ハジメと香織は連絡先を交換した後、電話やメールで色々な話をした。お互いが好きな本に始まり、それぞれ(主に香織)の学校生活のこと、ハジメが画家やイラストレーターとして活動していること、香織がチェロを習っていること…だいたい香織から話を始めて、ハジメがそれに答え、その後は雑談が続く。ハジメは、この時間に安らぎを感じていた。何かに強要されたわけでもない、ほんの小さな出来事を共有する関係。これに何とも言えない心地よさを感じていた。
ハジメと香織が出会って、電話越しにやり取りするようになってから暫く後、ハジメのスマホに一通のメールが届いた。
『おはようございます。白崎香織です。突然すみませんが、映画のチケットが二人分手に入ったので、予定が空いていたら一緒に行きませんか?』
ハジメは(メールのやり取りはあったとはいえ)出会って1カ月も経たない関係でお出かけに誘ってくる香織の行動力に驚きながらも両親に相談する。この日は両親の仕事の手伝いの先約が入っていたのだが、
「馬鹿者!千載一遇のチャンスを!」
「私達は大丈夫だから、女の子の誘いを無下にしちゃ駄目よ」
と、両親から食い気味に許可が出たので香織に了承の旨をメールする。集合時間や待ち合わせ場所などを決め、ハジメは家を出た。
白崎香織の胸は高鳴っていた。ほんの少し前に知り合った男の子。香織は彼に会うために待ち合わせ場所の公園に向かっている。本来今日は親友と二人で映画を見に行く予定だったのだが、先方に急用が生じてしまい、チケットが一枚余ってしまった。一人で行くことも考えたのだが、そこで最近知り合った少年、ハジメの事を思い出した。駄目で元々、香織はハジメを映画に誘った。結果はまさかのOK。彼の纏う静かな空気を思い出しながら準備をし、やや速足で家を出た。
ハジメが指定した待ち合わせ場所、二人が初めて知り合った公園に到着した。立ち止まって彼の姿を探す。彼はベンチで本を読んでいた。
「お待たせ!南雲くん」
数日のメールのやり取りで同い年だと分かったため、香織の話し方は敬語ではなくなっている。てっきり彼の方が年上だと思っていた香織は少し驚いた。
「僕も今しがた来たところです。顔を合わせるのは数日ぶりですね、白崎さん」
ハジメは読んでいた本を閉じ、微笑む。香織が不意打ちの笑顔にドギマギしていると、「では、行きましょうか」と言って本を閉じ、ベンチから立ち上がる。
「ところで、一体どんな映画なのでしょうか」
ハジメが聞いて来たので、香織はチケットを見せる。
「ほう、『ナルnア国物語』ですか。見るのは久しぶりですね。しかし…」
「あ…あはは…時間、間違えちゃったみたい」
チケットに書かれた時間は今から数時間後だった。あまりにも早すぎる。
「まあ、適当に時間を潰しましょう」
「ごめんね…」
二人は適当にベンチに腰をおろす。暫く無言でいると、ハジメが口を開く。
「そういえば、白崎さんの事はあまり聞いていませんでしたね」
「ふえ!?」
「どうして、僕と友達になろうと思ったのです?」
ハジメはずっと気になっていたことを香織に聞く。確かに、彼女がハジメの行動を勇気あるものと評価したのは事実だろう。しかし、ハジメは世間的に忌避されるパニシング症候群に罹患している。おまけに初対面の人間だ。百歩譲って声をかけるだけならまだしも、友達にまでなりたいと思う物だろうか。さらには出会って数日でお出かけの誘いまで…ハジメの胸中は疑問で溢れていた。
「私はね、南雲くんが凄いと思ったの」
それは出会ったときにも言っていた。続きを待っていると、香織はその言葉の真意を話し始める。
「私の幼馴染にね、天之河光輝くんっていう人がいるんだけど…」
香織が言うには、その天之河光輝なる人物は、小学生の時から正義感に溢れ、勉強もスポーツも何でもこなし、おまけに見た目も王子様と形容したくなるようなモノらしい。
(…ここまで聞くと完璧超人のように思えますが、白崎さんの表情を見る限り好意的な感情を持っているとは言い難いですね)
「光輝くんは私と南雲くんが出会った時みたいな状況だったら、迷わずに介入する。そして…力で、暴力で解決する」
香織の顔には恐怖と、僅かな嫌悪感が浮かんでいた。
「だから、弱くても、嫌われていても、人の為に動ける南雲くんを私は凄いと思ったの。例えそれが南雲くんの言う通り、自分のエゴに従っただけだとしても」
ハジメは特に口を挟まなかった。しかし、香織の光輝と、彼が起こす暴力事件に対する怯えと嫌悪感はしっかりと感じ取っていた。彼女は争いを嫌う。そして、自分の過去には忌避感を示すだろうと思う。ハジメには切っても切り離せない、血塗られた過去がある。あまりにも暴力的で、絶望的な過去が。それを香織に知られたら…
ハジメは暫し考えてから口を開く。
「ではやはり、貴女の僕に対する評価は買い被りだ。僕は貴女が望むような人間じゃない。暴力を嫌うなら、僕に近づくべきではない」
ハジメはそう言ってベンチから立ち上がろうとした。これでいいのだ。誰も傷つかずに終わる。自分の心にほんの少し感じる空虚感を、見て見ぬふりすればいいだけ。
「待って!」
しかし香織がそれを許さなかった。ハジメの腕を掴んで離さない。ハジメはいきなり腕を掴まれたことに驚く。
「教えてよ…どうしていきなり、立ち去ろうとするの?」
「今言ったでしょう。僕は貴女が望むような人間ではないと」
「それじゃ納得できないよ。ちゃんと教えて」
「…何故そこまで」
香織は俯き、少し逡巡した後、決心したように顔を上げた。
「貴方が好きだから」
あまりに予想外の返事にハジメは驚き、目を見開く。周りの音が消えた気がした。景色ですら、視界には入っているはずなのに見えていない。
「貴方が好きだから、貴方について知りたい。電話やメールだけじゃ足りない。一緒にいたい。もっと色々な所に行って、色々な話をしたい。思い出を作りたい。貴方の声を聴きたい」
香織の口から零れてくる思いに、ハジメは何も言えなくなる。理屈も何もない剥き出しの感情。腕は掴まれたままだ。ハジメは腕を振り払う事が出来なかった。彼女のあまりにも真剣で、強欲で、純粋な願いに、身体が動かなかった。
「南雲くんは私の事を嫌ってるの?」
「―――ッ…」
頷いてしまえばいい。嫌いだと言ってしまえばいい。自分の血塗られた過去を考えるなら、そうするべきだ。それで彼女との関係は終わる。彼女を悲しませずに、怖がらせずに済む。だがハジメは、彼女の問いに対して肯定することが出来なかった。彼女との関係を終わらせたくない自分がいる。彼女からの告白を喜ぶ感情がある。
「…貴女は、僕の過去を知る覚悟がありますか?」
「あるよ」
「それが、どんなに血塗られたものだとしても?」
「私は知りたい。南雲くんの事を。初めて恋をした男の子の事を」
腕を掴む力が強まる。香織の不退転の意志を感じる。
「…分かりました。3日後、貴女の両親を連れて、僕の病室に来てください。そこで全てをお話しします」
場所は後程メールします。と言い、ハジメと香織は帰路についた。映画を見に行くような気分ではなくなってしまった。
短めですがここで切ります。次回で今作のハジメ君の過去が少しだけ明らかになります。
オルクスの隠れ家の作りかけのメイドロボの目が瞬く。まるで何かを伝えようとするかのように
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修理して連れていく
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見なかったことにして放置する