「地獄はもぬけの殻だ。全ての悪魔は地上にいる」
ハジメは敵の攻撃が弱まった防壁の上で避難所の報告を聞きながら、無表情で総括した。デボルを襲った凶行の知らせを聞いても、表情が怒りに歪む事は無い。怒りを感じないと言えば嘘になるが、半ば結末を予想できたにもかかわらずに彼女等を派遣したのも事実だ。
尤も、予想していた中でも悪い方のケースだったが。最悪でなかったことを喜ぶべきか、それとも人間のように憤るべきか。
「シェイクスピアの引用だね。私も報告は聞いたから、あえて意味を問うようなことはしないけれど」
「ええ。人間とはやはり、気ままに争う悪であり、悪とはとても陳腐で月並みなものなのです」
「アンタ時々神みたいなこと言うわよね」
「否定はしませんよ。神を超えなければならないのなら、せめて神の思考を手に入れなければね」
実行に移すかは別として。と、ハジメは言った。しかし、実行に移すのに躊躇いは無いだろう事は誰もが声色で分かった。
「人間は皆、不安を抱えながら生きています。信念に惑い、絆に振り回され、自ら業苦へと身を投げる事を美学とする。それは未知の領域に対面した時に感じる当然の対価なのでしょう。しかし、僕はこの世界で生き残るためにその恐怖を受け入れず、数式とし、関数とし、証明とした。それが僕の最初で最悪の悪行です」
ミレディ戦の後に、ハジメは語った。ハジメは主人公が王道的な活躍をする少年漫画や、その中の信念を貫き通す主人公や、優勝を目指して努力するスポーツマン達などの、多くの人が胸をときめかせるものを見ても何も感じなかった。代わりにハジメの心を満たすのは頭蓋骨の模型やヴァニタスの盛り込まれた絵画、もしくは現実に存在しないような幻想世界の寓話。
「後悔はしていませんよ。生きるための行為です。結局の所、時代に適応した結果なのだから。中村さんの受け売りですが」
或る意味では新人類とも呼べる。傍から見れば人としての『何か』が欠けているとしか思えないだろう人間。ハジメと恵里が出会った時には香織や光輝を巡る敵対関係でありながらも、お互いに妙なシンパシーを感じていた。
『君と僕は同類だよ。常人が〝人間性〟と宣う何かが欠けている。勘違いしないでくれ。非難しているわけじゃない。兄弟喧嘩で『お前の母ちゃんでーべそ』なんて滑稽にも程があるじゃないか。ずばり僕が抱いているのは称賛と憧憬さ。僕と同じ魂を持つ人間がこんな近くにいたのは僥倖というほかないよ。次々と謎を作る君の表情を見て気付いたんだ。ああ、コイツは僕と同じ逸脱者なんだって』
恵里の真意は同類ですら始末しようとしたハジメに対する非難でも、非人間的価値観への嫌悪でもなかった。それどころか、恵里はハジメを『魔王』と呼んで崇拝するような素振りすら見せた。
自律式のパイプオルガンが響き渡る謎解きの最終局面で、恵里はハジメに『魔王』を見出した。一人の為に全てを滅ぼすとすら思える、魔物にとっての救世主。パイプオルガンが自律式で動いていた理由は、ハジメの殺意によるものだった。その教会は高山に位置しており、平地よりも酸素が少ない。無論存在地は日本である。そのままでは高山病など発生しない。だが、そのパイプオルガンには室内の空気を抜いてしまう細工がしてあった。
一見すると避難所か何かのようにも見える教会。人の寄り付かない山中。仮に仕掛けが露見しても、構造上必要なものとしか思われない。ハジメの敵を始末するために、もしくは人類を救済するために慈善事業を装って作った殺人機械。
ハジメ本人どころか、恋人である香織や画家『ゼロ』の支援者すら差別を掲げる獣たちに攻撃されていた転移前。もはや言葉で戦っても勝ちは見えない。大切なものは守れない。何より香織の人生を破壊してしまう。
故にハジメは地上の悪魔を滅することにした。自分が『魔王』となってでも、香織のいる平和な世界を護るために。〝寂しい生き方〟をさせないために。香織はどうやってもハジメのもとを離れない。ハジメが地獄に堕ちれば香織も追いかけてきてしまう。だから、自分の目の黒いうちに、香織を傷つける者達を殲滅し、人類に死の救済を。
「覚えてるよ。私が恵里ちゃんから聞いて……多分、あの子の嗅覚か勘で分かったんだろうね」
『どんなマジックを使ったのか分からなかったけど、奴は僕を殺そうとしていた。ヒントになるかは分からないけれど、謎を解いている時に、ひどく息苦しかったな。鈴の助けが無かったら、多分あそこで死んでたね』
香織はその話を聞いて、ハジメを問い詰めた。そして、詳細を聞いて怒り狂った。ハジメを殴り倒した後に、言葉の限り詰った。
『信じられないかもしれないけれど、君が、ハジメ君が人を殺そうとしたことは、どうでもいいの。恵里ちゃんや鈴ちゃんに謝罪しろとも言わないよ。むしろ一緒に殺してあげたいくらい』
恵里はハジメと対立した時に、情報を得るために親友のふりをしていた鈴を切り捨てた。そして、鈴は壊れていく恵里を助けるためにハジメに助けを求めたのだ。謎や迷宮を作る力があったハジメは共通の敵の前に快諾した。
しかし、恵里は光輝の周りにいる存在を抹消するために動き続け、たとえ社会的に抹殺しても香織達を狙い続けると豪語した。それが嫌なら恵里の事を殺してみろとまで叫んだ。
普通の人間なら、大人を頼るなり、警察を頼るなりしただろう。それが凡人の選択であり、これ以上罪を重ねない利口な生き方だ。しかし、ここまで来てハジメは更に罪を上塗りする事を選んだのだ。
そして、ハジメは両親も恋人も、そして密かに自分を監視していた遠藤も欺いて人を殺すためのパイプオルガンを使った。協力者の鈴への裏切りになると分かっていながら、ハジメは地上の悪魔を滅するための殺戮兵器のデモンストレーションに使った。
ハジメの手は震えない。震えていたら設計図を書く事も、病人の身で行える程度の細工も成功しない。自らを血に濡れた姿に変えていく。病棟の惨劇を生き残り、屍と流血が纏わりつくこの身を捧げていく。そうでなければ犠牲になった人々は救われない。彼らを救済しなければ、あまりにも〝寂しい〟生き方ではないか。
香織はそれを、善人でいる為に、優しくなるために悪に落ちてゆく業苦を理解した上でこう言った。
『気付いているの? ハジメ君の心は、狂ったように絶叫していることに』
鈴がハジメを裏切り返して恵里を助け、パイプオルガンの仕掛けを機能不全に追いやったことに、ハジメは何処かホッとしていたことを香織から指摘される。〝優しい人〟になる為の行為が失敗した事で心が守られているという事実を。
香織は叫びすぎて吐き出した血を拭ってハジメに近づく。
『ハジメ君が怨みで人を殺したいというなら、一緒に殺してあげる。そうすることで君の心が守られるというなら、私が守ってあげる。でも、〝優しい人〟に、〝いい人〟になりたいからっていう理由で君が心を壊すなら、私は君の前に立ちはだかるよ。優しくなんてならないで。君が壊れてしまうなら、私は悪にでもなる』
ハジメはヨナを殺したことで清水と殺し合った。そして、鈴の依頼が発端で恵里と殺し合った。清水と鈴はハジメを恨んでいるだろう。ハジメからすれば何故未だに一緒にいるのか分からないが、少なくともどこか常人から外れているのは確かだ。
そして、それらの怨みや香織の言葉を聞いてもハジメの意見は変わらない。悪魔は全て地上にいるし、死の助け無くしてハジメは善人になどなれない。だが、善人になれずとも香織が自分を愛してくれるというのであれば、それに委ねてみてもいいかもしれないと思った。
「私達の……街……世界……ここは……どコダ?……私は……ナンだ??」
業を背負った者達は、目の前で生成された巨大な魔物を見上げる。避難所から追い出された街の住人達が巻き込まれ、魔物達が融合した産物。ウルの街を護るためには、巻き込まれた住人ごとこれを滅しなければならない。発生原因や治療法を模索する暇などなく、街を護るために街の住人を殺す。
「始めましょうか。〝厳粛なる哀悼〟を」
ハジメは自分の心が壊れる音を聞きながら、殺戮の開始を宣言した。
WARNING ウェンディ
とりあえず、恵里、鈴、遠藤の心情もそのうち書くとだけ言っておきます。
実はちょっと後付けの設定なので、過去に投稿した話と矛盾しないように書くのに苦労しました(特に『青イ鳥』)。恵里と鈴が仲間になるまでにも色々あって、清水もそうですが殺し合った関係にも関わらず一緒にいます。
もはや彼らは常人の世界では救われないのです。
オルクスの隠れ家の作りかけのメイドロボの目が瞬く。まるで何かを伝えようとするかのように
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修理して連れていく
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見なかったことにして放置する