「ハジメぐん……生きででくれで、ぐすっ、ありがどうっ。あの時、守れなぐて……ひっく……ゴメンねっ……ぐすっ」
泣きながらハジメに縋り付く香織。ハジメは香織の頭を撫でて落ち着かせようとしている。
現在、ハジメと香織は『錬成』によって掘られた穴で休息を取っている。流石にあれだけの出来事があって、即刻奈落攻略に動けるほどの神経は持ち合わせていない。
では何故香織が「守れなくて」と言ったのか。その理由はオルクス大迷宮における訓練前夜、ハジメの部屋で過ごしていた香織は一つの約束をしていた。
なんでも香織は暗闇にハジメが消えてしまうという悪夢を見たとかで、ハジメに訓練の参加を止めるように説得してきた。しかし自衛の手段の実証や自分が作成した武具の観察、鉱石の採取などハジメには訓練に参加しなければならない理由が幾つもあった。
そこで妥協案というと変だが、香織はハジメに一つの提案をした。それは『演奏者』という索敵に優れた天職を持つ香織がハジメを守るという物。男としては恥ずかしい気もするが、それで香織が安心するというなら吝かではない、という事でハジメはその約束を快諾した。
しかし悪夢は最悪の形で現実となった。クラスメートの一人の勝手な行動で窮地へと陥り、更には同じ人物の裏切りに遭い、ハジメは奈落の底に消えていった。「守る」という約束をしたにも関わらず、みすみすハジメを落としてしまった。それに対する懺悔の言葉であった。
しかしハジメは泣きじゃくる香織を抱きしめながら口を開く。
「いいえ、謝らなければならないのは僕の方です。貴女は僕と過ごしたばかりに、パニシングに侵蝕されてしまった。『人間』ではなくなってしまった…」
この状態になる前に香織のステータスプレートを確認したが、ハジメと同じく数値は文字化けし、天職の欄には『授格者』と書かれている。技能欄にも『自動修復』と『超速演算』が追加されている。…『超速演算』は『数学者』の技能だと思っていたが『授格者』の技能なのか?いや、今はそんな事はどうでもいい。
見た目も嘗ての彼女とは違っていた。再会する前は何の変哲もない美しい人間の姿だった。しかし、今は両腕と左脚が一目で機械と分かる見た目になり、更に最も顕著な変化―――右眼に白い花が咲いている。
これが如実に表している事、それは香織が人間ではない何かになってしまったという事だ。自分の事は割り切れても、最愛の恋人が自分と同じスティグマを背負ってしまった事に、ハジメは途方もない罪悪感を感じていた。そして、ハジメには香織を人間に戻す手段は無い。その事実がハジメをどうしようもない絶望へと引きずり込む。
「貴女は必ず人間に戻します。必要とあらば、この命を削ってでも―――っ!?」
ハジメはそれ以上言葉を続けることができなかった。その口を物理的に塞がれてしまったから。目の前には香織の顔が、頬には彼女の手が添えられている。そして唇には柔らかい感触。
香織はハジメにキスをしていた。
「…嬉しい。好きな人とキスが出来るって、こんなに嬉しい事なんだ」
「香織…?」
皮肉でも何でもない、言葉通りの表情をする香織。ハジメは訳が分からなかった。罵声を浴びせられ、感情のままに殴りかかられても仕方ないと、その覚悟をしていたのに。だが、香織が取った行動は真逆と言っていいものだ。
「ハジメくんは病気で、私は健康体。私が君と同じになる事を、君はずっと恐れていたんだよね」
「…当たり前でしょう。誰が、恋人に同じ苦しみを味わわせたいと思うものですか」
「うん、そうだよね。ハジメくんはそう言うと思ってた。だから私はおかしくて、残酷な事を言うね?私は、ハジメくんと同じになりたかったの。同じ苦しみを分かち合いたかった。同じ時を生きたかった」
その瞳に嘘は無い。
「でも痛みを増す薬は無かった。痛みを盗む泥棒にもなれなかった。無痛症の私が君に寄り添っても、それは結局
ハジメは黙って聞いている。香織自身には痛覚は存在する。しかしハジメと一緒になれない彼女にとって、それは無痛症と同義だった。
「それなのに、神様だか何だか知らないけれど、私達を誘拐した。クラスメートのせいで君は奈落に落ちた!もう限界だったの…パニシングに感染した原因は分からない。でも、私は嬉しかった。ずっと心に秘めた願い事が叶った。寿命が延びたのか縮んだのかは分からないけれど、それでもハジメくんと少しでも苦しみを分かち合えたなら…」
そう言って再び唇を重ねる香織。
「…狂ってる、とでも言いたげだね。そうだね、狂ってるよ、私は。でも、『君に運命を感じた』とか『身も心も全て捧げる』とか、他の人の恋愛だって大概だよね。ドラマティックを嘲笑ってたって、恋人が浮気したら殺しちゃう人だっているし。まあつまり何が言いたいかと言うと、一人の女の子の心に嵐を起こしたんだから、そのくらいの覚悟はしてほしいなって」
ハジメは深く息を吐いて答える。
「卑怯ですよ、貴女は。貴女は僕がそれを拒めない事も、狂っていたとしても手放せない程貴女を求めてしまう事も、とっくの昔に知っているでしょうに」
「ふふ、それについてはノーコメントかな」
ハジメはゆっくりと香織を押し倒す。そして彼女の首筋にそっと舌を這わせた。
「あん」
「先程の言葉、そのまま返します。貴女は飢えた悪魔を誑かしたんだ。退路など…ありませんからね?
「願ったり叶ったりだよ。
奈落の洞穴の中、二つの影は一つとなっていく。それは人を模した機械達の、人間の真似事。
唄う
少し時は遡って地上視点。
迷宮から帰還した生徒達の大半は心に深く重い影を落としていた。理由はハジメの死だ。「戦いの果ての死」というものを強く実感させられてしまい、まともに戦闘などできなくなったのだ。戦闘ストレス反応―シェルショックに近いものと言えるだろう。
しかし生徒のトラウマとなっている要因はこれだけではない。寧ろ天職の有用性を理解できず、無能と蔑んでいた者が一定数いたハジメよりも更に大きな要因がある。それは香織の死。狂気の笑顔を浮かべ、これが自分の意志だと言わんばかりに異形の機械となり果て、恋人の後を追うように奈落に飛び込んで行った少女だ。クラス内で何処か疎まれていたハジメと違い、二大女神と呼ばれ人気者であった香織の死は強烈な影響を及ぼした。更には香織の笑顔が脳裏にこびりつき、悪夢を見るようになった生徒もいる始末。…最早ちょっとした認識災害である。誰か財団職員を連れてこい。
冗談はさておき、そんな生徒の中でも何人かの例外がいた。
その内の一人が雫だ。ハイリヒ王宮内に割り当てられた一室、自分と既に死亡したとされる香織の部屋。雫はそのベッドに座ると、ベッドマットの上にそっと手を置いた。そこは遠征の前、香織と雫の二人で話をした時に香織が座っていた場所だった。少し前までそこにいた、音楽が好きな親友の姿を思い浮かべる。
(こんなことになるなら、もっと話しておけばよかったな…)
雫は香織の、親友の狂気に中てられて意識を失い、意識を取り戻したのは生徒達が王国に帰還してから数日後の事だった。雫が自分を看病してくれていた優花、そしてメルドからその間に起きた出来事を聞いたが、何れも雫にとってはショックな事だった。
王城に戻ってからメルドより行われたハジメと香織の死亡報告。その報告と詳細を受けて王はこう結論付けた。
『無能が足を引っ張った結果、勇者の仲間が一人死亡した』と
救国の勇者とその一行が迷宮探索如きで死んだと噂が広まっては民に不安を与える、召喚された勇者達は無敵の存在で居てもらわねばならない。だからこそ、王国側はそうならざるを得ない理由付けを行った。非情と言う勿れ。政治とは時に個人よりも全体の利益を優先せねばならない事もある。
実はハジメが使っていた拳銃が魔人族や機械生命体の使っている武器に酷似していたため、ハジメは魔人族に寝返ったのでは?という意見も出たが、ハジメが銃を開発するのを間近で見ていた宮廷錬成師長のウォルペンや遠藤、清水達の「地球にも似たような兵器が存在する」という証言がそれを否定。更にはハジメは死病に侵されており、余命幾何かも無い事やそもそも生存が絶望的であることもあり、「下手に藪蛇をつつくよりも何処かでそっと死んでもらおう」という結論に至ったようだ。これは赤い少女と裏切りシスターが暗躍した結果なのだが、その他大勢はそんな事は知らない。
城内では無能だ裏切り者だとハジメを罵る声がところかしこで聞こえる様になり、清水、遠藤、優花、恵里にハジメが作った武器を捨てるように遠回しに言ってくる者もいたが、生憎と敵に対する
やがて光輝が彼らに怒り、王に抗議した事により王国側で彼らの罵った人物を処分する事で沈静化した。しかしそれは決してハジメの為ではない。この一件の後、光輝はたとえ足手纏いでも、仲間の死に心を痛める優しき勇者とされ、彼の評判は更によくなった。
メルドはハジメに対する扱いに抗議したが、使徒を死なせてしまった事を槍玉にあげられ、教育係を解任されてしまった。死んだ人間や忠臣にすら鞭を打ってまで光輝を持ち上げる、そんな王国や教会のやり方は雫にとっては許せるものではなかった。しかし、雫の心を完膚なきまでにへし折ったのは他でもない勇者、天之河光輝であった。
「すまねぇ……俺の所為でみんなをあんな目にあわせちまって、ホントにすまねぇっ!!南雲の件についてはホントに俺じゃねえんだ!信じてくれ!」
時間が経ち、事が落ち着くに従って生徒達の意識はあの日の出来事を引き起こした原因、檜山へと向けられた。メルドの言葉に従わずに無用心にトラップを発動させた結果、クラスメートに死者を出したのだ。これがハジメだけならそれ程大事にはならないのだが、人気者である香織までが犠牲となったことでクラスのほぼ全員が檜山を非難していた。そんな中、檜山は必死で光輝に土下座をしていた。光輝は(一部の例外を除いて)人の善意を疑わない。表向きでも誠意を見せれば許してくれる、彼が許してくれれば周りも表立って非難する事は無くなる、そう言う魂胆だった。優等生たる光輝の事を最も理解し、利用するのが不良であるとはとんだブラックジョークである。
(そうはいかないわよ、檜山っ!)
けれど彼の行いの中で最も責められ、裁かれるべき事は他にある。同時にこれは、例え光輝であっても決して許しはしない事でもあると雫は確信していた。いや、そう
「じゃあ何故魔法を一瞬で特定できたのかしら」
「えっ…?」
雫の一言に、檜山は愕然とした表情で顔をあげた。
「あの無数に魔法が飛んで行く中で、どうして南雲君を撃ったのが火球だって分かったの?」
「そ、それは…偶然目に入ったんだよ!そこまで言うなら俺が犯人っていう証拠でもあんのかよ!」
「幽霊に聞いたんだよ」
喚く檜山の問いに答えたのは恵里だ。地球なら詐欺師が言う事だが、彼女の天職は『降霊術師』である。
「今証言してもらおうか?ファイもカイもここにいるし」
「や、やめろぉぉぉぉぉぉ!」
檜山がファイとカイを破壊しようと飛び掛かる。しかしファイは空を飛び、カイは逃げ回り、中々捕まえられない。そうこうしているうちに檜山は清水が出した『黒ノ手』に掴まれてしまった。
「ぐっ!放せぇぇ!」
そんな檜山を見ながら恵里は冷笑する。
「ブラフかもしれないのにマジになっちゃって…これで証拠ができたね。物的証拠じゃないけれど、本当に何もしてないならファイとカイを壊す必要なんて無いもんねえ?」
「ッ!!」
檜山は己の愚行に気付くが後の祭り。「でっち上げの証拠を用意したと思ったんだ!」と必死に弁解するが、あまりにも無理がありすぎる。
「命を乞う時のコツは二つ。一つは相手を楽しませる事、もう一つは相手を納得させる事よ。アンタはまだどっちも満たしてない。選びなさい?切り刻まれて死ぬか、蜂の巣にされて死ぬか」
「そ、園部!?なんだよ、その丸いの…」
「南雲が私に作ってくれるはずだった武器よ。形だけは完成してたから、この国の錬成師達にある程度仕上げてもらったの。少なくとも武器として機能はするわ」
人間の上半身ほどもある巨大な戦輪『イエスタデイ』と投げナイフを手に、檜山に死刑宣告をする優花。目は完全に据わっており、頬には涙の跡がくっきりと残っている。
優花はハジメに恋をしていた。出会いは優花の実家である洋食店『ウィステリア』にハジメが絵を納品しに来た時だ。在庫処理と言い簪をプレゼントされ、常連となったハジメと店員と客のやり取りをするうちに気付けば恋に落ちていた。だがハジメには既に香織という恋人がいた。自分の想いが叶わない事を知った優花は、せめて二人には幸せになってほしかったのだ。
だからこそ想い人とその恋人を殺した檜山を優花は許せなかった。尋常でない殺気を放つ彼女に檜山はただ震えるばかり。
しかしそんな状況に待ったをかける人物がいる。
「やめるんだ園部さん!檜山も言っていたじゃないか!あんな行動に出たのは証拠をでっち上げられそうになったからだと。何故それを聞き入れないんだ!」
「…信じるの?一応学年トップよね?天之河って」
優花が呆れながら呟くと、光輝は恵里を睨みつけながら口を開いた。
「恵里!君も証拠も無しに檜山を犯人に仕立て上げようとするんじゃない!」
「だーかーらーぁ、ソイツが駄々こねるからこうやって全員に分かるようにしてやったんじゃん。大丈夫?脳に酸素供給されてる?」
「ち、ちが、俺は…本当に…誤爆はしたかもしれねえけど…!」
「トータスの魔法の性質上それは有り得ないね。あの場で皆が使ってたのはベヒモスに誘導する魔弾。意図的に式を書き変えない限り外れる事は有り得ない。考えられるのは魔法の軌道上に南雲君が割り込んで来る事だけど、位置的にそれも無理がある、と」
檜山の弁明にノータイムで鈴から反論が入る。地球のプログラミング言語と組み合わせて魔法を研究していた鈴だからこそ出来た反論だ。いよいよカードが無くなった檜山はただ青ざめるばかり。
その中で雫は困惑していた。光輝の表情は険しいものだ。けれど、明確な証拠があるにも関わらず彼の口調には檜山を責めたり、咎める様子は無かった。
(怒るべきじゃないの!?彼の行いの所為で香織まで死んでしまったのに…)
百歩譲って犠牲者がハジメだけなら分からなくもない。しかし今回の件で犠牲になったのは他でも無い自分の幼馴染。普通ならもっと激昂してもおかしくない。それこそ冷静になれず檜山を殴りつけたっていいくらいだ。
「みんなも思うところはあるかも知れない。けれど今は、誰かの失敗を咎めている場合じゃない。死んだ
ここで雫は違和感に気付いた。奈落に落ちたのはハジメと香織の二人。だが光輝は香織について言及はしていない。
「俺達は強くなる必要がある。人々を救うため、そして何よりみんなで力を合わせて、今も迷宮の底で助けを待っている香織を助けに行く為に!」
雫は全てを悟ってしまった。光輝が香織の死に取り乱していない理由を。光輝にとって自分達、いや、周りの人間はみな光輝の人生と言う名の物語の登場人物でしかなく、光輝の振る舞いはヒロインの生存を心から信じている勇者、まさにお話の主人公そのもの。その程度の認識だからこそ、香織の死に本気で怒る事も、取り乱す事も無い。
(この十年、なんだったのかしら…)
八重樫流の教えに従い、光輝を家族として支え、彼が起こしたトラブルに頭を下げて回る日々。その全てを否定された気がして、雫は心の中で自嘲した。そして、抗議の意味を込めてハジメに貰った狐面を付ける。だがそれすらも許さない人間がいた。
「雫!もうそんなものを使う必要なんて無いんだ!」
「あっ…!」
「こんな、裏切り者の作ったものなんて!」
光輝は雫から取り上げた面を床に叩きつけて壊してしまった。光輝は悪人から雫を救ったつもりなのだろう。しかし彼は気付かなかった。面と同時に自分達の絆を、何より雫の心を壊してしまった事に。
「ふふ、あは、アハハハハハハハハハ!」
雫は涙を流しながら笑い続けた。もう全てがどうでもいい。光輝、いや、
「雫?一体どうし―――!?」
そんな中、雫が何故笑い出したのか分からず声を掛けようとした光輝に何かがぶつけられた。光輝がそちらを見ると、巨大な戦輪『イエスタデイ』が使用者の手に戻っていく。光輝を攻撃したのは優花だった。
「園部さん!?一体何を…!」
「自分の胸に手を当てて聞いてみたら?どうせステータスの差で大した怪我しないんだから、これくらいはさせなさいよ。ほら行こう?雫」
優花は雫の手を引いてその場から離れていった。それに続くように恵里、鈴も離れていく。
「今後はお前らとの行動は考えさせてもらう。『間違い』で殺されちゃ堪らねえからな」
清水も檜山を投げ捨ててその場を離れた。
「所詮は誘蛾灯に群がるハエか」
遠藤も侮蔑の言葉を吐き捨てる。
遠藤はハジメを殺すためにイギリスから派遣されたエージェントだった。パニシングに侵蝕されて自我を失った時に周囲の被害を抑えるために殺すのが任務である。今回の件でハジメと香織が死のうが、標的リストの名前が増えるか減るかの違いでしかない。だが遠藤には少なからずハジメには情があった。『証拠探し』と称して奈落に落ちたハジメを探しに行こうとするくらいには。
こうして独裁者に反抗する思想犯達は離反していったのである。
タイトルの元ネタはNieR Replicant/Gestaltです。今回の話はちょっと長いかと思いつつも切りの良い所まで書かせていただきました。
備忘録
イエスタデイ:元ネタは『怒リノ葡萄』にて。
オルクスの隠れ家の作りかけのメイドロボの目が瞬く。まるで何かを伝えようとするかのように
-
修理して連れていく
-
見なかったことにして放置する