女の子を拾ったらなんやかんやで師匠になった   作:ゔぁにたす

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Contradictio.
壊れ切った心。


Proditio: 心の撞着

 

 ハクを鍛え続けて半年が経った。森の付近を彷徨っていた魔物共も、流石にハクが死んだと判断したのか、既にその姿形を残していなかった。

 

 鍛え初めの一か月で、ハクは英雄と呼ばれるに相応しい程の成長を見せた。それには、私が『魔術の才能』を能力で与えた事も起因しているが、それ以上に彼女の意欲と飲み込みの早さが最も大きく寄与している。一か月で英雄になったならば、更に五倍の歳月をかけて修行を積み重ねたとして果たして彼女はどこまで上り詰められるのか。

 

 答えは、人類最強の魔術師まで、である。彼女の内に秘められし濃密な魔力を開放すれば、起こるのは正に天変地異。最早彼女の魔術は神羅万象そのものであり、一国を滅ぼす事など、そこいらの虫を踏み潰すよりも手間がかからない、といった段階まで昇華されている。惑星規模のハリケーンを起こし、地殻の奥底に眠るマグマ溜まりを直接地面から噴出させ、方舟すらも沈ませる大洪水を引き起こす。

 それらの大災害は全て彼女一人で起こす事が可能なのだ。それは英雄というには、あまりに強大すぎた。勿論、彼女がそれを悪事に使う事は無いだろうが、何も知らぬ人間からしてみれば、それは最早恐怖の対象でもあるのだ。しかし、人類は今、その魔皇に侵攻されていており、その多忙さたるや、蟻一匹の手足すら借りたい程であろう。そんな中に彼女が現れれば、救世主として崇められ、即座に最前線へと送り込まれる事間違いないだろう。そして戦果を上げれば、彼女の祖国が溜め続けた業の内容に信憑性を持たせる事が漸く可能になる。

 

 

 だが、私は知っていた。だから、『人類最強の魔術師』と言ったのだ。世界最強の生物と呼ぶのではなく。答えは簡単、それでも魔皇には敵わないのだ。私は魔皇の規格外の強さを知っている。災害、だなんて範疇はあの生物は軽く飛び越えている。

 

 あれは、あの生物は────

 

 

「──ハク、魔皇は今の貴女でも敵わない。魔皇の力を示すのに最たる例を言おうか? 空に浮かぶ御観星()は、あれは三千年前に魔皇がこの星の山を全て刈り取り、こねくり回して一つにし、それを宇宙に放り投げた物なの。だから、この星には山が数える程しかない」

 

 

 三千年前、とある者がこの森を訪れていた。それは後の世にて魔皇と呼ばれる、史上最悪の生物。魔皇はどこからか、不死の私の噂を聞きつけ、そうして私を殺しにこの森へやってきた。

 単純な力では私を殺せないと知った魔皇は、光速に限りなく近いスピードでこの星を駆けずり回り、そしてあらゆる山を一斉に刈り取り、一つにして丸め、木の上に退避していた私に投げつけた。それを避ける事なぞ出来ず、私の身体は一瞬で弾け飛び、空に大きな星が出来ると共に、私はまた再生した。

 

 

「頼むから、魔皇とは接触しないでほしい。アレは誰にも殺せない。貴女の規格外の魔術を以てしてもそれは変わらない。だからお願い。折角出来た私を認めてくれる人を、そんな事で失いたくない。貴女が行くのを私が止める事は出来ない。────けど、魔皇にだけは挑まないのを約束してくれないと、私は貴女を行かせられない」

 

 

 我儘だなんていつ以来だろう。遠い記憶の彼方に消し飛んでしまった前世以来だろうか。私と数千年ぶりに関わってくれたハクを、どうしても失いたくない、その一心での言葉。

 

 

「……もう、しょうがないですね、師匠は。そこまで言うなら用心しますよ。魔皇が現れたら、攻撃を仕掛けないで兎に角逃走に回りますよ」

 

「──────よかった」

 

 

 私が、こんな私が心の底から安堵した事なんてもしかしたら初めてだったのかもしれない。この胸騒ぎが、この心配が、どうか杞憂に終わりますように、と、私はかの悪魔ではない、居もしないだろう救いの神へと祈りを捧げたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 禁足地は、本来の静けさを取り戻し、またほんの数羽の鳥の囀りと、擦れる木の葉の音だけが聞こえる。それと共に、私はまた彫像へと成り下がっていた。星を見てただ感傷に浸るだけ。あの月も、確かに一度私を殺したとはいえ、それでも天蓋に浮く星となってからは、やはり安心させてくれる物となっていた。

 

 ハクが出て行ってから数か月経ち、外に『目』を張り巡らしてみれば、どうやら人類の戦況は良くなった様子。強力な魔物共は、災害の如き魔術によって消し飛び、対して人類は数を一向に減らす事なく魔物を破竹の勢いで殲滅していた。

 ハクという、これまで歯が立たなかった強力な魔物を倒す手段が生まれたことにより、人類側の『英雄』であり切り札の『大司教』を前線に連れてこれるようになったのが事態の好転の主な理由だ。大司教の治癒魔術と加護魔術は恐るべきもので、常に治癒の魔力の充満する空間を張り巡らす事により、不死ではないかと錯覚するほどの生命力が与えられ、更に高潔な神力による加護によって一人一人の騎士は英雄に比肩する身体能力を与えられた。

 

 瞬く間に殲滅されていく魔物は、しかし絶滅する事なく人類の行く手を阻み続ける。魔皇は無尽蔵に魔物を生み出せる事が出来、更に紫桜国が強力かつ強大な魔物を生み出しているからだ。一つ一つが人間換算で千の軍勢に匹敵する程。それを月に一度、新月の夜に、四桁もの個体を生産するのだ。それは減らない訳だ、と一人納得し、しかし幽閉されている身の私はどうしようもない。

 この森には結界が張られている。私を外に出させない、ただそれだけの役目の結界。勿論、その気になれば破る事は容易いが、まずそんな気にならなかった。

 

 ……だが。この年はどうにも、転機が多いようで。せっかく、ハクというチャンスで踏み止まったというのに、それを踏みにじるような来訪者が、またしてもやってきたのだ。

 

 

「やぁ、■■。元気だった? 実に三千年ぶりの再会な訳だけど、もしかして嬉しいかい?」

 

 

 私の背後に現れたのは、私と非常に似ている容姿をしており、しかしその髪色は黒く、その髪色よりも更にドス黒い魔力を垂れ流している、そんなバケモノだった。

 それは、人類の仇敵、魔皇に他ならなかった。

 

 

「──今更何の用? もう私は貴女と会いたくないんだけれど」

 

「つれないなぁ、■■。……あぁ、そうだ。君の育てたハクって子、あれ一体どんな育て方したらあんな災害じみた怪物になるんだい? ……っと、そんな事言わなくても判るけどね。君の能力で彼女に天賦の才能を与えた。そうだろう?」

 

 

「その名前で呼ぶな。お前がハクの事を語るな。黙って立ち去って」

 

 

 私はコイツが本当に苦手だ。思い出したくない事も無理やり掘り返してくるし、私を不快にさせる術に非常に長けている。それでいて私の心を揺さぶるのも本当に上手い。だから、コイツとは絶対に話したくなかった。だというのに。

 

 

「あぁ、そっか。君は……確かゲツと呼ばれていたっけね。どうせなら真名で呼んだ方がいいと思うんだけどねぇ」

 

 

 ゲツ。そういえば、そんな名前を名乗っていたっけ、と朧気な記憶を思い出していると、その隙を狙って魔皇は私の隣に腰を下ろした。

 

 

「私の隣に来るな。森から出ていって」

 

「強く当たるねぇ。そんなにボクの事が嫌いなのかい? ……いや、答えてくれなくても判るよ、それくらいね。まぁそんな事はどうでもいい、今日はゲツにある話を持ちかけに来たのさ」

 

 

「そんな話を聞く気はないから、黙って消えて。お願いだから、本当に」

 

 

「まぁ、落ち着きなよ。君にとっても非常に有益で、これ以上ない取引なんだから、さ」

 

 

 そう言うと、魔皇はその紅い目をほんのりと桃色に光らせ、それから気味の悪い笑みを浮かべた。ああ、この表情を私は知っている。これは、この醜い面は、あの悪魔────女神の表情とそっくりだった。

 

 

「ゲツ……君に人類の征服を手伝ってもらいたい。ボクが直接チカラを振るってしまったら、それこそこの星が壊れかねない。それは駄目なんだ。あくまで人間がいなければいけない。そこで君のチカラが欲しい。強い人類を全て殺し、か弱きヒトを十万人程度一か所に集めて柵で囲う。それだけの仕事さ。それくらいなら、君は易々とこなせるだろうし。──それで、報酬はね、ゲツ。その仕事が実った暁には、君を殺してあげるよ。不老不死を植え付けられ、今までさぞ苦しかっただろう。それはボクもよく判っている。だからこそ、君に死を。完全な輪廻転生の輪に乗せてあげるよ」

 

 

 ────私は、途中からほとんど話を聞けていなかった。だが、最後に言われたコトバ……つまり私の死。あれだけ渇望していた死が、輪廻転生が、今まさに目の前に吊り下げられている。

 

 

「受けてくれるのかい? ゲツ」

 

 

 気が付けば、無意識の内に彼女の差し伸べた手を取ろうとしている自分がおり、その手を引っ込めようと、しかしそれ以上伸ばさない事だけで精一杯だった。数千、いや数万年もの間、私が閉じ込め続けていたその欲望を、遂に満たす事が出来るのだ。その果実(報酬)が今すぐにでも欲しいという渇望と、ハク達人類を皆殺しにすることなど出来ないという、擦り切れて消えてしまいそうな善性が必死にぶつかり合う。

 

 

「さぁ、手を取って。君がこれまでずっと──二万と五千八百年余欲し続けた、本物の死を与えられるのは、これまでもこれからもボクだけ。この手を取らねば、君はもう二度と死ぬ事は出来ないんだ」

 

 

 魔皇の妖艶な一言一句が私の衝動を加速させていく。火山が噴火するように、断層が跳ね上がる様に、最早私の心は傾ききっていた。けれど、その天秤と、負けという名の地面の間に、ハクという小さな小さな存在が在り、それだけが私の決断を止めていた。ハク以外の数百万人の人類なぞとっくに私の心からは排された。けれど、ハクというたった一人の少女だけが、私の僅かな善心を支え続けていた。たった半年程度の、それこそ私の人生の五万分の一にすら満たない些細な時間を共に過ごしただけの彼女が、私の千分の九百九十九に打ち勝とうとしている。

 

 

「……君の心を惑わせているのは、やっぱりあのハクとかいう奴だね。なら少しだけ待っていてよ。すぐに奴の首を持ってきて目を覚ましてあげるから」

 

「……それは、駄目!」

 

 

 その言葉を聞いた瞬間、いや聞いた時には、既に私は魔皇の頭を掴んで、大岩に叩きつけていた。光すらも置いていく速度で、彼女も追いつけない速さで。森の木が根こそぎ遠くに飛んで行くのではないかという衝撃波と、一瞬にして蒸発した大岩が、また固まって降って来るころには、彼女の消し飛んだ筈の頭もまた再生していた。

 

 

「……君が本気で止めるだなんて。そんなにあの子が大事かい、ゲツ。参ったね、君を相手取ると十年は離れられないから、争いたくはないんだけども」

 

 

 ──この日から、魔皇は私に執念く付き纏うようになった。彼女は本気で私を利用しようとしているのだろう。私は寸でのところで彼女の手を取るのを抑えなければならない、というのを毎日のように続け、もう手を取ってしまいたい、そんな気持ちが渦巻く中、魔皇は終始薄気味悪く笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「分かったよ、ゲツ。それなら、ハクは殺さなくていい。生かしておいていい。君を殺した後も彼女だけは殺さない。それでいいかい? 流石のボクでも三か月間頭をかち割られ続けるのは堪えるよ……」

 

 

 そんなある日、遂に均衡は破れた。もう、その一言だけで私が彼女の誘いを断る理由がなくなってしまったのだ。

 

 

「……それでも! ……私はお前の提案には乗りたくないッ!」

 

 

「へぇ、でも辛そうだね、ゲツ。もう無理をしなくていいんだよ。ほら、ボクの手を取って。一緒に憎き人類を殺して回ろう。永い年月で君も憎しみは相当溜まってる筈。それを発散させて最後に死ぬ。一番いい終り方だとボクは思うけどな」

 

 

 私の心は訴える。もういい、と。早く楽になろうと。これ以上我慢する必要はないと、心は魔皇の声をとって諦めの言葉を次々に投げかけてくる。もう、私は諦めてしまいたかった。決断をしたくなかった。どちらかに転ぶくらいなら、もう何もかも放棄してしまいたかった。決定も、思考も、運命も、自身の何もかもを。

 

 

「──そこまで言うなら、どうして今すぐに私を殺してくれないの」

 

 

「簡単だよ。喜ばれるような事を無償でやってあげれるほど、ボクはお人よしじゃないのさ。それに、君を殺してあげるには莫大なエネルギーが必要。それも、ボクの内包する魔力の五分の四は使い果たす程のね。宇宙を壊しかねないエネルギー量さ。何て言ったって君に憑いてる女神のチカラを跳ね返してこの世の理を捻じ曲げなくっちゃいけないんだから」

 

 

 燃えなくなった筈の私の脳は、ほぼほぼ焼ききれてしまいそうで、そんな状態ながらも思考は加速し、葛藤し、それでいて冷静。その裏で、憎しみに燃え、諦観し、それらを混ぜ合わせて無理やり落ち着いて。無理やりにでも正常な精神に戻ろうとする呪いにより、正常ながら狂っているような精神状態になって。それでも、私の問いかけは、まるで台本を読まされるように、あっさりと飛び出てしまったのだ。

 

 

「──本当に殺せるの?」

 

 

「……ふふ。ああ勿論、本当に殺せるさ」

 

 

 ────私の善心は、魔皇の手によって夜の闇に覆い隠され、そして見えなくなった。

 

 

 

 

 

 

◆人は、百三十年で壊れる様に設計された。それに合わせて精神が創られた。その限界を超えた瞬間、その精神は壊れてしまうのだ。◆

 

 

 

 

 

 

 ──魔皇は、禁足地の結界を、二万年以上破られなかった結界を容易く割り、私を連れて外へと出た。

 

 

「さあ、手始めにそこの集落を潰してみて。ああ、大丈夫。そこにハクはいないさ。今頃王都の方で戦いの準備をしている頃だろうからねぇ」

 

 

 くつくつと笑う魔皇を後目に、私はチカラを両手に籠める。きっと、私の瞳はもう何も映していないのだろう。鏡でも見れば、きっとそこには曇り果てた、光無き瞳が在るだけだろう。

 そこに居るヒトも、生物も、もう私は認識する事が出来なかった。けれど、ソレが在るとだけは認識でき、それを殲滅すればいいのも判っていた。

 

 ──けれど。私の両腕は、思う様にチカラを籠める事も出来ず、ただ震えているだけだった。殺したくないと言わんばかりに、指先が、腕の節々が、震えて止まらない。

 

 

「おやおや、まさかここまで来て出来ないとは言わないよね? ほら、自分の心なんて誤魔化さなくていいのさ。あの星でも堕として憎き人間を殺し尽くしてしまえばいい!」

 

 

 無理だ。無理だった。チカラは、腕に流れ込まない。もう何度も使っている筈なのに、慣れている筈なのに。

 

 ──月光に照らされた私の腕を、すっと掴まれる。他でもない、魔皇の手によって。

 

 

「出来ないなら、そんなにも重症なら──手伝ってあげるよ。なぁに、簡単な事さ。ほんのちょっとだけ、力を抜いて楽にしていればいい」

 

 

 その言葉に、誘惑するような甘い声色に、抗えなかった。洗脳の類だったのかもしれない。私の腕は、独りでに動き始め、チカラを纏い、そうして天に向かってチカラを放出した。その結果は、私にだって予想がつく。

 

 

 天蓋に浮かぶ御観星と繋がったそのチカラは、天の星々を引き摺り落とす。かの月は、御観星は堕ちる。その身を以て人類を絶やす道具となる。三日月の剣であった月は既に丸くなり、地上を影に落とし、そして紅く燃える月は堕ちた。

 瞬く間に広がる業焔と衝撃波。それにより瞬時に其処に居た人類は蒸発させられ、人の建てた建造物も木々も破滅の一途を僅か数瞬の間に渡らせられ、壊れゆく月は、嘗ての山体の見る影も無くし、ひとしきり己が身を撒き散らした後、残るのは燃え盛るクレーターが一つだけだった。

 そこには、生命の活動は一切見受けられない。集落に居た百二十八つの人の魂は、一つの例外を残さずに消えたのだった。

 

 

「お見事。自分の名を冠する星を堕として──さあ、そうしてゲツは遂に目覚めるのだ、なーんて。とってもいいスタートだね、ゲツ?」

 

 

 呵々、と笑う魔皇は随分と満足そうに見えた。私は、呆気にとられながらも──どこか満足していたのだろう。笑みが止まらなかった。あの集落は覚えている。私が封じられようとしたその時、最後の最後まで私に石を投げ続けた一族の末裔の住む集落だった。

 

 

「……やっぱり、君はボクと変わらない。本質は、恨みに妬み、憎しみだけが原動力の、復讐の為に生まれたようなモノだ。さあ、共に壊そう。屈服させよう。圧倒的な災害を振るい、人類を絶望に陥れようじゃないか」

 

 

 それには、あまり興味は湧かなかった。私は、自分の死と、ハクの生存以外にはもう何も要らない。……それには魔皇は含まれない。魔皇も、私にとって必要ないモノなのだ。だけど、私を殺してくれるから、だからその時までは彼女を殺す必要なんてない。

 

 

 天を仰ぐ。そこには、月を失い、より一層暗くなった星空がただ広がるだけだった。星は、私に鉄槌を下す事はなかった。やはり、アレらは傍観者。私という舞台上の役者を見ているだけの、観客。物語を読んでいる気分になっている、神気取りの奴ら。

 でも、それでも、それが心地よく、私は暫くの間、星を見つめ続けていたのだった。

 

 

 

 陽は昇り、魔物達は森林や洞窟へと姿を隠す。それと同時に人間は起床を始め、活気ある営みを再開させる。

 

 人の跋扈する地上を、私は独りで眺めていた。魔皇は、「ちょっと用事があってね」と一言だけ残してどこかに飛び去って行った。取り残された私は、昨日の様な高揚感も疾うに失い、星もひと際輝く太陽を除いて見えないものだから、私は人間達を遠くから観察していた。私が今も憎み続け、存在すら許したくない筈の人間は、笑顔を浮かべ、汗水垂らしながらも充実した日々を暮らしている。労働、食事、睡眠、恋愛。人々が当たり前のように営むそのどれもが、私が遥か昔に捨て去ってしまったもので、劣等感と嫉妬から、手に力が籠った。でも、それを発散させる気にはならなかった。そうして不快感と羨望の混じった瞳を、ただただ人に向けていた。

 

 

 

 それからもう一日経ち、魔皇の帰ってこないまま人の町から目を離さずに居り、いつの間にか私の手に届いていたのは、どこから飛ばされたかも判らない矢文。開いてみれば、達筆な字で、『暫く戻れそうにないから自由に動いてくれて構わない』と書いてあった。魔皇の文だろう。私はそれを、手に刺さった矢と共に何処かに放り投げ、それから今まで座っていた木の枝を降り、地面へ着地する。遠くで、飢えた獣の駆ける音がした。その方向を見れば、私の血がべっとりと付いた手紙に野犬が群がっていた。

 

 

 町へと歩を進める。時々立ち止まりながら、町の方を見る。そして少しの間葛藤し、また歩を進める。そうして五分程経った頃、先程の野犬が、今度は人を襲っていた。襲われているのは、緑髪の鮮やかな少女。その細い肢体に、野犬を打倒せるような力がないのは明白で、少女の瞳は涙を浮かべながら、助けを求める様に必死にあちこちに視線を張っていた。どうやら、私には気づいていない様子だった。最早助ける義理も無いだろうと、ハクは結局暇つぶしだっただけなのだ、と思いながら目を離し、それから歩くのを再開した。

 

 ……それでも、何かが気になって仕方なくてもう一度その少女の方を見ると、まさに野犬に腕を噛み千切られそうになっている真っ只中だった。その少女は、そんな土壇場で私に気づいてしまったようで、目が合ってしまった。その瞳孔は、一色の恐怖の中に、ほんのりと芽生えた希望があり、それからガチガチ歯を震えさせているようで、しかし、そのどれもが私も同じだったのだ。手を私の顎に当てて見れば、細かく、傍から見ても気づかない程小さく、震えていた。

 

 

……ああ、もうっ!

 

 

 気が付いた時には、魔力弾を野犬の脳天に向けて放っていた。その野犬は一切行動を起こす事なく即死して開放された少女は、驚きと恐怖に満ちた目をこちらに向けていた。ああ、やってしまった。ここで助けてしまっても、結局後で殺すだけなのに。今死ぬか、ほんの数日後に死ぬかの違いだというのに、私は少女を助けてしまった。彼女に芽生えた希望を、ただ裏切るだけだと判っているのに。

 

 

 

 

「……あの、助けていただいてありがとうございます!」

 

 

 そうやって呆けている間に、私の目の前に先ほどの少女が居り、そして私に向かって感謝を告げた。その言葉は、私の胸を深く深く抉り取った。

 

 

「……勘違いしないで。目の前でゴタゴタされてるのが不愉快だっただけで、貴女を助けたつもりじゃあ……」

 

「是非ともお礼をしたいのでっ、ついてきて貰えますか!」

 

 

 全く話を聞かない彼女に呆れていると、疑問形で彼女の言葉は締めくくられた筈なのに、まるで返答は不要と言わんばかりに腕を掴んで引っ張って来る。それに抵抗しようと思えば、きっと出来たのだろうけど、何故か私は身体に力を籠める事も出来ずに、無抵抗のままズルズルと引っ張られてしまっていた。でも、それが何だか、心地いいスキンシップのようで、とても、とても懐かしい感じを覚え、今すぐ振りほどくべきである彼女の手を離させる事もせずに、私は町へと引き摺られていったのだった。

 

 

 

 

 

 

 少女の一族は、ここ一帯の中でも裕福な家系に属しているらしく、この世界にしては随分大きな一軒家を建てていた。私はその家の中に引き摺られ、従者と思しき人に怪訝な目で見られつつも、少女の方を見ると、その目の色は呆れに変わって居り、この少女の普段の行いが何となく察せられた。

 

 

「あの、帰らせてほしいんだけど」

 

 

 少女の部屋まで引き摺られた私は、自由になってすぐに、そう口を開いた。

 

 

「駄目ですよ。だって、貴女は私の命の恩人なんですから、お礼しないといけないんです」

 

 

 その恩人が、自分の仇となるなど想像もしていない様子で、少女は嬉しそうに語った。お礼をしないのは、自分のポリシーに反するのだ、と。長々しく、書き起こせば原稿用紙を大体十枚ほど消費する程に長ったらしく語った。その話は、私の脳内にはほとんど留められていないが、彼女はしっかりと記憶しているようで、むふぅ、と息を漏らして得意げになっていた。

 そんな少女の方に耳を傾けながら、少女の部屋を観察する。部屋には、人形だとかいった、この世界の女の子らしい物品は置いておらず、逆に男の子が愛用するような、木の板で自作したのだろう、拙い出来の盾や木刀があった。それから、そんな様子とは真逆の、学問に関する本がずらりと並ぶ本棚があり、しかもそれらにはまるで埃が被っている訳でもない。

 

 

「この本棚が気になるんですか? あそこには、この世界の色んな学問についての本を沢山収めてあるんです。もうとっくに全部読み切って今は五周目って所です」

 

「ふーん、なかなか勤勉なんだ。で、きっと賢いだろう貴女なら、私がさっさと帰りたいって事も察せる筈」

 

「まぁまぁ、今美味しい食事を持ってきてもらってますから、それだけでも食べて行ってくださいよ……おっと、今出来上がったみたいです」

 

 

 そう言って少女はすっと立ち上がると、ドアを開けてその奥へと消えていった。その食事とやらを取りに行くのだろう。私はそれを待とうともせずに、部屋に取り付けられている窓から脱走しようとし、ふと机に置いてある草子が目に入った。日記、と題されているその草子を開くと、そこには日本語で日記が綴られていた。

 

 

「…………えっ」

 

 

 …………驚愕するほかない。何せ、日本語なんて言語、この世界では全くもって使われていないのだから。さすれば、少女は前世の記憶を持つ、という事になるだろう。

 只の人間の少女かと思っていれば、その中身は私と同郷の人間だとは。いやはや、本当に驚いた。ここまでの驚愕は今までに片手で数えられる程度しかなかった事だろう。

 

 同じ転生者がいるとは、今までに考えなかった訳ではなかった。だが、実際に目にしたのはこれが初めての事だった。

 

 

「お待たせしました~……って、勝手に人の日記見ないでくださいっ!」

 

 

 ……あまりの動揺に、少女が扉の前までやってきていたのに気づけず、結果として日記を読んでいたのがバレてしまった。気づいた少女に即座に日記を取り返されるが、バレてしまったのならば、逆に私が質問するのを憚らせるものが取り払われた、という事でもある。

 

 

「…………もしかして、貴女は転生者?」

 

 

 そう訊いてみれば、次に少女の顔に浮かぶのは、私以上に驚いている、といった、驚愕一色であった。

 

 

「そういう貴女も、もしかして?」

 

 

 今度は、彼女は日本語で語りかけてきた。前世以来ほとんど聞いてこなかった日本語は、随分と懐かしく思えて感慨深い。

 

 

「そう。まぁ、その前世も遠い昔の事だけど」

 

 

「昔……もしかして見た目以上に長生きしてるっていう奴ですか?」

 

 

「うん。もうこれ以上生きていたくないって思う程にはね」

 

 

 私がそう言うと彼女は黙りこくった。私の事情を大方察したのだろう。帰りたいという心の底からの気持ちは無視するクセに、シリアスな事となれば空気を読む、だなんて回りくどい事をするなら、最初から空気を読んでほしい所である。

 

 

「…………そ、それはそうと! 焼きたてのお肉と釣りたて新鮮の刺身を持ってきましたから、一緒に食べましょう!」

 

 

 そう話の転換を図る彼女の顔には、申し訳なさと焦りの二単語が書かれている。今の彼女を漫画風に描いてたとすれば、きっとその絵の中の彼女は全身から汗を尋常じゃない量垂れ流している、というほど彼女は動揺しているようだった。長生き程度でそこまで反応するか? と疑問に思わなくも無いが、まぁ彼女は人の心を深くまで察せられてしまうのだろう。もしくは、私の顔に出ていたか。どちらにせよ、少々彼女が可哀想であったので、この話題の転換に乗っておく事にした。

 

 さて振り返り、目の前にある食事は、少量ながらも豪勢さを感じる、豪快且つ華やかなもので、私の好みが判らなかったからだろうか、牛肉らしきステーキ、赤身、白身様々な刺身、それにサラダが添えられている。サラダの中身も葉物、根野菜、なにかしらの実など、実に様々であり、別皿にはデザートと思しき果物と甘味が。

 ここまで見せつけられては、湧かぬ食欲もなんだか復活したように思え、久しぶりに胃を満タンにしてやるのも悪くないと、それを食す事を決めた。

 

 

 

 皿と共に出された、この世界には無い筈の箸を手に取る前に、そっと両手を合わせ、それから「いただきます」と一言述べれば、彼女は「どうぞ、召し上がってください」と、ホッとしたように微笑んで、そうして漸く私は箸を構える。

 まず初めに、葉物野菜と根野菜を一緒に、そっと、しかし力を籠めて箸で掴み、それから小さく開けた口に入れ、パクリと口を閉じてから、ゆっくりと味わう為に咀嚼する。前歯で噛んで食感を楽しみ、奥歯で磨り潰して染みだす旨味に舌鼓を打つ。根野菜から染み出た五色の味で葉物を浸し、それらを舌で転がしながら味わい、満足してから漸く喉へと流し込む。

 

 

「……美味しい」

 

 

 ただ一言だけ、賛辞を呈した。しかしそれが彼女にとっては自分の事の様に嬉しいのだろうか、小声でボソッと「よかったぁ~……」と呟く。そんな様子を私が見ていたからか、聞かれたことに気づき、それから照れた様子で、

 

 

「それ、私が育てた野菜なんですよ。丹精込めて、もひとつ魔術も併用して、オーガニックに美味しく作った……つもりだったんですけど、その様子だと本当に美味しくなってるみたいで、本当に良かったです」

 

 

 にっこりと笑う彼女の姿は、思わず見入る程に美しく、様になっており、しかし年相応といった具合のあどけなさも残していた。もしも彼女が十五を越え成人していたならば、その一撃だけで数多の男性をオトすだろう。それこそ、同姓の私でも見入る程なのだから。

 もしもこれが物語だとしたならば、彼女が主人公かヒロインで、ヒールは私と言ったところだろう。……いや、ヒールと呼ぶには、流石に仕出かした罪が大きすぎたか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして肉と刺身、そしてデザートに至るまで余す事なく完食した私は、久しぶりの満腹感と食事の余韻に浸りつつ、ふと、今の状態を不思議と満足している自分に気が付いた。そして次にやってくるのは罪悪感と、蘇る記憶。

 私は、このような無辜の民を、圧倒的な力を以て殲滅したのだ。そして近いうちに彼女を含めてこの町をも、また壊滅させるべく動いている。それなのに、この町の住民である彼女とのひと時を、最初は嫌だったとはいえ、今となって幸せだと気づいてしまったのだ。

 

 魔皇の話術は巧み、いや、その域を逸している。魔皇の高度な洗脳魔術は、最早自分が洗脳されている事にさえ気づけないと、古い記憶が今更蘇り、そして自分の行動の矛盾の正体に気づく。

 ────だが、後戻りはできない。罪悪感も、焦燥感も、全て無理やり潰し、そして重かった口を開いて彼女に告げる。

 

 

「──食事を振舞ってくれたお礼として教える。私は、あなた達人類に敵対している、魔皇陣営側の人間なの。きっと、私を善い人だと思ってくれたのだろうけど、残念なことに、近いうちに私はこの町を更地にしなくてはいけない。だから、貴女だけでも逃げてほしい。貴女以外の人間は私にとってどうでもいいけど、貴女だけは違う」

 

 

 そう私が告げれば、彼女は黙りこくる。まぁ、冷淡に、とはいえ普通に話していた相手が、実は悪者側だったと言ったところで真に受けてもらえないのは当然だろうが。

 …………しかし、今回はどうやら相手が悪かったようだ。

 

 

「……勝手にこんな事を言ったら、きっと怒られるだろうし、何より人のプライバシーを踏みにじる様な発言になりますけど、それでも言いますね。──────もう、貴女の復讐に意味はありませんよ。第一、恨みを抱いた相手なんて遥か昔に死んだでしょう? 貴女は二万年もの間、森にずっと籠っていたのですから」

 

 

「…………貴女、一体──」

 

 

「言ってませんでしたね。私はこの世界に生まれ落ちる際に、一つだけ特殊な能力を授かりました。それは生物の心を弄ぶ術です。貴女のような人や、動物の心を読み取れるんです。それも、その人自身の気づかない、無意識の領域まで」

 

 

 ……ゾクりと背中の産毛が逆立った。まるで、勝手に自分の家に侵入されたような、そんな不快感。いや、それ以上。生物としての本能から、私は一気に彼女に対して恐怖した。

 

 

「……そうですよね。心を読まれるのは、想像もつかない程に恐い事でしょう。でも、これは伝えなければならないと、そう思ったんです。貴女のしようとしている復讐は、ほんの一部を除いて全く正当なものではありません。魔物を生み出している人間が居るなどというのは初耳ですし、それは討たれて当然の者達と私自身も思います。けれど、それ以外の無辜の民達は、貴女に恨まれるような事はしていないんですよ。その先祖がした事は確かに罪かもしれません。──けれど、自分の欲望の為だけに、無意味な虐殺を行おうとしている貴女の姿は、私にはかつて貴女を拷問した騎士達と重なって見えます」

 

 

「長ったらしく言って……貴女には私の事なんて知識でしか知っていないというのに、何なの、その親ぶった説教。本当にイライラする。恩ある貴女とはいっても、流石にあんまり言われると、私はこのチカラを貴女に向けて振るう事になる」

 

 

「勿論、貴女の事なんて何一つ判りません。けれど、貴女の心の揺れ動き、それを今最も理解できているのは私だと断言できます。貴女が感じる、貴女自身の心は、永い年月をかけて繕ってきた上っ面だけです。けれど、嘘偽りのない貴女の本心は無意識にとてもよく表れています。貴女は本当は判っている。自分の行動の矛盾を。人を守る為に動く、貴女の心から愛する、家族同然の少女──ハクを裏切る行動を本当はしたくないという事を」

 

「────このッ!」

 

 

 私は、それ以上その話を聞きたくない。ただそれだけの一心で、彼女を殺そうとした。

 ──だけれど、その拳は空を切った。

 

 

「貴女の無意識に渦巻いている感情は、判りますか? その全ては恐怖と後悔。今も、私という、心を読む以外に何もできない、無力な少女を殺す事に抵抗を覚え、自らの拳を逸らした。何日か前に月を落として集落を壊滅させた時の事を覚えていますか? その時、隣には、穢い笑みを浮かべる魔皇がいましたよね。──もしも貴女が、本心から人を殺すのに快楽を覚える異常者だとすれば、貴女は、人の死以外のナニカを求めて町へ出向いたり、野犬に襲われる少女を助けない筈です。けれどそうしたのは、やはり貴女が、本心では人を殺せないという証拠。魔皇は、特に人の心を動かす術に長けています。それは貴女も知る事ですね。そして魔皇の術とは、話術だけではなく、魔術によって無理やり心を動かす事もできるというのは、それも貴女が知っていた筈です」

 

 

 私の口は、身体は、拳は動かなかった。目の前の彼女にチカラを振るって『死』を直接与えてやる事だって可能な筈なのに、そのチカラさえ行使できなかった。気が付けば、私の頬を、一筋の紅い雫が垂れていた。いつでも冷静という状態に固定されている脳は、瞬時にそれを血涙だと判断した。

 

 

「出会って間もない、それこそ一時間程度の私に言われ、それを受け入れたくても受け入れられないのは、心を読まなくたって判ります。私だって同じことをされたとて納得はしないでしょう。もし物語で唐突に現れた少女にストーリーの核心たる事を言われたら、読者はきっとそこで読むのを辞める事でしょう。でも、私という都合のいい存在がいなければ、貴女は一生魔皇の傀儡のまま。私に逃げてと言ってくれたのは、きっとそれに気づいての事なのでしょう」

 

 

 もう何も言う気力もなかった。既に魔皇に身も心も委ねてしまった私は、そんな甘い甘い言葉に身体を預ける事など出来なくなってしまった。けれど、魔皇から垂らされた糸よりも、更に太く、そして魔皇の元ではない、天国に繋がっている糸を垂らされ、そうしたら、罪人はきっと糸を変えるだろう。より明るく、より輝く未来を願うのは、誰だって根底では一緒なのだから。

 

 

「……私は、貴女の言う事を認めたい。それに甘え、幸せに暮らしてみたい。復讐なんてしなくていい世界を望みたい。けど、魔皇の言葉は、今もずっと絡みついている。だから、離れられない。それがどんなに邪悪であろうとも、私は彼女から逃れられない」

 

 

 魔皇の言葉は、濃い魔力を伴ったそのコトバは、呪いとでもいうように脳にしがみついて離れず、そして祝詞の如き言葉を常に囁き続ける。そんな、麻薬よりも遥かに雁字搦めに脳に絡んで絡んで離れない、そんな糸を断ち切るのは、最早他人の言葉などでは不可能だった。

 

 

「大丈夫です。……私は言いました。心を弄ぶ術だと。決して読心のただ一点なんかじゃないのです。その、操り人形(マリオネット)に施される様な、正に操り糸を断ち切る事だって私には出来るんです。…………もしも、貴女が救われたいのなら、私に、貴女の頭に触れる事をお許しください」

 

 

 喉は震え、脳は平静を保ったまま思考を停止し、顎がガクガクと揺れ、歯をガチガチ鳴らし、胸がキュッと締め付けられるように痛む。魔皇の呪いは、私が彼女の言葉にイエスと一言告げるのさえ許さずに、私の身体を、チカラから成る浄化作用すらマトモに効かないほどに、強烈に私の身体を蝕んでいく。

 

 それをねじ伏せ、喉を絞り尽し、そうして。

 

 

「お願い」

 

 

 と一言頼んだ瞬間に、彼女と────いつの間にか窓のフチに座っていた魔皇が同時に笑う、嗤う。そして次の瞬間には、彼女の首元に手刀が突き刺さろうとして──それを寸での所で私が止めた。

 

 

「イケナイ子だなぁ、ゲツゥ……こんな駄女──ガキの戯言に耳を傾けるなんて、リテラシーというものがなってないんじゃないかな?」

 

 

「……お前の言葉を信じてしまった私には、確かにリテラシーなんて欠片も無かった。けど、お前について行ってはならないことを、今日この場で漸く理解できた!」

 

 

「おやおや、人を何百と殺したゲツが何を言う。ゲツも既にこっちのお仲間なのさ。そして血と罪に塗れたお前が、そこの女に言ったような綺麗事に加えてボクの意見が間違っているなどと言える道理はないだろう!」

 

 

 手刀を止めれば、魔皇はコンマ一秒の隙すら与えずに、乾いた音を響かせながら、空気という壁を粉々に砕く音速の蹴りを私の腹部に叩き込む。それによって私の内臓も骨も、等しく風船の様に破裂し、そしてドアにぶつかる寸での所で、私の足裏に極限の摩擦を与えて無理やり止まる。当然、足の皮も肉も擦りおろされ、白い骨を覗かせている。そんな激痛に声も出さずに耐え、そして怪我が治るまでのたった一秒間の間に、魔皇は莫大な大きさの魔術式を即座に展開し、生み出すのは反物質から成る剣──ただそこに在るだけで、周りの物質を容赦なく消滅させていくその剣を、軽く千回は私に振るった。最初の数撃で私の両手は弾け飛ぶが、緊急措置として私に『五体満足の身体』を与え、不死のチカラで再生するより遥かに早く再生しきった身体をしならせ、右脚にほんの一瞬のみ、太陽にも勝る温度を与え、そして魔皇の胸部、心臓部を打ち抜いた。

 その手から離れる剣に膨大な物質をぶつけて剣諸共対消滅させ、そして窓の方向に丁度吹き飛ばされた魔皇は、その熱の余波で身体の大部分を失っていた。あれなら再生するまでに十秒は持つだろう。それくらいまで追い込めば、魔皇は追撃を諦めるという事を、私は数多の経験から知っていた。

 

 

「……魔皇がいきなり出てきたらと思ったら、いつの間にか部屋が荒れてる……」

 

 

 どうやら常人である彼女には、ほんの三秒程度の攻防は目に追えなかったようで放心している様子。

 

 

「……お願い。今の内に、私の脳にかけられた魔術を解いてほしい」

 

「えっ、あっ、はい! すぐに!」

 

 

 そうして彼女が私の頭に触れた途端に、頭にさざめいていた煩わしい呪いは、まるで最初からなかったかのように、一切の余韻を残さず、綺麗さっぱり消滅していた。

 

 

「ありがとう……そういえば、貴女の名前、訊いてなかったけど、何ていうの? あ、私はゲツと言う」

 

 

「フォーラメ・ハルレイン*1です。長ったらしい名前なんですけど、これが本名です。ハルって呼んでくれると嬉しいです。……って、自己紹介してる場合じゃないと思うんですけど……」

 

 

 そう言われ、まぁ無問題だろうと窓の外の魔皇を見やると、丁度再生しきった頃だった。

 

 

「────後悔するよ、ゲツ。君はもう二度と死ねないんだ。この星が恒星に呑み込まれても、銀河が消えてなくなっても、光がこの世から無くなっても、宇宙が消えても、ずっと君は生き続けるんだ。それで本当にいいのかい? 今からでも、まだボクは君を受け入れるよ」

 

 

「勿論、後悔なんてしない……と言えば嘘になる。けど、そんな事に後悔して貴女の仲間入りしたら、それ以上に後悔する。だから、魔皇。お前には従わない」

 

 

「……ああ、そうかい。でもボクは忘れないよ。君がどれほどの罪を犯したのか、ゲツがどれだけ英雄と祭り上げられようと、絶対に忘れないからね。覚悟しておくんだね、ゲツ」

 

 

 そう言い残して彼女はフッとテレポートで消え去った。その言葉は胸にのしかかり、しかしそれを跳ねのけ、そして見上げれば光り輝くお天道様が見える。その光は、暖かく、心強いが、これからの私の旅路には何も関係はない。

 

 

 でも──それこそが、私の救いなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……いいや、本当は。私の全てを断罪してくれる様な、そんな存在であってほしかったのだ。

*1
順番は姓→名

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