ある日の事。
「よう。」
学生服姿の一人の少年が、とある病院の病室に足を踏み入れる。
「お兄ちゃん。」
患者衣に身を包んだ少女が、少年に気付いた。
「どうだ調子は?」
優しい表情で語りかける少年。
彼は彼女の実の兄だった。
「いつも通り。お兄ちゃんこそ風間さんを困らせてない?」
「大きなお世話だっての」
妹の減らず口を聞いて少年は安心する。彼にとっては妹が元気である事が一番なのだから。
「なぁ、今日はお前にプレゼントがあるんだ」
「え、ホント?なになに?」
目を輝かせる妹に、少年は白い花の切り花を渡す。
「わぁ、これって!」
「これ好きだったろ?これで元気だして、早く良くなってくれよな」
花の名は胡蝶蘭。白い花びらが特徴的な清楚で純粋なイメージを持つ綺麗な花だった。
「ありがとうお兄ちゃん!」
「ははっ、気にすんなって」
はにかむように笑う妹につられるように笑う兄の少年。
そこには仲睦まじく過ごす兄妹の、どこまでも平和な時間が流れていた。
〜ー〜
「……ぁ?」
そしてその平和は、ふとした拍子で終わりを告げる。
朧げながらも明確になっていく意識と額の内側から生じる痛みが、彼を現実へと引き戻す。
「あ、錦山くんやっと起きた」
「麗奈……?」
錦山が目を覚ましたのは、セレナのバックヤードだった。
ソファに横になっている体勢である事から、ここまで連れて来られて寝かされていたのだろう。
「おはよう錦山くん。昨日はだいぶ飲んでたわね?」
「そっか、俺、桐生に張り合うようにして……」
昨日の記憶が蘇る。
あの時酒の回った錦山は桐生には負けられないと言ってハイペースで飲みすぎてしまい、結果として潰れてしまったのだ。
「桐生ちゃんが潰れた錦山くんをここまで運んで寝かせてあげてくれたのよ?後で感謝しなきゃね」
「そうか……ちっ、アイツに借りができちまったな」
やれやれといった様子の錦山の視界に、ふとバックヤードの時計が目に入る。
「!?」
思わずギョッとした錦山はすぐに腕時計を見る。
時刻はバックヤードの時計と一致していた。
「やべぇ、もうこんな時間か!」
「どうかしたの?」
「今日は優子のお見舞いに行く予定だったんだ!急がねえと受付時間が終わっちまう!悪ぃ麗奈、俺行かなきゃ!」
「あ、ちょっと錦山くん!」
錦山は飛び上がるように起きると、そのまま店を出ていった。
「あらあら、騒がしいんだから」
麗奈は一つため息をつくとソファから立ち上がり、開店準備に取り掛かるのだった。
今夜また顔を出すであろうみんなを、笑顔で迎えるために。
東都大学医学部付属病院。
日本の中でも5本指に入る医療技術を誇る都内最大の病院だ。
東城会の息がかかった病院でもあり、組の幹部が重大な怪我や病気で入院する際にもよく利用されている。
優子がここに入院する事が出来たのも、風間のおやっさんの口利きによるところが非常に多い。
本当に俺は、あの人には頭が上がらない。
「……」
面会の受付時間にギリギリ間に合った俺は、そんな病院の清潔感のある廊下を歩いていた。
病室の場所は変わっていないので看護師の案内も断り、目的の場所へと向かう。
(ここだ)
病室のドアを静かに開けて、中に入る。
そこには、酸素マスクを付けて横たわる優子の姿があった。
心拍数を示すモニターにも異常はなく安定しているのが分かるが、顔色はとても良いとは言い難い。
「優子」
静かに声をかけると、閉じていた瞼が薄らと開いた。
ゆっくりと視線が動き、やがて俺と目が合う。
「おにい、ちゃん…………」
酸素マスク越しに聞こえるくぐもった声には覇気がなく、今にも消え入りそうだった。
「よう。」
「また……来てくれたんだね……」
俺の顔を見て少しだけ安堵した様子の優子。
元々病気がちで身体は強くなかった優子だが、最初からここまで酷かった訳ではない。
一番の原因は度重なる手術による体力の低下だった。
重い心臓病を発症した優子の体力はみるみるうちに減っていき、それに伴う手術の連続でさらに体力を消耗してしまったのだ。
「優子……お前、最近ちゃんと寝れてるか?」
その体力低下の現れなのか、俺は優子の目の下に隈がある事に気付いた。
しっかりした睡眠が取れなければ、体力は戻らない。
来月の手術にも影響が出てしまうだろう。
「ううん……実は、最近あんまり……」
「どうした?寝付けないのか?」
俺の問いかけに、優子は力なく頷いた。
「手術が、怖いの……」
その答えに、俺は納得せざるを得なかった。
考えてみれば当然の事だ。
どんどん体力が衰え、気分や気持ちも弱くなっていく。
そんな中麻酔で眠らされ、手術とは言え体中を切られていじられるのだ。
麻酔の効果で意識が途切れた瞬間、もしかしたらもう目覚めないかもしれない。
そんなもの、怖くないわけが無い。
「おにいちゃん……私、このまま死んじゃうのかな……?」
不安そうに訴えかける優子の瞳が、潤んでいるのが分かる。
優子の心と身体は、もう限界なのかもしれない。
「……馬鹿だなお前は。そんな事考えんじゃねえよ」
「おにい、ちゃん……?」
俺は優子の手を握って、真っ直ぐにその瞳を見つめ返す。
優子を決して不安がらせないように。
「お前は死なねえよ。そのために何度も手術をしてきたんだろ?痛い事や苦しい事、怖い事を我慢して乗り切ってきたんだろ?せっかくここまで頑張って来たってのに、そんな事考える馬鹿があるか。」
「おにいちゃん……」
「お前がこれまで頑張ってきたのは、俺が一番よく知ってる。だから気持ちを強く持て。気持ちで負けてたんじゃ、治るもんも治らねえぞ?」
「…………」
「来月の手術の時は俺も居るからよ。だから、そんな後ろ向きな事考えんなって……な?」
「でも……」
目を逸らす優子。
こうした励ましの言葉は、もう何度もかけてきた。
それでも好転しない状況に、優子は何度も直面してきているのだ。
それに、人の心や気持ちってのは理屈じゃない。
そう言われたからと言ってすぐにそうだと思えるのは難しいものだ。
「よし分かった、じゃあ考え方を変えてみようぜ」
「考え方……?」
そこで俺は、発想の転換を試みる事にした。
「病気を治す為に頑張るんじゃなくて、治った後に何がしたいか。それを考えるんだよ」
「治った、後……?」
「あぁそうだ。人間、夢や目標があった方が頑張れるってもんだろ?だから、治った後にやりたい事、なりたいものを考えるんだよ。そして、それをやる為に今を頑張るんだ」
今言ったこの考え方は、俺が身を置いた極道の世界で学んだ事だ。
良い車に乗って、肩で風を切って、周りの人間に頭を下げられる。
そんな上の幹部や親分連中の姿を見て、下っ端の極道は自分もいつかこんな風になりたいと憧れを抱く。
そして自分がそんな男になる日を夢見て、理不尽や不条理を耐え忍ぶ。
そうして下積みを重ねる事で成り上がっていくのが極道なのだ。
ヤクザなど決してロクなものでは無いが、少なくとも今病床に伏せる妹を元気付ける切っ掛けくらいにはなる筈。
「優子、お前にも何かやりたい事ないか?ウマいメシ食いたいとか、旅行に行きたいとか、何でもいいからよ」
「やりたい事……」
「なりたいものでもいいぞ。こんな仕事をしてみたいとか」
「あ……」
思い当たる事があったのか。
ハッとした様子の優子は、心なしか先程よりも覇気のある声でこう言った。
「私……ひまわりの、先生になりたいな………」
「!」
ひまわり。
優子の言うそれは一般的な花の名前では無く、孤児院の名前だった。
俺と優子。それに桐生と由美の育った場所で、風間のおやっさんが立ち上げて、現在も面倒を見ている施設だ。
そんな場所で、子供達の世話をする先生になりたい。
ささやかで、優しい心を持った優子らしい夢だった。
「ひまわりの先生か。良いじゃねえか、子供達もきっと喜ぶぜ」
「そう、かな……」
「あぁそうさ。優子は人の痛みが分かる優しい奴だからな。子供ってのは純粋だから、そういうところはすぐに分かってお前に懐くだろうよ。じゃなけりゃ極道者の風間のおやっさんに俺らが懐くわけねえ。」
「ふふっ……そう、かもね……」
そう言って小さく微笑む優子。
俺がこの病室に入って、初めて見せてくれた笑顔だった。
「ん?」
その直後、俺のスーツのポケットから甲高い電子音が鳴る。
聞き覚えのあるそれはポケベルの着信音だった。
ポケットから取り出して表示された数字に目を通す。
そこに示されていたのは桐生の舎弟である田中シンジからの着信だった。
(シンジから……?何でわざわざ俺に?)
語呂合わせで読む数字には、すぐに電話を折り返してほしいのか49(=至急)という文字も見受けられる。
どうやら何か問題のある急ぎの要件らしい。
(……)
俺は途端に胸騒ぎがするのを感じた。
何か、とんでもない事が起きているような言い様のない不安と焦燥感。
「おにいちゃん……?どうしたの……?」
そんな俺の胸騒ぎが伝わってしまったのだろう。
不安そうに俺を見つめる優子に対し罪悪感を抱く。
「悪いな、優子。急ぎの用事が出来ちまった」
「そっか……」
「ごめんな。手術前にはもう一回顔出すからよ」
俺は立ちあがると、病室から出るために踵を返す。
「おにいちゃん……」
呼び止める声に振り向くと、優子は俺の目を真っ直ぐ見て言った。
「気を、つけて、ね……おにいちゃん……」
それは弱々しくも、俺にとって激の入る励ましだった。
「あぁ!またな優子」
自分がどうにかなるかもしれない時でさえ優しさを失わない優子の気持ちに報いる為に、こちらも力強く返す。
優子に背を向けて今度こそ病室を出ると、早歩きで最寄りの公衆電話まで向かった。
(ポケベルの相手がシンジからってのが気になるな……)
田中シンジ。
桐生が20歳ぐらいの頃からの舎弟で、よく桐生を慕っている。
俺も決して知らない仲では無いのだが、こうしてポケベル越しにメッセージが送られてくるのは初めてだった。
ましてや急ぎの用事ともなると、桐生絡みで何かあったのかと考えるのが自然だ。
(見つけたぜ)
ロビーまで戻ってきた俺は、備え付けの公衆電話を見つけるとすぐにその受話器を手に取った。
コインを入れてポケベルにあった電話番号を押す。
電話はすぐに繋がった。
『もしもし!錦山の叔父貴ですか!?堂島組の田中シンジです!』
電話越しに聞こえるシンジの声からは焦りと混乱が感じられ、こちらの嫌な予感が強くなっていく。
「あぁ、聞こえてるよ。一体何があったんだ?」
俺はそれを押し殺してシンジに話を促した。
あくまで冷静に。
そう思って耳を傾けた俺の耳朶を打ったのは、信じ難い現実だった。
『今さっき、堂島組長が由美さんを攫っていたんです!!』
桐生が異変に気付いたのは、シンジと共にセレナに顔を出した時だった。
血相を変えた麗奈がまるで掴みかかるように桐生に迫り、どうしようと訴えかけてきたのだ。
何があったのか問いかける桐生に対し、麗奈は由美がヤクザの組長に攫われてしまったと明かした。
由美を攫ったというヤクザの組長の特徴を聞くうちに、それが堂島組長であると確信した桐生はシンジに麗奈を託すとセレナを飛び出した。
このままでは由美が危ない。
その一心で神室町を駆ける桐生は、劇場横にある堂島組長の事務所に辿り着いていた。
(由美……無事でいてくれ……)
桐生は意を決してエレベーターに乗り込む。
目的の階に辿り着くと、事務所として使用している部屋のドアを開けた。
「おら、大人しくしろよ」
「いや……やめてください……」
事務所の手前の部屋から二人の声が聞こえ、桐生は玄関を土足で上がり込むとその部屋のドアを蹴破るように開けた。
「由美!!」
叫んだ桐生の視界に飛び込んできたのはソファに押し倒された由美と、その上に股がる渡世の親の姿だった。
「あ?桐生……何しに来た?」
東城会直系堂島組組長。堂島宗兵。
名だたる幹部連中の中でも常に上位に君臨する、東城会の大幹部である。
「堂島、組長……」
「何しに来たかって聞いてんだ」
ドスを効かせた声と共に睨みつける堂島の下で、桐生の姿を認めた由美がか細い声で助けを求める。
「か、一馬……助けて……」
「由美……!!」
「ほう、そういう事か」
そんな二人の姿を見た堂島は確信する。
「桐生、お前はこの女を助ける為にここまで来たって事か?」
「……はい。由美は、俺の馴染みの女なんです」
「そうかそうか」
堂島はそれを聞くと再び由美に向き直り、その顔を醜く歪めた。
「だが残念だったなぁ、今からコイツは俺の女だ。」
「ひ、っ!!?」
引きつった悲鳴をあげる由美などお構い無しに、堂島組長は由美の服のボタンに手をかける。
「待ってください、堂島組長!」
「あぁ?なんで待たなきゃなんねぇんだよ。俺は今からこの女抱くんだ、さっさと出てけや」
聞く耳を持たない堂島は由美のブラウスのボタンを全て開けると、中のシャツを引きちぎった。
「い、いやぁ……!!」
「へっへっへっ……嫌がる感じも最高だなァ」
「堂島組長!!」
声を荒らげる桐生に対し、堂島が再びドスの効いた声で問いかける。
「……どうしても出てくつもりはねぇって事か?桐生。」
「……はい。」
「そうか……よし分かった。」
堂島はそう言うと桐生を見て言い放った。
「桐生、命令だ。お前、そこで俺がこの女抱くの見てろ」
「なっ……!!?」
信じられない提案に目を見開く桐生に対し、堂島は意気揚々と続ける。
「この部屋から出たくねぇんだろ?だったら居させてやる。馴染みの女が俺色に染まるのを、特等席で眺めさせてやるぜ」
「堂島、組長……!!」
桐生の知る任侠からあまりにもかけ離れた組長の命令に、かつて無いほどの怒りの激流が桐生の中で荒れ狂う。
「残念だったなぁ由美ちゃんよ。これでもうアイツはお前を助ける事はねぇ。俺の命令には逆らえねぇからなぁ」
「そ、そんな……」
恐怖と絶望のあまり目に涙を滲ませる由美を見て、堂島の顔は下卑た笑みを浮かべた。
「ははっ、いい顔するじゃねえか。さて、そのカラダはどんなもんかね……」
「いや、やめ、やめて下さい……」
ついに堂島の手が由美の下着へと伸びる。
しかし、その手が由美の柔肌を犯すことは無かった。
「あ?」
堂島の手首を、何者かが横から掴んだのだ。
そしてそのまま腕を引っ張り上げると、由美の身体から堂島を引き剥がす。
「な、何!?」
いや、何者かなど分かりきっている。
この状況を、指をくわえて見ていられるほど。
「うぉらァァ!!」
桐生一馬は大人ではないのだから。
「がぁっ!?」
投げ飛ばされた堂島組長が、壁に激しく頭を打つ。
そんな組長よりも、桐生は由美を抱き起こすのを優先した。
「由美、大丈夫か!?」
「ぁ……か、一馬…………っ!」
由美は恐怖から開放された安堵からか、桐生に抱きついて大粒の涙を流して啜り泣く。
「一馬、私……私……!!」
「遅くなってすまねぇ……もう大丈夫だ」
「何が、大丈夫なんだ?」
「!!」
振り向いた桐生の視線の先には、先程投げ飛ばした堂島が怒りの表情を浮かべて立っていた。
「桐生……テメェ自分が何やったか分かってんだろうな?あァ!?」
「堂島組長……」
楽しみを邪魔され怒り心頭の堂島は、傘立てに立てかけてあった木刀を取り出して桐生に突きつける。
「ヤクザの世界で親の命令は絶対……知らねぇ訳じゃねぇよな?桐生」
堂島や桐生が生きる極道社会には、決して破ってはならない鉄の掟がある。
それは、親の命令には絶対服従するという事。
彼らの生きる世界で、上の人間に楯突く事は何があっても許されないのだ。
にも関わらず桐生は頭に血が昇った結果、自分の組の組長に手を挙げてしまったのだ。
これは一般社会における重罪に等しく、場合によっては極刑すら有り得る事態である。
「……由美、下がってろ」
桐生はグレーのジャケットを由美に羽織らせると、堂島の前に立ち塞がった。
「テメェはもうこの場でぶっ殺されても文句は言えねぇ……覚悟は良いな?」
東城会の大幹部である組長の脅しに対しても、桐生は一切屈さずに真っ直ぐ見つめると、頭を下げて言い放った。
「自分は、どんな目に遭っても構いません。ですのでどうか、由美の事は勘弁してもらえませんでしょうか……?」
桐生も極道の端くれ。
先の自分の行為がどんな意味を持つのかを知らないほど愚かではない。
故に桐生は自分の身を犠牲に差し出す事で、由美を護る道を選んだのだ。
「テメェ……いい度胸してんじゃねえか……」
そんな桐生の真っ直ぐな態度に、コケにされたと感じた堂島はついに木刀を振り上げた。
「ナメてんのか!!」
「ぐっ!!」
鈍い音を立てて桐生の側頭部に振り抜かれる木刀。
決して軽くないダメージが桐生を襲うが、堂島の怒りはまだ治まらない。
「テメェも!風間も!俺を!甘く見やがって!!」
声を荒らげながら乱雑に振り下ろされる木刀の連打に対し、桐生はガードもせずにただ受け続けていた。
「ぅぐ!」
「元はと言やぁ、テメェがあの時俺に刃向かったからだ!大人しくムショにぶち込まれてりゃいいものをよ!!」
堂島の言うあの時とは、今から数年前に起きたとある事件の事だった。
若頭の風間に組の実権を握られることを恐れた堂島は、風間の伝手で渡世入りした桐生に殺しの濡れ衣を着せ、その責任を取らせる形で風間を組から追い出そうとしたのだ。
しかし現実には桐生はムショにはいかず、組を破門されてなお刃向かった桐生の行動の結果により当時堂島組で進めていたシノギを他の組に奪われ、その権威を失う事になったのだ。
「テメェのせいで俺ぁ!何もかも失って!今じゃこのザマだ!ふざけやがって!!」
「ぐ、っ!」
桐生の返り血で木刀が赤く染ってもなお、堂島は殴るのを止めない。
自分の失墜を招いた憎き男への怒りは、こんなものではすまないのだ。
「何が堂島の龍だ……俺から全てを奪った疫病神が、デケェ面してんじゃねぇ!!」
叫びと共に大上段に振り下ろされた一撃。
頭頂部を叩いた瞬間、乾いた音と共に木刀がへし折れる。
「ぐぅ、っ……!!」
最後の一撃で脳が揺れたのか、ついに桐生が膝を付いた。
額から流れる血が、事務所のカーペットに垂れて赤い斑点を作る。
「頑丈な野郎だぜ……でもな」
堂島は折れた木刀を放り捨てると、懐からあるものを取り出した。
「ひっ……!」
桐生の後ろで、由美が短く悲鳴をあげる。
(由美?)
疑問をうかべる桐生だったが、直後に頭に突きつけられた冷たい感触で全てを理解した。
顔を向けた桐生に対し、堂島は手に持ったそれを桐生の額に突きつけ直す。
「これの前じゃ、流石のテメェも無力だろう?」
「......!」
堂島が桐生に向けたものは、拳銃。
彼らの生きる極道の世界ではチャカ等とも呼ばれている代物である。
本来は極道であっても容易に手にすることは出来ないが、東城会の最高幹部ともなればそれも造作もない事なのだ。
「自分はどんな目に遭っても構わない……テメェさっきそう言ってたな?」
「……」
硬い音と共に撃鉄が起きる。
後はもう、人差し指で引き金を引くだけ
たったそれだけで桐生の命は失われる。
しかし、そんな瀬戸際であってもなお桐生の在り方は変わらない。
「……はい。その代わり、由美には決して手を出さないと、誓ってください」
由美を護るためならばこの命さえも惜しくない。
揺るがぬ覚悟と決意を持って、最後まで意地を貫き通す。
それが堂島の龍、桐生一馬という極道の生き様だった。
「何処までも俺をナメやがって……」
しかし桐生が真っ直ぐであればあるほど、堂島は決して彼を認めない。
堂島は理不尽と不条理が蔓延る極道社会で最高幹部にまで上り詰めた男だ。
厳しい渡世の道の中彼はそのプライドだけを肥大化させ、他の大切なモノを無くしてしまった。
しかし、それが何だったかももう思い出せない。
だからこそ、かつての自分が持っていたはずのモノを自信満々に振りかざす若造を認める訳にはいかないのだ。
「死ねや、桐生ぅ!!」
「一馬!!」
由美の悲愴なる叫びが鼓膜を叩く。
引き金が引かれ、撃鉄が落ちる。
その直前。
「桐生!由美!無事か!!?」
一匹の鯉が、運命の分岐点に迷い込んだ。