真剣で旭に恋しなさい!〜月鏡、朝日に照らされて〜   作:夢迷月

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第二話

 

 

「うー……ん……」

 相馬巴はこの世の終わりのようなうめき声を上げながらうなされていた。

 見ていたのは、修羅殺し。父殺しの記憶だった。

 川神院総代川神鉄心、剣聖黛大成、天神館館長鍋島正、その他壁越えの強者たちをして、殺人剣である相馬流、及び相馬巴に関わるのは避けろと断じられることになる事件。

 しかし、巴の中では一つの誇らしい勲章でもあった。

 この世でたった一人と定めた女を、守ることが出来た戦いだったからだ。

 後悔はなかった。父を殺さなければ、自分と運命の女、まああとついでにその父親も死んでいた。

 それでも、こうして時々うなされるのは……きっと、彼にとって無視できない傷だったからだろう。

 だから、こうして。

 そのたった一人の女、最上旭をかき抱いて相馬巴は眠っていた。

 あなたしか自分にはいないんだ、と伝えるように強く、強く。

 

 2009年 4月 20日

 

 早朝。

「巴、起きなさい」

「はいっ!」

「ふふ、いいお返事ね。はいお手」

「はいっ!」

「ほんとに起きてる?」

「はいっ!」

「……もう慣れたけどこれ、寝てるのよね」

 黒髪ロングの美人、旭は溜息をつく。無意識で返事と犬の芸をする自分のお側役のことは可愛いと思っていたが、これは人間として大丈夫なのかとも思い始めた。

 先ほどから元気よく返事している巴だが、これは幼少からの教育の賜物で睡眠中も即応体勢をとっているから出来る芸当だった。

「寝なさい」

「はいっ! ……むにゃむにゃ」

「そして、だーいぶっ♪」

 ぽすっと軽い音を立てて、旭は横になった巴の胸に飛び込む。布団を被り、体を密着させた。

 すると、華奢な体を太い腕がすぐさま包む。確かな筋肉の感触を旭は頼もしく、気持ち良いものだと感じてさらに密着する。

「……あき……」

 寝言で名前を呟き、腕の力を強くする。そんな巴を、旭は本心から愛おしく思っていた。

 普段の起床時間から一時間過ぎた辺りで、相馬巴は目を覚ます。寝ぼけ眼を無理やり開けながら、目の前に居た想い人に朝の挨拶をした。

「……んー、おはよう、旭さん」

「おはよう、巴」

 お互いに挨拶をしてから、巴は頭上の目覚ましに目を向ける。

「……あ」

 起床時間を大幅に過ぎていたのを知った男は、腕の中で股間を弄ぶ女の脳天にチョップを落とした。

「あう……ちょっと痛いわ」

「俺も悪いが、旭さんも悪い。旭さんが一緒に寝てたら寝過ごすって知ってるくせに」

 安心感があるとでも言えばいいのか、旭が布団に潜り込んだ日は巴は朝の修練の時間を潰して寝るのがいつものことになっている。その分は夜に回していた。

「巴は私の体に溺れて寝過ごすのね……」

「言葉の意図通り溺れたいので付き合ってください」

「だ、め」

「だめなんじゃん……」

 ぐだぐだしていた。

 二人は揃って寝床から出て、朝食を食べにリビングへ。

 そこには、湯気が立つカップを傾けてコーヒーを飲みながら新聞を読む実業家、最上幽斎がいた。

「おはようございます、幽斎さん」

「おはよう、お父様」

「おはよう、旭、巴くん」

 満面の笑みで二人を出迎えた幽斎は、席に着くように促す。

 三人で手を合わせ、命をいただくことに感謝を述べながら穏やかな朝食の時間が始まった。

 メニューはメインが鴨肉のソテー。朝から食べるには重めとも思える品だったが、三人は意に介さず口に運ぶ。野趣溢れる油の味わいと肉の歯応えが絶品の一皿だった。

 鴨肉でご飯を一杯半、野菜に付け合わせのソースを絡めて残り半分、汁物で箸を休めて、漬物類でまた一杯。

「ふふふ。旭も巴くんも健啖家だねえ。実に結構」

 こちらは小さめの茶碗一杯でご飯は打ち止めにした幽斎が、子供二人の食事を慈愛の目で見つめていた。

 また三人で手を合わせて、感謝を口にする。

 ナプキンで口の油を拭い、旭は立ち上がる。歯を磨くために洗面所に向かおうとする娘を父親は呼び止める。

「おや、もう行くのかい? 旭」

「ええお父様。今日はドイツから留学生が来るんですって」

「ほう。それは素晴らしい。慣れない国、慣れない風土はその子にとってよき試練になるだろう」

 うんうんと頷きながら、人が苦労するのを心底心待ちにする人間、それが最上幽斎であった。それだけなら良いが、この人間は自分を神かなにかだと思っている節があり、自分で問題を作り出してまで相手に難局を与えることに喜びを感じる、厄介な人物なのである。

「巴くん、旭のことを頼んだよ」

「……了解です」

 端的に言って、巴は幽斎のことが苦手だった。

 

 

 

 

 

 堅牢な車体と性能の良いエンジンやスプリング、加えて腕の良いドライバーのおかげでほとんど揺れることのない居心地の良い車内で、巴と旭の二人は和んでいた。

 男の乳首をいじりながらしなだれかかっていた旭は不満そうな声を漏らす。

「今日の朝は少し残念だったわ」

「何が」

「鴨、自分で捌きたかったのに」

 随分スプラッタな発言だが、旭だけでなく巴も手ずから獣肉を処理して食べるというのは当たり前の行為だったので、不思議に思う人間はこの空間に居なかった。

「じゃあ俺のとこに潜り込まなきゃよかったのに」

「貴方の温もりが恋しかったのよ」

「俺とお付き合いしてくれるってこと?」

「ふふ。まだダメ。お突き合いならいいけれど」

「違いがわかる自分が憎い……」

 男は肩を落とした。

「っていうか突き合いってなんだよ!」

「もちろん、貴方のアナに私が」

「あーあー聞きたくなーい!」

 そして、何事もなく学校に着く。多摩大橋では人が飛んでいた。川神市のいつもの光景だった。

 

 

 

 

 3-S、特進クラスのホームルーム……とは言っても二つ三つの連絡事項を手早く伝えたらあとは自習時間になっていた時間。こういう時間の使い方が合否を分ける、とは担任の言である。

「……」

 巴は無言で本を読んでいた。旭に貸し出された官能小説である。クリーム色の紙に黒い文字が踊り、ただそれだけで脳をピンク色に染め上げる魔力を持った文章を男は学び舎で堪能していた。内容は温泉の女将が金持ちに身請けされる話だった。

「相馬、何を読んでいるんだ」

「官能小説」

「そうか」

 巴が着ているのとはまた違う趣の和服を着用した美男子、京極彦一が話しかけてきたのを、巴はすげなく返す。学園のイケメン四天王、エレガンテ・クワットロと呼ばれていた。正直ダサいなと巴は思っている。

「随分グラウンドが騒がしいので、声をかけた次第だ。お前は読書していると周りを遮断するからな」

「京極くんはいつも人間見てるもんな。さて……」

 せっかく話しかけられたのだ、件のグラウンドを見てみようと巴は席を立つ。いつの間にかクラスの半分くらいが窓に張り付いていて、勉強しているもう半分はそれをうざったそうにしていた。

「どれどれ……あれが留学生か。入学早々決闘とは、災難な」

 ぶつかり合う二人に視線が向けられる。薙刀を振るう赤髪の女子は川神百代の妹、川神一子。レイピアを構える金髪の女子はドイツからの留学生、クリスティアーネ・フリードリヒである。

「留学生の方は先ほど馬で登校してな。派手な登場だった」

「ふーん……」

 武器を合わせる二人を、巴は文字通り見下していた。それを彦一は見咎める。

「相馬。たまにそういう目をしているが、控えたほうがいいぞ」

「あいあい」

 友人の言葉に、手をひらひらさせて席に帰ることで巴は返答する。

「決着まで見なくていいのか?」

「いいよ。どうせ金髪の子の方が勝つし。勝てないなら重りなんて付けなきゃいいのに」

 彦一が視線を戻したグラウンドでは、距離を空けた一子がクリスに向かって足を狙う技を繰り出したが、返しの刺突を喰らって負けを宣告されていた。

 地団駄を踏み、着用していたものを外したところで学長が一子を諌める。

「よく見えていたな相馬。ほんとに一子くんは重りをつけていたらしいぞ」

「全力でやってても勝てたかは分からないけどね。勝てない勝負は、するべきじゃないよ」

 悟ったような巴の冷たい言葉を聞いた彦一は、ふっと相好を崩す。

「そうだな。勝てない勝負はするべきじゃない。君の最上くんへの告白のように」

「んがっ……」

 見事なカウンターを喰らって、巴は悶絶した。

「何が勝てない勝負だよ! もう少しでなあ」

「静かにしたまえ。もう皆自習しているよ」

「ぐぬぬ……」

「……ふふ」

 憤懣やるかたないといった様子で、巴は自分の席で官能小説の続きを読み始めた。そんな情けない様子を見て、旭は密かに笑っていた。

 

 

 

 

 相馬巴は、二人の決闘を正しく見下していた。二人とも自分より弱いから、ではない。川神一子が弱かったから、である。

 巴自身は詳しく事情を知らないが、その眼力で一子には才能がないことを見抜いていた。姉である百代に比べてではなく、絶対的に不足している。川神院の師範代になりたいらしいというのを百代から聞いていたが、そりゃ無理だろうと思っていた。

 川神院元師範代、釈迦堂刑部とも巴は仕事したことがある。彼は才能があったが、基礎鍛錬を怠っていて精神と肉体を腐らせていた。

 川神百代は学年が同じこともあり、巴に何度も勝負をふっかけてきていた。彼女は体はあっても、技は洗練されておらず、戦闘衝動を抑えきれない心は未熟そのものだった。

 二人には才能があった。でも既に腐っていたり、腐りかけていた。

(川神院って、ぶっちゃけ指導能力ないよな)

 相馬巴は川神院に対して印象が悪かった。

 そして青年の中の悪印象を決定付けているのが、川神一子という存在である。

 確かに、目標に向かってひたむきに努力することは素晴らしいのかもしれない。

 だが、それが絶対に叶わないと知っているなら、別の道を模索させるのが指導ではないのか。

 頑張れ、やれば出来るは才能のある人間にしか言ってはいけないし、川神院はその才能のある人間も腐らせている。

 川神院は強さの純度を保つために日々努力しているらしい。

 だったらちゃんと育成するべき人間を見分けろよ、というのが巴の意見だった。

 川神院が、一子を師範代クラスまで育成できるならここまで悪印象は持っていないだろう。釈迦堂や百代の心を教えから離れさせていなければ、川神院の理念は素晴らしいものだと思っていただろう。

 だが、何を言っても弱ければ死ぬ。このシンプルな論理の中で生きてきた巴にとって、川神院のある種矛盾した育成方針は明確に嫌いだった。

 まあ、人を頭っから殺人者扱いして孫娘との接触を控えさせた、あの黒髪とブルマ大好きセクハラジジイがあまり好きではないという要素もあるにはあったが。

 根本的な部分で、相馬巴はクズと呼ばれていい人間だった。

 

 

 

 

 放課後。荷物をまとめて旭と評議会室に行こうとした巴は三年廊下で後輩に呼び止められた。

「旭さん、先行ってて」

 耳に口を寄せて一言囁いてから、巴は後輩、直江大和に向き直る。

「呼び止めてしまってすみません、こんにちは相馬先輩」

「おお……! サムライ! ほんとにサムライがいるぞ大和!」

「こんにちは、直江くん。そちらは留学生の子かな?」

 巴は感激した様子の金髪女子、クリスの名前を知っていたが、あえて知らない体を装って話しかける。

「はい先輩! 自分はクリスティアーネ・フリードリヒと言います!」

「そうか。俺は相馬巴。よろしくね、フリードリヒさん」

「三年生に侍みたいな人がいるって言ったら、こっちのクリスが見てみたいって言ってたんで連れてきちゃいました」

「なるほど」

 大和と受け答えしながら巴が差し出した右手を、クリスは大喜びしながら両手で包んでいた。裃姿で帯刀した出で立ちの男は、確かにどこからどう見ても侍ではあった。

「先輩、腰に指しているのは武士の魂というやつですね!」

 巴はよくわかっていなかったが取り敢えず相槌を返す。ノリが悪い男ではなかった。

「……? まあそうだね」

「あの、ドイツの父に写真を送りたいので撮ってもいいですか!?」

「……」

「あ、あの……ダメでしたか……?」

 巴は顎に手を当てて少し迷った。写真を撮られるということに抵抗があったからだが後輩の、しかも日本に来たばかりな留学生の不安そうな視線に先輩は折れた。女には甘い男だった。

「いいよ。これでいいかな」

 だが巴が刀、月鏡に手を伸ばした瞬間。学校中の鳥が飛び立ち、クリスは固まっていた大和を突き飛ばしながら大きく飛び退いた。

「うわっ!?」

「……っ!?」

「あ」

 一瞬だけ、殺気が漏れ出ていた。

 巴はごめーんね、と頭に拳を当てて舌を出して見せた。気持ち悪いし、場は和まなかった。大失敗だった。

 ガラガラと3-Fの扉が勢いよく開く。武神川神百代が獰猛な笑みを浮かべて廊下に出てきた。

「相馬、やる気になったのか!?」

「わり、事故事故。俺も精神修養が足りない」

「なんだ、つまんないの……って大和、無事か?」

「いてて……大丈夫だよ、姉さん」

「す、すまん大和。つい体が反応してしまって」

 突き飛ばしたクリスと百代が、細身の男子を抱え上げる。

「悪かったね、直江くん、フリードリヒさん」

「大丈夫です、姉さんで慣れてますから」

「んー? 生意気なこと言う口はこれかなー?」

「いふぁいいふぁい、ひゃめふぇねえふぁん」

 大和は百代に頬を引っ張られている。クリスは巴に返答せず、難しい顔をしていた。

「フリードリヒさん、大丈夫?」

「あ、ああ、すみません。先輩。少し気になってしまって」

「答えられる範囲なら答えられるよ。今迷惑かけちゃったしね」

「そうですか。では……」

 咳払いを一つしたクリスから、純度100%の疑問が投げかけられた。

「武神MOMOYO先輩と、相馬先輩、どちらが強いんですか?」

 パチン、と音が鳴った。直江大和の頬が元に戻った音だった。別に空間に亀裂が入ったりはしなかった。

「戦績で言えば、俺の0勝1敗だな」

「何を言ってる。それを言うなら1勝1敗だ。そもそもお前、私とやる時刀抜いたことないだろ」

「???」

 クリスは疑問符を大量に浮かべていた。

 あれは俺が2年に進級した頃の話だ……と巴は誰に聞かれてもいないのに語り始めた。

 

 

 

 回想開始。

『ねえねえねえ、武神サマ。新入生に弟いるってホント? 真剣にぞっこんで今顔デレデレしてるのもその子のせいってホント? ねえねえね……ぐはっ!』

 回想終了。

 

 

 

 相馬巴はクズで馬鹿だった。くるくると百代の周りを動きながらからかっていた馬鹿は、武神の拳で天井に突き刺さった。

 これが巴の1敗、百代の1勝である。

「姉さん……」

「相馬先輩、それはどうかと思うぞ」

 大和は義姉のキレやすさに呆れ、あまりのアホさにクリスも敬語をやめていた。武士のイメージはとっくに損なわれている。

「で、私の1敗は体育祭だ。私の相手できる奴なんてこいつぐらいしかいないからあてがわれて、引き分けにさせられてS組に優勝持ってかれた」

「あーいうのは個人戦績で言えば勝ちじゃねえよ。まあ戦略目標が達せられてるから良いけど、な」

 百代は親指で首を掻っ切る。巴は中指を立てた。二人は仲良し。和やかな放課後にふさわしく微笑ましい光景だった。

 二人のやりとりから目を離していたクリスは、まだ納得していないような顔をしていた。

「うーん……」

「フリードリヒさん、まあとりあえず川神さんの方が強いってことで良いと思うよ」

「相馬は引っかかる言い方得意だよなー」

「いや、そうではなくてですね……」

 つまり、と前置きしてからクリスは話し始める。

「相馬先輩は、川神先輩に勝てなくてもいいから勝負を挑んだ、ということですか? それに刀を抜いたことがないということは本気を出したこともない、と」

「そうなるね」

「それはおかしい!」

 留学生は突然声を荒げた。

「勝負なら、互いに全力を尽くして戦うべきだ! その体育祭とやらは武器が使用できないルールがあったかもしれないが、やはり勝つつもりで、全力でやるべきだった!」

 語気と眼光鋭く、クリスは思い切り先輩を非難する。その程度で怯む巴ではないが、面倒なので取り敢えず肯定しておいた。

「うんうん、そうだね。分かった。今度から気をつけるよ」

「おいクリス、やめとけよ」

「大和は関係ないだろう! 黙っていてくれ!」

 ビシッとクリスは巴を指差す。

「貴方はサムライではない!」

 この言葉を巴は涼しげに受け流す。

「ああ。俺は頷いただけで、侍なんて一言も自分から言ってないしな」

「なっ……!」

 ワナワナと握り拳と金髪を震わせたクリスは、この学校に来て早々に知った流儀……決闘を申し込むべくワッペンを外し、叩きつけた。

「相馬先輩! いや相馬巴! 今この場で決闘を申し込む!」

「いや、受けないけど」

 巴はしれっと言い放つ。

「何故だ!? 逃げる気か!?」

「俺、学長に決闘止められてるし」

「なんだと!?」

 これは事実である。相馬巴は、川神鉄心に決闘禁止令を出されていた。一度だけ受けた決闘で、相手が二度と学園に来れないほどの恐怖を刷り込んだためである。

 

 そう、例えば―――――

「……あれ?」

 クリスティアーネ・フリードリヒは、糸の切れた操り人形のようにすとんと膝から崩れ落ちた。一瞬の間があった後、冷や汗が噴き出す。

 ―――――こんな風に。

 

「え? あれ? 首、ある……」

 ペタペタと、放心状態のクリスは自分の細い首がそこにあることを確かめる。

 何のことはない。先ほど刀を握った時に漏れ出たものとは段違いの純然たる殺意を、クリスの首めがけて放っただけだった。

 百代は巴の肩を思いっきり掴む。ミシミシと骨の軋む音が廊下に響くくらいの強さだった。

「おい相馬! やりすぎだ!」

「加減はしてる。それに、大人しくなったろ?」

 悪びれもしない巴は百代の手を払い、女の子座りのクリスの頭を優しく撫でる。敵でなければ、人には優しい人間だった。

「ま、ほんとに俺とやりたかったら学長の許可貰ってきてくれや。直江くん、わざわざ来てもらったのに悪いね」

 じゃあな、と背中越しに手を振って巴はその場をあとにした。

「大丈夫だ、安心しろクリ。お前はあいつとは住む世界が違うんだから」

 という百代の言葉は、聞こえなかったことにして。

 

 

 

 

 最上家、地下修練場。

「はあああああっ!」

「おおおおおおっ!」

 住む世界の違う人間たち、最上旭と相馬巴は死闘を演じていた。普段の甘い空気などは一切排された、張り詰めた気勢が地下空間を満たす。

 巴はジグザグに動いたかと思うと、一気に前へ踏み出して敵の脳天に刀を振り下ろす。旭はそれを柳のような足捌きで躱し、返しに喉へ突きを放つ。それを巴は二刀のうちもう片方で打ち払う。

 二人が使っていたのは、刃引きなどされていない真剣。今日抜く時を失った月鏡、極楽蝶。そして旭が持つ、未だ巴が銘を知らない刀が火花を散らす。

 剣戟の音が空気を振動させ続ける。旭が大上段に振りかぶり、必殺の一撃を振り下ろす。

「……ふっ!」

「おせえっ!」

 それを巴は刃の勢いにこちらの刀を沿わせることで受け流し、もう一刀で斬りかかる。

「遅いのは、そっちよ!」

 だが、その軌道に潜りこんだ旭は足を踏み出し腰を回転させ、三日月蹴りを肝臓めがけてしたたかに叩き込んだ。

「ぐっ、う……だらあっ!」

 痺れる足に力を入れ、体ごと回転させた巴の体の周りに銀の円が発生する。旭は余裕をもって後退した。文句なく、最上旭の一本である。しかし、だからと言って終わるわけではない。

 お互いに息を整える。そして、同時に飛び出してまた刃同士が火花を散らした。

 全力と殺気を交換しながらの、いつ相手を殺してしまってもおかしくない組手は、その後2時間に渡って続いた。

 結果は、巴優勢。というより、三日月蹴りの一本以外は全て巴の寸止めである。技量の差が如実に出ていた。

 二人して冷たい床に倒れこみ、荒い息を整える。

「はあっ、はあっ……また、勝てなかったわ」

「ふうっ……十分強いよ、旭さんは」

「はあっ……それでも、私より余裕あるじゃない。悔しいものなのよ?」

「そりゃあ、俺に勝ち越してから言ってくれ」

「それもそうね……ひゃっ」

 先に息を整えた巴は、旭の軽い体をお姫様抱っこで抱え上げた。それから、両腕が塞がったまま足だけで地上への梯子を上がっていく。恐るべき体幹とバランス感覚である。

「ふふ、逞しいわね。巴」

「これぐらいで音は上げられないよ、旭さん。だって」

 旭はぐりぐりと頭を厚い胸板に擦り付ける。汗混じりの芳香がサラサラの髪から立ち上り、巴はドキドキした。

「だって?」

「だって、好きな女の子一人抱えられない男、情けないだろ?」

「……言い切るわね。私も好きよ」

 ちゅっ、とリップ音を立て、旭は自分を抱く男の頬にキスをした。驚いた巴は、思わずバランスを崩して後ろに行ってしまう。

「……っ!?」

「わわっ、巴、あぶなっ」

 だが、腹筋に力を入れてなんとか持ち直す。

「……どっ、せいっ!」

「おお……凄いわ、巴」

「だ、だろ?」

 明らかに無理した笑みを巴は作る。落ち着いてから、また梯子上りを再開する。

「じゃあもう一回。ちゅっ」

「ぬおおっ!」

 今度は体勢も崩れない。顔は踏ん張ったからか真っ赤になっていた。いたずらな女と、それに振り回される男の構図であった。

 一度分離してからハッチを開け、上り切ってからまたお姫様抱っこの姿勢になった。

「じゃあ、いつも通りお風呂まで連れてってくれる? 王子様」

「仰せの通りに、お姫様」

 たった二人の世界が、そこには出来上がっていた。

 

 

 

 後日。相馬巴の決闘禁止令は無事強化されて再交付され、巴は学長にしっかり説教された。

 

 




序盤のクリスってこんな感じだよね、と思ったら筆が止まらなかった。今では反省している。

ちなみに書き溜めはない。
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