触野 千手郎著『騎馬触手技術の完成とアマゾネス文明の興亡』 川満新書   作:HASURYU

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アマゾネス文明の発掘史。


5 アマゾネス文明の発見までの過程──少しの寄り道

 今まで、いよいよアマゾネス文明がフタスタン、そしてガンダ域にまで台頭してくるまでの状況を語ってきた。読者諸君はその文明がどのようなものであるか気になるかもしれない。

 

 しかしこの文明がはっきりしてきたのは、前世紀80年代になってからである。そしてその発見自体もかなり偶然に近いものであった。

 

 今でこそアマゾネス文明のことは教科書でならい、高校受験で出題されたりすることもあるが、著者の受験生時代に25,6年ほど前に書かれた中学進学部の世界史の教科書すらのらなかった時代が続いた。今でこそエウロス中心史観は批判されて、各地域の歴史も載せられるようになったが、依然エウロスタン中央部の歴史はマイナーであり、読者にとっても不慣れであろう。

 

 そこで少し脇道をして、アマゾネス文明はどのように発見されてきたかを、ここで簡単に紹介したい。これらの発見の道筋もエウロス中心になるとはいえ、文献上の諸民族がアマゾネス文明という他者をどう見てきたか、また彼らがアマゾネス文明とどうかかわってきたのかも、おのずと見えてくるだろう。

 

 この部分を回りくどいと思われるなら、次節のアマゾネス文明の概略と触手技術を説明するので、飛ばしても構わない。

 

 ただ一つの文明が発見されるには、長い研究の蓄積があったことを忘れないためにもこの寄り道は必要だと、著者は確信する。またこの分野の知識に深く興味を抱いたなら、各歴史の教養書から専門書のリストを巻末に書いておいたから参考にしてほしい。

 

 

【文献上のアマゾネス──同時代、他地域の文献群や考古学的資料から】

 

 

 まずはエウロス文明に強く影響を与えたグラムス文明の文献から紹介したい。アマゾネス文明は初めての女権王国──のちに判明するが成文法も成立していた──の強大さ、その呪術、技術は圧倒的存在感を放っていた。それはボリアーン国家を経て、遠くグラムス文明圏にまで聞き及んでいた。グラムス文明はアマゾネス文明よりも成立は遅いが、その流れは現代文明にまで及んでいる。この点でも、その文献によるアマゾネス文明の紹介は、簡潔ながらも重要なものである。またグラシア文明はアマゾネス文明の衰退の約270年後には、ケドニエのリッセンドル大王がフタスタンの地を短い期間とはいえ占領したこともあり、その流れを見ることができるのも大きいだろう。したがってアマゾネス文明の文化的残光も見ることができたという点でも重要である。

 

 その次にガンダ域の記録を各種宗教文献や金石文を中心に説明したい。とくにガンダ文明は、アマゾネス文明に直接侵攻受けたために、その宗教的世界観に多大な影響を及ぼした。それまでのガンダ文明も乱世ゆえに伝統が崩れつつあったが、古典的身分制の崩壊がこの時代になると決定的になった。

 

 そのような社会状況を歓迎するもの、呪うものなどの記録が考古学的資料間接情報とはいえあふれている。その量は膨大なものであるため、それらを専門家の整理を経たものを紹介する。

 

 最後に直接アマゾネス文明を滅ぼした、ザウル文明と交易圏となったアラン文明の資料を説明したい。アマゾネス文明の発展とその影響は古くからある文明とその辺境域にある文明をも活性化させた。そしてそれらが合わさることで、アマゾネス文明の新たなライバルとなり、最終的にいろいろな要因が重なったため、アマゾネス文明は最終的に故地を離れざるえなくなった。彼らの文章も王都から発掘された粘土板文書と後世の宗教的文書から類推するべくしかない。だが男性中心の祭祀から男女共同の祭祀に移行したという点で大きな影響を受けている。これらも専門家から見た現時点での紹介にとどめておこう。

 

 

〇グラムス文明から見たアマゾネス文明

 

 

 まずはアマゾネス文明の崩壊から約100年後に書かれたグラムス文明の文献から見よう。 グラムス文明はヘルカー半島に紀元前600年から700年前に成立し、紀元前500~400年ごろ最盛期を迎えた。グラムス人は生粋の航海者であり、紀元前600年ごろには地中海経由で静黒海域と交易し、植民都市を作っていた。この植民都市の設立のため、ボリアーン人と戦ったり、またボリアーン人と同盟してアマゾネス文明やザウル文明の諸国と戦うこともあった。このために間接情報とはいえ本土にアマゾネス文明の報告がある。それらをまとめたセンドニウスの「歴史」──紀元前480年ごろ成立──には、ザウル文明の周辺の諸国としてアマゾネス文明が紹介されている。

 

 そこで書かれているアマゾネス文明は、次のようなものである。

 

 『サカ族の北部、カスパーン(カソプ)海の東部、マッセゲタイの住む地よりさらに東部に女王が統べるアマゾネス人の地がある。

 彼女たちはガーン人(ガンダ人)の風俗を持ったマッセゲタイ人から分かれた人たちで、大地母神の末、冥界神ハーデとペルポネーの子マゾネスの子孫である。~(中略)~この子孫の中に、この地に追われた動物と人の術を知る魔女ケーレンの子と交わった子がいる。 この子孫こそアマゾネスであり、さらにケーレンから習った人を動物に変え、動物の力を人に与える技術を持ち、場合によっては男性を女性に、女性を男性にする術も持つという。この術を持つがためにアマゾネス族はマゾネスに非ざるものと呼ばれた。ボリアーン人は、この部族をフターン人、その王都ナリーニーと合わせて呼ぶからフタナリニーと呼ぶ。(後略)』

 

 このあとは長くなるので要約すると、基本祭祀権を握った女権も強いとはいえ、氏族と祭祀集団からなる選挙王政であることが書かれている。王は氏族集団だけでなく、王の官僚でもある祭祀集団に支えられている。この教団は宰相府に属しており、一定の義務を行えば外部でも入ることが許されたらしい。そして選挙で決められた王は養子という形式をとった上で次王が決められている。以上のことをセンドニウスは記述している。

 

 またその技術力の強大さとて完成された触手技術は、伝説的な魔女ケーレンや半人半馬のケンタウロスの賢人キトロンの弟子として作られたとして表象され、この獣を操る民としてのアマゾネス文明がイメージされている。

 

 この政治形態は約130年後のリッセンドル大王の東征の頃でも維持されており、当時の資料はザウル帝国にくみするフタスタンの男女混交の遊牧戦士団が東征に来た大王の軍を迎え討った記録が残されている。そして占領後の記録も、男王の系譜になったとはいえ、今でも男女ともに平民会を持ち、巧みに”生きる紐”を操る様子が書かれていた。またそれらを有効に使った細工物やその技能を持った奴隷たちを、大王やその部下の諸将は連れて帰ったことも記されている。

 

 このようにアマゾネス文明はガンダの地こそ離れたものの、その故地であるフタスタンの影響は長く続いたことがわかる。

 

 しかしこの後エウロス地域の諸文明は、なかなかフタスタンへ訪れることが難しくなる時代が続く。というのもエウロスの諸文明はその歴史的経緯上、中継地であるアラン域、ザウル域の諸国家と対立することが多く、間欠的にこの地域を訪れることはできても腰を据えてじっくりと研究することは困難だったからである。

 

 したがって古代後期から近世初頭には、レムネ文明に書かれた博物学──これもあとで貴重なトーテム信仰や神話などの姿が書かれているので貴重な資料──怪物や人外のような空想上の諸民族と混合されるようになった。

 

 ようやくアマゾネス文明の近接地帯にエウロス文明が足がかりを得たのは、アマゾネス文明の崩壊から数えて約2100~2300年後の18世紀半ばと近世になってからである。

 

 大航海時代を経てエウロス圏諸国は。点状に植民都市をチェルブ大陸沿岸部、ガンダ亜大陸沿岸部に作った。その植民都市経営、のちには植民地経営のためにガンダ圏の諸文献を集め、ガンダ域の言語研究を進める。そうしてようやくアマゾネス文明に直接影響を受けた歴史が見えてきたのである。

 

 

〇ガンダ文明から見たアマゾネス文明

 

 

 さて直接影響を受けたガンダ文明域ではどうなったであろうか?先に述べたように、この地域は記録メディアを布や貝葉文書に依存したため、直接的な記録群ははっきりしていない。したがってアマゾネス文明の記録も金石文などの考古学的資料や宗教的文献に頼るしかない。

 

 しかし幸いなことに、この時代と断言できる祭祀的に埋蔵された各都市国家や小領域国家の戦勝祈願文や宣盟文、そして同盟を記念する石碑群などが明らかに増えていることから、そこから読み取れる。またアマゾネス文明の担い手自体が書かれた墓碑や粘土板──彼女たちはその文明の後半期になると、基本的な条文や教育用の文書を粘土板に書いて残しておく風習があった──が書かれていた文書からも、彼女たちの世界観がほのかに見えてくる。

 

 まずはガンダ文明の直接の担い手のガンダ人が残した記録を見てみよう。それらを調べると、より切実な軍事的脅威や文化的脅威に対抗するための祈りやガンダ域概念の拡張というものが現れている。

 

 彼らが祈祷と儀礼のために埋められた宣明文や祈願文によれば、アマゾネス文明侵攻期から、これまで祈願されていた戦勝による奴隷獲得とか財宝を得ることよりも、ともかく戦勝を祈願するものが多く書かれるようになった。

 

 また新しい神格がこの時代から現れ、半人半魔のアミアーンを呪殺したまえなど、手あまたある魔神を調略したまえなどの、切実な祈りが書かれた都市国家の祈りの文章が述べられており、その軍事的脅威が増えている。

 

 また金石文からも圧倒的にこの時代になると、各種同盟や対応を書いたものが発掘されている。その中で有名なものになると、ペシャーンのサミダリー賢王の石碑であり、特にそれまでの石碑とは比べると、かつてない規模の文章が書かれている。そこに書かれているのは、当時の地名や各都市、各国家の系譜などが記され、当時のガンダ域全体──北部ガンダ亜大陸──の平和と安定を祈ったうえで、砂嵐渦巻く地より来る腕長き半魔の遊牧民マーンヤへの対抗、山岳の角ある猛馬の民ヤクトゥーの襲来と対応の必要などを書いている。そして現状分析として12~13王国ぐらいまで減ってしまった大領域国家の状況を記し、これらの脅威に共同的に当たる意義や、かつて対立していた北東部と北西部の諸国家をまとめる必要性を述べたうえで、同盟を結んだことを記念している。

 

 実際この同盟は非常に強力なものであり、アマゾネスたちは北西部のガンダ域に攻め込むことはできなくなった。余談としてだが、サミダリー賢王は転輪聖王の一人として神格化され、北東部ガンダでも今でも崇拝されている。そして現代でもガンダナショナリズムのアイコンであり、紙幣の絵にも描かれているほどである。

 

 また宗教的文献からも、この時代に成立したものになると悪神アミアーン、サーリフへの呪詛、崩壊したジェンダー枠や身分制を懐かしむ詩文、これらの状況を打破する王者、救世主への願望が述べられた詩文が産まれ、未知なる神々にどう対抗すべきか実存的な詩、社会的状況を残している。

 

 その一方で、南部ガンダ域諸国中心に新しき王者、被支配層を解放した女神たちとして書かれ始めている。そこでは天より来るサレイシア、千手のアミー、薬王の娘サリーと呼ばれ、北西部の奴隷の身に堕とされた人たちを解放し、神々の技を伝えし人として崇拝された。またアマゾネスたちの字で書かれた碑文も南部には数少ないとはいえ残し、南部の苦しんでいる奴隷民の解放をサレイシャの名のもとに行ったことを記念している。女性にも伝わった文字は、南部では広く権威あるものとして伝わり、その変形を含めれば、この地域の諸文字の基礎となっている。そして後になると、大衆普渡教とこれらの神々は融合した。南部ガンダ域はのちになって大乗普渡教などのセンターとしての位置をもたらし、アマゾネス文明が作った交易ルートを経て、神苑文明にまで影響を及ぼした。

 

 また彼女たちがもたらした乾燥域の優れた灌漑技術を記念する石碑は多くのこり、これらが南部諸国の生産力を高めたうえで、相互メリットある交易と交流がなされた。具体的には、南部では人口余剰しはじめたアマゾネス文明の植民の受け入れと大ガンダ域への交易ルートの自由と保護を与え、アマゾネス人から南部には乾燥域に育つ各種役畜とそれに伴う触手技術と工芸などが与えられた。

 

 このように既存の権益を持つ国家群からは脅威の存在であり、それらの諸国に抑圧された国々~南部ガンダ諸国など~には解放者という両側面があった。この地に移住したアマゾネスたちの子孫などの信仰やそれに乗じたガンダ自由思想の担い手の流れも交えて、より複雑なものになった。

 

 この複雑さは後世にまでガンダの地に残ったアマゾネス人の三女神──アミアーン ナリーニー そしてサーリー──が、疾病不利益を起こすものとしてヴェーダ文献で書かれている。だが一方、彼女たちの文明の支配域の一部と同盟者の国々では技工神や役畜の守護者として信じられたり、女性信徒の権利を守る女神として信仰が残ったりしていることからもわかるだろう。

 

 

〇アラン文明とザウル文明におけるアマゾネス文明の記録

 

 

 このような文献整理を行いつつ、植民地と世界市場を広げたエウロス文明は、やがて近隣の旧アラン域とザウル文明域へと19世紀になってから進出する。

 

 この地域は近世初頭までは、ハーラン教による大帝国が成立したり、それらが分裂することを繰り返していた。だが間欠的な侵攻はあったとはいえ、近世に至るまであまりエウロス文明に干渉することは少なかった。とはいえ、香料など各種交易──奴隷も含む──もそれなりあり、グラムス文献もハーラン圏で写本されたものやハーラン教の異端がエウロスに至り、互いを研究することもあった。

 

 またハーラン教圏──この文明の範囲は広く、旧文明の二つ、ハプト、アラン、そしてザウルや一部ガンダ域まで及んでいる──の地域は長く先進地帯であったことから、後世の戦乱に巻き込まれた。また後世に成立したイシュク教やハーラン教の影響などで古代期から伝わる古文書が少なくなった。写本化できた文献を除けば、グラムスやガンダ域の文献として仮託されたもの、神話上の人物を著者とするものが多く、古代文明それ自体の文献はどれなのかわからない状態が続いた。

 

 しかし19世紀半ばから後半にかけて、帝国主義時代になってエウロ諸国の発掘チームによって、古代都市の発掘が行われ、粘土板などに書かれた古文書が見つかる。そのことで古代アランとザウル文明の中小の民族も含めた交流と交易の記録が徐々に明らかになった。その中には明らかにアマゾネス文明のものもあった。

 

 アラン文明、ザウル文明から見たアマゾネス文明はどうだったであろうか。まだ翻訳途中の文献や民族の同定など諸説入り乱れているゆえ、直接向かい合ったザウル文化圏の宗教的文章など簡潔にしか報告できないが、だいたいアラン文明では間接的に友好が結ばれ、ガンダ域の安定したルートの保護者としてのアマゾネスたちは迎え入れられたようで、中には明らかにアマゾネス人たちが残した記録も数少ないながら存在し、複雑な交易ルートの最終地点兼金融資本の運営などをここで行われている。

 

 とくにアマゾネス文明の王室財産はアラン文明の賢者にして富豪のアルカドの保護を受けたことがわかり、遠くナーリン遺跡にも、アルカドの蓄財術の抜粋が翻訳されている。ガンダとアランの両方の結節点としてのアマゾネス人は、重要な位置にあったことがここではうかがい知れよう。

 

 しかもただ単に彼女たちはアルカドによって保護を受けただけでない。アマゾネス文明が作り出した各種畜力機械による灌漑と井戸掘り技術が、アランの地にもたらされたことで、アラン文明とそしてザウル文明の生産力は向上し、アルカドはこの技術で大いに儲けたことが、金融記録からわかる。

 

 また外交文章も書かれており、二代女王オカタリからの各王、各部族長の連名で書かれたものも発見され、対王族ボリアーンへの対抗と兵力の要請などが書かれており、アマゾネス人傭兵はこの地でも活躍していたのがわかる。

 

 そしてより直接な接触していたザウル文明になると、アマゾネス文明圏関連の政治的文書──同盟もしくは敵対への処理など、交易記録──がつぎつぎとザウル文明中心地であったアシュマドから出土された。またそれらを記念する石碑群や外交文書が発掘された。

 

 それらの文章によると、ザウルとアマゾネスは利害乱れる複雑な関係あったことがわかってきた。そこにはかつてアマゾネス文明によって駆逐された各氏族の保護やその要請による出兵の記録、捕虜交換などの取り決めなどが詳しく書かれている。そして中にはアマゾネス人が書き訳したと思われるザウル語で書かれたアマゾネス文明の技術書の翻訳も残されている。

 

 これらの発見は、先に述べたセンドニウスの記述の正確性とフタスタンにある幻の政治勢力としてのアマゾネス文明に対する幻想を書き立てる。

 

 そして19世紀中盤、ザウルのタルニシュ碑文の発見によってよりそれは、強まることになった。この碑文はザウル王クルセンヌス大王ガンダ域への遠征とガンダ域諸国の同盟軍によるアマゾネス軍撃退を記念する碑文である。また当時の新興宗教だったザーレー教の主神アーメル=マットに捧げられている。

 

 この碑文の発見は、写本を経て伝えられたセンドニウスの記述がほぼ正しいことを示した。センドニウスによれば、ザウル人とガンダ人の同盟軍との戦いによってアマゾネス人は没落し、ガンダ域からの撤退とフターンの地に戻ったと記述している。

 

 そして碑文にもガンダの良き同盟者、長き手持つアマゾネスの支配を解放するものクルセンヌスという敬称がなされている。おそらくこの戦いもザウル諸都市を経由する交易ルートの安定化とザウルのアラン文明の独立と同時になされたものであり、それゆえに特別な意義が碑文が作られたのであろう。

 

 また19世紀に発展した批判文献学と言語学の発展により、ザウル文明辺境域の宗教分派によって伝承されたアザーニー群が分析され、その成立年代がおおよそのところ見当がつけられた。

 

 アザーニーの言語学的語彙の変遷から分析された時系列と、その書かれている内容もセンドニウスの記述をも裏付けていた。そしてこのアザーニー文章自体も、より古いと考えらえる賛歌集をのぞけば、ザウル文明の宗教指導者にしてザーレ―がアマゾネス文明の仕組みを知悉したうえで宗教団体を作ったことが判明した。文章にこそ書かれておらず、口碑を後世書き留めたものに記述されている、ザーレ―がナーレンの地にて修行したか、もしくは修行した知識人の元で学問を修めたこともほぼ事実であろう。

 

 またアマゾネス人の神々をザーレ―教では、主神アーメル=マットの娘や妹に配置することで、その信仰を一部認めたことも特記しておきたい。かれは後述するがザウル文明に初期魔術軍団を完成し、アルジャニス朝によるザウルの地の統一、その後のアラン文明圏を吸収する原動力をもたらした。しかしそれだけに頼ることなく、巧みな宗教政策を行って、アマゾネス人の技術や信頼をえることに成功したのである。

 

 

【考古学的発見に再現されたアマゾネス文明──ナーリーン遺跡の発見とその文献群】

 

 

 こうして各種文献や伝承に書かれたアマゾネス人の姿を紹介した。この他民族から彼女たちの姿は、各文明圏の文脈や畏怖と好奇心、そして利害関係の歪みを持ちながらも、強大な文明を持っている存在として確実に現れていた。

 

 後世のエウロス圏の文明は彼女たちの文明を、──その文献が少なかった以上しかたないとはいえ──、エロティックなもしくは恐るべき野蛮な部族社会を想像してきた。だが実際の各国の資料からみた彼女たちの文明は、女系中心の社会とはいえ、優れた文明を持ち、各地域と利害まみえた交流をなした国家であることが、2~300年単位での研究で発見してきたことがわかろう。そしてそれを可能にしたのは、──断絶期もあるとはいえ──2000年に及ぶグラムス=レムネ文献群の研究の成果でもあった。正直彼らの研究への粘り強さは脱帽するばかりである。

 

 そしてアマゾネス文明の侵攻を受けた地域や影響を受けた文明も、アマゾネスにただ単に屈服してきただけでなく、かつてのアマゾネス文明同様、抵抗し、かつてあるもの、自分たちの比較的優位にあるものを利用して、より洗練された文明を作ってきた。

 

 このような姿を文献や考古学的資料の各種学問的批判を経て、後世の学者は朧げな姿から、すこしずつベールをはがしていった。

 

 このような比較を経たうえで、ほぼその文明があった地域もわかり、あとは発掘するだけという段階にまで至り、20世紀前半にようやく、フタスタンの地に考古学の手が及ぼうとしたが、ここで停滞期に陥る。19世紀末から始まった世界各国を分断する帝国主義時代に突入してしまったのだ。

 

 フタスタンの地は今でも低規模紛争がおこる地ではあるが、19世紀後半になるとガンダ域を占領したアルベン連合王国と東エウロス域の最大有力国家ミクヴァスク帝国との植民地分割に巻き込まれた。

 

 そのためこの地域の考古学的発掘は半ば閉ざされることになった。とはいえ、各地域でのアマゾネス文明が作った都市遺跡は発掘され、彼女たちの粘土板文書や金石文も見つかり、おおよその姿が見えたものの首都ナーリーン──この時代にはもう首都名は判明していた──の発見もなしえなかった。この政治的状況はミクヴァスク帝国の崩壊とその後に現れた国家群の内戦と再統一、そしてその後に起こった二度にわたる世界戦争などが続くことで、発掘すらおぼつかない状況であった。

 

 1970年代によってフタスタン地域の政治的独立がなされたことで、ようやくフタスタン共和国アカデミーやわが国やエウロス諸国の発掘隊が行われる、各種文献やその生活遺跡も発掘され、実に高度な技術、特に井戸掘削や畜力水力駆動輪の発見などから、技術史的記録を塗り替えた。

 

 そして1987年、ついにアマゾネス文明の首都ナーリーンが発見される。発見自体は全くの偶然であった、フタスタンの一地方都市マトゥナリー郊外にある丘を工業団地として開発したときに、大量の粘土板文書と鉄器類が発掘された。

 

 この文書類は、アマゾネス文明の神殿書類も含めて発見され、アマゾネス文明研究だけでなく、関連する地域の歴史学、言語学的にも様々な実証を裏付け、現在でも研究が続けらている。

 

 なおナーリーンの地がなかなか見つからなかったわけは、一通り発掘のあとで判明したがナーリンの地は、アマゾネス文明以後の大地震による山体崩落に巻き込まれた。それで発掘が遅れたのである。

 

 ここで発見されたナーリン文献には粘土板に書かれたナーリン語で書かれたテンタヴェーダなどの翻訳、各都市のルート交易の安全性や風習の記録、その民族成立を歌った叙事詩、様々な外交文書、そして塩やガンダ域の通貨、アラン文明の銀を中心とした金融記録などが書かれ、首都ナーリンの姿が生き生きと描かれていた。それは最初の有文字遊牧民交易国家の姿にふさわしい、高度な文明そのものだった。

 

 そして大規模な祭祀もここでなされ、初代女王アーミヤ=サーキーや歴代諸王、宰相アガンダ=サーリハを記念した神殿も見つかり、神話から歴史へとアマゾネス文明の人たちは姿を変えたのである。

 

 そしてその歴史も神話も彼女たちの手で書かれたものへと変化した。次章で彼女たちの生活と文化、政治の姿、そして触手技術の高度さをもって、どのように周辺諸国に覇を唱えたかを書きたい。

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