触野 千手郎著『騎馬触手技術の完成とアマゾネス文明の興亡』 川満新書   作:HASURYU

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東へ西へ、彼女たちは触手技術を広めまくる。


12 アマゾネス文明の残光とその影。(2)

〇フタスタン域西部への影響

 

●エウロス、フタスタン地図

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 一方西方へ移住したアマゾネス人はどうであったろうか。このルートで移住したものはおおよそ二つの流れに整理することができる。パイアーン人に付き従ったアマゾネス人とフタスタンのグラシア人と道を同じくしたものである。これらの流れを順に説明しよう。

 

 もともとアマゾネス人はパイアーン人を祖として、その文明に従属していたことは先述した通りである。王族パイアーンから独立して、アマゾネス文明は成立したが、当然ながら敵対することはあったとしても、完全に交流が途絶えることはなく交易などは続いた。

 

 そのルートを通じてアマゾネス人の交易商人は静黒海域へと交易し、グラムス人やパイアーン人の都市などに雑居していた。その地で、グラムス人とパイアーン人はアマゾネス人の触手苗など各種交易品を交換し、アマゾネス人は食料や工芸品を中心に受け取っていたのである。この交易の物的証拠としてグラムス人のアンフォラがナーリーン遺跡から発掘されていることから明白である。中にはグラムスまで通婚したアマゾネス人の記録も残っていることから、比較的平和な民族融合したのであろう。

 

 平和な時代でもパイアーン人はアマゾネス人に付き従う部族の切り崩し工作は進めることが多かった。勝てぬなら懐柔する手を考えるのが人の常である。そしてアルジャニス朝の地方王権に北アマゾネスがなると、その動きは加速し、部族の中には元の鞘に収まるものが増えた。フタスタンの地はガンダとパイアーン人抗争からザウルとパイアーンの抗争の前線へと変わったのである。

 

 またその頃には、パイアーンもアルジャニス朝やグラシアの技術を手に入れたことで、アマゾネス人の技術的優位は消えていた。そのためフタスタンの地は再び諸民族が相争う地になった。この騒乱を逃れるための移住を第一次アマゾネス人西部移動と呼ばれている。

 

 しかし前470年の危機がおこる。それはアルジャニス朝だけでなく、パイアーン人をも直撃した。そこで援軍として、グラムス本土を制圧しつつあったケドニウス王国に援軍を求めることになり、なんとか王国を維持することに成功した。その代償として半ば従属的な同盟を結ぶことになったが。

 

 このケドニウス王国のパイアーン圏の進出は、アルジャニス朝を刺激し、小スタニアの反乱をきっかけに、全面対立となった。その結果アルジャニス朝は滅び、征服されることになる。

 

 しかしここで、思わぬことがおこった。リッセンドル大王の東征の途中、後継者を誰にするか決めないまま病気で急死してしまったのだ。その獲得された広大な領土をめぐって付き従っていた武将たちが王の後継者を自称して、互いが争うようになった。

 

 アマゾネス人も故地から離されたとはいえ、騎馬技術を買われて後継者国家各地に移住することになった。

 

 大体この戦乱ではアマゾネス人は、フタスタン域に再び帰還するためにフタスタン近辺の大小グラシア系王国に付き従う流れと、先祖を等しくするパイアーン人に合流する二つの流れができた。この流れを第二次アマゾネス人西部移動と呼ぶ。前者はアラン域とザウル域を手に入れたセレティオス朝にしたがうことが多く、後者はグラムス本土と静黒海域の一部を手に入れたネムステネス朝に従うことが多かった。

 

 その結果前者ではグラムス人と通婚することが増え、その文化と融合した。セレティオス朝から分離した大小王国の残した遺跡には、サレイシアと大地母神ゲイネーと融合した像が残っているぐらいである。300年後、この地を旅したレムネー人の記録によればグラムスの風俗は残っているとはいえ、現地人と変わらないと書かれている。そのころにはアマゾネス人の影はこの地から亡くなった。

 

 一方ネムステネス朝に従ったアマゾネス人は、さらに二つの流れに分離した。まず先にグラムスに移住した同族を頼って、グラシア本土に移住した。そのうえでグラシア人都市の政治の影響で親都市へ移住するものもあった。とくにラデーヌ島とダイケー島に帰属するものが多く、アマゾネス人の技術である触手投槍術や投石術は大いに畏れられた。アマゾネス人の後期触手技術が伝えられたのもこのころであったとされる。

 

 もう一つの流れはネムステネス朝に従っていたアマゾネス人とパイアーン人は静黒海域で通婚、民族が融合する。しかし新興のレムネー共和国にネムステネス朝が押され始めると、再び民族移動を開始し始める。彼らが向かったのは、静黒海域北西部にあたる未開拓の東部エウロス森林地帯であった。

 

 最終的にカルベティス山脈のあたりに移住した彼らは、先住民との対立抗争を経ながらも、民族的には同化し、新たな民族が産まれることになる。スリネ人である。スリネ人のDNAを分析すると、あきらかにフタスタン人にも多いY染色体のハプログループを持っており、彼らの子孫であることがわかる。

 

 フタスタン域とは違った寒冷な地で育つショクシュ目をアマゾネス人の子孫は育て、発展させ、とうとうこの地でも役畜用触手などを作り上げた。

 

 こうして森を開拓しつつ、定住半農半牧の生活をするうち、河川交易民族であったゲルヌ人と出会い、そこで新たな、しかし決定的な触手技術を作ることに双方成功する。すなわちローパースライム触手養殖法である。このスライムは自身の細胞を使って、ショクシュ目の疑似器官を大量にコピーすることができ、大量に同種の疑似器官を作り出すことが可能になった。また触手の別品種の疑似器官をこのスライムに埋め込めば、別品種のショクシュを作ることも可能になった。

 

 この技術は北上したレムネー人との接触により、全エウロスに伝わり、各地の触手養殖技術のメインとなった。

 

 とはいえ後年、この技術はパンデミックに弱いことが明らかになり、エウロス本土は長育種触手技術空白地になってしまったのは先に述べたとおりである。だがこの寒冷な地でも育つショクシュ目の開発は、エウロスの地にゆっくり確実に触手技術を進歩させた。科学革命によって、世界の主流となった。

 

 

  〇北東部ルートへの影響

  

 

● サベル、リャンモー地図

 

 

【挿絵表示】

 

 

 アマゾネス人の中には中央サベルとの交易を通じて、マーヤ山脈を迂回する形で東部へ行くものもあった。このルートをたどって移住したものは、おそらくフタスタン中央部の勢力争いに負けたものが多くたどったルートであり、一種の追放刑として使われた節がある。

 

 それでも彼女たちは、サベル各地の狩猟民族と遊牧民族と混交しつつ、その高い触手技術などをもたらした。最終的にはこの民族の中に消えたとはいえ、その痕跡は各地に残っている。とはいえ文献的証拠は、彼女たちが残した考古学的資料に書かれた金石文しかない。これらは17世紀から収集され、19世紀から考古学の進歩と発展から本格的に調査がなされる。その成果はサベル金石文群という分厚い本になっているぐらいである。このテキストで書かれた謎の文字が、アマゾネス文字ということが判明したのは、20世紀になってからであり、その解読がなされた。そこから彼女たちがどのように過ごしたかを推測を交えて書きたい。

 

 サベル西部から中央サベル域までの彼女たちは墳墓を残している。墓碑銘がそこには書かれている。その名前や業績を見ると、狩猟民族化しつつ定住して牧畜を営む生活をしていたようである。またこの地域から神殿跡やあきらかにアマゾネス人の神像が残されているため、文化的アイデンティティはまだ保っていた。

 

 しかし中央サベル域になると、円墳などの墳墓の習慣は残っているものの、墓碑銘や神殿を作ることが珍しくなる。また墳墓の分布も東部から北へ向かうものがあり、このあたりでアマゾネス人は枝分かれしたとされる。

 

 そこから東部に向かったアマゾネス人の動きを見てみよう。彼女たちは文字を失いながらも、東に向かった。そして東サベル入口にあたるダイカン湖周辺にまでたどり着き、そこで、緊目と後世呼ばれることになる遊牧民と出会う。彼女たちの戦闘技術を吸収した緊目は勢力を拡大し、リャンモー高原などから神苑圏へ侵入を紀元前200年ごろに開始し、神苑圏の歴史に現れる。

 

 神苑圏の歴史の古典であれ望泉記は、神苑統一以前からたびたび緊目と呼ばれた遊牧民族の襲撃の記録を残し、緊目列伝という形で詳細に記録が残っている。

 

 それによると彼らの襲撃は男性主体とはいえ、大規模な戦闘であれば女性も駆り出された。彼女たちは馬盟もしくは馬存と呼ばれ、緊目の各部族の本拠地を守る義務を持つことになった。そして時には襲撃にも参加し、その中で左右将とは別個の地位を得ることになったのである。

 

 特に単于の近衛兵として役割を持つことが多く、その地位は低いものでなかった。これは、リャン域の緊目古墳からも、その豊かな副葬品と明らかにアマゾネス文化の意匠なども残っていることから判明している。

 

 そしてその戦闘もアマゾン文明の衣鉢を継ぐものであったことが望泉記の緊目列伝で書かれている。

 

 

 『馬盟、馬存は単于に従う婦女の兵団である。古の殖の遺風を残し、単于の妃とその部下を通じて、指揮される。右将や左将に付き従うこともあり、その軍団が駆け抜けること縦横無尽であり、多大な毒を盛った馬の尾を巧みに使いこなし、わが国の将兵を打ち破る。その様はあたかも巧みな鉄の斧ごときだ。その噂は蠍尾を持ちし獣を従えた兵がいると、中原に噂される。』

 

 そして前汎朝によって神苑圏が統一されても、緊目の襲撃はやむことがなく、この遊牧民を追撃すべく、北征をたびたびおこなったが、付き従う馬存によって撃退されることもあった。

 

 どうやらこの時代に再びサベル圏のキタモリスミオオショクシュとアマゾネス人の長育種触手を掛け合わせることで西部とは違った長育種触手改良に馬存と緊目は成功し、次の記録が残っている。

 

 

 『郭王が緊目本土の集営地に襲撃をかけた。あともう少しで単于を追い詰めるところであったが、馬存の女兵が恐るべき勢いで郭王の元に攻め寄せ、あともう少しのところで逃してしまった。その毒矢と武術はおそるべきものである。その強弓の届くところはわが国の将兵の強い弓の及ぶものなく、その軟触術、毒縄剣を扱うところは雷鳴のごとき威力である』

 

 

 こうしてエウロスタン大陸東部で、遊牧民や森林狩猟民族は触手技術を手に入れた。紀元3~6世紀には神苑部の触手技術をも組み合す、かつてのアマゾネス文明のような立ち位置になり、アマゾネス文明由来の称号などが残る。単于の女性親衛隊長称号や外戚の地位を示す馬存という称号は8世紀まで続いた。

 

 また望泉記由来である蠍女、もしくは葛女は遊牧民の中で地位ある女性を意味する言葉として残った。また蠍女の技は、ほぼ各遊牧民で医療を意味することばとなっている。

 

 この動きは最終的にリャンモー帝国によるエウロスタンのほとんどを征服する大帝国によって、スタニア東部の触手技術の世界拡散という形で絶頂をとげるが、それは別の参考資料を参照してほしい。ただその技術は北方トナカイ遊牧民を通じて、わが国にももたらされ、多大な影響を与えた。カヌン族の漁業、マタギの各種ショクシュ技能として、山岳森林地域の複雑な樹上移動、スライム種を利用した擬態、デコイの活用として伝達される。

 

 さて東部のかつての遊牧帝国の再現を起こした彼女たちの一派と違って、サベル北部に移住した彼女たちの子孫はどうであったといえば、東部移動の同族と違って対称的なライフスタイルを営むことになる。

 

 北部サベルに向かうと、北サベル最大の内海ハービエン海につくことになる。彼女たちはヒューマンやエルフの半漁半猟民族と同化することになった。

 

 この内海は寒冷であるが、海流とタイガから流れ出る富栄養の水を求める魚が集う良質の漁場である。またその魚を狙うクラーケン、シャチなど海洋や陸上の大型獣が集う。豊饒と危険が隣り合わせの地である。その中で有能な狩人であり特殊技術を持つアマゾネス人は歓迎されたらしい。

 

 この地での触手技術は彼女たちが来るまでは、原始的触手技術──すなわち犬などに毒液付与器官や寒冷地対応した器官など──がメインであった。だが彼女たちはこの地でも触手技術を応用して、新たなライフスタイルを作り上げる。この地に住まう海洋大型スライムを飼いならし、触手で制御する生きたウェットスーツを作り上げたのだ。この技術が成立したのは遅く、おそらく紀元2世紀ごろである。

 

 この服の誕生は北サベル一帯の産業を変えた。それまでの半猟半漁のライフスタイルから、厳しい冬季でも海洋活動が短時間ながらも、革製のボンベや服の中に空気をため、海中活動が可能になったのである。極寒の海女と呼ぶべき彼女たちは、氷と網で囲んだいけすに魚を育てることに成功した。またトナカイ遊牧民にも専用の触手を作り出し、この北の地の富を確実に増やしたのである。

 

 紀元8世紀になると、東方から来た遊牧民リェルと接触し、交易も活発化する。より一層の繁栄を作ることになる。しかしこの文化圏も、その後のリャンモー帝国負け、この技術は広くエウロスタン全域に知られることになった。

 

 そして後代の研究になっておそらくアマゾネス人の触手技術の古形が残っている点でも重要視される。オーク族由来の南方触手技術と比較検討された上で、どう技術を作り出したかが現在進行形で検討されている。

 

 著者もこの地域の触手技術のフィールドワークに勤しみ、この地でアマゾネス人の活動の重要性を知ったものである。その日々の記録は是非興味深いので、読者には改めて読んでもらいたい。

 

 

以上三つの流れのアマゾネス文明の影響を述べたが、アマゾネス人の力強い動きとそれに伴う触手技術に代表される文化の奥深さの一端がこの論説からもわかったと思われる。

 

 次の節では、長々と書いたこの論説のまとめとして、現代においてアマゾネス人の歴史から読み取れることと、わが祖国である大三島国の触手の歴史を交えて、考察を行いたい。


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