いよいよ顔が変わったり女みてぇな声にコーフンするあの人が登場です!
どうぞ!
交渉
2005年12月8日。時刻は20時。
神室町、中道通り。
大きなアーケードが特徴的な天下一通りと並ぶ、神室町における第二の玄関口。
日本全国で有名な雑貨屋を始め、数多くの飲食店などが立ち並ぶ神室町でも有数の商店街だ。
そんな中道通りの中にあって、20年前から変わらぬ姿で客を迎える喫茶店があった。
喫茶アルプス。
素朴かつ多彩なメニューと丁寧な接客によるおもてなしの心で客の心を掴み、住人達の憩いの場としての地位を確立した老舗だ。
「ふぅ……」
今、その店の前に二人の男が立っていた。
暗色系の柄シャツを着た大柄な男がタバコをくわえ、地味なジャケットを着て眼鏡をかけた細身の男がそれに火を付ける。
彼らは真っ当なカタギの人間では無い。
東城会直系風間組内松金組に所属するれっきとしたヤクザだ。
「今、何時だ?東」
「えっと……ちょうど八時です、兄貴」
大柄の男"海藤正治"が煙草を吸いながら時間を聞き、それに対して細身の男"東 徹"が即座に答える。
「そうか……もうそろそろ夜って言ってもいい頃合いだな」
「ですね」
二人はここで、ある人物を待っていた。
海藤が組からの命令で呼び出したその人物は、海藤が言うにはもうすぐここへ姿を現すらしい。
「……ねぇ、兄貴?」
「あ?」
「錦山さん、本当に来るんですかね?」
不安そうにそう提言する東に対し、海藤は呆れながら言った。
その質問を海藤は今日だけで三度耳にしているからだ。
「あのなぁ、東。カシラや他の連中も言ってたが、俺が来るって言ってんだから来るんだよ!それとも俺の言うことが信用出来ねぇってのか?あぁ!?」
「ひぃ!そ、そんな事無いっすよ!」
「だったら、黙って待ってりゃ良いんだよ!」
そう言って東の頭を軽く叩いて、再び煙草を吸う。
(そうさ、アイツは来る。俺には分かるんだ)
海藤はほぼ確信していた。
彼が待っている待ち人である錦山という男は、己の内側に確かな義理人情を秘めている。
海藤は、そんな人間が無視出来ないような置き手紙を彼の目に届く所に残しておいたのだ。
時間帯と場所も指定してある。海藤にとっては、これで来ない方がおかしいのだ。
「あの……兄貴?」
「なんだよ東ィ……まだ文句あんのか?」
「い、いえ、文句って言うかその…………兄貴がそこまで確信してる理由って、例の置き手紙があるからですよね?」
海藤が置き手紙を用意した時、東もその場に居た。
故に彼は、海藤が確信している理由にも納得は出来る。
ただ、東にはどうも引っかかる事があった。
「だから、そうだっつってんだろ?」
「兄貴、俺 思うんです。あの手紙、確かに錦山さんが兄貴の思ってる通りの人なら無視は出来ません」
「だろう?」
「ですが錦山さんは今、こっちに来れる状態なんでしょうか?」
「……………………」
東が言っているのは、最後に会った錦山の状態についてだった。
彼らが錦山と最後に会ったのは、吉田バッティングセンター。
血まみれで倒れている錦山を、通りがかった海藤達が救出して街医者のところまで連れていったのだ。
その時の錦山は全身に打撲と裂傷があり、特に左手は刃物で突き刺されて貫通していた。
まともな人間であれば最低でも一週間は身動きが取れないのは明白だった。
「錦山さんがどういう人間かと言うよりも、今どんな状態かの方が重要な気がするんですよね。もしもまだ目を覚ましていない状態だったら、来たくても来れないと思いますし……」
「………………東」
それを聞いた海藤は東の胸ぐらを掴みあげると、顔の間近で吼えた。
「お前この野郎!そんな大事な事をなんでもっと早く言わねぇんだ!!」
「だ、だって……兄貴が大丈夫だって言って聞かなかったんじゃないですかぁ!」
海藤正治、25歳。
ケジメを迫られる可能性が浮上して狼狽し始めた。
「おいこれどうすんだよ?カシラには今日の夜、確実に会わせられますって言っちまってんだぞ!?」
「そ、そんな事言ったって……!」
海藤としても今更後には引けない。
既に組の兄貴分達には話を通してしまっているのだ。
もしこれで"やっぱりダメでした"等という事になれば、絶対にタダでは済まない。
海藤の小指は確実に飛ぶ事になるだろう。
「クソっ、こうしちゃいられねぇ!」
錦山には申し訳ないが、是が非でもここに来てもらう。
それ以外、海藤が助かる道は無い。
「東!お前は柄本医院に行って錦山の野郎を連れて来い!」
「で、ですが兄貴!もしもまだ目覚めて無かったらどうするんですか!?」
「知るかそんなもん!担ぐなり引き摺るなりして連れて来るんだよ!」
「そんなぁ!」
松金組の二人の若衆がアルプスの前で揉め始めた時、一人の男が姿を現した。
「よう!俺がなんだって?」
「「!?」」
現れたのは着崩した黒スーツと胸元を開けた白いYシャツ姿の男。
黒の長髪をたなびかせて現れた彼こそ、二人が待っていた人物。
「錦山!」
「錦山さん!」
元東城会直系堂島組若衆。錦山彰だった。
「待たせたな海藤。それと東」
「アンタ……怪我は大丈夫なのか?」
(兄貴、さっきまで考慮してなかった癖に……)
東は内心で悪態を付くが、決して表には出さない。
引っぱたかれるのは誰だって嫌なのだ。
「あぁ、流石にまだ痛むがな」
そう言って錦山は包帯の巻かれた左手を二人に見せる。
止血と縫合こそしてあるが、僅かでも力を込めれば痛みが走る状態だ。拳を握るのは絶望的と言えるだろう。
「だが俺も元はお前らと同じ渡世の道に居た男だ。あんな熱烈なラブレターを貰っちまった以上、おちおち寝てもいられねぇんでな」
「フッ……そうかよ」
口角を釣り上げて不敵な笑みを浮かべる錦山。
そのキザな物言いにつられてしまう海藤。
二人だけで良い雰囲気を作られる中、東としては突っ込みたい所があるのをグッと抑えた。
(はぁ、ヤクザの下っ端って何処もこうなのかなぁ)
東徹。19歳。
彼は今、この道に入った事を少しだけ後悔していた。
伊達さん達と別れてしばらくした後。
俺は海藤達が待っているであろう喫茶アルプスに向かった。
彼らは俺がちゃんと来た事にほっとしていたようだ。
後から聞いた話だが、海藤達の方じゃ俺が今日の夜に確実に来るって事で話が纏まって居たらしい。
もしも俺の怪我が悪化して来れていなければケジメを迫られていたかもしれないとの事だった。
(まぁ、ヤクザってのはそういうもんだよな)
それはさておき。
いよいよ海藤達が会わせたがっていた松金組の幹部とご対面だ。
どんな事があったとしても覚悟は決めておくべきだろう。
「錦山さん、どうぞ」
「あぁ」
俺は東に言われるがままに喫茶アルプスへと足を踏み入れる。
かつては俺も度々利用していたそこは、昔と変わらぬ姿で俺を迎え入れてくれた。
「こちらです」
東の案内に従って奥の席へと足を運ぶ。
そこには既に一人の男が座っていた。
「カシラ、お連れしました」
「おう、ご苦労だったな。お前はもう帰っていいぞ、海藤にもそう伝えとけ」
「へい」
東はその男に頭を下げると、踵を返して店を出ていった。
「やっと会えたなぁ……錦山さん」
「アンタが、海藤達の兄貴分か?」
白いスーツを身に纏ったオールバックのその男は、椅子から立ち上がると両膝に手を置いて頭を下げた。
「お初にお目にかかります。自分、松金組で若頭やらせてもらってる羽村京平ってもんです」
東城会直系風間組内松金組若頭。羽村京平。
それが、目の前の男の肩書きだった。
「アンタ、俺に会いたがってたんだってな?一体何の用だ?」
「まぁ、その辺りも一緒に話させてもらうんで……どうぞおかけください」
「……」
この男の狙いを探る必要がある。
そう考えた俺は警戒を解かずに羽村の対面に腰掛けた。
「錦山さん、まずはお詫びをさせてもらいてぇ」
「お詫び?」
「あぁ。出所直後の貴方にウチの若衆をけしかけた事、誠に申し訳無かった」
そう言って羽村は頭を下げた。
正直今となっては海藤達とは上手くやっていけそうなので気にしちゃ居ないのだが、目的くらいは聞いておいた方がいいだろう。
「理由を聞かせて貰えるか?」
「……錦山さんもご存知の事と思うが、元々ウチは堂島組の系列でよ。10年前、アンタが堂島の親分さんを殺ってからというものの、組は二つに分裂した」
その事は俺も親っさんからの話で把握している。
若頭だった風間の親っさんを慕ってその傘下に着いた組織と、その親っさんが拾った俺が犯した親殺しという大罪を許せず離反した組織。
その離反した組織が今の任侠堂島一家だ。
「俺らの親父は大の風間派でな。風間組の傘下になる事に躊躇は無かった。だが当然、それをよく思わない連中も居る」
「……それで?」
「その影響からかは知らねぇが風間の傘下に入ってからというもの、任侠堂島一家の連中がウチのシマにちょっかいをかけてくる事が多くなってな。店で暴れたり騒ぎを起こしたりしてくれたおかげで評判はガタ落ち。いつしかこっちのみかじめにまで影響が出るようになっちまった」
吐き捨てるように言う羽村。
本来はそのような事が起きた時の用心棒として羽村達ヤクザがいる訳だが、コイツらとしても相手が任侠堂島一家の連中となれば下手に騒ぎを起こせなかったのだろう。
「風間の親っさんには相談しなかったのか?」
「もちろん、うちの親父は何度も嘆願したさ。風間の親父は勿論、任侠堂島一家にもな。だが、当時任侠堂島一家を仕切ってたのは亡くなった堂島親分の嫁。弥生姐さんだったんだよ」
「弥生姐さんが……」
堂島弥生。
今は亡き堂島組長の妻にして、かつては堂島組の執行部にも所属していた女傑だ。
あの風間の親っさんでさえ表立って盾突く事は出来なかったと聞いた事がある。
「松金組は所詮"枝"の組だ。二次団体の幹部である任侠堂島一家相手じゃ分が悪い。かと言って俺らの親団体である風間組は弥生姐さん率いる任侠堂島一家に対して下手に出る事は無いにしても、堂々と格上を名乗る事も出来ねぇ。結局、俺達松金組は風間組と任侠堂島一家の板挟みになってその割を喰らい続けていた」
「……」
羽村の口から語られたのは、俺が服役してからの堂島組の内情そのものだった。
そして、松金組はそれに巻き込まれてしまった形になる。
哀れな話だが、決して他人事では無い。
コイツらからしてみれば、十年前に親殺しをした俺のせいでそんな目に遭ったのだから。
「だがそんな時、アンタがもうすぐ出所するって話が噂で上がってな。それまでちょっかいかけ続けてた任侠堂島一家の連中がパタッとそれを止めて、俺らに提案してきたのさ」
「なんて提案されたんだ?」
「錦山彰……つまりアンタを生け捕りにしろってな。それさえやれば松金組には手出ししないし、報酬も支払うって話だった」
出所直後、俺がセレナ裏で海藤達に襲われたのはそれが理由だったようだ。
長年俺のせいで辛酸を舐めさせられた松金組の連中に、やたらと勢いがあったのも頷ける。
「それで俺を襲ったって訳か」
「あぁ。任侠堂島一家の締め付けでシノギが細くなっていく松金組を立て直すには、やるしか無かったんだ」
「そうか……」
「それでよ、錦山さん。ここからが本題なんだが」
羽村が話を切り替えたタイミングで、俺は警戒度を上げた。
想定通りだ。
三次団体とはいえ、羽村はヤクザの若頭。
詫び入れや事情を話す為だけにこの場を用意する筈が無い。
「俺と取引をしないか?」
「取引?何の?」
羽村は俺に交渉を持ちかけてきたらしい。
詳細を聞いた俺に対し、羽村はこう回答した。
「アンタが連れてるガキ……澤村遥。そいつをこっちに渡して欲しい」
「……!」
俺は表情筋に力を入れて堪えた。
この手の取引は勿論そうだが、こういう交渉の場において隙を見せるのはタブーとされている。
「勿論、タダでとは言わねぇ」
羽村はそう言うと、机の上に鈍色のアタッシュケースを置いた。
羽村はゆっくりとロックを外し、中を開けてみせる。
「……随分羽振りが良いんだな」
その中にあったのは、金。
1万円の札束がギッシリと敷き詰められている。
ケースの大きさから察するに、およそ一億円程だろうか。
「錦山さん、コイツは前金だ。実際に俺にガキを引き渡してくれりゃ、更に一億支払おう」
「ほう、随分な入れ込み具合じゃねぇか?お前ロリコンか何かか?」
「へっ、そんなんじゃねぇ。今の松金組にとって二億って金は大金だ。いわばこれは、組の存亡を賭けた大博打よ。あのガキにはそれだけの価値があるんだ」
どこから噂を聞き付けたか、要するにこの羽村も100億を狙う連中の一味という事だろう。
本当に100億が手に入るのなら、1億や2億などは先行投資として割り切れる。
実に分かりやすい話だ。
「羽村さん、だったか?アンタ、随分と持ってる情報が古いみたいだな」
「なんだって?」
「俺が遥と行動を共にしていて、あの子に付けられた価値に気付いてねぇとでも思ってんのか?」
俺が100億を目当てに遥と一緒に居るのであれば、たかが2億程度で身柄を渡す筈がない。
もっとも、そうでなかったとしても渡す気は更々無いのだが。
「フッ……そうか。なるほど、確かにそうだ。だったらよ錦山さん、こういう話はどうだ?」
そこで羽村は更なる交渉材料を俺に提示してきた。
「約束の金はガキがこっちの手元に入った時点で問題なく支払おう。同時に……錦山さん。アンタを松金組の幹部として迎え入れようじゃねぇか」
「なに……!?」
それはスカウト。
二度と戻れないと思っていた東城会復帰へのチャンスだった。
だが、それを行うには致命的な欠陥が残ってる。
「羽村さん、アンタ自分の言っている事が分かってんのか?」
「なに?」
「俺は"親殺し"だ。任侠堂島一家はもちろん、お前らの親組織である風間組だって、元は堂島組の系列。そんな俺が松金組の盃を受けて復帰だなんて、周りが黙ってる訳ねぇだろ」
これは風間の親っさんが言っていた事だ。
堂島組を主体としている風間組で出所後の俺を受け入れる事は出来ない。
故に桐生は直系昇格を目差していたのだから。
それに、仮に風間組の許可が降りたとしても、任侠堂島一家からマトにされるのは目に見えてる。
所帯の小さい松金組では抵抗も出来ずに潰されるのが関の山だ。
「はっ、その心配は要らねぇさ。なにせ100億を取り戻した奴が次の跡目なんだ。ガキと引き換えに100億を取り戻した時点で、松金組は風間組から独立して直系昇格する。そうなりゃ任侠堂島一家の連中も手出しは出来ねぇ。アンタも俺も万々歳って訳だ」
羽村は金を取り戻した手柄を持って風間組から独立し、そのまま松金の親分を跡目にするつもりなのだろう。
そうすれば自分は松金組の次期組長兼東城会本家の若頭だ。
三次団体の枝から、幹部を通り越して一気に天下取り。
成り上がりを夢見る極道としちゃまたと無いチャンス。
どうやら羽村は、中々に悪知恵の働く男らしい。
「どうだ錦山さん?悪い話じゃねぇだろう?」
「……」
確かに羽村の提案は俺の立場からすれば願ってもない提案だ。
破門で済んだとは言え東城会中のヤクザ達から目の敵にされている俺が松金組の構成員に。それも、未来の直系団体の幹部になれるのだ。
一大組織だった堂島組とは言えただの若衆でしか無かった俺にとってこの提案は、立身出世の大チャンスと言っても過言では無い。普通に考えれば真っ先に飛び付くだろう。
「羽村さんよ。確かにアンタの提案は悪い話じゃねぇ。」
「おう、そうだろう?」
「だがな、俺はもう遥と約束しちまってんのさ。あの子の母親探しを手伝うってな」
だが、その提案はあくまで"俺の立場"にとって最良の選択肢なだけで、俺の感情や考えに基づいたものでは無い。
その時点で、この交渉は最初から決裂していたのだ。
「お前らは知る由も無いだろうがな。あの子は自分の母親に会いたいって一心で、たった一人でこの街まで来たんだ。10歳にも満たない女の子がだ」
「…………」
「そんな子をヤクザのゴタゴタに巻き込むのは、お前らの組長が大事にしてる筈の"任侠道"において、恥ずべき事なんじゃないのか?」
松金の親分には何度か顔を合わせたことがある。
かつてはあの柏木さんと組んで大暴れしてたって言う逸話もあるがあの風間の親っさんの子分だけあって、義理人情に重きを置いた昔気質の極道だ。
そんな人がこんな計画を思い付く筈もない。
ましてやそれを命じる事など有り得ないのだ。
つまりこの一件は、羽村の独断で行われている事になる。
(まぁ、こんだけ悪知恵が働けば当然か)
俺の見立てではこの羽村という男。
ヤクザとしては中々に優秀な人間だ。
そこは正直、素直に評価したい。
「カタギの事も考慮しねぇ、組長にも話を通してねぇ。アンタが独断で進めてるだけの大博打。そんなお先真っ暗な泥船は願い下げだね」
「そうか……なら、交渉決裂って訳か?」
確認を取ってくる羽村。
その顔にはコケにされたことに対する怒りが浮かんでいる。
「そんなに怖い顔すんなよ。この状況だって、アンタの中じゃ想定の範囲内だったんだろ?」
「あ?何の話だ?」
惚けているのか、それとも把握していないだけか。
いずれにせよ話が進まないので、俺は羽村の張った罠を指摘した。
「アンタとグルだよな?この店の人間、全員よ」
「!!」
意表をつかれた羽村が僅かに目を見開く。
その顔にはこう書いてあった。
"何故分かった"と。
「さっき、アンタがこの金をテーブルの上に出した時、確信したのさ。客の動きが不自然過ぎるんでな」
俺が店内に入ってからというもの、羽村の座るテーブルには店員を含む全員が一切誰もが目を向けようとしなかった。
そこまでは普通だ。誰だってヤクザなんかとは関わり合いになりたくないだろう。
下手に視線を向けて因縁を付けられればたまったもんじゃない。
「どういうことだ?」
「俺たちに目線を合わせないのは別に不思議な事じゃない。だがな、いくらなんでも"合わせ無さすぎ"なのさ」
そう。彼らは不自然なまでにこちらへ関心を向けない。
現金一億円の入ったアタッシュケースが目の前にあったとしても、だ。
「確かにヤクザ者には関わりたくないのが普通だろう。だが、目の前に一億の現金が現れれば誰だってビビるもんさ。ここの客にはそれが全くない」
「…………」
「まぁ百歩譲ってそれは良いとしよう。店員はどうだ?ろくにコソコソもせず、ヤクザが堂々と現金一億円を見せびらかしてるんだぜ?ヤバい取引か何かだと思って警察を呼ぶのが普通だ。だがここの店員はそんな素振りも見せないし、サイレンは全く聞こえて来ねぇ。それは何故か?」
答えは一つ。
この空間にいる人間は全員、羽村の息がかかっているからだ。
「対した用意周到ぶりだぜ、アンタ。俺が交渉を蹴る事も想定して、こうして逃げ場のない空間を用意したって訳だ。閉鎖された空間と、多勢に無勢。どっちが不利かなんざ言うまでもねぇ事だからな」
「クックック…………はっはっはっは!!」
羽村が突然笑い出す。
その意図は的外れなことを言っている俺への嘲笑か。
それとも図星を突かれたが故の開き直りか。
「なるほど……これが錦山彰か!流石はあの"堂島の龍"の兄弟分だ!一筋縄じゃ行かねぇな」
「フッ……一応、褒め言葉として受け取っておくぜ」
どうやら後者らしい。
「さて……」
羽村がおもむろに煙草を咥えて、ライターに火をつける。
それが合図だった。
「「「「「…………」」」」」
店内にいた客が全員席を立ち、会計もせずに出ていく。
客だけでは無い。店員もだ。
あっという間に店の中には俺と羽村だけが取り残された。
そして、それと入れ替わるようにガラの悪い男達が大勢店内へと足を踏み入れてきた。
いずれも胸に"松金"の代紋を付けている。
「ふぅ……錦山さんよ。アンタがお察しの通りの展開な訳だが……これでも考えは変わらねぇかい?」
煙草を吹かし、ドスを効かせて睨み付けてくる羽村。
並の奴ならこの時点で土下座ものだが、この程度の修羅場は飽きるくらい経験している。
コイツらとは経験してきた"モノ"が違うんだ。
「変わる訳ねぇだろ。出直して来な」
「そうかい……アンタとは上手くやって行けると思ったんだがな。残念だ」
その直後、俺の座る席のすぐ後ろにあった関係者用のドアが勢いよく開いた。
「あ?」
ピンクのスーツを着た恰幅のいいヤクザが現れ、俺の首元に手を伸ばす。
しかし、すんでのところで俺はヤクザの手首を掴んで止めた。
そして、右手に力を込めてヤクザの手首を握り締める。
「ぐ、っ!?」
軋むような音を立てて痛みを発する己の手首に慄いたヤクザが俺の右手を引き剥がそうとするが、俺の手は決して離れることは無い。
ついにはその痛みからヤクザは片膝を着いた。
「な……?」
羽村や松金組の連中はその光景に驚きを隠せないでいた。
どうやらこの男は松金組の中でも、見た目通りの力押し担当だったのだろう。
それがまるで体格の違う俺に圧倒されているとなれば無理も無い。
「どうやら、親分の教育が行き届いてねぇみたいだな……俺が直々に躾してやる」
俺は立ち上がり、ヤクザの手首を離してやった。
「ここじゃ店に迷惑だ。裏、来いよ」
全力の殺気を剥き出しにし、俺は先程開いた関係者用のドアの奥へと入る。
松金組の連中があとに続いているのを足音で確認しつつ、俺は裏口のドアを開いて裏口へと出た。
(いい感じに人目に付かねぇな……羽村の野郎、ここを使う事も想定済みか?)
アルプスの裏路地は四方をビルに囲まれており、逃げ場となるべき道も極端に少なかった。
そんな裏路地に続々と松金組の連中が集まり、逃げ道はあっという間に塞がれてしまった。
元より逃げるつもりなど更々無いのだが。
「さて、いよいよコイツの出番だな」
俺は懐に右手を突っ込むと、モグサから貰い受けた特製スタンバトンを取り出した。
軽く振ってシャフトを出し、ボタンに指を添える。
「さぁ、いつでもいいぜ……?」
静かに構える。
未だに左手は使えないが、コイツがあれば不思議と負ける気はしなかった。
「お前ら、遠慮は要らねぇ!ぶっ殺せ!!」
「「「「「へい!!」」」」」
「どっからでもかかって来い!!」
東城会直系風間組内松金組構成員。
この街を牛耳るヤクザ達との、本日最後の喧嘩が幕を開けた。
如何でしたか?
このオリジナル展開はもう少し続きます。
お付き合い頂けたら幸いです。