真剣で旭に恋しなさい!〜月鏡、朝日に照らされて〜 作:夢迷月
決戦明けて月曜。第二茶道室、いわゆるだらけ部の部室にて、義経対義仲の第二ラウンドが行われようとしていた。部屋にいるのは旭、巴主従に義経、弁慶、与一、大和の義経一行合わせた計六名。
「俺はまだあんたのことを信用してないからな」
とは那須与一の巴への言である。これに対して若武者改め修羅は、
「いやあ、まあしょうがないよね。あはは」
と朗らかに笑うことでお茶を濁した。やや淀みかけた部屋の空気を、清涼な気を放つ義経が払拭する。
「それにしても昨日の決闘、お見事でしたっ!」
「ありがとう、源さん」
「昨日の羽織を見て思いましたが、相馬さんは古くから源氏と繋がりのある方だったのですね。義経は納得しました」
「……ん?」
笑顔のままで称賛を受け取った男だったが、続いた言葉に疑問符を浮かべた。そんな様子を見た牛若丸はまた戸惑う。
「ち、違いましたか? 桔梗紋は清和源氏系の家紋だと聞き及んでおりますが」
「いや……えっと、確認されてる限りうちのご先祖様が大体五百年前に相馬を名乗り始めてる。だから、木曾義仲や源義経とは時期的に被ってないはずなんだけど……」
「そうでしたか。早とちりして申し訳ありません」
「いやいや。俺も色々と引き継ぎする前に親父殺しちゃったからさ。あんまり分かんないんだ、ごめんよ」
ワハハ、と修羅ジョークをかました男だったが、空気が冷え切ったのを感じた瞬間笑うのをやめる。
「……ごめんよ」
「もう。反応に困る話題をあまり出さないの」
「面目ない」
昨日の威勢はどこへやら、忠犬は主人に怒られて肩を落とす。重くなりかけている雰囲気を改善すべく、直江大和が慌てて口を挟む。
「そういえば、桔梗紋と言えば有名な武将が一人いますよね」
「へ、へえ。そうなんだ。ちなみに誰かな」
巴はでかした直江くんと内心褒めたが、大和はしまったと思った。しかし吐いた唾は飲み込めない、と軍師はある名前を口にする。
「明智、光秀」
部屋の空気が最悪になった。確かに有名ではあるのだが、どう間違っても主人がいる人間に当てはめる人物ではなかった。
「……では義経。今日は何で勝負するの?」
「……腕相撲で、一つよろしくお頼み申し上げます」
旭将軍が無理やり話を切り上げたところで、修羅と軍師の珍しい失態は全員の胸の内にしまわれることとなった。
シンプルな腕力勝負の結果は旭と義経では旭の勝ち。勢いに乗ったまま弁慶に挑んだ旭が見事に負けたところで、
「俺は負ける勝負はしない」
「じゃあ私の勝ちってことでいいですか?」
「いいよ。あくまで旭さんの勝負だし、まさか武蔵坊弁慶さんともあろう方がやってもいない勝負の結果を喧伝する恥知らずだなんて微塵も思ってないから」
「ぐぬぅ。勝利の美酒の味が落ちた……でも義仲さんに勝ったから川神水おいしー! っふぅー!」
と巴が敵討ちを体良く断ったところで、月曜の勝負は決着したのだった。
2009年 7月 6日
義経との勝負を終えて評議会の仕事も済ませた夜。最上邸からは人間以外の生物の気配が全て消えていた。相馬巴の全身から溢れ出る殺気によってである。
「……おい。なんでお前がここにいるんだ」
「お前とは随分ご挨拶だな。私は最上幽斎の客分だぞ?」
旭を背中に庇うようにして立つ巴は緊張を緩めることなく、視線の先にいる一人の女をつぶさに観察する。
立てかけられた鉄塊のような武器、爪先まで見事に鍛え上げられた褐色の体、谷間を見せつけるように開かれた胸元、艶のあるグレーの髪……そしてその女性の特徴を最も表す、金の瞳と黒の眼。
名を史文恭。曹一族と呼ばれる中国の傭兵集団、その武術師範にして最高戦力であり、かつて巴を折った女であった。
全力の殺気を纏いつつ睨む修羅、それをニヤニヤと薄笑いで受け流す傭兵。そんな二人を幽斎は満面の笑みで眺めている。
このまま見合っていても埒が開かないと判断した史文恭は、僅かに目を伏せながらこう声をかける。
「先日のヒューム・ヘルシングとの決闘、見事だった。随分いい男になったようだな。トモエ」
同じ台詞でも受ける印象が源義経とはえらい違いだ、と思いながら巴は口を尖らせる。
「あんたにそんなこと言われる筋合いはない」
「つれないな。お前は私の弟のようなものだと言うのに」
「……なんだと?」
褐色美女の台詞を聞いた巴は、警戒を解いてはいないものの僅かに戸惑う。場の主導権を握ったと判断した史文恭は、屋敷の主へ水を向ける。
「では最上幽斎。まずこちらの用件を済ませてもいいな」
「構わないよ。では私は一旦離席しよう」
「幽斎さん、待って下さい。今俺のそばから離れると危険です」
娘の恋人からの言葉を、実業家はやんわりと否定する。
「大丈夫。曹一族はまだ私に手出し出来ないよ」
「そうだな。ではまずその話をしようか」
褐色美女は努めて真剣な表情を作り、若者二人に対し幽斎へ今は手を出せない理由を説明する。
「詳しくは言わんが、私たち曹一族は最上幽斎から東アジアで大きな仕事を受けた。しかし、以前この男にはしてやられた経緯があってな。仕事を終えるまでの監視として私が来たというわけだ」
「つまり、仕事が終わった瞬間命を狙う可能性もあるってことだろ」
巴の嫌味を聞き届けた史文恭は、真面目さを崩さずに返答する。
「我々はお前の家と同様に契約と信頼を重んじるのでな。依頼が滞りなく遂行できた場合はもう狙わん」
「というわけさ、巴くん。旭も心配しなくていいからね。では私はこれで」
どこか急いだ様子で、幽斎は部屋を辞した。無駄に引き留めてしまったかと巴は僅かに後悔したが、喫緊で別の問題があることを思い直して史文恭へ鋭い視線を向けた。
「幽斎さんから依頼を受けたことは分かった。次はあんたの用件とやらを聞かせてもらおうか」
「まあそう殺気立つな。お前にとっても悪い話ではないつもりだぞ?」
「……茶でも持ってくる。客人ならば礼を尽くそう」
「では頼もうか。読書をしているから、ゆっくりでもいいぞ」
いっそふてぶてしいほどの態度で、英字タイトルが印字されたハードカバーを胸元から取り出した史文恭。そんな彼女を見ながら台所へと向かおうとした巴を、旭が呼び止める。
「待ちなさい巴。そして史文恭」
「なんだ? 最上の娘」
「夕食はもう摂ったかしら?」
「まだだ。トモエと話をつける方が優先なのでな」
褐色美女が本で口元を隠しながら言葉を発したのには旭が応じた。
「では夕食を作ってくるわ。もちろんご賞味いただけるわよね」
「ああ。まさか父親のビジネスパートナーを毒殺などしないだろうしな。お願いしよう」
「では巴、貴方は史文恭のお相手をしていてね」
「旭さん!」
「ふふ。貴方はデンと構えていて。今日は中華よ」
鼻歌を歌いながら、旭は軽快なステップでキッチンに向かった。その背中を見届けてから巴は椅子に座って腕を組む。
威厳を持とうとして逆に情けない姿を見せている男の様子を、史文恭はくつくつと笑いながらからかう。
「先週から観察しているが、いい女を捕まえたようだな」
「余計なお世話だ」
不機嫌さを隠そうともしない巴に対し、褐色美女は役者のように大仰な仕草でさらにおちょくる。
「余計なものか。一族の存亡に関わる問題だぞ?」
「さっきから弟だの一族だの、何が言いたい」
睨むとも見つめるともつかない真剣な視線を二人は交わし合う。たったそれだけのコミュニケーションで、二人はお互いにお互いの言いたいことをある程度察した。史文恭は先に目線を逸らし、書籍から離した手を形の良い顎に当てる。
巴は先に自分の思考を伝えるべく言葉を紡ぐ。
「相馬家が曹一族と繋がりがあることは知ってる。でもそれだけで存亡だの言われても正直意味が分からん。説明を要求する」
「ふむ。やはり相馬遙は伝えていなかったか」
「確かに親父から俺への引き継ぎは不十分だった。だがな……」
反論しようとした修羅の言葉を、曹一族武術師範が鋭く遮る。
「それは違う。相馬遙はわざとお前に伝えていなかったんだ。……なるほどな。全く横紙破りも甚だしい」
一人納得しながら忌々しげに呟いた後、史文恭は巴の顔つきを見てニヤリと笑い機嫌を直す。
「だがまあ、結果良ければ全て良しというやつだ。お前がここまで大成するとは、お前の両親以外誰も信じていなかったろう」
「それは、どういう……」
真意を問い詰めようとした男だったが、居間の入り口から響く澄んだ声に意識を引かれる。
「巴。配膳手伝ってくれる?」
「……きっちり聞かせてもらうからな、史文恭」
「ふ。では私も手伝わせて貰おうか」
どこか似通った動作で立ち上がった二人に、旭将軍は献立を紹介する。
「今日は回鍋肉と青椒肉絲、それに中華風卵スープよ」
「じゃあ、俺が飲み物持ってくるよ」
「ほう、見事な二菜一湯だな。痛み入る。箸はここでいいか?」
三人が三人とも役割を的確に見分け、テキパキと食事の用意が整う。史文恭は客ではあるが、自分から動くのには躊躇いがないようであった。
整然と並んだ食器を前に、三人が手を合わせる。
「では、いただきます」
旭の号令の後に二人が続いて、食事会が執り行われた。
特段の衝突もなく食事を終えた巴は食後の熱いお茶を飲みながら人心地つくと、同じくテーブルに着いた旭と史文恭を眺めやり、食事中の二人のやり取りを思い出す。
回想開始。
『この回鍋肉は随分と美味だな。米のお代わりを貰ってもいいだろうか』
『いいわよ。自分で注いでね』
『居候、三杯目はそっと出し。というのは日本の諺だったか?』
『三杯でも四杯でもどうぞ。食事は日々の活力よ』
『そうだな。食事は全ての原動力。それが美味いなら尚更だ。では遠慮なくいただくとしよう』
回想終了。
何故だか妙にウマが合う様子の二人を見た巴は不思議な気分に襲われたが、これから聞くべき事実に集中するため意識を切り替える。
「では聞かせて貰おうか、史文恭」
研ぎ澄まされた刃の如き眼差しを向けられた武術師範は、余裕を示すようにおどけて見せる。
「そう怖い顔をするなよ。悪い話じゃないって言ったろ?」
「それは聞いてから俺が判断することだ」
「確かにその通りだな。では、順を追って話そうか」
巴の反論に頷いた史文恭が、ごく自然に言葉を発する。
「まず、お前の家が受けていた仕事の四割が曹一族からのものだったことは知っているか?」
「知らなかった。そこは断言しておく。俺は内閣調査室からの依頼をメインで受けていたし、親父から言われるままに仕事に行っていた」
堂々とした返答を聞き届け、史文恭は矢継ぎ早に質問を重ねる。
「なるほどな。では相馬というのが忌み名であることは?」
「……初耳だ」
「だろうな。知っていれば私相手にそんな態度は取るまい」
深刻そうな表情の若者に対し、薄い笑みを浮かべた武術師範はさながら歴史教師のように説明する。
「お前の先祖、馬一族の男は一人の女に狂って五百年前に中国を出奔した。当時の当主にそれを許された条件が、日本で根を張ること。相馬とは、曹一族の馬家のことを指すんだよ。一族から別れたことを忘れるな、と名前として刻みつけたわけだ」
「一人の女に狂って、ねえ」
「身に覚えがあるだろう?」
「……むむ」
史文恭の口ぶりに素直に不快感を示した巴だったが、目線で旭のことを示されて二の句が告げなくなった。
「ともかくお前の家は代々曹一族から出された依頼をこなすのと同時に、日本の裏社会に太いパイプを築いてきた。その源流を正せば、こっち側に突き当たるんだよ」
「それがどうして弟とか一族の存亡とかになる。自分で言うのもなんだが、極東の島国で細々とやってた一族の末裔だぞ」
巴の反論に、史文恭は分かりやすい回答を示す。
「川神百代を打倒し、ヒューム・ヘルシングさえ倒した。そんな男が謙遜するものではないぞ、トモエ」
「俺に才能があって、結果も出してきたことは認める。だけどなあ」
修羅の言葉を遮って、褐色美女は一方的に話す。
「確かに曹一族は基本的に実力主義だが、血筋というのも馬鹿に出来なくてな。かく言う私も世襲だ。史文恭の名に恥じない鍛錬はしているがな」
一度息を抜き、史文恭は目の前にある湯呑みを傾けた。それに合わせて巴が茶を一口飲んでから、さらなる話が続く。
「では次にお前の母親、メイリン様のことだが……」
「ちょっと待て」
褐色美女の口から飛び出した固有名詞に、巴は思わず口を挟んでしまう。話の腰を折られた形になった史文恭は驚いたような表情になる。
「どうした?」
「俺の母親の名前は美鈴だ。メイリンなんて名前じゃない」
若者の訂正を褐色美女は軽く受け流す。
「ミスズか、素敵な響きだ。日本ではそう名乗っていたようだが私はメイリン様と呼ばせてもらう。こちらにとっても大事な方なのでな」
「こちらにとっても……ってことは、うちみたいに曹一族の遠い係累なのか」
「遠い係累も何も本家本流、当主の娘だったお方だぞ?」
あっさりと放り出された史文恭の言葉に、修羅は唖然としながらもなんとか割り込む。
「おい、待て。それじゃあ俺は」
「相馬巴。お前は正真正銘、曹一族現当主直系の孫ということになる」
「……ほんとかよ、おい」
疲労した声を上げた後、頭痛を抑え込むように巴は指を眉間に当てる。その様子を見て史文恭は溜息を一つ吐いたが、それをしたいのは俺の方だ、と巴は思った。
「先に行きすぎたようだな。もう少し遡って話そう。どうやらその方がいいらしい」
やや呆れた様子の褐色美女は、幼子を諭すような口調で話し始めた。
「あれは私が物心ついた頃。山深い曹一族の拠点にとある若者が来た。ある程度鍛えてはいたが、幼い私の目から見ても彼には才能や将来性なんて欠片も感じられなかったよ」
今までの話を総合して、まだ姿の出ていない若者の正体を巴は自ずから気付く。
「親父か」
「そう。のちに修羅と呼ばれる相馬遙の若かりし頃だ。彼は当主にお目通り叶った時にこう言ったそうだ。相馬流は行き詰まった、と」
「……そうか」
いきなり父親の情けない話を聞かされても、巴は驚きはしなかった。史文恭の語りが続く。
「丁度その折、当主は血眼になってメイリン様の配偶者を探していた。より才ある子孫を作るためにな。それにはメイリン様の異能も関わっていた」
異能とは、生まれながらにしてその人間に備わる特殊能力を指す。ごく稀に後天的に備わる場合もあるが。
曹一族と長い間敵対関係にある別の傭兵集団、梁山泊などはこの異能持ちを積極的に集めている。しかし、曹一族は特段そういった者たちを集めているわけではないと巴は認識していた。
「……異能? 母はそんなもの持っていなかったはずだが」
二つの組織の特色と母の姿を思い出しながらの巴の相槌に、褐色美女は優しく返答する。
「いや、持っていたよ。あの方の異能は"母胎"。この女が産む子は天下に二人といない傑物になる、と鑑定士は太鼓判を押していたそうだ。故に当主は次代を担う子のため優れた武芸者を探し回っていた。その矢先に相馬遙が来たというわけだな」
ここまで話してから、今度は史文恭が額を指で押さえる。
「それで、俺の両親は出会ったわけか?」
巴の疑問に即答はせず、しばらく黙り込んでから褐色美女はゆっくりと口を動かすのを再開した。
「わざわざ日本から深刻そうな顔をして来訪した青年と、父親の客人に出す茶を何気なく持ってきた若い女。二人は一目合わせるなり、いきなり手と手を取り合い……」
「取り合い?」
「そのまま、『この女性をください』、『この方と契らせてください』と二人して言ったそうだ」
「先祖代々何やってんだよ……!」
巴のツッコミを聞きながら、史文恭はまたも盛大な溜息を一つ。同情する気は欠片も無かったが、巴は空になっていた湯呑みに向けて急須を傾けてやった。
少しだけぬるくなった玉露で唇を湿らせた女が、今度は憎々しげな口調で続ける。
「もちろん一族としては猛反対だったらしいが、またもや当主の鶴の一声でその場は納まった。娘が良いと言った以上結婚は許す。しかし子は絶対に作り跡取りにさせろ、そして娘の遺灰はこちらの墓に入れる、とな」
「……横紙破りってのは、そういうことか」
一つ納得して呟いた巴に史文恭は厳しい声をぶつける。
「そうだ。お前の父親は、行き詰まった流派を先に進ませるためとはいえ我らを騙した格好になっている。少なくとも今の時点ではな」
もう少し続けよう、と史文恭が言葉を繋げる。
「そして四年前、相馬遙はようやく曹一族の里に再訪した。誓約の一部通りメイリン様の遺灰を持ってな。丁度その頃、お前はヒュームに捕まっていたそうだが」
「……なるほど。俺が一回里帰りした時に親父がいなかったのはその時期ってことか」
巴は九鬼から一度暇をもらって身辺整理をしようとした時のことを思い出す。姿をくらませた父親のことを不思議に思っていたが、最上幽斎が襲撃される段になってようやく曹一族へ身を寄せていることを知ったのであった。
「当主は当然お前の父親を責めたよ。なぜ孫を持ち帰ってこない、とな。それに対してお前の父親はこう答えたわけだ。『息子はまだ完成しておりません。私の命を以て、相馬として完成させます』と」
「そう、か」
「里に来てから、相馬遙はひたすら技と体を練り上げていたよ。いつかお前を鍛えるためだけにな。鬼気迫る彼の様子を見ていれば、親の愛情とは損得ではないと、まだ家庭を持ったことのない私でも理解できた」
「……そうか」
噛み締めるように頷く青年に、褐色美女は丸い口調で語りかける。
「様々な形があるとはいえ、家族というのはいいものだな」
「ああ、俺もそう思う」
いつの間にか互いに険の取れた視線を向け合っていた二人。巴は史文恭の金の瞳を見ながら、とある事実に気付く。
(……業腹ながら認めざるを得ない。俺とこの人は、似てるんだ)
恐らくそれは血脈のせいであったり、生育環境のせいであったりと様々な要因があるのだろう。決して外見ではなく、いわゆる精神の部分でこの二人には通じ合うものがあった。
(まあそのせいで一目見た時に敵だって直感したんだけどさ)
結局のところ似た者同士相容れないわけだ、と結論付けた男は目線を厳しいものに戻し、居住まいを正してから曹一族の武術師範に問う。
「俺が曹一族の当主直系であることは了解した。父が約定を破っている状態にあることも了解した。その上で、貴方は俺に何を望む」
「そうだな、では本題に入る前にもう一つ前提条件を話そう」
同じく姿勢を正し、武人としての威圧感を放ちながら曹の武術師範は一つの深刻な事情を伝える。
「元々お前に接触を図るのは大学に入ってから、という予定だったのだが……先日、お前の祖父にあたる当主がお倒れになられた。一命は取り留めて快方には向かっているが、三年後に生きている保証はない。当主自身がそう仰っていたよ」
「なっ……」
顔を見たことはないが肉親が倒れたことを聞かされ、巴は目に見えて狼狽する。
「加えて、武神と最強、あの両名を討ち果たした実績を作ったお前ならばもう十分に資格ありだと判断され、わざわざ私が派遣されたわけだ」
動揺して眼光揺らぐ若武者の目を、史文恭は金の瞳で射抜く。
「その上で、曹一族の武術師範、史文恭として告げる。まず一つ、一度は当主に会いに来い。そしてここからは二択より選んで構わんが、父の禊を済ませたいならお前が曹一族に来るか……」
固唾を飲み込んだ修羅へ、史文恭は誘うような妖しい色香を纏った目線を向けた。
「お前の種を私に寄越すか。どちらか選べ」
「……は?」
「なに、心配することはない。種さえ貰えれば後はこっちで育てる。お前の種なら、良い仔が産まれそうだしな?」
たわわに実った胸の谷間を見せつけるように腕組みして持ち上げた女に、言葉の意味を理解した男は半ば怒鳴りつけるような声を浴びせる。
「そんな無責任なこと出来るか!」
「ほう。我が体ながら中々にそそる肉付きをしていると思っていたのだが……不満か?」
「不満とかそういう問題じゃないだろ」
「お前ほどの男、世界を探してもそうはいまい。将来性もある。お前のことはかなり魅力的な雄だと思っているぞ?」
「評価してもらえているのは有り難いが、そんな種馬じみたことやりたくもない」
口を尖らせた巴を見て、妖艶な笑みを浮かべていた褐色美女は一転して真剣な表情を作る。
「ではお前が里に来い。親の因果が子に報い、とまでは言わんが馬一族の後始末が出来るのはお前だけだ」
「行ったら、俺を当主として祭り上げるんだろ」
「当たり前だ。お前はそれだけの力を示したからな」
動揺しきりの若者を見て、史文恭は落ち着いて思考する。
(この程度の交渉術に引っかかるとは。少し期待外れだったかな)
曹一族の当主になるか、史文恭を孕ませるか。こういった極端な二択を提示して結論を急がせる常套手段に加え、肉親が倒れたとの条件でさらに焦燥感を煽るという単純なやり口で判断力を奪えたとした褐色美女は、内心で巴への評価を低く見積もった。
しかし巴は一度深呼吸を挟み、曹の女に向けてこう発言する。
「ひとつ、可能性の話をしておく」
「ほう。言ってみろ」
「当主が弱っている曹一族が、俺が最強を倒したことで慌てて接触を図ってきた……というわけでは無いと思っている」
この言葉を聞いて、中々に鋭いと史文恭は男への査定を少々改めた。
しかしこれだけで認めるわけにはいかない、と褐色美女は巴の論理の穴を躊躇いなくつつく。
「つまり私が語ったことは嘘ではない、と。果たして証明する材料はお前から見てあるのか?」
口調と同様に真剣な表情を見せた史文恭へ向けて、巴は自分の思考をゆっくりと言語化していく。
「まず、親父が曹一族と関わりがあったという事実がある。そして、信頼性には欠けるが……符合することが多すぎる。言い換えれば、状況証拠が揃い過ぎてる」
「貴様は物証無しに人の言うことを信じるのか?」
史文恭の詰問を聞いた巴はさらに論を進める。
「物証がない、ってこと自体があんたのことを信じてる理由だ。どうしても俺を説得したいんなら、でっち上げでいいから親父の印でも入った念書やら、それこそDNA鑑定の結果でも提示すれば良かった」
「望み通り、持ってきてやろうか」
薄笑いを浮かべながらの程度の低い挑発に対し、修羅は首を左右に振った。
「もし本交渉じゃないって言われたらそれまでなんだが、俺との交渉には今まであんたが出した情報だけで十分って判断なんだろう。それに……」
「それに、なんだ?」
金の瞳の視線に怯んだ訳ではなかったが、巴は口ごもりつつ言葉を紡ぐ。
「あんたは、俺と似てる」
「……はあ?」
「ええと……交渉が苦手で、必要以上に嘘を言わない。嘘をついてるとしても最小限。これは、あんたが出来る限り情報を絞ろうとしていたことからも明らかだ」
「私がボロを出すような愚か者だと言うのか」
「少なくとも、腹芸は得意じゃあるまい」
「お前に似ているから、か?」
「……そうだ」
控えめながらも巴は断言する。それを受けた史文恭は―――
「―――ぷっ。くっ、ククク。あっはっはっは!」
吹き出したかと思えば、部屋中に響き渡るほど呵呵大笑した。
腹を抑え、鼻梁の整った美貌を破顔させて笑う美人に巴は面食らう。旭はそんな男の様子を落ち着いた笑みで見つめている。
数十秒ほど笑い転げてから、目尻の涙を拭いつつ史文恭は旭将軍に水を向ける。
「ヨシナカ。お前の男は、意外と大物のようだな」
「意外とじゃないわ。貴女が欲しがった竿も大物よ」
「私の誘いを断ったときは不能かとも思ったが……そうか。男としてもちゃんと機能しているのだな」
「ええ。絶倫よ」
「ちょっ、旭さん」
いきなり性事情を暴露し始めた恋人を抑えようとした巴に、史文恭から改めて声がかかる。
「悪かったな、トモエ。これから私の主君になる人間の器量を試したかったんだよ」
こう言ったかと思うと、曹一族の武術師範は椅子から立ち上がって巴に近寄る。そして恭しく跪き、日本式で臣下としての礼を見せながら、朗々と歌い上げるように謝罪した。
「次期当主、相馬巴様。先ほどよりの無礼、心から詫びさせていただく。今日この時より、史文恭の名を懸けて貴方に仕えよう」
頭を垂れた女に、男は困惑した声で応じる。
「……かしこまるのはやめろ。気色悪い」
「そうか? では戻すぞ、トモエ」
「戻り過ぎだろ!」
「わがままな当主だな」
「あっ、ああ言えばこう言いやがって……!」
すっくと立ち上がり、からかう調子に戻った史文恭に巴は歯軋りした。
なんとか気を持ち直し、男は一度呼吸を入れる。
「……とりあえず、認められたってことでいいのか」
「ああ。強さは申し分ない。当主としての貫禄はまあ、これから身に付けてもらうことにしようか」
これにて、相馬巴と史文恭の二度目の邂逅は終幕した。
テーブルの上を片付け、史文恭が最上家の使用人から部屋の説明を受けている中、木曾義仲と巴御前は並んでリビングを出ようとする。
「じゃあお風呂に入りましょうか、巴」
「了解、旭さん」
旭を伴った巴が出入口に差し掛かると、背後から声がかけられる。
「おい、トモエ」
「なんだ? まだ何か―――」
男が無造作に振り向く。すると、目の前に史文恭の顔が迫っていて。
「―――ン」
「んんっ!?」
薄いながらも、確かな弾力を持った唇が男のそれに押し当てられた。思わず巴は女の肩を押す。
「っ、何しやがる!」
混乱から一瞬で気を取り直した若武者に、褐色美女はニヤリと悪戯っぽい笑みを向けた。
「フン。私の誘惑を袖にしてくれた仕置きだ。後はそこの女にたっぷり説教されるといい。では使用人、部屋への案内を頼む」
「おい!」
「巴?」
「ひっ……」
修羅は決闘の時よりも遥かに重い恐怖にさらされる。そんな男に、心底愉快そうな面持ちの女が追い討ちをかける。
「ああ、さっきのは一応私のファーストキスだ。有難く受け取っておけ」
「あんたなあっ……!」
「……こほん」
咳払いを一つした恋人に、巴は恐る恐る視線を戻す。一度目を合わせてから、旭は男に非難を向けた。
「ひどいわっ! ほんとは由紀江や史文恭みたいなナイスバディが巴の好みなのねっ!」
「あっ、旭さん!」
「くすんくすん。うわーんっ!」
「旭さーん!」
目元を拭う仕草を見せ、濡羽色の髪をたなびかせながら部屋を飛び出していく旭。巴は縋り付くように腕を伸ばし、床に膝をついた。
四つん這いになった男の頭上で、溜息の音が一つ。
「アレ、嘘泣きだろ?」
史文恭の呆れ混じりの指摘に、茶番を演じていた巴は何事もなかったかのように立ち上がりながら応じる。
「付き合わないと旭さんがもっと不機嫌になるんだ」
「よく分からんが、私はダシに使われたようだな」
「取り敢えず、俺は旭さんのとこに行くから」
足早に旭を追おうとする巴を、史文恭がもう一度呼び止める。
「ついでだ。二つほど忠告しておくぞ、トモエ」
「なんだよ」
無視できない迫力があると判断した修羅は、武術師範の言葉を背中越しに聞く。
「何も言わないという方法でも嘘は吐けるということ。そして、女は嘘を吐くのが上手いということだ。一応念は押しておく」
「……何を言いたい」
「さあな。それは次期当主としてお前自身で考えろ」
要領を得ない問答に巴は舌打ちをしかけて、やめる。代わりに、今後のスケジュールを部下予定の人間に伝えた。
「曹の里に行くのは、早くともテストが終わってからにしてくれ。こちとらまだ学生なんでな。夏季休暇に入れば時間が取れるはずだ。もし現当主……俺の爺様が倒れたとかであれば改めて連絡を寄越せ」
「了解した」
「じゃあな」
修羅が居間を去り、使用人と二人残された史文恭はボソッと呟く。
「今のうちに私に乗り換えなかったこと、後悔するなよ。相馬巴」
聞く者が聞けば負け惜しみにしか聞こえない台詞を口にした褐色美女に、使用人が話しかける。
「では史文恭様。お部屋にご案内します」
「ああ。よろしくお願いしよう」
椅子に立てかけていた鉄塊を軽々と持ち上げた史文恭は、自分に宛てがわれた個室へと歩を進めていった。
一方、相馬巴はと言うと。
「つーん」
「すいません、機嫌直してくださいませお嬢さん」
「史文恭ほどボンキュッボンじゃないわよ」
「貴女様の肢体が最高だと思っておりますので、どうかご容赦を……」
「言葉だけでなく、体で証明してほしいわ。部屋に行ったら、お相手してね?」
「……喜んで」
浴室で恋人の体を垢一つ残さず磨き上げていたのだった。
というわけで、巴くんのモデルは史文恭だったというお話。
ヒロインになる可能性はあります。相性は抜群なので。