約束の3日後、香織とその両親はハジメが入院している病室に訪れた。
「『南雲ハジメ』…ここだな」
声色に若干の怒りを滲ませながら呟くのは香織の父、白崎智一だ。この部屋に、愛娘を泣かせた男がいる。ハジメにいきなり拒絶された香織は、その場ではなんとか平静を保っていたものの、やはりショックだったのか両親に事情を説明している時に涙を流した。それが娘を溺愛する智一にとって何よりも許せなかった。ハジメはあの場では3日後と言ったが、都合が合わない事も考えて幾つか候補日を香織にメールした。しかし、智一は仕事を休んでまで一番早いこの日に訪れた。
「あなた、気持ちが分からないとは言いませんが、少し落ち着いて」
そう智一を窘めるのは香織の母、白崎薫子だ。薫子とて娘の涙を見て何も思わなかったわけではない。しかし、智一が娘可愛さに暴走すると話が進まない、ないしは中止となってしまう可能性もある。それは何よりも娘が悲しむ結果だ。薫子は今も決意と覚悟を内包した表情で病室の扉の前に立つ娘を見る。薫子は娘がこの病室の住人に恋をしている事に気付いていた。それ故に、この対談が良い結果になる事を望んでいる。
「南雲くん。白崎です」
香織が扉をノックする。すると中から「どうぞ」という声が聞こえた。扉を開けて入ると、そこにはベッドの上で上半身を起こした少年、南雲ハジメがいた。普段巻かれている包帯は取られ、機械化した右眼と禍々しい電子回路のような模様が浮かぶ左腕が剥き出しになっている。智一と薫子はそれを見て一瞬動きを止めるが、それ程忌避感を見せずに病室に入る。
「初めまして、南雲ハジメです。今日は突然呼び出して申し訳ありません」
「そんな事はどうでもいい。早く聞かせてもらおうじゃないか。娘を泣かせた理由を」
「ちょっとあなた!」
挨拶と謝罪をしてきたハジメに対して、あまりな態度をとる智一を薫子が窘める。しかしハジメは予想していたのか、特に気を悪くした様子もなくベッドの隣に並んだ3つの椅子を示し、「こちらに」と勧める。3人が座ると、ハジメは口を開く。
「聞きたいのは、『僕が香織さんを拒絶した理由』ですね?」
「ああ」
ハジメは静かに語りだす。
「まず第一に、僕はパニシング症候群に罹患しています。治療法は現時点で存在せず、自然治癒も望めない。近い将来、死亡が確定しています。数日後か、数年は生きられるのか、それは分かりませんが。おまけに、この病気は世間的に忌避されている。香織さんの精神的負担は、計り知れないことになります」
その理由は智一達も予想していたことだった。納得できない部分は無い。しかし、そこに香織を拒絶した理由である『暴力的な要素』は無い。智一はハジメに続きを促す。
「そして第二の理由。これが主な理由なのですが…」
「何だ。もったいぶらずに早く言え」
「僕は―――
人を殺したことがある」
「「「!!??」」」
あまりにも予想外の言葉に、3人は驚愕する。
「どう…いう…こと?南雲くん」
香織が声を絞り出す。
そして、ハジメが語りだした内容は、あまりにも凄絶なものだった。
『病棟の惨劇』。後にそう呼称されるようになる悲劇は、とある山奥にあった隔離病棟で起こった。当時の病棟にはパニシング症候群の罹患者たちが集められていた。突如として現れた原因不明の病。人間の身体が機械化していくという現実離れした症状に、現代の医学は太刀打ちできない。そして、詳しいことが分からない以上、ヒトからヒトへの伝染だけでも防ごうとした行政は罹患者達を山奥の病棟へと隔離した。その中の一人がハジメだったのだ。医療者達は原因究明に乗り出し、あらゆる検査や治療を試した。しかし、細菌もウイルスも、毒物すらも検出されず、遺伝子の異常等も発見できなかった。身体が変異していく苦痛と恐怖の中、病の根本的な原因は分からないまま時は過ぎていった。
そしてある日、決定的な出来事が起こった。身体が完全に変異しきった患者が突然暴れだしたのだ。言葉は通じず、金属の棒で殴っても死には至らない。医療者達は自分達と患者を守るため、やむを得ず総出でその患者を殺害した。その後は、パニシング罹患者達は身体が変異しきる直前で安楽死させる事が決まった。
そうして何人もの患者が『病死』していった。
そんな中、一人の少女の安楽死が決行されようとしていた。その少女はハジメと仲が良かった少女で、所謂「友達以上恋人未満」というような関係だった。そのため、ハジメは彼女の安楽死に立ち会っていた。しかし運命の悪戯か、少女の病魔は死の直前で活性化した。荒ぶる怪物と化した少女を、ハジメは自分の身を守るために殺した。だが悲劇はこれでは終わらなかった。なんと、『病死』した患者たちの死体が動き出したのだ。これまで発見された事の無い、パニシングの未知の性質だった。病棟はたちまち地獄と化した。病に浸食された者達が暴れ、殺され、憐れな生存者達が狩られ、悲鳴を上げながらやはり殺される。ハジメ自身も、自分の命を守るため、浸食された者達を殺し続けるしかなかった。何処かに身を隠しても狩猟者達は目ざとく見つけてくる。逃げ出そうにもこの病棟は厳重に封鎖されており、脱出の手立ては無く、この殺し合いに身を投じる以外に生き残る方法は無かった。殺した者達の中には、ハジメが交流を深め、死を看取った人間もいた。ハジメは精神と身体の両方を傷つけられながら生き残り続けた。
事態を察知した行政が派遣した鎮圧部隊が到着したとき、生き残っていたのはハジメを含む患者と医療者数名だけだった。そして、この事件がパニシング症候群に対する世間の忌避の感情を助長することになったのだ。
「以上が、僕が香織さんを拒絶した理由です。僕の手は血で汚れてしまった。香織さんは暴力や争いを嫌う。僕には関わらない方がいいでしょう」
「「「…………」」」
想像を絶するハジメの過去に、白崎家の三人は言葉を発することが出来なかった。特に智一は、当初のハジメに対する「娘を泣かせた憎き相手」という評価を改めざるを得なかった。10代前半の少年が背負うには重すぎる過去。ハジメは香織を拒絶する以外に選択肢が無かったのだという事が分かってしまった。
香織もまた、ハジメの過去に打ちのめされたような感覚に陥っていた。自分のハジメに対する告白は、彼に罪の意識を再起させ、余計に傷つけただけなのだろうかと。
(でも…)
それでも、と香織は想う。
(でも、そうしなければ彼は今ここで生きていなかった。おばあさんと子供を助けることも、それをきっかけに私と出会う事も無かった)
(まるで、世間は彼が生きているのが間違っているとでも言いたいみたい。ううん、きっと彼自身はそう思ってる。でも、暴力を振るったのだって、人を殺したのだって、彼の意志じゃないのに)
(話してる間、彼の手はずっと震えてた。今でも彼は苛まれてる。心はきっと、今も病棟の中にいる)
そして、香織はある決意を胸に抱く。
その様子を見た薫子は一つの疑問をハジメに投げかける。
「ハジメ君、貴方が香織との関係を断とうとした理由ついてはとりあえず分かったわ。その上で聞くけれど、貴方は、この先誰も愛さずに一生を終える気なの?」
「………」
「罪の意識を背負うのは確かに大事な事。貴方の行為を否定はしないわ。でも、それが理由で誰かを愛しちゃいけないというのは、少し極端な考え方じゃないかしら」
それを聞いていた智一も口を開く。
「…なんとなく分かったよ。君が私達をここへ呼び出し、過去を話したのは、香織の親である私達に娘との交際を反対してほしかったからだね?」
「………」
「わざわざ病室という場所を選んだのも、入院生活に伴う物質的、経済的負担を強調するためだ。君の過去と絡めた相乗効果も狙ったのだろう。包帯を取っているのも同じような理由だね?」
ハジメは自嘲するように笑う。
「ええ、そうですよ。自分一人では断ち切れなかったが故に、香織さんの家族をダシに使った、卑怯で最低な人間ですよ」
智一はこの自嘲めいた独白さえもハジメの計算だと気付いていた。人に好かれるのと違い、嫌われるのにはいくらでも方法がある。そしてハジメは、齢14にしてその事を熟知してしまっている。
「君にとっては、香織との関係を終わらせる事が最適解なんだね?」
「そうですよ」
「理由はさっき言った通りということか」
「はい」
「なら、一つだけ聞かせてくれ。どうして君は―――
泣いているんだ?」
「………え」
ハジメは半信半疑で自分の頬に手をやると、そこには涙が流れていた。ハジメは計算外の事に動揺する。有り得ない。自分は香織を拒んだはずだ。それが最適解だ。自分という存在が関わらなければ、香織は辛い思いをせずに済む。だというのに、涙が止まらない。
「それが、答えなんじゃないのかい?」
「そんな…どうして…」
「それに、君の計算違いはもう一つある」
「……?」
「娘は、香織は一見すると大人しそうだが、その実結構なお転婆でね。おそらく私達が反対したとしても、君と一緒にいる事を選ぶよ」
そして、ずっと俯いていた香織が顔を上げる。
「南雲くん」
強い意志のもと、言葉を紡ぐ。
「まずは、過去を話してくれてありがとう。辛いことなのに、打ち明けてくれてありがとう」
香織がハジメの手をそっと握る。
「その上で言うね。南雲ハジメくん、貴方が好きです。私は非力で、貴方にとっては無力も同然かも知れないけれど、貴方の心を癒させてください。貴方の人生を、支えさせてください。そして、叶うならば、私の事を…愛してください」
その瞳には、かつて公園でハジメの腕を掴んだ時と同じ、不退転の意志が宿っていた。
時刻はとっくに夜となり、日は当然の如く沈んでいた。そして、病院からは白崎家の三人が出てきた。しかし、入った時と違い、香織や薫子の表情には喜色が浮かんでおり、特に香織の顔は「今が一番幸せ」というような表情だった。智一だけは複雑そうな顔をしていたが、特別不満を持っているというわけではなさそうだった。
そして、夜空には美しい月が昇っている。
(こんなに綺麗な月を、君はずっと一人で見ていたんだね)
香織は数刻前に恋人同士となった少年を想う。
(でも、これからは二人一緒だよ。ハジメくん)
まだもう少しだけ前日譚は続きます。
オルクスの隠れ家の作りかけのメイドロボの目が瞬く。まるで何かを伝えようとするかのように
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修理して連れていく
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見なかったことにして放置する