錦が如く   作:1UEさん

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最新話です。
男たちの闘いにも、休息が訪れます。


束の間の休息

2005年12月14日。桐生が引き起こした劇場前の暴動事件から一夜明けたこの日。

 

「……ぅ」

 

俺が目を覚まして真っ先に目の当たりにしたのは、白い天井。

 

「おう、気付いたか錦山」

 

そして、そんな俺の顔を覗き込む医者────柄本の姿だった。

 

「柄本、先生……?」

「まだ動くなよ。意識が戻ったからって身体のダメージは簡単にゃ戻らねぇんだ。少なくとも今日一日は安静にしとけ」

「そう、か…………」

 

柄本は呆れた様子で煙草に火をつけると、煙を吐きながら俺に言った。

 

「しっかし……あれだけの騒動の中で良く生きてられたもんだな」

「騒動……?」

 

記憶が混濁するが、俺はすぐに思い出した。

東城会の極道たちが徒党を組んで桐生を襲撃した乱闘事件。

嶋野組、任侠堂島一家、日侠連を相手に一歩も引かず大立ち回りを繰り返す桐生を止める為に俺も参戦したのだ。

 

(ほんとに骨が折れたぜ……)

 

アイツの怒りの拳の前に一度は倒れた俺だが、シンジの想いを背負って何とか立ち上がり 桐生を説得。

由美の形見を渡すことで我に返ったアイツは、握っていた拳を解いていた。

 

「そういや……俺はどうやってここに……?」

 

俺の記憶はそこで止まっている。

緊張が途切れて前のめりに倒れた所を桐生に受け止められ、そのまま意識を手放したからだ。

 

「劇場前が警察でごった返し始めてからしばらく経った頃、伊達がここに運んできたんだ」

「伊達さんが?」

「あぁ。詳しい事は伊達に聞け」

「…………」

 

一日安静を言い渡され、それ以上口を開かずに天井を仰ぐ。

 

(桐生…………)

 

ふと、昨日の事を思い出す。

東城会のヤクザ達を相手に一歩も引かず暴れ回っていた兄弟分。

"堂島の龍"。関東桐生会初代会長。桐生一馬。

そのあまりにも圧倒的な強さを思い出し、俺は身体が震えるのを感じた。

 

(やっぱり、お前は強ぇな…………)

 

桐生のボディブローを受けた時、自分の腹に穴が空いたと錯覚した。

その後すぐに意識が飛んじまってたが、もう一回か二回くらいは攻撃を喰らってる筈だ。

 

(あんな重ぇパンチ、人生で初めて受けたぜ……ったく─────)

 

否が応でも見せ付けられた格の違い。

現実味どころか理想を抱く事すら烏滸がましい程の実力差。

"龍"へ至る道は俺にとって余りにも遠く、険しく、過酷なモノだった。

だが、そんな高すぎる壁を前にして。

 

「────面白ぇじゃねぇか……」

 

俺は燃えていた。

何せ俺が目指すのは"堂島の龍──桐生一馬"が居る領域。

生ける伝説。極道の頂点。様々な呼び方こそあるが、俺は今文字通り──"その道を極め"ようとしているのだ。

簡単な事じゃないのは当たり前だ。

それほどの高みを前に臆していて何が男だ。何が極道だ。

 

(俺ぁ必ずアイツを越える……アイツを超えた先に、俺の目指す極道がある……!)

 

久瀬の言っていた哲学の通りだ。

極道は、張り続ける限り負けはしない。

ここで絶望して折れる事こそが本当の負けなのだ。

 

「錦山」

「……伊達さん」

「よう。意識が戻ったようだな」

 

程なくして、伊達さんが柄本医院にやってきた。

挨拶もそこそこに、伊達さんはその後の顛末を語ってくれた。

 

「あの後、お前をここまで連れて来たのは日侠連だ」

「日侠連が?」

 

日侠連は東城会の直系組織の一つで、裏で汚れ仕事を引き受けていた秘密集団だ。

三代目会長である世良の出身団体でもあるそこは普段はその性質上表立って活動する事は少ないのだが、東城会の敵であり世良とは因縁もある桐生が神室町に来たと知り、兵隊を派遣したのだろう。

実際、あの場には連中と思しき白い服の男たちが何人かいた筈だ。

 

「あぁ。連中はどこで仕入れたか俺の番号にかけてきてな。お前をここにかつぎ込んだ事を教えてくれたんだ。暴れ回る桐生を抑えることが出来たのは、お前のお陰だとも言っていたぞ」

「そうか……」

 

怒りに身を任せ、暴走を繰り返していた桐生。

日侠連の連中は俺のお陰と言っていたらしいが実際はそうじゃない。

俺一人じゃきっと、あの場面で圧倒されたまま終わってた。

 

(桐生を止めたのは、シンジの遺志だ)

 

最後まで桐生の事を想い、風間組と関東桐生会の仲立ちを目論んで行動していた桐生の弟分。田中シンジ。

アイツが託してくれた由美の形見であるあの指輪と、遺志の籠ったメッセージが無ければ、桐生は決して立ち止まらなかった筈だ。

 

「そういえば、その桐生はどうなったんだ?」

「花屋のカメラによると、桐生はその場から逃げ去ったようだ。今、花屋がその動向をマークしている」

 

花屋が桐生の事をマークしているという事は、アイツは今も神室町から出ていないという事になる。

 

(それ、結構ヤバいんじゃねぇか……?)

 

本来であれば今すぐ神室町どころか東京から離れた方が賢明なのだが、桐生にそのつもりは無いのか。

或いは。

 

(いや……もしかしたら逃げたくても逃げられねぇのかもしれねぇ……)

 

今回の事件を引き金に勃発してしまった東城会と関東桐生会の抗争。

ここまで騒動が大きくなってしまった以上、先に引いた方のメンツが潰れてしまう。

東城会は本気で桐生を消しにかかる筈だ。

となれば、神室町まで単身でやってきた桐生をこのままみすみす逃がすとは考えにくい。

東城会が各所で睨みを効かせ、桐生の行方を血眼で追い続けているのであれば 今の桐生が身動きが取れないのにも説明がつく。

 

(あんだけ暴れ回った後なんだ。いくら桐生でも消耗しているに決まってる……)

 

今の桐生に、東城会の包囲網を強行突破出来るほどの体力は残っていないだろう。

もしも見つかって追い込まれてしまえば、今度こそ桐生の身が危ない。

 

(花屋がマーク出来ている内は大丈夫かもしれねぇが、動けるようになったらそっちも気にかけねぇとな……)

 

だが、今はそれよりも優先すべき事がある。

 

「伊達さん。風間のおやっさんの居所が分かったぜ」

「なに?何処だ?」

「芝浦の埠頭だ。近江連合の寺田って男が、匿っているらしい」

「近江連合だと?何故そいつらが風間を?」

 

その名を聞いた伊達さんが驚きの声を上げる。

無理もない、俺も初めて聞いた時は同じ事を思った。

 

「東城会と近江連合は昔から犬猿の仲だろ。風間が人質に取られてるって可能性は無いのか?」

「いや……だからこそかもな」

「なに?」

 

今の伊達さんの発言のお陰で、俺は合点がいった。

 

「風間の親父は昔から顔が広かった。近江連合に信頼出来るパイプがあったとしても不思議じゃない。となりゃ、今回の隠れ先は注目をそらすにはうってつけだ」

 

近江連合がまさか東城会の大幹部を庇うような真似をするはずが無いと、普通ならそう考える。

それはつまり、"そのまさか"を起こせれば多くの追跡の目をかいくぐれるという事だ。

東城会と近江連合は犬猿の仲。そんな周囲や世間の認識を逆手に取った最善策と言えるだろう。

 

「それに、その寺田ってのは……シンジが命懸けで親っさんを預けたヤツだ。それだけでも、信じる価値は充分にある」

「そうか……」

 

親っさんと桐生の仲立ちをする。

そんなシンジの願いは桐生と親っさんのどちらもが欠けてはならない。

シンジが桐生の事を最期まで案じる事が出来たのは、アケミや寺田と言った、風間の親っさんを信頼して預ける事が出来る相手が居たからに他ならない。

 

(まぁ……だからといって信頼し切ってる訳じゃねぇがな。キナ臭ぇ事に変わりはねぇ)

 

消えた100億で揺れ動く不安定な東城会。

その最中で暗躍する近江連合。

敵か味方かの判別が付かない以上、警戒心を捨てる事は出来ない。

 

「錦山。MIA……神宮が目立って動き始めている。さっき本庁に呼ばれて、お前の事を根掘り葉掘り聞かれた。おそらく、神宮から圧力がかかったんだ」

 

ふと、伊達さんがそんな事を言い出した。

今の伊達さんは留置所から俺を脱走させたとしてマークされている。

そんな伊達さんがが本庁に呼ばれたとあれば即懲戒免職。場合によっては処罰、逮捕拘留も有り得る筈だ。

にも関わらず、警察はその事を問い質すでもなく俺の事を聞いてきたと言うのだ。

 

「伊達さん、そりゃ大丈夫なのかよ?」

「へっ、逆だ」

「逆?」

 

俺が問い掛けると、伊達さんは皮肉めいた顔で続けた。

 

「クビになっても可笑しくねぇのに、奴ら、俺がお前とつるんでる内はクビに出来ねぇんだよ」

「なるほどな」

 

何らかの理由で遥を狙うMIAの神宮。

そいつにとって今の俺は、最大の邪魔者と言えるだろう。そんな俺の事は、当然神宮もマークしている筈だ。

伊達さんが俺と居る内はクビに出来ねぇってのはつまり、神宮が俺の動向を把握する為に伊達さんを利用せざるを得ないという事だろう。

まさに皮肉だ。伊達さんの表情も大いに頷ける。

 

「行くんだろ、錦山。芝浦に」

「あぁ……」

 

シンジが命懸けで守り抜いた、俺と桐生の育ての父。風間新太郎。

三代目の葬儀以来会えないままだったあの人との、再会の時が近づいている。

 

(その前に、やらなきゃならねぇ事があるな……)

 

その為にも、今は動ける身体にするのが先決だ。

俺は伊達さんからの情報交換を終えると、その日をベットの上で過ごすのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

錦山が柄本医院で意識を取り戻す頃。

神室町は夜の帳が降りていた。

ネオンの明かりが街を照らし、ディープな魅力と危険な香りが入り混じる本来の姿を曝け出す。

 

「おい、いたか?」

「いや、こっちには居ねぇ。くそっ、どこ行きやがった……!」

「言ってても仕方ねぇだろ。探すぞ!」

 

そんな神室町は今、例年に無いほどの緊張状態にあった。

東城会と抗争状態にある横浜の極道組織、関東桐生会の会長が神室町のどこかに潜んでいる。

その報を聞いた東京中の東城会系のヤクザ達が、血眼になってその会長を探し回っているのだ。

 

「野郎のタマを殺ったヤツぁ一気に幹部だ!お前ら気合い入れて探せや!」

「「「へい!!」」」

 

まさに一触即発。

彼らが獲物を視認した瞬間、その場所は戦場と化すであろう。

 

「…………」

 

そして、天下一通りにあるとあるビルの路地裏からそんな街の風景を見つめる男が一人。

ダークグレーのスーツとワインレッドのシャツは少しくたびれ、彫りの深い顔立ちにはここに至るまでの闘いで受けた傷があり、その表情には明らかに疲れが出ている。

 

「チッ……」

 

彼こそ、現在東城会の極道が必死に探し回っている男。

関東桐生会初代会長、桐生一馬。その人である。

 

(街中どこに居ても東城会の連中が張ってやがる……ここがバレるのも時間の問題だ……)

 

昨日、東城会の極道を相手にたった一人で大立ち回りを繰り広げた彼は今、まさに命の危機に瀕していた。

 

(くそ……………)

 

兄弟分である錦山彰の説得により東城会を相手に拳を振るうことを止めた桐生だったが、それまで散々な目に遭わされた東城会側が今更になって桐生に対する矛を納める事は無い。

桐生は十数時間もの間、街から出る事を許されず かつ一睡も出来ぬまま東城会からの容赦ない追い込みに晒され続け、敵に見つかっては撃退するというプロセスを繰り返して来た。

連戦に次ぐ連戦の影響で少なくない傷を負い、疲弊が重なった桐生はやがて逃げの一手を強いられる事になり 現在の状況に至っている。

 

「……!」

 

ふと、桐生は自身のいる路地裏の空き地へと向かう足音を聞いた。

 

(誰だ……?)

 

桐生は直ぐに警戒レベルを上げ、静かに構えを取る。

もしも追っ手のヤクザだった場合は仲間を呼ばれる前に実力行使で黙らせる必要があるからだ。

しかし。

 

「ん……?あっ」

「な……!」

 

数秒後、路地裏へと足を踏み入れたのは追っ手のヤクザでは無かった。

 

「桐生、ちゃん……?」

 

彼をそう呼称する人物は、この世に二人しかいない。

一人は桐生を執拗に狙い続ける嶋野組の若頭。真島吾朗。

そして、もう一人は。

 

「麗奈…………」

 

桐生がかつて馴染みにしていた高級クラブ"セレナ"のママ。麗奈だった。

 

「桐生ちゃんじゃない!いつ神室町に戻って来たの?って、そのケガは……!?」

 

麗奈にとっては実に五年ぶりとなる再会。

それを喜ぶ間もなく、麗奈は桐生の怪我に気が付いた。

 

「あぁ……色々、あってな……」

 

その問いに対する桐生の歯切れは非常に悪い。

何をどこから説明すれば良いのかが分からないと言うのもあるが、桐生は麗奈と言う人物の性格をよく知っている。

 

「……分かったわ。とにかく店に上がって。」

「いや……それは……」

 

どんな理由があれど、傷ついた知人を目の前にして放って置くことはしない。

だが、その優しさは今の桐生にとって受け入れ難いものだった。

 

(今の俺を助けたら、麗奈は東城会に狙われちまう……!)

 

今の桐生は東城会にとって抹殺の対象である。

そんな桐生を匿ってしまえば、麗奈に危害が及ぶ事は今の桐生であっても容易に想像が出来る事だ。

 

「良いから。私についてきて」

 

麗奈は言い淀む桐生の目を見て真っ直ぐに言い放つ。

その態度はまさに"有無を言わさない"を体現していた。

 

「麗奈……」

 

桐生は麗奈の人間性をよく知っている。

一度こうなってしまえばテコでも動かないという事も。

 

「……分かった」

「さ、こっちよ」

 

麗奈の圧力に折れた桐生は彼女の後に続くようにビルの階段を登り、裏口からセレナへと入る。

桐生にとって五年ぶりとなるセレナは、彼の知る頃と少しも変わらない姿のままで迎え入れた。

 

「フッ……相変わらず静かな、いい店だな」

「まだ開店前だからね。でも、今日は店を開けない方が良さそう」

 

そう言いながら麗奈はバックヤードに入ると、中から救急箱を取り出してホールへと戻って来た。

 

「何故だ?」

「だって、桐生ちゃんがそんなケガしてるのなんて絶対ロクな事じゃないもの。ほら、座って」

 

麗奈は手にした救急箱をテーブルに置くと、桐生にソファに座る事を促した。

 

「…………───────」

 

柔らかいソファに腰を下ろした途端、桐生の全身が一気にその緊張を解いた。

久方ぶりに訪れた安息の時間を実感し、疲労感が一気に押し寄せる。

 

「さ、服を脱いでじっとしててね。」

「あぁ」

 

桐生は言われた通りに上半身の服を脱ぐと、戦いの中で鍛え抜かれた肉体を曝す。

その身体には痣や打撲痕、小さな裂傷などがあり、ここに至るまでの道のりが如何に険しかったかを物語っている。

 

「ひどい……一体何があったらこんなになっちゃうのっよ……」

 

麗奈がそう言って馴れた手付きで桐生に手当を始めた。

傷口を消毒し、ガーゼや包帯などで適切な処置を施していく。

それを眺めながら、桐生はふと口にした。

 

「そういえば……昔もこうして、麗奈に手当をして貰ったな……」

「あ……それ、カラの一坪の時の話?」

「あぁ……あの時もこうして、麗奈に無理やり連れて来られたんだ」

 

今から十七年前に起きた、堂島組のお家騒動。カラの一坪事件。

その際に堂島組から命を狙われていた桐生を、麗奈は持ち前の優しさと頑固さでセレナに連れ込んだのだ。

 

「しょうがないじゃない。あの時は、あぁでもしないと桐生ちゃん来てくれなかったんだから」

「当たり前だ。現にその後、麗奈にも迷惑かけちまったからな」

 

その結果、麗奈は桐生を匿った協力者として追っ手のヤクザに手を挙げられてしまったのだ。

 

「ん?ちょっと待って……?」

 

それを聞いた麗奈は当時を思い出すのと同時に、あることに気付いた。

東城会と騒動を起こして組織を離脱した関東桐生会。

そんな組織の長である桐生が今、神室町にいる理由。怪我をしている理由。

そして、街中で殺気立ったヤクザが徘徊している今の神室町。

 

「じゃ、もしかして今回も……?」

「……あぁ」

 

麗奈の問いに桐生は静かに頷く。

桐生が、自分の置かれた状況が十七年前のあの時と酷似している事を肯定した瞬間だった。

 

「だから麗奈。俺は手当てが終わったらすぐに店を出る」

「でも桐生ちゃん……」

 

当時、桐生には風間新太郎の息のかかった"立華不動産"と言う組織が味方にいた。その時は彼らの力を借りる事で窮地を脱した桐生だったが、護衛も付けずたった一人で神室町を訪れた今の桐生は文字通りの孤立無援。

東城会のヤクザ達が街中に包囲網を敷いている以上、関東桐生会の助けを期待する事は難しい。

桐生にとって今の状況は、カラの一坪の時よりも悪いと言える。

 

「もしもまたあの時みたいに、麗奈に被害が及んじまったら…………俺は、錦に顔向け出来ねぇ」

「えっ……錦山くんに……?」

 

突然自身の想い人の名前を出されて困惑する麗奈に、桐生はこう続けた。

 

「ここに来る前、賽の河原で聞いた。任侠堂島一家に、拉致されたんだって?」

「!……えぇ」

 

つい数日前の事。

桐生の命を狙う任侠堂島一家の策略により、錦山を呼び出す為の餌として麗奈は拉致されてしまった。

それに激高した錦山がたった一人で東堂ビルへと殴り込み、久瀬大作や堂島大吾と言った強敵を退けて相談役の堂島弥生と話を付けた事でその騒動は幕を閉じた。

それを花屋から聞かされていた桐生は、これ以上麗奈と関わる訳には行かなかったのだ。

 

「そんな麗奈をアイツは命懸けで救い出した。なのに、また俺のせいで騒動に巻き込んじまったら元も子もねぇ」

「桐生ちゃん……」

「だから……ん?」

 

その時、桐生はセレナのエレベーターの音を聞いた。

それはつまり、誰かがこのセレナへと訪れようとしている事に他ならない。

 

「嘘、もうエレベーターはこの階には止まらない筈なのに……!」

「…………」

 

桐生は酷い既視感と同時に嫌な予感を抱く。

まるで十七年前の焼き回しのようなこの状況。

 

(まさか……)

 

そして、その予感は当たってしまう。

 

「────やっぱりここですか。」

 

現れたのはスーツ姿の一人の男。ショートリーゼントの髪型に、傷だらけながらも精悍な顔つき。

胸元に光るのは極道の代紋。

 

「お前……!」

「昨日ぶりですね、桐生の叔父貴」

 

東城会直系任侠堂島一家若頭。新藤浩二。

昨日の抗争の際に桐生と闘った極道の一人である。

 

「叔父貴ならきっと、ここに逃げ込むんじゃないかと思いましてね。当たりを付けて張ってたんですが、思った通りでした。全く、してやられましたよ」

 

新藤はそう言うと懐から拳銃を取り出して桐生に銃口を向ける。

彼は桐生を躊躇いなく殺すつもりでいた。

 

「ですが、こうして出会ってしまった以上は無視する訳には行きません。叔父貴、お覚悟を」

「待って!」

 

そこに麗奈が待ったをかけるように立ち塞がった。

 

「麗奈さん、そこを退いて貰えませんか?」

 

新藤の持つ拳銃にも一切臆する事無く、真っ向から対峙する度胸を見せる彼女に新藤はそう投げかける。

 

「いいえ、退かないわ。ここは私の店よ。勝手な真似は許さない」

 

しかし、麗奈は毅然とした態度を崩さず決して譲ろうとしない。

 

「それに……貴方はきっと撃てない」

「……なんですって?」

「麗奈……!」

 

それどころか極道相手に啖呵を切る麗奈に、桐生は戦慄した。

その発言は、ヤクザを甘くみているとも取られかねないからだ。

 

「どういう意味ですか?」

「貴方は数日前、錦山くんと組の代表として約束をした筈よ。"私には手を出さない"って。今引き金を弾けば……その約束を破る事になる。」

 

麗奈は錦山が先日新藤と交した麗奈及び錦山の周りの人間に対する不可侵条約を盾にする事で、桐生の身を護ろうとしていた。

しかし、それはあまりにも分の悪い賭けと言える。

 

「そんな口約束を、俺が律儀に守るとでも?」

 

新藤はヤクザだ。親からの命令を絶対とする彼の立場に対し、麗奈が提示しているのは契約書も押印もないただの口約束。

破った所でどうと言う事は無いのだ。

 

「他のヤクザならともかく……貴方は錦山くんを裏切れないわ。きっとね」

「俺たちにとって親の命令は絶対です。桐生の叔父貴を殺せと言われたら、たとえ何があったとしても殺すしかない」

 

新藤が拳銃の撃鉄を起こす。

あとは引き金にかけた指を引くだけ。たったそれだけで、麗奈と桐生の命は奪われる。

 

「そう……なら撃ちなさい。」

「……本気で言ってるんですか?」

「私だってこの街の住人よ。あの人を……錦山くんを好きになった時から、覚悟は出来てるわ」

 

その危機に直面してもなお、麗奈はその態度を崩そうとはしなかった。

 

「よせ、麗奈!」

 

そう警告する桐生だったが、時は既に遅く。

新藤はその引き金を引いた。

 

「麗奈!!!!」

「っ……!!」

 

桐生の悲鳴じみた絶叫が響く。

麗奈は自身が撃たれたと一瞬だけ錯覚した。

そう、錯覚である。

 

「────なんてね」

「えっ……?」

 

自分の身体に走るはずの痛みも衝撃も無い事に驚く麗奈に対し、新藤はアッサリと殺気を解くと"撃鉄が落ちて硬い音が鳴っただけの"拳銃を仕舞い込んだ。

 

「新藤……お前、どういうつもりだ」

「だから言ったでしょう叔父貴?"してやられた"って」

「なんだと?」

 

桐生の問いかけに対し、新藤はさも当たり前のように続ける。

 

「麗奈さんの事をよく知ってるのは、叔父貴だけじゃないってことですよ」

「どういう意味だ?」

「……麗奈さんは気丈でお優しい方だ。桐生の叔父貴という昔馴染みが逃げ込んで来たとあればまず間違いなく拒む事はしないでしょうし、叔父貴を匿ったり庇ったりする事に躊躇はしないでしょう。そしてさっき麗奈さんが言ってた通り……俺は麗奈さんに危害を加える事は出来ません。要するに、アンタがこの店に来た時点で俺はアンタを殺せないんですよ。」

 

新藤は東城会の極道であるが、同時に錦山彰の弟分でもある。

そんな尊敬する兄貴分の女である麗奈を傷付ける事は出来ない。

 

「もっとも、桐生の叔父貴はそこまで考えちゃいないでしょうけどね」

「新藤くん……その、私が言うのもなんだけれど、本当に良いの……?」

 

それでも親が殺れと言えば殺らなきゃ行けないのが極道の世界。

新藤がこの場において桐生を殺さないというのは、明らかな不義理と言えるだろう。

 

「勿論良い訳ありませんよ。もしも俺が末端のチンピラなら、どう足掻いた所でアンタら二人とも殺すしかない」

 

親が絶対の世界で自分の我を通す為には、親を納得させるだけの"立場と言い訳"が必要になる。

 

「ですが……今の俺は任侠堂島一家のカシラです。上の命令だけ聞いてりゃいい鉄砲玉とは違う。組の運営や存続の事も考えなきゃいけません。ここで麗奈さんごと叔父貴を殺せば……錦山の兄貴は今度こそ、俺らを潰しにかかるでしょう」

 

新藤の兄貴分である錦山彰は麗奈が攫われた際に烈火の如く怒り たった一人で組事務所へと乗り込み、文字通り組織の中核を壊滅させた。

その時は新藤が頭を下げ、錦山の周囲の人間に対する不可侵条約を結ぶ事で決着したが、もしもその新藤からその約束を反故にするような事があれば。

 

「そうなれば今度こそウチの組は終わりです。俺は嫌って程 本気でキレた兄貴の怖さ知ってますから」

 

解散、などにはならない。

任侠堂島一家は文字通り"潰える"事になる。

堂島家の二人はもちろんの事、最高顧問の久瀬、末端の構成員、そして新藤自身。

まとめて皆殺しにするまで、錦山彰は止まらないだろう。

 

「ここでアンタらを生かす事は、今後の組の存続に関わる……って事にでもしないと、バレた時に言い訳が立ちません。ホント、麗奈さんには"してやられましたよ"」

「新藤くん…………」

 

新藤は自身の立場と己の感情の板挟みになりながら、それでも桐生を生かす事を選んだ。

この決断が組にとって、ひいては東城会にとってどのような結果を齎すかは誰にも分からない。

ただ新藤の心は晴れたのか、その表情はどこか明るかった。

 

「……俺は引き続き、任侠堂島一家の極道として店の周囲を張っています。すみません麗奈さん。"さっきのは人違いだったようです"。」

「新藤、お前…………」

「ですが……もしも桐生の叔父貴が店を出入りする事があれば容赦はしませんので、そのつもりで。」

 

それだけを言い残し、新藤は店を去っていった。

彼は言外にこう言っていたのだ。"店の中にいる間だけは見逃してやる"と。

 

「……新藤くんに助けられたわね」

「ああ……そうだな」

 

麗奈の機転と度胸。そして新藤の義理堅さが生み出したのは、桐生にとっては何よりも有り難い休息の一時だった。

 

「桐生ちゃん、今夜はここに泊まってって。せっかく出来た時間なんだもの。たまにはゆっくりしないとダメよ」

「あぁ、そうさせてもらう……ありがとうな、麗奈」

 

こうして、桐生にとって平穏なまま12月14日の夜は更けていく。

 

 

 

 

それはまるで、嵐の前の静けさのようでもあった。

 

 

 




次回、錦が如く。新章開幕。
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