いよいよ花屋の登場です。
果たして情報を手に入れられるのか!
皆サン、日本語、良く知ってマスカ?
2005年12月7日。時刻は午後22時頃。
スターダストでの仕事を終えた俺は、神室町の端にある西公園の公衆トイレの前に来ていた。
伊達さんの話によると、ここから賽の河原へと入り込めるらしい。
"使用厳禁"と書かれた張り紙も、人を寄せ付けない為の工作の一つなのだろう。
(西公園の正面入口は塞がれてた……表向きは再開発の為に取り壊し中って話だったが、実際は違うんだろう)
昔からホームレスのたまり場ではあったものの、服役前は普通に正面から入れた西公園。
工事中という体裁を取り隠れ蓑としているのだ。
(まぁ、行ってみるしかねぇか)
俺は意を決して公衆トイレに足を踏み入れる。
すると、中に居た二人のホームレスが用も足さずに立っていた。
「なぁ、アンタ。張り紙あったろ?"使用厳禁"ちゃんと見たか?」
声をかけてくるホームレス。
その声音には感情が無く、少なくとも歓迎の気配は感じられない。
「あぁ、この先に用事があってな」
「そうか。なら、何されても文句ねぇな?」
「あ?」
その直後。
俺は背後に複数の気配を感じた。
後ろに目線を向けると、新たに現れた数人の男たちが俺を囲んでいた。
全員が拳銃をこちらに向けた状態で。
「……随分なご挨拶だな」
「失せろ、こっちはヤクザに用事はねぇ!」
「俺にはあるんだよ。それに俺はヤクザじゃねぇ」
「うるせぇ、消えろって言ってんだ!」
正面の一人が懐から銃を取り出す。
瞬間、俺は銃口が向けられるよりも早くそいつの手首を掴み、拳銃を奪いながら背後へと回り込んで銃口を頭に突き付けた。
「て、テメェ!」
「撃ちはしねぇよ。あくまでもコレは正当防衛だ」
俺としても、いきなり銃を突きつけられればこうする他ない。
自分の命は自分で守る。
神室町の裏社会における鉄則だ。
「ふざけやがって、撃ち殺すぞヤクザ野郎!」
「本気で言ってんならお前らもタダじゃすまねぇぞ?チャカを扱うなら跳弾って言葉くらい聞いた事あるだろ?」
跳弾とは、文字通り放たれた弾丸が壁などに当たった際に跳ね返る現象の事だ。
屋外で起きる事はほぼないが、屋内のこういった狭い空間では弾丸の運動エネルギーが減少しない為非常に起こりやすい。
もしも跳弾が起きれば、俺だけじゃなくこの場の全員が危険に晒される事になるのだ。
「頼むよ。俺は"買い物"がしたいだけで、アンタらを脅かしに来た訳じゃないんだ。お互い平和的に行こうぜ?」
「テメェ……!」
「ん?待て……」
緊迫した空気が流れるが、正面のもう一人が携帯電話を取り出して誰かと連絡を取り始めた。
二、三言返事を繰り返し、やがて電話を切る。
「通して良いそうだ」
その言葉を合図に銃を向けていたホームレス達が一斉に警戒を解く。
どうやら例の"サイの花屋"から指示があったらしい。
コイツらはその部下と言った所だろう。
「そいつは良かった、ほれ」
俺は人質にしていたホームレスを解放し、奪っていた拳銃に安全装置をかけて返してやった。
「すまなかったな」
「……けっ」
忌々しそうに拳銃を受け取るホームレス。
どうやら嫌われてしまったらしい。
「こっちだ」
電話係のホームレスが奥の個室のドアを開ける。
それに従いその個室に向かい合うと、奥にもう一つのドアがあった。
(なるほど、そういう仕組みか……ん?)
開け放たれたドアの向こうに、一人の男が立っている。
タンクトップを着た筋骨隆々の外国人だった。
黒い肌をしたその男は、拙い日本語で俺に語りかけてくる。
「ご案内シマス。錦山サン」
「ほぉ……もう身元が割れたのか」
俺はトイレ内の監視カメラに目を向ける。
"サイの花屋"はきっとそこから、俺の事を覗き見ているのだろう。
「"賽の河原"だぜ、ここは」
「ふっ、そうかよ。……中々いい買い物が出来そうだ」
この短時間で身元を特定出来るのは決して簡単なことじゃ無い。
どうやら、得られる情報については期待して良さそうだ。
(中は……昔とあまり変わらねぇな)
個室の裏口から中に入ると、見覚えのあるだだっ広い公園が広がっていた。
それぞれの場所にビニールハウスやらが建っているが、これも昔から変わらない。
「こちらデス」
俺は外国人の案内について行き、やがて今は使われていない地下鉄の駅の入口前に辿り着いた。
「ボスは地下の、一番奥でお待ちしていマス。ドウゾ?」
「おう、サンキュー」
俺は案内人に"向こう"の挨拶で礼を告げ、言われるがままに階段を降りた。
明かりは無く薄暗い階段を降りていき、無人の改札を通り抜ける。
そのままホームの方へと下っていくと、奥に明かりが見えた。
(なんだ……?)
やがて駅のホームまで降りた俺は、目を見開くことになった。
「な……なんだこりゃ……!!?」
そこもあったのは、表には出ないであろう秘密の空間だった。
電車が通るはずのホーム下には水が張られ、その上に木製の通路が浮かび歩けるようになっている。
そしてその左右に、昔の祇園や吉原を彷彿とさせるような建築物が軒を連ねていた。
欲に塗れた男達が色っぽい花魁姿の女達を品定めするその光景は、まさに在りし日の遊郭と言った所だろう。
「驚かれましたか?錦山さん」
開いた口が塞がらない俺に対し、一人の男が声をかけてくる。
初対面のはずだが、その男もまた俺の名前を知っていた。
「アンタも俺の名前を?」
「えぇ。なにせ情報は賽の河原の命です。上界であった出来事はすぐに下界の我々に伝わります。さぁ、ボスが一番奥の屋敷でお待ちですよ」
「……あぁ」
男と別れ、地下繁華街を真っ直ぐ進んでいく。
そこはまさに神室町のアンダーグラウンド。
現役時代でも知ることの無かった、危険な欲望を叶える為の場所だった。
「あれだな……」
そしてそんな地下街の最奥。
一際大きな屋敷の前に辿り着く。
サイの花屋とは、おそらく相当な権力と財力の持ち主なのだろう。
「邪魔するぜ」
巨大な門を開け屋敷へと入り込む。
屋敷の中は賑やかな繁華街とは打って変わり、とても静かな場所だった。
宮殿を彷彿とさせる柱が並び、巨大なシャンデリアと周囲を囲むように建造された水槽がその空間の光源で、あまりの薄暗さに海底にいるかのような錯覚を覚える。
(金持ちの趣味にしちゃ、悪くねぇな……)
俺が幻想的とも言えるその空間に浸っていると、どこからともなく声が聞こえた。
「錦山彰。出所早々派手にやってるみてぇだな」
渋い男の声だった。
この声の主が、おそらく"サイの花屋"なのだろう。
「アンタが、サイの花屋か?」
「何の情報が欲しい?」
「東城会の100億、それから由美と美月って姉妹の情報だ」
「ほう……お前の"妹"の事は良いのか?」
男の言葉に気味の悪い寒気を感じる。
まるで全てを丸裸にされたかのような気分だ。
しかし、俺は気を引き締めた。
相手はわずかな時間で俺の身元を割り出すような奴だ。
優子のことを知っていても不思議じゃない。
「……何もかもお見通しって訳か」
「当たり前だ。どこにでも俺の手下はいる。キャバ嬢のパンツの色から裏取引、表沙汰になってない殺しまで全て俺の所に話が入ってくる。そして俺はその星の数ほどの情報を繋ぎ合わせ、客の欲しい正確な情報を提供するんだ」
それを聞き俺はひどく納得した。
男の口ぶりだと、トイレでのいざこざよりも前からおそらく俺の事は耳に入っていたのだろう。
何せあの東城会を相手に大立ち回りだ。
俺がこの男の立場であっても、まず間違いなくマークするに違いない。
「なるほど……"伝説の情報屋"とはよく言ったもんだな。心配になってきたぜ」
「何の心配だ?」
「金さ。高いんだろう?アンタの情報」
これだけの設備と人数を動員してかき集めた情報だ。
安売りしてしまっては採算が合わないのは当然と言える。
「フッ……多少腕が立つだけのチンピラと思ってたが、中々物分かりが良いじゃねぇか。そういう男は嫌いじゃねぇ」
「なら、いい加減姿を表しちゃくれねぇか?お互い顔も合わせないんじゃ信用も何も無いだろ?」
「おっとこりゃ失礼」
そしてついに、サイの花屋がその姿を表した。
固めた頭髪と口元の髭。素肌に法被のようなものを身にまとい、金のネックレスと腕時計がその存在を主張する。
最奥にあるデスクのチェアに腰掛け、ゆうゆうと葉巻を加えるその姿は、元極道者の俺から見てもなかなかの貫禄だった。
「初めましてだな、花屋」
「おう。それで、報酬は用意してあるのか?」
その問いに対し、俺は懐から一枚の封筒を取り出して答えた。
花屋の所までに歩み寄り、封筒をデスクの上に置く。
すると中から決して少なくない量の万札が出てきた。
「コイツは?」
「俺がさっき稼いだ金だ。アンタの事だ、出処ぐらい分かるだろ?」
「なるほど……"アキラ"だな?」
スターダストにおける源氏名を言い当てられたが、今更もうそんな事では驚かない。
俺をマークしていたのであれば知ってて当然だ。
「200万ある。これで情報を買いたい」
数時間前、銀座の女王こと鮎美ママが高いシャンパンを入れてくれたお陰でスターダストの売上は過去最大を記録したらしい。
この金は、そんなスターダストのオーナーである一輝がくれた俺への報酬だった。
「たった数時間で良くこれだけ集めたじゃねぇか。だが、お前が欲しがってる情報はヤマがヤマだからな。これじゃちっと足りねぇよ」
「ちっ……」
花屋の返事に俺は思わず舌打ちをした。
しかし、同時に納得も出来る。
俺が欲しているのは今まさに起きている事件の情報。
あの東城会の内輪揉めに関する危険なネタだ。
ヤバい事件の情報であればある程、その情報は高額になっていくのは想像に難く無い。
「悪いが、これ以上を今すぐ用意するのは無理だ。花屋さんよ、何とかならねぇか?」
「あいにく俺ぁ、ヤクザってのが死ぬほど嫌いでな。本来なら譲歩する事は無い」
だが、と花屋はこうつけ加えた。
「情報屋ってのはとどのつまり"のぞき趣味"でよ。10年前は一介のチンピラでしか無かったアンタが、あの東城会を相手に何をしでかすのか……本当のとこ興味津々なんだ」
「なら、どうにかしてくれるってのか?」
その言葉に希望を見いだした俺はすぐさま花屋に問いかけた。
「残念だがフェアじゃない事は嫌いでな、情報料は負けてやれねぇ。だが、代わりの仕事を用意してやろう。今のアンタにピッタリの仕事をな」
それに対し返って来たのはそんな回答と意味深な笑みだった。
その表情に、とてつもなく嫌な予感を感じる。
(この感じ……絶対ロクなことじゃねぇ……!)
そして、これから僅か数十分後。
俺のこの予測は的中する事になるのだった。
神室町の地下深くに存在する非合法地下繁華街"賽の河原"。
カジノや性風俗など、表じゃ絶対に味わえないサービスを提供する神室町の穴場だ。
そんな賽の河原の中でも、一番の人気を誇る場所が存在した。
錦山は今、その場所の控え室にいた。
(やれやれ……嫌な予感が当たったな)
辟易した様子で上着とシャツを脱ぎ捨てる錦山。
上裸になった事で、背中に背負った緋鯉の墨が顕になる。
(だがやるしかねぇ……ここでやらなきゃ、情報は手に入らねぇんだ)
覚悟を決めた錦山は控え室を出る。
ふと、彼は誰かが担架で運ばれているのとすれ違った
「ウッ、ウウッ……」
錦山と同じく上裸の男が担架の上で苦悶の表情を浮かべている。
そんな男の足首は、異常な角度に折り曲げられていた。
「…………」
その光景に眉根を顰める錦山。
下手をすれば彼もまた、その男と同じ目に遭うかもしれないのだ。
「ちっ……思った通り悪趣味な場所だぜ」
錦山は小声で毒づくと、担架が運ばれてきた方向に歩を進める。
やがて彼の耳に歓声が近づいてくる。
彼の進行方向から熱気が漂いはじめる。
そして、辿り着いた。
『レディース&ジェントルマン!ここで、飛び入りのファイターが参戦です!』
スピーカー越しの実況。
沸き立つ観客による歓声と熱気。
そして中央に鎮座する六角形のリング。
これこそが賽の河原の中でも一番の危険で一番スリルのある場所。地下闘技場である。
『早速紹介しましょう!10年前、渡世の親をその手にかけた仁義なき極道。元堂島組若衆、錦山ァァ、彰ァァ!』
アナウンサーの声と共にリングインする錦山。
それに合わせて、上に吊り下げられた金網がゆっくりと降り始める。
『対するは、久々に帰ってきて早々二人の男を血祭りに上げた全勝無敗のこの男!ベガスの地下王者、ゲイリー・バスター・ホームズ!!』
やがて金網が完全に降り、決着が着くまで脱出することが出来なくなる。
金網の中にいるのは錦山と、もう一人。
「よう、またあったな」
「奇遇デスネェ、錦山サン」
逞しい肉体を惜しげも無く披露するのは、錦山を賽の河原へと連れてきた案内人の男だった。
元々只者では無いと踏んでいた錦山だったが、意外な所で再会を果たした事に内心で少し驚いていた。
「即死ト、腹上死……お好みハ?」
「フッ……その日本語、意味分かって使ってねぇだろ?」
不気味な笑みを浮かべるゲイリーに対し、軽口を返すも真剣な表情を浮かべる錦山。
ふと、彼の視界に観客席の一角が映りこんだ。
葉巻を銜えた花屋が、楽しげな笑みを浮かべているのが見えたのだ。
(チッ、高みの見物しやがって……見てろよ……!)
それにより、錦山の中で怒りのスイッチが入った。
拳を握り、真っ向からゲイリーを睨み付ける。
『飛び入り参戦のヤクザファイターは、無敗の地下王者相手に下克上を成し遂げられるのか!注目の一戦……今、ゴングです!』
地下闘技場無敗王者。ゲイリーバスターホームズ。
ゴングの音が高らかに鳴り響き、闘いの幕が切って落とされた。
「フゥゥン!」
開始早々、ゲイリーの豪快な右フックが錦山に襲いかかった。
大振りだが速度のあるその一撃を、錦山は紙一重で躱す。
「うぉっ!?」
直後、バットを素振りした時のような音が錦山の耳朶を打った。
ゲイリーの剛腕によって放たれた一撃が風を切ったのだ。
(なんて一撃だ……当たったらタダじゃすまねぇぞ!?)
それはさながら人間凶器。
彼の攻撃は全て鈍器で殴られる事に等しいと言える。
錦山としては、絶対に攻撃を受ける訳にはいかない。
「フッ、フン、ヌゥン!」
そんな必殺級の一撃をゲイリーは絶え間なく連続で放った。
一度でも喰らえば致命傷の攻撃を、錦山は何とか捌いていく。
「オラァ!!」
隙を見た錦山がゲイリーに反撃の右ストレートを叩き込む。
しかし、返って来たのは手応えでは無く鉛を殴ったかのような鈍い感触だった。
(い、痛ってぇ……!)
「ヌッ……錦山サン、トテモ良いパンチですねェ」
ゲイリーはその一撃に対して賞賛の声を上げたが、おそらくその枕詞には「日本人にしては」が付くことになるだろう。
大して怯みもせず、ゲイリーは再び攻撃を再開した。
「フゥンンンンッ!」
体重の乗った全力の前蹴りが炸裂し、ガードした錦山の身体ごと大きく後方へ吹き飛ばす。
「ぐぉっ!?」
背後の金網へと叩きつけられ、そのまま背中を預ける体制になる錦山。
そこへゲイリーが間髪入れずにショルダータックルをぶちかました。
「ぐふっ!?」
「ムゥン!」
肺の空気が絞り出され、呼吸困難に陥る錦山。
ゲイリーは明確な隙を晒す彼の胴を捕まえると、そのまま後方へと力任せに投げ飛ばした。
バックドロップと呼ばれるプロレスの技の一種だった。
「が、っは……!?」
あまりのダメージで身動きが取れない錦山。
ゲイリーはすかさず錦山の上に股がって、マウントポジションを取る。
そして。
「Finishデス!」
死刑宣告と共に、ゲイリーの拳が錦山の顔面を直撃した。
「が、っ……ぁ……」
衝撃で意識が飛ぶ錦山。
通常の格闘技であればこの時点で勝負ありだが、ここは何でもありの地下闘技場。
当然、ゲイリーの攻撃はそれでは終わらなかった。
「フン、フン、フン、フン、フン!!」
ゲイリーの持つ黒い左右の拳が連続で打ち下ろされる。
人間の身体を叩いているとは思えない鈍い音が響き渡り、オーディエンスが狂気的な歓声を上げた。
「がっ、ぐっ、っ……」
一発の衝撃で意識が途切れ、再び一発の衝撃で目覚める。
そんなことを繰り返す内に、錦山の顔面には次々と痛々しい傷が増えていく。
破壊と暴力の嵐に苛まれる錦山を見て、誰もが決まったと思った。
その直後。
「ぶっ!!」
「!!?」
錦山が口から赤い液体をゲイリーに勢いよく吹き掛けた。
「NOOOOOO!!」
直後、優位に立っていたはずのゲイリーが両手で顔を抑えながら転げ回る。
錦山が吹き掛けたのは、度重なる殴打で口内に溜まった自分の血。彼はそれをゲイリーの目に吹き掛ける事で一時的に視界を奪ったのだ。
「よくも、やりやがったなテメェ…………」
ゆらりと立ち上がった錦山。
赤い跡が残る口と鼻を手で拭う彼の目は、怒りで真っ赤に血走っていた。
「タダじゃ終わらせねぇぞコラァ!!」
先程とは逆に、錦山がゲイリーにマウントポジションを取る。
そして左手でゲイリーの左頬を掴み、顔面が右に向くように押さえ付けた。
直後。
「オラッ、オラッ、オラッ、オラッ、オラッ、オラァ!!」
錦山の怒涛の右フックがゲイリーの顔面にぶち込まれた。無論、一発で済むはずがない。
先の恨みを晴らさんと、幾度も振り抜かれる錦山の拳がゲイリーの顔を叩いて潰す。
「フゥゥン!!」
錦山の右拳が返り血で真っ赤になった頃、ゲイリーが持ち前のフィジカルで抵抗して転げるように錦山のマウントを解く。
しかし、ゲイリーの視界は未だ回復しておらずその足元は覚束無い。
「うぉぉおッ!!」
そして錦山はそのチャンスを決して逃さない。
すかさず体制を整えてゲイリーに近づくと、彼の頭を両手でしっかりと掴む。
(これで決めてやる!)
そして、錦山はゲイリーの顔面に全力の膝蹴りを叩き込んだ。肉がひしゃげ鼻が潰れる生々しい感覚が膝越しに伝わる。
(まだだ!)
確かな手応えを感じた錦山は二回、三回と連続で膝蹴りを繰り出していく。もはや今の彼は、ゲイリーを仕留める事しか頭に無い。
相手を殺す気でやらなければこちらがやられてしまう。
情けをかける余裕は彼には無いのだ。
「ンンンンンン!!!」
だが、このままやられる程無敗の王者は甘くなかった。
ゲイリーは顔面に膝蹴りを喰らいながらも錦山に抱き着いて距離を潰す。
「て、テメっ!?」
「ヌゥゥゥン!!」
そして、そのまま力任せに錦山を放り投げた。
何とか受身を取ってダメージを軽減する錦山だったが、ゲイリーもまた奪われていた視界を取り戻して臨戦態勢に移る。
「錦山サン……まだ頭、クラクラ、シマス」
「はぁ、はぁ、はぁ…………そうかよ」
ゲイリーの顔面は度重なるダメージで歪に歪み、もはや原型を留めていない。
一方の錦山も、ゲイリー程ではないがダメージと疲労が見える。お互いに、もう長くは持たないだろう。
「デモ、これで本当にFinishデス……!!」
ゲイリーは静かに宣言すると、中腰に構えた。
彼はレスリングにおけるタックルを狙っている。
持って生まれたパワーと瞬発力で錦山を押し倒して再びマウントを取り、一気に勝負を決める算段だ。
(頭が上手く回らねぇ……ぼーっとしやがる……)
対する錦山の足元は覚束無い。
鼻からの出血で脳に酸素が行きにくくなったことによる、一種の酸欠状態だった。
このような状態では、とても逆転の一手を導き出す事は難しいだろう。
そんな時、ふと彼の脳裏に約二十年前の記憶が蘇った。
(あ……そうだ……)
それは彼が極道になって間もない頃、兄貴分の柏木から空手の稽古を付けてもらった時の事だった。
基本的には殴られ蹴られるだけの荒っぽい稽古だったが、その中の一つ。
この状況に適したものがあった事を錦山は思い出す。
(こんな時は……"アレ"だな……)
錦山はその過去の記憶に従い、股を大きく開いて垂直に腰を下ろした。
姿勢を綺麗に保つ事を意識し、それ以外の筋肉の緊張を解して著しく"脱力"させる。
「スゥー……フゥー…………」
怒りで埋めつくされていた頭の中を空にし、静かに口で呼吸を整える。
目を瞑って静かに集中力を高める。
次第に、錦山の意識から外界の音が遠ざかっていった。
感じるのは自分の内から発する音のみ。
穏やかな脈動と静かな呼吸。
研ぎ澄まされていく精神。
そして。
「ヌウウウウウウウウウウウン!!!」
ゲイリーが雄叫びを上げ迫ったのと時を同じくして、錦山は目を見開いた。
静から動。
今、柏木の教えを体現した錦山の身体がゲイリーの巨体を迎え撃った。
「ヌォッ!?」
驚愕の声を上げたのはゲイリー。
彼の巨躯を活かした進撃で、絶対に倒れるはずだった錦山の身体はまるでそこに根を張ったかのように不動を保っていたのだ。
「What!?」
驚きのあまり一瞬だけ気を抜いてしまうゲイリー。
それが、勝負の明暗を分けた。
「ふん!!」
錦山は組み付かれた体制からゲイリーの首を肘の裏で挟みこんでギロチンチョークを極め、その後にゲイリーの腰を上からしっかりとホールドする。
「うぉぉぉっりゃあああああああああッッッ!!」
そして、気合いの雄叫びと共にゲイリーの身体を持ち上げると全力でマットに叩き付けた。
「ァ…………ガ、ッ………………」
完全にトドメを刺され、ついに無敗の王者がその動きを止める。
その瞬間、会場は割れんばかりの拍手と極大の歓声に包まれた。
『なぁんとォォ!こんな事があるのかァァァ!?世紀の番狂わせ!!飛び入りの極道ファイターが、得意の喧嘩殺法で無敗の王者ゲイリーを呑み込んだァァァ!!』
「はぁ……はぁ……はぁ……」
実況の声も観客の歓声も気に留めず、錦山は葉巻を銜えて拍手を贈る花屋に向き直った。
「よう!はぁ、はぁ……これで…………文句、ねぇだろう?はぁ……はぁ……」
「安心しろ、約束は守る。俺はフェアだって言ったろ?」
「はぁ……はぁ……そいつぁ良かった………」
それを聞いた錦山の身体が、思い出したかのように痛みと疲労を訴える。錦山はそんな肉体の声を聞き入れ、大の字になってその場に寝転がった。
この身を満たす、確かな達成感に浸りながら。
という訳で、最後はゲイリー戦でございました
桐生ちゃんは息も上がらずに倒していたゲイリーでしたがベガスの地下王者が弱い訳ありません。桐生ちゃんが化け物すぎるだけです()
次回でこの章は最後となります
ぜひお楽しみに