優花は親友二人を外に連れ出していた。護衛隊の、主に男子がハジメ達を罵っている間、奈々と妙子は雨に濡れたタンポポのように縮こまっていた。男子達の言っていることが間違いだとか、ハジメ達が正しいだとか以前に、〝持つ者〟への憎悪を滾らせる仲間達が怖くて仕方なかった。
反面、優花についてはまだ分からない事も多いが、一応の行動原理は理解出来ただけまだましといったところだろうか。その優花は「待ち合わせ場所はここか」という一言と共に二人に振り向いた。
「貴方達、これからどうするの?」
二人は思わず身を固くする。優花は同い年のはずなのに、二人の親友のはずなのに、二人とは比べ物にならない威圧感を放っている。彼女は姦淫の罪を働いたヘスター・プリンであり、船長を諫めるスターバックであり、そして鯨を追い求めるエイハブでもある。その自意識を持つ優花が普通の女子高生と同じ気配を持つはずも無い。
そして、優花の問いだが、奈々も妙子も意味は分かっている。
今回の一件で、愛子の権威は著しく失墜したと言っていい。教会が神敵と認定した竜人族や深人族を頼る事こそしないだろうが、彼等を上回る成果を上げられない愛子では言う事を聞かせることも出来ない。そもそも今の時点ですら生死不明であり、見つからなければ二人を含めた護衛隊や引きこもり組は強制的に戦場に駆り出されるだろう。
「私……は……」
「分かんないよ……どうすればいいかなんて……わかんない」
二人は泣き出してしまった。
それもそうだろう。神の使徒だなんだと崇められようとも、ついこの前まではただの女子高生だったのだ。エイハブの魂を宿してしまった優花や、死神のような精神性で生きているハジメが特殊なだけである。
「それなら別の質問。護衛隊を離れる気持ちはある?」
「…………」
「トータスにおける先生の権威は失墜した。このまま見つからなければ、いえ、見つかったとしても、貴方達は戦場に駆り出される。その前に、逃げ出すという手もあるわ」
「でも……私達に行き場所なんて……」
「あるわ。現時点で貴方達を引き入れられる場所が一つ」
優花がそう言うと、暗がりの中から
数日後、奈々と妙子は九龍衆に引き取られることになる。竜人族の中には人間……というより教会関係者に良い感情を持っていないものも多いため、出自は隠されたが。流石に種族は誤魔化しきれないが、神の使徒という点だけは何とかなる。
九龍において、人手の需要は戦闘員だけではない。文明国としての発展に伴い、書類は洪水の如し。事務員の需要は急増している。幸い、奈々と妙子は《言語理解》による識字と、高校生レベルの計算能力があったために事務仕事は可能だった。足りない部分は後で教えればよい。
『お主ら、何故戦闘要員として起用されておったのじゃ……』
とは、報告を聞いた
閑話休題
ハジメと香織はメフィストフェレスから離れた場所に来ていた。自分達を罵る相手が列車を占拠しているのは釈然としないが、まあ、飽きれば出て行くだろう。壊されたところで、作り直せばよい。
街外れの高台で、ハジメと香織は口づけをした。もしかしたら、愛子が来ていないかとも思ってここに赴いてみたが、彼女はおらず、結局どうでも良くなった。二人はようやく抱きしめ合う。
お互いの雨音のような声を、パンケーキのような人工皮膚を、水飴のような、或いは落雁のような唇を、飴細工のような鎖骨を、首筋の動脈を味わう。メスで切り開いた訳でもないのに、皮下の存在をお互いに認知している。なるほど、これは食べたくもなる。
「良かったのですか? 彼らを助けずに」
しばらくお互いの質量を感じた後、ハジメは口火を切った。ハジメに優しさを捨てるように言った香織だが、冷酷になって欲しくはないだろうという推測の下にそう問うたのだ。ハジメの優しさは冷酷であり、それ故に香織は『優しさを好きになったが、優しさを捨てろ』と矛盾したことをハジメに言ったのである。
「良いの。コンダクターは、彼等と関わるべきじゃない。属するべきでない者がその集団に属してしまった場合、それは取り返しのつかない悲劇を生む事にもなる。みんな仲良く、なんてできないし、人を選ぶ権利はコンダクターにだってある」
しかし、香織はむしろ愛子達に関わる事は反対であった。あれ以上あの場にいたら、ハジメは壊されてしまう。愛子の集団も壊れていく以上、双方にとって害にしかならない行為なのだ。
それに、愛子の生徒を支配するかのような言動には香織も幽かに怒りを覚えていた。あの教師は、あの女はショーシャだ。『魔の山』の主人公、カストルプを幻惑し、結果七年もサナトリウムに留まらせたロシア人の女性。ショーシャにその意図があったのかどうかは分からない。しかし、彼女がいなければカストルプはセテムブリーニの忠告に従い、山を下りていたかもしれない。
『魔の山』の作者であるトーマス・マンは次のように書いている。
『カストルプが理解するために学んだことは、すべてのより高い健康は病気と死を通ってしか到達できないということである。……ハンス・カストルプがかつてショーシャ夫人に言ったように、人生には2つの道がある。1つはありきたりな、直接的で、かつ勇敢な道。もう1つは、死を通っていく悪い道であり、それは天才の道である。この病気と死の概念は、知識、健康、そして人生への必要な通路として、魔法の山をイニシエーションの小説にしている』
ハジメは病を力に変え、より高い健康を手に入れたのかもしれない。そして、彼は間違いなく死を通って行く悪い道へと足を踏み出している。だが、香織はそれは天才の道でこそあるが、悪の道ではないと思う。
真の悪は第三の道であり、これが愛子についていく事だ。愛ちゃん護衛隊達は自分で立ち上がる事すらしなくなり、その不幸を甘受するばかりとなった。
別に、それだけならば悪とは言わない。それは彼らの自由であり、好きにすればよい事だ。
だが、異教を狩る十字軍のような野蛮さでハジメをその中に引きずり込もうというのならば話は別である。アレは人を引きずり込む魔の集団だ。連帯という気管支症候群を引き起こし、馴れ合いという名の肺炎を引き起こし、最後には依存という名の結核を引き起こす。そのまま浸潤と石灰化を引き起こせば終わりだ。
「結核の中でしか生きる事の出来ない人たちを非難するわけじゃない。でも、コンダクターを妬んで、あまつさえ、自分達の所まで落ちろだなんて。なんて、傲慢」
もしかしたら、〝持たざる者〟にしか分からない、香織達には想像もつかないような悲劇があったのかもしれない。しかし、だからどうした、である。
香織は忘れない。寂しい生き方をしないで欲しいと言ったその口で、ハジメに死地に向かわせたことを。住民を避難させるでもなく、ただただ汚れ仕事を押し付けた。騎士に対する
あの場で最も愛子に怒りを覚えていたのは香織だったのだ。類似する点はハジメをエイハブと見做している優花にも見られるが、優花は仮にハジメがエイハブでなくなった所で離れはしないだろう。脅す事も、ハジメを戦場へ押し出す事も無い。ハジメが船長を引退した所で文句は言わないだろう。
しかし、愛子は違う。転移前から絵画の愛好家という多くの人間と関わりを持ち、また病によって多くの人間に差別された。それを知ってか知らずか、愛子はハジメに他者を切り捨てるな、などという失笑物の説教を
「…………」
香織はハジメを強く抱きしめた。愛子への憎悪を抑えようと反射的にとった行動だったが、ハジメは全てを理解しているかのように香織の頭を撫でた。これ以上、香織が憎悪に身を焦がさないように。自分のことで怒ってくれるのは嬉しいが、彼女にとっては良く無いものだ。それに、逢瀬をしている今、余計な事にリソースを割いて欲しくないのも確かだ。
だが、そんな二人の逢瀬はとある闖入者によって終わりを告げる。
「……!」
「誰でしょう?」
香織がいち早く異変に気付き、ハジメがその人物に問う。相手は飛行ユニットに搭乗しており、それによって空からハジメ達を狙っていた。
「俺の名はレイス。魔人族ヨルハ部隊の一隅にして、神より見捨てられし死霊だ」
その魔人族はハジメ達に問うた。
「お前達は俺を原罪から解き放つに足る存在か?」
愛子先生へのヘイトが高まっていますが、作者は別にそこまでの感情は有りません。ただ、ウルの街での説教は殆ど響きませんでした。また、悪意的なとらえ方をすれば、彼女の主張は『自分だけ逃げたり死んだりして楽になったら絶対に許さない』という呪いのような悪意と表裏一体です。ここまで捻くれた解釈をするのは私だけかもしれませんが、少なくとも私には愛子先生が『自立を妨害する歪んだ母性の持ち主』にしか思えません。「先生が口を出して強制するようなことはしません」と口では言っていますが、山脈での探索に無理矢理ついてくる等、一時期話題になったヘリコプターペアレントのような印象を受けました。
オルクスの隠れ家の作りかけのメイドロボの目が瞬く。まるで何かを伝えようとするかのように
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修理して連れていく
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見なかったことにして放置する