「──────えっ。ま、まぁいいけど」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、あの時に少女……いや、師匠が使っていた力は教えてくれなかったけど、その代わりに魔術を教授してもらった。

 火、水、風──様々な分野の魔術をこれでもかと詰め込まれ、魔力の運用を教え込まれ、ハイペースで修行が進む内に、気が付けば、空には私と師匠が出会った日と同じ、満月が昇っていた。

 

 初めて修行をつけてもらった日から、なんだかいきなり魔術や魔力についての理解が急速に深まり、今では私の見た事もなかった炎の大渦を、木を根こそぎ攫っていく大波を、岩を吹き飛ばす強風を、ただ少しだけの詠唱をするだけで手の平から生み出せるようになっていた。

 それは、私が噂にも聞いた事のない、絵本の中に登場するような英雄が行使する魔術に限りなく近かった。こんなに大規模な魔術なんて少し前の私ならばまさか自分が身に着けるとは思いもしなかっただろう。最早天変地異とすら言えるチカラ。これを使えば、もしかしたら、私も絵本の中の英雄のようになれるのかもしれない。そんな事を考えながら、私は師匠に問いかけた。

 

 

「…………師匠」

 

 

「何? ハク」

 

 

 ハク、というのは勿論私の名だ。

 

 

「さすがの師匠も、なんで私が追われてるか判りませんよね?」

 

 

「……判ろうと思えば判る。けど、知らない」

 

 

「そうですよね……ちょっと、私の話を聞いてくれますか?」

 

 

 

 

 

 

 ────私の生まれは、遥か遠方にある小国だ。歴史書の片隅に小さく載る程度の、影の薄い故郷。一年に一度、中心にある『霊樹』と呼ばれる木が紫色の花を一面に咲かせる。とにかく巨大で、そして儚い。そんな様子が、旅人の間で少しだけ噂になっている。そんな様な国だった。

 

 

「国の唯一の観光資源になっていた霊樹ですが、それには一つだけ、後ろめたい事実が隠されていました。その花びらの紫色は、罪の色だったんです」

 

 

 霊樹は遥か昔、それこそ神代の頃から鎮座しているという。ある時、最も歴史の古い貴族の蔵から見つかった歴史書には、こう書かれていた。『都の中心に恭しく鎮座している霊樹は、年に一度、豪快に桃色の花を咲かせる』。

 その文献が学者達に発見されてすぐ、王家は学者を皆冤罪で処刑し、歴史書を偽書として燃やした。しかし、その写本を私は読んだことがあった。何を隠そう、私の父は、その学者の内の一人だった。

 

 

「私は一人で霊樹の調査を秘密裏に始めました。父が死んだ理由を知らないままのうのうと生きていたくはなかったんです」

 

 

 ふた月ほど、霊樹に何か起きないかと待ち伏せをして迎えた、ある新月の夜。王家の騎士とお抱えの魔術師が、何度か左右前後を見回して誰も居ないことを確認してから、霊樹の根本にある石碑をずらし、中から見えてきた階段を下りて行った。後に続く人がいないのを確認して後をつけてみれば、そこにあったのは、()せ返る程に充満した魔力と、乱雑に積まれた生物の死体だった。そこには人間も含まれていて処刑されて穴だらけになった学者の死体もあった。当然のように、そこには埋葬したと報告された筈の父親の死体もあった。

 

 

「師匠も知ってると思いますが、この星は五百年程前から『魔皇』率いる魔物の軍勢に苦しめられていました。けれど、長きに渡って人は魔物達を研究したにも関わらず、発生条件はずっと不明のままでした」

 

 

 私がそこで見たのは、死体だけではなかった。霊樹の下に広がる広い空間の中心に、ひと際大きな根が貫通しており、そこには楔で巨大なミイラが打ち付けられていた。その下には洞が空いており、魔術師は死体を幾つかその洞に放り込むと、騎士に合図をしてミイラを斬りつけさせた。

 

 

「そのミイラとは、神だったのでしょう。かつて神だったモノ。土着神の一種。これは、私の父の写した歴史書に書いてあった事から私が勝手に推測した事ですが」

 

 

 その瞬間、空間内に一閃、刹那の時間、光が迸ると、洞の中からは魔物が這い出てくる。それも一体や二体ではなく、百体以上。根は、魔物から若干の魔力を吸い取っていたようだった。そしてそのどれもが、騎士が百人束になっても傷一つさえ付けられないような、強力な魔物だった。

 

 

「そう、魔物を作っていた元凶には私の生まれ故郷──紫桜国も含まれていた、という事です。紫桜国の上層部、それこそが五百年に渡る人類史の最も忌むべき仇敵の一つでした。それが判った、判ってしまった私は、王都のミハシラ教会に調査要請を出しに、すぐに家を出ました。この世で最も強い権力──神託を行使できるあの教会なら、真実を暴いてくれるだろうと思っての事でした」

 

 

 しかし、王都に密告しようとした事は既に勘づかれていた。私は国を出た直後から、複数の魔物に追われ続けた。国は私の命ごと真実を闇に葬ろうと、汚い手を使ってまで。それは相手自ら自分たちの悪事を認めるものだった。

 そうして何度も隠れては暴かれ、間一髪で魔物の手を振りきり、幾度も命の危機に瀕しながら、辛くも辿り着いたのがこの森だった。遠く離れていたこの森の事は、紫桜国にも古くから伝わっていた。入れば例外なく神罰を受けるだろうと言われている、ミハシラ教の聖地にして禁足地、そしてこの世で最も危険な一帯である、ムスビノ森。平時ならば近づきもしなかっただろう森の入口まで追い詰められた私は、ギリギリまで葛藤し、そして意を決してこの森に逃げ込み、しかし途中で力尽きた。

 

 

「そこで拾ってくれたのが、師匠なんです」

 

 

 

 

 ────そこまで伝えた所で、師匠は珍しく、薄っすらとしていた微笑みを霧散させ、真剣味を帯びた顔になって熟考を始めた。そうして短くも、長くもない間が空いてから、師匠は口を開いた。

 

 

「…………魔物の根源がそうだったなんてね。しかも、元凶が人間だなんて──やっぱり人間なんて……」

 

 

「……………………」

 

 

 暗い雰囲気と沈黙に耐えかねた私は、その後にはは、と小さく茶化し、そんな私を、師匠はいつの間にか微笑みを戻した顔で優しく見ていた。けれど、その目は、私も、森の木々も、何も映っていないかの様にどんよりと濁っていた。

*1
光り輝く様

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