触野 千手郎著『騎馬触手技術の完成とアマゾネス文明の興亡』 川満新書 作:HASURYU
【彼女たちの業績の再発見とその原理の解明──ショクシュ目改良の方法とその暗黒】
● 大三島帝国
忘却の中、科学や学問は一歩一歩進んでいく。その間にエウロスを揺るがした第一次世界大戦やその復興などがおこり、階級社会から大衆社会へと移行し、エウロス以外にも学問の成果が各地で実を結び始める。
そのような発見の中には、胎内リズムの発見とそれに伴う生理的現象の関係もあった。それは、大三島帝国の一人の町医者とその協力者たちによって発見されたのである。
我々の人体は生命活動を行いながら、各器官のリズムによって体調が維持したり、変化したりする。生殖活動もそうである。男性の睾丸内の精液の生殖活動もそうであり、女性もまた排卵リズムがある。また睡眠リズムの変化を下手に変えて体調を崩し、風邪になったことは誰しもあるだろう。
だがこのリズムと人体との厳密な関係は、第一次世界大戦後の時点では今一つわかってなかった。そのことは触手技術にも関連する。どのタイミングでどの触手をつけるのは、それまでは経験則によっていた。そのタイミングを間違えると当初の目的が達成されないことも多い。この経験則の解明が望まれたのである。
特にヒューマン種アルト種の妊娠不妊のリズムはなかなかわからず、ある人は多産、またある人には不妊という結果に陥ることが多かった。
それは結果として、下層階級の生活に悪影響を及ぼすことになる。多産の家庭は成育費が家計を圧迫して、貧困におちいることが多く、不妊の家庭はそれが原因で離婚となることが多かったのである。
そしてその悩みは、新興近代国家である大三島帝国には重くのしかかっていたのである。そのような中、一人の町医者が部下をつれて町の片隅で研究していた。萩原 久である。
萩原 久は1887年に生まれ、煌衛帝国大学医学部を卒業すると、1912年北部三島の荒潮市の私立病院の婦人科部長に就任し、基本荒潮市で生涯過ごすことになる。
荒潮市は当時でも農業地帯であり、その活動上不妊や多産に苦しむ女性が多かった。そこで彼は当時解明されていなかった排卵時期の研究を行う。数年の歳月をかけ1923年に論文を完成させ、学会誌に発表、反対意見もありながらも学会賞を受ける。さらにこの研究を広めるべく、アラン語に翻訳した後に1929年地球の裏側にあるエウロス大陸へ渡り、生体リズムの複雑な関係の重要性を広めることに成功する。
この研究は当時としては画期的なものであり、ほぼ同時期のアルスの生物学者のアルマン=ノットの研究の発見と同時期のものであり、なおかつそれを補強するものであった。後年判明したことだが、科学の最高権威であるロヴネル賞の候補者に二人は挙げられていたぐらいであった。というのも、その研究はヒューマン種やアルト種だけでなく、様々な動物にも適用かつ応用可能であるからだ。
また宗教的にも避妊具の使用を忌避しがちなイシュク教の主要な一派にとっては、重要な技術たりえたことも大きい。萩原たちの発見は避妊法としても宗教的権威があるものとして認められたというのも、ロブネル賞にノミネートされた理由だろう。実際現在でも萩原の名前を知る人は、ハギワラ式避妊法からだろう。本人は不妊治療を志していたから、彼自身の当初の目的からすればまことに不本意であろうが。
なおこの方式での避妊するのは、重要なものであるが確実性にはかけるので、きちんとした避妊具を特に男性や触手を性的に使うことを、感染症を防ぐためにも勧める。
話を戻すが、この発見はすぐに各種役畜の生体リズムと胎内リズムの考察に至る。それと触手の疑似器官の影響も各国で各生物のごとに調査がなされた。
かくして新発見レースが各国の研究者の中で展開されることになる。そのレース参加者の中には新興国ボームのヴァーツラフ=アダミツキーという学者がいた。
●ボーム地図
ヴァーツラフ=アダミツキーは、ボームの獣医学者兼畜産学者である。彼の赴任したナジバート大学は、ボームの平野部の美しい都市であるが、近代的な畜産業が盛んなところである。そのため高い畜産学と触手学の研究がなされていた。
彼もまたアルス共和国に留学し、アルマン=ノットを指導教授にしていたことで早期にこのレースに参加することになった。特にヤギの生体リズムを調べていた。彼は先行研究を調べるべく、アルスの論文概要を漁った。そこで彼は、否定的な研究として『アントニーナ=サラ法』の研究が紹介されるのを見つけた。
そこで彼は、何に導かれたのか分からないが、この研究を改めて生体リズムの観点から統計的に有意でないかを調べ始めた。一説によるとこの時点では彼はミソジニー気味の男性であり、女性の研究の愚かさを証明するために行ったのではと考えられている。
人間の排卵リズムとヤギのあるリズムと一致したときに、触手を一定環境下で繁殖されると、安定して新種の触手を作り出すパターンが判明する。そのうえで、人間とヤギが部分的に受精したときに、長育としての性質を持つ触手が高確率で発生することを突き止めた。1933年のことである。
ヴァーツラフは、彼女たちの研究の先駆性を示した上で、改良人畜交配法を考案し、さらに触手の成体リズム、ヤギの生体リズムと人間の生態のリズムが重要なポイントであることを示し、その詳しい条件をまとめた論文『新人畜交配法における触手品種改良の研究』学会に提出した。そしてヴァーツラフは彼女たちのデータを使った上で、数十年前に自分の発見した事実のあと一歩まで近づいていたことを驚愕した口調で報告した。
彼は後にこう語っている。
『彼女たちの研究は無謀でした。倫理的にも、実験的にも粗削りでした。そしてデータ数があともう少し多ければというところで、統計的な問題と実験協力者の拒否という問題が重なり、彼女たちは自分が発見した事実を見つけられませんでした。
しかしそうであろうとも、確実に私たちに学問の進歩の一歩をなしたのです』
余談だが、彼はこの発見により自己の女性に対する知的偏見を改め、ナジバート大学で積極的に女性研究家を育てることにした。後年、彼の業績を称えて、彼の死後にフェミニズム同盟者としてフェミニズム関係者から評価されている。著者も彼のようにおのが偏見から自由にあり、フェアでありたいものである。
このようにして、はじめは彼女たちの研究は、生物学触手学の観点から再評価され、復活したのである。この方法を利用して、各種触手新種を相対的に手早く安定的に行えるようになったのは、間違いなく進歩の一歩である。
だがそれは暗黒をももたらしたのも事実である。特にこの時代は戦間期であることから、軍国主義とそれを支える各種食料生産技術の高まりとして、悪用されることになる。
各種新種触手がこの方法によって応用されたのは、先に述べた。戦間期の復興のために食料増産は必須のものであり、それらを可能にする医療用と獣医用触手、そして細かい作業を可能にする使い捨ての産業用触手──当時勃興しつつあった電子技術や高度な魔法回路を作るには必須だった──の生産が急ピッチで行われる。
そして重要な触手新種はパテントで守られることになった。だがこれらの恩恵をまともに受けられない国々が現れた。新興近代国家群──エウロスの第一次世界大戦で大きく被害を受けた国々とスタニア東部の近代国家であった大三島帝国──である。
これらの国では、戦勝国から産業用触手の品種をパテント料払って買うにしても、他の産業による触手大量生産はおぼつかない状況にあった。しかも一次世界大戦で負けたことで触手技術による食糧増産による復興も至上命令としてのしかかる。このような中で触手増産の要請がなされた。その結果、その生産方法は次第に歪み始める。
はじめは、障碍者や犯罪者を触手苗床として利用するところから始まった。だがそれによる触手新種開発でも間に合わなくなると、植民地の住民や開発途上国の民族、被差別されたマイナーな民族を使用した違法な触手生産がはじまる。その中にはわれらが大三島帝国が参加することになった。
かつてのサラとトーニャが仮説として提示した触手改良のための奴隷獲得の新しいバージョンが、大規模に発生した。そしてこの種の犯罪は国家をも巻き込み、第二次世界大戦で最悪になった。全体主義国家によるシステム化された絶滅政策とそれに伴う触手増産がなされたのである。この被害は多数の民族に多大なダメージを与えた。その具体的な描写はさけるが、是非参考文献を参照してほしい。
現在でもわが国では特に植民地の女子をだますような形で、触手苗床にさせたような蛮行を否認する人たちがいるが、それはわが国の愚かしさを繰り返さないためにも忘れ去られるべきではない。またその種の実験レポートも残っている。そこでは猿と書かれていたが、明らかに人間かアルタ種でしかない反応が書かれているのである。
この事実を知るとサラとトーニャの評伝を書いたユリア=グラニエの次の言葉を筆者は思わざる得ない。
『彼女たちはその無鉄砲さと学問的情熱により、当時としても現代としても狂気ともいえる性的逸脱者となった。周囲の男性学者は彼女たちを嘲り、変態女学者よばわりをした。たしかに彼女たちは狂気だったかもしれない。だがし彼女たちの指摘に目をつむり、そして後世になって彼女たちの指摘した過去の北西ガンダ諸国のように国家的レイプやそれに類する事業を進めた各国に狂気にくらべると、どちらの狂気がましであろうか?』
戦争がおわり、各国で触手生産に頼らない化学肥料の誕生とそれに伴う食糧と飼料増産技術、精密作業を可能とする生産機械の発展の結果、この国家的犯罪は表向きには終わりを告げる。
こうして触手開発レースはゆっくりしたものとなった。先の大戦の反省もあり、開発倫理コードも作られて、戦後から現在に至るまで各種犯罪や文化的現象を除いて過激なものは身をひそめるようになる。
触手技術史もゆっくりと確実に各種仮説と実証がなされ、ナショナリズムとつかず離れずの関係を持ちつつ、研究がすすめられた。またサラたちが先駆的に示した実験考古学や民族医学の方法は先駆的なものとして評価され、触手技術史にとどまらない影響を与えた。
そういう中で、1987年のナーリーン遺跡の発見と発掘がなされる。そしてその姿ははるかに想像を超えたものであった。その高度な触手技術は、2800年前に1930年代に発見された身体の発見をすでに認識していたのである。
この脅威の事実を、改めて説明しよう。
【再現されたアマゾネス文明の長育種触手育成法】
1987年に発掘されたナーリン遺跡は古代の情報の宝庫というべきものだった。地方都市遺跡とその発掘からは明らかに無文字社会ではないことは判明していたとはいえ、各神殿や王宮に残された行政文章や失われた写本群の数々は重要なものである。ガンダ域アラン域では失われた写本の数々、アマゾネス人が取り扱った文物はアマゾネス文明だけでなく周辺文明の情報をももたらした。そして触手技術史においてもそれは変わりない。
1990年代より発掘されはじめたサーリハ神殿は触手学の研究の宝庫というものであった。アマゾネス人はこの偉大な宰相とその教団によって触手を生産していたらしく、その細やかな生産方法や記録、そして各苗床になった女性のカルテまでも含めて厳密に管理していたらしい。その記録群はまるで近現代のカルテの先駆けというものであった。
それによって彼女たちの触手生産技術の改良と、それをどう運営したかがわかる。それを時系列によって説明しよう。
〇第一期 人畜交配法とその改良。
まずアマゾネス人が最初に手に入れた触手養殖技術は、アントニーナ=サラ仮説で提示したような人畜交配法によるものだったらしい。しかもその方法はまだ洗練されものではなく、野蛮といっていいものである。まず苗床となる女性や男性の生殖器、肛門などを輪姦、もしくは薬液で消毒保護した後に、触手のホストとなる動物と交わるのが基本作業である。この交わりをなしたのち、一定期間を置いたのち、触手下しの薬を飲むことで第一成体の触手を集め、第二成体にする。単純かつ安定した方法である。とくに乾燥域に育つガンダハラスミショクシュ目の仲間とその改良には力を発揮し、これによって乾燥域に育つ触手が完成した。
しかしながらこれだと、当然の如く人的ソースを多く必要とされる。また多少は衛生というものの概念があったものの、不衛生な環境でこれらの作業が行われることも多く、感染症などで奴隷が死ぬことが多かった。
またこの時点では、人間や役畜の胎内リズムなどは今一つ解明されていたとはいえず、下手な鉄砲数打てば当たる方式で生産されていたらしい。
したがって敵対部族を奴隷化したり、外部から奴隷を購入したりすることで苗床となる女性を増やすことでアマゾネス人やガンダ西北域はこの問題を対処した。
このような方法で触手生産を行っていたら、人的資源という点ではタコが自分の足を食い合うようなものである。資産をふやすために奴隷を買うのか、奴隷をふやすため資産を増やすのか、わからない状態である。
また奴隷として狩られる部族も黙ってはいない。この方式は当然ながら政治的結束をアマゾネス人にもたらすことになりし、ガンダ域の植民都市は彼らの襲撃と防衛に努めることになる。
また当然ながら各都市各地域で改良が求められ、それらの記録と方法をサーリハやそれに先駆するガンダ植民都市の知識人によって記載され、それらをナーリンでは写本にしている。
そしてサーリハの時代になると、直接性器をつけることなく人畜交配法をより洗練させることに成功する。アーミヤ家躍進にはこの方法を最初に独占的に成功させたことが大きかったらしく、サーリハの宗教的権威とサーキーの軍事力、政治力をさらに増大させた。
まずサーリハが行ったのは、萩原 久やヴァーツラフ=アダミツキーが行ったように各種動物の成体リズムの把握だった。このことにより、触手を安定して作るための母体の安全とそのリズムに合わせた交配が行われた。そしてその精度はかなり正確に、ハギワラ式のリズムにのっとったものであったことが、神殿の記録として残っている。
また直接性交するリスクを減らすため、サーリハはどうやら木製の管を使用したピペットを開発し、直接性器を接触することなく衛生的な人畜交配を行ったらしい。
サーリハとその周辺の人物は、他にも発明の才があったらしい。天さがる知恵のサーイイなどと協力してこの種の道具を考案し、より安全でなおかつ安定した触手生産を目指したことが、神殿の記録に残っている。
そのあと、サーリハの教団が開発したのがコンドーム法と呼ばれる方法である。これは生産性は前記に劣るものの安全性という点では、大分考慮されたものであり、男性も触手生産に可能にしたという点で画期的なものである。
原理としては精液だまりを弁をつけた二重底にしたコンドームに動物の経血、もしくは、ピペットや触手から取り出した動物の卵子などと少量の触手塊を入れる。第一の袋と第二の袋には弁が付いており、男性器を感染症にならないために保護する。そのようなコンドームをつかって自慰もしくは性交を行う。その後コンドームは女性もしくは動物の膣内に入れることで保温させる。一定期間すぎたら、性交し胎内に入れる。そうして第一形態の成体が手に入り、それを集めて第二成体にして、目的に合わせた触手を手に入れる。
もっともこの方式だと男性にフィットする触手が手に入るものの、安定して作ることにはかけていた。それらの課題が残されることになる。
こうして長育種触手の安定した生産は、サーリハを中心とする女性教団の手により完成した。その秘術はかつての伝統宗教と並立する形で普及し、その教団に帰依するものによって広まり、さらに応用技術が開発されたのだ。
〇第二期長生種育成法 疑似器官法
その次に完成させたのは、後でオーク族などによって再発見された疑似器官法と呼ばれるものである。
人畜交配法でもショクシュ目の品種改良は可能であったが、とくに性器のサイズという点で限界があった。儀礼用の人間にもフィットするサイズの動物の開発はガンダ北西部でも行われていたが、それは希少なものであり、生産を増やすとなると限界があった。
そこで彼女たちは発想の逆転をする。人間の性器でも目的とする役畜の精液をだせるようにすればいいのではという発想をしたのである。
幸いなことにアマゾネス人たちは刺青の風習とそれから発生した魔紋技術と経絡回路の知識に──アマゾネス人は灸を利用していた──優れた民族であった。これらとガンダのアルタ=ヴェーダなどの高度な医療知識と組み合わさることで、第二成体で人間の性器機能と目的とする役畜の睾丸をつなぎ合わせ、射精することを可能としたのである。
この技法の開発は、ガンダの自由思想家の教団とサーリハの教団と共同で行ったものらしい。この技法を使う場合の報酬の契約書がナーリン遺跡から発掘される。
またこれらの方法は応用が効き、性的不能の治療や不妊治療にも使われ、サーキーの性別を超えた存在として扱われたのも、この方式が確立したことが大きかったらしい。
その性器の立派さを称える歌詞が──本人はどう感じたのか不明なのだが──残っている。
さらに刑罰としてこの技法は応用され、任意の期間の去勢などが可能になった。刑罰として獣姦をすることを義務付けたり、一定の魔法と薬品によって一定期間科学的魔法的去勢が可能になった。
この技術は役畜のバースコントロールにも有効である。当時はまだまだ自然環境に左右された畜産であった。したがって去勢馬だけが生き残り、他の馬は死んだ場合でもこの技術を使えば、生殖機能が再生する。現代では人間のインポテンツ回復やFtMなどの性器付与に使われることの多い技術であるが、もともとは遊牧民の死活問題にかかわる技術なのだ。
さらに肛門部周辺に魔紋を施すことや、専用の疑似器官をつけて安全かつ衛生的に性的快楽を作り出す技術もこのころに開発されたらしい。エリオット=リース=タッカーと姉のサラの実験に付き合わされた淫靡かつ悲喜劇的な記録は現在でも残っているので、参考文献に挙げておく。
またこの技術は、魔紋術専用のインクの開発と需要の増加、各器官をつなげるスライム族の原始利用が始まったことで可能になったのも大きい。このことは北方域の交易をさらに重要なものとしたのも、歴史的に重要である。このことはアマゾネス文明の東域への分布を起こしたという意味でも重要なものである。
〇長育種育成の活性保存 恒温槽利用とスライム族の利用の開始
さてこのような方法で作り出された長育種触手であるが、その株を増やすとなると残念ながら心もとない。乾眠形態にして保存することも可能であるが、その場合だと復活させるのに手間暇がかかってしまう。必要に応じて触手を活性化させたままで保持する技術が求められた。
この点でも彼女たちは偉大な発明をなした。恒温槽方式と原始的な温度計を利用した触手保存方法を生み出したのである。
規格化された金属容器や木製の箱を作り、周囲を革もしくは金属製の箱で覆い、湯を入れることで温度調整をし、触手が育ちやすい温度と、原始的な水鉄砲や霧吹きを使って湿度を調整するという技法を編み出したのである。
今一つイメージしにくいという人がいるかもしれないが、わが国の伝統工芸である漆芸の際に必要とされる漆風呂の中に湯たんぽなどがおけるスペースがあると想像すれば、当たらずとも言えど遠からずである。わが国でも伝統的にこの方式で触手の株分けを行っていた。
この恒温槽の下には、一定の処理をされたスライムを置き、これらに触手第二成体を株分けすることで安定して触手を維持することが可能になったのである。その際おそらくアマゾネス人は消毒の重要性をこの時点で知っていた。消毒作業をしたうえで特定の薬液や血液をスライムに与え、触手が乾眠期にならないように調整したことが記録で判明している。触手育成におけるスライム利用の一番原始形態であり、彼女たちの優れた機械技術が融合して、この方法が確立したと思われる。
この方式はポリアーン人を経由して、各文明に伝播し基本的な技術として瞬く間に普及する。そして紀元前200年ごろに成立したローパー種による大量触手培養によって触手技術はよりメジャーなものになったのだ。
とはいえこの時点では北方エウロスにあるこのスライム種を手に入れる術を彼女たちにはない。彼女たちはカスプ海のミニスライムを使った寒天と、比較的大型のスライムを輸入することでこの技術を維持したようであり、また高度な維持技術をもってしても、数本を保存することが限界だったようである。
このような技術的優位を駆使して、彼女たちは触手を安定的に手に入れたのだ。
〇これらの技術を維持するサブシステムとしてのサーリハ教団を中心とする知識人層
このような高度な知識を駆使して、アマゾネス人は触手を育成、品種改良を行い、維持した。これらの技術を維持するための人的システムがなければならない。その点で活躍したのは、ガンダ域の知識人層、特にアーミヤ家、ひいてはアマゾネス文明の王の宰相や官僚層を排出したサーリハの教団などであった。
サーリハは巧みな宗教政策を行い、各部族のトーテムをガンダ域の宗教と習合させた。そのうえで低い女性の地位の改善ルートとして、この種の技術を彼女たちに通過儀礼、宗教儀式として取り入れ、安定した触手生産に成功する。
また触手自体も部族によっては──アーミヤ家も含む──神からの贈与という形で信仰されていたため、この宗教観の移行は比較的スムーズに行われた。
また人畜交配法による触手は、主に女性に適合することが多く、それがアマゾネス文明を当時としては珍しい女性中心の武力勢力を作り出したといえる。そのうえ触手生産面でも女性の協力が一時期では必要であったため、そのことも女性にさらなる権威を与えたのである。女性にそっぽ向かれたら、触手の生産すらままならないのだ。
この傾向は全体としてアマゾネス文明全盛期によって維持され、女性中心の官僚層と武人層、さらにそのシンパの部族に担われれたのだ。
しかし100年以上その体制が続くと腐敗が始まる。そして遊牧民帝国の崩壊のパターンもこの部族が最初にとることになり、やがて西南ガンダ域からアマゾネス人は撤退する事態に陥った。その長い没落と崩壊は次節以降、詳しく説明し、彼女たちの遺産とそれの現代における意義も含めて説明しよう。
【まとめの考察】
以上彼女たちの技術とその失伝、それからの再生に至る長い道のりを経て、改めて彼女たちの高度な技術がどのようなものであったのかを説明した。
読者はその過程の長さと、一部の学者の狂気ともいえる活動も含めて驚かれたと思う。そしてその仮説から導かれたアマゾネス人の置かれた過酷な環境とそれらから脱するための努力も。
彼女たちの技術の誕生には、強制的な獣姦や輪姦というすさまじい野蛮と、その野蛮さの一部を自らのものとして引き受けて、武器にした人たちがいたというのが、これまでのの記述やそこから考えられる古代の技術成立の過酷さがあったのである。
その再発見がスキャンダラスかつ淫靡でドラマチックであることから、つい彼女たちに興味本位で語られがちである、そして後世に再発見された、これらの技術を利用した犯罪がなかなか収まることも含めて、ついこの種の技術に批難されやすい。
しかし彼女たちがこの技術を作ったのは、その過酷な環境と運命を乗り越えるために作ったのだということは忘れてはならない。そしてそれらを防ぐために彼女たちは様々な試みをなしたのだ。彼女たちはその過酷な運命を引き受け、逆手に取り、女性にだけその技術を独占することで、安定した女性の地位を作り出し、性暴力など不当な暴力を守ることに成功した。彼女たちの高い技術は、より高い倫理をなすためにおこなったのだ。
それを忘れた技術開発はかつてのガンダ域北西部の都市国家が彼女たちの先祖になしたように、大いなる野蛮を意味する。そしてそれを忘れた文明はかつての私たちの先祖であるように何度も再帰するだろう。
つい高い技術を持てば私たちはその全能感によって、高い倫理を得たかのように勘違いすることが多い。しかし高い技術を安定的になおかつ人々の幸福のために使われるには、その使用者にもおのずと高い倫理的リテラシーが必要になってくる。
また技術というものはもろい。彼女たちの技術は高度であれば高度であるからこそ、その維持に注意を払ってきた。そしてそれが維持することができなくなったとき、あっさりとその技術は失伝する。
そして一度失われた技術は復活するには、場合によっては2000年以上かかってしまうこともありうるのだ。
その点で、私自身は決して技術万能主義的である単純な進歩主義をとることはない。進歩は技術さえ高めれば必然的にやってくるものではないのだ。高い倫理と高い自然科学的知識とそれを維持する諸制度が合わさってようやく進歩というものはやってくる。
そしてその中には過去の先祖のなしたことを忘れない義務が入ってくる。触手技術が関心がある読者ならば、このことを忘れないで欲しい。
私の親愛なる隣人にして、先の大戦の戦時犯罪やその賠償のための運動を担った、触手医でもあった大叔父の言葉を思い出す。
『大いなる力には大いなる責任が宿る。それから逃れるものには進歩はなく、大いなる野蛮が回帰するだろう』