これでこの章は終わりになります。
どうぞ。
2005年。12月8日。
アジア最大の歓楽街である神室町の東西を繋ぐ三つの通りの内の一つである七福通りの東側。
そこにひっそりと構えた、一つの事務所がある。
松金興行株式会社と表向きの看板が掲げられたそこは、東城会直系風間組内松金組の事務所である。
神室町では珍しくも無い、ヤクザ達の巣窟だ。
「錦山さん、どうぞ」
俺はそこの事務所の椅子に座り、お茶汲み係である東からお茶を出されていた。
「ありがとよ」
軽く礼を言うと、東は一礼して下がっていく。
まだ歳若いが、動作に無駄が少ない。
なるほど。彼はここのお茶汲み係が本業なのかもしれない。
「すまねぇな、錦山。足運んでもらってよ」
「いえ、大丈夫です」
穏やかに語りかけてくる松金の叔父貴に対し、俺は頭を下げた。
現在、事務所には限られた人間しかいない。
組長である松金と、客人として招かれた俺。
お茶汲み係の東。
そして、松金の傍で正座している海藤と羽村だ。
「早速で悪いんだがよ、これまでの経緯を聞かせちゃくれねぇか?」
「分かりました」
俺はそれに従い、これまでの事を説明する。
出所早々、羽村の命令で海藤達が俺に襲いかかってきた事。
三代目の葬儀で親っさんに会ったが、目の前で何者かに狙撃されてしまった事。
その後関東桐生会で桐生と再会し、美月という写真の女を見つけてくれと頼まれた事。
行動していく中で、桐生の娘である遥と出会った事。
その遥を拉致されて、助けに行った先で真島とやり合って死にかけた事。
そこを海藤に助けられて、その置き手紙に応じてアルプスを訪れた事。
全てをありのままに語った。
「そうか……大変だったんだな、錦山」
「えぇ、まぁ……」
松金の叔父貴は俺の言葉を真摯に受け止めてくれた。
この人は昔から大の風間派で、極道の中では珍しく穏健派と呼ばれる話の分かる人だ。
上手く行けば協力を取り付ける事も出来るかもしれない。
「さて……羽村」
「っ!」
松金の親分が正座している羽村に睨みを効かした。
「錦山は風間の親父の大切な身内だ。そんな錦山を目の敵にした理由……答えてもらうぜ」
「ぐっ……」
羽村が動揺する。
恐らく今、どのように言葉を繕うかを必死に考えているのだろう。
「緊張すんなよ、羽村。アルプスで俺に話した事をそのまま言うだけで良いんだ。簡単だろ?」
「うるせぇ、テメェは黙ってろ……!」
俺の言葉を突っぱねる羽村。
助け舟を出したつもりだったのだが、随分と嫌われたらしい。
まぁ、アレだけこっぴどくやられれば無理もないだろう。
「……任侠堂島一家の連中がウチのシマにちょっかいかけてきてるのは、親父もご存知ですよね?」
「……あぁ」
「今回の話は、その任侠堂島一家から来たものなんです」
その後羽村は、俺がアルプスで聞いた事をほとんどそのまま松金の叔父貴に伝えた。
俺を標的にして生け捕りにする事でシマへの介入を食い止めた上で報酬を貰うという話だ。
しかし、これだけでは事態の説明が付かない。
「だが羽村。アンタの狙いは俺じゃなくて遥の身柄だったよな?それは何故だ?」
「……そのネタは、馴染みの情報屋から仕入れたんだ。東城会の100億が抜かれ、その鍵を握ってるのがアンタの連れてるガキだってな」
消えた100億と遥の存在を知った羽村は、それを取り戻すという功績を手に入れるために俺をアルプスに呼び出して交渉を行ったのだ。
報酬の二億に加え、松金組の幹部に迎え入れるという破格の条件で。
「勝手に組のモンを動かしたばかりか、組の金まで使おうとするとはな……いい加減呆れてくるぜ、羽村。どこまで俺をコケにしやがる気だ?」
「ち、違います親父!俺は……!」
弁明をしようとした羽村の顔面に、松金の叔父貴は容赦なく蹴りを叩き込んだ。
仰向けに倒れた羽村を見下ろしながら叫ぶ。
「うるせェ!これ以上テメェの見苦しい言い訳なんざ聞きたくねぇんだよ!!」
「……!」
そのあまりの気迫に羽村だけでなく隣の海藤も圧されている様子だ。
流石、あの柏木さんと肩を並べて大暴れしていただけの事はある。
「海藤、お前の一件は不問にする」
「親父、良いんですか?」
「あぁ。組に逆らったって意味じゃ褒められた事じゃねぇが……お前はお嬢さんと交わした約束を守り、錦山に助太刀をしてくれた。それで十分だ」
「親父……ありがとうございます!」
海藤が深々と松金の叔父貴に頭を下げる。
俺がどうにかするまでも無く、海藤の処分は無かった事にされた。
「錦山。今回はウチの羽村のせいで、とんだ迷惑をかけちまった。本当に申し訳無い。この通りだ」
「叔父貴……」
「この落とし前、キッチリ付けさせてもらう」
その後、松金は俺に対して頭を下げた。
子の起こした揉め事の責任は、親にある。
それが極道としての掟。
叔父貴はそれに従い、そのケツを拭くつもりでいるようだ。
「立て、羽村」
「は、はい……」
松金の叔父貴は羽村を立たせると、一言命令した。
「盃を出せ」
「!!」
その言葉と同時に、羽村の目が見開かれる。
自分に下されるであろう処罰を理解し、一気に顔が青ざめた。
「お、親父…………」
「羽村京平。本日を持ってお前を」
叔父貴の審判が下される。
その直前。
「ちょっと待った!」
俺はそんな言葉を口走っていた。
「ん?なんだ錦山?」
困惑する松金の叔父貴。
そりゃそうだ。俺に対するケジメとして羽村に処罰を加えようとしていたのに、その相手から待ったをかけられたのだから。
「松金の叔父貴……そいつぁちょっと、待ってくれませんか?」
だが、俺のその言葉は反射的にこぼれた訳でもでまかせという訳でも無い。
俺なりの考えがあって出た言葉だった。
「何を言ってる?なんでお前が止めるんだ?」
「そりゃ……このままじゃ羽村の仁義があまりにも報われないからですよ」
「錦山、お前何を……!?」
俺の行動に、羽村を含む俺以外の全員が困惑している様子だった。
俺はその困惑を払う為に言葉を続ける。
「松金の叔父貴。確かに羽村は叔父貴に独断で行動をした。手下も金も勝手に使って、俺を襲うだけじゃ飽き足らず遥まで食い物にしようとした。俺の立場からすりゃ当然許す事は出来ねぇ」
「あぁそうだ。だからこうして羽村を……」
「でもそれは全て、松金組の為を思っての行動なんですよ」
そう。これまで羽村が起こしてきた行動は決して私腹を肥やす為のものでは無い。
全てが組の為の行動なのだ。
「任侠堂島一家の誘いに乗って俺を襲ったのも、これ以上のシマへの介入を防いで、現状を打破するのが目的のハズです」
羽村から聞いた話では、松金組は直系組織である風間組と任侠堂島一家の板挟みのような関係性になっていたらしい。
関東桐生会の発足により権威の弱まった風間組は、堂島弥生が率いる任侠堂島一家に対してあまり強く出る事が出来なかった。
故に松金組は親組織である風間組からの支援を受けられず、ただ任侠堂島一家のシマへの介入を半ば黙認するしか出来なかったのだ。
羽村としては、組のそんな現状を好転させる為にはどんな事だってやるしか無かったのだろう。
そう考えれば俺を襲わせたのにも納得が行く。
「それにアルプスで交渉を持ちかけられた時……羽村は俺に夢を語ってくれたんです」
「夢だと……?」
「えぇ。親殺しの俺が松金組へ加入する訳には行かないと言った俺に対して、羽村は言ったんです。"100億が手に入ればウチの親父が跡目を取る"って……」
「何!?」
三次団体の弱小組織から、一気に東城会の直系団体へ。
そして松金の叔父貴を本家の跡目に押し上げて、自分は本家の若頭へ。
羽村があの時語ったそれは、紛れもなく極道として抱いた夢だったのだろう。
しかし、それは自分本位な夢ではない。
松金組の昇格。並びに自分の親である松金の叔父貴を担ごうとしているのだ。
「だからこそ、羽村は自信満々に手下も金も持ち出して俺との交渉に臨んだんです。100億を手に入れてしまえば、一億や二億なんて先行投資だと割り切れてしまいますからね」
「羽村……そうなのか?」
「………………」
叔父貴の問いに対して、羽村は俯いたまま黙りこくっている。
その態度からは図星なのかはたまた検討はずれなのか読み取る事は出来ない。
何せここまで語ったのはあくまで俺の想像や推測の話なのだから。
「俺から言うのもなんですが……羽村は優秀で忠実な男だと思います」
「…………」
「まぁ、だからと言って遥に手を出そうとした事を無かった事にする訳じゃありませんが……それでも、叔父貴が今下そうとしているその処罰は、組のために動いた羽村にとってあまりにも酷なのではないでしょうか?」
「錦山、お前…………」
俺は真剣に松金の叔父貴と顔を見合わせた。
ここでこのまま羽村を放って置くのは、あまりにも目覚めが悪い。
羽村に対して同情している訳では無いが、俺の中の"スジ"を通そうとする元極道としての性が黙っていられなかったのだ。
「10年前に渡世の親を殺し、もう極道ですらないような今の俺が叔父貴の組の事に口出しする義理がないのは分かってます。ですが……もしも俺の為にケジメを付けてくれると言うのであれば、どうかそれは待って貰えないでしょうか?」
「………………そうか」
松金の叔父貴はしばらく黙った後、静かにそう答えた。
その後、叔父貴は俺に向き直って問いただす。
「だが、そうなりゃどうケジメつける?このままお咎めなしに穏便に、なんて事になったらかえってウチの顔に泥を塗ることになっちまう」
ケジメの代案。
つまり、羽村を処罰するという付け方以外の方法が必要になってくるという話だ。
そして、この流れになるのを待っていた俺はそれに対してこう提案した。
「それなんですが……叔父貴。俺に協力してくれませんか?」
「協力?」
「えぇ。今回の事件が終わるまでの間、松金組に俺のタニマチを頼みたいんです」
タニマチとは元々相撲の世界の隠語で、贔屓にしてくれる客や、無償でスポンサーを買って出てくれる物好きな連中の事を指す。
芸能人や政治家なんかのタニマチにヤクザが居るなんて事は決して珍しい事じゃない。
「タニマチってぇと……金か?」
「金ももしかしたらお願いする事になるかもしれませんが、今の俺に必要なのは協力してくれる人達です」
もしもここで松金組の協力を得られれば、色んな場面で非常に助かる。
例えば情報収集。
花屋からの情報は正確だが料金が高く、毎度世話になるのは難しい 。であれば松金組の力を借りて人海戦術を用いる事が出来れば遥かに安上がりだ。
もっと言えば今の俺には神室町の中において味方が伊達さんくらいしかいない。
荒事になった時に味方になってくれる勢力が、今の俺には必要だった。
「つまりこれは、同盟です。俺と、松金組の」
「同盟……」
「松金の叔父貴。俺が困った時に力を貸すと、約束して貰えませんか?今回の一件、それで俺は手打ちにしたいんです。お願いします」
俺は松金の叔父貴に頭を下げた。
羽村のやらかしに漬け込む形になってしまったのは申し訳無いが、俺としては良い落とし所だと思う。
「そうか……分かった」
松金の叔父貴はその提案に頷いてくれた。
そのまま羽村に対しての裁定を下す。
「羽村、お前は今後 組を上げて錦山の支援に全力を尽くせ。それで今回の一件は不問にしてやる。いいな?」
「……はい」
羽村は静かに頷いた。
まぁ、この状況では仮に不服だとしても頷く他無いだろう。
俺なりにフォローはしたんだ。納得してもらいたい。
「ありがとうございます、叔父貴。これから、よろしくお願いします」
「あぁ、こっちこそよろしくな」
俺と叔父貴は、固く握手を交わす。
こうして、松金組と俺との間に同盟が結ばれたのだった。
松金組事務所で行われたアルプス襲撃の後始末の後。
羽村は一人、神室町のとある路地裏に訪れていた。
「…………」
羽村以外は誰もいないその場所で、彼はおもむろにタバコに火を付けた。
有害な煙を吐き出しながら、真っ暗になった空を黙って見上げる。
そんな羽村に、背後から声をかける男がいた。
「何を黄昏てんです?……羽村さん」
「……来たか」
振り返った先に立っていたのは、黒いレインコートを着た一人の男だった。
その男は羽村にとっての仕事仲間とも言うべき人物であり、アルプスの裏で錦山に襲いかかった張本人である。
「怪我はどうだ?」
「どうにも痛みが収まらなくてですね。全くしてやられましたよ」
男の声は平坦だった。
平坦すぎて、穏やかにさえ聞こえてくる程に。
「…………何者ですか、あの男は」
しかしそれは、今にも沸騰しそうな怒りを押さえ込んだが故のものだった。
彼はつい数時間前に、己のプライドを著しく傷付けられたのだ。
この街の裏社会で生きていけると信じていた。仕事人としてのプライドを 。
「元東城会直系堂島組若衆。錦山彰だ」
「そんな事を聞いてるんじゃありませんよ。あの強さは一体何なのかって聞いてるんです。今回の依頼を受ける前に聞いた話と大分違うようですが?」
羽村が今回彼に依頼した内容は、交渉が決裂した際の保険。
もしも自分が窮地に立った場合の援護、及び対象の始末にあった。
「あぁ、俺も予想外だったよ。まさか錦山があそこまで強いとは思わなかった」
「羽村さんもご存知無かったのですか?」
「アイツは元々、堂島の龍と呼ばれた桐生一馬の横に引っ付いてただけの腰巾着だったんだ。逮捕される前も、なんの役職もないただのチンピラ。俺も念の為にお前に出張って貰っていた事が無駄になるとばかり思っていたんだが……」
羽村は交渉が決裂した際に三段構えの保険をかけていたのだ。
一つ目は松金組構成員。二つ目は拳銃。
そしてその三つ目として、彼に錦山の殺害を依頼した。
「なるほど……俺はそんなチンピラ相手に不覚を取った訳ですか……」
しかし結果は惨敗。
海藤の裏切りもそうだが、羽村達と錦山との実力差が歴然であった。
その事実に男は悔しさを募らせる。
「なぁ……お前、どうする気だ?」
羽村の問いかけに、男は答える。
「決まっています。あの男は決して逃がさない……何がなんでも追い詰めてこの手で殺してやる」
「そうか……だが、報酬は出せねぇぞ」
「…………何?」
男は羽村の放ったその一言が理解出来なかった。
依頼主であるはずの羽村が、依頼料を出さないと言ってきたのだ。
「……どういう事ですか?」
「今回出張って貰った分に関しちゃ、既に前金を払ってる。だがお前はあの時錦山を殺れなかった。ならその成功報酬は無しだ」
「俺が言ってるのはそこじゃありません。錦山を殺す事そのものに対しての報酬が出ない事です。何故ですか?」
「……事情が変わったんだよ」
そう言いながらタバコを吹かす羽村の顔は、複雑な表情をしていた。
「今回の一件で俺は危うく破門にされる所だった。そこを俺は……事もあろうに錦山に庇われちまったんだ」
「庇う?何故そんな事を?」
「分からねぇ……だが、アイツのおかげで助かったのは事実だ。それに、組を挙げて錦山を支援しろって命令も下ってる」
錦山にコケにされた屈辱は当然ある。
だが同時に、自分の抱えていた組や松金に対する想いを的確に告げられた事にもまた、羽村の心は確かに動いていた。
「だからよ……今の俺は、錦山を殺る訳には行かないんだ。今日お前を呼んだのは、依頼のキャンセルを伝える為だったんだよ」
「…………はぁ。なるほど、そういう事ですか」
羽村のこの行動は、彼なりのケジメという事なのだろう。
そう察した男は、思わずため息をついた。
「以前から羽村さんには良くしてもらってますからね。分かりました、そういう事でしたら報酬は頂きません」
「いいのか?」
「えぇ。ですが…………」
男はフードの下から羽村を睨みつける。
その瞳にはドス黒い野心と反骨心を湛えた禍々しい光が宿っていた。
「俺は錦山を追いかけます。貴方のパートナーとしてでは無く、一個人として。それなら良いでしょう?」
「なっ、何を言ってる?それはダメだ」
「何故です?」
男の発言に羽村は狼狽した。
もしも男が独自に動く事になれば、羽村にとって都合が悪いのだ。
「お前、分かっているのか?錦山は松金組と同盟を結んだんだ。今の錦山に手を出すのは松金組を敵に回すのと同じなんだぞ!?」
「それがなんです?言っちゃ悪いですが、こっちとしては松金組と対立したとしても何の問題は無い。"本業"として真っ向からやり合うだけですから」
説得を試みる羽村だったが、男は聞く耳を持たなかった。
彼の中にあるのは、錦山に対する復讐心のみ。
「邪魔をするなら……たとえ貴方でも容赦はしませんよ?"羽村のカシラ"」
「っ!?」
羽村の全身を悪寒が走り抜ける。
こうなってしまえばもう止められない。
「では、俺はこれで」
踵を返し、夜の街へと消えていく男。
羽村はそんな彼を黙って見送る事しか出来なかった。
「…………くそっ」
これは、神室町における裏社会の一幕。
松金組若頭である羽村京平と、後に神室町で"モグラ"と呼ばれることになる殺し屋とのやり取りであった。
次回は断章を予定しています
お楽しみに