私は珈琲の匂いで目を覚ました。
少し体を起こすと、周囲がぼんやりと見えてきた。
一言で表現するなら、事務所だ。
机が並び、書類が積み重なり、白熱電球が室内を薄明るく照らしている。
そして、壁にはこう書かれていた。
まず脳内に浮かんだ単語は”誘拐”。
確かにこの新人生における私の家庭環境は比較的裕福といえるだろう。
仕事の都合で、どうしても一緒にいれる時間が短いが、愛情を一身に受けて育った。
間違いなく両親ならば私のために全財産を投げ売ってしまうに違いない。
「おや、お目覚めかい、還願君」
私に近づいてくるのはコーヒーカップを二つ持った男。
・・・いや、青年と言うべきなのか?
背丈や声からして、まだ青年なのだろうが不精髭で判断しにくかったのだ。
「おっと、安心してくれ。
君が体験しているのは誘拐ではない。
まあ、勝手に連れ去ったから犯罪にはなるだろうけど。
ほら、コーヒーだ。勝手にミルクと砂糖を入れたけど。
それ以外には何も入れちゃいないさ」
本来なら信用ならない言葉だろう。
見ず知らずの青年から渡される珈琲など何が入っているかわかったものじゃない。
だが、彼の言葉は不思議と身をゆだねることのできるものだった。
私は飲んだ。おいしかった。
「・・・それで、どうして私の名前を知っているのでしょうか?」
「簡単な話だよ。
彼が指を鳴らすと同時に、球体が宙に突然現れた。
「こいつは智子。一種のスーパーコンピューターだよ。
ぼくの会社での仕事は諜報や人材スカウトだからね。
普段はこいつを陽子レベルにまで縮小させてるんだ。
それで地球全体を探ることができるってわけだ。
君、転生者なんだろう?」
私は何も言わずに頷いた。
ずっと、以前からどこかで疑問に思っていたことだった。
”私みたいな人間がいるなら、それ以外にいないとどうしていえる?”
「だと思った。あまりにも大人びていたからね。
君は本当に周囲に恵まれていたよ。
君の普段の言動は”ぼくは転生者だよ!”って暗に叫んでるようなものだから。
見滝原には他にも転生者はいるだろうけど、彼らの善性に感謝したほうがいい。
君は確実にあのままだと危ない状態だった」
珈琲のおかげか、頭が少し冴えている。
そのおかげで確かに目の前の青年の言う通りだと思えた。
鹿目まどか、美樹さやか・・・。
私の姉分たちは、この世界における主役かレギュラー。
そんなVIPに私は可愛がられていたのだ。
嫉妬や危険視されていたとしても不思議ではないのだ。
「今回、会社に連れてきたのも君が転生者攻撃を受けたと思ったからなんだ。
智子も君が遊んでいたのが一体何だったのか写しだせなかったし。
まあ、以前から、第一市民とぼくは君をぜひとも会社に入れたかったからね」
「第一市民・・・?」
「社長の呼び方みたいなものさ。
君も彼をいずれはその名前で呼ぶことになる。
なぜなら、君も我が社の一員だからね」
彼は一番離れた壁を指さした。
いつの間にか私は聞いたこともない企業に入れられていた。
「本当に突然で申し訳ないと思ってるよ。
でも、これが現時点で可能な措置だったんだ。
どうか許してほしい。君を失うわけにはいかなかった」
彼は頭を下げた。
「い、いえ・・・ですが、まだ事態がはっきり理解できないというか・・・」
「そうだろうね、ぼくも最初はそうだったさ。
でも、いずれは慣れるだろうからね。
とりあえず屋上に付いてきてくれ」
彼の後をついて、階段を上っていく。
まず、ここである程度、建物についてまとめておく必要がある。
一階がさっきまで私たちがいた場所で、オフィスだ。
二階はさっと見ただけだが、カフェのようだった。
三階の廊下は赤いカーペットが敷かれており、『第一市民』とやらのエリアだろう。
そして、屋上に上がると・・・そこは、太陽に照らされた神浜市だった。
近年、成長が著しい神浜市。
テレビやガイドブックでしか見たことのなかった神浜市。
「改めて、ようこそ還願君。
AUGUSTUS社へ!ぼくたち転生者のみで構成された企業!
そして、ここが今日から君が駆けずり回ることになる神浜市だ!」
ビル群、風力発電機・・・。
そして、既に一階で時計を見た私は確信した。
無断欠席確定じゃないか。