触野 千手郎著『騎馬触手技術の完成とアマゾネス文明の興亡』 川満新書 作:HASURYU
前節で述べたように、アルジャニス朝ザウルに従属する形で北アマゾネス朝は王朝の存続が許された。これによって独立した政治勢力としてのアマゾネス文明はなくなった。とはいえそれは、完全な滅亡というものではなかった。
負けたといえども強力な騎馬軍団を持つアマゾネス文明をアルジャニス朝ザウルは先行文明として敬意をもって迎えることが多かった。またアルジャニス朝の期待に答える形で、アマゾネス人は、アルジャニス朝ザウルの軍事力の一端を担い、時には影響を強く与えることになった。消えたといっても、その文化や人々はすぐになくなったわけでなく、その後200年ほど続いたのである。
最終的には、紀元前400年の危機の波とその対応に追われ、とどめとしてリッセンドル大王の東征に抵抗することで、地方王権としてのアマゾネスは滅亡する。だが滅亡までにもアマゾネス人は各地に移住し、その文明の残影というものは伸ばした。その触手技術や制度などを各地に定着し、東西の触手技術や騎馬技術を更なる発展をさせていった。その影は長く、遠くわが国まで及んでいる。
この節では地方王権としての北アマゾネスの動きとその滅亡までの流れを紹介し。そのうえで彼女たちの文化と技術が他の地域に直接的であれ、間接的であれどのような影響を与えたかを簡単に示したい。
【アマゾネス文明の残光──地方王権としてのアマゾネス朝とその崩壊まで】
アルジャニス朝は北アマゾネス朝を屈服した。しかし主力は負けたとはいえ、残存勢力は依然強大であった。そこでアルジャニス朝は妥協と名誉をある程度与えつつ、敵対勢力はつぶすなどして、勢力に巧みにとりこんだ。
その証拠として、先の節で述べたように、ザーレ―教はアマゾネスやガンダの神々を一部残し、主神アーメル=マットの娘や親族という形で再解釈しなおした。アマゾネス文明の神々もその娘として教えられ、神話の中にも一定の地位を与えた。これはザウル域の神話が原ガンダ=エウロス語族の神話をよく残していたからこそ、できたのだろう。
また文書にも妃として明らかにアマゾネス系の名前が書かれていることもあったので、その位置配慮に苦心したことが明らかである。
その結果、文化的な一つの中心地としてフタスタン域はまた再興した。政治的中心は新都市サーメルに総督府がおかれたこともあったが、ナーリーンの文化的威信はいまだ強く、そこで様々な文化的な交流と、アルジャニス朝の強力な騎馬軍団の供給地としての役割が与えられた。
また軍事的にもアルジャニス朝は対王族パイアーンの戦いにアマゾネス王国は動員した。王族パイアーンに同調する部族とアルジャニス朝に従属する部族と戦わせることで、その勢力をそぎつつ、巧みに従属させたのだ。この過程で、アマゾネスの一部は再びパイアーンに属し、そこでグラムス=レムネーと接触し、中には通婚し、グラムス本土まで行くものもあった。
アマゾネス文明は政治的にはすこしずつ分裂しつつ、一定の文化的地位を保ちながらも各地の文明と融合しつつある時代であった、地方王権としてのアマゾネスの200年を言い表すことができよう。
しかし紀元前400年ごろになると、フタスタン地域は動乱に巻き込まれる。この時代急激な寒冷化と飢饉が発生し、それに伴う北部異民族の南下がおきたのだ。この動きはエウロスタン大陸全土のものであったらしく、少しの時間差こそあれ、飢饉と異民族の襲来が各地の文明で記録されている。
この時代はアルジャニス朝全盛時代であり、宿敵ハプスや小スタニア半島の帝国を下した。グラムス文明の遠征こそ、その対魔法重装歩兵による新戦術に負けたとはいえその勢力は絶大であった。しかし各地域の異民族の同時侵入には対応するには、偉大なこの帝国をしても限界があった。さらに広大な領土を維持すべく、各軍団が散らばっていたことも、この災厄に対応することが困難にしていた。
フタスタン域もこうした侵入に抵抗したが、ザウル人由来やアマゾネス由来の各都市は陥落、略奪されるものもあった。
このカタストロフは原因は定かではないが、おそらくエウロスタン造山活動の一時的活発化による火山の活発化が現在としては主力の意見である。
大体このカタストロフは20~30年続き、各民族の撃退こそ成功したものの得るものはなく、その結果アルジャニス朝に多大なダメージを与える。
さらに追い打ちをかけるように、紀元前360年ごろフタスタン域を中心とする地震が発生する。おそらくマグニチュード7.5~7.8クラスの地震がナーリン周辺で起こり、旧都ナーリン域は山体崩落に伴う地滑りによって埋まってしまう。こうして文化的中心もアマゾネス人は失った。もっともこの地震のおかげで、アマゾネス文明のかつての栄光とその歴史をタイムカプセルのようにしたのは皮肉なことであるが。
そしてとどめとして、この弱った帝国を崩壊させる最大の存在が現れる。グラムス=レムネー文明最大の軍事的天才にして征服者、ケドニウスのリッセンドル大王の東征である。
この大王の業績はここでは詳しくは述べない。このグラムス文明最大の戦術的天才は、完成された混成歩兵技術によって圧倒した。魔法戦に持ち込もうとするアルジャニス朝に対して、優れた金属細工と対魔法障壁、それにアーティファクト技術で身を固めた重装歩兵を圧倒した。カタストロフの混乱によって精兵を使い果たし、アルジャニス朝は数任せの兵で抵抗することができなかった。また騎馬兵についても、リッセンドル大王はポリアーンと同盟、交流することで質も確保してあり、対抗できていた。なにより両者は決戦せざる得ない状況に追い込まれ、この大王は戦略的に決め、場所も時期決定を完璧に行ったのである。
そしてフタスタン域について述べるなら、決戦で敗北し、逃走した王族をアルジャニス朝のフタスタンの総督はかくまった。このような行動のみせしめとして、ザウル諸都市とそれに連なるアマゾネス系の都市に対して、その部将を使わしフタスタンの諸都市を破壊、あらたにグラシア人が作った都市に移住させ、そして優れた技術者であったアマゾネス人をグラシア本土に送ったという記録が、東征記には残されている。
こうして、アマゾネス文明は各種災厄にまみえたうえで、その東征によって文化的にも消えていき、幻の文明となったのである。
【アマゾネス文明の落とした影─アマゾネス文明の各地域へ伝播されたもの】
地方王権として続いたアマゾネス文明も、寒冷化による民族移動とリッセンドル大王の東征によって、フタスタンからも姿を消すことになった。
だがアマゾネス文明が作り出した文明的意義は完全に失われるわけではなかった。無論中心域であったフタスタン域での勢力が衰え、なくなったのは事実である。それは後代になされた考古学的発見からも後付けされる、
とはいえ、彼女たちの文明は遊牧民族ならではダイナミズムでその技術を各地に伝えたのである。この技術は多様な地域に溶け込むことでさらなる触手技術的発展をとげた。まさしく彼女たちとその文明は、古代世界に触手技術の派生を作り出すことになった。
そして地域や歴史的条件がそろえば、後代になっても、かつてのアマゾネス文明のような女性戦闘技術は現れ、各地で活躍することもあったのである
無論各地に散らばった彼女たちの運命はどうなったかはまだ完全に明らかになっているとはいいがたい。その中で確実に彼女たちが影響を与えたものを、ガンダ、アマゾネス文明西方、アマゾネス文明北方と東方への影響を紹介したい。
彼女たちの駆け抜けた音は、各種後継者、対抗者にひきつがれ、東西南北に響いているのである。
〇ガンダ域への影響
●アマゾネス文化のガンダ経由の移動地図
アマゾネス文明最大の影響を受けたのはやはりガンダ域であろう。ガンダ北西部、南部にいう及ばず、北東部にもこの影響を与えた。
まず政治的影響という点では、ガンダ域の特徴である北東、北西、南部という枠組みがアマゾネス文明後では確立することになる。これはアマゾネス文明がガンダから撤退した後でも続き、これ三大地域の代表が他の二地域と戦くというフォーマットを作り出した。この形式はアマゾネス文明の南部域の植民とその領域国家化という動きがなければ、仮にこの枠組みができたとしても遅れることになっただろう。アマゾネス文明は確実にガンダ文明の領域を増やすことに成功したのだった。
また前期ガンダ文明を作り出した社会的構造を破壊したことで、社会的流動性をさらに加速させ、既存の身分制階級制は崩壊し、アマゾネス人も含むあらたな中間層を作り出し、新たな宗教や文化を作り出した。その文化の説明はあとに譲る。またこの動きは敵対する北東ガンダ諸国も巻き込み、東南スタニアにさらなるガンダ文明の交流発展を加速させた。その最終形態がサミダリー賢王の大同盟であり、北東部ガンダの文明的、文化的結束ももたらした。
ガンダ圏だけでなく、アマゾネス文明はガンダ周辺民族の生活圏の拡大をもたらした。それはさらなる歴史的プレイヤーを増やすことを意味する。アマゾネス人に直接影響を与えた民族の代表としては、南ガンダのオーク族とガンダ北部から北東部の山岳部の辺境の民族であったヤクティス人があげられる。
まずヤクティス人は、その地政学的位置によって北東部ガンダ諸国への圧力としてアマゾネス文明は期待された。アマゾネス文明最盛期になると、ヤクとヤックルの遊牧がはじまり、この地の生産力を増すことに成功する。そのうえで寒冷地にも強い大麦やウマの誕生でさらに強力な勢力となった。
またこの地帯は、神苑文明とガンダ文明の境界でもあることから、重要な交易ルートをこの文明は持つことになる。そして仲介貿易による両者の文明の成果を取り入れて独自の文明を作り出すことになる。そのはじまりがアマゾネス文明との接触であった。後代にはヤクティスの遊牧民帝国は、両文明の首都まで押し寄せたり、逆にガンダ文明のでは非主流となる後期普渡教の護を行う役割になるが、それは他の書物に譲りたい。
ただヤクティス土着の宗教であるパーラ教の創世神話には、天帝の娘サリフやアーンミはそれぞれ知恵の神武の神として、地上に馬と生き紐をもたらすものとして現れている。そしてヤクティス人の先祖であるヤディゴと結婚することでこの地に人が満ちたと伝えられている。またサリフの娘は天帝に交渉して、人々にヤクとヤックルと生き紐を与えている。この神話の陰にアマゾネス人の姿をみることは可能である。
この神々は後期普渡教と習合して、薬王如来の妃としての砂玲天と羂索阿未弥明王という騎馬多羂索男女両面の明王像が作られ、現代でもヤクティスから神苑、そして大三島でも信仰されているのである。
次にアマゾネス人に多大な影響を受けたのはオーク族であった。彼らはアマゾネス人の触手技術などを吸収、発展させた点でも重要である。東南スタニアの多島海域がルーツであるこの種族は、生粋の海洋民族である。彼らは優れた造船技術と海洋に関する知識を持ち、紀元前700年ごろには、ガンダ南部までその活動範囲を伸ばしていた。そこで南下したアマゾネス人と接触した。アマゾネス人は北東部ガンダに対する傭兵として彼らを雇い、また彼女たちが手に入れられない大ガンダ域の産物を彼らから手に入れた。
そしてオーク族は彼女たちから触手技術と魔紋術を手に入れることになった。当時から蟹手型帆カヌーで航海していた彼らは、補助動力として小型イルカに牽引させる技術を持っていた。彼女たちの触手技術はイルカの騎乗を可能にした。そこでカイギュウやアシカの仲間であるクティークなどを回遊しながら養殖する海上遊牧民というライフスタイルをこの地で発展させた。
また北東部ガンダとも接触していた彼らは、古典的触手技術も手に入れた。彼らは二つの先進触手技術と魔紋術を発展させ、海洋種ショクシュの利用を多岐にわたって開発することになる。
その過程で、大ガンダ域から神苑南部、そして太平洋諸島へと勢力を伸ばす。最終的には太平洋域の海上交易帝国を作るまでに至った。もしアマゾネス人との接触がなければ、この地域のヒューマン種の進出は遅れることになっただろう。彼らの技術を最終的に受け取ったわが国の触手技術にとっても。
さらに間接的に彼女たちがガンダ域の文化面とくに宗教面に与えた影響を書いておきたい。
古来ガンダ域では、自由思想家が出たとはいえ、司祭階級バルシアスによって信仰が担われた。フタスタンでは彼らの異端である自由思想家が活躍していたが、彼女たちはそれを保護し、特に普渡教など新興教団を重視した。そのうえでサーリハの宗教団体が成立し、各教団に対してリーダーシップを取った。この教団はかなり先進的なものであり、各教団をその組織形態と教義の一部を取り入れた。
その結果、単なる植物神の代表であったサレイシアは、アマゾネス人の信仰形態によって戦う大いなる知恵の神へと変貌し、北西ガンダと南ガンダ域一体、後代には北東部ガンダにつたわり、ガンダ一体に広まることになる。
新しいサレイシア信仰の詳しい内容は地域ごとにも変わるので、ここでは詳しく述べない。ただシスターフッド、ボーイフッドの団体を作ることで、既存の氏族の神々とは別の、氏族感を超えた連帯と、それまでにない女性を保護する専門の宗教の誕生に至った。
また政治的思惑はあったとはいえ、アマゾネス人は口伝などを積極的に記録し公開、教団を通じて既存の階級以外にも教えた。
このことでガンダの伝統的社会と組織構造はアメーバ状の組織された社会構造がとりまく形へと変換することになり、より柔軟で流動性の高い社会へと変貌した。これはより一層の自由思想をガンダ域へともたらされ、その元より多神教が強いこの地にさらなる思想と文化を発展させることになった。
とくに女神サレイ信仰は南部ガンダに土着し、現在でも強い信仰として集めることになる。彼女たちの教団は女性が不当な目にあがると立ち上がり、近代ガンダの独立運動、被差別民虐待があると、武力闘争も辞さぬ形で活動しているのである。
現在では有名な活動家兼信仰者は元女盗賊からサレイ信仰に帰依し、最終的に国会議員になったプラヌ=サレイイ=レヴィンだろうか。紀元前から続く彼女たちの信仰は今も生きている。