よろしくぅ!
神室町の天下一通りに店を構えるNo.1ホストクラブ、スターダストの店内にて。
「あ、アキラさん!一輝くんから連絡受けて早速来ちゃい……ま……………………」
銀座の女王の異名を持つ鮎美ママと。
「ん?…………………………」
セレナのママ、麗奈がカチ合う。
「───────────────!!!!」
そんな状況に立ち会うことになった俺の心臓は今、過去最高に早鐘を打っていた。
鼓動の音がうるさく、額からは冷たい汗が止まらない。
修羅場に陥った間男の心情とはこういったものなのだろうか。
いや、昔から本命は由美だったので女友達こそいれど浮気などした事は無いのだが。
「…………あれ?」
「貴女…………」
二人がほぼ同時に口を開く。
次の瞬間に訪れるであろう地獄に思わず身構えた。
その刹那。
「────麗奈ちゃん!?」
「────鮎美ちゃん!?」
カチ合った二人の反応は、俺の想像の斜め上だった。
「───────はっ?」
理解が追いつかない俺をよそに、鮎美ママと麗奈はみるみる距離を詰めると非常に嬉しそうに両手を合わせてはしゃぎ始めた。
「わ、やっぱり麗奈ちゃん!久しぶり、元気してた?」
「鮎美ちゃんこそ!本当に久しぶりね、いつ以来かしら?」
未だに状況が飲み込めないのが、親しげに話す二人を見た俺はどうにか言葉を絞り出す。
「…………えっと、え?知り合い?」
「麗奈ちゃんは大学時代の同級生なの」
「そう、昔は一緒のお店でも働いた事あるのよ?」
「ま、マジで……!?」
鮎美ママと麗奈が大学時代の同級生で、元同僚。
あまりにも想定外な出来事に、俺は開いた口が塞がらなかった。
「麗奈ちゃんが自分のお店持つからって辞めちゃって以来だから……嘘、もう20年近くも前?」
「そんなに経つのね……私もオバサンにもなる訳だわ」
「何言ってるのよ、麗奈ちゃんバブルの頃から顔付き全然変わってないわよ?」
「鮎美ちゃんこそ、すっごく素敵じゃない。いつもそんなに気合い入れてるのかしら?」
お互いに笑顔を浮かべながら純粋に再会を喜んでいる様子の二人。
なんだか雰囲気がなごんで行くのを感じた俺はほっと一息付いた。
最悪の事態を回避出来たと安堵した。
直後。
「今日は特別なのよ。だってアキラさんに会いに来たんだから」
「………………あら、そうなの」
「─────!?」
一瞬。
麗奈が俺に視線を向けた瞬間。
俺は、自分の背筋が凍り付く音を確かに聞いた。
「そういえば麗奈ちゃんはどうしてここに?アキラさんとはお知り合いなの?」
「えぇ、錦山くんは私のお店の常連さん。私がお店を開業してからだから……付き合いはもう、10年以上になるわね」
「………………ふぅん?」
「───────!!?」
同様に鮎美ママから向けられた視線にも、心胆から震え上がるような悪寒を感じる。
「────ねぇ麗奈ちゃん、もしもお邪魔じゃ無かったら私もご一緒して良い?久々にこうして会えたんだし、色んなお話聞きたいわ」
「────もちろん。私も鮎美ちゃんから色々と聞いてみたい事があるの。貴女さえ良いなら、一緒に楽しみましょ?」
穏やかかつ友好的に会話をする麗奈と鮎美ママ。
傍から見ればそう映るだろう。
しかし、実際はそうじゃない。
(や……やべぇ…………!!)
目の前で堂島組長が死んだ時も。
刑務所でリンチされた時も。
激怒した嶋野を相手にした時でさえ、これほどの緊迫感に襲われた事は無い。
「ふふっ……さぁ、アキラさん?」
「ねぇ、錦山くん?」
俺の両隣に、麗奈と鮎美ママが腰を下ろす。
二人の視線が絶え間なく注がれ、俺の恐怖と緊張は限界に達していた。
何故なら。
「今夜は─────目一杯楽しませて貰うわよ?」
「もちろん─────期待していいのよね?」
にこやかにそう言った彼女達の目は、決して笑ってなどいなかったのだから。
「は、はは……!」
そんな状況の中、震える喉からそんな声が溢れ出た直後。
「────夢のような時間を、約束するぜ?」
気付けば、そんな言葉を口にしていた。
「ふふっ、楽しみだわ」
「じゃあ、早速何か頼みましょ?オススメは何かしら?」
どこか満足そうに微笑む鮎美ママと、最初のドリンクを頼もうとする麗奈。
(────────フッ)
表情筋が痙攣し、流れる冷や汗は留まる所を知らない。
それでも、口から自然と言葉が出たのはホストとしての矜恃か。
はたまた、男の意地か。
否────
(────こうなりゃやってやる!!トコトンまで楽しんで貰おうじゃねぇか!!)
それは、覚悟だ。
もはや後戻り出来ない状況で、あれこれと思考するのは愚の骨頂。
ならばいっそ、流れに身を委ねて死中に活を見出す意思。
またの名を、ヤケクソとも言う。
「麗奈ちゃん。最初はクリコーヌなんてオススメよ」
「そう?じゃあそれを貰おうかしら」
「お願いします!!」
いつもより二倍増しの声量でボーイを呼び、酒をグラスに注いでいく。
全員に行き渡ったところで、勢いよく音頭を取った。
「それじゃ……今宵の素敵な出会いと、再会を祝して……乾杯!」
「「───乾杯!!」」
掲げたグラスを合わせ、注がれた酒を喉に流し込みながら俺は確信した。
────今日以上に酒の味が分からない日はもう訪れないだろう、と。
2005年12月12日。
港町として栄えた横浜の地には、海の近くに公園が作られる事が珍しくない。
横浜中華街からほど近い位置に存在する浜北公園もその一つだ。
時刻は夜の23時。
すっかり人通りも少なくなった夜の浜北公園の前に、一台の黒い車が停車する。
運転席と助手席から出てきた若い衆が後部座席のドアを開け、中から一人の男が身を乗り出した。
ネイビー色のスーツに紫のシャツ。頭にパンチパーマをかけた大柄な男────松重は一本の酒瓶を持って車を降りると、若い衆達に命令を下す。
「お前らはここで待ってろ」
「「はい」」
頭を下げて了解の意を示す若い衆たちに頷いた後、松重は公園へと足を踏み入れた。
「………………」
何かを探すように公園内を練り歩く松重だったが、程なくして一つのベンチの前へとたどり着く。
「……こんな所に居たんですか」
そのベンチには、一人の男がいた。
ダークグレーのスーツにワインレッドのYシャツを着た強面の男。
しかし、力なくベンチに項垂れるその姿からは見た目通りの覇気は感じられない。
「────探しましたよ……会長」
「……………松重か」
男の名は、桐生一馬。
五年前に横浜で旗揚げされた新進気鋭の極道組織"関東桐生会"の会長であり、かつては"堂島の龍"と呼ばれた伝説の極道である。
500人規模のならず者達を従える大組織の長である彼は今、自分の組織の男達には決して見せられない程に弱々しい姿を曝していた。
「えぇ。神奈川県警との取り調べ、お疲れ様でした」
「…………そんな事、今はどうでも良い」
彼がそんな有様を晒す原因は、数時間前に彼の耳に入った一つの訃報にある。
関東桐生会舎弟頭。田中シンジ。
東城会にいた頃から桐生の舎弟として常に彼の後ろへと付き、優秀な片腕として渡世を生きていたその男。
横浜警察署から釈放された直後にそんなシンジの訃報を聞いた桐生は、急いで関東桐生会の本部へと戻った。
そして、本部事務所の前に打ち捨てられていたと言うシンジの遺体と対面したのだ。
シンジの仇を討とうとその場にいる構成員達がいきり立ち、命令を聞かずに飛び出そうとする構成員がいる中。
────少し、一人にさせてくれ。
桐生はそう言うと組の車を勝手に拝借し、松重の静止も振り切って出発した。
横浜の夜の街並みを無感動に眺めながら、彷徨うように車を走らせる。
やがてこの浜北公園へとたどり着いた桐生は車を乗り捨てるように路上駐車すると吸い寄せられるようにベンチに腰掛け、それから数時間もの間ここで一人で項垂れていたのだ。
「見覚えのある車が路上駐車してあったんで直ぐに分かりました。今は若い衆達に見張りさせてます」
「……組の奴らはどうしてる?」
「ご心配なく。こっちで上手いことやっときましたよ。少なくとも、明日までは勝手に動く事はしません。」
居なくなってしまった桐生の代わりに若頭代行である松重は全構成員に"横浜で待機。消耗した戦力をケアしつつ、蛇華の動きを警戒せよ"と命令を下していた。
真島組との抗争で大勢の怪我人を出した関東桐生会は、現状のままでは満足に闘う事が出来ない。
敵対組織である蛇華の動きを警戒しつつ、明日 緊急の幹部会を開いて今後の方針を定める。
戦力の削がれた関東桐生会が無謀な戦争を起こさない為の英断だった。
「そうか…………」
「…………っ」
松重はふと、桐生の足元に大量のタバコの吸い殻が落ちている事に気付いた。
この数時間の間に吸われたものである事は想像に難くない。
「会長…………」
「………………」
桐生は何本目かも分からないタバコを口に銜えた。
自前のライターを取り出す前に、松重がすかさず火を近付ける。
「、………………」
桐生はゆっくりと紫煙を燻らせた。
白い煙が桐生の口から零れ、空へと消えていく。
「会長、どうしてこんな所に居たんですか?」
浜北公園は横浜中華街からほど近い位置に存在する場所だ。
それはつまり、関東桐生会と敵対関係にある蛇華の勢力圏内に近い事を意味する。
いくらショックだったからとは言え、そんな場所にわざわざ出向いて身を危険にさらすほど桐生は愚かではない。
となれば、それ以外の理由があるはずだと松重は考えた。
「…………あれ、見えるか?」
松重の問いに対して、桐生はある方角を指を差してそう答えた。
松重がそれを追うように視線を向けた先には、一台の公衆電話が存在する。
「公衆電話……ですか?」
「あぁ。あの場所で俺は、シンジの背中を押した…………押しちまったんだ」
今から五年前。
桐生組が東城会を抜け、関東桐生会として旗揚げする前夜。
渡世の親である風間や東城会を裏切る事を躊躇って横浜へと訪れなかったシンジへと、桐生はあの場所から電話をかけたのだ。
「東城会脱退と関東桐生会旗揚げは、俺の我儘だった。それに付き合わされる形になった組員達に無理強いは出来ねぇ。あの時の俺はそんな風に思っていた……」
そして、シンジの意志を尊重する事に決めた桐生。
お前のやりたい事をやれと、その背中を押した。
桐生は今────その選択を悔いていたのだ。
「もしもあの時、俺が無理矢理にでも引き止めていれば……」
シンジが望んだ"やりたい事"。
それは、東城会と関東桐生会の和解。
尊敬する兄貴分と世話になった親父分の仲を取り持つ事だった。
「こんな事にはならなかった……そう言いてぇんですか?」
「……あぁ」
東城会の極道として神室町に戻ったシンジは風間組特務構成員として関東桐生会の情報を風間組に流し、東城会の情報を関東桐生会に流していた。
関東桐生会が東城会からの襲撃に備える為に。
そして風間組が、関東桐生会と手打ち盃をする為に。
つまり、両組織に対しての多重スパイ行為。
それが彼の選んだ道だった。
「……自分は、そうは思いません」
「松重?」
そんなシンジの背中を押した事を悔いて自責の念に囚われる桐生に対し、松重は言った。
「もしも会長が無理矢理にでもこっちに連れてきたとしても……田中の奴ぁきっと東城会を──何より風間の親分を裏切れませんよ。アイツも会長と同じ、"義理と人情"で生きてる人間ですから」
田中シンジ。
彼が今の関東桐生会の中で誰よりも古くから、誰よりも近くで桐生の背中を見てきた。
そんな彼が、今まで世話になった渡世の親に対する恩義を捨てきれないのは明白だった。
「アイツはきっと、遅かれ早かれ危ねぇ橋を渡ってた筈です。」
「ならお前は……今回の事は、仕方ねぇ事だと……?」
「そうは言ってないでしょう」
その言葉が、まるでシンジの結末は避けられないものだったと言っているように聞こえた桐生は目くじらを立てるが、松重はそれを即座に否定した。
「若頭代行の席に座り、会長の右腕だなんだと下の奴らから言われる事もありますが……本当に会長の片腕となるべきだったのは、田中だったんです」
「松重……お前…………」
「錦山さんが服役していた間、会長にとって兄弟分と呼べるのは田中だけでした。だからこそ……俺はアイツに、関東桐生会にいて欲しかった」
桐生組が発足して間もない頃はシンジを下に見ていた松重だったが 次第に彼の人間性や強さを認めていき、いつしか二人で桐生組の両翼を担う事を誓った──言わば盟友と呼べる程の仲だったのだ。
しかし、東城会脱退と関東桐生会の発足により田中シンジは神室町へと残留。
ついに最後まで、その望みが叶う事は無かった。
「会長のお気持ち、お察しします。ですが……田中を失った事を憂いているのは会長だけではありません。だからどうか……その悲しみすらも、一人で背負おうとしないでください」
「…………」
「明日は緊急の幹部会が開かれます。そこで俺達は今の状況を打開し、切り抜ける術を練らなくちゃなりません。ですから…………今夜だけは、アイツを偲びましょう」
そう言って松重は桐生の隣に酒瓶を置くと、二つのグラスを取り出した。
「それは?」
「田中が好きだった酒です。昔は、二人でよく飲んだもんですよ」
「そうか……」
松重は瓶の栓を開けて透明な液体を注ぐと、桐生へと手渡す。
「さぁ、会長」
「…………あぁ」
桐生が受け取ったのを確認した松重は自分のグラスにも酒を注ぎ、桐生の隣へと腰掛けた。
「──────田中の、叔父貴に」
グラスを軽く持った松重の声は、微かに震えていた。
それは夜の寒さが故か、はたまた盟友を失った悲しみが故か。
「……………………」
ふと、桐生は注がれたグラスの水面に目を落とす。
そこに映っていたのは、悲痛な表情を浮かべた一人の男の顔。
「……………俺の」
桐生は、そんな自分の情けなさを振り切るようにグラスを胸の前に持った。
自分のような男を"兄貴"と仰ぎ、慕い、誰よりも付いてきてくれた弟分────否。
「────たった一人の弟。シンジに」
直後、顔を見合せた二人はそれを僅かに掲げ。
「「献杯」」
哀悼の意を込めて、一気に飲み干した。
後に、この時の事を松重はこう語る。
────酒の味など分からなかった、と。
如何でしたか?
次回もよろしくお願いします