触野 千手郎著『騎馬触手技術の完成とアマゾネス文明の興亡』 川満新書 作:HASURYU
そして触手技術も倫理が必要だよねという話。
この触手技術史の中で、ひとシーンのスケッチに過ぎない論文ともレポートともつかないものを筆者が書いたのは、個人的な関心と大三島域における触手技術の歴史とその啓蒙の手助けになるかと思ったからである。
ここで少し筆者の個人史を語ることで許してもらいたい。というのも私の人生は、三島の触手技術と世界の触手技術の接触の一つの形であると思われるからである。
私、蝕野 千手郎は海鳴半島の清摩地方──旧令制国ならば清摩──に育った。清摩は海女で有名であり、海洋触手技術の発達したところである。古くは網元の一族の末裔として私は生まれた。そのため実家には触手を使った海女が家に出入りすることもあり、触手漁の技術に日々触れ合うことが多かった。
私自身も海女さんやその家族を通じて、手に季節性の触手を移植し、各種触手漁に親しんだものである。ウェットスーツを着こんで、モリと触手を操りながら少年時の旺盛な食欲を満たすべく、素潜り漁に勤しんだ。この時のスリルは何物にも代えがたい。
勉学と漁の二重生活が、私の少年時の行動の全てであったといえるだろう。父母はそのような清摩地方の少年に勉学をしないことに少し腹を立てつつも、暖かく見守ってくれた。
しかし20数年前にキヨシマショクシュ種を襲った疫病は、一時期この愛すべき郷土の漁を困難にした。私のしなびる触手の相棒をみつつ漁に出られず、自身の無力感を過ごす日々を送ったことは今でもはっきり覚えている。漁業組合の幹部でもあった父も夜遅くまで家に帰ることがない日々が続き、母も必死になって義捐金集めや困窮する漁民のために買い出しに行ったり、副業を作ったり、紹介したりしていた。この不安な日々は、中学3~4年の少年のアイデンティティを揺さぶるに十分だった。
幸い数年にしてこの疾病はおさまった。だがその経済的損失は大きく、元の規模に戻すには数年がかりであった。改めて他の地域からキヨシマショクシュを分けてもらうことに四苦八苦したとは父の談である。この事件は漁好きの少年を勉学に目覚めさせ、高校受験の試験勉強しながらも各種触手技術や生物学への広範な関心を寄せることになった。父母からしてみれば、怪我の功名だったかもしれぬが。
こうして一浪こそしたものの、無事煌都第一高等学校に何とか滑り込み、そこで寮生活を過ごすわけになった。
しかしそこで会ったのは、清摩地方の海女漁法への性的な好奇心からくる無遠慮な目と、それらの技術がある地域への差別的な目であった。助平野郎とか、淫紋使いとか言われたり、レイプの手助けをしろとか、さんざんなものであった。
義務教育の授業の上では、職業差別や地域の技術からくる差別とその啓蒙は行われていた。だがそれだけでは不十分なものであり、差別の目は寮生の出身の地域差こそあれど無視できないものであった。この体験が技術というものの地域性というものを自分に考えさせられることになる。もっともただの海洋触手医志望の政治的にも社会的にも未熟ななりたての青年には、その偏見の目に抵抗するのが精一杯であったが。
このような逆風を受ける中でも、盟友宮野 智君などとも──彼は山羽地方の酪農家出身で、わが国一級の陸上ショクシュ目研究とその利用法のパイオニアである──知り合うことになった。これらの友人たちと一緒に学園祭で触手技術の啓蒙や、触手漁や触手猟の紹介などをして改めてその偏見を治すように努めた。このわが国の伝統漁法でもあり、猟法を楽しむサークルである触食会は、幸い校外にもメンバーをあつめた。設立から二十年たった今でも、学内外問わず現在でも活動している。よろしかったら参加してほしい。
また高校生活は差別だけでなかった。優れた各恩師らの厳しくも暖かい指導の下、生物学、歴史学を通じて自分たちの進むべきものを教えてくれた。そこで触手技術の学術的基礎を学んだだけでなく、その技術の歴史的背景を知り、技術に生を捧げた人、新しい技術への偏見、差別にあらがった人たちの生き方をも教えられ、学べた。少なくとも私にとっては、荒波はあれども幸運な学生生活であったといえよう。
三島諸国はその多島海の中にある風土もあって地域差が大きい。各島の海洋交易を通じて遠く離れた技術が伝わったかと思えば、別の地域ではまったくその技術が伝わらなったりすることもある。それこそがわが祖国の文化的豊饒さをもたらしたが、交流が少ない地域になると、無知と偏見による差別が発生した。
またそれだけでなく、その技術の応用を恐れた為政者による扇動や偏見も含めて、複合的に差別が行われたのである。
高校時代の恩師である網川 義彦氏の著作には、中世期の情報収集から武装海獣を巧み操り、武将たちを翻弄するオーク族や海女に代表される海上生活者があり、またそれらの利害をまとめて交渉する半漁半農の民姿を、手堅い文献と豊富な民俗学的知見と考古学的知見に基づいて、再現している。
中世に悪党として活躍した海上生活者への恐れは、各地域にとって海賊の脅威として現れ、海に住まう化外の民として表象されることが多かった。
またその目はようやく領域国家としてまとまった近世においても変わりはない。戦国武将化した海上勢力を利用しつつも、三島本土の政治的秩序が安定すると、その態度を変える。各地に根付くことで力を得た海上勢力のリーダーたちは自分たちには慣れぬ陸上の領地が与えられることもあったりしたのである。
しかし差別が厄介なのは、被差別された側も別な形で別な人を差別することがある。近く近代の差別の例をあげてみよう。
わが国では、古代期には乳製品が使用されたが、その環境的要因と中世に至ってその技術は一部地域を除いて断絶するに至った。そして伴うショクシュ技術もまた失われることになった。中世期にはカムナ島からのユワン帝国の北襲とその撃退によって、新しい技術がもたらせられた。その結果、三島各地域で改良があったとはいえ、依然として大三島文化圏全体に根付くことはなく、酪農用触手技術はマイナーなものであり続けた。例外はスイギュウとヤギを伝統的に食用としてきた、南西諸島域ぐらいか、それとは対称的なカムナ先住遊牧民ぐらいである。
ウェスタンインパクトによってわが国が近代化せざるえなくなると、それに伴い優れた酪農技術も導入され、そしてそれに付随して海外の触手技術も紹介された。これらの技術は士族の子弟の一部や先駆的な被差別階層の人たちが改めて学ぶことになった。開国時の海外触手技術を学んだ初期技術者は、このような人だったのである。
だが新しい酪農技術はもたらされたものの、新しい生活習慣とその技術はすぐに受け入れられるわけではない。彼らは被差別民の技術を習ったものとして敬遠されたのである。勘当されたり、実験場の土地を貸してもらえなかったり散々だっという。
さらにその差別は、この種の技術を持つ留学生やその弟子たちに結婚相手ができないということで現れた。彼らは先駆的な技術を持ちながらも、その技術の使用者はわが国の歴史的文脈ゆえに忌み嫌われたのである。その原理的には古くからその技術の応用が本土で使われていたといえども。触手薬の開発のぬめり製薬は、開国以前から活動していたのは忘れてはならない。しかし動物の酪農用触手技術だと別物だった。
ちなみに宮野君の祖父は、留学生仲間の被差別民であったマタギの一家と結婚したことで家を保ったそうである。結婚した当初、あまりにもお互いのなまりがすごくて、言葉が通じず、親たちは近くの小学校の教科書を頂いて読み、比較的中立的な語彙を学びあうことでコミュニケーションを保ったと、ユーモラスに語ってくれたことがある。
私も正直寮で宮野君たちと出会わなければ、バタクサとエンガチョと酪農家を差別してただろう。彼らには、寮生活で好きになった各種乳製品やバターなど生活面での恩恵を受けていたのにも関わらず。
このような出会いを通じて、差別し差別される自身の両義性を自覚したうえで、少しずつたまに道に迷いつつも、煌衛大学医理学二科に進学した。大学での教育は高校時代の広く浅く呑気なものではなく、精緻な技術への厳しい指導とその職業的倫理を教えていただいた。こうして曲がりなりにも海洋触手技術者の一員となり、日々過ごすこととなった。
だが私の中にこの技術とそれを作った人や世界への畏敬の念は忘れことはなかった。日々の海洋触手の品種改良の仕事や技術改良をこなしながらも、教養として触手技術史の資料や論文を集め、友人たちから紹介された文献を読むことで今ある技術の社会的関係の把握に努めた。
そして北方海上触手の技術のルーツの一つとされる北部サベル地域の触手技術のフィールドワークの体験、前者とはまったく対称的な産業化された触手技術の本場であるコランドのなどを留学体験は、私のともすれば専門の中でまどろみがちな目を開かせた。
前者は触手漁業最北端の地である。その厳しい生活の中、シャーマニズムの信仰の元、身体を包む大型ショクシュをつかって、狩猟に漁業に勤しんでいた。一見原始的でありながら、高度な触手技術を使いこなす人々の生活は触手の野生としてのありかたや、複合的生物利用の可能性を見せつけられた。
またエウロス大陸コランド地域では、女性触手技術者が一定の地位を得つつ、社会の中で過ごしていた。またこれらの技術者はその職業柄もあって、ジェンダーセクシャリティも多様であり、それらの互助団体も発達していたことも感銘を受けた。しかもその互助団体は100年以上存続しているのである。
無論そのような地位に至るまでの歴史的闘争とそのゆらぎと激しさは、歴史的に孤立しがちな国の学者の計り知れぬものだろう。だがその熱気と誇りは、確実に私の中で何らかの形として刻印された。このエッセイ書くにあたっても、フィールドワーク・留学前後に得た資料や知見がなければ書けなかっただろう。
触手技術者の地位向上とフェミニズムの波は、学問上でも政治社会的にも押し寄せつつ
あるが、いささかその歴史的文脈やその流れを把握することが軽視されやすい傾向がある。これもわが国の歴史的孤立になりやすい国土の制約の一つかもしれないが。
正直私は、男性の一海洋触手技術者に過ぎない。とはいえ、私の狭い興味本位と各種限界を負ったうえでも、触手技術の流れとそのかかわりがどのようなものであるかを多少は書いて、なんらかの道しるべの一つになりはしないかと日々思っていた。
そう思った矢先、川満書房の水木さんが、触手技術についての歴史も含めた触手技術の本を書いて下さらないかというお誘いがあり、好き勝手に私は書かせていただいた。改めてお礼を申し上げる。彼女は小さい体ながらもそれからは想像もつかぬ行動力と熱心さで、私にこのささやかな啓蒙書を発表する場を与えてくれた。
そしてこの短い歴史的スケッチを通じて、読者がショクシュを含む生態、その歴史の流れの関心を得て、改めて社会と歴史の関係に思いをはせることを、著者は願う。
幸い川満書房からは、高校時代の恩師でもある網川義彦氏の啓蒙的著作などが、文庫や新書など安価で出ている。文字に現れない民俗や考古学、各種文献から現れる三島諸島の民衆の移動のダイナミズムを感じてほしい。その中には被差別民とされながらも、確実に歴史を変えた人々たちの息づかいが感じられる。これらの著作はこのつたないエッセイを書くのに大いに役立った。まったく恩師の大作料理に比べれば、私のこの短文は刺身のツマ程度のものだが。
またその技術や生態の詳しい啓蒙は、宮野君の著作や私のささやかな著作でも触れてくれると幸いである。多様なショクシュ目の生態とその利用は各種産業に使われている。その名人芸ともいえる巧みな技能から機械化された中での触手利用は、その世界をのぞくだけでも楽しいものだと確信する。なにかと性的に勘違いされやすい技術ではあるが、その限界や可能性は一定の理解と訓練さえ行えば、人生をより良きものにするであろう。実際介護用の触手技術は現在最新鋭の研究課題でもあり、その技術、倫理的課題も含めてヒューマン系種族の課題の一つである。
最後に、これらの歴史を動かしながらも陰に現れ、差別されながらも懸命に生きた女性や差別された人たちへの畏敬と無念さを忘れることないよう祈りつつ、この短いエッセイを終わらせたい。
もしこの作品を最後まで読んでくださった方。お付き合いありがとうございます。
この作品と本は終わりですけど、この触手技術世界のエロもあり含めて、作品を書きたいと思いますのでよろしくお願いいたします。