真剣で旭に恋しなさい!〜月鏡、朝日に照らされて〜 作:夢迷月
2009年 6月 11日
巴と旭の二人が朝から主に職員室、事務室を往復していた時のこと。巴が難しい顔をしていきなり立ち止まった。
「……むむっ」
「どうかした? 巴」
「なんか、嫌な気配がする」
言いようのない不安感がべったりと張り付くような感触を、巴は拙い語彙力で言語化した。そんな男の背中を旭はポンと叩く。
「貴方の勘はよく当たるけれど、今気にしても仕方なさそうじゃない?」
「それは、そうだな」
「はい、じゃあこれ持って。次は学長室に最後の決済印行くわよ」
了解、と応じて巴は颯爽と肩で風を切る背中についていった。
二人は学長室の前に立ち、ノックを4回した。
「失礼します、学長。3年S組の最上旭です」
「同じく相馬巴です」
「……ご、ゴホン。入ってよいぞ」
許可を得て入った二人が見たのは、プリントを見てニヤニヤしている気持ち悪いジジイの姿だった。
「むほほ。たまらんわい」
「……何見てるんすか」
「転入生じゃよ。最近多いのう」
「本当ですね。学長、生徒指導の先生からの審査書類を確認いただいてから、こちらの書類に判子いただけますか?」
巴が持った荷物から旭が必要なものをピックアップして学長に提出していく。鉄心はパラパラと見てからすぐに印を押した。
「ホホ。旭ちゃんの頼みならすぐ押してやるぞい。歓迎会というのも面白そうじゃしの」
「素敵です学長。それでは」
そそくさと帰ろうとする評議会議長を、学長は呼び止める。
「良い茶葉があるんじゃ。お茶でもせんか、旭ちゃん」
「……死ね、セクハラじじい」
「相馬、お主には言っとらんわい!」
「折角のお誘いですが、回るところが残ってますので失礼させていただきます。また今度機会がありましたらよろしくお願いしますね」
物腰柔らかく丁重に断った旭は巴の裃の袖をついと引っ張る。余計なことを言うなとでも言いたげだった。
「ほーら旭ちゃんもまんざらでもなさそうではないか!」
「……へえへえ、失礼しました学長殿」
「では失礼します。学長も良ければ歓迎会に顔を出していただけると、皆喜ぶと思います」
大人気ないしわくちゃの老人に、旭は大人の対応を見せながら退室した。一緒に外へ出た巴は無性に中指を立てたかった。最近中指も親指もジェスチャー用に使っていなかったな、と男は思い出した。
廊下を歩きながら、二人はとりとめもなく会話する。
「巴、転入生は女の子みたいよ」
「見たの?」
「机に近づいたときバッチリ。貴方や学長好みな黒髪美人だったわ。良かったわね」
あのセクハラじじいと女の好みが一緒なことに普段から遺憾の意を覚えている巴は一瞬言葉を詰まらせたが、明瞭に返答した。
「俺が好きなのは、旭さんだから」
「私、由紀江、百代」
列挙された名前に、巴はすぐに反論した。
「待った。由紀江さんはともかく、川神さんは関係なくない?」
「そう? あなた結構百代のことお気に入りでしょう」
「お気に入りったって、ただ絡まれてるから返してるだけだよ」
「向こうもあなたのこと、気にしてると思うわ」
「ないない。あるとしても闘いたいからで……あ」
そういえば、と巴は思い出す。隣を歩く男の不審な様子を旭は問い質す。
「どうかした?」
「今度土日どっちかで、また川神院行くかも。参ったな、さっき学長に言っとけばよかった」
「……なるほど、百代と組手するのに許可がいるんでしょう。今から戻りましょうか」
「いや、いいよ。ほら」
巴が旭の申し出を断ると、予鈴が鳴る。にわかに学内が慌ただしい雰囲気に包まれ始めた。
「私たちも教室に行きましょうか」
「だね。遅刻してもよくない」
評議会議長とその懐刀は、優等生らしく歩いて3-Sの教室に向かった。
3-Sのいつものようにすぐ終わるホームルームを過ぎ、巴が姉妹全穴制覇と書かれた本を手に取ると、隣の教室からやたらテンションの高い武神の声が響く。
「超絶美少女きたーーーーー!!!」
巴はうるせえなと思いながらも、仲間になりたくないのでそれを口にすることはしない。大方学長が言っていた転校生だろう、と思って読書を始めようとすると、隣のクラスからぞろぞろと人が移動する音が聞こえてきた。
気配を探ると、グラウンドに向かっているようだった。そこから騒ぐような声が聞こえ出し、クラスの数名が窓際に向かうのを見てから巴も続いた。
そして、グラウンドに並ぶ二つの影を見た時。
ゾクリと悪寒が走った。吹き出した冷や汗が筋肉の詰まった巴の背中を伝う。
「……なんだ、アレ」
「あら、あの子よ。転入生」
影の一つは、武神川神百代。鬱陶しいほどの闘気を身に纏って、嬉しそうにしながら正面に立つ相手を見つめている。
そしてもう一人、均整の取れた肉体に、切りそろえた黒髪を後ろに少し流したような髪型。人懐こそうな、ともすれば童顔と呼べるほど可愛げのある表情は、百人が見て百人が美少女と評するような容貌の女子。腰には銃を入れるホルスターのようなものを何個かベルトにして付けていた。
巴は固唾を飲み込む。あれは触れてはいけないタイプの人種だ、と本能が警鐘をガンガンと打ち鳴らしていた。
「決闘……じゃないわね。アナウンスがないから」
「……ああ、そうだね」
「あんなにいっぱい武器持ち出して、全部使うつもりかしら?」
校庭にズラリと並べられたレプリカたちを眺めての旭の問いかけに、今度は生返事すら返せない。その間に、百代と転入生の稽古が始まった。
百代は初撃として必殺のストレート……川神流無双正拳突きを出したが、転入生はそれをなんなくいなして蹴りを叩き込む。たった一度のやり取りだったが、あの武神に無謀にも勝負を挑むほどの自信を裏付ける一撃だった。
転入生はヌンチャクに始まり、薙刀や三節棍といった多彩な武器で百代に躍りかかる。どれもそれなりの出来ではあったが、武神を倒すには到底至らないという程度の武芸だった。
日本刀の使い方がなっていないと思いつつも、巴は正体不明の女子から恐怖で目が離せなかった。
(武芸百般、ってわけじゃない。あの、何が有効か探るような戦い方)
彼は実戦の中でそういう相手に何度か遭遇したことがある。
(あれは、奥の手があって……しかも、自分の弱さを自覚してる奴の戦い方だ)
そして―――巴自身と似たタイプの戦士だった。
守りながら、耐えながら、時には攻めて勝機を手繰り寄せる。その機を逃さないための奥の手を持っている。
だから、コロコロと手を替え品を替える軸がなさそうな戦法自体に実は芯がある。即ち、勝利こそ全て。
「嫌なタイプだ」
吐き捨てるような声色でぼそりと呟くと、いつの間にか横にいた女子から声がかかる。
「そうなの? でも可愛い系だよね、あの人」
「どわっ」
「わわわ、そんなに驚かれると思わなかった。ごめんね、相馬くん」
3-Sの花、葉桜清楚が話しかけたことに巴はいっそ大袈裟なほど驚いて見せた。旭が呆れたような声色で付き人をからかう。
「大丈夫よ清楚。巴は黒髪ならなんでもイケるから」
「フォローになってない!」
「あはは。なら私もいけちゃったりして」
「いや、それはない」
巴が断言すると、冗談を言っただけの清楚はしょんぼりして指をつんつんと胸の前で合わせた。
「そんなに言わなくてもいいのに」
「ああ、いや、ごめん。葉桜さんはちょっと、強すぎて怖いと言うか、今も後ろとられても気付かなかったし」
萎んでしまった女子の様子に巴は大いに慌てた。情けない男だった。
「むっ、だから、私は全然強くないって……あ」
男の物言いに清楚が反論しようとしたところで、二人の決闘もどきは終わったようだった。視線と声援が自然とそこに集まる。
転入生はルー先生からマイクを貰い、ウィンクを一つしてからこう宣言した。巴は見えていたが、この距離でしても意味ねえだろと思った。
「どもども、声援ありがとうございますっ。京都から来た、松永燕ですっ! これからよろしくっ!」
紋白のような天真爛漫さではなく、一子や義経のような無邪気さでもない、計算づくの愛らしさ満載な挨拶を巴は冷めた目で見ていた。最初に警戒心を抱いていなければ、自分も騙されていただろうと男は自戒する。
自己紹介は続き、そのうちに腰の収納から燕はなにかを取り出した。巴はこの距離からでも文字が見えたので、思わず読み上げてしまう。
「……粘れ、松永納豆?」
「私が川神さん相手に粘れたのは、この松永納豆のおかげなのですっ!!! 私はいっぱい試食品を持ってますので、興味ある方は皆さんぜひぜひ、この松永燕ちゃんまで!」
美少女の力説に、おおと学校中から感嘆の声が漏れる。巴はずっこけた。
「宣伝のためにやってたのかよ……」
力が抜けた男に、清楚美少女が怪訝そうに話しかける。
「もしかして相馬くん、あの文字見えたの? 凄いね、与一くんみたい」
「一応。目だけはいいからさ」
「いや、目が良いからで見える距離ではないだろう、相馬」
彦一のツッコミに、へらへらと巴は応じる。
「俺は弓兵ってわけじゃないけど、目が良いと何かと助かるんだよ。例えば悪女に騙されないとか」
「あら、私には騙され通しだけどね」
「旭さんにだけは騙されてもいいよ」
想い人からのちょっかいも受け流すことが出来た……要らない言葉つきで。
「どう? 今のいい男ポイント高くない? 付き合おうよ」
「ふふ。言わなかったら完璧だったわ。だぁめ」
「はい……」
所詮一瞬で評価を覆されるに足る、ダメな男だった。このやり取りを初めて見た清楚は驚いて言葉を失い、見慣れている彦一は薄く笑っていた。
放課後。
「えーっと、次は多目的ホールに直接行って……いや、その前に直江くんに……」
巴は旭と別行動で駆けずり回っていた。大和を探しているのは、昼休みに気を探ってプールに居ることは確認できたがあの松永燕と一緒にいたので会うのを避けていたからである。ちなみに転入生の美少女はわざわざ気配を消す周到ぶりを見せていた。
相馬巴の中で、松永燕は警戒レベル最大の相手になっていた。出来れば近づかない。近づいてきたら愛想はよく、そして関わらず。人当たりの良さは、短い人生の中で培った処世術だった。
「今直江くんは……由紀江さんと一緒か」
あの清らかな闘気を感じた巴はいくらか癒されて、和んだ。彼が黛流の人間を気に入っている理由の一つでもあった。
接近する裃姿の上級生に初めに気付いたのは直江大和だった。続いて由紀江、紋白、同席していた大和田伊予の順に先輩の方を向いた。
「相馬先輩、こんにちは」
「こんにちは直江君」
「おお、相馬ではないか!」
「こっ、こんにちは、相馬先輩!」
「ん、どうも由紀江さん。そっちは大和田さん、だっけ」
「はい。初めまして、大和田伊予です。まゆっちから先輩の話はよく聞いてます」
弁当対決の時覗いていたよね、とは話が面倒になりそうなので言わなかった。
「ははは。なんて言われてるか気になるなあ。悪口?」
「全然違いますよー。むしろのろ……」
「わー! わー!」
「伊予坊、それ以上は言っちゃならない領域だぜ……」
由紀江は顔を真っ赤にして親友の口を塞ぎながら、松風を喋らせていた。器用だなあ、と思いながら巴は本来の要件を済ませようとする。
「直江くん、これ集金の目安。見積書とか、学校から借りられる物品の一覧もあるからそっちも見といて」
「ありがとうございます。どれくらい集まりそうですか?」
ざっくりと丼勘定した値を見せると、歓迎会の幹事はにやりとした。
「……うん、これならなんとかなりそうだ。ありがとうございます先輩」
「フハハ! 相馬は武力だけでなく知力もあるのだな!」
紋白の賞賛を、巴は丁寧に否定した。
「いんや、やったの殆ど旭さんですし。俺はほら、足使って人集めてるだけですよ紋様」
事実、巴がやっていることと言えばほぼ使い走りだけであった。だが、更なる賞賛で謙遜は打ち消される。
「では知力というところは修正しよう。だが、いくら頭が優秀でも人体とは血液が無ければ動くことは出来んのだ。組織の中で人間を滞りなく循環させられるそなたは間違いなく優秀だぞ。今九鬼の傘下にいなければなにをおいてもスカウトしているところだ」
「……これはどうも、ありがとうございます」
「フハハ! ヒュームからもお前は評価が高いしな! 信頼しておるぞ、相馬」
染み渡るような言葉に巴はついお礼を言ってしまった。これがカリスマか、と思わせる人間的な魅力があった。
それから、大和が指示を出すべく多目的ホールに向かうのに巴もついていった。道すがら、由紀江の友人である伊予に話しかけられる。
「相馬先輩。つかぬ事を伺いますが野球はお好きですか?」
野球という言葉を聞いて巴は苦い記憶を思い出した。
「野球は、苦手だ」
少し顔をしかめた三年生に、伊予は怯みつつも話し続ける。
「に、苦手なんですね。ちなみに、理由とかって聞いても」
「あれは俺が一年生の時の話だ……」
川神ボール―――野球とほぼ一緒のルールだが、ボールを持った人間やバッター、ランナーへの直接攻撃がアリというとんでもないルールの体育祭種目でのお話。メンバーが控え含めて14人である事をことわってから巴は懐かしむように話し始めた。
「頼みこまれて出た俺はファーストに入り、正面からボディブローを6発打って6人倒した。定員割れでも続くルールだったけど、さすがに相手が試合放棄した。学長には怒られた」
「なんでこのバケモノ放し飼いになってんだろうね……」
松風はツッコみ、他の人間はドン引きしていた。いち早く混乱から抜けた大和が会話を続ける。
「それ野球が苦手とかそういう次元の話じゃないですよね……ていうか先輩、結構やりたい放題やってません?」
「一年はそれと決闘禁止令が出された時ぐらい、二年の体育祭でFクラスとやった陣取り合戦では川神さんに付きっきりだったからそんなにやりたい放題はやってない……つもり、なんだけどなあ」
どこで間違ったのかなあと本気で悩む仕草を見せる巴は、間違いなく川神学園の生徒らしい愉快で馬鹿な先輩だった。
馬鹿のアホらしい話が一区切りついたところで到着した歓迎会の会場では、様々な人間が忙しなく動いている。ホールに入ってきた巴たちを、まず彦一と清楚が見つけた。
「呼んでおいて待たせるとは、良い身分だな相馬。それで書いて欲しい文字はなんだ」
「可愛い後輩の歓迎会だからね。私も頑張るよ」
「ありがと京極くん、葉桜さん。じゃ直江くん、指示出し宜しく」
「任されました」
頼れる後輩に指示は任せて、巴は動くことに専念した。
翌日、主賓たちがなかなか来ないというハプニングに見舞われながらも、義経たちの歓迎会は無事に執り行われた。
そしてその日の夕方。最上旭はごく短い時間ではあったが、巴の近くから姿を消していた。誰もそのことを指摘する人間はいなかったが。
先ほど自分が倒した、西方十勇士にも数えられる太ましい女子を背に一人河原を歩く彼女は、いつか買ったフードの長いパーカーに、女性陸上選手のようなセパレートのトップスと長めのスパッツを着ていて、その全てにちゃちな炎の装飾が付いていた。
「……正体を明かすまで、もう少し。他流と戦って調整しておかないと。待っててね、源義経」
フードの中で、旭は喜悦に満ちた笑みを浮かべる。だが、ふと思い当たったことに足を止めて顎に手を当てた。
「ああ、そうだ。巴にも言う覚悟をしておかないと」
再び歩き始めた足取りは、羽のように軽く。
「―――ようやく夜明けの時が来た、ってね」
上機嫌の黒髪美人は、自分の道を歩み始めた。
歓迎会全カットすると思わなかった。