再始動
2005年12月15日。時刻は午後の18時頃。
神室町の西公園──賽の河原の広場にて、二人の男が拳を交えていた。
「ハァァッ!!」
「シャァッ!!」
一人は齢七十を越えようかという老人で、もう一人は三十代後半の壮年の男だった。
一回り以上年の差の離れた彼らが、気合いの声を上げながら互いの技をぶつけ合っている。
「ゆくぞ……!!」
やがて老人が中国に伝わる太極拳のようなゆったりとした──それでいて緊張感の伝わる動きを見せる。
(来る……!)
これまでの闘いの中で、男は理解していた。この動きの後に"大技"がやって来る事を。
(────呼吸を鎮めろ。間合いを見測れ。)
全神経を集中させ、間もなく来る大技に備える。
身体を脱力させ、精神を研ぎ澄まし、老人の細やかな動き全てを注視する。
そして。
「────噴ッ!!」
刹那。
数メートル離れていたはずの老人が、男のすぐ近くまで迫っていた。
「破ッッ!!」
裂帛の気合と共に放たれるは、刃の如き鋭さと弾丸のような速さを併せ持った必殺の一撃。
遠い距離から一瞬で至近距離に入った老人の繰り出すその技を回避する術は存在しない。
かと言って防御に回ればその守り諸共打ち砕かれてしまうだろう。もはや、この技を受ける他は無い。
「─────────────!!!!」
しかし。そんな不可能を男は可能にしてみせた。
彼が今まさに叩き込まれている武術。
その"奥義"を開帳し、老人の一撃よりも早く攻撃を仕掛けたのだ。。
「ぐぉっ!?」
そのあまりの威力に悶絶する老人。
男はその隙を逃さなかった。
「セェィヤッ!!」
真上から振り下ろされる右拳の鉄槌は、正確に老人の顔面を捉えた。
まともに受けた老人が後方へ吹き飛び、背中から地面に叩き付けられる。
「ぐ、ぬぉ…………」
「シッ!!」
身動きの取れない老人目掛け、男が追撃の拳を振り下ろす。
が、その一撃は既の所で静止し打ち込まれる事はなかった。
「────よう。合格って事で良いよな?じいさん」
そして男────錦山彰は不敵な笑みを浮かべながら突き出していた拳を解き、そのまま老人に手を差し伸べた。
「────うむ、見事じゃ」
老人────古牧宗太郎はそう言うと、錦山の伸ばした手を取って立ち上がる。
その顔はどこか満足げだった。
「よくこの短期間でここまで成長したの。やはりワシの目に狂いは無かったか」
錦山彰が江本医院を出て最初に行った事。
それは、賽の河原にて古牧流古武術の現当主である古牧宗太郎からの手解きを受ける事だった。
古牧流が興ったのは戦国時代。まだ日本人が刀や槍で命のやり取りをしていた時代に生まれたものであり、その代の当主達が時代に合わせたアレンジを加えながら受け継がれてきた武術である。
ヤクザやマフィアなど、危険な連中を相手取る上でこれ以上無い戦闘術と言えるだろう。
(今の俺が桐生を超える為には、これしかねぇ。何せ上手く行けば100倍は強くなれるって触れ込みだからな)
錦山は古牧が自分を内弟子に勧誘してきた時のセリフを思い出し、今以上の強さを手に入れる為に修行を付けて貰ったのだ。
大切な人や仲間達を護る為。
そして、己の掲げた野望も叶える為に。
「初めて手解きを受けてからの数日、毎日が喧嘩の連続だったんでな。おかげで、稽古相手には事欠かなかった」
「うむ。そして今や古牧流の"奥義"も修めてみせた。もはや、ワシから教えてやる事は何も無い」
「じいさん。って事は……?」
「左様。本日をもって、お主は古牧流の免許皆伝じゃ。」
免許皆伝。それは即ち、当代における古牧流の技を全て修めた事を指す。
錦山は強くなったのだ。
"嶋野の狂犬"や"堂島の龍"相手に蹴散らされた時とは、別人とまで言える程に。
「じゃが、これに満足し鍛錬を怠るでないぞ?免許皆伝は決してゴールでは無い。錦山よ。これからはお主が、お主の闘いの中で磨いていくのじゃ。お主だけの"古牧流"を、のぅ」
錦山は古牧流の全ての技を使えるようになった。
だが、技を"使える"のと技を"究める"のとでは訳が違う。
闘いの中で技を洗練させていく事こそが古牧流の真骨頂。古牧宗太郎をはじめ、当代の当主達が加えてきた"アレンジ"の正体がまさにそれなのだ。
「あぁ、分かってる。じいさんからの教え。絶対に無駄にはしねぇ」
「うむ。では錦山よ、後は野に出て鍛えて参れ!ワシの一番弟子としての力を、お主の敵に見せつけてやるのじゃ!!」
「────押忍!!」
気合を込めて返事をし、錦山は踵を返す。
その先には、遥や伊達といった彼の仲間達がいた。
「あ、おじさん!」
「錦山、戻ったか」
「あぁ、待たせて悪かったな」
すっかりアジトとなった賽の河原のプレハブ小屋の前で
、錦山は遥たちと合流を果たす。
「もう、芝浦に行く準備は出来たのか?」
「あぁ……これでもうやり残した事はねぇ。」
古牧との修練を経て、錦山は己の強さに絶対の自信を持っている。
今の自分なら、たとえ相手が桐生であっても遅れは取らない。何があっても大丈夫だと言う確信があるのだ。
「そうか……俺はお前とは別行動で、MIAと神宮の線をあたってみる」
「分かった。そっちは任せたぜ」
「あぁ」
「遥……行くぞ」
「うん……!」
伊達に別れを告げ、錦山は遥を連れて行動を開始した。
。
行き先はもちろん、風間新太郎の待つ芝浦埠頭である。
「いよいよだね……おじさん」
「あぁ……ようやく、全てを知る事が出来る。」
自分が服役中の十年の間に起きた出来事の数々。
今夜、ついにその最後のピースが手に入る。
(優子……生きていてくれよ……!)
そして、それと時を同じくして。
この男もまた、行動を起こそうとしていた。
「じゃあ……行ってくる」
神室町天下一通りのクラブ。セレナ。
錦山にとっての馴染みの場所には今、彼の見知った顔があった。
「もう、行くのね?」
セレナのママ、麗奈が声をかけた先に居たのは。
「あぁ……世話になったな。麗奈」
関東桐生会初代会長。桐生一馬。
東城会によって命を狙われた事で神室町に逃げ場の無かったこの男は、錦山の弟分であった新藤のお目こぼしによって安息の地を手に入れていたのだ。
しかし、当然いつまでも匿って貰う訳にはいかない。
桐生は、やるべき事があって東京に来ているのだから。
「桐生ちゃん……」
「ん?」
「私ね……錦山くんと、約束した事があるの」
「錦と……?」
「うん……」
そう言うと麗奈はバーカウンターの中に入り、一本のボトルを取り出した。
「この事件を解決させたら、みんなでお酒を呑もうって。錦山くんに桐生ちゃん。優子ちゃんや風間さん。そして、由美ちゃん。みんなを交えて、ね」
それは、錦山が愛飲していたブランデーの銘柄。
出所したての錦山が初めて店を訪れた時に栓を開けた品だった。
「それから錦山くんは事件に巻き込まれていった。何度も危ない目に遭いながら、それでも立ち向かっていった。その約束を守る為に」
「麗奈……」
麗奈はボトルの栓を開け、琥珀色の液体を二つのグラスに注ぐ。
その内の一つを、桐生の前に差し出した。
「だから桐生ちゃん。私達ももう一度約束しましょう?錦山くんの願いを叶えるためには、もうこれ以上……誰も欠けちゃいけない。」
「……あぁ、そうだな」
桐生は静かに頷くと、差し出されたグラスを手に取って軽く掲げた。
それに倣い、麗奈もグラスを持ち上げる。
「私は、この店を守り続ける。何があっても、絶対に」
「俺は、この事件に決着を付ける。錦の想いに、応える為に」
そして二人は共にグラスを飲み干す。
十年前、錦山の帰る場所を守ると誓ったあの時のように。
「じゃあ、行ってくる」
「うん……気をつけてね、桐生ちゃん」
「あぁ」
身体の芯から広がっていくブランデーの熱を感じながら、桐生はセレナの裏口を出た。
「────ようやくですか。待ちくたびれましたよ、叔父貴」
そして、階段下で待つ極道と視線が交わる。
任侠堂島一家の若頭。新藤浩二だ。
「新藤……」
「そこを出てしまえばもう、貴方を守るものはもう何も無い。」
問い掛ける新藤の声に呼応し、彼の周りには次々とヤクザ達が集まり始める。
全員、任侠堂島一家の構成員だ。
「──要するに覚悟は出来たって事ですよね?」
「……あぁ」
静かに拳を握り、眼下のヤクザ達を睨みつける。
そこに居るのはもはや、セレナで穏やかに過ごしていた桐生一馬では無い。
数多の激戦を潜り抜け、幾多の強敵を乗り越えて来た生ける伝説。"堂島の龍"に他ならなかった。
「フッ────」
非常階段の手すりを飛び越え、ヤクザ達の中へと降り立った人型の"龍"。
ヤクザ達が臨戦態勢を整える中。
「────行くぞぉ!!」
桐生がついに、反撃の狼煙を挙げるのだった。
芝浦埠頭。
桐生からの呼び出しを受けて数日前に訪れたきり来ていなかったその場所に、俺と遥は辿り着いていた。
時刻は午後19時。すっかり日が落ち、海の向こうに夜景が見えるそこに一台の船が停泊していた。
「アレだな」
よく見ると、停泊している船の周りには何人かスーツ姿の男達が居る。
「─────」
ふと、その中の一人がこちらに気付き頭を下げる。
それにつられるように周囲の男達も頭を下げた。
親っさんの息がかかった構成員と見て間違いないだろう。
「あれ……」
「ん?」
遥の視線の先は船の上。船内への入口近辺に向けられている。
その視線を追った先に、俺は一人の男を見た。
白いスカーフの上から黒いコートを身に纏ったその男は大柄で恵まれた体格をしており、遠目で見ても唯ならぬオーラが感じられる。
「あの人……多分バッティングセンターで会った人」
「なに……?」
遥の言う"バッティングセンターで会った人"と言えば、一人しかいない。
「例の、"知らないオジサン"か?」
「うん。ペンダントの事教えてくれた」
真島に囚われた遥の縄を解き、ペンダントの価値を遥に告げた人物。暗がりで顔が見えなかった遥がそれでもその正体に気付いたのは、男の放つオーラや体格によるものだろう。
「…………」
男は黙ったまま船の中へと足を踏み入れた。
あの様子だと、アイツも風間のおやっさんの味方なのだろう。
「よし……遥。俺たちも行くぞ」
「うん」
遥かに声をかけ、停泊している船へと近づく俺達。
周囲の護衛にあたっていた構成員達への挨拶もそこそこに、乗り込み用の階段を使って上へと登る。
船への入口のドアを開けた先に待っていたのは、先程の男。
「お待ちしておりました……錦山さん」
そう言って頭を下げたその男の話口調は、標準語ではあったものの関西の訛りがあった。
そこで俺は確信する。目の前の男の正体に。
「自分は、五代目近江連合の──」
「寺田、だな?シンジとアケミが親っさんを預けたって言う……」
「……えぇ、おっしゃる通りです」
寺田は名前を言われた事に少し面食らった様子だったが、すぐにその表情を正した。
「近江連合の人間が、どうして風間の親っさんを匿うんだ?」
俺は、既に自分の中で納得している疑問を敢えてぶつけた。
「錦山さんと同じですよ。俺も風間さんには返し切れない恩が……」
「……そうか」
返ってきたのは思っていた通りの答えだった。
風間の親っさんの仁義によって救われたその男。
それが人徳となって親っさんをここまで守るに至った。
想像に難くないし、納得も出来る。
(だが、まだ信用するには早ぇ……)
近江連合と東城会とは犬猿の仲。
今回はその常識を逆手に取って身を隠した親っさんだが、元々東城会に居た俺としてはおいそれと寺田を信じる訳にはいかない。
場合によってはコイツもまた、近江連合の立場から東城会を利用しようとしている可能性すらもあるのだから。
「風間さんがお待ちです……こちらへ」
「あぁ」
寺田に言われるまま、俺はその後をついて行く。
元々は小型のクルーズ船だったのだろうか、中の内装は中々に豪華な仕様だった。
おそらく、バブルの頃に購入したものを保有していたのだろう。
「どうぞ」
やがて寺田が一つの客室のドアを開けた。
案内に従い、俺はその部屋へと足を踏み入れる。
そして。
「……!」
スーツ姿でベッドに腰かける人物と目が合った。
オールバックの白い髪と、着こなされたスーツ。
怪我は未だ完治していないのか点滴用の台を傍に置いているが、力強い瞳と威厳ある佇まいは微塵も翳りがない。
「よく来たな……彰」
そう言って優しい表情を浮かべて迎え入れてくれたのは俺と桐生の渡世の親であり、ひまわりの子供達全員の育ての父。風間新太郎だった。
「親っさん……!よくご無事で……!」
「すまなかった……苦労を掛けたな」
実に約一週間ぶりの再会に、俺は目頭が熱くなる。
三代目の葬儀の時、目の前で親っさんが撃たれて以来なのだ。無事でいてくれた事に俺は心から安堵した。
「────」
寺田が無言で客室のドアを閉め、部屋を去る。
久々の再会に遠慮してくれたのだろうか。
「あの寺田って男は……もともと俺と同じ"元・ヒットマン"だ」
そんな事を考えていると、親っさんが寺田の事について教えてくれた。
「確か、親っさんに恩義があるって話でしたが……」
「あぁ。昔、俺が"仕事"をした現場で、少しな。」
「そうだったんですか……」
仕事、と言うのは親っさんがやっていたヒットマン──殺し屋としての役目の事だろう。
その先で親っさんと出会い、恩を感じた寺田。
色々な状況や経緯が想像出来るが、そこは今は良いだろう。
「近江連合本部長の肩書きで、東城会に探りを入れてもらっていたんだ。」
「近江の本部長……あの寺田って、そこまでの人物なんですか?」
本部長と言えば、組織の中でもNo.3やNo.4に位置する程の立場だ。それも日本最大の極道組織である近江連合のだ。
かなりの大物なのは間違いないだろう。
「あぁ。嶋野組や任侠堂島一家を中心に、東城会内部での裏切りや反乱を企てている可能性のある組と接触を図り、その内情を把握するためにな」
「そう言う事だったんですね……」
裏切りや反乱を企てているような組は寺田からの誘いに乗るか、手を組もうとする。しかし本家に忠実な組織であればそれを跳ね除け、自身のいる東城会を守ろうとする。
その基準を判断材料として裏切り者を炙り出し、組織内の"膿"を一掃する。
跳ねっ返りの極道を扱う上で、実に理にかなった策と言えるだろう。
「なぁ、彰……これからお前に、この十年間に隠された全てを話す。いいな?」
「……はい」
俺は気を引き締めた。
ついに。ついにこの時が来たのだ。
俺がここまで追ってきた謎。
その全てが今、明らかになる。
次回 錦が如く
真相