独自解釈が多分に含まれますがご容赦ください
2005年。12月10日。
東堂ビルの屋上での決闘を終えた錦山は、大吾に拳銃を突き付ける。
抵抗を封じた上で彼が問いかけたのは、大吾から見た堂島宗兵についてだった。
「……俺の知ってるあの人は、臆病な男だった。臆病で…………優しかった」
降り始めの雨のようにぽつぽつと堂島宗兵の人となりが大吾の口から語られ始める。
「親父もあんなナリな上に根っからの極道だ。だから外じゃずっと気を張っていた。でも……家じゃ俺やお袋には優しかった。ガキの頃も一度だって手ぇ挙げられた事は無かったし、欲しいものはなんだって買ってくれた」
外に出れば威厳ある極道の組長だが、一度家庭に戻れば大吾や弥生に対して笑顔で優しく接していたという。
そんな堂島組長には、口癖のように言っていた言葉があった。
「そんな親父が家で酒に酔った時に決まって言うんだ……"死ぬのが怖い"ってな」
「死ぬのが怖い、だと……?」
錦山からすれば、その言葉は全ての極道やカタギたちに対する冒涜だった。
敵味方を問わず、一体何人の人間たちが堂島組の為に命を落としたというのか。
彼らだって、死にたくなかったに決まっている。
そんな彼らの命を犠牲にして生き残っていた男が吐くのが、そんな言葉なのか。
錦山の中で、再び感情が高ぶって暴発しそうになる。
「あぁ……あの人はこう言っていた。"俺が死んだら、お前達を守る奴が居なくなっちまう"ってな」
「っ!?」
だが、その言葉で錦山の高ぶっていた感情は一気に沈静化した。
同時に、大吾の放った"臆病で優しかった"という言葉にも合点がいく。
「その言葉には当然、我が身可愛さもあったんだろうさ。でも……親父は分かっていたんだろうな。自分が死んだ後で起こる堂島組内の不和や、そのゴタゴタによって組が弱体化した隙を狙って東城会の極道たちが神室町の中で共食いを始める事を」
「…………」
「そして、もしもそうなって混迷を極めた東城会の極道達にとって、亡き組長の家族……つまり俺やお袋は格好のエサだ。親父の死を利用して堂島の身内に取り入ろうとする奴や、反乱や報復を目障りに思って殺しに来る奴……良いように利用されるのが関の山だろう。でも、そうなった時に俺達を守ってくれる奴なんてどこにも居ない。なにせ、親父は嫌われ者だったからな」
故に、死ぬのが怖い。
嫌われ者の自分が死んだ所で、まともに弔ってくれる人間など家族以外ではたかが知れている
そして、もしもそうなればかつて自分が食い物にしてきたように守る者の居なくなった自分の家族は報復とばかりに食い物にされる。
そんな恐怖を覚えた堂島宗兵が取った手段は、"食われる前に食う"事だった。
「だからこそ、親父は今の地位と命を守った上で更にのし上がる事に固執したんだろう。バブル経済の好景気を利用して地上げを推し進め、栄華を極めた堂島組のボスとして君臨したんだ。神室町を牛耳る裏社会のトップとして、自分の命を狙う者など誰も居ないほどの高みに上り詰める為に。だが……そんな親父にとって最大の不安材料があった」
「それって……まさか……!」
「あぁ……風間さんだよ」
風間新太郎。
当時の堂島組若頭。組のNo.2だったこの男は仁義と任侠を絵に書いたような本物の極道だった。
誰もが憧れるような生き様を背負ったその男の下には、溢れんばかりの荒くれ者達が集い、瞬く間にその勢力を拡大させていた。
臆病だった堂島はそんな風間を見て一つの疑惑を覚えたのだ。
この男は、機を見て自分に反旗を翻すつもりなのではないか、と。
「もちろん、俺も風間さんがそんなことをするとは思えねぇ。だが……親父にとってはその僅かな疑惑ですら妥協出来なかったんだろう。だからこそ、親父はあるタイミングで風間さんを嵌めてムショにぶち込んだ。新しい若頭を、自分の都合のいい奴にすげ替える為にな」
「そうか……それで起きたのが、あの"カラの一坪"事件…………」
地上げの終わり間際、神室町の真ん中に偶然現れた端切れの土地。
その所有権を巡って起きた内部抗争。カラの一坪事件。
最終的に世良勝の手に渡って幕を閉じたその事件は、堂島宗兵の権威が失墜する大きなキッカケとなった出来事と言えるだろう。
「だが、その企みは潰えた。組の実権を完全に風間さんに握られた後の親父は、アンタも知っての通りだよ。酒に溺れて女に走って…………当時、反抗期だった俺はそんな親父の事が気に入らなかった。でも、お袋は違った」
家に居ても酒に溺れて、泣き崩れるばかりの情けない姿を見せる宗兵に対し、妻の弥生は懸命に寄り添って支え続けた。
「お袋は、親父がどんなにダメになっても決して見捨てる事はしなかった。親父の女遊びだって、気晴らしになるならって黙認していた。今となっちゃ結局それは、親父を甘やかすだけで何の解決にもならなかったんだがな…………そして」
平衡感覚を取り戻した大吾が、手すりを背にしながらゆっくりと立ち上がる。
その瞳には、先程まで消えかけていた闘志が再び宿っていた。
「十年前のあの日、この場所で事件は起きた」
「…………」
「桐生やアンタの馴染みだったあの女に、大人しく親父の食い物にされてりゃ良かった……なんて事を言うつもりはねぇ。親父のやってた事は、身内の俺からしても擁護できるもんじゃねぇからな」
そこで大吾は一度言葉を切る。
そして、今度は演技ではない自身の内から溢れ出る憎しみを解き放った。
「だがな……それとこれとは話が別だ!アンタにとっちゃ最低のクソ野郎でも、俺にとっちゃこの世でたった一人の親父だったんだ!!」
「大吾……お前…………」
「アンタは居なかったから分からねぇだろう……親父の葬式。普段絶対に涙を見せないお袋が、初めて人前で泣いたんだ。あの時のお袋の顔は、今でも忘れられねぇ……!!」
目は釣り上がり、握りしめられた拳からは血が流れる。
父を奪い、母を悲しませて家族を滅茶苦茶にした奴を許さない。
大吾は父親の葬儀で固くそれを誓ったのだ。
そして、そんな仇の内の一人が今 目の前にいる。
「アンタらは女に手ぇ出された事を曲げられなかった。それはいい。だがな……こっちにも曲げられねぇもんがあんだよ!!」
ならば、黙って見過ごす事など出来ない。
互いに譲れないもの、曲げられないものがあるのなら、ぶつかり合う他ないのだ。
「……そうか」
大吾の言葉を聞いた静かに銃を下ろした。
錦山はその引き金を引くことはしない。
彼の運命は十年前にこの場所で狂った。
その事実は何をしても変わらないのだから。
「お前の怒りと憎しみ……確かに聞いたぜ」
「!」
「少なくとも、今の俺や桐生に何かを言う権利はねぇだろう。お前にとって堂島宗兵は父親だった。それが分かったからな」
錦山は拳銃に安全装置をかけ、床に放り捨てる。
「堂島組長を殺した罪は、俺が生涯をかけて背負い続ける。俺に恨みや憎しみをぶつけたいんなら、これからも好きにするといい」
「錦山……お前……」
錦山は今まで、堂島宗兵を殺した罪そのものとは向き合っていなかった。
彼が罪を被ったのは兄弟分である桐生や妹の優子、ひいては東城会の為に過ぎなかったのだから。
しかし、自分達が手にかけた堂島宗兵が誰かにとって大切な人間であった事を知った今。
彼はその罪と向き合う事を決めたのだ。
「俺はもう、逃げも隠れもしねぇ」
誰かを悲しませて不幸にさせた事の責任は、今後も問われ続けるだろう。
それでも。その重さを受け止めて、逃げずに立ち向かう。
それが、今の錦山が往く"極道"に他ならない。
「そうか…………なら」
大吾が拳を握る。
元より受け入れる覚悟があるならば、遠慮をする必要は無い。
燃え上がった闘志の赴くままに、大吾はその拳を振り上げた。
「ここで俺に殺されろ!錦山ァァァ!!」
「────でもな」
叫び声と共に振り抜かれた右ストレート。
錦山はそれを正確に見切り、身を捩って回避する。
勢いのままに錦山の後ろへと回った大吾が、錦山に再び拳を振るおうと振り向いた瞬間。
「それとこれとは話が別だ」
錦山のボディブローが大吾の鳩尾に深く突き刺さった。
「が、ァ、ッ!?」
鈍器で殴られたかのような重い一撃に悶絶する。
身動きが取れない大吾の髪を掴み上げ、錦山は至近距離で殺気をぶつけた。
「歯ァ食いしばれ。こいつは…………」
「!?」
錦山は大吾を掴んだまま、腰を落として腕をまるで弓のように引き絞る。
そして。
「──麗奈の分だァァァああああああッッ!!!!」
岩石のように硬く握り締めた拳にありったけの怒りを乗せ、全体重を乗せた一撃を顔面に叩き込んだ。
「ぶが、っ、ぁぁ!?」
まともに喰らった大吾の身体は後方に吹き飛ばされ、コンクリートの床を無様に転がった。
それを見届けた錦山は拳を解き、痛みを逃がすために軽く手首を振る。
「俺に恨みがあるならいつでもぶつけて来い。でもな……俺の身内に手を出す事は許さねぇ」
元より錦山の怒りの源泉は、十年前の事件のことでは無い。今更になってその事を掘り下げるつもりもないからだ。錦山の怒りの源はただ一つ。
麗奈を巻き込んだことだけだった。
「今度麗奈に手ぇ出そうとしやがったら……分かってんだろうな?」
仰向けに倒れる大吾を見下ろし、錦山は告げた。
次に同じ事が起きた時は容赦はしない、と。
「ぐ……………………ぅ………………」
「それだけだ。あばよ」
錦山は指一本動かせない大吾を捨て置き、屋上から去っていった。
遠くに喧騒が聞こえるビルの屋上で無機質なコンクリートの床に倒れた大吾の頬に、冷たい感触があった。
「っ…………」
暗くなり始めた空から、ぽつりぽつりと雨粒が零れていく。
それはやがて大雨となって、身動きの取れない彼の身体を容赦なく濡らしていく。
「ち、く…………しょ、う………………!!」
誰も居ない雨の屋上で大吾は一人、涙する。
その瞳から溢れた雫は、降り注ぐ雨と共に横顔を伝っていった。
大吾との一騎打ちを終えた俺は、雨の降り始めた屋上を後にして暗くて殺風景な階段を一つ一つ降りていく。
やがて明かりのある廊下まで辿り着いた俺は、最初に訪れた部屋に足を踏み入れた。
「っ!錦山……アンタ……!!」
弥生の姐さんと目が合う。
その表情には驚愕と焦りが浮かんでいた。
「ただいま戻りました……姐さん」
「大吾を……あの子をどうしたんだい!?」
姐さんはそう言って手にした日本刀も切っ先を真っ直ぐ俺に突き付ける。
当然だ。俺だけがここに戻ってきているという事は、大吾の身に何かがあったということに他ならないのだから。
「ご心配なく。多少痛め付けこそしましたが、死んじゃいません」
「アンタ……どういうつもりだい?」
「……大吾から、堂島組長の事を聞きました」
「!?」
姐さんは目を見開いた。
おそらく、大吾がそんな事を言うとは思っていなかったのだろう。
だが、大吾からそれを聞けたおかげで俺は今姐さんと"話し合い"が出来ている。
もしも俺から歩み寄るのを拒んでいれば、この場に死体が一つ出来上がっていただろう。
「……それで?」
「姐さん……今回の一件。これで手打ちにしようとは言いません」
今なら分かる。
大吾や姐さんが俺や桐生を目の敵にする理由が。
どんな人間にだって大事な"誰か"がいて、その誰かにとってもまたその人間は大切な存在なのだ。
俺にとって、優子がそうであるように。
(結局、優子は未だ見つからねぇ。もしも優子が、誰かに殺されでもしていたら……!)
そんな事になれば、俺はきっと"鬼"になってしまう。
どんな手段を使ってでもそいつを見つけ出し、必ずこの手でぶち殺す。
それを邪魔するあらゆるものを徹底的に踏み越えるだろう。
人なら殺す。モノなら壊す。法であるなら犯して破る。
そんな悪逆の限りを尽くす外道に堕ちるだろう。
(つまりは、そういう事なんだよな……)
俺がちょっと想像しただけでこれなのだ。
大吾と姐さんの心には、そんな"鬼"が宿っているのだ。
その鬼が生み出す怒りと憎しみは、仇である桐生を殺す事でしか消えることは無いのだろう。
「姐さん達が……俺や桐生を目の敵にするのは道理ですから」
誰かを殺せばその誰かの大切な人間が憎しみを抱き、その憎しみは新たな悲劇を生み出していく。
実に単純で、当たり前な事だ。
それでも、俺には一つ。どうしても譲れないものがある。
「でも……麗奈を巻き込むのは、違います」
バブルの頃に知り合ってから、俺みたいなろくでなしと今日まで贔屓にしてくれた麗奈。
彼女は裏社会の人間でも無ければ、ヤクザの女でもない。
神室町で店をやっているだけのれっきとしたカタギなのだ。
「今回の一件、彼女は何も関係ねぇ。俺を直接狙うのならまだしも、こんなやり方はあんまりじゃありませんか」
「黙りな。筋が通らない事なんて元より承知の上だよ……!」
姐さんの持つ刀が小刻みに震えている。
それは今まさに、彼女の心が揺れ動いている証拠だった。
「それでもね……それでも、私はやるしかなかった!あの人の仇を討つ為には、やるしかなかったんだよ!!」
声を荒らげる姐さんの目には、微かに涙が浮かんでいる。
「姐さん……」
「私は……ずっと堂島宗兵という男だけを見続けていた。威厳のあった時も、大吾に甘かった時も。そして、弱くて情けなくなっちまった時だって、私は一度たりともあの人から目を離さなかった!たとえ他の連中はどれだけ悪く言おうとね…………あの人は私にとって、かけがえのない存在だったんだよ!!」
この世で誰よりも堂島宗兵と時間を共に過ごし、誰よりも堂島宗兵を見続けていた姐さん。
好きになった一人の男を生涯愛し続ける事を誓った女傑の言葉を、俺は真正面から受け止めた。
これが、十年前のあの事件における贖罪の一つになると信じて。
「姐さん……どうか今は、その刀を納めちゃくれませんか?」
「なんだって……?」
「俺にはまだやることがあるんです。桐生のことや優子のことに美月のこと。それに遥や100億の事だってある。立ち止まってなんて居られません。ですが…………!」
俺は姿勢を正し、真っ直ぐに姐さんを見つめた。
その瞳の奥までも見抜くように。
「全て終わったら、俺が必ず桐生を連れて来るとお約束します。決してこのままにはしません。だから彼女を……麗奈を返して下さい!お願いします!!」
姐さんの中に眠る仁義ある心に語りかけるように嘆願し、俺は垂直に頭を下げた。
俺、麗奈、姐さん。
誰一人欠けることなく話を進めるためにはもうこれしかない。
(頼む、姐さん……!!)
まるで十年前のあの時のような激しい雨風と落雷の音が窓の外から聞こえてくる。
そんな中、俺は必死に祈って姐さんに頭を下げ続けた。
やがて。
「……………………」
静かに。何も言わずに。
姐さんは、ゆっくりとそれまで突き付けていた刀を下ろしてくれた。
「ありがとうございます……!!」
それを答えと受け取った俺はすぐさま和室へと飛び込んだ。
麗奈の口元の布や縄などを解いてく。
そして。
「錦山、くん……」
「麗奈……!」
ついに俺は、麗奈を救出する事に成功したのだ。
「錦山くん、私……私…………っ!」
「大丈夫、もう大丈夫だ。今は何も言わなくていい……遅くなって、ごめんな」
安堵感から感極まりそうになる麗奈を抱き締めて、囁くようにそう言った。
本当なら落ち着くまで待ってやりたいところだが、いつ他のヤクザがなだれ込んでくるかも分からない。
長居は無用だ。
「立てるか?」
「う、うん……」
俺は麗奈を立ち上がらせ、俺の上着だった黒のジャケットを彼女に羽織らせた。
足元に気を付けながら麗奈の事を連れて玄関へと向かう。
「姐さん……大吾のこと、頼みます…………」
「…………………………」
返事は無く、俺は振り向かないまま今度こそ居間を出ていく。
麗奈に靴を履かせ、事務所から出た俺が扉を閉める直前。
「……………………っ!」
刀を取り落とし、その場に力なくへたり込む姐さんの姿を見た。
「……失礼致します」
たった一言挨拶し、そっと扉を閉める。
俺の中でまたひとつ、ケジメを付けるべき事柄が増えた瞬間だった。
ついに麗奈を救い出した錦山。
次回もう一話描いて、その次は断章に行きたいと思います
よろしくです