真剣で旭に恋しなさい!〜月鏡、朝日に照らされて〜 作:夢迷月
最強に挑め。
「さて、ここでクエスチョン。なぜ川神百代さんは相馬クンとの組手で敗北を認めたのでしょーか!」
「……燕、なんだよいきなり」
巴とヒュームの決戦場として定められた場所へ、九鬼が招待した人間を輸送すべく手配された大型バスの中。松永燕は隣に座った百代へちょっかいをかけていた。椅子を思いっきり後ろに倒していた百代は到着まで寝る気満々だったので若干不機嫌になったが。
虫の居所が悪くなったのをわざと無視して、燕は邪気まみれで質問を重ねる。
「いやー、瞬間回復の回数残ってたのにモモちゃんが負け認めたの、変だなーと思って。不思議だったんだよ。減るもんじゃなし、聞かせてよ。うりうり」
「……別にいいけどさ」
百代はシートに寝転がって頭の上で腕を組み、灰色の天井を見上げながら渋い顔で返答する。
「そうだな……10秒だけで技術の差をあそこまで見せつけられたし、それに―――」
―――あのままやってたら真剣で殺されてたから、じゃないか?
2009年 7月 5日
九鬼の招待客と護衛のために集められた従者部隊の精鋭を合わせた300名前後が、川神郊外に位置する採石場を取り囲むようにして立ち並ぶ。
その中でも一際強者が集まっている集団があった。
「モモちゃん、納豆食べない?」
「んー、今はいらん。他に渡したらどうだ」
「ごくごく……ぷはー! 川神水うまし。ジャーキーも合うね」
「弁慶、こんな時まで飲んで……」
「弁慶ちゃん、あんまり飲むと試合見られなくなるよ」
「ほっといていいですよ。姐御は潰れてるくらいが丁度いいんだ」
燕と百代の三年黒髪美少女コンビに、弁慶や義経、清楚と与一のクローン一同。そしてもう一人がそこに合流してくる。
「フハハハハ! 我、降臨である! ほれ弁慶、川神水は後でも飲めるであろ」
瓢箪と盃をひょいと取り上げたのは、手触りの良い銀髪を腰まで伸ばし、額には血筋を表す十字傷を持った女性。名を九鬼揚羽と言った。九鬼帝の長女にして、若年ながら九鬼財閥の鉄鋼部門を一手に担う女傑であり、本人も壁越えの強者だった。
「揚羽さん、モンプチのとこにいてあげなくて大丈夫ですか?」
「紋のことか? 人の可愛い妹に変なあだ名をつけおって……紋にはクラウ爺がついておるわ。安心するがよい、百代」
家業の一部を継いで鍛錬の時間が減ったとは言え、美しくしなやかに鍛え上げた肉体を惜しげもなく晒すようにノースリーブの上衣を着用し、鷹揚に笑いながら堂々と立つ姿は見事な一言でしかない。
「ああっ、私の命を取り上げないでくださいよ、揚羽さん」
「没収だ。ジャーキーまでは取り上げんから我慢せい。まあ、飲みたい気持ちは分からんでもないがな」
目をうるうるさせながらすがりついてくる弁慶から盃を守りつつ、揚羽は決戦場の中心に無言で立つヒュームに視線を向ける。
「…………」
九鬼家従者部隊永久欠番零番、ヒューム・ヘルシング。彼の異名は数あれど、最も有名であり、かつ今の彼の姿を見た者が直感的に思いつくものと言えば。
「やはり、ヒュームは最強であるな」
「ええ。あれほどの闘気、見たことがありませんよ」
相槌を打った百代に、九鬼の長女は頷きを返す。
「うむ。恐らくここまで本気のヒュームを見たことがあるのは、審判役の鉄心殿だけであろう」
ここまで口にしてから、揚羽は体を僅かに震わせる。その震えの原因は明白。
九鬼揚羽は、怯えていた。
数百メートル先の男が放つ闘気の大きさだけで、壁を越えた強者たちでさえも恐怖に慄いていた。それほどに、ヒュームとはシンプルに強いのである。
弁慶も、恐怖を誤魔化すために川神水に手を出していた。飲まないと手が震えるのは元々だったが。
他の観客も言葉少なになったところで、燕がキョロキョロと辺りを見回す。すると、目線の先にとある車が映った燕がさえずる。
「おっ、あれじゃない? 相馬クンが乗ってるの。あの送迎車見たことあるよん。ナンバーも一緒」
「多分まゆまゆも乗ってるだろ。アキちゃん家に泊まりに行くって言ってたから」
「でも、アキちゃんと黛さんの気は感じるけど、相馬くんの気はあんまり……」
清楚の言葉は、黒い車から四人の人間が降りてきたことで打ち切られた。
木曾義仲のクローン、最上旭。その養父、最上幽斎。剣聖黛十一段の娘、黛由紀江。そして最後の一人、相馬巴が決戦場に降り立つ。
その瞬間……空気は凍りつき、この場にいた全員の肌が粟立った。
「ども。お待たせしました。伯爵」
いつも通りのへらへらした笑みを浮かべながら、巴は対戦相手に向けて軽く会釈する。
しかし彼の纏う雰囲気は、距離を隔てた観客たちの肌すら切り裂く鋭さと、つい視線が吸い込まれる危うさを孕んでいた。
「……おいおい。相馬のやつ、水曜日のあいつとも全然違うじゃないか。何があったんだ」
百代の呟きには、誰も反応できない。口から音を発せられないだけでなく、呼吸すらも奪われているように見えた。
彼の姿を見た全ての人間はこう考える。
こいつを敵に回してはいけない。戦ったら死ぬ、と。
ヒュームに感じるものよりももっと根源的な、生命を脅かされているという恐怖。
相馬流後継者、相馬巴は闘気や殺気を発しているわけではない。むしろ体の中に閉じ込めている。
極限まで鍛え上げられた刀身のような、無機質な気。同種の生命体であることすら疑わしいほどに空虚で、それ故にイメージが死に直結する。
これこそが相馬巴本来の姿。触れる全てを断ち切る鋭さと、今にも折れてしまいそうな脆さが同居した、相馬流の完成品。
最上旭と出会い人間性を獲得する前の、ただ一振りの刃と己を定めた武人としての、青年の正体であった。
そんな彼は普段の裃姿の装いに加えて、相馬家の家紋である重ねられた桔梗の紋が背中と胸元に染め抜かれた黒い羽織を身につけていた。まだ髪こそ結っていないものの、決戦に際しての正装である。
若者のめかしこんだ姿を見て、最強執事はフンと居丈高に鼻を鳴らす。
「まるで死装束だな。左前なら完璧だったと褒めてやるところだが」
獅子のたてがみのような髪を逆立て、威圧感を放ちながらのヒュームの軽口に、若武者は笑みを崩さずに応答する。
「いやあ、しっかり遺書はしたためてきたんですよ? 死ぬ覚悟だってしてきました。でもね」
大げさな仕草で両の掌を空に向けて、巴は肩を竦めてみせた。
「俺が覚悟を決めたのは、死ぬためじゃなくて、生きるためなんです。明日を生きるために……」
ここで言葉を切り、若者は打って変わって真剣な表情と鋭利な視線を老執事に向ける。
「明日生きられることを証明するために、今日命を懸けるんです」
お前はどうだ、命を懸ける覚悟はあるかとさながら問いかけるように巴は目を細めた。それを受け、ヒュームは身に纏う気を一層大きくする。
既にお互い準備は万端。合図なしに勝負が始まったところで、二人とも文句を言うような人間ではない。
視線を合わせ、あとは勝負の開始を待つのみとなった二人。一秒毎、指数関数的に張り詰めていく空気の中、一人の女が動いた。
「とーもえっ」
「なにー? 旭さーん」
鈴の鳴るような声で名前を呼ばれた男が犬の如く恋人へ駆け寄ると、空気が一気に弛緩した。観客はほぼ全員ずっこけた。
「うーん、尻尾が見えるくらいの見事なワンちゃんっぷりだねん……」
「なんか、イメージ通りといえばイメージ通りだよな、忠犬とご主人様って感じ」
「ふふっ。相馬くん、なんだか可愛いかも?」
「うげ。清楚ちゃん、あんなのがいいのかよー」
同級生3人は笑いながら、評議会議長が忠犬につけたリードを引っ張る姿を揃って幻視していた。
そんな黒髪美少女たちの反応をよそに、最上旭は恋人に向けて手を差し出す。
「ヘアゴム、貸して。結ってあげる」
「じゃ、お願いする。えーと……あ、じゃあ今日はこれにしようかな」
男は懐をまさぐると、黒いシュシュを取り出した。百代に勝った褒美として、幽斎から渡されたものである。
プレゼントした本人は、髪留めが娘に手渡されたのを見て顔を綻ばせた。
「おや、嬉しいね。持ち歩いていてくれたのかい」
「幽斎さんにいただいたものを一度も使わずに終わるというのも申し訳なくて。まあ折角なんで、使わせてもらいます」
「気を遣わなくていいんだよ。プレゼントを使うか使わないかなんて、本人の自由なんだから。もちろん、私は使ってくれた方が嬉しいけれど」
顎に手を当てながらの幽斎の言葉には、髪を後ろに纏められつつある巴がこう応じた。
「俺は俺なりに、幽斎さんに感謝してるんです。貴方がいらっしゃらなかったら、今俺はこんなに強くないですから」
「ふふ。それは良かった。君の成長に私が一役買えたというのなら、それ以上の喜びはないよ」
「本当に、ありがとうございます」
たとえ苦手には思っていても、これは相馬巴の本心からの感謝の言葉だった。
男同士の会話から10秒ほど経つと、ねじって重ねられたシュシュがポンと押される。巴の髪はオールバックにされ、ちょこんと尻尾を作っていた。
「出来たわよ。巴」
「ありがと」
地面にどっかりと座って恋人に背中を向けていた男は立ち上がり、お礼を言ってから向き直る。
それから、目の前にある細く愛おしい体を思いっきり抱きしめた。
「おお! 相馬さん、大胆だ」
「義経はあーいうのが好きなの? 私だったらちょーっと嫌かなー……」
「恥ずかしげもなくよくやるぜ、あの先輩」
周囲から感嘆や呆れの声が飛ぶ中、巴はたっぷり一分間旭の柔らかさと花のような香りを堪能する。旭の側からも腕を回し、二人は温もりを分け合うように抱き合っていた。
どちらからともなく離れると、男は家紋を見せつけるようにして羽織をはためかせ、女に背を見せた。
「じゃ、行ってくるよ。旭さん」
歩み去る大きな背中に、最上旭はこう告げる。
「一応、命令するわ。勝ちなさい、巴」
「りょーかい」
彼にとって一番の励ましの言葉へ背中越しにヒラヒラと手を振りながら、男はヒュームの元へ向かった。
立会人の川神鉄心を挟む形で、二人の戦士が睨み合う。
間合いを取って向かい合うと、威圧感はそのままに、呆れたような声をヒュームが巴にかける。
「……緊張感がないな。女連れでこんなところに来るとは、俺を舐めているのか?」
半ば叱られたような格好になった若武者は、普段の調子で笑ってから反論する。
「いやあ、九鬼ビルでも言ったじゃないですか。俺は旭さんがいる限り、誰にも負けないって」
「フン。まさか愛の力、などという世迷言でも言うつもりか?」
「その通りですよ」
この潔い返答には、ヒュームの側が面食らった。最強執事が僅かに目を見開いたのを観察しつつ、巴は続ける。
「旭さんが俺を愛してくれてるから、俺は貴方に勝てるんです。むしろ、そうじゃなかったらこんな勝負しません」
「……クク、ククク、ハハハハハハハハ!」
若者の返答を聞き、ひとしきり笑った後。ヒュームは髪を逆立て、巴にぶつけるプレッシャーを一段階上げた。
「いいだろう。貴様のその思い上がり、へし折ってやる」
「刻限じゃ!」
会話を打ち切るように、立会人川神鉄心が声を張り上げる。時刻は正午。太陽の位置によって有利不利が出ないよう設定された開始時間であった。川神院総代は、今回の取り決めを読み上げていく。
「時間は無制限、反則は無し。死亡時も遺恨無し。双方良いか」
「異議はない」
「委細承知」
今回の勝負において、川神鉄心はあくまで立会人である。
これはつまり、九鬼揚羽が言ったような審判役という生温いものではなく、真剣勝負をただ見届けるための存在であるということだ。
二人の返事を聞き届けた鉄心が、今度は名前を読み上げる。
「東方、ヒューム・ヘルシング! 西方、相馬巴! 双方前へ!」
片や、幾多の戦争を経て年老いてもなお現役を標榜し、最強の称号を欲しいままにする金の獅子。
片や、若年で裏社会に名を轟かせ、実の父を殺し、さらには武神川神百代さえも打倒した、当代きっての剣豪。
これはまさしく、現役最強を決めるための戦い。
二人は一歩ずつ前に出て、まずは片方が躊躇いなく名乗りを上げる。
「九鬼財閥、ヒューム・ヘルシング」
「相馬流……いえ、そうですねえ」
そして、もう片方は一度言葉を飲み込んでから、一つの流派を背負う者としてこう名乗った。
「相馬流第二十七代当主、相馬巴。参ります」
真上に位置する太陽に向けて、川神鉄心の腕が高々と揚げられた。
「双方良いな! では、いざ尋常に……始めいっ!」
腕が振り下ろされると同時に、戦闘の火蓋が切って落とされる。
この時、川神百代は場違いなほど呑気な思考をしていた。
本気になったヒュームを見るのも初めてだが……そういえば、なにも制約のない相馬巴の戦いを見るのもまた、初めてかもしれないと。
先手を取って仕掛けたのは、相馬巴。刀をまだ抜かないままに、地面へ足を突き刺す。
「相馬流、睡蓮!」
百代との組手の時同様、距離のある相手に対してある程度リーチのある技を繰り出す。
「くだらん技だな。フンッ!」
しかしヒュームが地面を踏みつけただけで、足元に迫った気の刃の群れはかき消された。
その動作に合わせて、巴は腰に差した二刀を抜く。
手入れが行き届き、濡れたような輝きを放つ刀身を見て、最強は警戒度をさらに上げる。
「貴様、それは……」
左手に持った一つの銘は、月鏡。そして右手に構えたもう一本の銘は極楽蝶ではなく……月鏡・真打。
かつて青年が少年だった頃に肌身離さず持ち歩き愛用していたものであり、地下室で由紀江が見抜いた通り彼の父親の命を奪った刀であった。
一体化していると言ってもいいほど手に馴染んだ二刀を携え、青年は老執事に躍りかかる。
「色々とこっちにも事情があるんだ。全部、ぶつけさせてもらう」
「来い、相馬ァっ!」
吠え合った二人が激突すると、彼らを中心に嵐が巻き起こっていった。
圧倒的強者二人の戦闘の余波で肉体が震えるのを感じながら、川神百代は隣に立つ九鬼揚羽に問いかける。
「ぶっちゃけ、揚羽さんはどちらが有利と見てます?」
「有利なのはヒュームだ。これは間違いなかろう」
「やはり、あの技があるからですか」
「うむ。ジェノサイドチェーンソーがある限り、相馬であろうと誰であろうと、勝ち目はあるまい」
「つまりこの戦いの焦点は、相馬のやつがあのトンデモ技をどう対策するかにかかっている、と」
「ヒューム自身も多彩な技を持っておるが、まずあの技をどうにかしないことには、勝てんだろうな……」
元々目を離していたわけではないが、二人は会話しながら改めて視線を決戦場へ集中させた。
二振りの月鏡で、相馬巴は次々に技を繰り出していく。
「
気で作った細かい刃を飛ばして当たった箇所の気の巡りを操作する技、それから距離を取って頚椎からの気の流れを遮断する一撃へ。
「くだらんと、言っているだろうがっ!」
だが、ヒュームはそれらを難なく潰す。細雪はかわし、牡丹は首に気を集中させることで完璧に対処していた。
防がれても動じることはなく、さらなる技を放ちながら巴は高速で思考する。
(ちいっ、埒が開かねえ……っ!)
戦況はまだ、お互い手探りの状況。巴も全力で攻撃してはいないし、ヒュームの迎撃も全力ではない。
この落ち着いた状態がずっと続くこと自体は、巴にとって都合が良い。なぜなら、元々持久戦を第一の戦術としていたからである。
彼の眼力は、ヒューム・ヘルシングの老い……とりわけ、体力面での弱体化を看破している。その分、一撃の鋭さは彼が負けた四年前からさらに増していることも理解していた。
ならば、一週間でも一ヶ月でもかけてこの最強を倒す。この相手を倒せるなら、一年かけたとしても安いものだ。
しかし、それを許さない技がヒュームにはある。それこそがジェノサイドチェーンソー。攻撃に反応して無敵で割り込み体力を10割削る、まさに必殺技。放てば必中、当たれば必倒。
どんなに優勢で進めていようが、この技がある限りヒュームの好きなタイミングで全てひっくり返される。
だからこそ、そのタイミングを自分からある程度操るために、相馬巴は行雲流水を常時発動しながら最序盤から攻め続けているのである。
(予測通りとはいえ……もう少し本気になってもらわねえと、正直困るな)
常にひとところに留まることをせず、ヒュームを中心に円を描きながら巴は攻め立てていく。
まずは、ジェノサイドチェーンソーを使わせること。それから、使わせた後の賭けに失敗しないこと。
(……さすがに、反則技にはこっちも反則技使わせてもらうぜ)
巴は冷静に、冷徹に機会を伺う。失敗した後の次善策を用意していないわけではないが、成功するに越したことはない。
「おおおおおっ!!!」
「ぬうんっ!!!」
怪物二人が激突するたびに衝撃波が観客を襲い、鎬を削るという言葉通りの激しい攻防が続いていく。
巴が喉、眼球、水月、心臓といった急所を狙いすました斬撃を櫛の歯を引くように連続で放てば、それを撃ち落としたヒュームが研ぎ澄まされた多彩な蹴り技を反撃として繰り出す。ヒューム側から攻める気配を感じれば、巴から大きく間合いを開ける。勝負が始まってからかれこれ二十分ほど、二人はこれを繰り返していた。
もちろん、逃げ腰の後退をただ見逃すヒュームではない。あえて若者を深追いせずにいたのである。
「どうした? 威勢の良いことを言っていた割には、随分と臆病な戦法だな」
「こうでもしないと勝てないんですよ。貴方が強すぎるのが悪い」
巴が冗談まじりに返すと、ヒュームは押しつぶしたような低い声でこう挑発した。
「大人しく、断風で来い。お前の技の程度が知れた」
「抜かせ。たかだか数十分で、わかってたま……」
「では、こちらから行くぞ」
「……っ!?」
問答を終えた後は、ヒュームから攻める番だった。老執事の攻撃も若者のものと遜色なく、的確に人体を破壊できる箇所を狙う。
巴は行雲流水で捌けるものは放置し、捌ききれないものにのみ集中して躱していく。反撃してこない相手ほど楽なものはない、と豊富な戦闘経験から実感として学び取っていた青年は、必死で回避しながらも急所を狙う攻撃の手は止めない。
「甘いわっ!」
だが、戦闘経験の豊富さという面で、最強執事に並び立つものは川神院の総代しかいなかった。
行雲流水とは、一定の閾値以下の威力の攻撃なら全てを無効化できる技。例を挙げるなら、百代の星殺しは接触面へ継続的にダメージを与える技だったため受け流せたが、一点に衝撃が集中する蠍撃ちや無双正拳突きには効果がないため巴は使用しなかったのだ。
そして、ヒュームはその性質を正確に看破した。牽制のための小技を全て切り捨て、ある程度大振りではあるものの閾値をほんの僅かだけ超える打撃を、若者に向けて容赦なく連続でぶつけていく。
「ぐっ、くそっ……っ!」
次第に、ヒュームの攻撃が巴の体を捉えていく。一撃、二撃と入るたび、若者の顔は苦悶に歪んでいった。
所詮、この程度か。九鬼家従者部隊の零番はこの若武者に期待していた自分の愚かさを悔やみ、期待に応えられない相手に落胆した。
この勝負の趨勢は、明らかにヒューム・ヘルシングのものになった。九鬼の従者たちに加え、鍋島正や黛大成、ルー・イー、こっそりと見に来ていた釈迦堂刑部といった観客の誰もが相馬巴の負けを確信した。
ただ三人、最上旭と黛由紀江、そして川神百代を除いて。
川神百代は真剣な表情で勝負を観覧しながら、届くわけがないと知りつつも呟く。
「相馬、お前は私に勝ったんだ。私がリベンジするまで、誰にも負けるな」
黛由紀江は戦場に真摯な目線を向け、信頼を伝えるように言葉を紡ぐ。
「相馬先輩、信じています……!」
そして、最上旭は……相馬巴から目を離さず、表情ひとつ変えずにこう言い放つ。
「二度は言わないわよ。巴」
勝ってこい、と。いつもの口調、いつものトーンで言霊を発した。
ほぼ密着状態から放たれ続けるヒュームの正確かつ重厚な打撃を、巴は当たる箇所を少しだけずらすことでなんとか対処していた。しかし、このまま受け続けていてはダメージの蓄積がバカにならない。
「っ、
自分を中心に銀の刃を回転させる技で、巴は刀の間合へとヒュームを引き剥がそうとする。それに対し、ヒュームは軌道に潜り込むことで自分にとって攻撃しやすく、相手にとって攻撃しにくい場所を確保しようとした。
その回避方法を予測していた巴は、予め溜めておいた気を下方向へ叩きつける技で迎撃する。
「
「……ちっ、味な真似を」
刀と共に振り下ろされた気の奔流を避けるため、ヒュームはやっと後退した。細かい岩石が全て砕かれ、ならされた足元を蹴って、巴も距離を取る。
「はあっ、はあっ……」
「フン、もう終わりか?」
「……はっ。馬鹿言わないでくださいよ。生憎、惚れた女に二度と折れないと誓ったもんでねっ!」
肩で息をしていた巴は肺の中の空気を一度全て吐き出す。それから一息で呼吸を整えると、全身と二刀に膨大な量の気を纏わせた。二振りの月鏡が巴の意志に共鳴して妖しい光を放つ。
決死の覚悟に染まった若者の目と練り上げられた気の量を見て、ここが勝負、勝負の時なのだ。と最強執事は悟る。
「……来るか、相馬」
次の一撃が、間違いなくこれまでで最大の激突。決着に直結する、巴にとっては逆転を賭けた一手。
「行くぞっ!」
足元を爆発させたかのような蹴り足で、巴はヒュームに接近。
選択した技は、重ね桔梗。
気による一撃目を放ち、それを躱した相手には渾身の斬撃が直撃する、相馬流の原初に存在した奥義。
鋭い踏み込みから、気を刀に集中させて振りかぶり、巴は引き絞った弓を放つように気を解放させる。
「奥義、重ね桔梗!」
そしてこれを迎撃するのはもちろん、ジェノサイドチェーンソー。
「ジェノサイド……」
ヒューム・ヘルシングが持つ、彼を彼たらしめる、真なる最強の一手。
これがある限り、最強神話は揺らがない。誰もがそう認識し、事実として証明し続けてきた必殺技。
終わりだ、と内心でヒュームは呟く。青年は重ね桔梗に全てを乗せて放っており、もう体勢を変えることができないはず。
全てを賭けた一撃、という言葉のなんと陳腐なことか。ジェノサイドチェーンソーに対して、ただ自分の最高の技を出すだけで無様に敗北する武芸者などヒュームは腐るほど見てきた。
失望させてくれるなよと思考し、そしてその雑念を切り捨てて、ヒュームは足先と敵に意識を集中させる。
絞り込まれた最強執事の視界で、相馬流当主の口が僅かに動く。
「相馬流、
ついに来たか、とヒュームはほくそ笑む。目の前から青年の体が忽然と消え、気配が感じられなくなる。
黛由紀江への指導の際に見せた謎多き技。クローン三名との模擬戦の際に今は使えないなどとふざけたことを言ってはいたが、人間が消えるなんてことは有り得ない。
そこに、相馬巴はいるのだ。この技を見た瞬間から、ヒュームはこうすると決めていた。
「……チェーンソッッッ!!!」
彼が人生を懸けて磨き上げてきた必殺技を、元々巴がいた場所目掛けて全力で振り抜く。
手応えは、なし。だが空振りでも問題はない。
「どこにいる!」
技を放った後、探せばいいだけの話。姿を消したままで、何か出来るわけもない。
そして、ヒュームは戦場を見渡し……相馬巴の存在自体が知覚出来ないことに気付く。
その代わりに、何故か―――――
「……ふふ。行きなさい、巴」
―――――何故か、最上旭と目が合った。
それと同時に、紋白の切羽詰まった声が戦場に響き渡る。
「ヒュームっ!」
この声に執事が反応した、次の瞬間。
「奥義、
ヒュームの背後から、氷点下の温度をした巴の声が響く。膨大な殺気を叩きつけられ、対処が間に合わないと直感したヒュームは、即死を免れるために首へと気を集中させた。不意の一撃に対する、合理性の高い対処。
そしてこの判断ミスとも言えない決断で、勝敗の天秤は大きく巴へと傾く。
「っ、ぬうっ……!」
振り返った最強の視界に入るのは、刀を納めて徒手になった若者が、腕を天高く振り抜いた姿。
その手には何も握られていない。いや、本来ならば腕を振るという行為すら必要ない。断風とは風すら断ち、全てを断つ剣。斬ると認識した瞬間、使用者の視線の先を空間ごと断ち切る修羅の業。それを振るわれたヒューム・ヘルシングの左腕は……ボトリと無様な音を立てて地面に落ちた。
「ぐ、うっ、貴様っ!」
筋肉の収縮で瞬時に止血しながら自分を呼ぶ相手に向けて、巴は抜刀して追撃する。
「奥義、重ね桔梗!」
これを迎え撃つべく、ヒュームは左腕を庇いながらも前進し、彼の必殺技で反撃を試みた。
「ジェノサイドチェーン……っ!?」
だが、最強の技は不発に終わる。接近したヒュームの体に、重ね桔梗の一段目である気で作られた刃が直撃し、そのままズブズブとめり込んでいく。
「おっ、おおっ、おおおおおっ!!!」
……重ね桔梗は、二段構えのフェイント技。気による一段目を躱した相手に、刀本体による斬撃を直撃させる技である。
ならばこの技を知っている人間が、二撃目を万全で受けるために初撃を受けに行けばどうなるか。その答えは……
「ぐ、うっ、がはっ……!」
ドン、と音を立てて、ヒュームの体内で気の刃が爆発した。本来ならば全身ありとあらゆる箇所から刃が飛び出す技を、老執事はなんとか自分の気で抑え込む。ただ一箇所、気で覆うのが間に合わなかった左腕の傷口を除いて。
「相、馬ァっ……!」
最強の左肩から、花弁が開いたかのように血飛沫が飛び散る。飛沫の勢いが治まったかと思うと、ボタボタと滴る鮮血が執事服を汚しながら足元に池を作り出していく。もはや、筋肉による止血は意味を成さなかった。
そしてこれを見届けた相馬巴はなんと、止めを刺さずに後退する。
一足では詰めきれない距離へ移動した若武者に、老執事は口角から血の泡を吹きながら怒りの形相を向ける。
「どこまでも、舐めたマネを……っ!」
ヒュームの口ぶりとは裏腹に、巴は真剣な表情とひょうきんな口調で返答する。
「舐めたマネ? とんでもない。こうでもしないと勝てないから、勝てる手段を取ってるだけですよ」
「減らず、口をっ!」
今度はヒュームから巴へと接近する。
勝負は緩やかに、最終局面へと向かっていった。
観覧席にいる松永燕は戦慄していた。冷や汗をかきながら、震える唇で呟く。
「いやー、相馬クン、まさかあそこまでヒュームさんにガンメタ張ってるとはね……」
「燕、お前は分かるのか?」
隣にいた川神百代から、こちらも震えを隠しきれていない口調での質問に、燕はなんとか返答していく。
「私が分かる範囲だけでいくと、ほら、さっき揚羽さんとモモちゃん、ジェノサイドチェーンソーをどうするかが焦点になる、って言ってたでしょ? まさにその通りで、相馬クンはあのインチキ必殺技を無効化することだけを考えてたんだよ……多分」
「ほう、我も拝聴したいものだな。続きを話してみよ」
揚羽に促された燕は、ほぼ核心に近い推論を語っていく。
まず、ジェノサイドチェーンソーは使用された時点でほぼ負けが確定する。よって巴は自分のタイミングで対処するために重ね桔梗で誘発。その時点で新月を発動。
新月でジェノサイドチェーンソーを回避した後の硬直を狙って巴は断風を使用。そして、首ではなく腕を切り落とす選択肢を取った。
「ヒュームさんは相馬クンなら即殺害を狙ってくると読んで、相馬クンはそう読まれることも読んでた。だから、腕まで防御が回らなくて」
「結果、あのように血を撒き散らしながら戦う羽目になっておるわけだな」
「はい。そして、あれ自体がジェノサイドチェーンソー封じになってる、といいますか」
燕は、自分の思考を言語化するのに夢中になりながら饒舌になっていく。
「腕ってね、一本で体重の5だか6%くらいあるの。蹴り技とかする時は当然バランサーとしても使うし、そんなのが無くなったら重心がガタガタになって、技も使えなくなる。ヒュームさんが二回目の重ね桔梗を迎撃出来なかったのはそのせい。いやあ、ジェノサイドチェーンソーがいかに完璧な必殺技だったかわかる話だねん」
完璧な技だからこそ、大きくバランスを崩した状態では使えない。ならば、戦闘中にその均衡を整え直せばいい話であり、百戦錬磨のヒュームならそれが可能なはず、なのだが。
「修正する時間を与えないための、重ね桔梗までの一連の流れなんだよねん。あれで、この決闘には明確な時間制限が出来た」
腕の欠損、大量出血。生物である限り抗えない深刻なダメージを一方的に押し付けることに成功した。
そして、相馬巴の何より恐ろしいのは……
「あそこで、勝負を決め急がずに後退できることだよねん。ガチガチに対策張って、これしかないってタイミングで技も決めて、恐らくぜーんぶ掌の上で上手く行って。で、最後の仕上げとばかりに絶対負けない選択肢を取れる」
ここまで話した上で、松永燕は改めて背筋に冷たいものが走るのを自覚する。
「いやあ、私なら絶対戦いたくないよん」
苦笑いを隠そうともしない燕に、九鬼家の長女でありヒュームの愛弟子の一人でもある揚羽が質問した。
「なるほど、この展開が相馬の青写真通りだとしよう。だが、問題が一つあるぞ。あの新月という技はどう説明をつける? あのジェノサイドチェーンソーを回避せしめる技、あれがなければ相馬の戦術は全て瓦解していたはずだが」
「う……父親の雇い主様に歯向かう気はさらさら無いですけど、あれは私じゃ分かりません。パッと消えてパッと現れたようにしか見えなかったです」
義経や清楚の頷きを伴いつつ謝罪した燕には、百代がフォローに入る。
「いや、私はなんとなく分かりますよ、揚羽さん。と言っても、説明したところで同意を得られる結論ではないですけど」
「よい。申してみよ」
揚羽に促されると、今度は百代が口を動かす。
「燕。相馬が消えた時さ、アキちゃんに視線向かなかったか?」
「んー、言われてみれば?」
「あれさ、アキちゃんの視界には相馬が多分いたんだよ」
「……どゆこと?」
「つまり……」
百代の口から語られた推論に、クローン一同も含めた全員が絶句する。自分で招いたものだが、その反応は正しい、と武神は表情を苦々しいものに変える。
「私だってこんな結論が出てくる方が怖いし、何より……」
そして一言呟いてから、巴とヒュームの決戦、その最終局面へと意識を戻した。
「ジェノサイドチェーンソーって技はそこまでしないと対策できないってことが、一番怖いよ」
血と脂汗を撒き散らしながらも、ヒュームはなんとか勝機を手繰り寄せるべく技を繰り出していく。炎や雷を纏った蹴りに、軌道を途中で変化させる蹴り、ガードの上から衝撃を叩きつけるような蹴り、残った右腕で不意に出す突きと手を変え品を変え巴を攻め立てる。
その全てが、行雲流水を貫通出来る威力。しかし、その威力を出すためにある程度予備動作を必要とする攻撃群を、相馬巴は易々とノーダメージで対処していた。
(……0.1秒後にエネルギー弾を飛ばしながら左足が頭を通過、右腕で掴むと見せかけて逆突き、引く勢いから右足に氷を付けて中段蹴り)
相馬家が受け継ぎ、この若武者の代で最大限の発現を見た観察眼は、既にある事実を見抜いている。
ジェノサイドチェーンソーを欠いたヒューム・ヘルシングに、相馬巴を打倒する手段は存在しない。
万全の状態ならば分からないが、既に半死半生となったこの老執事に、逆転の一手はない。あるならばとうに使っているはずだからだ。
失血による時間切れ。これさえ狙っていれば巴は勝てるし、これを狙われたらヒュームはもはやどうしようもない。
またもや一足では詰めきれない距離まで間合いを空けて、二人は向かい合う。若武者はいつでも動けるよう踵を僅かに浮かした状態で待機し、老執事は肩で息をしてなんとか立つ姿勢を維持していた。
「はあっ、はあっ……貴様っ……」
「……」
相馬流当主が、最強を見下す。
少なくともこの瞬間だけは、俺の勝ちだと。
「一応聞いておきます。降参しませんか? 伯爵」
「無駄口を、叩くなっ……!」
老執事から凄まれても、若武者は余裕の態度を崩さない。
「無駄口じゃないですよ。貴方なら知ってるはずだ。相馬流最後の奥義のことはね」
「知っている。だが、あの技が俺に通じると思うか?」
「今の貴方になら通じます。先々代と知り合いだった貴方なら、ご存知でしょう?」
「……くっ」
重ね桔梗、断風、行雲流水に連なる第四の奥義、月鏡。
その最も重要な発動条件は、気の総量が相手を上回っていること。故に平常時のヒューム・ヘルシングには通じなくても、今の消耗しきった彼にならば、最大限に効果を発揮する。
相馬家二十五代当主、相馬薫と親交があったヒュームは月鏡という技を知っている。だからこそ、既に勝利を確信している巴はもう一度勧告した。
「降伏しろ、ヒューム・ヘルシング。別に俺はあんたを殺したって構わないが、殺さずに済むならその方がいい」
殺した方が面倒臭そうだから、とは巴は言わないでおいた。
そんな若者に向けて、情けをかけられる形になったヒュームは最後の力を振り絞って吶喊する。
「貴様のような若造に見逃される命など、元よりいらんわっ!!!」
「……そうか。じゃあ、これで終わりだ」
一思いに、殺してやろう。
見る影もないほど精彩を欠いたヒュームの蹴りを巴はするりと躱し、逆に脇腹目がけて回し蹴りを叩き込む。
「ぐ、はあっ……!」
老執事の巨躯をボールでも蹴るかのように軽々と吹き飛ばしてから、巴は刀の片方を納めた。
巴が構える、真打と銘打たれた名刀中の名刀が宙に光の円を描いてゆく。
「奥義、
躊躇いなく技の名前を呟くと、円の放つ輝きは強さを増し……それから、跡形もなく掻き消えた。
決着を目前にして静まり返った戦場に、呑気かつ豪放な声が響く。
「ちょっと、タンマだ。相馬」
奥義の発動を止めた巴は、不機嫌な声で乱入者に話しかける。
「何の用ですか? 帝様。殺しますよ」
若者の目の前に現れたのは、従者部隊序列4位、ゾズマ・ベルフェゴールと、彼に抱き抱えられながら手でTの字を作ってタイムアウトを要求する九鬼帝だった。
地面に下ろされた九鬼の総帥は、いつものニヤケ顔ではなく努めて真剣な表情を作って若者に向かい合う。
「降参だ。こっちの負け。流石に内輪揉めでヒュームを失うわけにはいかねえや」
しかし、この言葉にはヒューム・ヘルシングが噛み付く。
「九鬼帝! 貴様!」
「だって、どう見ても今回はお前の負けだぜ。若者の成長を認められないのは、老害の第一歩らしいぞ」
「俺は、お前に仕えてやっているだけだぞ! 勝負に介入することなど許した覚えは……!」
語気を荒げた従者に対し、主は鷹揚に応じる。
「そうだな。俺はお前に仕えてもらってる側だ。なら尚更俺はお前を守らねえといけねえ。労働者を蔑ろにした経営者の末路って、けっこー悲惨なもんだぜ?」
「……後で、覚えて、いろっ……」
「おう。後があるように、今は寝といてくれ」
「く、そっ……」
悪態をついた強さの権化が、ついに意識を手放す。
倒れ伏したかつての宿敵を見てから、川神院の総代が若武者に近づく。
「相馬。儂に聞く権利などないのを承知で敢えて問うが、止めは刺さんで良いのじゃな」
「この状況を見て俺の負けとか言い出す血迷った馬鹿がいたら、ムカつくんでそいつを殺します」
「うむ。承ったぞい」
川神鉄心の左腕が、勝者を讃えるべく高々と上がる。
「ヒューム・ヘルシング、戦闘続行不可能と見做す! よって……」
若者は刀を納め、天を仰ぎ、大きく深呼吸を一つ。
「勝者、相馬巴!」
「……よしっ!」
そして彼にしては珍しく、喜びを隠し切れずに小さくガッツポーズを作った。
ヒューム・ヘルシング対相馬巴の決戦は、ここに決着を見る。
結果は、相馬巴の完勝。相馬流当主は見事に雪辱を果たし、一つの検証を終えた。
相馬巴は、最強を打倒することが可能なのか。初めての敗北より四年もの間、問い続けてきた命題を彼は証明し終えたのであった。
九鬼が手配した専用ヘリでヒュームが病院に運ばれている中、巴は旭の元へ移動して勝利の報告をしていた。
「勝ったよ。旭さん」
「おめでとう、巴」
心底ほっとした笑顔を見せる男にもう一人の女、由紀江が駆け寄る。
「お、お見事でしたっ! 相馬先輩っ!」
「あはは。由紀江さんも、ありがと」
「つーかマジパネェ……これからもパイセンと呼ばせていただきますぜ」
「松風くんも、ありがとうね」
「オゥフ。九十九神のオラにも優しくしてくれて感激……もっと撫でてくれてもええんやで?」
巴が人差し指で松風のたてがみ部分をぐりぐりと撫でていると、旭が骨太で分厚い体の右側へ抱きつく。
「ふふ。ご褒美」
男の顔が緩んだのを見てから、旭はさらに由紀江へと手招きをする。
「由紀江にはそっちをあげるわ。暖かいわよ、巴」
「いやいや。旭さん、いくらなんでも」
「……えいやっ!」
意外にも、由紀江は尻込みせずに左側から巴に抱きつく。戦いを終えたばかりで火照りを残した体の熱が、左右に散っていった。
「ちょっ、由紀江さん」
「ふふ。両手に花、ね?」
「わわ、とっても熱い、です」
「Oh……にーちゃん、イカした筋肉してんじゃん……?」
「あは、あはははは」
羽織をきゅっと抱くようにして両腕を塞がれ、話を聞いてくれない二人の女の行動に乾いた笑いを浮かべた巴の元に、川神院総代と九鬼財閥総帥、そして最上幽斎が近づいてくる。
「おっ、相馬。なかなか羨ましいことになってんじゃねえか」
「からかわないでくださいよ。それで……」
巴が口を開くのを、帝は面倒臭そうに手を挙げて制する。
「わーってる。最上に関してはお咎めナシ。まさかヒュームが負けるとは思ってなかったんでよ。我ながらアホな条件出したと後悔してんだ、これでも。右腕の左腕なくさせたなんて、シャレにもなんねえ」
「では、こちらは改めて好きにやらせてもらうよ。九鬼帝」
「ああ。好きにやれや、最上」
これまた至極面倒そうに応じた帝は、相槌を打ってきた幽斎に近付いてこう耳打ちする。
「……いちおー言っとくけど、やりすぎんなよ?」
「心得ているよ」
「どーだか。ま、俺はヒュームの見舞いにでも行ってくるわ。いい勝負だったぜ、相馬。じゃあな」
踵を返し、あくまで堂々と九鬼帝は去っていった。
今度は、川神鉄心が巴と向かい合う。黒髪美少女二人に挟まれた男を見て溜息を一つ吐き、それから厳しい声色で若者を詰問した。
「相馬。お主、あの技はあまり使わん方がええぞい」
あの技、という言い方で巴は新月のことを言われていると察した。平常通りのへらへらした笑顔で若者は応じる。
「あー、それはもう。流石にアレは十分考えてから使いますよ。使わないと勝てなかったから使っただけですので」
「とんでもない技を作りおって。旭ちゃんに感謝するんじゃぞ」
新月という技の本質を見抜いている老爺の言葉に、巴は素直に頷く。
「旭さんにはいつも感謝してますよ」
「ほほ。若いってええのお。精進せい」
普段の嫌悪感はどこへやら、はいと快く返事をした生徒に鉄心は思い出したような口調で話しかける。
「そうじゃ。ヒュームも倒したことじゃし、最強を継げとは言わんから、お主を武道四天王に認定しようと思っているのじゃが」
「……拒否します」
巴は心底嫌そうな表情を見せた。そんな若者の態度に川神院総代は眉を吊り上げる。
「次代を担う若い武芸者の称号じゃぞ。三席ほど空いておってのう」
「嫌ですよ。あの御三方や川神さんと比べて俺は華もないですし、そんな風に呼ばれるのは柄じゃありません……あー」
「どうした? 相馬」
怪訝そうな視線を向けてくる鉄心に、巴はなぜか晴れ晴れとした表情でこう告げた。
「いやあ。そういえば、もしヒュームさんに勝てたらこう呼ばれたいってのがあったのを思い出しまして」
「ほう。良いぞ。儂らも武道四天王とか天下五弓とか、盛り上がるから付けとるだけじゃし」
「では……ごほん」
旭に掴まれていた方の手で口元を押さえて咳払いをしてから、巴は年相応に浮かれた様子でこう宣言した。
「修羅、とでも呼んでください。どんなあだ名より、俺はこれが一番しっくりきます」
宵の口の最上家。巴の自室にて。
「んっ、ちゅ、ともえっ……」
「わわ、旭さん……」
部屋に入るなり、旭が巴の首に縋り付くようにしてキスの雨を降らせる。
唇同士が触れ合うだけのキスを何度もしてから、旭は巴の唇をぺろりと舐める。
「ふふ。ほんのり生クリームの味」
「えっ、ほんと? 歯ちゃんと磨いたけどなあ」
「ほんのりよ。それとも、貴方とのキスが甘く感じるからかしら」
「……また、グッとくることを言うなあ」
夕食後に幽斎が戦勝記念に作っていたショートケーキを半ホールより多く食べていた男は、旭の体を抱き締め返す。逞しい体に包まれた女は白い頬を桃色に染め、恋人の顔を蕩けた上目遣いで見つめる。
「今日の貴方は一段と凛々しくて、かっこよかったわ。惚れ直しちゃった」
「それなら何より」
「……ねえ、したいの」
「……また今度じゃ、ダメかな」
巴は旭の髪に顔を埋め、花のようなふわりとした香りを楽しみながら囁く。サラサラした髪へ子供をあやすように手櫛を通す男に、女は不満そうな声をぶつける。
「どうして? 私、もっと貴方のことが好きになったわ。我慢出来ない」
「その、我慢出来ないのは俺も一緒というか」
「じゃあ、しましょ?」
男は恋人に見えないところで口をもにょもにょとさせてから、迷いを隠しきれない声でまた囁きかける。
「……昂ってて、抑えが効きそうにない。明日からまた学園あるでしょ」
因縁の宿敵を倒した戦いが想定より長引かず、体力十分のままで終わってしまった若者の体は、戦闘時の神経の昂りと肉体の余熱を持て余していた。
正直に伝えた恋人の体を、木曾義仲はベッドに押し倒す。それから時計を見てこう言った。
「じゃあ今20時だから、0時まで」
「だから、抑えが効かないって……むぐぐ」
「ん……れ、ろっ、ちゅ……」
「んんー!?」
舌を挿し入れられ、肉同士が触れ合う官能的な感触に男は目を白黒させる。
だが、されっ放しは性に合わないと言わんばかりに巴は体の上下をぐるりと入れ替えた。
馬乗りされて逆に見下ろされる形になった旭が、ぱっと朱を差したような頬の赤みはそのまま、心底愉快そうに口元を三日月型へ変える。
「その気になった?」
「……旭さんは、わがままだ」
「ええ。私、わがままなの……んっ」
やや憮然とした表情の男は口付けを一つ落としてから、精一杯の愛情を込めて漆黒の瞳を見つめ返す。
「今日は、ほんとにありがとう。旭さんのおかげで勝てたよ」
「勝ったのは、貴方の力よ」
「だったら尚更、旭さんのおかげだ。俺は君のために、こんなに強くなったんだから」
こう言うと、巴は下に敷いた華奢な体を抱き締める。顔を上げて、想いを伝えるためにもう一度キスをした。
「愛してる、旭さん」
「私もよ、巴。……きて?」
結局1時までやった。
ラスボス候補その2、討伐完了です。
ここからもお話は続きますが、ひとまずここまで書くことができて一安心しております。ここまで読んでいただいた皆様に改めて感謝申し上げます。今後ともどうぞよしなに。