今回は皆さんが大変お世話になったであろうあの人が初登場です!
それではどうぞ
100億の価値
2005年12月8日。午前8時30分。
騒動から一夜明け、錦山を含む全員がセレナに集合していた。
「すまねぇ遥……お前の事、守ってやれなかった」
伊達はセレナに来るなり、いきなり遥に向き直って謝罪をした。
熱い正義感を持つ伊達にとって遥を守りきる事が出来なかったのは非常に不甲斐なく、耐え難い程の屈辱でもあった。
「怖かったろう……?」
「うん、縛られて真っ暗な部屋に……でも………」
「どうした?」
僅かに言い淀む遥の様子を訝しみ、錦山が声をかける。
その時の事を思い出す遥の表情には、恐怖よりも困惑が浮かんでいた。
「なんだか……変な感じだったの」
「変?」
「うん。眼帯を付けたおじさんが、縛られてる私の縄を痛くないくらいに緩めてくれたんだ」
「なに?真島が?」
錦山がそれを聞いて僅かに驚く。
遥はそれに対して頷いた後にこう続けた。
「うん。それでその人がこう言ったの。"ここでいい子にしとったらお前の父ちゃんが会いに来るはずや。そしたらもう怖い思いせんでえぇから、それまで大人しゅう待っとってな"って……」
「!!」
直後、錦山の目が大きく見開かれた。
彼の中で今、最も重大なピースが繋がろうとしている。
(真島……!)
桐生を誘き出す為に今回の行動に打って出た真島。
真島は錦山が収監されてから桐生が組を割って独立するまでの約5年間、ストーキングに近い形で執拗に付き纏っては喧嘩をふっかけてきた。
その過程で桐生の内情や置かれた状況、立場などを汲み取っていたであろう事は想像に難くない。
そんな真島の放った"遥は桐生にとって大事な存在"という発言。
そして、親である嶋野に逆らって遥の身柄を嶋野組に引き渡そうとしないその行動。
(やっぱり、遥の父親の正体は…………)
錦山は意を決した。
以前から疑問に思っていた事柄を、遥に問いかける。
「なぁ、遥」
「なに?」
「……お前の父ちゃん、名前はなんて言うんだ?」
錦山の問いに大して帰ってきたのは、錦山にとっては想定内、伊達や麗奈達にとっては衝撃の事実だった。
「かずま……桐生一馬、だよ」
「なんだって!?」
驚きのあまりその場から立ち上がる伊達。
なにせ伊達にとって桐生は、現在東城会三代目殺害の重要参考人と睨んでいる人物だからだ。
目の前の少女はそんな男の娘であると言う。
「桐生ちゃんに、子供が……!?」
「やっぱりか……」
「知っていたのか、錦山」
「いや、知ったのは俺もたった今だ。もっとも……予測してなかった訳じゃ、無かったがな」
開いた口が塞がらない伊達と麗奈に対し、錦山は至って冷静さを保っている
彼は今、真島吾朗の行動を分析している最中だった。
(真島のあの感じから察するに桐生と喧嘩がしたいのは間違いねぇだろう。遥の身柄を確保したのも桐生を誘き出すって意味では嘘じゃねぇ筈だ。だが…………遥が桐生にとって大事な存在であると理解しているのであれば、自ずと真意は見えてくる)
おそらく真島は遥が東城会から狙われている事に気付き、その身柄を桐生に引き渡すために拉致したのだ。
そうすれば桐生は必ず神室町へ乗り込んで来る。
そして、娘である遥を取り戻す為にこれ以上ないほどの全力を出して真島に襲い掛かるだろう。
真島は全力の桐生と喧嘩をする事が出来て、遥も父親である桐生の元へと渡る事でひとまずの安全が保証される。
遥がヤクザ関係でこれ以上怖い思いをするのを避ける事が出来るのだ。
(真島は、あえて憎まれ役を買って出る事で遥の安全と自分の欲求……その二つを叶えようとしてたって事か……!)
真島が自分だけの都合のために一般人を巻き込む外道へと成り下がったと思っていた錦山だったが、彼のこの推測が当たっているのであればその見方は根底から覆る事になる。
真島はその奇抜で奇怪な行動とは裏腹に、ちゃんと遥が安全になる事を考慮していたのだ。
「遥……話の続きなんだが、縄が緩まってたって言ってたよな?って事は、自分で脱出したのか?」
考え込む錦山の代わりに、伊達が遥に問いかけて会話を進める。
「……ううん。眼帯のおじさんがしてくれたのは痛くないように緩めるだけ。解いてはくれなかったの」
「そうか……」
真島の目的は本気の桐生と闘う事である。
桐生が本気になる為の重要なファクターである遥は真島にとっては"傷付けるつもりは無いが逃げて欲しくない"存在だったのだろう。
「でも急に外が騒がしくなって、そしたら……"知らないオジサン"が来て"逃げな"って。縄もそのおじさんが解いてくれたんだ」
「知らないオジサン?誰だ?」
「いや、俺も心当たりがねぇ」
遥の口から出た新たな情報に伊達は怪訝な表情を浮かべた。
伊達は錦山に確認を取るが彼にも心当たりは無い。
「お礼を言ったら、ペンダントは持ってるか?って」
「なんの事だ?」
「これ……由美お姉ちゃんが……」
そう言って遥は由美から託されたペンダントを見せ、改めてその経緯についても語った。
そのペンダントについての情報をこの場で知っているのは、アレスでこのことを聞かされた錦山だけだったからだ。
「そうか……それで、そのペンダントを"知らないオジサン"は欲しがったのか?」
「ううん、大事に持ってなさいって」
そして。
次に遥の口から聞こえた言葉に、一同は驚愕した。
「これには……"100億の価値があるんだよ"って…………」
「「「!!?」」」
言葉を失い、顔を見合わせる錦山と伊達。
それもそのはず。
なぜなら今の彼らにとって"100億"という単語は特別な意味を持っているからだ。
「見せてみろ」
遥は歩み寄った伊達にペンダントを見せる。
すると伊達はペンダントを観察し、一言。
「"鍵付き"か……無理やりこじ開けるってのは」
直後。
「ダメだろ」
「ダメっ!」
「ダメよ!」
三人から一斉にバッシングが飛ぶ。
思わずおののく伊達に対し、錦山は呆れていた。
「……言ってみただけだ」
「伊達さん……アンタ分かっちゃいねぇよ」
「なんだよお前まで……」
「いくらなんでもデリカシーが無さ過ぎだ。いいか、これは遥の母親が由美伝いに遥に託した大事なモノなんだぞ?それを壊して、中を覗き込もうとするだなんて…………刑事としちゃ立派かもしれねぇが、人としちゃどうかと思うぜ?」
「…………」
錦山の言葉にうんうんと頷く遥と麗奈。
完全に論破されてぐうの音の出ない伊達を差し置き、錦山は話を進めた。
「なぁ遥。その"オジサン"、顔は覚えてるか?」
「真っ暗だったから全然……でもその人、錦山のおじさんにペンダントの事伝えてくれって」
「俺の名前を……?」
「うん……」
錦山の事を知っている以上、その人物もまた今回の事件に関わっている事は確実だった。
「何者なんだ一体……」
「分からねぇ……でも一つ確かなのは、俺達はいつの間にか事件の中心に置かれちまってたって事だな……!」
消えた100億の鍵を握るペンダント。
それを持つ少女、遥。
そして、彼女を狙う東城会の極道達。
その渦中の中心に居る事を自覚した錦山は、より一層気を引き締めた。
今後、自分たちに舞い込むであろう困難に備えて。
時刻は昼の13時。
少しだけ仮眠を取った後、眠ったままの遥をセレナに預けた俺はスターダストへと足を運んでいた。
昨晩あった出来事を一輝に共有する為だ。
「そうですか、そんな事が……」
「あぁ……大変な一日だったぜ」
開店前に押しかけたにも関わらず、一輝は嫌な顔一つせず俺を店に迎え入れてくれた。
「にしても、錦山さんが無事で良かったっす」
水を出してくれたユウヤが安心したようにそう言った。
実際に俺もその通りだと思う。一歩間違えれば俺は今頃この世に居なかったのだから。
「結構、ギリギリだったけどな。それより一輝、昨日は報酬ありがとな。おかげで情報も比較的すぐに手に入ったぜ」
「いえ、あれは錦山さんの実力に対する正当な報酬ですよ。もしもあの時錦山さんがいなければ、鮎美さんはきっと満足していなかったでしょうから」
一輝の言葉を聞き、俺はふと思い出す。
付け焼き刃で挑んだ銀座の女王との初接客。
ボロボロにされると思っていた俺の予測は大きく外れ、結果は大成功。300万のシャンパンも開けてもらい、売上は過去最大を記録したという。
「出来る事なら、また錦山さんには"アキラ"としてお店に立って頂きたいんですが……」
そこで一輝は言葉を切ると、俺の左手と顔に交互に視線を向けた。
いずれも、昨日の戦いの痕がハッキリと残っている箇所だ。
「ははっ……まぁ、そういう事だ。悪いが、しばらくは欠勤させてくれや」
一輝は黙って頷いた。
お客さんからしても、こんなにもボロボロの奴に接客されたら楽しむどころじゃないのは明白だ。
「そういえば錦山さん、いつもの一張羅はどうされたんです?」
ふと、ユウヤが俺の服装について尋ねて来た。
今の俺の装いは、三代目の葬儀会場で着ていた黒のスーツと白Yシャツ姿。
普段の服装とは明らかに違う。
「あぁ。昨日の闘いで台無しになっちまったよ。ったく、あのジャケットお気に入りだったんだけどなぁ」
真島との戦いの中で俺の着ていた白いジャケットは切り傷と血痕により損壊し、失われてしまった。
流石にあんなボロボロの有様で街を歩く訳にも行かないので、仕方ないといえば仕方ないのだが。
「そうだったんですか……」
「あぁ。今は一輝達のくれたコイツが普段着よ」
礼服感を出さないためにネクタイはせず、ボタンも開けて着崩したその格好はいつも以上にヤクザっぽい気もする。目をつけられない事を祈るばかりだ。
「そんな訳で、今の神室町はかなりヤバい事になってる。お前らも、用心しといてくれよな」
「分かりました。こちらでも引き続き、美月さんの行方が分かったら連絡します。錦山さんもどうかお気をつけて」
「おう」
俺はユウヤから貰った水を一息に飲み干し、席を立った。
「ユウヤも。水、ありがとな」
「いえいえ、これくらい何時でもお出ししますよ。またいらしてください」
「あぁ、またな」
ユウヤに軽く礼を言ってから、俺はスターダストを出た。
ふと、何気なく空を見上げる。
天気は雲ひとつ無い晴天だが、神室町の空は非常に狭い。
数多あるビル群が広いはずの青空を窮屈なものにしていた。
(さて、約束の時間にはまだ余裕があるな)
俺は今朝、柄本先生に手渡された海藤からの手紙の事を思い出した。
アイツは俺に今夜、喫茶アルプスを訪れる事を手紙で要求して来たのだ。文面から察するに、俺に用があるのは海藤のいる松金組の兄貴分 。
下手すりゃ若頭クラスの幹部が出てくる事が予想される。
(罠、だろうな……)
海藤達は俺が神室町に訪れた直後から俺に襲いかかってきた連中だ。
東が言うには"痛めつけて連れて来い"って命令をされていたらしい。
あのタイミングで俺の身柄を拘束しようとするのは、俺が出所する前から俺に恨みのある連中の仕業だろう。
つまり俺に話があるという海藤の兄貴分は、任侠堂島一家の息がかかっている可能性が非常に高い。
(だが……行くしかねぇ)
図らずも俺は海藤に命を救われた。
それにあの時海藤達が居なかったら、遥の身も危なかっただろう。
今の海藤は俺にとって、恩人に他ならない。
そんな恩人からの呼び出しに対して出向かないのは、あまりにも不義理というもの。
たとえ罠だと分かっていたとしても、俺は彼に対して義理を立てなければならないのだ。
(そうだな……なら今は、来るべき戦いに備えるとするか)
俺は今の時間を準備期間だと定義した。
自分が優位に経つために必要な時間だ。
(さて、何から始めるか……)
街を歩きながら俺はふと思った。
そういえば出所してからというもの、セレナ以外でまともな食事を摂っていない。
(何処かで腹ごしらえでもするか……?)
ここは一つ、自分の放免祝いとして何か精のつくものを食べたりするのも良いだろう。腹が減ってはなんとやらだ。
俺は飲食店が立ち並ぶ中道通りの方面へと向かいながら、手持ちの金を確認するためにポケットから財布を取り出す。
(痛っ……ちっ)
直後、真島にやられた左手が痛みを発した。
縫合されているとはいえその傷は未だ致命的で、鎮痛剤を飲んでいても痛みは一向に消えない。
軽く何かをつまんだり、掴んだりは出来るかもしれないが、とても拳を握るのは不可能に思えた。
(これじゃまともに闘うのも難しそうだな……)
今の状態でヤクザ共に追い込みをかけられたら、まともな抵抗など出来ないだろう。
何処かで護身用の武器を手に入れられそうな場所を探した方が良いかもしれない。
そう考えた俺は中道通りを突っ切ってピンク通りの方へと向かう。この辺りは入り組んだ地形をしていて人目に付きにくい。
目立たないようにするにはうってつけだ。
(そうなると情報も欲しいな。今の俺は、いつ狙われるか分かったもんじゃねぇ……)
嶋野組に、任侠堂島一家。そして今夜罠にはめようとしてくるであろう松金組。
東城会のヤクザだけでも既に三つの組織を敵に回している上に、一昨日はミレニアムタワーで近江連合の人間にも襲われた。
更にその前には関東桐生会と敵対している中国マフィアである蛇華を相手に啖呵を切ってしまっている。
標的にされている以上、どこの組織でどんな動きがあるかは把握しておいた方がいいだろう。
(ん?ちょっと待てよ?)
そこで俺はある事に気付く。
今、俺が実行しようとするタスクは三つ。
食事を摂る、武器を手に入れる、情報を集める。
これら全てをこなすとなった時に、一度に済ませそうな場所が一つだけある事に。
「あのぅ……錦山さん、ですか?」
「あ?」
その時、ふと背後から自分の名前を呼ばれた。
すぐさま振り向くと、そこには見たことの無い髭面の男が立っていた。
格好からしてホームレスのようだが、コイツは初対面であるはずの俺の名前を呼んだのだ。
「……何者だ?アンタ」
この街において、初対面であるにも関わらず俺の事を知っている人間は二つに一つ。
一つは俺を狙っている組織の人間、またはその息のかかった連中。
「あたし、河原のもんでモグサって言います。今、花屋さんの所で働かせて貰ってます」
そしてもう一つは、伝説の情報屋である"サイの花屋"の手下だ。どうやら、今回は後者であったらしい。
「そうか……」
俺は警戒を解いた。多数の組織から命を狙われてる以上、相手が誰か分かるまでは油断する訳には行かない。ホームレスに偽装したヒットマンの可能性だってあるからだ。
「旦那、ちょいとボスの所に顔を出してやって貰えませんかね?どうもボスの身内にトラブルらしいんです。ボス、そのせいかずっと機嫌が悪くて……」
「身内?花屋には家族がいんのか」
「えぇ。大昔に別れたのがね」
少し意外だったが、冷静に考えればありえない話じゃない。
伊達さんの話によれば、花屋はかつては警官だったと言う。警察の情報を横流しした事で伊達さんに告発され、職を追われたそうだ。
となれば、家族が別れを告げて出ていったのにも頷ける。
人に歴史あり、といった所だろうか。
「その息子ってのがこの街の不良でして。もっとも、向こうはボスの顔さえ知らねぇんですが……」
「なるほどな……」
「あたしらには何も言っちゃくれやせん。ですが、ボスは旦那の事をえらく気に入ってるみたいですから。旦那が言えば何か変わるかもと思いやして……」
俺はモグサの頼みを聞き入れる事にした。
「あぁ、分かった。顔、出させてもらうよ」
「すみませんね旦那。よろしく頼んます」
頭を下げるモグサに別れを告げ、早速西公園へと向かう。
モグサの話は、俺にとって渡りに船だった。
何故なら俺が先程思い付いた三つのタスクを一息にこなせそうな場所が、その花屋が居る賽の河原だったからだ。
(ホント、良いタイミングだったぜ。)
あそこの地下街は表沙汰にできないような娯楽施設の宝庫。
当然、飲食が出来る所の一つや二つ無くては話にならない。更に言えば、あの空間は上界と完全に隔絶された空間だ。人目に触れられない取引をするのであればこれ以上無いほどの場所と言える。
護身用の武器などを取り扱っている売人がいるのは容易に推測出来た。
そして何より情報だ。伝説の情報屋である花屋に調べられない事は無い。各勢力の動きを知るのであればこれ以上の情報源は無いだろう。
(それに、花屋の息子ってのがどんな奴かも気になるしな)
モグサの話では不良をやっているらしいが、この街では大して珍しくも無い。
無いとは思うが、もしも仔犬をいじめるような外道であれば灸を据えるのも視野に入れる必要があるだろう。
「っと、着いたな」
歩を進めること数分。
程なくして西公園にたどり着いた俺は、公衆便所の奥の個室を抜けて敷地内へと足を踏み入れる。
そしてそのまま最奥の地下鉄の駅へと向かっていると、一人の老人が声を掛けてきた。
「そこのお主!」
「ん?」
そのあまりにも古風な喋り方に内心で少し驚く。
しかし、その老人を見てその違和感は更に強くなった。
(なんだ、この爺さん?)
歳の頃合は70前後。後で結った白髪と長く伸びた髭が特徴的で、上半身には道着のような衣服を着用し、下半身には作業着と黄色の長靴を履いている。
首からは汗ふき用のタオルをぶら下げて、両手には全ての指に穴の空いた指出し手袋という、なんとも珍妙な格好をしていた。
そんな老人に対して俺が抱いた第一印象は"胡散臭い"の一言だった。
「爺さん、俺に何か用か?」
「左様!お主の闘技場での活躍、しかと見届けたぞ!まさかお主があのゲイリーを倒せるとは思わなんだ。感服したぞい!」
興奮気味に話す老人の言葉に、俺は覚えがあった。
昨日の夜、情報を手に入れる為の代償として、俺は賽の河原にある地下闘技場で三年間無敗とされていたゲイリー・バスター・ホームズと拳を交えたのだ。
かなりの苦戦を強いられたものの、どうにか勝ちを手にした俺は花屋から情報を手に入れる事が出来たのだ。
「あぁ……あの試合、爺さんも見てたのか」
「フフフ……"喧嘩殺法"等と謳われておったが、中々武の理にかなった戦い方じゃった」
「武の理?冗談はよしてくれ。ありゃ正しく喧嘩殺法だよ。褒められるようなもんじゃねぇ」
俺は老人の言葉を否定した。
今振り返ってみても、俺にとってはギリギリの闘いだった。
何せゲイリーと俺とではそもそも骨格の作りが違うのだ。となれば、当然身に付けた筋肉の量や質も全く違ってくる。
その巨躯が宿すパワーはあの嶋野にすら勝るとも劣らない凄まじいもので、そのくせ放たれる拳は鉛のような重さと弾丸のようなキレを併せ持っていた。
そんな化け物とやり合う以上、こっちも手段など選んでは居られない。
口に含んだ血をゲイリーの顔に向かって吹き付けて目潰しをし、その上でパンチや膝蹴りの連続を浴びせるあの戦い方は、決して礼で始まり礼で終わるような武道のやり方とは言えないものだ。
しかし、そんな俺に対し老人は首を振った。
「そんなに己を卑下するでない。古来における
「そういうもんか?」
「左様。それに、ワシが言っておるのはそこではない。ゲイリーにトドメを刺した時の場面じゃ」
「なに?」
疑問符を浮かべる俺に対し、老人はこう指摘した。
「ゲイリーの放ったタックルを受けた時のお主の構え……格闘空手の流れを組んだ見事な四股立ちじゃった。呼吸による脱力も心得ておる。あれを武の理と言わずしてなんと言う」
「!」
その言葉に俺は息を飲んだ。
この老人が言っているのは、戦いの終盤で俺が咄嗟に行った腰を低く落とした構えの事だ。
柏木さんに教えこまれた構えの一つで、力士が行う構えに似ている事から四股立ちと呼ばれている。
目の前の老人はそれを見破ったどころか、俺の動きから柏木さんの修めていた空手の流派すらも言い当てて見せたのだ。
「しかし、まだまだ荒削りじゃ。"武の心"に至っては全く理解しておらん。惜しい……あまりにも惜しい…………」
「……爺さん、アンタ只者じゃねぇな?何者だ?」
「おっと、これは失礼した。まだ名乗っておらんかったわい」
そこで老人は咳払いをし、自分の名前を名乗った。
「ワシは名を、古牧宗太郎と申す。かの戦国時代から続く古流武術……"古牧流"の現当主じゃ!」
古牧と名乗ったその老人の口にした流派に俺は聞き覚えが無かった。
「古牧流……?聞いた事ねぇな」
「当然じゃ。ワシの伝承した古牧流はルールによって定められた武道や格闘技とは訳が違う。あらゆる相手を素手で制し、命のやり取りすらも視野に入れた"武術"なのじゃからの。普通に生きておればまず耳にすることは無いじゃろうからな」
「ほう……それで、そんな武術の達人が俺に何の用だ?」
古牧の言っている事には信憑性があった。おそらくは本当に古武術の達人なのだろう。
そんな人物がわざわざ俺に声を掛けて来るからには、単純に俺の闘いを賞賛しに来た訳では決してない。
何か理由があるのは明白だ。
「うむ……ちと唐突な提案なんじゃが」
「なんだ?」
そこで古牧は俺にこんな提案をして来た。
「お主、ワシの弟子にならんか?場合によっては今の100倍は強くなれるぞ?」
「なに……?」
それは弟子入り。
つまりは古牧流の門下生となり、修行をしてみないか?という勧誘だった。
(どうする……?)
話によれば古牧流は戦国時代から続く古武術の流派。
それが今なお受け継がれているという事はつまり、日本人が刀を携えて命のやり取りをしている時代で侍たちに引けを取らなかったという事に他ならない。
(はっ、面白ぇじゃねぇか……!)
俺の動きから柏木さんの流派を見出した程の洞察力と観察眼は紛れもなく本物だ。
そんな武の達人から直々に稽古を付けて貰える事など、滅多にあるものじゃない。
この機会を逃す手は無いだろう。
「100倍とは大きく出たな…………分かった、弟子入りさせてくれ」
「おお、そうか!ではこれからは古牧の弟子を名乗るが良い!」
古牧の爺さんが嬉しそうに声を上げた。
おそらく今までもこうやって見込みのある人間に声はかけてきたのだろう。
だが、俺が最初そうであったように古牧の爺さんの見た目にはかなりの胡散臭さがある。
避けられるのは仕方が無い事と言えるだろう。
「しかし、まともに弟子を取るのは30年ぶりじゃ。何から教えたら良いかの……」
「おいおい、そりゃマジかよ」
弟子入りして早々、不安になる言葉を呟く古牧。
今までどれだけの人間に避けられて来たかがよく分かる。
「よし、決めた!手始めにお主には護身の術を教えるぞ!」
「護身術?」
護身術はその名の通り、身を守る為の術だ。
武道としても有名な合気道や、警察組織の人間が使う逮捕術などがそれに該当する。
「左様。お主のその体躯や顔付き……とても平穏な生活など送ってはおるまい。大方、神室町で腕に覚えのある連中と命のやり取りをしているのではないか?」
「っ……」
見事に言い当てられた俺は内心で動揺したが、同時にそのあまりの洞察力に舌を巻いた。
この爺さんは本物だ。
それを改めて認識した俺の期待は否応なしに高まって行く。
「流石だな爺さん。その通りだ」
「先程も言った通り、お主は30年ぶりの弟子じゃ。そんな男をみすみす死なせる訳には行かぬ。ここに通って貰うからには生きてもらわねばのう」
「まぁ、強くなれるなら俺としても断る理由はねぇ。ありがたく教わるとするぜ」
「うむ!では早速始めようかのぅ!」
こうして俺は、花屋の所へ行く前に少しだけ寄り道をしていく事になる。
だが、この時。
もしもこの爺さんの誘いに乗っていなければ。
俺は、確実に命を落としていただろう。
そして、それを今日の内に実感する事をこの時の俺はまだ知らない。
と言うわけで、シリーズ恒例の師匠。古牧宗太郎が初登場でした。
桐生ちゃんを超えるにはこの人の力が必要不可欠です。
頑張れ錦山!
次回はいよいよあの名台詞が飛び出します!
お楽しみに