いつの間にかギンガ団幹部『ヴィーナス』にされた男の話 作:Mamama
シロナが拳を机に叩きつけた音は室内に響き渡り、その場は一瞬にして抜き身の刃物を目の当たりにしたかのような緊張感に包まれた。
百戦錬磨の四天王勢すらその気迫に飲まれ、誰かが唾を飲み込む音が聞こえるほどだ。
ゆらり、と幽鬼のように立ち上がるシロナの目は酷く冷たい。剣呑な視線は一人の男に向けられていた。
「ごめんなさい、もう一度仰っていただけますか?」
丁寧な口調は温度を感じさせず、しかし静かな激情が込められていることは誰の目にも瞭然だった。しかし、シンオウ地方のチャンピオンとして数々の修羅場を潜り抜けてきたシロナの眼に晒されてもなお、国際警察のハンサムは冷静に応対した。少なくても、表面上は。
「……チャンピオン、シロナ。貴女が怒る理由は私にも分かります。ですが先ほどの言葉を撤回することは出来ません」
「シロナさん、一先ず落ち着いて話を聞きましょう。彼にも彼の言い分があるはずです」
「……ええ。分かってる。分かってるわ」
ゴヨウの言葉でシロナが落ち着いた訳ではない。今なお手元の資料を握りつぶしたくなる衝動に見舞われる。
手元の資料に目を落とす。そこにはシロナがよく知る男の写真が収められていた。遠くから撮影された写真には二人の男が写っており、レストランでの食事風景のようだ。片方の男は最近世間を騒がせているギンガ団リーダー、アカギだという。そしてもう一人はシロナの良く知る人物だった。
「シロナさん。何も我々は彼をクロだと断定しているわけではありません。しかしギンガ団リーダーのアカギと親交があることは覆しようがありません」
シロナは渡された書類を捲る。そこには男の一人の人生の軌跡が事細かく記載されている。
同年で、同郷の出身であり、同じポケモンスクールに通い、同じ大学に留学し、アカギが宇宙エネルギーの開発に乗り出した時には名義も貸している。これでギンガ団となんの関連性もないと断言することは難しい。
「だから先輩もギンガ団所属だと? ……ええ、認めます。符牒めいた経歴であることも。でも、だからなんだというの?」
一度強引に鎮火させたはずの感情が再びうねりを上げて胸の奥底から立ち上っていく。
もう数年の付き合いだ。それだけの月日は一人の男を理解するには十分な時間だった。
少なくともシロナは彼が悪人でないことを知っていて、そして信じている。
「私の先輩を馬鹿にするな……!」
底冷えするような声に人すら殺せそうな眼に晒されたハンサムは僅かにたじろぐが、すぐに表情を厳しいものに直す。
「貴女と彼にはそれだけの信頼関係があるからそう言えるのでしょう。ですが我々は経歴等の表面上のことしか知りません。……不愉快な思いをさせてしまったことは申し訳ない。ですが、我々も確たる証拠が無ければ引くことが出来ない。そのことはご理解いただきたいですね」
「……そもそも、この写真といい、たにまのはつでんしょの占拠に関わったっていうのはどこからの情報なんだ?」
「確かに。情報源が不明であればその信憑性も落ちますよね?」
しん、と一瞬静まりかえった室内で居心地が悪そうにオーバが述べ、リョウがそれに追随する。そこから続くハンサムを含めた三人の会話はシロナの耳を素通りしていき、行き場のない拳を強く握りしめた。
そこでシロナは握りしめられた右手がひんやりとしたもので包み込まれたのを感じた。見るとキクノの手だった。落ち着きなさい、と呟くような声でシロナは今にも机を乗り出してハンサムに掴みかかりそうな態勢であったことに気付いて、椅子に腰を下ろす。
「――結局、情報の出どころは不明ってことか。でも写真に加工された様子はない、と」
「経歴なんかは簡単に裏が取れるだろうし、そこは正しいのかな?」
「匿名による告発ってことで良いのか?」
「ええ、Pという匿名からの情報です。……匿名からの情報を鵜呑みにすることは出来ませんが、アカギは証拠の隠滅が非常に上手い。手を出すにも出せない、藁にも縋る状況なんですよ」
キクノのお蔭でシロナの精神状態は大分持ち直した。平静を保っているとは到底言えないが、今直ぐハンサムに掴みかかろうなんて物騒な考えは起こさない。
多少は物事を考える余裕も出来たシロナはオーバ達の話を聞きながら一つの疑問が湧きおこる。
「……何のために告発をしたのかしら。いえ、そもそもこの告発に意味があるの?」
深い考えがあったわけではない。思ったことを口走っただけだったのだが、ハンサムはそこに反応した。
「……正直に話をしますとそこが分からないのです。たにまのはつでんしょの件を詳細に知っていたので内部からだとは思うのですが……」
「アカギに対する告発なら分かるがそうじゃないからな。なーんか作為的なもんを感じるな」
「彼個人を嵌めようとしている、或いはアカギと仲違いさせようとしている。……どっちにしても意図が良く分からないしリスクが高いよねぇ。アカギという大物を引き合いに出しちゃってる時点で」
「―――そこは今考えても答えが出ないでしょうし、一先ず置いて良いんじゃないかしら? これまでの話を聞いていると、ハンサムさんは国際警察としてシロナさんの先輩を疑わざるを得ないのよね?」
煮詰まりかけてきた場をキクノが正す。年長者でありキクノの穏やかかつ力のある声はその場の全員の襟を正させた。
「……そうなりますね」
「お仕事ですものね。それは仕方ないわ。……ねぇシロナさん」
「……はい」
「簡単なことよ。疑いが許せないというのなら、それを晴らすために動けばいいじゃない。別に難しいことじゃない」
信頼しているんでしょう、とキクノが聞くとシロナは俯いて消え入るようなか細い声ではい、と呟いた。
あまりにも想定外のことが起こると人間は却って冷静になるらしい。そのことを俺は身を以て実感した。すうっと頭から激しい熱が失われていき代わりに冷水を頭に注ぎ込まれる。
いつになく冴えた俺の脳みその稼働率は100%を優に超えた。パンクしそうになりつつも、それでも今いる状況が最悪なものだと気づく。
アカギが俺を売った? だから俺を態々逃すような真似をしたのか?
……いや、今は良い。まったくもって良くないが今この場においては重要なことではない。
問題はこの危機的状況をどうやって切り抜けるかだ。
「……なんだよシロナ、ストーカーか?」
「ええ。すみませんが、今日だけは後を付けました。それで、話を聞かせてもらっていいですね?拒否権はありませんが」
これは拙い。シロナのヤツは本気だ。適当な会話や誤魔化しは最悪の結果を生むことになる。
とはいえ、俺にとって後ろめたいことはなにもないのだから堂々としていれば済む話だ。
俺がギンガ団に加担しているという事実はないし、生まれてこの方いかなる犯罪行為も行っていない。だが、ギンガ団のリーダーであるアカギと親交があるのも事実。
そしてあの天才の権化たるアカギが仕掛けた策が安易に突破出来るようなものではない。
虚偽の証拠やらでっち上げの証言なんかも用意周到に準備していることだろう。
であれば最悪本当に豚箱に放り込まれることも覚悟しなくてはならない。
「オーケー。分かった、俺には後ろめたいことはない。正直に話そう。まず俺とギンガ団とはなんの関係もないし、俺が犯罪行為に関わったこともない」
とはいえ、ここで逃げるなんて選択肢は絶対にありえない。そもそもシロナ相手に逃走なんて無理だし、後ろめたいことをしていますよ、と白状しているも同然だ。
「では、ギンガ団らしき女性とビルの内部に入っていましたが、これはどういうことですか?」
シロナの舌鋒は鋭い。言い逃れは許さない、とその目が語っている。
隠しているものではないし俺とアカギの経歴は丸裸同然だろう。俺はゴクリと生唾を飲み込む。
「……俺だってあのビルに初めて入ったんだぜ? アカギに呼ばれてな」
「では、アカギとの会話の内容について教えてください」
まるで尋問だ。俺は先程とは違う意味で気分が悪くなってきた。
「……アカギが何をやらかしたか聞いたんだ。発電所の件もな、俺だって信じられねえよ」
「その発電所の占拠に先輩が関わったという疑いが出ています」
俯きがちだった俺の首が反射的に上がる。
「さ、流石にそれは嘘だろ? 大体、それはいつあったことなんだ? 俺のアリバイが立証出来れば……」
「すみませんが、既に照合をしています。当時の先輩は休日中でアリバイの立証は現段階では出来ていません。……それを覆す材料が今後出てくる可能性はありますが……」
ふらり、と俺は膝から力が抜けそうになった。なんとか気張らないと俺はそのまま倒れ込んでしまいそうだ。多分、俺の顔色は蒼白だろう。それほどに体調は最悪だ。ぐわんぐわんと視界が揺れる。
「……シロナ。お前は俺を疑ってるのか?」
実のところ、シロナに疑われているというダメージが大きい。仕事でもプライベートでも親しいシロナに犯罪者を見るような目を向けられるのが俺は心底恐ろしい。それはシロナがチャンピオンだからとか、そういった表面上のものだけじゃない。
アカギにしろシロナにせよ、俺を構築する人間関係の中で深い部分に根ざす人物だ。
こうやって俺を問い詰めるシロナが悪いわけじゃ決してない。チャンピオンとしての立場だってあるだろう。けれど、信頼していた相手に裏切られたと思ってしまう。そう思ってしまうのは俺の心が弱いせいなのだろうか。
「―――そんなわけないでしょう」
シロナは俺の弱々しい言葉を力強く一刀両断した。
「ええ、ええ。先輩がギンガ団のビルにノコノコ入ろうとしたときは思わずガブリアスを嗾けようと思いましたよ。でも先輩が死にそうな顔でビルから逃げてきた段階でその疑いは解けていましたよ。大体、私の隣にいながらギンガ団の活動に携われるほど器用でもないでしょう。腹芸なんて一番苦手ですし」
「……」
「モンスターボールを所長の後頭部に直撃させた時は私を売ってくれましたが、演技がバレバレでしたし、言うほど頭を良くないですし、私のカップ麺を勝手に食べますし。今もなんですか、そんな泣きそうな顔して。悪事に手を染めようとする人の顔じゃないですよ」
「……俺は」
「客観的に先輩が疑わしい立ち位置にいることは事実。でも、安心してください。私は信じていますから。その為に私が来たのですから」
俺の今の感情はかなり繊細な均衡の元、保たれていたらしい。
差し伸ばされたシロナの手を見た途端、それは呆気なく崩れた。安堵やら未だに残る混乱やらで俺の感情は乱高下し、防波堤は感情という波にあっさりと呑み込まれた。
要するに、割とマジで泣けてきた。
「せ、先輩!?」
「いや、もうマジで。アカギの件だけでもイッパイイッパイだってのにお前にまで疑われるとか完全に終わったかと……」
「じゅ、重症ですね。ごめんなさい、そこまで追い詰められているとは……」
「シロナ、おれこれからどうすればいいんだろう……」
「あ、待って。これマジのやつですね。私も罪悪感で死にそうなんですが」
俺の荒れに荒れたメンタルが回復するには結構な時間が必要だった。
「……それで、俺はどうしたら良い」
赤くなった目を擦りつつ俺はシロナに聞く。
「失礼。一先ず場所を移しましょうか。……しかし許せませんね、アカギ。先輩を売るとは……」
「多分、違うと思う」
厳しい顔でトバリシティの方向を睨むシロナに、俺は気づいたことを述べてみる。
「違うとは?」
「いや、アカギにしてはやってることが中途半端な気がする。アカギが本気だったら俺に逃げ道なんて残さないはずだ」
アカギなら俺がガッツリギンガ団に関わったとされるような虚偽の証拠を残しておくはずだ。
アカギではなく俺を告発する意図は分かるのだ。俺の逃げ場所を奪って半強制的にギンガ団に所属させようという魂胆だとすれば十分に理解できる。それにしたって俺を引き入れることによって生じるメリットとアカギが身を晒すデメリットが釣り合っていないように見えるが。
しかし、もしそうであるなら先程述べた通り中途半端だ。
アカギの仕業じゃない? 或いは何かしらの意図があるのか?
「フフフ、凡人共が悩んどるのぉ……」
「何者ですか!?」
突如、どこからともなく聞こえてきた声にシロナが誰何の声を上げる。
「何者、か。本来なら貴様等風情に名乗る必要などないのだが、聞かれたからには答えてやろう。耳を澄ませて拝聴せよ。儂はーーー」
「コソコソしてないでさっさと出てきなさい。ガブリアス嗾けるわよ」
「……そ、そのような脅しが儂に効くとでも?」
「お、おい。誰だか知らないけど早く出てきた方が良いって。シロナの奴、目が据わってるし本気だぞ」
「ち、力づくでどうにかするつもりかの? これだから野蛮人は……。まぁ良いじゃろう。そこまで乞われたなら仕方あるまい。だからその狂った性能のガブリアスを出すでないぞ。儂トレーナーじゃないし戦えんから。絶対に、フリでもないからの」
トバリシティの郊外、疎に建つ建物の影から現れたのは丸メガネを掛け白衣を着た初老の男だった。
「超⭐︎天才科学者プルート! 参上じゃあ!」
「……」
「……」
誰だよ。
新たな、そしていかにも面倒臭そうな存在に俺は頭を抱えた。
いつも読んでいただきありがとうございます。
前話で感想返しやっていきます、なんて言っていましたがありがたいことに沢山の感想を頂き大変になってきたため、感想返しはちょっと控えます。
でも全部の感想やご指摘は全部見させてもらっておりますのでこれからも応援お願いします。