「錦山よ、良くぞここまで着いてきた。まさかこの短時間でこれ程までに我が流派の技を会得するとはのぅ」
「次にお主に授けるのは、我が流派の三大奥義の一つじゃ。」
「冷静に間合いを測り、脱力から緊張。静から動へのスムーズな移行が、この技の鍵となる」
「この技の名は─────」
東城会直系嶋野組組長。嶋野太。
身長195cm、体重149kgと言うあまりにも恵まれた体躯と鋼の如き堅牢さを誇る筋肉の鎧を持つ彼は、東城会が誇る超武闘派集団"嶋野組"を束ねる大親分である。
その性分は極悪非道、冷酷残忍。己がのし上がる為ならどんなものでも利用して使い潰す。
力で持って全てを蹂躙する。まさにヤクザの体現と言えるだろう。
「ここがお前の墓場や!!」
「ッ……!」
そんな強大な敵との二度目の闘いに、錦山彰は挑んでいた。
頭を襲う鈍痛に眉を潜めながら。
(ダメだ、頭が回らねぇ……!)
無我の境地。
これまでの激しい闘いの中で錦山が体得したそれは、状況の認識とそれに対する最適解を瞬時に導き出す事が出来る代物だ。
しかし、限界を超えると脳と神経に多大な負荷がかかる諸刃の剣。
錦山はまさに、その反動に苛まれていた。
「てぇぇい!!」
故に。
今の彼には迫り来る嶋野の張り手を避ける術がない。
「ぐぁぁあっ!?」
咄嗟に防御に回した腕が悲鳴をあげた。
錦山の身体がその圧倒的な腕力の前に吹き飛ばされる。
「くっそ……!」
着地と同時に地面を踏み締めて転倒を防ぐが、平衡感覚の鈍りから片膝を着いてしまう錦山。
「ケリつけたるわ……!!」
嶋野はそう言って錦山の元へ歩み寄ると、両手で首を掴んで軽々と持ち上げた。
「死に晒せやぁ!!」
そのまま握力を解放して錦山の首を締める。
「ッ……ッッ……!!」
気道を塞がれて意識が遠のく錦山。
その顔は赤みを失い紫色へと変色を始める。
数秒後に錦山の意識は断絶し、十秒もすれば首の骨がへし折れているだろう。
(や、べぇ……!)
視界に白が混じる。"死"が迫る。
錦山は確信した。この状況で、自分が生き残る最適解を。
「ッッ!!!!」
嶋野の手首を両手で掴み、全身全霊の握力を込める。
後先など考えない。嶋野の手首ごと己の手も破壊する覚悟で握り締めた。
「な、んやと!?」
その結果、自分より一回りも体格の違う錦山に自分の手を握り潰された嶋野が 驚愕に目を見開いた。
「スッ────」
気道を確保した錦山が短く息を吸う。
供給の絶たれていた酸素が身体中の細胞に行き渡り、全身の筋肉に力が漲る。
「ッラァ!!」
勢いよく嶋野の腕を引き剥がすのと同時に、錦山はがら空きとなっていた嶋野の顔面に膝蹴りを叩き込んだ。
「ぐべっ!?」
鼻柱を叩き折られ、少なくない出血を強いられた嶋野が咄嗟に自身の顔を庇った。
その隙を、錦山は決して逃さない。何故なら彼の見出した最適解は。
(殺られる前に、殺ってやる!!)
真っ向から立ち向かい、荒々しく殴り勝つ事。
超武闘派極道を相手に、錦山は堂々と素手でのタイマンを仕掛けたのだ。
「うおぉぉおッッ!!」
全身から溢れ出る闘気。胸の内を迸る闘争本能。
それに従って放たれしは全体重を乗せた大振りの右フック。
「が、っ──!」
嶋野の下顎を見事に捉え、2メートル近い巨体がフラッシュダウンを起こしてバランスを崩す。
「セィッ!!」
無防備になった胴にすかさず左の正拳突き。
「ぐほっ!?」
分厚い筋肉の鎧を貫いたその一撃が、鳩尾を打つ。
急所を突かれた事で呼吸困難に陥る嶋野が更なる隙を晒す。
「シャァッ!!」
左足を踏み抜いて体重をかけ、そこを軸に後ろに回転。
振り上げた右足の踵を、遠心力のままに振り回して側頭部に叩き込む。
「がぉっ!?」
後ろ回し蹴り。
数多くある空手の蹴り技の中でも屈指の威力を誇る大技である。
「ぐ、ぅ……!」
三半規管をやられた嶋野が背中から大の字に倒れ込む。
錦山はここで一気に決着をつけると決議した。
「終わりだ……!!」
すかさず嶋野の上にのしかかってマウントポジションを取る。そして。
「うぅぉぉおおおおおああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああァァァァッッ!!!!」
殴る。殴る。殴る。
叩く。叩く。叩く。
潰す。潰す。潰す。
一切の遠慮なく。一切の躊躇なく。
嶋野の顔面を粉砕すべく、錦山は拳の暴風雨を振らせた。
「ガッ、ゴッ、ブッ!?」
一発一発に石で殴られてるかのような衝撃と威力が込められた錦山のグラウンドパンチは、マウントポジションで逃げ場のない嶋野の頭を地面に叩き付け、バスケットボールのようにバウンドを繰り返した。
「オラァアァァッッ!!」
一際大きく振り上げた右の拳を全力で振り下ろす。
その一撃は嶋野の鼻を潰して陥没させ、後頭部をアスファルトに強打。地面と拳に挟まれる形となった。
「はぁ、はぁ……!」
錦山は息を荒げながら嫌な予感を感じていた。
文字通り嶋野を"タコ殴り"にしたと言うのに、トドメを刺した実感と手応えを感じれなかったからだ。
「に……じ……!」
そして、その予感は的中する。
「にじぎ、やま、ぁ……!!」
拳が顔にめり込んだまま。地面に挟まれたまま。
嶋野太は、血走った目を錦山彰に向けていた。
「ッッ!!?」
絶対零度が背中を走る。
その時にはもう、嶋野の肉体は行動を起こしていた。
「ぬぅぅおおおおおおおっ!!」
マウントを取られたまま腹筋を使って起き上がり、錦山の鼻柱に頭突きを叩き込んだのだ。
「がッッ!?」
「てぇぇッ!!」
鼻から流血し怯む錦山の胴に、嶋野は靴底を押し当てるとそのまま勢いよく蹴り飛ばした。
巨躯に宿した圧倒的なパワーで錦山を無理やり引き剥がす事に成功したのだ。
「く、ッッ!!」
数メートルの距離を吹き飛ばされた錦山はすかさず"古牧流・猫返り"で体勢を整える。
「舐めおってこのガキぁ……!」
殺意を剥き出しにして起き上がる嶋野を、錦山は一切の油断無く睨み付ける。
(仕留めきれなかったか……)
大振りの右フック、正拳突き、後ろ回し蹴り。そしてマウントポジションからのパンチの連打と 威力の高い技を的確に当てていた錦山。
それらの攻撃は全て嶋野にとって有効打となり得ていた。
だがそれ以上に、嶋野太という大男がタフだったと言う事だ。
(だが……!)
しかし錦山は確信していた。"殺られる前に殺る"。
それを最適解とした事は間違いでなかったと。
何故ならそれによって、彼は大きな収穫を得たからだ。
("俺の攻撃が嶋野に通る"……それが分かりゃ後は簡単だ……!)
葬儀場で闘った時は錦山の攻撃は分厚い筋肉の鎧に阻まれてしまい、目潰しや嶋野の突進に合わせてのカウンターや空中からの重力落下などに頼っていた。
だが、今は違う。
ここに至るまで数多くの強敵と拳を交え、鍛えに鍛えられた錦山の肉体。そして洗練され続けてきた技の数々。
それらを持ってすれば、筋肉の鎧の上からであっても嶋野にダメージを与えられる。即ち、真っ向勝負が出来るのだ。
「ブチ殺したるわぁぁあああああ!!」
獣の如き雄叫びを上げて嶋野が襲いかかる。
「上等だコラァァァアア!!」
それに対して錦山は一切臆せずに迎え撃った。
「ぬぅん、うぅらぁぁ!!」
「シャァアッ!」
嶋野が繰り出した右の張り手に対し、錦山は左のフックでその張り手を真横から叩いた。
「ぐぉっ!?」
「シッ、オラッ、セェッ!!」
張り手の軌道を逸らされた事で体制を崩す嶋野の隙を突き、錦山はガラ空きの顔面に右のストレート。たたらを踏んだところで左のアッパー。そこから更にボディへ正拳突きを放つ。
「ぐぅ、ぬおおっ!!」
「フッ!」
受けたダメージを誤魔化すかのように嶋野が勢い任せで腕を振り回すが、それに対して錦山はその剛腕の動きに沿って回転してやり過ごすと、勢いのまま左の裏拳を下顎に当てる。
「ぬっ──!?」
「ハッ、オラァッ!!」
脳震盪で身体を揺らす嶋野の脇腹に右のボディブローをめり込ませ、さらに追撃でボディに膝蹴りを突き刺した。
「ぐぬぉぉ……!」
堪らず腹部を抑えて後退る嶋野。
「フゥーッ……!!」
ここで錦山は大きく腰を落として半身の構えを取る。
呼吸による脱力の後に腰だめに拳を構えながら強く地面を踏み込んだ。
「!!」
内臓を苛む痛みの中で嶋野は悟った。
更なるダメージを胴に与えるべく、錦山は構えたのだと。
「ぐっ……!」
嶋野は更なる追撃を防ぐべく、ボディに対する防御を固めた。これ以上胴への攻撃を許せば自らの臓器を損傷しかねないからだ。
「シッ」
錦山の構えは正拳突きの前動作。錦山の視線は嶋野の胴体。
しかし。
「セェッ!!」
鳩尾ないしはボディへと叩き込まれるはずのその正拳突きは、嶋野の顔面を抉り打ったのだ。
「ぐぶげっ!?」
度重なるボディへの攻撃で嶋野の意識を胴の集中させる事で顔面への守りを薄くし、がら空きになった瞬間に一撃を見舞う。それが錦山の狙いだった。
「セェイヤァッ!!」
その勢いに乗り、更なる追撃としてドロップキックを繰り出す錦山。
全体重を乗せたその蹴りを受けた嶋野が大きく仰け反ったまま後退し、やがて地面に膝を突いた。
「ぐ、ぉぉ……!」
「はぁ、はぁ……!」
スタミナを度外視し全力の攻撃を続けてきた錦山が息を整える。
嶋野が一度攻撃をする間に三度の打撃を当て続けるのには限界があった。
「はぁ……はぁ……へっ、どうした嶋野さんよ?まさかこれで終わりじゃねぇよな?」
そんな中、あろう事か錦山は嶋野を挑発するという暴挙に出た。
「はっ、前はもうちょっと強ぇ奴だと思ってたんだがな?所詮、図体がデカいだけのロートルか」
「おどれ……!!」
嶋野の額に青筋が浮かぶ。
自分より二十歳以上年下の錦山に殴り合いで押し負け、ましてやあからさまな態度で挑発を受けたのだ。
その屈辱は、嶋野の身体から痛みを忘れさせた。
「このガキァァああああッッ!!!!」
怒りに駆られた嶋野は立ち上がると、両腕を交差させながら突進を敢行した。それはまさに人型の戦車がキャタピラを回転させて突撃してくるのと変わり無い。
ほんの数秒もせず、錦山の肉体はあの戦車に轢き潰される事になるだろう。
「フゥー……──」
それに対して錦山は深く息を吐くと、燃えたぎっていた心を鎮めた。
相手を屠らんと昂る肉体を諭し。相手を倒さんとする本能を制し。
湧き出る闘気を押さえ付けるのではなく、より洗練に、より鋭利に。
相手を滅する為のモノへと研ぎ澄ましていく。
「────────」
そうして至るは、二度目の"無我の境地"。
迫り来る肉弾戦車の動きがスローモーションとなり、鮮明かつ正確に認識出来る。
同時に、それに対する最適解もまた瞬時に導かれた。
「──────────────ッ」
構えは軽く。拳も軽く。
嶋野の突進が己の射程範囲に来るその瞬間を、遅く流れる時の中で待ち続ける。
「でぇぇぇぇぇいッッ!!!!」
やがて訪れる。
脱力。間合い。呼吸。タイミング。
それら全てが合致した"刹那の一瞬"
その時こそが。
《勝機!!》
「────────!!!!!!」
ズドン!!!!と。
他の何とも形容し難い音が芝浦埠頭に響き渡った直後。
「ゥ、ぐぉぁああっっ!?」
錦山よりも一回り大きい体躯を持つ嶋野が、まるで解体用の鉄球に当たったかのように吹き飛ばされたのだ。
「がは、っ、ぁ────」
受身を取ることも出来ぬままアスファルトへと投げ出された嶋野。
あまりにも物理法則を無視したその現象だが、その真実を錦山だけは知覚していた。
右の拳に感じた、確かな手応えと共に。
《古牧流・奥義 ──虎落とし──》
「フゥー……────」
"無我の境地"を解き、ゆっくりと息を整える。
右手に残った僅かな感覚と共に、俺は闘いの決着を悟った。
(決めてやったぜ……!)
嶋野に放ったのは古牧流の三大奥義の一つ。
その名も"虎落とし"。
自分よりも強大な相手を"虎"と例え、そんな敵の動きを見極め脱力し、必殺の一撃を叩き込む事に重きを置いたカウンター技だ。
もっとも、背中に猛虎の墨を背負った嶋野を相手にこの技を使う事になったのは偶然であり皮肉でしかないのだが。
「ぐ……ぬ、ぅ……!」
爺さん曰く、数ある古牧流の技の中でも"虎落とし"は単体の技としては最強の威力を誇るらしい。
その言葉が決して嘘ではなかった事は、目の前で起きている現実が証明してくれていた。
「こ……この、ガ、キ、ぃ…………ゲホッ!」
辛うじて上体を起こす嶋野だが、立ち上がろうとした瞬間吐血して片膝を突き、身動きが取れないでいる。
完全なる脱力と完璧な見切りから生み出された"虎落とし"の破壊力は、嶋野の肉体に甚大なダメージを与えたはずだ。
先の吐血が内臓を損傷しているが故のものであると仮定すると、今の嶋野は立ち上がる事はおろか意識と息がある時点で奇跡と言える。呆れたしぶとさだ。
「嶋野……」
俺はその場に落ちていた金属バットを拾い上げた。
この抗争でどこかの組織の人間が使っていたであろうそれを握り、一歩ずつ嶋野との距離を詰める。
「に、錦山……おど、れ…………!」
「…………」
凶悪な形相で睨み付ける嶋野だが、今のヤツが抵抗出来ない事を俺は知っている。
だが問題はそこじゃない。
「テメェの頭……カチ割ってやるよ……!」
嶋野太。長きに渡り親っさんをライバル視し、東城会のトップに立つ瞬間を虎視眈々と狙い続けて来たこの男。
そして、100億のためなら遥の命をなんとも思っていない卑劣漢。
そんな男が未だ、意識を保ったままでいる事の。それが問題なのだ。
「──殺る気なんか……?このワシを……?」
「────あぁ」
だから、殺す。
命ある限り、何度でも這い上がってくるであろうこの男を。確実に、この場で殺さなくてはならない。
「……はっ、青二才が。風間やガキの見てる前で、おどれなんぞに人が殺せるか」
「口の利き方には気ぃ付けろや、このクソ野郎が……!!」
そこで俺は嶋野に対して全力の覇気をぶつけた。
自分の置かれた状況を。数秒先に待っている"死"を自覚させる為だ。
「ッ……!」
「俺は……殺ると言ったら殺る男だぜ……!」
この時。
俺は背後に視線を向ける事をしていなかった。
もしも振り向けば、今の俺を見つめている親っさんと遥の顔を拝む事になる。
二人の顔を見るのが怖かった。どんな顔で俺を見ているのか想像するのが恐ろしかった。
何より、それをした事によって"殺しの覚悟"が鈍るのを防ぎたかった。
「く、そが……!」
「覚悟しやがれ……!」
だから。
「っ、彰……!」
バットを振り上げた時に背後から聞こえた親っさんの声も、俺を止めようとして発せられたものだと思ってしまった。
「嶋野ぉぉぉおおおおおおおおおッッ!!」
それを振り切るつもりで俺は、雄叫びと共にバットを振り下ろす。
そして。俺が全てを察したのはこの直後。
「どぉりゃぁぁぁあああ!!」
「ッッ!!」
背後から俺の腰にタックルを仕掛けてきた何者か。
「させへんで、このボケがァ!!」
「て、テメェは!?」
その正体がズタボロの風体となっていた近江連合の林である事。
ふと視界の端に映った、倒れ付した柏木さんと松金の叔父貴の姿。俺の知らない闘いが起こっていたという事実。
そしてその勝者たる林に自身が押し倒されてしまった現実。
親っさんが俺の名を呼んだ本当の意味。
その全てを悟った時。
「ぬぅっ、でやぁぁあああっ!!」
運命は、決していた。
「!!」
「ぐぉ、ぁ──────」
近江連合の寺田が咄嗟に拳銃を発砲し嶋野の命を奪うが、もう遅い。
嶋野が死ぬ直前に投げ放った黒い物体──手榴弾が放物線を描いて親っさん達の元へと迫る。
「遥!親っさん!!」
直後。爆音。
次いで黒煙が二人を覆い、爆風が俺の身体を叩く。
「ッ、邪魔だァァァァあああああッッ!!」
「ガッ!!?」
俺は身体に纏わり付いた林の頭に鉄槌を振り下ろして気絶させると、その体勢のまま立ち上がって力任せに放り投げた。
一拍遅れて耳を叩いた水飛沫の音から林が海に落ちた事が分かるが、そんな事はどうでもいい。
「親っさん!!」
一心不乱。気絶又は死体となって横たわる大勢の極道やヤクザ達を乗り越えるように親っさんの元へと駆け付ける。
「風間さん!」
先に辿り着いた寺田が親っさんの安否を伺う。
「親っさん!」
次いで辿り着いた俺の目に映りこんだのは。
「あ、彰……」
手榴弾の破片で出血し、血の滲んだ背広。
煤で汚れた顔。そして。
「遥は…………無事、だぜ…………」
こめかみから血を流しながら、力強く俺を見る"父"の顔。
そして、その下から顔を出す傷一つない遥の姿だった。
次回でこの章は最後です。