真剣で旭に恋しなさい!〜月鏡、朝日に照らされて〜 作:夢迷月
2009年 4月 9日
桜の花が咲き乱れ、そこかしこに新しい風が吹き抜けるそんな日。男はゆっくりと目を覚ます。
「くぁ……」
覚醒した男はあくびを噛み殺しながらカーテンを開けて朝日を全身に浴び、パンツを脱いで修練用の袴姿に着替える。
二振りの愛刀を携え、豪奢な玄関から出て稽古場代わりの庭へ。
一度太陽を見上げ、それからスタンスを広げて居合い抜きの構えを作る。
呼吸を整え、精神統一し、親指で鯉口を切り……
「……ふっ!」
呼気と共に一閃。早朝の清涼な空気を鋭い眼光と銀の刃が切り裂く。
鞘に納め、一連のルーティーンを繰り返し、再度一閃。
これを百回繰り返す。数は少ないがそこは質でカバーする。
終えた後は型稽古。男の生家に伝わる剣術、相馬流を二刀流にアレンジしたものをひたすら反復する。
無心で一時間の稽古を終えると、さくさくと草を踏む小気味良い音を立てて、タオルを持った女性が近づいてきた。
「新学期早々お疲れ様、巴。今日の鍛錬はもうお終い?」
女性の名前は、最上旭。川神学園評議会議長、3-S所属。整った目鼻立ちに枝毛一つない黒髪、白皙の肌、楚々とした立ち振る舞い……およそ大和撫子というになんの不足もない女性である。
「うん、今日はここまで。ありがと、旭さん」
受け取った手拭いで鍛錬の痕を拭き取る、男にしては長めの黒髪でマッシブなフォルムをした男の名前は、相馬巴。川神学園3-S所属。旭の父、最上幽斎の便宜上の護衛として、そして実質的には旭のお側役として二年前から最上家に居着いている男である。諸事情により親類なしの身であった。
首にタオルをかけて座り込み天を仰ぐ巴の横に、制服姿の旭がちょこんと体育座りする。側から見れば恋人同士にも見えただろう。
「ねえ、巴」
「なに、旭さん」
しかし、少々……いやかなり二人の関係はおかしかった。
「外でしたら、興奮すると思わない?」
「……ちなみに、何を」
「それはもちろん、セッ○ス」
「……ゴクリ」
リボンをするりと外し、冬用制服の詰襟を緩めてパタパタと胸元をあおぐ旭に、巴は居住まいを正して土下座してみせた。
「じゃあ、俺と付き合ってください!」
「ふふっ、それはダメ」
「んがっ……!」
相馬巴、通算千回を超える告白が玉砕する。花が綻ぶような微笑みを浮かべた女に、男は頭を上げて食い下がる。
「ぬぁんでセ、セ……性交渉はよくて付き合ってくれないんだよ!」
「貴方のそういう初心なところ、好きよ」
「好きなんだったら!」
「貴方こそ、婚前……というか、交際前にセッ〇スするくらいでなにを怯えているのよ。貴方の肉棒で私をひいひい言わせてものにすればいいでしょう」
「そういうのは、ダメ。男の誇り的に」
赤らめた顔をぷいと反らした男に、旭は蛇のようににじり寄る。そして袴越しに股間に触れた。勃起していた。生殖機能は健全であった。
「ほら、ここのたくましいので、私の心も体も凌辱すれば、それで全部解決するのよ?」
「ちょっ、旭さん、今汗臭いから」
「より興奮するわ……」
蠱惑的でどこまでも吸い込まれそうな漆黒の瞳から、巴は目を離せなかった。旭が耳たぶをかぷっと齧ると、哀れな雄は情けない声を上げる。
そして、なぜか何事もなく朝食の時間になる。
こんなもどかしい関係を、二人はかれこれ三年間続けていたのだった。
二人は車に乗って彼らが通う川神学園に向かっていた。巴は手帳を見ながら隣に座る想い人に話しかける。旭は旭で、手帳を開きながら片手で裃姿の男の乳首を服越しに弄っていた。
「今日の予定はとりあえず入学式だな」
「昼の休憩からちょっと外に出たいんだけど、どうかしら」
「はいはい。議長殿は昼以降サボり、と」
「違うわよ。貴方が手を出してくれるなら一日中でもやぶさかじゃないけど」
「……」
「あら、もう今日は告白タイム終わりかしら?」
「押してダメなら引いてみろ、と昔の偉い人は言ってました」
「つれない。こんなに貴方の乳首は反応してるのに」
「してない。第一着物の上からでわかるわけないだろ」
「分かるわ。だって貴方のことだもの」
断言されながら潤んだ瞳の上目遣いで見上げられると、男はすっかり頬を赤くしてしまう。顔を上気させたまま、血走った目で巴は反撃を試みる。
「じゃ、じゃあ、こんな車の中で襲っちゃったりなんかして」
「はい、どうぞ」
事も無げに応じ、するするとスカートを上げようとする旭の手を慌てて止める。
「すいませんごめんなさい手を止めて下さい」
「もう、貴方から言い出したんじゃない。へたれね」
「んがっ……!」
言葉に詰まる巴に、旭は綺麗な黒髪をくるくると弄びながら余裕のある笑みと呆れた声色を向ける。
「焦らされてるのは貴方じゃなくて、私の方なのよ?」
「だぁから、その理由を教えてくれって」
「ふふふ、まだ秘密。時が来たらね」
またこれかと巴はうんざりする。
時が来たら。まだその時じゃないから。
この言葉で、いつも巴の告白は躱されていた。
(彼女が力をひた隠しにしているのと、なにか関係あるのかな)
相馬家は代々目が良いことで有名だった。子孫である巴にもしっかり継承されており、その目は旭の潜在能力を見抜いていた。それを幽斎に相談したところ、
『おお……素晴らしい。君は旭にとってよき試練になるかもしれない。これからもよろしく頼むよ、巴くん』
と言われ、たびたび旭の稽古相手になっていたのである。結局隠しているものを暴くことは出来ていなかったが。
何かヒントでもあれば、その時とやらを早めることが出来るかもしれないのに。
新三年の川神百代や、新二年の九鬼英雄。前者と後者では力の用途が自分のためか他人のためかという違いこそあれ、この学園では力を誇示するのが当たり前のような風潮がある。決闘システムなどその最たるものだろう。
しかし、隣にいる最上旭という少女はせいぜいが評議会議長として裏で学園を操るくらいで、存在感というものは皆無に近かった。テストでは毎回一位、しかもここまで見目麗しい顔立ちと美しい体形をしていて、ひけらかしていないとはいえ腕力という面でも学園トップクラスのはずなのに。
あの学長ですら強さを悟れず(しかも学長の好みらしい黒髪美人なのに)化かしているのだから、自分の想い人は動物で言えば狐だろう、と巴は一人ごちる。
「こんこん」
「うわっ、心を読むな」
「心? 今は読んでないけど」
「さ、さいですか」
旭は狐の影絵のような手の形で、冷や汗をかく巴の頬をつついていた。心ぐらい読もうと思えば読める、とでも言いたげな物言いだったが巴はあえて無視する。
和やかな時間を過ごしていると、巴の携帯の通知音が場の空気を乱す。
慣れた手つきで着信を取ると、案内係を快く引き受けてくれた新二年の直江大和から、異状ありません、逆に退屈なくらいですとの連絡が入った。
「旭さん、ちょっとお仕事入ったから行くわ」
「はい、いってらっしゃい。気を付けて」
異状ありません、は異状ありの報告なのだ。しかも巴に連絡が来るということは、荒事が想定される場合。
「よっこらせ」
二振りの刀、”月鏡”と”極楽蝶”を携え、巴はアクション映画のスタントのように走行中の車から飛び出す。転がったりすることもなく接地し、校門前に急いだ。
車の中に残された旭はと言うと。
「なんで私は巴みたいに携帯をうまく扱えないのかしら……」
ちょっと落ち込んでいた。
校門前に行くと、女顔をした細身の青年と制服を着慣れていない女子が一人。袋には入れているものの、巴と同じように帯刀していた。
「やっ。直江君。この子?」
「どうも、相馬先輩。連行よろしくお願いします」
「あっ、あのあのあのあの! 私怪しいものではなくてですね……」
サラリと伸びた黒髪と、豊かに実った大きな尻が特徴的な女の子は絶賛混乱中だった。
(ま、旭さんのほうが魅力的だけどね)
内心失礼なことを考えながら、テンパる女子の手を半ば無理やり巴は引っ張る。
「じゃ、こっち来てね、あとでまた名前聞くけどとりあえず今教えてもらえる?」
腕を引っ張られながらも重心がぶれない女子は、はきはきとはいかないまでもしっかりと名前を伝えた。
「まっ、黛由紀江ですっ!」
姓名を聞いて、正確には苗字の部分を聞いた時点で巴は足を止めていた。それに合わせて新入生は腕を振りほどく。由紀江の方にも、相馬巴の名に聞き覚えがあるようだった。
「……なるほど、剣聖黛大成殿の愛娘か」
「はい。それに貴方は、相馬……修羅、ですね」
修羅と呼ばれた男はそれを笑い飛ばす。
「ははは。修羅なんて継いじゃあいないよ。あれは親父の異名さ」
「……そのようですね。その二刀。相馬流は一刀流のはずですから」
たった二人が生み出す剣呑な雰囲気が辺りを包む。直江大和は冷や汗をかきつつも意外と平然としていた。
(いやあ、親が親なら娘も娘だ。かなりやり手だよ、この子。磨けば光るね)
(相馬……出来る限り触れるな、とお父様からも言われていたのに)
(なんなんだこの二人……姉さん曰く姉さん並に強いらしい先輩はともかく、この黛さんってのもそれクラスなのか……?)
一瞬の間に互いの命を刈ることが出来る間合いの中、ふと緊張を解いたのは巴の方だった。
「剣聖の娘さんってことは、その刀は国から許可貰ってるんだろ? じゃあ通っていいよ。呼び止めてごめんね」
「え……?」
由紀江は急に場の空気が弛緩したのを感じ取り、拍子抜けしたような気分になる。巴は事態が収拾したと判断し、手を振って校内に向かう。
「直江君、通報ありがと。誘導頑張ってね」
「今度は末端まで話通しておいてくださいな」
「分かった。借りイチにしとくよ」
「仕事だからいいですよ……と遠慮するのも変ですね。ありがたく頂きます」
「え? え? え?」
戸惑う一年生をよそに、したたかな二年生とひょうきんな三年生はそれぞれ持ち場に戻っていった。
黛由紀江は、入学式の会場に向かう道すがら相馬巴について思考する。
「あの余裕……斬りかかっても、一撃では倒せなかったでしょうね」
「それどころかオラ達勝てたかもわかんないぜー。引いてくれて良かったなまゆっち」
「そうですね松風。縁があればいつかお手合わせ願うこともあるでしょう」
「てゆーかあいつも刀持ってんじゃん。ちったあ融通効かしてくれよなー」
……馬の携帯ストラップ、松風と一人芝居出来るくらいには落ち着いていた。
入学式がつつがなく終わり、所変わって評議会室。後片付けの指示を一通り出し終えた巴は報告に来ていた。
「うーっす」
「相馬先輩! お疲れ様です!」
「ん、サンキュ」
入るなり、男子の後輩がコップを差し出してくる。中身はアイスコーヒー、シロップとミルクは一杯ずつ。巴は甘いものが好きだった。行儀よく正座して湯呑を口につけていたカリスマ議長から軽口が飛ぶ。
「いいご身分だし、舌が子供ね。巴」
「旭さん、からかうのはよしてくれ。いつもありがとうな、石動くん」
「いやもう、先輩方のためならなんでもしますよ!」
石動、と呼ばれた2-Sの生徒は空いたコップを下げると持ち場に戻っていった。
巴は旭の右斜め後ろに直立する。評議会での定位置だった。百八十を越す長身と厚い胸板に裃姿、しかも帯刀しているので威容を放っている。
謎多き評議会議長の懐刀。これが相馬巴の川神学園での立場である。議長よりも名前は知れ渡っていた。
ちなみに、個人資産から年に一億の寄付金を学園に入れているため裃を着ても許されている。
(まあ今更これ以外を着てもな)
という思いもあるにはあるが。
熱い茶を飲み終えた旭が、仕事が空いたと判断して右後ろに話しかける。
「ねえ、新入生が無事学友になったわけだけど……貴方は武士道プランって知ってる?」
武士道プラン、という胡乱な名前を聞いた巴は首を傾げた。
「いや、知らん。すまん」
「謝らなくていいのよ。そう、まだなのね」
「まさか、旭さんに関係あること?」
「ふふ。まだ、よ。私も気が逸っているわね」
いつも人を食ったような落ち着きのある彼女らしからぬ気の浮き方だ、と巴は観察する。話題を切り替えたほうがいいか、と思い今度は男から水を向けた。
「そういえば、昼からの用事ってなんなんだ?」
「お父様に外出許可を貰ったから、ちょっとお買い物。貴方も見繕ってね」
最上家は幽斎の方針により門限が厳しかった。それを旭自身が受け入れているので、巴は特に気にしていなかったが。
「服? 俺のセンスに期待しないでくれると助かる」
「いいわよ。おしゃれ用じゃないもの」
「もったいないなあ」
「じゃあ貴方のセンスでおしゃれ用も見繕ってもらおうかしら」
「……できらあ!」
「じゃあ決まりね。主税、あとはよろしく頼んだわよ」
指示を出された後輩は元気よく返事をしてから返答した。
「はい! 先輩方は準備に尽力いただきましたので、後は我々にお任せください!」
「ふふ、ありがとうね」
じゃあ行きましょうかと立とうとする旭の手を、巴はごく自然な動作で取る。呼吸を合わせて立ち上がり、並んで歩く姿はエスコートをする男とされる女の理想形とも言える光景だった。
「あの二人、お似合いよねえ……」
評議会員たちの熱っぽい視線が二人の背中に何条も突き刺さっていた。
そんな評議会公認カップルの二人は、親不孝通りに向かっていた。正確には、もう少し路地に入ったあたり。
俗に激安の殿堂と言われる場所に二人は入店する。旭は店内を迷いなく進み、エレベーターに乗る。三階に着くとさらに奥へずんずん進んでいった。
「……一応聞いておくが、ここは?」
「見ればわかるでしょう。コスプレコーナー……と、それに隣接したアダルトグッズコーナーよ」
「そういうことは聞いてないんだよ!」
「なら聞かなければ良いじゃない」
「ぐぬぬ……」
相馬巴は目の前の女性に一度も口で勝ったことがなかった。
「どれが良いかしら……女医、ナース、ミニスカポリス、制服……」
「いや、制服はコスプレじゃねえだろ」
コスプレとはコスチュームを着てプレイすることなので、厳密には巴の見解はお門違いである。しかし目の前に制服美人がいるので、思わず突っ込んでしまう。もちろん、ネタ的な意味で。
「あら、それは制服を着ているうちに私をものにするということかしら。ケダモノね。素敵よ」
唐突な罵倒と褒め言葉に、巴は男の誇りをかけて反撃を試みる。
「はっ。ここで押し倒してもいいんだよ」
「そう? ならどうぞ」
「ごめんなさいやめて下さいスカートをたくし上げないでください」
反撃失敗。
「へたれね」
「面目ない」
男は項垂れた。全く同じパターンの完全敗北だった。
無力感でいっぱいになった巴をよそに、旭はぽいぽいとカゴに商品を投げ込む。どう見ても要らないパーティグッズやダサいパーカーが積まれていく。
「このパーカー、どうかしら」
「俺は好きじゃない」
「そう。このちゃちな炎の装飾好きなんだけれど」
フードが長いのがいいのよ、という旭に巴はそうかと生返事を返した。
一通り入れ終わったところで、旭はおもむろに呟く。
「カモフラージュはこのくらいかしら」
カモフラージュ。偽装。この場合はデコイと言って差し支えないだろう。
旭が流麗な仕草で踵を返す。足が向いた先には、18に斜線が入ったのれんがあった。巴は慌てて肩を掴んで止める。
「待て待て待て待て」
「どうしたの?」
「もうちょっと考えてくれ!」
「考えたわよ。それに……」
薄笑いを浮かべ、のれんを潜りながら旭は禁忌に触れる。……主に世界のルールについて。
「私たち登場人物は、全て18歳以上よ?」
めくるめくピンク色の世界に行く想い人を止める手段は、男に無かった。
「ああ、満足したわ」
「へえ、そりゃよござんした」
どこかツヤツヤした女と、通常黄色い袋のところを黒い袋に変更してもらった荷物を持つやつれた男は、仲見世通りを歩いていた。旭が持つ買い食い用器に入ったきな粉餅は、あーんしながら巴の口に入っていく。
ちなみに、袋の重量には巴が選んだものも数点入っていた。選ばされた、と言ってもいいが。
「あの、旭さん」
「なあに、巴」
「これ持ち歩くのそこそこ恥ずかしいんだけど」
「いいじゃない、上には当たり障りないもの入れてるし。それとも、彼女にコンドームを裸で買わせて興奮する性癖でもあったかしら?」
巴は想像してみた。かなり興奮した。勃起もしていた。彼もまた変態である。お似合いカップルであった。
黒髪を軽快に靡かせて歩く華のある制服美人と、それに付き従う和服姿の武士然とした無骨な風貌の男。
そんな二人が往来を歩く姿は、なぜか注目を集めなかった。川神には変人が多いので、そのせいかもしれない。
通りを進んでいると、前方に女の子の人だかりが出来ていた。それを避けて通行しようとすると、塊の中心から二人は呼び止められる。
「おー。アキちゃん、相馬。デートか?」
着崩した制服、強気なつり目の瞳、唯我独尊な態度、特徴的にクロスした前髪やコシのある黒髪。そしてなにより、その鍛え上げられた体。
この町では知らぬものはおらず、世界でも名を知られた武神、川神百代であった。
「ええ百代。デートよ」
「だそうだ、じゃあな川神さん」
二人はそっけなく応じて、その場を去ろうとする。別に学校に行けば会えるし、何より入学時、学長川神鉄心直々に相馬巴に対して百代に近づくなと御触れが出されていた。
『相馬の。すまんのじゃが、百代との接触は出来る限り控えてくれんか』
波風を立てたくなかった巴はあっさりと了承した。旭が通う学校を退学になりたくなかったというのもあったし、二人がずっとSクラスにいたのもあまり巴側から積極的に関わらない理由の一つだった。
「つれないなー。相馬、どうだ? ひと勝負」
だが巴に強者の予感、というか確信を抱いていた百代は入学当初から会うたびに喧嘩をふっかけ続けた。こういうところがあのブルマ大好きじじい自ら百代に釘を刺した原因でもあるのだが。
曰く。
『モモ、お前は相馬の小倅と戦ってはいかん。あやつはまだ精神的にお前が戦って良い相手ではない』
こんなことを言われたら、燃え上がるのがわがまま武神であった。注意されてる以上大っぴらに決闘したりはしないが、こうして時たま誘うというのが習慣になっていたのである。
「ふっ。だが断る」
そして、拒否されるまでが一連の流れであった。
「なーんーでーだーよー! こんな美少女が頼んでるのに。なーアキちゃん」
「ダメよ百代。学長から言われているんでしょう?」
「ぶーぶー」
闘気ダダ漏れの武神は唇を尖らせていた。かと思うと、物憂げな表情を作り、か細い声で呟く。
「どこ探したってあんまりいないのにな、私と戦えるやつ」
それを聞いた巴は閉口する。強者ゆえの、あまりにも深い孤独だった。重くなった空気を打破すべく、男はなんとか口を開く。女の感情に振り回されるあたり、普通の男の子であった。
「ま、まあ気にすんなよ。学長の許可さえ出ればやれるんだか……」
ら、と言う前に、巴の目は視界の端に映った女子を捉えていた。
しめた、とこの場の退路を確保するために男は通りかかった女子を呼び止める。
「や、やあ黛さん」
「ひゃあうっ」
女子生徒とは、入寮時の手土産を買うため仲見世通りに来ていた由紀江だった。素っ頓狂な声を上げて、三人の三年生へ振り向く。あわわと嘆きながら、由紀江はるーと涙を流す。
「ああ……私の学生生活はここで終わってしまうんですね……」
「頑張れまゆっち! お前なら行ける! 先輩から話しかけてくれてんだぜ、ピンチはチャンス、だろ?」
「そ、そうですね松風。当たって砕けろ、ですよね。当たっても砕けるほど友達も、いませんし……」
「おーいまゆっち! なんで自分でダウナー入ってんだYO! オイラくらいしか応援できなくなっちまうぜ!」
ストラップと一人芝居を繰り広げる一年生を、三年生は三者三様の温かい眼差しで見つめていた。
「なんだ、この面白い生物」
「川神さん、後輩を生物とか言っちゃいけません」
「あら、あの子……強いわね」
旭の感想に巴は同意を、百代は推測を返す。
「ああ。結構強いと思うよ。新入生のあの子」
「黛……ってことは、黛十一段の娘さんか? なるほど。相馬みたいに帯刀してるわけだ」
そこまで発言してから、スススと百代は由紀江の後ろを取る。常人が見れば瞬間移動したようにも見えただろう。
「まーゆずみっ。もとい、まゆまゆ」
「はぅあっ!?」
モミモミ、と擬音がつきそうなほどに激しく、百代は見事な臀部を揉みしだく。
「可愛い尻してるなあ。どうだ? お姉さんとデートしないか?」
「ケツ揉みながらいきなりデート要求とか、コミュ力高すぎだぜこの武神……のわっ!?」
直接返答しない罰とばかりに馬型ストラップが由紀江の手から強奪される。
「なんだこの喋るストラップは」
「ああああの、それは松風と言いまして、九十九神が宿っていると言いますか私唯一の友人と言いますかなんと言いますか」
慌てながらも、由紀江は百代の手から松風を奪い取る。見事な速度と技量であった。おお、と百代が感心している間に、剣聖の娘は咳払いを一つしてからある意味自己紹介を始めた。
「松風、しなやかにご挨拶を」
「おーう! オラは高天原から来たまゆっち随一のマブダチ、松風だぜぃ。よろしくな、センパイたち」
微妙な空気が流れた。自分の自己紹介をすればいいのに、と巴は素直に思った。
「……俺も人のこと言えねえけどさ。キミ友達いないだろ」
「はぁうっ」
「うわ。相馬、それ真剣最低だぞ」
「いきなり後輩の尻を揉む女に言われたくない。言われたく、ない」
百代は中指を立てて巴に向けた。巴は親指で首を掻っ切るジェスチャーを送り返す。決闘の類をしたことがないとは言え、なんだかんだで仲良しな二人だった。
「女同士の軽いスキンシップだよー。ほらまゆまゆ、お姉さんたち、まゆまゆの自己紹介も聞きたいにゃーん」
「はわわわわ」
「百代。まずはこちらからと言うのが筋じゃないかしら」
旭の諫める言葉に、百代はすぐに納得した。制服の上着から抜いた腕を組むいつものポーズで由紀江に正対する。
「私は3-F、川神百代だ。武神とか呼ばれてる。好きな言葉は誠だ」
三年生二人がこれに続いた。
「俺は3-S、相馬巴。まあ俺は知ってるみたいだしいいだろ。川神さんに倣えば好きな言葉は信だな」
「私は3-S、最上旭よ。一応評議会議長をやっているわ。好きな言葉は……そうね。せ……」
隣に立つ巴が旭の制服の襟首を持ち上げた。性、の一字を口から放り出させないための処置だった。
「旭さん、それが言いたいだけだろ」
「ふふ。以心伝心で相思相愛ね、私たち」
巴は襟から指を離して、先輩の奇行に目を丸くした由紀江に向き直る。
「あー、黛さん気にしないでくれ。今度は黛さんのことも聞かせてもらえる?」
名前を呼ばれた由紀江はビクンと反応して直立した。
「は、はいっ! わわ私は黛由紀江と言いまして、一応剣を嗜んでおります。好きな言葉は礼でひゅっ」
(……噛んだな、まゆまゆ)
(……噛んだな)
(……噛んだわね)
「うう、先輩方の温かい視線が痛いです」
「自己紹介が出来たんだし全然オーケーだぜまゆっち! 押せ押せで行けば、ファーストフレンド……出来んじゃね?」
「そ、そうですよね松風。よし。すー、はー、すー、はー……」
自分で自分を励ましていた。
「なあ相馬、この子ほんとに強いのか?」
「剣聖のお墨付きは出てるらしいよ。私を凌ぐ才を持ってるってさ。身内贔屓もあるかもしれんが、そういうことをする人じゃないしな」
「へえ……」
不穏な空気が百代から漏れ出る。戦う気マンマンだった。巴は元々身代わりにするつもりだった由紀江に、少し同情の念が出てきていた。
巴は横に立ったまま存在感を消していた旭に耳打ちする。
「参ったな……旭さん、門限大丈夫?」
「服、買いに行けなくなるわね。でもいいわ」
「……ごめん、埋め合わせは今度するからさ」
「約束よ」
よし、と巴は一つ気合を入れた。
「なあ黛さん。急に声かけたお詫びと言っちゃなんだけど、四人で仲吉にでも行かないか?」
仲吉とは仲見世通りの終点にある店であり、川神院のすぐ近くにあるくず餅の老舗である。
「あそこなら学長の目も届くし。奢るからさ」
「ほんとか!?」
羽振りのいい提案に食いついたのは百代であった。
「川神さんは今日戦わないって約束するなら奢る」
「なんだよ私の分までじゃないのかよー! ……どーせじじいもいるしな。いいだろう、その話乗った!」
「わわわ私が同席してもよろしいのでしょうか」
「新入生歓迎ってことで、ここは一つ先輩の顔立ててくれや」
「……もう、甘い人ね」
呆れたように旭はぼやく。しかし巴を見つめる瞳は優しげだった。
結局その日は四人で、百代の舎弟や風間ファミリーの話、その風間ファミリーが多く所属する島津寮に由紀江が入ることなど、菓子をつつきながら取り止めもない話をしてそれぞれ帰路についた。
ちなみに支払いは調子に乗った百代が頼みまくって一万円を超え、金銭感覚のおかしい巴は払おうとしたが川神院の長に止められた。
「まったく、こういう意味で付き合いを遠慮しておけと言ったわけではないぞい」
百代への物理的な雷と同時に降り注いだ、川神鉄心翁のありがたいお説教であった。
二人が帰宅し、二人で風呂に入って三人で夕飯を食べた後。旭は巴の部屋で逞しい体にじゃれついていた。部屋用のジャージに着替えている巴は、すっぽりと旭を抱え込んだ体勢で勉強している。
「ねえ、巴」
「な、なに、旭さん」
見上げながら、最上家のお嬢様は男の顎や耳の後ろを指でくすぐる。今日買ったピンク色の道具類が活躍するのは当分先のことのようだった。
「今日、泊まってもいいかしら」
「ぶっ……」
男は思わず咳き込む。さらさらした手触りの黒髪が青年の体をくすぐっていて敏感になっていたのも原因であった。
「な、なんでまた急に」
「だって貴方、黒髪好きでしょう」
「うぐっ」
「黒髪で、清楚で、所作が上品で、剣の腕が立って、意外と骨盤がしっかりしてて、料理が上手な子が好きでしょう」
「うぐぐぐぐっ」
全て旭にも当てはまっているが、由紀江のことを当てこすられていると男は理解する。料理の話になると熱が入って、優しい甘さに夢中でいながら美しい動作で和菓子を食していた後輩女子。
「つまり、他の女子に優しくした俺に妬いてくれてる、と」
「ええそうね。正直、嫉妬したわ」
「……可愛いなあ」
抱きすくめたまま、旭のアシメの前髪を指でいじる。そのまま節くれた指は流れていき、止まることなく毛先まで通り抜ける。
細い体に巻きつけた腕の力を強くして、確かな熱を持った声で巴は旭に告げる。
「俺はいつまでも、君のものだよ」
月が、太陽に照らされて空に輝く月たりえるように。
「ええ、貴方は私のものよ。相馬巴」
二人は切っても切り離せない、そんな関係だった。
相馬巴と最上旭の長い一年が、始まる。
追記:二人とも童貞と処女です。悪しからず。