真剣で旭に恋しなさい!〜月鏡、朝日に照らされて〜 作:夢迷月
読んでくださる方に改めて心よりの感謝を。感想評価等励みになっております。
早朝。自室から稽古用の袴に着替えて出て来た巴を、金の瞳が出迎えていた。
「おはよう、トモエ」
「……おはよう」
文庫本を手挟んだ女は狼牙棒を壁に立てかけ、足元には読み終わったのであろう雑多な書籍を大きさの順に十冊ほど積み上げている。
「これから朝の鍛錬か?」
「そうだ。昨日してないからな」
眠そうな顔で刀を携えた男から、色々な体液の混じり合った生臭い匂いを嗅ぎ取った史文恭は、険しい視線を向けながら問いかける。
「まさかとは思うが、お前らあれからずっとヤってたのか?」
「いや、流石に寝てるぞ……三時間くらい」
苦笑いで返答した男に、褐色美女は苦言を呈す。
「淫蕩に耽るのも控えめにしておけ」
「……それについては、真剣に検討してる」
「そうか。それは良いことだ」
ヒュームとの決闘直前やけに殺気立っていたのは、シンプルにヤり過ぎて睡眠時間が足りていなかったからではないかと考えていた巴は正直に応じた。
「逆に聞きたいんだが、あんたずっとここで本読んでたのか?」
「いや? 睡眠を取ってのち一時間ほど前から待機していた。あまりにも初歩のこと過ぎて確認し忘れたことがあってな」
「なんだよ」
「お前、今のところヨシナカは中国に連れて行く心算なのか?」
「……ああ、そのことね」
「なんだ、もう少し取り乱すかと思っていたが考えがあるのか」
史文恭は自分にとって予想外の反応に、思わず口を挟んでしまう。からかわれたのを気づきつつ、男は自然体で返答した。
「色んなことがあるのは分かってるけど、何度でも説得して、納得してもらった上でついてきて貰うよ。そういうのが男の甲斐性ってもんだと……思う」
語尾は弱々しいものの、男として成熟する途上にある青年の言葉に、褐色美女は相好を崩す。
「私に力押しで負けるほど線の細いガキだったお前が、随分と言うようになったものだな」
「うるせえ。それで反省してちゃんと肉付けたんだよ」
「ますますお前が欲しくなったぞ。ん?」
史文恭は巴のゴツゴツした手をおもむろに握り、指先で手の甲を撫で回す。僅かにマメを作りながらも女性らしい柔らかさを失っていない手と、くるくる円を描く細指の感触に背筋を震わせた男は、やんわりと手を引いて距離を取った。
「なんだよ、いきなり」
半目で睨む青年に、褐色美女は心底不思議そうな顔で応じる。
「誘惑しているつもりだったのだが」
「今ので?」
「そうだが?」
「……可愛いもんだなあ」
旭と比較しながらの若武者の物言いに、曹の武術師範はいっそ分かりやすい程苛立ちを示した。
「ではこうしようか」
腕に思いっきり豊満な胸を押し当てて抱きつき、今度は直接股間に手を伸ばして来た女を、巴は慌てて振り払う。
「変わりすぎだろ!」
「フン。昨日から思っていたが、お前私を舐めているな?」
「いや、だってあんたには勝てるし」
「……ほう?」
改めて体を離した史文恭が無表情で狼牙棒を持ち上げたのを見て、巴は刀の柄に手を添え臨戦体制に入る。
すり足でジリジリと後退する男、傍目には全く動いていないように見える歩法で彼我の間合を保ってにじりよる女。
そんな二人の間に、素肌の上からシーツだけを身につけた美少女が忽然と現れる。その体からは、決して良いとは言えない臭いが巴と同様に漂っていた。
「はい、おしまい。あんまり喧嘩してると、二人とも朝ご飯抜きにするわよ」
「……オーケー、旭さん」
「了解した」
その気になればどこからでも食糧を調達できるはずの二人は、旭の言葉につい無条件で頷いてしまう。
あくびを一つして二人を放ったまま歩み去ろうとする恋人の肩に、修羅はそのゴツゴツとした手を添える。
「旭さん。ちょっと待ってね……奥義、行雲流水」
男が一言呟くと、二人の体から立ち上る交合の残り香は影も形もなく消え去った。
普段通りの花のような芳しい香りを身に纏った旭将軍は、微笑みながら巴御前に向けてウィンクを一つ。
「ん、ありがとう。じゃあ先にお風呂入ってくるわね」
「行ってらっしゃい」
白いシーツをさながら神話に出て来る女神のように引きずりつつ歩み去る背中を、男は惚けた目で見送る。そんな男へ褐色美女は戸惑ったような声を向けた。
「便利な技だな、とか色々言いたいことはあるが……もしや、ヨシナカの方がお前より大物か?」
「旭さんの方が俺の百倍は大物だよ。人使うのも上手いし、責任だけ俺が取って指示は全部旭さんが出す傀儡政権でも全然アリだと思ってる」
「なるほど、そういう関係か」
「そう。旭さんと俺は、明確に使う側と使われる側だ。俺は一本の剣であって、それを振るうのが旭さん。兵が俺、あの人が将。多分、この構図は何十年経っても変わらないんじゃねえかな」
史文恭は形の良い顎に一度手をあてて、それから確認するように呟く。
「私としては、次代の当主の責任放擲とも言える発言を咎めるべきなのだろうが……」
「そっちの方が適任だ、とも思うんだろ?」
近い将来主君と仰ぐことになる青年の問いに対し、武術師範はわざとらしく首を振った。
「いや、やはりそれはいかん。トップに立つだけの能力をあくまでお前に身につけて貰わねばな」
からかう成分など微塵もない金の瞳の真剣な視線に射抜かれた修羅は、この問答に区切りを付けるべく史文恭に背を向けた。
「これ以上やると本当に朝食抜きだから、俺は稽古に行く」
「承知した。では、お相手しようか。私も体を鈍らせるわけにはいかんからな」
「了解。じゃ、こっちに来い」
テンポのよいやり取りをしつつ、曹一族の次期当主とそれを支えることになる武術師範は連れ立って地下シェルターへ向かうのだった。
一時間後。
地下空間に存在していたのは、四つん這いになりながら悔しげに顔を歪ませる女と、二本の足で悠然と立つ男。
「チッ……お前、強くなり過ぎだろう」
「単純な出力で負けない以上、負ける気がしねえよ」
「覚えておこう。また練り直しだな」
「飯、食いに行こうぜ」
密度の高い稽古を終えた相馬巴と史文恭の二人は撤収し、旭の美味しい朝食に舌鼓を打つのであった。
2009年 7月 7日
とあるファミレスで、大きめのテーブル席に六人の学生たちが腰掛けていた。その中で唯一の男は、演技がかった動きでこう催促する。
「さあ、俺の誕生日を祝いたまえ。君たち」
「おめでとう、巴」
「おっ、おめでとうございますっ! 相馬先輩!」
「へえー。今日お誕生日だったんだ。おめでとう、相馬くん」
「はいはいおめでとー。燕。お前、何食う?」
「えと……これ、燕ちゃんも言わなきゃいけない流れ?」
旭、由紀江、清楚、百代の順で祝いの言葉を述べるのに、松永燕はぷにぷにした頬に指をあてながら一言挟んだ。これに対し、巴はいつものニコニコとした表情で応じる。
「言ってくれたら、今日全部奢るよ」
「いやー! おめでとー相馬くん! よっ、太っ腹! 大明神様!」
「……まあ、あくまで冗談だから、持ち上げる必要ないんだけど。別に言わなくても奢るし」
転身の早い納豆小町に、修羅は梯子を外すように応答する。しかし燕はひらりと飛び去るように問い返した。
「でも、本当に奢りでいいのん?」
「誕生会はホスト側がゲストに食事と酒を用意して、祝いの言葉を言わせる場だろ?」
この言いように、燕は座ったままで一歩引いて見せる。
「うわっ。さりげなく住む世界の違いそうな発言……ま、いいや。じゃ遠慮なく頼んじゃいまーっす!」
「そうしてくれた方がこっちとしては助かる。由紀江さんや葉桜さんも、好きなもの頼んでね」
「はっ、はいっ!」
「うん。じゃあモモちゃん、私にもメニュー見せて」
百代、燕、清楚の向かいに由紀江、巴、旭の席順で座った面子は、二つのお品書きと期間限定メニューが書かれた一つを分け合って目を通していった。ちなみに史文恭は巴の後ろに陣取っていて、褐色美女とお近づきになろうとした百代が巴に制されて粉をかけ損なっていたりする。
およそ五分後。一通り悩み切った清楚を待って、呼び鈴の近くにいた由紀江がボタンを押す。
「お待たせしました。ご注文お決まりでしょうか」
決まり文句と共にテーブルまで来た男性の店員に、代表して巴がオーダーをつらつらと並べていく。
「あ、じゃあこれとこれと……」
「かしこまりました。ではドリンクバーの方あちらになっておりますので、お好きにお取りください」
大量の注文を受け取った店員は足早に去ったかと思うと、ちらりと巴の方を振り返って負の念が籠った視線を向ける。
態度の悪い店員だなあと男が思っていると、それを察した旭が恋人を窘めるように声をかける。
「巴。学園でも睨まれていたんだから、何も事情を知らない店員さんから良く思われないのも当たり前だと思うわ」
「……なんで?」
「そりゃお前こんな綺麗どころ揃えてたら、男なら誰でもこいつ殺すって思うだろ」
巴の疑問には、黒い液体をなみなみと注いだコップをいつの間にか卓上に置いている百代が答えた。
男一人に女五人、しかも女性側は全員黒髪美少女。なるほど侍らせているようにしか見えないだろうと巴は納得した。
「Sの教室からアキちゃんと清楚ちゃん連れてきた時点でやばかったけど、Fで私と燕、一年のとこまで行ってまゆまゆ拾ってきたとこでもうとんでもない怨念籠った視線向けられてたんだぞ、お前」
「あれで怨念かあ」
「なんだと思ってたわけ?」
カップを豪快に傾けた武神が呆れながら問うと、修羅は朗らかに笑いながら応じた。
「いやあ、ヒュームさんの方がもっと怖かったし」
「……そりゃそうだろ」
「オラ、比較対象がおかしいと思うんだ」
「俺には旭さんっていう可愛い彼女もいるしね」
「いや、客観的に見たら浮気者な感じもするけどねん」
などと携帯ストラップを含めて他愛ない会話をしていると、注文した品々が各々の前に配膳される。
旭、巴が自然な動作で手を合わせたのに従うようにして、他四人も手を合わせた。
「では、いただきます」
旭将軍の号令で、各人は自分に供されたデザート群にスプーンを伸ばしていった。
一通り甘味を舌に染み渡らせたところで、唯一の男から話を切り出す。
「んで、これは旭さんに質問する会の続きだったと記憶してるんだけど」
「ふぁれ? ほうらっけ?」
「モモちゃん口に詰め込みすぎだよ、仕方ないなあ」
「……ごくん。奢りのパフェが美味いのが悪い!」
「美味しいのは否定しないケドさ」
巴と同じ注文だった巨大パフェに乗ったアイスと生クリームを頬張ったまま応じた百代の口元を、燕が甲斐甲斐しく紙ナプキンで拭く。
そんな二人の様子を見て、今度は旭から話を促す。
「私の出自に関してはてれびでもう話したから、もういいんじゃないかしら。もちろん質問してくれたら話すけれど、貴方たちが気になっているのはこの前の決闘に関して、でしょう?」
「……そうなの?」
季節のフルーツを頬張っていた巴が疑問符と共に応じると、燕、清楚の二名が百代に目配せする。
「なんだよ、燕、清楚ちゃん」
「いやあ、あの推理が合ってるかどうか、私も気になってたというか」
「うん。私もモモちゃんのお話聞いて、そんなことあるのかなって思ってたし」
「いや、あれはそう考えざるを得なかったというか、消去法みたいなもんだしなー」
「なんの話だよ、それ」
焦点のぼやけた話を聴きながらアイスクリームを食べていた巴はたまらず口を挟む。男の差し出口に対し、百代は気を取り直すため一度咳払いをしてからこう告げた。
「相馬。お前の新月なんだけどさ」
「うん」
「あの瞬間、お前って"世界から存在ごと消えてた"だろ?」
「……おっと?」
いきなり核心をつく質問を投げかけてきた武神に、修羅は少しだけ面食らう。平常心を保つよう心がけながら、巴は真剣に応じた。
「一応正解とは言っておくけど、ちなみに根拠は?」
「見れば分かるというか、アキちゃんを見てたから分かったというか……うーん、言葉にするのが難しいな」
腕組みして首を傾げる百代を見て、巴はいつも通りのへらへらした笑いを顔に貼り付けながら答える。
「才能にかまけて鍛錬を怠ってたが故に言語化能力が低いお馬鹿な君の代わりに俺が言ってやろうか」
「むむむ。言われようが癪だが、まあしょーがないか。頼む」
「"俺がいない方が収まりがいい"、と直感的に思ったんじゃない?」
あっさりした口調での返答に、今度は百代の側が驚いて見せる。形の良い顎に指を当て、頭に手を持って行って美しい黒髪を一度かき回し、それからピンと豆電球を灯した。
「そうだ! なるほど、収まりがいい、か……」
うんうんと頷く武神と、笑顔のままの修羅。そんな二人を眺めて、旭以外の三人はさらに疑問を深める。
美少女たちの当惑を看取した巴は、彼自身の言葉で話し始める。
「どこから話したものか、とは思うんだけど。取り敢えず、元になったのは旭さんの存在感を消す技だよ」
「あれ、存在感を消すってレベルか?」
パフェへスプーンを突き刺しながらの百代の疑問に、巴は質問を投げ返す。
「じゃあ存在感がないことと、存在そのものがないこと。川神さんだったらどう判別する?」
「んー、戸籍とか?」
「……意外と賢い返答してこられると反応に困るな」
「なんだと!?」
憤慨して見せた百代だったが、この会のホストが見せた宥めるような仕草に一度引き下がった。
「まあまあ……ともかく新月は俺の存在そのものを消す技だよ。そうでもしなきゃ、ジェノサイドチェーンソーは回避出来なかった」
「そんで、お前を繋ぎ止めてるのがアキちゃん、ってことか?」
「そう、だけど」
男はここで語尾を弱くして、チラリと恋人に視線を向ける。そして視線のみならず、口を形の良い耳元に寄せた。
言ってもいいかと囁く巴御前に、旭将軍はわざとらしいため息を一つ吐いてから頷く。
許可を得た男はニコニコした笑みを浮かべて、こう言ってのけた。
「旭さんの前で言うのはちょっと憚られるんだけどさ。俺って本来いなくてもいい存在なんだよね、多分。より正確に言えば、世界との繋がりが薄い」
「世界との繋がりが薄い……どゆこと?」
納豆小町が可愛らしく小首を傾げたのに対し、男はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「あれは親父を殺して断風を継承した後……」
「いきなりヘビーな出だし過ぎるだろ相馬パイセン」
松風のツッコミに、先輩は一つ咳払いをしてから語りを再開した。
「旭さんに気配を消す技のことを教えてもらった時、俺はこう考えたんだよ。他者の記憶や認識が無くて、記録も残ってない時。果たしてその人間は存在していないのとどう違うんだろう、ってね」
各人が相槌を打つのを見てから巴はこう続けた。
「相馬流はね、もう終わった流派なんだ。俺が終わらせたし、俺が表に出なかったら歴史の影で姿を消してたはずだった。親父が死んだ時点で、色んなお偉いさんとの接点とかも少なくなってたからさ」
「相馬先輩。流派を終わらせたとは先日おっしゃっていた完成のその先、という話でしょうか」
後輩女子からの不安げな問いに、修羅は太い指を四本立てて見せる。
「断風、重ね桔梗、行雲流水、月鏡。四つある奥義を全部使えるようになったのは歴史上俺だけ。つまり先祖代々の悲願、完成形が俺ってこと。これで相馬流はおしまい。めでたしめでたし……」
指を畳み、息をつくためにスプーンへ乗せたチョコプレートとアイスクリームを一口で頬張り、口直しにシロップ入りコーヒーを飲んだ男は、飲料由来のものとは違う苦み走った表情になる。
「……だったんだけどさ」
「だったんだけど、なんだよ」
百代の反問に、巴はそちらをチラリと見る。八割程度の呆れとその他諸々が篭った視線を受けて、武神は戸惑う。
「な、何か文句あるのかよ。相馬」
「俺が今まで出会った中で、実力で勝てないと思ったのが一人。才能で勝てないと思ったのが一人。わざわざ言わなくても分かるだろ?」
「ヒュームさんと……一応、私か?」
その通り、と言いたげに巴は頷く。それからこう言葉を繋げた。
「俺は人生で二回負けたことがある。完成する前にヒュームさんにボコボコにされたのと、完成した後に一回負けた」
負けたという単語を聞いて僅かに驚愕を見せた旭以外の一同を見やり、負かした相手は俺の後ろにいるけどねとは修羅は言わないでおいた。
「んで、二回目負けた時にこう思ったわけだよ。なるほど、相馬流の完成形程度じゃヒューム・ヘルシングはおろか他のやつにも負けるんだ、ってね」
「ちなみに、その時もちょっとした思い出があるわ」
「っ……いやっ、旭さん。それは」
旭が口を挟んだのに、巴は分かりやすく体を震わせて動揺を見せる。その様子を見て、百代と燕の二人が好事家の笑みを浮かべた。
「ふふふ。巴は負けた後、二日間寝込んでいたのだけれど」
「旭さん、ちょっとストッ……」
白皙の美貌の前で節くれだった手をブンブンと振る男。その隣に座る後輩に向けて、武神が鋭く指示を飛ばす。
「まゆまゆ! 相馬を抑えろ!」
「はっ、はいっ!?」
「ごめんよ相馬パイセン、武神サマには逆らえないんだオラってば」
「えいっ! 足は抑えたよん!」
「てめーらなぁっ……!」
松風を巻き込んで腕を封じた由紀江、テーブルの下で巴の足を行儀悪く蟹ばさみした燕。
「巴」
「……はい」
そこに彼女からの追撃が入り、修羅は大人しくなる。よろしい、と気を取り直したところで旭は思い出を話し始めた。
「私は寝ている巴の横でりんごをウサギさんに剝いていたのだけれど、二切れほどつまんだところで彼が起きたのよ」
「ほうほう、それで?」
興味津々とばかりに身を乗り出して聞く体勢を作った納豆小町の視線から、話の続きを知っている巴は気まずそうに目を逸らした。
「起き上がるなり、巴はベッドに私を引きずり込んで無理やり唇を奪い……」
「うわ、最低だな相馬」
「お嬢さんお嬢さんと言いながら私の服を脱がしていって、下腹部の硬くなったものをぐいぐい押し付けてきて……」
「はわわわわ」
百代の軽蔑の目線、清楚の羞恥混じりの瞳から逃れるため、ついに巴は首を真横に向けた。男の視線を受けて、旭将軍は可愛らしくウインクを一つ見せる。
「ああ、私の初めてってここで奪われちゃうんだ、まあ巴は素敵な男の子だしいいかなって思ったんだけれど」
「それでそれで? シちゃったの?」
「初めてはもうちょっとロマンチックな方がいいなと思い直した私は、こう、右フックを巴のこめかみにズドンと」
中指第二関節を突き出させた握り拳を旭が横に振って見せると、川神三年美少女三人衆はめいめいに反応を返す。
「はい撤収。ガッツリエロい話期待して損した」
「なるほどねん。無事アキちゃんの純潔は守られたと」
「よ、よかったぁ」
「それでもう一日寝込んだし、ちゃんと土下座して謝ったから!」
大慌てで反論した男に、三人衆は呆れた視線を向けた。
「あのな相馬。謝って済む問題じゃないだろ?」
「燕ちゃんなら一生脅しちゃうかも」
「女の子はデリケートなんだから、謝ったとかで終わらせるのは良くないと思うよ、相馬くん」
「うっ、うごご……」
「ふふ。ファーストキスはりんご味だったわ」
「Woo! 甘酸っぺー!」
ストラップにまでひとしきり揶揄われた男は、項垂れながらも続きを話す。
「その時の俺は大真面目だったんだよ。相馬流として完成した俺がこの程度の実力しかないんだったら、次の世代にどうにかしてもらうしかない、って思ったんだ。うちはそうやって血を繋げてきたもんだから」
「……なんか、無責任じゃね? お前」
「挙げ句の果てが未遂犯だしねえ」
「君たち、俺に当たり強すぎない?」
巴は武闘派美少女コンビになじられつつも、記憶の中の自分の軌跡をなぞっていく。
「俺は旭さんに土下座しながら、申し訳ない、自分じゃ守れそうにありませんって言ったんだ。そしたら旭さんが……」
「好きな女は俺が守るくらい言えない男に私はあげないわ、って言ったのよね」
「そして旭さんを絶対に守るって考えた時に、まず浮かんだのがヒューム伯爵だった。もしあの人と敵対した時に勝てないのなら、守れないことと同じ。だから、俺はもっと強くなろうと思ったわけ」
修羅の語りに、その歩みを隣で見届けてきた旭将軍が補足を入れる。
「さっき巴に押し倒された、って言ったけれど。その頃はそんなに重くなかったのよ」
「ああ、負けた後必死に肉付けたからね」
「そうなの? 私は今の相馬くんしか知らないから、あんまりイメージ湧かないなあ」
「一年で10センチと20キロ増量したよ」
出された数字に驚愕した清楚に続いて、燕が素朴な問いを投げかける。
「えーっとぉ、健康が心配になる増量ペースなんだけど相馬クン、今身長体重は?」
「183の87。まあ日曜のあれで3キロくらい落ちて戻してる最中だけど」
ヒュームさんよりギリギリ大きくなれたんだよね、と少年のままのように無邪気な笑みを見せた男は、数秒だけ表情を維持した後、打って変わって真剣な顔を作る。
「……まあ、伯爵本人には言ってないけどさ。割と折れてはいたんだ。あの人に負けた時」
それは、青年の赤裸々な吐露だった。沈鬱ではなくとも深刻なその語り口に、聴衆の耳は自然と傾く。
「そして、もう一回負けてどうしようもなくなった時……俺は旭さんに焼き直して貰った。だから、俺はこの人の刀なんだよ。そうあり続けると誓ったんだ」
ゆっくりと、噛み締めるように。相馬巴は自分のルーツを明かしていった。
巴が一息つき、カロリーを摂取するべくスプーンを目の前のカップに突き刺したのを見て武神が語りかける。
「お前が二刀流になったのは、相馬流のその先ってことなのか?」
「んー、川神さんには質問を返してばっかりで申し訳ないけどさ、うちの四つの奥義って刀関係あるものどれくらいある?」
修羅の返答に、百代はかつて自分で体験した二つの奥義を思い出しながら指折り数えて思考を言語化していく。
「行雲流水、は防御技だから関係ないな。断風も素手で打ってたし、重ね桔梗はあくまで気の運用で……アレ?」
ここまで口にして、武神は自分の直感から素直に言葉を紡いだ。
「……もしかして、お前の技ってもはや刀を持たなくてもいい?」
「そうだね」
「つまり、二刀流であっても無手であっても、刀そのものを持っていてもいなくてもお前の戦力には関係がない」
「そうだね」
「刀を持って始まった流派が最終的に刀を捨てる、いや自分が刀と化す……なるほど、そういう意味で相馬流のその先、なのか」
「俺は完成型であり、さらにその先に在るものだから」
天才二人の、余人には追い付かない速度での対話。
「壁を超えた、さらにその先、か……」
百代の相槌に、修羅は頷きを一つ返す。
「まあ新月が完成しなかったら俺は伯爵と戦おうなんて気は無かったよ。超えるつもりではあったけどさ」
「新月というのは相馬流の奥義ではないのですか?」
「そこはちょっと違うんだよ、由紀江さん。新月は俺にしか出来ないんだ」
由紀江の言葉に応じ、それから満面の笑みで、浮かれた口調で巴は語り始めた。
「新月って月と太陽が一番近い時になるよねえ」
「私たちからしたら天体間の距離に近いも遠いも差はないだろうけど、まあそうだねん」
納豆小町が相槌を打つと、男は続ける。
「新月はね、旭さんの近くにいないと使えないんだ」
「そう言えば、義経ちゃんたちと稽古した時に今は使えないとかなんとか」
清楚美少女がこの男と出会った時を思い出しながら呟く。巴の言葉はさらに続く。
「さっき俺はいない方が収まりがいい、って言ったけど。俺は今ここにいる旭さんのことが好きなんだ」
「こりゃあ急に告白が始まる流れってやつかい? オラ照れるぜ……」
「こら松風。水を差してはいけませんよ」
由紀江の一人芝居を意に介さず、修羅の語りは終盤へと向かう。
「つまり俺が自分の存在ごと全部を放り投げたとしても、世界と俺とを旭さんが繋いでくれる。それは……」
旭は何も言わない。ほんのりと頬を紅く染めて、男の言葉を待つ。
「旭さんが俺を愛してくれてるから、なんだよね」
ストレートにも程がある言葉に、場の全員が思わず赤面する。無骨な顔を赤く染めながら、男は話をこう結んだ。
「俺は旭さんがいる限り、誰にも負けない。旭さんが好きだから、そして好きでいてくれたから、俺は強くなったんだよ」
これを最後に男一人と女五人が黙り込んだところで、質問会はお開きとなった。
店外に出た女五人は巴に頭を下げていた。百代は軽く、清楚や由紀江は深く。
「いやあ、会計済んでますなんて店員さんに言われたの、初めてだったよん」
一度お手洗いに立った時にカードで支払いを済ませていた巴は燕に笑顔を向けた。
「まあ、こういう席があったら俺が出すよ。男だしね」
「よく言った相馬! 今度また奢ってくれよな、梅屋の牛丼とか」
調子に乗った百代の言葉に引っかかるものがあった修羅は、記憶の隅から一人の男を思い出す。
「梅屋かあ。釈迦堂さんが好きだったなあ」
「あれ? お前釈迦堂さん知ってんの?」
「知ってるも何も、俺は川神さんとか学長の話を釈迦堂さんから聞いてたぞ。仕事で一緒だったから。九鬼に入ってからは会ってないけど」
仕事の詳細は言わないが、と僅かに視線を逸らした巴に、百代はとある情報を渡す。
「釈迦堂さんなら、そこの梅屋でバイトしてるぞ」
「……嘘だあ」
巴は一言呟くと、こう反論する。
「いや、あの人と勤労とが結びつかん。飲む打つ買うをこよなく愛し、せっかく仕事で貰った給料を女の子のいる店に全部費やして翌日の朝には子供だった俺に牛丼を奢らせるような人だぞ」
「こう聞くと酷い人だな釈迦堂師範代……ともかく、バイトしてるのはほんとだよ。今度行ってみたらどうだ?」
「私、お店の牛丼結構好きよ」
旭将軍が続いたのに合わせて、巴御前は笑顔を見せる。
「じゃあ今度行こっか、旭さん」
「ふふ。牛丼屋デートね」
「行くとき教えてくれよな。そして奢ってくれ。月末だと助かるにゃん」
「燕ちゃんが納豆サービスしてしんぜよう!」
「な、納豆はお店にあるんじゃないかな」
「いや、牛丼屋デートってなんだよって突っ込むとこだとオラ思うんだ」
「先輩たちは凄いですね松風……」
夕暮れ時の商店街に朗らかな会話を響かせながら、六人はそれぞれ帰路についたのであった。