今回の話はそれに尽きます。しかし、どんな形であれ、(一時的には)彼女を救えたので私は満足しております。
タイトルの元ネタはNieR: Automataのサントラです。
「一体……一体どうしてしまったんだ! 雫!」
オルクス大迷宮のある街、ホルアドにて『勇者』天之河光輝の悲痛な声がこだまする。光輝と相対しているのは幼馴染であり勇者の良き片腕であるはず(と世間では認識されている)の八重樫雫だった。
だが、どこか様子がおかしい。周囲がよく知る雫は、凛としていながらもどこか優しさを感じさせる人物だった。だが、今では目は剣呑さに満ちており、凛としているを通り越してどこか高圧的だ。
違うといえば見た目も違う。トレードマークであったポニーテールは下ろされたロングヘアとなり、片目が隠れるように前髪が垂らされている。服装も同様だ。剣士という天職である都合上、動きやすさを重視した服装であったのは以前も変わらない。しかし、今はどちらかと言えば、ややファンキーな衣装とでも言おうか。胸元から臍の少し上くらいまで縦に長く亀裂の入った服にミニスカート、自分で施したのかダメージ加工の入ったニーハイソックスに指抜きの手袋。そして、以前の服は白や黒を基調としていたが、今では全体的に紅い。
恵里や鈴は可愛い物好きという雫の本来の趣味を知っているが、それとも全く違う服装である。まるで海外のロードムービーの登場人物とディストピアの女戦士を混ぜ合わせた服装とでも言おうか。
と、様子のおかしい雫が少しよろめく。様子を見守る周囲が思わず手を貸そうとするが、その前に雫は自力で体制を整える。そして、見るからに憔悴しきった様子で光輝に話しかけた。
「ごめんなさい……光輝……私……もう……耐えられない……」
光輝は目の前の光景を否定するかのように、全霊を以て笑顔を作る。
「そ、そうか、疲れてしまったんだな、雫。でも大丈夫、少し休んだらまた前みたいに戦えるはずだ。そう、平気だ。雫が強い女の子だということは俺が一番分かってる。そんな悪趣味な服装は君には似合わな―――」
だが、光輝が言い終わる前に、再び剣呑な雰囲気を漲らせた雫が光輝の胸ぐらを掴む。
「し、雫……?」
「アンタみたいな奴が
そう言うと、雫は光輝を突き飛ばした。そこには幼馴染やクラスメイトを思いやる優しく責任感の強い八重樫雫の面影は無かった。
むしろ、光輝に向ける目は大切な存在を傷つけた
ご都合解釈など挟まずとも、
「お前、雫じゃないな! 誰だ! 誰が雫の身体を乗っ取っているんだ!」
光輝が目の前の現実を否定するかのように叫ぶ。光輝は学年トップの成績を持っている。故に今までの彼女の発言と、目の前の状況を見ればおおよその察しはつく。しかし、光輝にはそれは認めがたい事だった。
その様子を見下ろしながら、雫は口を開く。
「私は八重樫
そして、全員を睨みつけて宣言する。
「八重樫雫の、誇らしき盾」
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解離性同一性障害。嘗ては多重人格障害と呼ばれた神経症は、一人の人間の中に全く別の性別、性格、記憶などを持つ複数の人格が現れるという物だ。主に子ども時代に適応能力を遥かに超えた激しい苦痛や体験による
「それで、今はお前がその状態という事か。雫、いや、この場合は紅と呼ぶべきか?」
「ええそうよ。狂人と嗤うなら嗤えばいいわ」
ミゲルが殉職した事で、再び神の使徒の指導教官となったメルドが紅に問いかけると、紅から肯定の返事が返って来る。メルドから見ても以前の雫の面影はなく、「誰だこの少女は」というのが正直な感想だった。
以前の雫であれば椅子に座るにしても足を揃えて礼儀正しく座るのだが、今の彼女は脚を組んでその上に片肘を付いている。目上の人間に対する態度ではないが、「これは自分も敵認定されているか?」とメルドは暗い気持ちになった。
メルドが戻って来た時、召喚された生徒達の様子はひどい物であった。自分の後任のミゲルが行った指導のせいで、悪い意味での明確なヒエラルキーが出来てしまっていたのだ。生徒達の間でステータスに差がある事が分かった時に、メルドが慎重になったのに対し、ミゲルはそれを助長してしまったのである。
(あのステータスの狂信者め! 魔人族ヨルハ部隊の脅威が迫っている中で兵を分裂させてどうする!)
普段は豪放磊落なメルドをして激しく怨嗟の念を持たずにはいられなかった。元々、ミゲルはエヒトから与えられたステータスという物に対して過剰な信頼を置いており、以前からメルドとは馬が合わなかった。ミゲルに手酷く扱われた騎士達をメルドが慰めた事も一度や二度ではない。
とにもかくにも、雫が紅を作り出してしまった原因は間違いなくミゲルとクラスメイト達である。だが、少なくとも一人にはその自覚が無かった。
「雫!」
メルドと紅が話している中、その部屋のドアが乱暴に開け放たれる。優花の時と同じく、下手人は光輝であった。
「光輝! 今は外に出ていろ!」
「何故ですかメルドさん! 雫は
「雫を苦しめていた張本人が何を言っている! 光輝、確かにお前の善性や責任感は認めるしそれが必要な時もある。しかし、それを人に強要してはいかん! 雫はお前のその行動によって苦しんでいたんだ!」
「何故ですか! 何を言っているのですか! 雫に起きた
光輝とメルドが言い争う中、雫、いや、紅が光輝を蹴り飛ばした。光輝程ではないが雫もステータスは高い方である。ろくに備えていなかった光輝は見事に吹っ飛ぶ。
「本っ当に腹の立つ奴ね……道理で雫が私を生み出したわけだわ」
「雫が生み出した……? どういう事なんだ!? 分かる言葉で説明してくれ!」
紅は悟った。
おそらく、光輝の辞書には『神経症』やら『多重人格』やらという言葉は存在しないのだろう。精神的不調は現実からの逃避に過ぎず、目の前の責務から逃げ出す卑怯者しかならない。自分が鼓舞してしかるべき言葉をかければ、
そして、精神疾患などという卑怯者しかなることのない
「お前が雫を乗っ取ったんだろう!? 早く雫を返せ!」
光輝は尚も叫び続けるが、一瞬紅がふらついたかと思えば、今度は見慣れた雫の態度で声がかけられる。
「光輝……」
「雫!? 雫なのか!? 良かった……今から部屋に戻ろう。大丈夫、雫は強い女の子だ。すぐに元通りになるさ」
「無理よ。光輝……」
光輝が希望を見出したような顔をするが、雫はそれを否定する。
「紅は私が作り出した人格よ。もうこの生活に耐えられないの。壊れた瓦礫の胸に、私が寄りかかられる都合のいい人を作ってしまったの」
「そんな……そんな……嘘だ! 雫はそんな、現実から逃げるような卑怯者じゃない!」
「私は卑怯者でいい!」
雫は絶叫した。もう限界だった。
「無力で無意味な自分が、どんなに頑張ってもなんにも起こらない! なんにも解決しない! それなのに、私は涙すら流せない! どんなに哀しくても、どんなに辛くても涙が出ないの! 泣き方が分からないの! 笑顔でいるしか無いの! そんな地獄から抜け出す事すら卑怯だというなら、私は卑怯者で良い……」
「………」
「私は紅と離れたくない! 紅を消したくない! やっと分かってくれた! この世界を生き抜くのに飾る花も、光輝が今までオペラか何かの延長としか見てなかった私の絶叫も、みんな紅が理解してくれたの! ……知らなかった頃には、もう戻れない」
雫の絶叫に、流石の光輝も黙らざるを得ない。解離性同一性障害は、解離反応が延長して起こると言われている。非常に大きな苦痛に見舞われた時に、実際に痛みを感じなくなったり、苦痛を受けた記憶そのものがなくなる事があるが、解離性同一性障害はそれが継続して起こるために発症すると考えられているのだ。
ならば、苦痛の原因がいくら語り掛けた所で今は無意味である。おまけに内容は雫に寄り添った物でもない。
その時、部屋のドアが再び開き、光輝を無理矢理連れ出そうとする人物が現れた。
「龍太郎……?」
「すまねえ雫。本当にすまねえ。お前の傷を癒してやれなくて、そんなお前に寄りかかっちまって、いくら謝っても足りねえくらいだ。だから、せめて俺はお前から苦痛の原因を取り除く」
「お、おい龍太郎! 放せ! 俺は雫を……」
光輝が言い終わる前に龍太郎が締め技で光輝の意識を刈り取る。そしてそのまま部屋の外に連れて行った。
その夜、雫と紅はホルアドを抜け出していた。メルドに脱走を提案されたのである。
「正直、お前が此処にいるのはリスクしかない」
メルドはそう言った。雫にとっての苦痛はクラスメイト達の中にいる限り解消される事は無い。それに、中世における精神病者の待遇は現代ほど良くは無い。
「幸い、お前一人なら逃がす手立てはある。この地図に従って出来る限り遠くに逃げるんだ」
ステータスプレートは無くしたとでも言えば再発行はしてもらえる。雫と紅は格好からして別人なのだから、身元が露見する可能性は低いだろうとの事だった。
そして、メルドと恵里、鈴、遠藤の協力の元、雫と紅は逃げ出した。一度雫になってお礼を言った後、ハジメの作った刀、黒ノ誓約を持って地図に従って進んでいく。
「一応友達いたのね、貴女」
『ええ、彼らだけは私を受け入れてくれたわ。沢山嫌味と言うか、酷い事も言っちゃったけど……』
「傷ついてる様子無かったけれど。特に恵里? はなんか面白い物を見るような目つきしてたわよ」
『恵里はもう……ああいう子だから』
雫と紅は一つの身体の中で会話をする。雫はもう一つの人格が自分の中に現れた時、本気で恐怖したし、混乱した。だが、紅は敵ではなく、むしろ雫を助けようとする存在だったのだ。
『私は紅。貴女の誇らしき盾』
そう言われた時の頼もしさは、雫が今までに経験したことの無いものだった。香織は親友だし、恵里や鈴、優花はやり方はどうあれ自分に寄り添ってはくれた。しかし、誰も紅の代わりにはならないと、雫は確信する。
「っ―――!」
雫が脱走劇を思い出していると、世闇に紛れて攻撃が飛んでくる。追手かと警戒するが、攻撃の主はバイクに乗った機械生命体『シュタイフ』だった。運悪く、野良の敵に遭遇してしまったようである。
「いや、これは逆にチャンスよ。上手くやれば移動手段が手に入るわ」
刀を構える紅が言う。いくら召喚された神の使徒とは言え、徒歩では限界が有るのだ。シュタイフのバイクを奪えれば、この状況は一気に好転する。
『紅! 来るわ!』
雫が紅に注意を飛ばす。背後から現れたシュタイフが紅を轢き殺そうと猛スピードで突っ込んできたのだ。間一髪ローリングで躱す紅。シュタイフが追撃ばかりに銃を撃ってくるが、それも刀で弾く。
その間、雫は紅のアシストをするように詠唱をしていた。詠唱はあくまで魔力を込めるための行為。ならば、自分の中のもう一人の人格が唱えてもいいだろう。
「〝深紅・繚乱〟!」
そして、紅がその詠唱によって繰り出される剣技型の魔法をシュタイフにぶつける。相手が向かってくるのだからこちらは待ち構えて迎撃すればいい。そういう発想の元繰り出される疾走居合。シュタイフの本体に傷がつき、紅とお互いに背後に回る。
「〝深紅・刀光波〟!」
そして、すれ違いざまに紅が剣波を飛ばす。これも事前に雫が詠唱していたものだ。飛ばされた斬撃はシュタイフの頭部を切り落とした。二重人格者の息のあった闘い方により、本来であれば強敵である存在を撃破出来たのだ。
『……案外脆かったわね。今まで闘ってきた印象からしてシュタイフって強敵の類なのだけど』
「道場で散々剣道を習ったじゃない。時には一人で立ち向かった方が効率がいい事だってあるわよ」
『そ、そうね。紅』
紅はシュタイフの身体を放り出してバイクに跨る。本来ならば残骸は処理していった方がいいのかもしれないし、持っていけば何かの役に立つかもしれない。だが、今はそんな時間は無い。
「さっさとこれに乗って逃げるわよ」
『え!? でも、私バイクに乗った事無いわよ! 免許も無いし……』
「ここは異世界! そしてこういうのはノリと勢い!」
紅はそう言うと、アクセルを吹かして走り出してしまった。どうやら雫の中に朧げにあるバイクについての知識を使って運転しているらしい。
「……私が言うのも何だけど、貴女なんでこんな事知ってるのよ」
『一時期通学用に免許取ろうかと思ってた時があったのよ。結局は電車通学になったけどね』
紅は少し意外だった。可愛い物が好きな雫だから、バイクに乗るという発想など無いと思っていたのだ。
『別に可愛い物が好きとは言っても、かっこいい物が嫌いなわけじゃないわ。移動手段としてバイクに乗るくらいの事は考えるわよ』
「確かに、それもそうね(コイツの記憶の中はぬいぐるみだらけだけど)」
紅が雫の言説に一応は納得していると、背後で揺れが起きる。
『何!?』
「敵襲よ!」
バイクに乗る紅の後ろから戦車のような機械生命体『ブリーゼ』が迫って来る。その横からは複数のシュタイフが射撃や体当たりを仕掛けようとしていた。
「ね? バイクに乗ってて良かったでしょ?」
『確かに、徒歩で逃げ切るのは難しいわね……』
紅が弾丸を躱して、近づいてくるシュタイフに逆に体当たりして刀で切り落としながら軽口を叩く。シュタイフは耐久力こそ低いが、その分敏捷性は高い。いくらステータスが高くとも、人間の足で逃げ切るのは困難だ。
そう、今回の目的は敵の殲滅ではなくあくまで逃走だ。ブリーゼは本来、ベヒモスと同程度の脅威度を誇る機械生命体であり、何故地上にいるのか分からないが、要は逃げ切ればいいのである。
『思ったより今の人間族の状況ってマズいのかしら……』
「そういうのは逃げ切ってから考えればいいの! はい、詠唱!」
雫が詠唱をし、遠くから自分を狙うシュタイフに〝深紅・刀光波〟をぶつける。その後、ブリーゼがエネルギー弾を放ってきたが、邪魔な物だけを切り、スピードを落とさずに夜道を走り抜ける。
『紅、気を付けて! アイツがレーザーを放とうとしているわ!』
「見れば分かるわ」
バイクにはご丁寧にサイドミラーがついており、それを見ると確かにブリーゼがレーザーを放とうとしている。
「ちょっと道変えるわよ!」
『ちょっと、そっちの橋は壊れてるって地図に!』
だが、紅は止まるどころか更にスピードを上げ、壊れた橋を飛び越えてしまった。
『私、ハリウッドに出れちゃう……』
誰かこの剣道少女をハリウッドに連れていけ。
さて、ブリーゼは流石に急な方向転換は出来ないのか、背後から追ってくる様子は無い。だが、シュタイフの残党は未だに二人を追っていた。
「しつこいわね……」
『ふふふ』
「何笑ってんのよ。気でも触れたの?」
『そうかも。だって、光輝達と一緒にいるより命がけのカーチェイスの方が楽しいなんて、絶対に馬鹿げてるもの』
紅は何も言わなかった。全くもって、その通りだと思ってしまったから。
「ねえ、地図の内容覚えてる?」
『これでも記憶力には少し自信が有るの』
「じゃあ、ナビお願いね」
『よし、次はブルックで銀行強盗よ!』
「こらこら」
不実で不毛な自由へ、無限で無謀な明日への、盗んだバイクでの疾走。状況は今の方が危機的なのにも関わらず、二人で一人の少女は笑っていた。
まさかの雫さんが二重人格になった上、バイクを乗り回しております。この展開を予想できた人は絶対いない(自画自賛)。二人組というのもあってボニー&クライドっぽさもある(俺らに明日は無い)。ウチの優花辺りは好きそう。
ハジメsideをどう進めようか迷ってる間に周りの状況整理だけしようと思ったら、こうなってました。
備忘録
八重樫紅:極度のストレスによって生まれた雫の第二の人格。性格はパニグレのアルファを元にしている。バイクを乗り回すのもアルファの特徴。
誇らしき盾:矛らしき盾。雫に足りなかった攻撃性を以て彼女の盾となる。
シュタイフ、ブリーゼ:原作にてハジメが作ったアーティファクト。前者はバイク、後者は車。
深紅・繚乱、刀光波:パニグレのアルファの技。
誰かこの剣道少女をハリウッドに連れていけ:百姓貴族より。
盗んだバイクで:皆さんご存じ尾崎豊さんの『15の夜』より。
銀行強盗:ボニー&クライド
オルクスの隠れ家の作りかけのメイドロボの目が瞬く。まるで何かを伝えようとするかのように
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修理して連れていく
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見なかったことにして放置する