逃げ続けた。
目の前の現実から、人間関係のしがらみから、自分にはどうしようもない、既に崩壊していた友人関係から。
自分達はワンセットのような扱いを、外からはされていた。光輝、龍太郎、雫、香織……その四人でいる事は絶対条件だった。誰かが増えることはあっても、この四人が欠ける事は無かった。雫はそれで良いと思っていた。
だが、その安寧が不自然に続いている事が、そもそも人間関係が歪んでいる事の証左だったのかもしれない。
自分達は小学校の頃から一緒だった。いや、香織は後から入ってきたが、他の三人はそれ以前から一緒だった。成長して環境が変わっても、精神構造が変わっても、一緒にいた。だが、その薄氷のような関係に亀裂が入った。
香織に恋人が出来た。
相手は光輝ではない、南雲ハジメという人物だ。光輝はひどく動揺していたし、香織は自分達よりも恋人であるハジメの事を優先するようになった。
それが、自分達の関係が崩壊する序章とは、雫は思っていなかった。或る種、侮っていたのだろう。多めに見積もっても、過ぎ去りゆく青春の1ページとしか思っていなかった。自分達と比べて浪漫主義者で子供っぽいと思っていた香織の恋。風の噂で聞いたり、創作物で見るように、中学生の恋など自然消滅すると、心のどこかで思っていた。
それが間違いだった。
香織は急速なまでにハジメとの関係を深めていった。談笑して、喧嘩して、寄り添って、両親まで公認で……聞いているだけでも疑いようが無い程に深い恋人付き合い。
「目を覚ますんだ、香織! それは一時の気の迷いだ! 君の人生を無駄にする行為だぞ!」
光輝が香織にそう言った時の、雫をして恐怖すら感じる、香織の冷淡な表情はよく覚えている。チェロを持って舞台に立った時とも違う、一周回って狂気すら感じる佇まい。雫は香織が、自分達よりも遥かに年上に感じた。
「まあ、天之河君の言う事も全否定はしないよ。本当に私がハジメ君の事を好きかどうかなんて、論理的には証明不可能。深層心理を無理矢理覗き込む架空の技術でもない限りね」
「そ、そうだ! だからそんな無意味な関係は―――」
「だからこそ敢えて言うね。私の恋は自明だよ。例うならばこれは魂。彼と過ごして高鳴る鼓動は心不全を起こしそうなシンコペーションで、彼を思って流す涙は別れを惜しむターゲリート、彼に話しかける声は私だけの、彼に捧ぐアリア。私の中に流れる旋律こそが証明だよ」
あまりにも美しく、恐怖すら覚える。誰が見た所で疑いようが無い愛。目の前に居るのは自分と同じ女学生でも、恋を知ったばかりの少女でもない。
激情に燃える貴婦人。
それが雫の、香織に対する印象だった。香織の事を親友だと思い続けていたのは事実だが、同時に、名状しがたい恐怖を覚えてもいた。
その恋人であるハジメもまた、雫にとっては恐怖の対象だった。紳士的で本を貸してくれる反面、全てを見通す冷酷な眼を持っているかのような振る舞い。本人が聞いたら「過大評価です」と一笑に付すだろう印象を、雫は本気で抱いていたのだ。
彼のコミュニティは異質だった。統一された思想の下に集まっているわけでも、仲良くしようと集まっているわけでもない。歯車のように連なり精密に動いているかのような、ランダムに配置された駒のように支離滅裂に動いているような得体のしれない集団。それぞれが孤独で、それでいて集団として成り立つグループ。
クラシック音楽と文学、絵画、ジャズと料理、宗教、ハッキングと精通している分野もバラバラ。何故崩壊しないのか不思議だ。
雫がこのような印象を抱いた理由としては、光輝のグループという或る意味完成された集団に居続けた影響と言える。少なくとも当時は完璧で完成された集団しか知らなかったが故の拒絶反応。そして、雫の周りではそれが普通だった。
ハジメのグループは周囲の生徒からだけでなく、教師からも煙たがられていたのがその証拠だ。誰も彼らを理解できなかった。周囲の目には、ハジメ達こそが薄氷の上に立つ人間達にしか見えていなかった。
だが、先に関係が崩壊したのは光輝のグループだった。
誰も、本人達ですら予想していなかった結果だった。完成されていた集団。だが、それ故に脆かったのだ。成長と共に変化する環境と精神構造に耐えられる屋台骨では無かった。
誰も気が付かなかったというだけで、少しずつ軋んでいたのだろう。そして、香織の事実上の離脱を機に、一気に崩壊した。
早い話が、終わっていたのだ。光輝達のグループは。そして雫は、その瓦礫を必死に寄せ集めて、自分と周囲を誤魔化し続けた。親友に対する恐怖を忘れるために。
紅は雫によって生み出されてから、彼女の視点で世界を、他人を見ていた。正直、紅は雫の事を愛してはいる。そのように作られた人格だからだ。他者との軋轢に耐えかねた雫が、安らぎを得るために生み出した存在。造物主は被造物を愛さないというが、少なくとも雫は紅に執着してはいる。
だが、紅を以てしても雫の全てを肯定する事は出来ない。擁護できない部分も存在はする。が、それを指摘するのは自分の役割ではない。そもそも必要があるかも疑問だが。
紅は雫の内側から、彼女が恐怖を抱きながらも親友と呼ぶ香織という少女に抱き着くのを眺めていた。紅から見て、香織というのは未知の存在だ。果たして敵か味方か。光輝という、味方の顔をした潜在的な脅威という前例が存在する以上、慎重に見極めなければならない。
「「どちら様ですか?」」
相対して疑問をぶつける二人がいた。一人は蝶葬機体となったハジメ、もう一人はファンキーな服装となった雫である。
「い、いやいや! あなた南雲君なの!? どこからどう見ても別人じゃない!!」
「そちらこそ、随分と趣味が変わったようで」
「い、いや、これは私の趣味というよりは……」
それぞれが自己紹介した後、あまりにも変わり果てたお互いを見て驚き合っているのだ。また、お互いが此処に来た経緯もある程度は話した。
「そっか……逃げ出せたんだね、雫ちゃん」
「一番の朗報はそれよね。メルドさんの指示もあったとはいえ、八重樫が『逃げる』という選択をした。日記の冒頭が意味不明な反省から始まる貴女からすれば大きな進歩だもの」
「ああ……高校入ってもそんなだったんだ。雫ちゃん。昔から何度もテレビのニュースも他校の自殺も君のせいじゃないと言っていたけれど」
香織はそう言った後に、自嘲するような表情となった。
「まあ、雫ちゃんを見捨てた私に言う資格は無いけれど」
「そ、そんな……見捨てただなんて」
「少なくとも、雫ちゃんよりもコンダクターが優先順位として上にいたのは間違いないもん。むしろ、会ったら恨み言を吐かれるとすら思ってたし」
「…………」
香織は香織の人生を生きた。真っ当に恋をして、真っ当に芸術に生きた。そして、その結果、親友を見捨てた。そしてそれは、今後も変わらないのだろう。
同時に雫は、香織の何を恐れていたのか、今この瞬間に判然とした。雫は、香織が自分の人生を歩めることを理解できなかったのだ。それを再認識して、雫は云う。
「でも、やっぱり私は香織を恨む事なんてできないわ。香織は自分の人生を生きただけ。助けを求めもしなかった私が恨むのはお門違い」
「雫ちゃん……」
「少し変わりましたね。憑き物が取れたというか……」
そんなハジメの言葉に、雫はなんだかおかしくなってしまった。
「そうね。或る意味そうとも言えるし、憑かれてるとも言えるわ」
「? どういう事?」
意味が分からず、香織は聞き返す。
「これは、説明するよりも見せた方が早いかもしれないわね」
雫はそう言うと、少しふらついた。そして、体勢を整えると今までとは全く違う声色で口を開く。
「初めまして、雫の友人の皆さん。私は八重樫紅。いつもなら誇らしき盾と言うけれど、曲がりなりにも友達みたいだからしっかりと紹介するわ。八重樫雫の第二人格よ」
その瞬間、時が制止した。
「つまり、貴女が、雫ちゃんの苦しみを和らげてくれたんだね」
紅の登場から少し時が経った後、香織が戸惑いながらもそう口にすると、紅は意外そうに香織を見る。
「……意外と冷静なのね。もっと狼狽えるか、必死になって否定するかと思っていたわ」
「ああ、うん、驚いてはいるよ。実際、今も体内の異重合核の鼓動が不整脈起こしてる」
「不整脈起こしたらそれはだいたい死んでるわよ」
「でも、一応多重人格っていうものの存在は知ってる。ロボトミーや電気治療が有ったような時代でも無いんだから、変な排他意識は持ってないよ」
雫のような解離性同一性障害や、同じく精神疾患である統合失調症の発症率は百人に一人だと言われている。日本の人口が一億人だと考えると、決して低くは無いというのが分かるだろう。ハジメや香織、異世界の住人であるユエやシアにとっても他人事ではない、誰でも発症する物だ。
それを聞いて、紅は本気で驚いたようだ。
「貴方達はかなり危険な思想を持っているようね……褒めてるのよ?」
「たとえ褒めてなくても否定はしないよ」
「特に、あの天之河光輝とかいう奴より、雫は安らげそうだわ」
「「「ああ……」」」
ハジメ、優花、香織の三人はどこか納得したように空を見上げた。そして、同時に何があったのかもある程度察した。
「或る意味、彼は世間の価値観を代弁してるでしょうね……トータスどころか、現代日本ですら優性思想や弱者排斥主義のようなものは根強い。僕としては、死という生命を定義するに切り離せない、ある種の安息すら排斥しようとする所に、どうしようもない汚辱を感じますが」
受け入れず、かといってその通りに振舞えばそれはそれで排斥する。現代社会の、歪で不健全で不健康な精神の有りようを痛烈に批判するハジメ。それは間接的に天之河光輝の行動を批判する物であった。
尤も、本人は否定するであろうが。ハジメから見れば、そして歴史と哲学から見れば光輝のやっている事はカルト教団や負の遺産を数多く残したファシストと変わらない。違うのは、後者は半ば自覚的にやっているのに対し、光輝は無自覚にそれを行っている事だろう。
一方で香織は、
「ごめんね? 何か、何も感情が動かなくなっちゃった」
「ええ……もう、見るだけで真顔だって分かるわ」
「うん、何だろうね。本当なら怒りとか哀しみとか、抱くべきなんだろうけど、何も……無いや」
香織の中で、もはや天之河光輝は感情が動く対象ですらなくなったらしい。目の前に本人がいないというのも影響しているのかもしれないが、感受性が豊かな演奏者から感情を奪う程の存在、恐ろしい。
「だけどまあ、天之河君本人に会ったらその限りでは無いかもしれないけれど」
「なるほど、さながらクレッシェンドのように感情が再起されると」
「スフォルツァンドかな、どちらかと言うと」
『言葉だけ切り取るといつも通りだけど、奈落に飛び込む前の狂気的な虚無の笑顔してるわ……』
紅の内側で雫が香織の表情に怯えている間に、今度はハジメ達の話となった。やはりというか、かなりぼかして話しても雫にはショックだったらしい。意識海の中で阿鼻叫喚だと紅が話していた。
セイレーンとなった香織のその後はまだ良いとして、右眼から再生した一件や、ルシフェルと化した優花の部分はかなり応えたようだ。親友や話を聞いてくれた優花が悲劇に見舞われたというのは、やはりしんどいのだろう。
「私はそんなに悲観してないけどね。First Deathを彼に捧げられたわ」
「First KissじゃなくてFirst Deathって……私も大概な性格してると思ったけど、貴女だいぶ狂ってるわね」
「誉め言葉ね」
芸術家と音楽家に対して『狂っている』は誉め言葉となる事も多い。今回の場合はハジメへの狂愛が傍目に見ても分かるという事に喜んでいるのだろうが。
そして、ハジメ達が今後の予定を話し合おうとした所、
「っ!!」
「おやおや……」
雫が逃げ出した夜に出会った戦車のような機械生命体『ブリーゼ』と『シュタイフ』が襲来した。
「話し合いは後にした方が良さそうですね」
「ずっと追いかけてきたみたい。どれだけしつこいのよ……! 『狙いは私よ。だから逃げ』雫は黙ってなさい!」
「僕達も見つかった時点でアウトですよ。逃走が解決にならない以上、殲滅するしかありません」
それぞれの乗り物に乗って逃げるように走らせるハジメ達。雫が自分達を見捨てるように声を上げるが紅が黙らせた。そして、見つかった以上は自分達も無関係ではないと主張するハジメ。
眼前のハジメ達に攻撃を仕掛けようとするブリーゼだが、その前に優花の戦輪『イエスタデイ』が炸裂した。
「私暇ですねえ……あ、そうだ」
シアが車から飛び降りて、ライダーのような姿の機械生命体『シュタイフ』を大剣『白ノ約定』で一刀両断すると、バイクを奪って闘いに参加した。温厚な兎人族とは一体。なお、紅は「考える事は皆同じなのね」という顔をしていた。
「さて走りましょうか。ルート666を」
「あ、私それ言いたかったのに」
ハジメと優花の漫才を皮切りに路上の闘いが幕を開けた。
シチュエーションが完全にFF7とか言ってはいけない。何気にありふれ原作にはなかった乗り物で走りながらの闘い。次回はそれを書いていこうと思います。
あと、『勇者アンチ』のタグは外そうかとも思ってます。一応、勇者君がそれなりに絶望する展開を用意しているので、警告の意味合いで付けているのですが、なんか私がわざわざそういう表現しなくても勝手に自滅しそうというか……これがNieRの力か。おのれヨコオ(筋違いにも程がある怨み)
オルクスの隠れ家の作りかけのメイドロボの目が瞬く。まるで何かを伝えようとするかのように
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修理して連れていく
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見なかったことにして放置する