死んだにしても生死不明にしても、残された側も相当堪える。
禪院真希は長い竹刀袋を背負って鳥居の前に来ていた。残念ながら入学式なんて洒落たものはないが、今日から新たな学園生活である。
禪院家を妹と共に出て、ようやくストレスのない生活が始まる。……いや、全くないわけではない。素直で可愛い弟と離れ離れになって、今年で七年目だ。生きている、と信じれば信じるほど、胸の奥がキュッと締まる。
大丈夫なはずだ。まだ生きている……信じることしか出来ないが、真依が言うには、あの後いつも要が走っていたコースを見に行くと、父親の残穢と一緒に、もう本当に僅かだったが要の残穢が見えたらしい。
その事は、もちろん禪院家の誰にも言わなかった。信用出来ないから。
とにかく、今は強くなり、改めて弟を探す。……いや、暇が出来たら、禪院家から出て来れたわけだし、探しに出てみても良いかもしれない。
そう思っていると、鳥居の奥から目隠しした男が軽く手を振ってくるのが見えた。
「お、来たね。一年生三人目!」
「……五条悟」
「そう。僕が呪術界最強の特級術師、五条悟ですよ〜」
「……」
一目で分かった。こいつバカだ、と。それと同時に、そのバカさ加減は強さ故から来た余裕である事も。禪院家の連中とは真逆の男なのだろう。
「教室は何処だ?」
「はいはい、ご案内するよー。……あ、その前に、入学試験だけね」
「……は?」
いや待て、と。そんな話、聞いていない。
「なんだよそれ? あんた何も言わなかったよな?」
「めんご!」
「じゃねーよ! 私、呪力ねェから……!」
「あーいやいや、別に実力を測る試験じゃないよ。まぁ、ついておいでよ。学長が待ってるから」
「……ちっ」
舌打ちをしながら、五条悟が歩き始めたので、その背中をおった。……この軽薄な男が、呪術界最強……と、少し意外に思う。いや、御三家のうち五条家はこの男のワンマンチームと聞いていたので、ある意味では予想通りではあるか。
何れにしても、信用出来るのか分からない奴だ……と、ちょっとだけ警戒していると、悟がケタケタと笑いをあげながら言った。
「それにしても、禪院真希さんだよね?」
「苗字をつけるな」
「驚いたな〜……いや、驚く程の事でもなかったけど、そこまで呪力のない子がいるのは」
ピクッ、と、真希は片眉を上げる。
「あの家じゃ、肩身が狭かったでしょ」
「うるせぇ、別に気にしてねえ」
「それで、どうして術師を目指そうと思ったのかな? もしかして、努力すればなんとかなると思ってる口?」
「うるせぇって言ってんだろ。お前には関係ねえ」
「それとも……何か理由があったとか? 例えば……過去に、呪いに兄弟でも殺されたとか」
限界だった。ペラペラと喧しい目の前の男に頭に来て、ジャッと竹刀袋のチャックを下ろす。
中から出て来たのは、竹刀でも刀でも無く、薙刀。呪いが込められた武器……呪具を握り、一気に振り抜きに掛かった。
確実に穂先は悟の首を切り落とした……と、思ったが、それは叶わない。何故なら、透明の壁に阻まれるように静止したからだ。
「っ……!」
「あれ、怒った? ってことは、図星だった?」
「テメェには関係ねえって言ってんだろ殺すぞ……!」
「あっはっはっ、無理無理」
こいつ……と、眉間にさらにシワが寄る。その無神経さごと叩き斬ってやりたかったが、刃先は進まない。
「そう怒らないでよ。その辺の事、どうせすぐに学長に聞かれるし、言いたくなかったら言わなくて良いから」
「っ……」
薄っぺらい笑みを浮かべながら、くいっと刃先を退かされる。
これが、五条家の無下限術式……その上、自分の呪力の無さを一眼で見抜いた六眼。最強と呼ばれるわけだ、と頭の中で理解する。
「でも、家族の為だとか、友達の為だとか、そんな消極的な理由で続けられる程、呪いとの戦いは甘くないよ」
「っ……!」
「じゃ、行こっか。学長のとこ」
そう言うと、悟はすぐに先へ進んだ。刃先を引っ込める真希。このままじゃ、あの男は殺せないからだ。
それでも、自分が呪術師を目指した理由を「消極的」なんて言われたのは納得がいかない。
「……弟を助ける為だ」
「?」
「才能があって、強い術式があって、特別な力を持ってて、いずれ禪院家の当主の座を息子に奪われるかも、なんて危惧したクソ親父に追い出された弟の為に、呪術師になった」
「……生きてるの?」
「生きてるに決まってんだろ! 私は強くなって、呪いを祓って祓って祓いまくって……そして、当主になって、また三人でバカやれる日常を取り戻す」
それを聞いて、悟はクックッと笑みを溢す。
「そっか。頑張って」
「……お前に言われるまでもねえ」
頑張るに決まっている。そうしないと、弟達と暮らせないから。
×××
さて、学長との面談を終えて、改まって教室に入る。中に入ると、他の生徒は二人だった。パンダと口元を隠した少年だ。
「喜べ男子どもー! 三人目の一年生は、紅一点の禪院真希さんでーす!」
「……おい、なんでパンダなんだよ」
「禪院って……あの禪院か?」
「しゃけ」
「食いたいのか?」
色々と説明が欲しいメンツだったが、悟は紹介する気がないのか、そのまま真希の紹介に移った。
「あ、でもこの子、超ブラコン•シスコンだから、そういう関係の期待はしないようにね」
「誰がブラコンだああああああ‼︎」
今度は袋から出さずに繰り出したが、顔を隠しているのにムカつくおちゃらけた男には届かない。直前で止まるのがまた腹立たしかった。
すると、自分の前にいる男とパンダはヒソヒソと話し始める。
「見たか? 今の……紅一点というか、剛一線って感じだな……」
「しゃけ……」
「聞こえてんぞ中国産コラァッ‼︎」
ムカつく同期達だ。一人は何言ってるかわからないし、一人は何なのか分からない。
「じゃあ、かるーく自己紹介するね。こっちが狗巻棘。呪言師だよ。語彙がおにぎりの具しかないから会話頑張って」
「すじこ」
「で、パンダ」
「パンダだ。よろしく頼む」
「……」
真依が行った京都校もこんな感じなのだろうか? いや、絶対違う。普通の人が自分しかいないとか絶対おかしい。
「さて、じゃあ今日から早速、仕事始めるよ。今日は三人で任務に行ってもらおうかな」
「は? もう任務あるのかよ」
「呪術師は人手不足だからね。大丈夫、今日は僕も引率するから。多少、死にかける目に遭って来ても助けてあげられるよ」
こいつほんとに教師か、と全員が思いながらも、口にはしなかった。
×××
初任務は、大したものではなかった。数が多い3〜2級の呪い。祓って終わり。その後は、悟に寮まで案内された。
放課後、自由時間。真希は、グラウンドで薙刀を一人で振るっていた。
「随分と一生懸命だな」
その真希に、背後から声がかけられる。振り向くと、やたらと大きく丸い影。
「なんか用か」
「入学して初任務を終えたばっかなのに、もう自主練してる奴がいれば声もかけたくなるだろ」
「なんでそんな人間らしいんだよお前は……」
本当にパンダか? と聞いてみたくなる。というか、ちょうど良い。薙刀をその辺に置くと、代わりに先端が丸い布で包まれた棒を手にする。
「そんなとこで暇してんなら、少し相手しろ。パンダ」
「模擬戦か? 良いぞ」
二人とも構えた直後、その場に張り詰めた空気が走る。たまたま遭遇した狗巻が、何事かと思う程度には。
先に動いたのは真希だった。キュッ、と間合いを保ったまま突きを放つ。が、強引に真横に避けて力づくでガードされた。
その後、距離を詰めて拳が出てくる。それを力付くで棒を手元に引き寄せてガードしつついなし、反対側で殴打を放った。
が、パンダはそれを意外にも身軽にジャンプして回避すると、真上から踏み潰してくる。
それを避けながら、槍を構えて思いっきり突き込んだ。
しかし、その隙が大きいスタンプは誘いだった。腕一本、犠牲にする覚悟でガードされ、ロシアンフックが飛んで来た。
「ッ……!」
それに対し、真希は。槍を手放して身体を宙に浮かせつつ真横に倒して回避し、地面を腕についてからローキックを放った。
火を吹くような一撃。それをパンダは喰らい、足が空いた。今こそチャンスと言わんばかりに振るった脚を旋回させながら正面を向きつつ、落ちている棒に足を引っ掛けて浮かせた。
これをキャッチしてトドメを放つ……が、違和感。ローキック、あまりに気持ちよく入り過ぎた気もする。
その予測は正しかった。パンダは両手を地面について、お尻を真上から振り下ろして来た。
「うおっ……!」
手に取った棒を縦に突き刺し、ガードする。ズザザッと突き刺した棒が大地を抉るように自分の脚を後方に下がらせる。
でかい体と体重を利用した遠心力で、思いのほか機敏にガンガン攻めてくる。
だが、それでもフィジカルは負けていない真希なら勝てない相手ではない。凌いだ槍を引き抜いて、縦に振り下ろすと、お尻をついたばかりのパンダが、同じように両拳を放って来ていた。
どちらの攻撃も直撃する……と思ったのだろう。
【止まれ】
そんなゾッとする声音と共に放たれた言葉が二人の耳に響く。直後、まるで一時停止ボタンを押したように二人の体は止まった。
「⁉︎」
「棘か……!」
「おかか」
両手でバツを作りながら言われた。確かに、少し熱くなりすぎたかもしれない。術式が解けて、二人とも拳と槍を引く。
自分も呪具の扱いや体術についてはかなり向き合って来たつもりだったが、自分と互角のレベルのパンダが一匹、そしてたった一言で動きを止めてくる奴が一人……中々、手強い。
「お疲れさん、禪院」
「苗字で呼ぶな。私はあのクソ家が嫌いだ」
「そうか。すまん、真希」
禪院家のことはパンダも棘も知っているのか、深くは聞いてこなかった。どんだけ嫌われているのか、あの家は。
「しかし、すごいな真希。呪力無しで俺と互角か……それも、その槍は特訓用だろ?」
「……!」
「それだけ強い真希を家から出すとか……名家の考えることは分からんもんだな。なぁ、棘?」
「しゃけ」
「なんて?」
自分の妹と弟以外に、初めて褒められた。少しだけ嬉しかったりする。家の奴らは、呪力が少ないというだけでボロクソに言ってくるというのに。
もしかしたら、出会ったばかりの社交辞令かもしれない。或いは、気を使われているのかもしれない。
でも、それでも生まれて初めて実力への賛辞に、ちょっとだけ慣れなかったりする。
その真希を見て、パンダがニヤつきながら聞いて来た。
「ん、なんだ真希。もしかして照れてんのか?」
「っ、て、照れてねーよ!」
「剛一線の割に可愛いとこあんな。なぁ、棘?」
「ツナマヨ」
「うるせーよ! 今度は実戦にして殺すぞ!」
「あっはっはっ、これは弟もお前に懐くのわかるってもんだ」
「明太子」
「オッケーぶっ殺す! 上野の博物館で剥製にしてやる!」
と、追う真希と逃げるパンダ。その様子を、悟は遠くからぼんやりと眺めていた。
仲良さそうなものだ。見ていると、自分の同期のことを思い出す。よく喧嘩し、よく一緒に特訓し、よく三人で駄弁っていた。
そして、そのうちの一人はもう今後、二度と隣に立つことはないことも。
何も思わないわけではない。が、少なくとも九年前とは違い、自分には親友を殺す覚悟はできている。
「どうだ、今年の一年は」
その悟の元に、後ろから恩師が声をかける。
「中々、良いものを持っていますよ、三人とも」
「そうか」
「それに、道を踏み外すこともないでしょう」
「……夏油のことを、思い出したか?」
「……」
嫌な事を聞いて来れる人だ。この人も悔やんではいるのだろう。かつての自分の教え子が、今や最悪の呪術師と呼ばれていることを。
「まぁ、あの三人なら大丈夫でしょう。僕達が間違えなければね」
「……そうか」
「傑の動向は、未だ不明ですか?」
「ああ。……だが、ここ数年で登録済みの特級が数体、姿を消している。恐らく、祓われている」
「……へぇ、特級が」
少し興味深い。中には特級を祓える一級もいる。
「残穢は?」
「確認した。どれも同じ残穢が残されていた……が、傑のものではない事は確かだ」
「……御三家は?」
「それならば、功績を主張してくるだろう」
「つまり……呪詛師か」
特級を祓ってくれている以上、敵ではない……なんて思うほど楽観的ではない。それ程の実力を持つ奴が、呪術師として登録されていない事が問題だ。
そして、何度も祓っている以上、マグレでも相性の問題でもないのだろう。
「……面白いですね」
「夏油とは関係ない……と、思いたいが、呪詛師が特級とわざわざ関わる理由などない。夏油のために生捕にした、と考えても不思議じゃない」
「へぇ……ちょっと、見てみたいな。そいつ。もし悪い奴じゃなかったら、スカウトとかします?」
「それは、そいつ次第だ」
「言うと思った」
クスッと微笑みつつ、悟は背中を向けた。
「何処へ行く?」
「甘いもの食べにです。お腹空いて来たので」
「……もし、そいつが敵だったら?」
「愚問でしょう」
そいつが若人から青春を奪うような奴なら、容赦はしない。それだけだ。
「……まぁ、お前なら負ける心配などしていないがな」
「そりゃそうでしょう。僕、最強ですし」
「……そうだったな」
そう言いながら、悟はそろそろその場を立ち去ろうとする。その背中に、学長が続けて声をかけた。
「そうだ、悟。例の乙骨憂太。上がお前の忠告を無視し、術師を数人送り込んだが、やはり返り討ちにあった」
「あーあ……だから言ったのに。あれはかなり特殊な呪いだって」
もう一人、特別な力を持つ子がいる。しかも、そっちは学生だ。
「そろそろ、お前の元にも来るかもしれん。乙骨憂太殺害の命令が」
「殺害なんて依頼されても、僕は引き受けませんよ。そもそもそんな巨大な力を持つ呪いを持ってる子供を殺したら、逆にどうなるか分かったものじゃないでしょ」
全くもって、ここ最近は忙しなくなって来たものだ。上の保守派の連中がしょうもない伝統だのなんだのを守っている間に、続々と新たな波が押し寄せて来たものだ。
「やるなら捕獲。未成年の秘匿死刑なんて、あり得ないでしょ」
「……その時は、任せるぞ」
「はい」
それだけ話して、今度こそ悟はその場を後にした。
×××
ようやく家から出て行けてから、最初の夜。真希は、ベッドの上で寝転がった。普通の学生は親元を離れたらそれなりに寂しものらしいが、悲しいかな。それは全くなかった。心の底からストレスがない。
それだけ、あの家にいるのは心身共に締め付けられていたのだろう。
だが、それももうない。開放感がとてもすごいものだ。
「……うしっ」
気合が入った。ストレスが一つ減れば(厳密には一つと言うか9割)、それだけ鍛錬にも気合が入る。
頑張ると決めて、今日の所は瞳を閉じる。
たまに、思う。要がもし生きているとしたら、どうやって生きているのだろうか? と。
いなくなった時が8歳。生きていくには、パターンは二つ。孤児院や警察に保護されるか、呪詛師として生きているか。
だが、警察でも孤児院でも、すぐに家に連絡が来る。従って、呪詛師と考えるのが自然だ。
「……」
いや、あの優しかった要の事だ。呪詛師は無いと信じたい。真希と真依以外に冷たかったのは、あの家の連中がクズだからだ。だから、要も舐められないようにしていた。
最高の可能性は、田舎で孫とか息子が遊びに来なくなった何処ぞのお婆ちゃんに匿われている事だが……そんな親切な人は滅多にいないだろう。何ならそんなドラマみたいな展開、あるわけもない。
いや、あの甘えん坊さ加減だ。あり得ない話ではない。そうなってくれていれば、迎えにも行きやすい。
呪詛師になっていたとしても、何というか……呪詛師を捕まえる呪詛師みたいな感じならまだ良い。
……いや、高望みはすまい。とにかく、生きていてさえいてくれれば、それで良い。
そう強く願いながら、瞳を閉じた。