錦が如く   作:1UEさん

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最新話です。
今回はほぼ初めて、ある描写に挑戦しました。それではどうぞ


断章 1996年
家族


1996年。9月某日。

堂島組長射殺事件から一年が経ったこの日、一人の極道がとある場所を訪れていた。

 

「ここか……」

 

東城会直系風間組若頭補佐兼桐生組組長。桐生一馬。

"堂島の龍"の異名で呼ばれ、東城会内部ではもちろんその名前は外様の組織にも知れ渡っている。

まさに"伝説の極道"と呼ぶに相応しい男だった。

 

(実に一年ぶりか……アイツに会うのも……)

 

桐生が訪ねたのは、都心から少し離れた場所に存在する刑務所だ。

現役のヤクザである彼がこの場所に足を運ぶ理由はただ一つ。受刑者との面会をする為だった。

 

(錦……元気にしているだろうか……?)

 

錦山彰。

一年前、桐生を庇って収監された唯一無二の兄弟分。

桐生とは孤児として同じ施設で育った仲で、肉親や親戚のいない桐生にとってはまさに家族とも呼ぶべき存在である。

 

「面会希望の、桐生だ」

「桐生さんですね、お待ちしてました。どうぞこちらへ」

 

門番に誘導され受付に案内された桐生は、諸々の手続きを済ませるとすぐに面会室へと通された。

 

「こちらで少々お待ちください」

「あぁ、分かった」

 

透明なアクリル板で隔たれた白い空間。

その透明な壁には無数の穴が空いている箇所があり、そこから相手の声が聞こえる仕組みだ。

 

(思えばこの一年、あっという間だった気もするな…………)

 

錦山が服役してからの一年間の事を桐生は思い返す。

親殺しの兄弟分として組内部での風当たりが強い中で組を立ち上げ、慣れない組織運営やシノギに悪戦苦闘し続ける毎日。

それでも桐生は諦めず、ただがむしゃらに動き続けた。

全ては錦山の居場所を作る為に。そして、錦山の願いを叶える為に。

 

(錦……これで少しは、希望を持ってくれると良いが…………)

 

そして今日、桐生は一つの吉報を引っ提げて来ていた。

それを聞いた錦山が、少しでも獄中生活に希望を見い出せるように。

 

「さぁ、入れ」

「!」

 

程なくして、奥側の空間の扉が開いた。

扉を開けた刑務官に誘導される形で、一人の囚人が姿を現す。

 

「っ……!」

 

俯いたまま現れたその囚人の姿に、桐生は愕然とした。

長髪だった髪は短くなり、顔には無精髭が生え、頬は痩せこけている。

瞳には生気が無く、その面貌からは人間らしい感情が抜け落ちていた。

 

「錦……!」

 

一年ぶりに会う親友のその変わり果てた姿に、桐生は反射的に声を上げた。

 

「桐生……!桐生じゃねぇか!」

「!」

 

桐生の姿を認めた錦山が、笑顔を作り声を上げる。

しかしその笑顔が作り笑いであることは、桐生の目から見ても明らかだった。

 

「久しぶりだな、錦。来るのが遅くなって悪かった」

「はっ、気にすんじゃねえよ。お前こそ組の方はどうなんだ?その様子じゃ、結構調子良いんじゃねぇのか?」

 

歪な笑みを浮かべた錦山は、輝きの失せた瞳で桐生を見つめる。

そして、立て板に水の如く語り始めた。

 

「錦」

「なんせ兄弟の面会を後回しにするくらいだ。もう結構な実績を残してんじゃねぇか?はっ、それでこそ堂島の龍だぜ」

 

誇らしげに、明るめのトーンで桐生の賛辞を口にする錦山。

しかし、その顔に喜びは無く。その声に感情はなく。

そんな今の彼に、希望は無かった。

 

「錦」

「やっぱり俺は、お前に託して正解だったよ。カラの一坪の一件でお前の評価は本家にも届いてる。俺みたいな末端のチンピラじゃ、きっとこうはならなかった筈だからなぁ」

 

やがて、その目尻から涙がこぼれ始める。

しかも錦山は、その事にすら気付いている様子はない。

それを見た桐生は、ついに我慢の限界を迎えた。

 

「錦ぃ!!」

 

大声を張り上げ、錦山の話を無理やり遮る。

桐生にはもうこれ以上、自分の兄弟が壊れていくのを見過ごす事は出来なかった。

 

「な、なんだよ急に。そんな大声出すんじゃねぇよ」

「……なぁ、錦。お前……大丈夫なのか?何かされてんじゃねぇのか?」

「は、はぁ?いきなりどうしたんだよお前」

「答えろ錦。お前、本当に大丈夫なのか?」

「大丈夫だ、別に何もありゃしねぇよ。お前、いつからそんな心配性になったんだ?」

 

錦山は何がなんだか分からないといった様子だ。

本当に自らの状況を認識していないのだろう。

 

「……だったらよ。なんでお前は泣いてんだ、兄弟」

「は……?」

 

指摘された錦山は目元を拭う。

拭った彼の右手には、透明な雫がいくつも付着している。

紛れもなく、錦山の流していた涙だった。

 

「……くっ、ぐぅぅ……うううううう………ッッ!!」

 

そして、それを発端として錦山は堰を切ったように涙を流し始める。

兄弟の目の前で情けない姿は見せられないと最後のプライドをかけた痩せ我慢を崩され、錦山は生の感情を曝け出す。

 

「錦……何があったか話してくれ」

 

余程辛い事があったに違いない。

そう確信した桐生は、彼の置かれた状況を把握するべく静かに語りかけた。

 

「お前にもしもの事があったら、俺は」

「うるっせぇんだよッッ!!」

 

しかし、錦山はそれを突っぱねた。

無気力だった先程とは打って代わり、身を焼くほどの激情に包まれながら思いの丈をぶちまける。

 

「どいつもこいつも俺をナメては寄って集って迫害してきやがる!刑務官連中も見て見ぬふりだ!ここに来てはっきり分かったぜ!俺にはお前みたいな実績も看板もありゃしねぇ、ただの無能なチンピラなんだよ!お前は良いよなぁ!風間の親さんや世良会長からも高く買われて、"堂島の龍"なんて看板がお前を守ってくれる。俺なんかが居なくたって立派にやっていけるんだからよ!!」

 

それは、錦山が今の今まで抱えてきた黒い感情だった。

桐生と比較され、見下されてきた事による劣等感と嫉妬。そんな連中に対する怒りと憎しみ。

しかし、どうすることも出来ない現実に打ちひしがれて抱いた諦念と絶望。

 

「錦……」

「どうせ俺なんかが居なくたって、娑婆での出来事は何もかも上手くいくんだ!俺はいない方がいい存在なんだよ!東城会にとっても、お前にとってもな……!!」

 

自分という存在を軽んじ、自分という人間を否定し、自分という男を侮辱する錦山。

もう自分は要らない。自分を必要とする人間などいない。

度重なる迫害によって自暴自棄になってしまった桐生の兄弟分の姿に、桐生は思わず俯いた。

 

(錦……俺はまた、お前を苦しめちまったって言うのか……?)

 

数年前に起きた"カラの一坪"の一件では何度も窮地を救われ、今回の事件も錦山が身代わりになる事で桐生は罪を免れた。

その結果、錦山は刑務所の中で迫害され凄惨な目に遭ってきたのだ。

桐生は己の不甲斐なさを嘆こうとし、すぐに思い直して内心で首を振る。

 

(いや、それでも……今の言葉は、聞き捨てならねぇ……!)

 

それは、桐生が用意した吉報に関連する事だった。

今の桐生には、錦山に自分を否定させる訳には行かない理由がある。

 

「……はぁ。今の言葉、聞かなかった事にするぜ」

「なんだと……!?」

「なぜなら、お前が居なくなって困る人間が確かにいるからだ」

「誰だって言うんだ……?言えるもんなら言ってみろよ!!」

 

激高する錦山を見て桐生は確信した。

錦山は今、大事な事を忘れている。

彼がかつて、何よりも護りたいと願っていたものを。

そして、自らが地獄に堕ちるのを代償に桐生に託したものを。

それを思い出させるべく、桐生は口を開いた。

 

「錦山優子。お前の……たった一人の血の繋がった家族だ」

「っ!!?」

 

桐生が口にしたそれは、心臓病を患って余命幾ばくも無い錦山の妹の名前だ。

シャバに残した彼女の安否は、錦山にとって最大の心残りだった。

 

「錦……俺が今日ここに来たのはお前に報告したい事があったからなんだ」

「報告……?」

 

桐生は懐から一枚の写真を取り出し、錦山に見せる。

これこそ、桐生が引っ提げてきた吉報。

獄中にいる錦山へと齎される、希望の福音だった。

 

「これは……?」

「海外の病院で撮影されたものだ。錦。優子は心臓移植を受けたんだ」

「心臓移植……?」

 

桐生は風間から提示された7000万という条件をクリアし、優子の手術費を賄う事に成功したのだ。

風間は直ぐに海外の伝手に連絡を取り、病床の優子を海外へと送り出した。

 

「そしてこれは、手術後に撮影された写真だ」

「そ、それじゃあ優子は!?」

 

手術は問題なく成功し、優子の心臓はドナーから提供された健康なモノへと取り換えられた。

錦山の抱いていた最大の心残りは、こうして解消されたのだった。

 

「あぁ……優子は。お前の妹は助かったんだよ」

「あ……あぁ……優子ぉ……!!」

 

錦山の瞳から、再び涙が溢れ始める。

それは先程よりも暖かい、安堵の雫だった。

 

「それにお前、優子にこう伝えたじゃねぇか。"俺は信じてる。だから絶対諦めるな"ってな」

「っ!桐生、お前それを何処で!?」

「風間の親さんから聞いたんだ。お前が親っさんに伝言を頼んだんだろ?」

 

その伝言は、桐生の口から優子に伝えられた。

優子はその言葉を受け止める事で、手術の恐怖と闘うことを決意したのだ。

 

「優子はそれを聞いて覚悟を決めたんだ。そして逃げずに手術に臨んで、病気に打ち克った。錦……お前が死んじまったら、せっかく助かった優子はこの先一人ぼっちだ。お前、それでもいいって言うのか?」

「桐生……」

「それにお前がいらない存在だって言うのなら、親っさんもお前の為にケジメ付けたりなんかしねぇ。お前は確かに、誰かから必要とされる存在なんだ。」

 

東城会にとって、桐生一馬にとって。

そして何より錦山優子にとって、錦山彰という存在は必要不可欠な存在だ。

それを伝えると同時に、桐生は己が信ずる"在り方"を唯一無二の兄弟分に伝えた。

 

「だからよ、錦…………お前も。生きる事から、逃げるんじゃねぇ」

 

生きる事は逃げない事。

逃げずに頑張って、抗って立ち向かって、最後に残った道こそが、その人間のやるべき事である。

それこそが、桐生一馬が往く極道。そして、それを歩む上で必要な心構えだった。

そして。

 

「……そうだな、ありがとよ兄弟。お陰で目が覚めたぜ」

 

錦山彰の瞳は、失われた輝きを取り戻した。

貪欲で野心に満ち溢れた双眸に、桐生は安堵する。

自分の知る錦山が帰ってきたと。

 

「フッ、気にするな兄弟。これでやっと一つ、お前に借りを返せたな」

「時間だ」

 

ふと、錦山の背後で刑務官が声を上げる。

面会の時間が終わりを迎えた合図だった。

 

「俺は行くぜ」

 

短く告げて椅子から立ち上がると桐生は最後に、錦山の目を見て言い放った。

 

「……待ってるからな、兄弟」

「あぁ……!お前も負けんなよ、兄弟!」

 

錦山の返答に頷き、桐生は踵を返す。

邂逅の時は終わり、それぞれの闘いへと戻っていく二人。

それぞれの極道を往く彼らの心には、揺るがぬ決意と確かな希望が宿っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

錦山との面会から数日後。

桐生は東京の郊外にある、とある家屋の前に訪れていた。

 

「来たか」

「お疲れ様です、親っさん」

 

玄関前で桐生を出迎えたのは彼の渡世の親であり育ての親でもある恩人、風間新太郎だった。

 

「上がってくれ」

「失礼します」

 

桐生が訪れたのは"風間邸"。

東城会の大幹部である風間新太郎が所有する別宅の一つだ。

彼が経営の面倒を見ている養護施設"ヒマワリ"にもほど近い位置にある為、風間にとっては何かと都合が良く、風間組関係者の出入りも多い。

 

「さぁ、座ってくれ」

「はい……」

 

風間はリビングにたどり着くなり、桐生に席に着くよう促した。

いつになく神妙な面持ちの風間を見て、桐生は少し戸惑いながらも対面の席に腰を下ろす。

直後、風間が真剣な表情のまま口を開いた。

 

「一馬。俺は今日、お前に殴られる覚悟をしてきた」

「っ!!?」

 

その言葉に桐生は驚愕する。

桐生にとって風間は親だ。

渡世の親であることはもちろん、幼い桐生や錦山の面倒を見てきた育ての親である。

そんな人物から、そんな言葉が出てきたのだ。

 

「親っさん、それはどういう……!?」

 

桐生は風間に対し、一生返しきれない程の恩義を感じている。故に彼は風間の反対を押し切って極道の世界に足を踏み入れたのだ。

同じ極道として、風間の役に立つために。

そんな風間に手を上げるなど極道としても勿論だが、何より人として有り得るはずがない。

そう考える桐生だったが、風間は至って真剣だった。

 

「俺が今から話すのは、それほどの話だと言う事だ。……聞いてくれるか?一馬」

「親っさん……」

 

桐生が知りうる限り、風間は冗談を言うような男ではない。

風間は今、本当に重大な話をしようとしている。

桐生はそれを肌で理解した。

そして、風間の目を真っ直ぐに見て答えた。

 

「……聞かせてください、親っさん」

「一馬……」

「たとえ親っさんが話す内容がどんなものであろうと、俺は全て受け止めます」

「……分かった」

 

その答えを聞いて頷いた風間は、やがて滔々と語り出した。

 

「今日はお前に、一年間秘密にしていた事を話す。…………由美の事だ」

「っ!由美の……?」

 

澤村由美。

一年前、堂島組長の魔の手から桐生と錦山が救い出した女性の名前。

二人にとっての幼馴染であり、家族であり。

そして、最愛の女の名前だった。

 

「そうだ」

「由美に……何かあったんですか?」

 

事件直後、由美はショックから記憶を失い、桐生と錦山の写真に拒絶反応を見せる程の後遺症を患った。

その為、風間は彼女の記憶が戻るまで桐生に対して由美との接触を禁止し、桐生もまたそれが彼女の為だと受け入れていた。

以来、桐生は一度も由美と出会ったことは無い。

そんな由美の話題が風間の口から出たという事は、由美の事で何かしらの変化が会った事に他ならない。

 

「……コイツを見てくれ」

 

風間は懐から一枚の写真を取り出し、桐生に手渡す。

そこに写っていたのは、二人の男。

 

「……世良会長、ですか?」

 

そ内の一人は、桐生もよく知る人物だった。

東城会三代目会長。世良勝。

桐生が属する東城会のトップであり、東日本における極道社会の最高権力者である。

 

「いや、今見てほしいのはもう一人の方だ」

 

そう言われた桐生は、世良の隣にいる男に視線を送る。

額にあるホクロとオールバックの髪型が特徴的なその姿に、桐生は見覚えがなかった。

 

「この男は……?」

「ソイツの名前は神宮京平。兼ねてから三代目と親交のある代議士で…………」

「……親っさん?」

 

そこで風間は一度言葉を詰まらせたが、意を決して言葉を紡ぐ。

 

「…………由美の、内縁の夫だった男だ」

「なっ……!?」

 

記憶を失い風間に保護されていた筈の由美が自分の知らぬ間に他の男と結ばれていたという事実に、桐生はかつて無いほどの衝撃を覚え、絶句した。

 

「一体、どうして……」

「政界を目指す神宮は、三代目からの支援を受けていて、よく東城会に出入りしていたんだ。そこで神宮は、偶然由美と出会って……恋をした。記憶を失っていた由美は、心の隙間に入り込んできた神宮を受け入れた」

「…………」

「俺は止めることが出来なかった。もし神宮と幸せな生活が送れるなら、極道社会とは縁が切れるかもしれない……運命を変える転機なのかもしれないってな……」

 

桐生はその言葉に一定の理解を示した。

風間も桐生も、所詮は極道者。関わっていて良い事などほとんど無いだろう。

そして風間にとって桐生や錦山が大切な子分であるのと同じように、由美もまた風間にとって大切な"子"である事に変わりは無い。

風間が最初、桐生と錦山が極道になろうとするのを許さなかったのと同じように、由美にもまたやがては極道の世界と縁を切って欲しいと強く願っていたのだ。

 

「親っさん…………聞いても良いですか?」

「なんだ?」

 

あまりにも衝撃的な事実に理解が追いつかない桐生だったが、それでも何とか言葉を絞り出して風間に問いかけた。

 

「由美が選んだその神宮という男は……どんな男ですか……?」

 

桐生は、神宮の人となりを知ろうとした。

極道者である自分の代わりに、由美を幸せにする役目を背負った神宮がどんな男なのか知りたい。

そんな桐生の思いを汲み取り、風間は僅かばかりの沈黙の末に答えた。

 

「神宮は極道である世良会長と繋がってはいるが、志の高い立派な人物だ。それはきっと、今も変わらないだろう……」

「親っさん……?どういうことですか?」

 

桐生は風間の言葉に違和感を感じた。

それはまるで、今の神宮の事を知らないかのような口ぶりだったからだ。

風間は非常に言いにくそうに俯きながらも続ける。

 

「つい先日の事だ。……神宮の元に総理の娘との縁談の話が舞い込んだんだ」

「総理の娘と縁談……?まさか……!」

 

政界の事をよく知らない桐生だが、神宮にとってその機会がまたとない出世の転機である事は理解出来た。

そして、そこからの話の流れにも自然と見当がつく。

 

「あぁ……その時籍を入れていなかった由美は自ら身を引いた。神宮の為を思ってな」

「…………」

 

由美は己の気持ちを押し殺し、神宮から距離を置いた。

全ては、政界で成功を掴まんとする彼のために。

 

「そんな事が、あったんですか…………」

「一馬。今まで打ち明けられずに、本当に済まなかった」

 

風間はそう言うと、桐生に対して静かに頭を下げた。

桐生に対し、記憶が戻るまで会う事を禁じた上で由美と神宮の関係を黙認し、それを桐生に共有しなかったのだ。

風間のその行動は桐生に対して、あまりに不誠実と言えるだろう。

 

「親っさん……」

 

だが、桐生は風間の心情を慮った。

風間も桐生も、由美には幸せに生きて欲しいと願っている事は同じだ。

だが同時に、極道である自分達にその願いを叶える事が難しい事も十分に理解している。

だからこそ風間は、神宮に由美を託す事を選んだのだ。

 

「顔を上げてください」

「一馬……」

「親っさんは、由美の為を想ってその決断をしたんですよね?なら、俺から言う事はありません」

 

桐生は決して風間を責める事はしなかった。

それが、風間の親心から来るものである事が分かっていたからだ。

 

「でも…………一つだけお願いがあります」

 

しかし、この問題においては桐生にも譲れないものはあった。

由美は桐生にとって家族であるのと同時に、最愛の女性でもある。

そんな彼女が、愛する男と離ればなれになって辛い思いをしている。となれば、今の桐生が求める事はただ一つ。

 

「……由美に、会わせて貰えませんか?」

「!」

 

今の彼女に会って、何が出来る訳でもない。

もしかすれば、一年前の記憶を思い出させて余計に彼女を苦しめてしまうかもしれない。

それでも。

 

「ただの一度。一目でもいい。俺は……由美に会いたいんです」

 

苦しむ者を見過ごせず、悩める者も捨て置けず。

いつでも誰かの為に、何かをせずには居られない。

それが長年想い焦がれた女の為ならば尚の事。

桐生一馬と言う一人の男の、優しくも不器用な生き方が顕られていた。

 

「…………ここで少し待ってろ」

 

風間は桐生にそう告げると、椅子から立ち上がりリビングを出た。

桐生は風間の言いつけ通り、座ったまま待ち続ける。

そして。

 

「いいぞ一馬。こっちへ来てくれ」

 

寝室の方から風間の声が聞こえ、それに従い桐生はリビングを出た。

そして、風間の声がした寝室の前へと辿り着く。

 

(この先に、由美が……)

 

堂島組長の事件から一年。

ただの一度も顔を合わせて居なかった幼馴染にして最愛の人が、このドアの向こうにいる。

桐生は落ち着いてゆっくりとドアを開けた。

そして。

 

「あ…………」

 

部屋にいた女性と、目が合った。

その姿は一年前と何も変わらない。

澤村由美。桐生が愛する女が、あのころの姿のまま目の前に立っていたのだ。

 

「由美…………俺が、分かるか……?」

 

桐生は由美を刺激しないように、優しく静かに問いかける。

一年前の由美にとって、桐生と錦山の姿は写真越しであっても拒絶反応を起こす程だったのだ。

今この瞬間にも、何かが起きてもおかしくは無い。

 

「あ…………あぁ…………!」

 

由美が両手で口元を抑え、目を見開いた。

その瞳は段々と涙を貯め始め、僅かな吐息が口から漏れる。

彼女の中で何かしらの変化が起きたのは一目瞭然だった。

 

(やはり、ダメか……?)

 

その反応に桐生は思わず俯いた。

風間もまた、諦念を抱いて目を閉じる。

直後。

 

「か、ずま……?一馬…………なの……!?」

「っ!!」

「な……!?」

 

由美の口からこぼれた言葉に、桐生は息を飲んだ。

風間もまた、突如として起きた出来事に言葉が出ない。

今ここに、奇跡が起きた。

澤村由美が、全ての記憶を取り戻したのだ。

 

「あぁ。一馬……桐生一馬だ!」

「一馬!」

 

由美が涙を流しながら桐生へと駆け寄り、桐生もまたそんな彼女を抱き留める。

 

「由美。良かったな……本当に…………」

「一馬……私……私ぃ…………!」

 

桐生の腕の中で感極まって涙を流す由美を、桐生は静かに優しく抱きしめた。

やっと手に入れた大切なものを壊さぬように。

 

(てっきりトラウマを刺激しちまうもんだと思っていたが……どうやら、要らねぇ世話だったらしいな……)

 

風間は記憶を取り戻した由美を見届けたあと、黙って寝室から出ていった。

ここからは、二人だけの時間になるからだ。

 

「…………落ち着いたか?」

「……うん。ありがとう、一馬」

 

ひとしきり泣き終えて、由美が落ち着きを取り戻す。

すると由美は、恐る恐ると言った様子で尋ねた。

 

「……聞いたの?全部」

 

それは、今までの由美の事。

彼女が記憶を失っている間に起きた出来事を指していた。

 

「……あぁ」

「……ごめんね。私……錦山くんや一馬のこと、遠ざけようとしてた…………」

 

由美は悔いていた。

記憶を失い、事件のショックによる影響とはいえ、桐生達の事を拒絶していた事を。

 

「思い出そうとするとあの日の光景が蘇って……私は、記憶を思い出すのが怖くなった。それで、自分の記憶に蓋をしたの。もう思い出せない過去の事は忘れて、今を生きようって……」

「そうか……それで、神宮の事を……?」

「うん。京平さんは記憶を失った私にとても良くしてくれて……私はその優しさと志の高さに惹かれていった。でも、今考えると……」

「ん……?」

 

由美はより一層の桐生を抱きしめる腕に力を込めた。

そして、目の前にある温もりを確かめながら言った。

 

「……朧気に覚えていたあなたの事を、無意識の内に京平さんに重ねていたのかもしれない」

「…………」

「私、弱い女だった。記憶を失った後でも、本当はあなたの事だけはうっすらと覚えていたの。名前は思い出せない。でも、あなたの声や仕草が浮かんだ。でも誰だか分からない。全てを思い出せない。そして思い出そうとすれば、あの時の記憶がトラウマになって蘇る……」

 

己の事すらも思い出せない記憶喪失のただ中、微かに覚えてる記憶を掘り返そうとすればトラウマが一緒に蘇る。

そんな状況に置かれた由美には、名前も分からない桐生のことを気にかける余裕など無かったのだ。

 

「私は、そんなあなたの事を……待ち続ける事が出来なかった…………!!」

「由美……」

 

再び涙を流す由美を、桐生は再び抱き締めた。

今度は、大切なものを二度と手放さないように力強く。

 

「一馬……?」

「由美、大丈夫だ。もう何も心配は要らねぇ」

 

そして桐生は、覚悟を決めた。

ただでさえ困難な茨の道をより過酷にする、修羅にも等しい程の覚悟を。

直後。

 

「由美。俺は……お前の事が好きだ」

「……!」

 

桐生は告げた。

今まで言えずに仕舞い込んでいた。自分自身の気持ちを。

 

「俺はお前を愛してる。だから……俺にお前を、護らせてくれねぇか?」

「一馬……」

 

極道だから。ヤクザだから。

一人の女性を幸せにする事は出来ない。

そんな定説など"龍"の前では何の意味もなさないのだ。

あるがままに何かを護り、その為に力を振るう。

それこそが桐生一馬。堂島の龍と呼ばれた男の在り方であった。

 

「ぐすっ…………うぅ……」

「ゆ、由美!?」

 

そんな一世一代の告白を聞いて涙ぐむ由美を見て、桐生は珍しく慌てて取り乱した。

自分が何か変な事を言ってしまったのかと思ったからだ。

しかし、そんな事は杞憂に決まっている。

 

「ごめんね一馬、違うの。私、嬉しいの。一馬にそんな風に想って貰えてた事が」

「由美……」

「私の返事は、もう決まってるよ」

 

そこで由美は上目遣いで桐生を見つめた。

桐生もまた彼女の潤んだ瞳を見つめ返す。

やがて、二人の顔が段々と近付いていき。

そして。

 

「んっ……」

「っ……」

 

互いの唇同士が触れ合う。

それが由美の答えであり、二人が恋仲になった何よりの証だった。




如何でしたか?
という訳で、由美復活からの愛の告白といった恋愛シーンでございました。
ほとんど初めて書くので上手く書けたか心配です。
次回は本編に戻ります。

それではまた。
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