錦が如く   作:1UEさん

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最新話です。

錦山の選択は、これだ。


BREAK OFF

2005年12月10日。

東京郊外にある墓地で、俺は今後の人生を左右するであろう重大な選択を迫られていた。

 

「錦…………」

 

俺の隣にいるのは関東桐生会初代会長。桐生一馬。

ガキの頃から共に過ごして来た無二の親友であり、元渡世の兄弟分。

つい先程、俺はそんな桐生から頼まれ事をされたばかりだ。

彼が愛する二人の子供を東京から連れ出し、関東桐生会に合流して欲しい。それが桐生の願いだった。

 

「兄貴……!」

 

しかし、そこに待ったをかける男が居る。

新藤浩二。今や関東桐生会と敵対関係にある"東城会"に所属するヤクザだ。

彼もまた、俺にとっては大切な存在。

こんな俺の事を、兄貴と呼んで慕ってくれたかけがえのない弟分。そんな新藤は俺に、東城会に戻ってくる事を望んでいた。

 

(どうする…………?)

 

ここで桐生の手を取れば、東城会との対立は決定的なモノになる。

せっかく同盟を組んだ松金組の協力も得られなくなるかもしれない。

そればかりか、風間の親っさんの立場が悪くなる可能性もある。

だが、俺がここで桐生と対峙してしまえば遥や桐生の息子である新一はどうなる。

仮に東城会がもう俺の身柄を狙う事をしないと言っても、100億の鍵を握る遥や桐生の息子である新一はその限りでは無い筈だ。

 

「──────チッ、仕方ねぇな」

 

悩んだ末に、俺は結論を出した。

俺は新藤達に向き直り、桐生に背中を向ける。

その行動に新藤は目を見開いた。まるで信じられないものを見ているかのように。

 

「あ……兄貴……?」

「すまねぇな、新藤。こいつが……俺の答えだ」

 

俺はファイティングポーズを取り、背後にいる桐生に振り向かずに声をかけた。

 

「桐生、お前は行け!ここは俺に任せろ!」

「錦……!」

「蛇華との一件があるんだろう?お前は早く組に戻るんだ!急げ!!」

「……すまねぇ!」

 

桐生はそう言ってその場から走り去る。

もしも無事なら少し離れたところに車に乗った斎藤が待っている筈だ。

 

「逃がすな、追え!」

「「「「へい!」」」」

 

対する任侠堂島一家の連中は、新藤の指示に従い桐生の後を追いかけて行った。

これで、今この場にいる極道は俺と新藤だけとなった。

 

「兄貴…………本気なんですね?」

「当たり前だ。今の俺には、自分の渡世なんかよりも大事なモンがある」

 

俺の脳裏に浮かぶのは遥と新一の顔だ。

母親を失い、悲しみに暮れる二人の顔。

二人が危険に晒されるのを防ぎたいのは勿論だが、もしも桐生の身に何かがあればアイツらは二人の親を失ってしまう事になる。そんな事は許さない。

そんな悲劇を、俺は断じて認める訳にはいかないのだ。

 

「それを護る為なら俺は、どんな奴とだってやり合ってやる。それが新藤……お前であってもな」

「……そうですか。それなら仕方がありません」

 

もはや言葉は不要。

新藤は鞘を放り捨て、日本刀を両手でしっかりと握り上段に構える。

対する俺もまた両手の拳を握った。

包帯の巻かれた左手に痛みが走るが、最早そんなことは言ってられない。

刀を持った新藤相手に、余裕ぶってなど居られないのだ。

 

「兄貴……覚悟は良いですね?」

「あぁ、いつでも来やがれ」

 

俺と新藤。互いの殺気がぶつかり合い、その場の空気が張り詰めていく。

そして。

 

「行くぞ……錦山ぁぁぁ!!!」

 

東城会直系任侠堂島一家若頭。新藤浩二。

かつての弟分を相手に、本気の殺し合いが幕を開けた。

 

「フッ!」

 

まずは挨拶がわりと言わんばかりに一歩踏み込んだ新藤の刀が、真っ直ぐに振り下ろされる。

文字通り風を斬って襲いかかる一太刀を、俺は後ろに飛び退いて躱した。

 

「でぇぇやぁ!!」

 

しかし、それで終わる新藤ではない。

下段に下がった刃を翻し、続きざまに"切り上げ"による追撃を仕掛けてくる。

 

「チッ!」

 

その刃もギリギリ躱す事に成功するが、新藤は既に次の動作に入っている。

狙いは恐らく右側から左側にかけての"袈裟"斬り。もしくは真横からの"薙ぎ"だろうか。

 

「ラァッ!」

 

だが、いつまでも避けてばかりでは埒が開かない。

俺は新藤の踏み込みよりも早く地面を蹴って、あえて近い間合いに飛び込んだ。

このままでは一瞬の後に、俺の上半身と下半身は泣き別れる事になるだろう。

だがこの距離は新藤の刃が当たるのと同時に、俺の手も十分届く距離だ。

 

「ぐっ!?」

 

俺は刀を握る新藤の両手を右手で押さえ込んだ。

振り抜かれるはずの刃を未然に防がれたことで、新藤が無防備のまま隙を晒す。

 

「オラァ!!」

 

そして当然、その隙を逃す俺じゃない。

新藤のガラ空きになった顔面に左のストレートを叩き込む。

殴った瞬間に左手の傷が熱を帯びるが、そんな事はお構い無しだ。

 

「どりゃァ!!」

 

鼻っ柱を叩かれた新藤が怯んだ隙を突き、腹部に膝蹴りの追撃を喰らわせる。

しかし、新藤も素直にやられっぱなしじゃいてくれない。

 

「ぬりゃあ!」

 

両手で持った刀を片手に持ち替えて力任せに振り回す。

 

「ぐっ……!」

 

だが、近接戦闘においてはそれだけで十分な脅威だ。

拳や蹴りよりもリーチが長い上に、当たればほぼ即死。

一応、古牧流の技に対日本刀持ちを想定した技もあるのだが、新藤も易々とそれを狙わせてはくれない。

ハッキリ言ってチャカ持ちの方がまだやりようはあるくらいだ。

 

「うぉぉぉぉおおおおお!!」

 

その後も、新藤の剣は明確な殺意をもって俺を襲ってきた。

上段の構えから振り下ろされる"唐竹"を始め袈裟斬りや逆袈裟など、様々な角度から刃を振るってくる新藤の攻撃に俺は回避行動を余儀なくされていた。

同じ刃物で言うと真っ先に脳裏に浮かぶのは真島吾朗のことだ。

あの男のドス捌きはスピードが早い上に不規則な軌道で襲いかかってくるので、それと比べれば動き自体は単調なのだが如何せん一振りの殺傷力が桁違いだ。

一つでもタイミングを誤れば俺の命はない。となれば、踏み込む隙も自然と少なくなるというもの。

 

(アレを抜くしか無いのか……?)

 

しかし、この状況を打破する手がない訳では無い。

俺には以前、跡部組の親っさんから貰い受けた長ドスがある。

アレを使えば、互角とまでは行かないにしても新藤の持つ日本刀とある程度は渡り合える筈だ。

少なくとも防戦一方のこの状況に活路を見い出す事は出来る。

 

(だが……!)

 

それを手に取ると言うことは、新藤に対して明確な殺意を向けるということ。

新藤を。俺を慕いついてきてくれた弟分を、この手にかける事を覚悟するということに他ならない。

 

「っ!」

 

やがて、何度目かの回避行動の後に俺はその場を転がるようにして距離を取った。

こちらの攻撃も、新藤の斬撃も届かない程の距離。

 

「どうしたんですか兄貴。逃げ回ってばかりいて、勝てるとでも思ってんですか?随分とナメられたもんですね」

「……」

「……まさか、この後に及んで俺を殺れねぇなんて言うつもりですか?」

 

新藤の放つ殺気がどんどん膨れ上がっていく。

その顔にあったのは、俺が今まで見た事も無いような怒りの表情だった。

 

「ふざけてんじゃねぇぞ錦山ァ!!俺はアンタがこっちに戻って来ねぇと決めた瞬間から、とっくに腹ァ括ってんだよ!今更下らねぇ情けなんざ掛けんじゃねぇ!!」

「新藤……お前……」

「アンタに俺を殺る覚悟がねぇってんなら……俺が手ずから引導を渡してやる!テメェみたいな半端者は、もう俺の兄貴なんかじゃねぇ……!!」

 

新藤はそう叫びながら、刀を上に振り上げた。

そして、両腕を上げたままの姿勢で固定する。

大上段の構え。予め刀を持った腕を上にあげることで振りかぶるという動作を短縮し、最速で刃を相手に振るう事を可能とする構えだ。

相手がどんな行動を取ろうと、間合いに入った瞬間に振り下ろされればどんな回避行動も間に合わない。

頭から真っ二つだ。

 

「…………」

 

俺はつくづく自分の半端者っぷりに嫌気が差す。

新藤を裏切り、東城会そのものを裏切った今。

もはやコイツと対峙する以外に道は無い。

にも関わらず、俺は新藤を殺したくないと思っている。

俺にとってコイツは、今でも大事な弟分なんだ。

 

「スーッ……フゥー…………────────」

 

俺は深く息を吸って、静かに吐いた。

呼吸を整え、脱力し、全身の筋肉と精神を平常に保つ。

そして。

 

「────分かった」

 

俺は覚悟を決めた。

静かに懐から長ドスを取り出す。

木製の柄をしっかりと握り、同色の白鞘からゆっくり刃を引き抜く。

職人の技が光る美しい刃紋を帯びた銀色の刃が顕になり、射抜くかのような鋭い輝きを放つ。

 

「もう……逃げ回んのはしめぇだ」

 

俺はドスを持ったままゆっくりと腰を落とし、左半身の構えを取る。

正拳突きの要領で右手に持った刃を突き出すための構えだ。

 

「こっからは本気でやらせてもらう。テメェの覚悟が本物か……見せてみやがれ」

「───上等だ……!」

 

いよいよ新藤の放つ殺気が最高潮に高まる。

アイツは今、間合いに入り込んできた俺に刃を振り下ろす事しか考えていないはずだ。

だが、そこに付け入る隙がある。

 

「───行くぞ」

 

短く言って、俺は右足で地面を蹴った。

静から動。脱力からの急激な緊張によって俺の身体が爆発的な瞬発力を生み出す。

 

「ッ!!」

 

それとほぼ同時に、新藤の身体が手にした刃で俺を捉えようと僅かに力む。

一秒後に俺の身体はロケットのように飛び出して行き、新藤にドスの刃が届くリーチへとたどり着くだろう。

しかし現実には、ドスの刃が到達するよりも早く新藤の刀が振り下ろされ、俺は呆気なく斬り殺される。

だが。それはあくまでこのままでは、の話だ。

ならば俺は。

そうならない為の手を打つまでの事。

 

「シッ!!」

 

歯の間から鋭く息を吐き、俺は右手を真っ直ぐに突き出した。

右足の踏み込みで発生した運動エネルギーに肩や腰を連動させて繋げていき、俺の身体が前に飛び出るのと同時にドスを持った手で正拳突きを放つ。

ただし、新藤に届く間合いの遥か外で。

 

「───!?」

 

だが、スローモーションにさえ感じる視界の中で新藤の顔が驚愕に染まるのを俺は見逃さなかった。

流石の反射神経で僅かに顔を逸らして、自身の顔面目掛けて飛来する"それ"をやり過ごす。

だが。その一瞬こそが俺の待っていたもの。

振り下ろすだけの筈だった新藤に生まれた、明確な隙。

 

「な、っ!?」

「遅せぇ!!」

 

我に返った新藤の刀が振り下ろされ始める。

だがその時には既に俺の身体は完全に自分の間合いに入っていた。

俺の方が一手早い。

 

「ぐぁっ!?」

 

懐から引っ張り出した勢いのままに、新藤目掛けてスタンバトンを振り抜いた。

新藤の手首を直撃したシャフトが衝撃に反応して高圧電流を流し込む。

何かが弾けるような音が響き渡り、新藤の手から日本刀が滑り落ちた。

 

「せいやァ!!」

「がっ───!?」

 

新藤が無防備になった直後を狙い、俺は追撃の左ハイキックをぶちかます。

全力で放った一撃は側頭部を蹴り抜き、新藤の身体を薙ぎ倒した。

 

「ぐ、っ……」

 

こめかみを捉えた俺の蹴りは、新藤から平衡感覚を奪い去っていた。

満足に立ち上がる事も出来ず、ただ地面を這うことしか出来ない新藤。

この勝負、俺の勝ちだ。

 

「て、テメェ……!」

 

恨みがましく俺を見上げる新藤。

新藤は思っていた筈だ。俺が真っ向から突っ込んでドスを突き刺してくると。

俺はそんな新藤の予想を裏切ったのだ。

 

「言っただろ。本気でやらせてもらうってな」

 

俺は踏み込んだ直後、新藤の懐に飛び込むよりも前に手にしたドスを投げ放っていたのだ。

右手で掌底の形を作り、そこでドスの柄頭を押すようにして前に突き出す。

するとただの刃物でしかないはずのドスは生み出された運動エネルギーのままに前へと飛び出すので、立派な飛び道具として昇華するのだ。

新藤は咄嗟にそれを避けたが、想定外の事が起きると人間は思考と行動に空白が生じる。

後はその隙を狙ってスタンバトンの一撃を両手に叩き込む事で新藤の持つ脅威である日本刀を無力化し、全力のハイキックでトドメを刺す。

これが俺の本気。

目的の為ならばあらゆる手を尽くす、俺のやり方だ。

 

「クソ、が……!」

「…………」

 

俺は新藤が取り落とした日本刀を拾い上げる。

先程のドスよりもずっしりとした重みが手に伝わる。

それは、十年前に俺が堂島組の事務所に踏み込んだ時に持ち込んだ拳銃の重さに酷く似ていた。

 

(新藤……)

 

その重さは、言わば覚悟の証のようなものだ。

これだけのものを本気で振り回すには、相手を殺す覚悟が無ければ務まらない。

腹を括った新藤は、本気で俺を殺す覚悟を決めてこれを振るっていた筈だ。

ならば俺も、それなりの覚悟を見せなければならない。

 

「…………!」

 

新藤の顔が強ばっていく。

自分に訪れる末路を察したのだろうが、その目は決して負けを認めていない。

確かに正々堂々とした闘いとは言えないかもしれないが、新藤が挑んできたのは喧嘩ではなく殺し合いだ。

そんな勝負には道理も何もありはしない。

敗者に待つのは不条理な死のみ。

 

「…………」

 

───刀を静かに振り上げる。

ならば俺は。

 

「っ!」

 

───柄を握る手に力を篭める。

その権を握った勝者としての役目を。

 

「─────!!」

 

 

 

 

───正々堂々と放り捨ててやる。

 

 

 

 

「なっ」

 

俺が腕を振ったのと同時に、新藤の口からそんな声が洩れた。

振り下ろされるのを覚悟していたはずの刀を、俺が放り投げたからだ。

鋭い金属音を立てながら新藤の日本刀が地面に突き刺さる。

 

「…………」

 

俺は新藤を軽く見下ろしたあと、その場から離れた。

スタンバトンのシャフトを畳んで懐に戻し、投げ放ったことで地面を転がったドスの元へと歩いていく。

 

「ま……待て……!」

 

背後から聞こえる新藤の声に振り向かず、俺はドスを拾い上げた。

白鞘に刃を納めてスタンバトンと同じく懐にしまう。

 

「どういう……つもりだ……!?」

「…………」

 

新藤の声には困惑が宿っている。

返り討ちに遭って殺される筈だった自分がトドメを刺されなかったのだ。無理もない。

だが、俺は相手に情けを掛けたわけじゃない。

これは徹頭徹尾。俺が"そうしたいだけ"のワガママなのだ。

 

「……新藤。確かに俺は半端者だ。東城会を敵に回したかと思えば、松金の叔父貴と手を結んで。桐生に手を貸すかと思えばアイツの事を疑って……結局これじゃ服役前と何も変わらない。あちこちに媚び売ってやりくりしながらどっちつかずな現状を作り出していた頃と同じだ」

「…………」

「でもな……こんな俺にも、護りてぇもんが出来たんだ。その為だったら……俺のこの命、いくら張っても惜しくはねぇ。」

 

遥と新一。

俺の愛した女の忘れ形見たち。

100億を取り巻くヤクザ達は今、俺と桐生から由美を奪っただけじゃなく、アイツらの事まで危険に晒そうとしている。

それだけは何としても阻止しなくちゃならないのだ。

 

「新藤、組の連中に伝えとけよ。今後、桐生や遥たちを狙う事があれば容赦はしねぇ。こっちも殺す気でやらせてもらうってな……!」

 

それだけ言って俺はその場から立ち去ろうとした。

しかし。

 

「錦山の……兄貴……」

 

背後から聞こえてきた新藤の声に、思わず立ち止まってしまう。

全く締まらない。結局俺はここで甘さが出る。

新藤に対する情を捨てきる事が出来ない。

本当に俺は半端者だ。

 

「…………まだ、こんな俺を兄貴って呼んでくれんだな」

 

だが、迷っている暇は無い。

こうしている今も、新藤たち東城会は遥を狙っている。

治外法権とされる賽の河原にいるとはいえ、油断はできないのだ。

だから。

 

「今まで、ありがとうな…………新藤」

「───!!」

 

俺を慕ってくれた弟分に、嘘偽りない感謝を述べる。

息を飲むような音がしたのを振り切るように、俺はその場から走り去った。

どっちつかずな俺が覚悟した───"半端者なりの意地"を胸に抱いたまま。

 




次回は断章です。

今後ともよろしくお願いします

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