錦が如く   作:1UEさん

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しばらく間が空きましたが、最新話です
かなりの難産でした……
それではどうぞ


背負いし想い

 

任侠堂島一家の総長である堂島大吾とその母である堂島弥生の手から麗奈を救い出した錦山は、彼女を連れて東堂ビルのエレベーターに乗り込んだ。

駆動音を上げて下へと降りていく鉄の箱の中で、錦山は安堵のため息を吐く。

 

(はぁ……一時はどうなるかと思ったぜ……)

 

東城会の直系団体である任侠堂島一家に追い込みをかけられた状況から、錦山なりの筋を通して麗奈を取り戻す事が出来た。

何かが一つでも違っていれば彼の命は無かっただろう。

 

「錦山くん……?」

「ん?いや……お前が無事で、本当に良かったと思ってよ」

 

錦山がそう言うと、麗奈は俯いたまま黙りこくってしまう。

尤も、つい先程までヤクザに囲まれていては無理もないのだが。

 

「俺がちゃんとセレナまで送ってってやる。安心しな」

「……ありがとう」

 

やがてエレベーターが止まってゆっくりと扉が開く。

その先にあった光景を見た時、錦山は背筋が凍り付いた。

 

「……おいおい、マジかよ」

「っ……!」

 

息を飲む麗奈を庇うように前に出た錦山は、そのままゆっくりとビルのドアを開ける。

その先に待っていたのは、任侠堂島一家のヤクザ達だった。

数十人は下らない黒服の男たちが、殺気立った様子で待ち構えている。

 

「ははっ、こりゃ…………」

 

話し合いの余地があるとは思えない錦山は、静かに腹を括る。

彼にはまだ、安息の時は訪れないようだ。

 

「──随分なお出迎えじゃねぇか」

「そういうお前は随分余裕そうだな、錦山。これから死ぬって時によ」

「お前は……」

 

そう言って詰め寄ってくる先頭のヤクザに、錦山は見覚えがあった。

第一関節から先がない左手の小指とモスグリーンのスーツが特徴のその男は、十数年前に堂島組にいた極道。

白髪の交じった頭をしたその男の事を、錦山は数秒かけて思い出した。

 

「確か、泰平一家の……」

「ほう……覚えてたか」

 

東城会直系任侠堂島一家構成員。岡部。

バブルの頃、全盛期だった堂島組の中で"渉外"を担っていた泰平一家という組織にいた男だ。

"占有屋"と呼ばれる違法のシノギを仕切っていた彼だったが錦山の兄弟分である桐生の介入によりシノギは潰されてしまい、彼自身もまた"ケジメ"を付ける羽目になってしまった過去を持つ。

 

「テメェや桐生のせいでこっちは組 解散するわ風間組に組み込まれるわで散々だったんだ。任侠堂島一家に引き入れてもらえたのが救いだったが……それにしたってテメェが堂島組長を殺したのが原因だ」

 

殺気立つ岡部につられるように後ろの男達も臨戦態勢に入っていく。

 

「何突っ立ってんだ?土下座しろや、土下座!テメェ立場分かってんのか?馬鹿野郎!!」

「……うるせぇんだよ、三下が」

「あ?」

 

麗奈を下がらせ、前に出た錦山は静かに拳を握る。

生き残れる保証は何処にもない危機的状況だが、彼は一歩も引かない。

錦山の敗北は即ち、麗奈の危機に他ならないのだから。

 

「要するに、お前は俺を通したくねぇんだろ?なら、ウダウダ言ってねぇでさっさとかかって来いや。それとも……ビビって手も出せねぇで吠えてるだけか?」

「上等だこのガキ!死んで詫びろや!!」

 

怒号と共に岡部が右ストレートを振り上げた。

錦山はファイティングポーズを取り、その一撃を冷静に見極める。

その直後。

 

「な、っ!?」

「──は?」

 

岡部が目を見開き、錦山は怪訝な声を出す。

結論から言うと、岡部の放った一撃は錦山に当たることは無かった。

しかしそれは、錦山がその一撃を回避したわけでは無い。

 

「──ッ」

 

岡部と錦山の間に割り込んだ男────任侠堂島一家最高顧問の久瀬大作が、まるで身代わりになるかのような形でその拳を受けたからだ。

 

「く、久瀬の叔父貴!?な、なんで……?」

「……意外とパンチあるな、お前。阿波野のヤツも良い教育してたらしい。でもな──」

「ご、ォッ!?」

 

久瀬の放ったボディブローが岡部の鳩尾を抉る。

 

「その程度の拳じゃ、コイツのタマは殺れねぇよ」

「久瀬の、叔父貴……ッ」

 

久瀬の一撃に悶絶し蹲る岡部。

それを目撃して構成員達は大きく戦意を削がれ立ち竦んでしまう。

久瀬の行動に対する疑問もあるが、そのあまりの強さと威圧感の前には何も言えないといった様子だ。

 

「久瀬の兄貴。あんた……何でこんなことを?」

 

疑問を抱いた錦山に対し、久瀬は淡々と答えた。

 

「何でも何もねぇだろ?お前は俺を倒してビルに入って女を連れ出した。それはつまり、総長や姐さんと何かしらのケジメを付けたって事だ」

 

それに加え、久瀬にとって錦山はつい先程 リベンジとして拳を交えた事でその実力を認めた相手でもある。

老いたとはいえ全盛期の堂島組を拳一つでのし上がった久瀬をタイマンで仕留める錦山に、並のヤクザが束になって襲いかかった所で結果は見えているのだ。

 

「なら、今更俺らがとやかく言う事じゃねぇ。それを分かってない馬鹿を俺が躾けた。それだけの事だ」

「久瀬の兄貴……」

「──その人の言う通りです」

 

久瀬の言葉に同意を示す声が、錦山の横から聞こえてきた。

錦山が声のした方を振り向くと、先程まで殺気立っていたヤクザ達が一斉に静まり返って頭を下げていた。

そして、頭を下げた先にいるのは錦山もよく知る一人の男。

 

「新藤……!」

「どうも、兄貴。さっきぶりですかね」

 

東城会直系任侠堂島一家若頭。新藤浩二。

堂島組時代の錦山の弟分であり、このヤクザ達を従える組織のNo.2を勤めている。

彼と錦山はつい一時間ほど前に郊外の墓地で対立して殺し合いを繰り広げたばかりだが、その表情は穏やかだった。

 

「新藤、くん……?」

 

しかし、その表情も麗奈の頬に出来た涙の跡を見た途端に罪悪感で歪んだ。

 

「麗奈さん、兄貴。この度は、ご迷惑をおかけして誠に申し訳ございませんでした」

「…………」

「総長や姐さんの事を言い訳にするつもりはありません。ウチの組の連中が、麗奈さんに危害を加えた事は紛れもない事実ですから」

「新藤……」

 

極道にとって親の命令は絶対。

今の新藤にとって堂島大吾や堂島弥生はれっきとした親であり彼はその親の命令に従っただけなのだが、それでもかつての兄貴分に義理を通さないのは新藤のポリシーに反するモノだった。

それでも親の意向がそれを許さず板挟みになっていた訳だが錦山が大吾や弥生と話を付けた今だからこそ、新藤もこうして義理を通す事が出来る。

図らずも錦山は、今の親とかつての兄貴分との狭間で苦しむ新藤の事をも救っていたのだ。

 

「今回の一件、ケジメは甘んじて受けます。ですのでどうか、手打ちにしちゃ貰えないでしょうか……?」

「何を、勝手な事言ってんだカシラぁ……!」

 

その時、頭を下げて手打ちを望む新藤を容認しない声が上がる。

 

「そいつは組を……俺たち任侠堂島一家をコケにしやがったんだぞ!?このまま黙って泣き寝入りしろってのか!?」

 

声の主は岡部だった。

彼としては、このまま引き下がる事は出来ないのだろう。

 

「岡部さん。何も泣き寝入りするとは言ってないでしょう?」

「同じ事だ!俺たちヤクザはナメられたらそこで終わりなんだよ!そんな事も分からねぇガキはすっこんでろや!!」

「そうか……なら──」

 

直後。

一瞬で間合いを詰めた新藤が岡部の首を掴みあげた。

突然の事で対応が遅れた岡部は為す術もなくそのまま壁に背中から押し付けられる。

 

「俺にナメられたアンタの発言権も、これで無くなったって訳だ」

「が、っ!?」

 

至近距離まで顔を近づけて殺気をぶつける。

跳ね返った構成員を躾けるのもまた、幹部の勤めの一つだ。

 

「この組の頭は堂島大吾総長。そして現状カシラを張ってんのはこの俺だ。旧堂島時代から居るってだけで古参ぶってるチンピラ風情が、デカい口叩くな」

「ぅ……ぐっ……──!」

 

総長である大吾がそうである事からもわかる通り、任侠堂島一家は若手が頭を勤める組織だ。

そんな中で旧堂島時代からの人間を数多く受け入れて組織を拡大させた背景がある影響か、若手に指図される事を嫌う壮年から中年層の極道が非常に多い。

そんな中で新藤がナメられないようにするには、このように力で抑え込むしかないのだ。

 

「泰平一家の時はそれでも良かったんだろうが、ここじゃそれは通じねえ。いつまでも特別扱いして貰えると思うなよ?三下が」

「っはっ、……はぁ、はぁ、はぁ…………」

 

岡部が抵抗の意思を失ったのを確認してから解放する新藤。

膝を着いて息を整える岡部を捨て置き、再び錦山へと向き直った。

 

「新藤……一つだけ約束しろ」

「なんでしょう?」

「今回の一件。麗奈や遥……俺の周りの人達は一切関係ない。今後二度と絶対に手を出さないと誓え。それで手打ちだ」

 

錦山の出した条件は、新藤からすれば非常に緩いものだった。

無関係の人間に手を出さないと言うだけで、自分の事は含まれていないのだから。

 

「……よろしいんで?」

「あぁ。さっき上でも言ったんだけどな、お前らが俺を狙うのは道理だ。それについてとやかく言うつもりはねぇ」

「分かりました。その条件を呑みましょう」

 

新藤の承諾により、錦山の要求が任侠堂島一家に通った。

これで、錦山を目的に遥や麗奈を狙う組織が一つ減ったと言えるだろう。

 

「ですが、桐生の叔父貴だけは話が別です。あの人だけは、今後もマトにかけさせてもらいますよ」

 

関東桐生会初代会長。桐生一馬。

十年前の堂島組長殺害の真犯人。

旧堂島組が主体となっている任侠堂島一家として、この男だけは逃がす訳にはいかないのだ。

 

「そん時はそん時だ。場合によっちゃ……また俺とやり合う覚悟をしとくんだな?」

「えぇ、勿論です」

 

錦山と新藤が不敵に笑って頷き合う。

二人の間には、何度ぶつかり合おうが決して壊れる事の無い絆が出来がっていた。

 

「おい、錦山」

 

そんな時、ふと久瀬が錦山に声をかける。

向き直る錦山に、久瀬はポケットからあるものを取り出して手渡した。

 

「お前、これ持っとけ」

「これは……?」

 

久瀬の手渡してきたそれは、鋼鉄製のメリケンサックだった。

拳にはめ込むことでただのパンチを鈍器の一撃に変える、立派な武器である。

 

「またウチと事を構える気なんだろ?なら、その時にテメェをぶち殺すのはこの俺だ。それまで死なれてもらう訳にはいかねぇからな」

 

錦山は、一瞬でも親切心から来るものであると考えた自分を愚かしく思った。

それと同時に、これは久瀬なりに錦山を認めた証である事も理解する。

結局のところ久瀬大作は、良くも悪くも闘争心の塊のような男という事だ。

 

「……ありがたく頂戴します。久瀬の兄貴」

「フッ……分かったらとっとと女連れて消えな。もうじきサツが来るぞ」

「えぇ……そうさせてもらいます。」

 

錦山は頷くと、自身の上着を羽織らせた麗奈の両肩に手を置いた。

そして、新藤に別れの言葉を告げる。

 

「じゃあな、新藤」

「はい。次に会ったら敵同士かもしれない自分が言うのもおかしいですが……どうかお気をつけて」

「おう。……麗奈、行けるか?」

「うん……大丈夫」

 

麗奈に優しく声をかけ、錦山は彼女に歩幅を合わせながらその場を立ち去っていく。

 

(兄貴…………)

 

新藤は小さくなっていく兄貴分の背中を、どこか物悲しそうに眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2005年12月10日。

任侠堂島一家とひとまずの決着を付けた俺は、麗奈を連れてセレナへと戻って来た。

開店準備の済んだ店内には、静かなジャズのBGMが流れているだけで誰も居ない。

麗奈が店の表札を表にする前に連れ去られてしまったせいで、誰も店に入ってきていないのだ。

 

「ここまで来れば、もう大丈夫か?」

「う、うん……」

 

麗奈は俯いたまま顔を上げようとしない。

あんな思いをすれば当然と言える反応だ。

 

「ごめんな、麗奈……」

 

そんな彼女から手を離し、俺は静かに背を向けた。

こんな事になるとは思わなかった、等と言い訳をするつもりは無い。

こうなってしまった以上、ケジメは付けなくちゃならないだろう。

 

「俺はもう二度と麗奈の前には現れない。この店にも来ないようにする」

「え、っ……?」

 

今日をもって、麗奈とは縁を切る。

彼女に迷惑をかけないためには、こうする他に無い。

 

「もしもまたヤクザや警察が来たとしても……お前は知らぬ存ぜぬでやり過ごすんだ」

「錦山、くん……」

 

麗奈は優しい上に肝が据わってる。

目の前で知ってる顔が困っているのなら手を差し伸べずにはいられない。そんな女だ。

こうなった今でさえ、きっと俺が悪いだなんて思っちゃいないんだろう。

 

(だからこそ、こうする必要があるんだ)

 

風間の親っさんやシンジがそうしたみたいに、これ以上彼女を裏社会に関わらせちゃいけないのだ。

 

「今まで……俺みたいな奴に良くしてくれてありがとよ」

 

今生の別れになる事を覚悟し、俺は裏口のドアノブの手をかけた。

 

「……達者でな、麗奈」

 

その直後。

 

「っ?」

 

俺の左手首を、優しく掴まえる感覚があった。

麗奈だ。

彼女が店から去ろうとする俺を引き止めたのだ。

 

「麗奈……?」

「待って。錦山くん」

 

背を向けている俺に麗奈の顔は見えない。

だが、背中越しに聞こえる麗奈の声はどこか震えていた。

 

「錦山くん……手が……」

 

麗奈は俺の左手首を胸元の高さまで持っていき、それに伴い俺も振り向く。

 

「麗奈…………、っ」

 

視線の先にいた麗奈の表情は、本当に今にも泣きそうだった。

泣きそうな顔で、血に染まった包帯の巻かれた左手をまじまじと見つめている。

 

「……手当をさせて」

「いや、でもよ……」

「いいから」

 

やがて、麗奈は少し語気を強めて俺に言い放った。

一度こうなってしまえば、彼女はもう意地でも自分の意見を曲げはしないだろう。

 

「…………分かったよ」

 

結局、俺は麗奈の有無を言わせぬ迫力に押し負けてた。

その後は半ば無理やりソファに座らされると、麗奈はバックヤードから救急箱を引っ張り出して手当を始めた。

 

「…………」

 

涙の跡を拭くこともせず、黙々と手を動かす麗奈。

血に染まった包帯は切り剥がされ、縫合されていた傷口周りの血が拭き取られていく。

 

「……………………」

「……………………」

 

ジャズの音楽が無機質に流れる店内で、包帯を切るハサミの音がやけに耳にこびりつく。

麗奈はガーゼを手の平と甲に押し当てて、その上からバンテージのように包帯を巻き始めた。

 

「……うん。これで応急処置は終わり」

 

あっという間に処置は終わりを告げる。

俺たちの間に会話が無かった為か、余計に早く感じた。

 

「一応、医者には見せた方がいいと思う」

「あぁ……ありがとよ」

 

その言葉をもって、今度こそここにいる理由は無くなった。

さっさと立ち去ってしまおう。

そう考えた俺がソファから立ち上がった瞬間。

 

「錦山くん」

 

ぽすっ、と弱々しい衝撃があった。

麗奈が俺の胸に顔を埋めるように抱き着いていたのだ。

 

「麗奈、お前……!?」

「行かないで……」

 

思わず困惑する俺に、彼女は言った。

 

「お願いだから、行かないで……錦山くん」

 

俯いたまま顔を埋める麗奈の顔は見えない。

でも、程なくして麗奈のすすり泣く声が聞こえてきた。

 

「麗奈…………」

 

いつも明るく毅然と振る舞う麗奈。

今の彼女は、そんないつもの姿とは言い難い態度だった。

そんな彼女の姿が、俺に一つの予感を抱かせる。

 

(まさか…………)

 

もっとも、そんな気がしていなかったと言えば嘘になる。

俺がまだムショに入る前。

その時の麗奈の言葉や態度から、そう思わせるような部分が見て取れた事もあった。

 

(でも、そんな…………)

 

もちろん今まで麗奈から明確に聞かされた事は無いし、俺も気のせいか冗談のうちの一つだろうと考えて本気にはしていなかった。

でも。

 

「ねぇ……錦山くん」

 

顔を上げ、上目遣いに視線を向ける彼女が。

 

「私……私ね……」

 

頬を赤らめ、眉根を寄せて、潤んだ瞳で見つめながら放ったこの言葉が。

 

「私……今夜は、貴方と一緒にいたい」

 

長い間秘めていたであろう本心を、何より如実に現していた。

 

「麗奈…………」

「お願いよ……錦山、くん………………」

 

ふと、心臓が早鐘のように脈動している事に気付く。

頭での理解に、心が追い付かない。

 

(麗、奈…………)

 

遥のこと。桐生のこと。

風間の親っさんのこと。

そして、未だ行方が知れない優子。

そんな俺にとって大切な人達を狙う東城会や他の組織たち。

そいつらとの諍いは未だ収まる気配は無く、今もその騒動に麗奈を巻き込んだばかりだ

考えなきゃいけないことは際限なく、やらなきゃいけないことは山積み。

本当なら、こんな事をしてる場合じゃない。

 

(俺は……………………)

 

だが、そんな思考とは裏腹に俺の両目は麗奈を見つめたまま逸らそうとはしなかった。

身体中が熱を帯び、思考力が欠如していく。

みるみる近づいていく麗奈の顔。

真っ直ぐに俺を見つめ返す瞳。

涙の跡が残った朱色の頬。

スっと伸びた鼻筋。

艶やかな唇。

そして。

 

「──────」

 

お互いの鼻先が触れ合う刹那。

俺は、麗奈の小さな肩にそっと手を置いた。

 

「…………」

 

その肩が微かに震えるのを感じながら、ゆっくりと優しく押し戻す。

 

「ぁ…………」

 

切なそうに零れる吐息のような声を聞きながら、麗奈を引き離した。

これが、今の俺の答え。

 

「……私じゃ、ダメなの…………?」

「…………」

 

ここまで言われて何も気付かない程、俺も朴念仁じゃない。

俺は、麗奈の想いを理解した。

その上で拒絶したのだ。

 

(これ以上俺に関われば、きっと麗奈は不幸になっちまう……)

 

今の俺は東城会のみならず、様々な組織から命を狙われている立場だ。

そんな奴と一緒に居たって、麗奈は幸せになんかなれない。

 

「俺ぁよ、麗奈……これ以上自分のせいで誰かが不幸になるのが、耐えられねぇんだ」

「錦山、くん…………」

「今回の事件で、俺は色んな連中から目ぇ付けられてる。正直、生きて帰ってこられるかも分からねぇ」

 

だからこそ突き放す。

もしも自分が死んだとしても、彼女が苦しみに苛まれないように。

 

「分かってくれ、麗奈。俺は……お前の気持ちを踏み躙りたくねぇんだよ」

「……ううん、分かんないよ」

 

まるで駄々をこねるように首を振る麗奈。

そんな彼女の瞳からは再び涙が溢れ出ていた。

 

「麗奈……」

「だって……だって……!」

 

そして。

次の瞬間。

 

「錦山くん約束してくれたじゃない!"全部終わらせたら、またこの場所でみんなでお酒を飲もう"って……!」

「────!!」

 

俺は、麗奈の言葉にハッとさせられた。

 

「なのに……なんで今になってそんな事言うのよ!?」

 

数日前。

十年ぶりにセレナを訪れた俺に酒を振舞ってくれた麗奈。

彼女はその時から、事件の渦中に飛び込もうとする俺の事を酷く心配していた。

そんな彼女を安心させるために、俺はそんな事を口にしたのだ。

 

「本当は、貴方に危ない事なんかして欲しくなかった!桐生ちゃんの為に十年も刑務所に行って、ようやく戻って来れたのに……また貴方が遠くに行っちゃいそうで怖かった…………」

「………………」

「でも……そんな貴方に真っ直ぐ見つめられて"大丈夫だ"なんて言われたら……もう、引き止められる訳無いじゃない……!!」

 

辛く苦しい胸の内を吐き出す麗奈。

嗚咽が止まらなくなる程に、彼女は泣いていた。

 

「麗奈……、っ!!」

 

そんな彼女を、これ以上見ていられなくて。

放って置けるほど非情にもなれなくて。

 

「っ、ぁ…………?」

 

気付けば、俺の傍を離れようとしない彼女の事を抱き締めていた。

 

「錦山、くん……?」

「ごめんな、麗奈……」

 

そうだ。

俺は誓ったんだ。

九年前、桐生が優子を救ってくれた事を知ったあの日に。

"生きる事から、逃げない"と。

 

「俺は……大事な約束を破ろうとしちまってたんだな。」

 

どうやら俺は、現状に追い詰められるあまり大事な事を忘れていたらしい。

本当に悪い癖だ。

 

「本当よ……馬鹿」

「あぁ……お前の言う通り俺ぁ、本当に大馬鹿だ」

 

約束を破ろうとした挙句、こんないい女を泣かせておいて自分は死ぬかもしれねぇなんて戯れ言を吐く。

まったく、馬鹿以外の何者でも無い。

 

「ねぇ、錦山くん……」

「?」

「貴方に……渡したいものがあるの」

 

麗奈はそう言うので、俺は彼女を抱きしめていた腕を解いた。

そそくさとカウンターに移動した麗奈が、下の棚から一つの紙袋を取り出す。

 

「これ、受け取って」

「あぁ……」

 

言われるがままにそれを受け取った俺は、紙袋の中を覗き込んで面食らった。

 

「お前、これって…………」

 

紙袋からゆっくりと中身を取り出す。

そこにあったのは、焦げ茶色のレザージャケットだった。

生地は分厚く防寒に優れていて、触った感じの質感から本革を使った高級品である事が分かる。

タグには見覚えのないロゴが入っていたが、十中八九ブランド品なのは間違いないだろう。

 

「錦山くんの出所祝い。ホントは、騒動が終わってから渡すつもりだったけど……今受け取って欲しいの」

「良いのか?こんな上等なモンを……」

 

困惑する俺に対して、麗奈はいつもの毅然とした態度でこう言った。

 

「勿論。ただし……錦山くんが大切に着続けてくれるなら、だけどね」

「!」

 

レザーを使った製品というのはとても繊細で、特に合皮性のモノはものの数年ですぐにヒビ割れや劣化が始まる。

だが、本革のジャケットというのはちゃんと手入れを行えば十年は長持ちするのが特徴だ。

 

(麗奈……)

 

つまりこれは、彼女からのメッセージ。

このジャケットがダメになるまで、生きて着続けろと言うことだ。

 

「このジャケット……受け取ってくれる?」

「……あぁ」

 

麗奈の言葉に頷く。

上着を脱ぎ、麗奈の持ったジャケットを受け取ってその身に纏う。

まるで採寸でもしたかのようにサイズの合ったジャケットにずしりとした重みを感じる。

だがそれも当然と言えるだろう。

今着ているこれは麗奈の想いそのもの。

これを着る事はすなわち、彼女の想いを背負うという事に他ならないのだから。

 

(なるほど、こいつぁいい……)

 

身が引き締まる想いだ。

もしも今後、どれだけ過酷な状況に置かれたとしてもこのジャケットの重さが思い出させてくれるだろう。

俺の命が、失われてはいけないものである事を。

 

「ありがとよ、麗奈。俺も……腹ァ、括ったぜ」

「錦山くん……?」

 

もう、迷いも恐れも無い。

その事を証明して行くために、俺は何度目かの約束をした。

 

「必ず、生きて戻る。それまで……待っててくれるか?」

「…………うん、待ってるからね」

 

麗奈はその言葉に深く頷き、静かに微笑んだ。

その瞳には薄らと涙が浮かんでいる。

そんな彼女の涙を見て、俺は覚悟した。

それは、親や組のためなら死ぬ事をも恐れないヤクザ者としての覚悟じゃない。

 

(やってやるさ、必ずな)

 

自分の事を大切に想ってくれる人達に報いるために誓ったモノ。

生きるという約束を違わない、男としての覚悟───。

 

 

 

 

 

 

 

 




次回は断章です
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