真剣で旭に恋しなさい!〜月鏡、朝日に照らされて〜 作:夢迷月
相馬巴が新月の由来を語ったその夜。
関東の武道総本山、川神院の縁側で月を見上げるうら若き乙女が一人。武神などという猛々しい呼び名からは想像もつかないほど儚げな様子で、川神百代は夜闇に足を投げ出していた。
「今日は満月、か」
百代は夜空にくるりと指で円を描き、黄色い輪郭をなぞる。淡い光の向こうに一人の男を思い浮かべる姿は、紛うことなき恋する乙女であった。
いつもより少しだけ小さく見えるそんな背中に、近づく影が一人。川神院総代たる川神鉄心翁である。
「なんじゃい、モモ。珍しく悩んでおるのう」
「……孫娘を能天気なバカ扱いするな、くそじじい」
お馬鹿な君、という巴の悪態を思い出しながら応じた百代には、年の功を感じさせるしゃがれた優しい声が返る。
「ふむ。お主がそんな顔をするようになるとはのう。どれ、少し話を聞かせてみんか」
常日頃の川神百代ならば、誰が悩みなんぞ話すかくそじじい、と言ってはねつけていたであろう物言い。しかし川神院総代の予想に反して乙女はゆっくりと、そして素直に口を開く。
「今日、相馬と話してきた。アキちゃんや清楚ちゃん、燕、まゆまゆもいたけどさ」
「なんじゃいあいつめ、女侍らせてお茶しとったんかい。許せん!」
「……なあ、私寝ていいか?」
「ご、ゴホン。まあまあ待てい! 弟子の心の不安を除くのも師匠の勤めじゃ。話してみよ」
エロジジイめ、と思いつつ、百代は話の腰をまっすぐ立たせ直す。
「あいつの二刀流は、壁を超えたさらにその先に行くためのものだった、って言ってた。相馬としての完成の、その先だって」
「ふむ。完成のう。それを聞いてお主はどう思った?」
この答えを引き出すような問いに、武神は心そのままの表現で応じる。
「現時点で私とレベルが違うのも、当たり前だなって思った。あいつがヒュームさんっていう明確な目標を持って、それに向けて何年も必死に積み上げたのに比べて、私は随分時間を無駄にしたのかな、と思ったりしてる」
「あやつは完成のその先だと言うたのじゃな」
弟子がコクリと頷くのを見て、師は短く呟く。
「……まったく、相馬というのはどいつもこいつも変わらんのかい」
「相馬、って言うとあいつの親父さんとかのことか?」
「そうじゃの、少し昔話をしようか」
相馬には関わるなと言い含めただけで、その後何も語ることのなかった川神鉄心。その口から先々代までの相馬の実態が語られていく。
「儂はあやつの三代前、相馬葵と。ヒュームは二代前、相馬薫と親交があったんじゃよ。二人とも口は達者ではなかったが、心根は純粋じゃった。ひとたび刀を握ればドス黒い殺気が吹き出しはしていたがの」
孫娘は無言で、祖父の語りに耳を任せる。
「そしてあやつらも皆、同じことを言うておったよ。相馬としての完成を。全ての奥義の習得を、と。結局儂の知っておる限り、葵も薫とやらも四つのうち二つが限界じゃった」
「それで、相馬……巴のやつが四つ全てを覚えて、完成したんだろ?」
たまらず口を挟んだ百代に、老爺の鋭い声が飛ぶ。
「黙って聞いておれ。その様子じゃと、あやつが父親を殺したのも聞いておるんじゃろ」
「ああ」
「あれは別に相馬巴だけの話というわけではない。昔っから、相馬というのは奥義の伝承のため父と子、師と弟子が殺し合ってきた流派なんじゃよ」
「……っ」
枯れた声での短い一節。その裏側に隠された凄惨なる骨肉の争いを想像し、百代は思わず細身の肩を震わせる。
可愛げのある反応に、まだまだ青いのうと片方の眉を吊り上げながら、鉄心は語りを続ける。
「そも、考えてみい。およそ四百年……おっと、今から数えると五百年かのう。たかだか五百年で、今のあやつが二十七代目。代替わりが早すぎると思わんか」
「……言われてみれば、確かに。でもそれって寿命とかなんじゃないのか? ほら、昔の人って長生きできなかったとか言うだろ」
「寿命、寿命か。病死が天命を全うしたものとするならば、あやつの祖父、二代前の薫はそれだった」
「それって、良かったって言ってもいいのか?」
「儂からすればまだ人間らしい死に方と言えたが、本人は無念じゃったろうな」
ここまで話してから、総代は老体を孫娘の横に座らせる。月明かりに表情を隠すようにして、またしゃがれた声が話し始めた。
「亡くなる前日、薫はヒュームに会いに来たそうじゃ。そして酒を酌み交わしながら、次代の相馬遙について『あれは失敗作だ。相馬流はもう終わりだ』と言うとったらしい」
「失敗作って……」
「四百年の悲願を託した子には才能がなく、薫自身も病に侵されておった。二人が別れた日の一週間後には相馬遙の名前で儂のところにも訃報が届いたわい。父は病死しました、生前賜ったご厚情に報いること過少で申し訳ありません、と書いておった。そういうのは殊勝とは言わず卑屈だっちゅーのに」
口を挟めずにいる百代の沈痛な表情をちらりと眺めやってから、老爺は自分で自分の言葉を噛み締めるように緩慢な速度で話していく。
「確かに相馬というのはのう、完成を目指した一族じゃ。しかしモモ、完成とはなんぞや?」
「そりゃ、四つの奥義を……」
「あほう。奥義を身に付けようがなんだろうが、技を修めるのに終わりなんぞあるもんかい。一つの技は人生全てを懸けて練り上げるものであり、儂にしてからがまだまだ修行中じゃぞ」
「……むむ」
川神院総代の、ある意味では普段から具えていて当たり前なはずの含蓄ある言葉に、弟子は思わず鼻白む。続けて川神鉄心はまたしても片眉を吊り上げながら愛弟子にこう告げた。
「それに相馬巴のやつも終わりがないことに気付いたからこそ、完成のその先という言葉を使ったんじゃろ?」
「あ……」
「技の探究に終わりはなく、上達に限りはない。ま、お主はそこに至るまでの基礎がまだ固まっておらんがの。ホホホ」
年月を思わせる立派な髭を撫で付けながら、川神鉄心は朗らかに笑う。
それを受け、武神川神百代は―――
「―――うん。ありがとな、師匠」
さながら太陽を思わせる笑顔で、生涯の師へ素直に礼を述べた。
「分かったら寝るが良い。また明日からビシバシ鍛えてやるからの」
「りょーかい。じゃあな、じじい」
「じじい呼ばわりはやめんか!」
憤慨する老爺を背に、等身大の少女は自室に戻ろうとする。そしてその道すがら、廊下の角に潜んでいた小柄な影の肩をポンと叩いた。
「ワン子。変な姿見せてごめんな。明日になったら元気な私に戻ってるから」
「わわっ、お姉様、気づいてたの!?」
覗き見が露見していたことに、一子はしゅんとしてしまう。そんな可愛らしい妹を見て、姉である武神は朗らかに笑ってみせた。
「バレバレだったぞー。もう、ワンちゃんオーラが丸見えだったさ。おやすみ、ワン子」
わしゃわしゃと妹の赤い髪を撫でた百代は、上機嫌で自室に戻る。
しかしその背中を見届けた一子は、月明りから顔を隠すように伏せつつこう呟く。
「お姉様は、自分で前を向いて進んでる。だったら、アタシは……?」
悩む少女を取り残すように、満月は天頂から徐々に傾いて行った。
2009年 7月 11日
川神学園は確かに武を重んじる学風である。だが決して学業の方をおろそかにしているわけではなく、学年の上位五十位までを大きく掲示するものや、成績優秀者対象の留学制度等々、競争を推進させる施策を採用していた。
実際、各種有名大学への推薦枠なども確保されており、勉学においてもそれなりの評価を得ている。
そして、その方面での位置付けを確固たるものにしているのがSクラスという制度である。
掲示順位から漏れた学生は即別クラスへ降格。代わりに提出課題などはほぼ存在せず、自主自立の精神のもとでふるい落とされないよう勉学に励むことの出来る人間だけを集めた集団。
このエリート集団のトップをひた走ってきた女と、その傍を常にキープし続けた男。
その二人がいたのは、高級ホテルを思わせる絨毯の敷き詰められた廊下だった。
「じゃあ、私が押すわね」
「……うん」
巴はハラハラしながら、旭の細指がインターホンを鳴らすのを見届ける。ぴんぽーん、と間の抜けた音がした後、機械越しでも澄んだ声色が響く。
『大丈夫だよ。入ってきて、アキちゃん。相馬くん』
「ですって。行きましょ、巴」
男は頷きながら、オートロックの扉を開けた。
調度品も特にない質素な玄関だったが、ただそこにいるだけで空間を華やかにする清楚美少女が二人を出迎える。
「お邪魔するわ。清楚」
「いらっしゃい、二人とも」
「葉桜さん、お邪魔します。これつまらないものですが」
巴は手に持っていた白い箱を清楚に手渡す。ひなげしの髪飾りを微かに揺らしながら、美少女はそれを受け取る。
「あ、ありがとう、相馬くん。……うーん、相馬くんからご馳走してもらうのに慣れつつある自分が時々怖かったり」
「いやいや、勉強会の場所を提供してもらうわけだからね。ほんの気持ちだよ」
恐縮しきりの二人をよそに、旭将軍はすまし顔でこう宣言した。
「というわけで、テスト前、最後の追い込みと行きましょうか。レッツお勉強タイムよ」
Sクラスのツートップは、英雄クローンの葉桜清楚と勉強会をするべく、彼女の私室がある九鬼ビルへ土曜日の朝から来ていたという次第だった。
すでに組み立てられていた仮設テーブルに各人が教材を広げる。
「じゃあ、一時間区切りのインターバル十分にする? それとも九十分区切りの十五分かしら」
「俺は合わせるよ」
「私は九十分がいいかな」
旭の提案に清楚がはっきりと意見を提示したのに合わせて、巴は懐からタイマーを出す。太い指が動くのに連動して電子音が鳴り、デジタルの数字が蓄積される。机中央に計時用の機械が置かれると、評議会議長は躊躇いなく指を伸ばした。
「巴、私がぼたんを押していいかしら?」
「……どうぞ」
「相馬くん、何で緊張してるの?」
「見てれば分かるよ、葉桜さん」
「心外ね。たかだかこんな小さいもの一つ触ったくらいで壊れたりしないわ」
インターホンの時は大丈夫だったじゃない、と言いながら旭のたおやかな指が小さいボタンを押す。
すると、けたたましいビープ音が部屋を満たした。清楚は両目を、旭は片目を閉じて耳を塞ぐ。
「きゃっ……」
「……あらら?」
「いやまあ、こんなことになる気はしてたけどね」
巴はあわてず騒がず、タイマーの電源を落としてから再起動させた。時間設定をし直してから、男はうんざりしたような声で恋人に語り掛ける。
「しかし、なんでこう壊滅的に機械音痴なんだろうね、旭さんは」
「きっと今日は天体の並びが良くなかったのよ」
「アキちゃん、それは弁解になってないと思うな……」
機械音痴にも関わらず触りたがる旭将軍をよそに巴御前がタイマーを起動させたところで、勉強会は本格的にスタートしたのであった。
ちなみに、この会の常連の一人である京極彦一は実家の手伝いにより不在である。
『”その勉強会は有意義なものになる”。こちらの事情で参加できないのでね、これくらいは言わせてもらおう』
との有難い言霊つきで、彦一は会への参加を辞退していた。
勉強会が始まって早三時間。黙々とすることもあれば、互いに解法の違う数学の問題を教え合ったり、英文の解釈をすり合わせたりと充実した時間を過ごした三人は、一息つくために昼食を摂っていた。
巴は清楚が作った一口サイズのサンドイッチを食べながら思わず感心する。
「あ、このサンドイッチ美味しいね」
「そう? 美味しくできてたならよかったよ」
「ふふ。男心は胃袋から掴むものよね」
旭が自分で手伝った分のものを上品に口へ運びながらそう言うと、清楚はぷりぷりと可愛らしく怒って見せた。
「もう、アキちゃん。そういうのじゃないよ」
「あはは。旭さんの作るご飯にはちょっと敵わないかなあ」
「相馬くんまで!」
普段はからかわれるのを日常としている男は、たまにこういう機会があると調子に乗ってしまう悪癖があった。
そんな三人が和やかな時間を過ごしていると、カップル二人が来た時同様のインターホンが鳴る。
「誰だろ。はーい!」
部屋の主である清楚が応答すると、モニターの向こうから天真爛漫な声が聞こえてくる。
『我だ、紋白だ。入ってもよいか?』
「紋ちゃん? 分かった。今開けるね」
戸惑いながらも玄関に向かった清楚美少女は、九鬼の二女を伴って居間へと戻ってくる。
巴は雇い主の愛娘ということもあり、立ち上がって少女を出迎えた。
「フハハハハ! 我、顕現である!」
「これはこれは。ご機嫌麗しゅう、紋様」
しかし、修羅の慇懃な挨拶に紋白の反応はそっけない。
「虚礼はよい。クラウ爺から、今日は清楚の部屋に相馬がいると聞いてな。テスト勉強をしているようだが、少し我に付き合ってもらいたい」
「あら、モテモテね。巴」
旭の嫌味じみた軽いからかいに、巴は表情を少しだけ苦いものへ変える。
「……紋様、一応お伺いしますが、業務命令ということでよろしいでしょうか」
「うむ。そうでなければ来んというならば我は躊躇いなく使おう」
今までヒュームから来ていた招集は(技を隠すという名目はあっても)平気で無視していた巴だったが、こうして面と向かって命令されればたとえ建前上学生の本分を全うしていたとしても断ることは出来なかった。
「では、お供しましょう。旭さん、葉桜さん。途中離脱になるけどごめんね」
「ううん。お仕事なら仕方ないよ。京極くんもお仕事だったわけだし」
「いってらっしゃい、巴。紋白、早めに返してね?」
「分かっておるわ。人の男を取ろうなどとは……」
紋白は一度そこで言葉を切り、固くなった表情を見せないように振り返った。
「ともかく、一時間もあれば済むよう努力しよう。相馬、行くぞ」
「了解しました」
巴はいつの間にかまとめていた自分の手荷物を持ち、去り際最後まで旭に謝るジェスチャーを見せながら清楚の部屋を出ていった。
取り残された女二人はテーブルの一点、白い箱に視線を合わせる。巴が持ってきたその箱にはショートケーキ、杏仁豆腐、三色団子が入っている。どれも絶品なデザートの詰まった白い宝石箱だった。
「ケーキ、どうしよっか」
「そうねえ……本人は食べてていいよって言うとは思うんだけれど、それはお金を出してくれた巴に失礼だし」
「じゃあ、とっとこっか」
「ふふ。優しいのね、清楚」
「もう……冷蔵庫に入れとくね」
箱をそっと冷蔵庫に入れ直した美少女二人は、改めて勉強机に向かったのだった。
呼び出された巴は紋白の私室ではなく、九鬼ビルの中にある応接間の一つへ通されていた。
若武者は緊張した面持ちで姿勢良く直立している。先に着座した紋白が小さな手で対面の椅子を示した。
「かけてよいぞ」
「失礼します」
巴はわずかに戸惑いを見せながら着席し、人数に比して広すぎる部屋を見渡す。
この場にいるのは相馬巴、九鬼紋白のほかに二人。
「こちら、玉露と水羊羹になります」
「ありがとうございます、クラウディオさん」
その一人はクラウディオ・ネエロ。ミスターパーフェクトとの異名をとり、白い髭とモノクルがよく似合う完璧執事。
「……ふん、気の抜けたジャリだねえ。まったく、とうとうヒュームの奴も耄碌極まったかい」
そしてもう一人は、星の図書館と呼ばれる老婆、ミス・マープルであった。
「少々物々しいが、我慢してくれ。相馬」
「いえいえ。自分がお二人の立場だったら頭領の娘をこんな危険なやつと二人きりになんてさせませんよ。お気遣いなく」
「うむ。では本題に入ろう」
竹を割ったような即答の後、紋白はこう切り出す。
「まず川神百代打倒の件、ご苦労だった」
相馬巴はずっこけた。
「どっ、どうしたのだ!? 相馬」
いきなりの奇行でたじろいだ少女に、学園の先輩は襟を正しながら向き直る。
「い、いえ……今更その話なのか、と思いまして。てっきり伯爵との決闘の件だと」
ついでに紋白の護衛を引き継げと通告されるまでの事態を想定していたこともあり、巴は肩透かしを食らった気分になった。
「いや、まずこちらからだ。あの武神には、我から引導を渡さねばならないと思っていたところだったのだが、そなたが勝った話を聞いてな。話を聞かせてもらおうと思っていたが義仲騒ぎもあってタイミングを失っておったのだ」
どことなく早口で、口を挟む隙のないよう語られた言葉の中に違和を覚えた巴は言い淀みつつもこう訊ねた。
「紋様が直接戦うつもりだった……わけではないですよね?」
「我とてそんな無謀はせん。あの武神めに一敗地に塗れてもらおうと送り込んだ者はいたのだがな」
修羅は頭の隅で、状況証拠的には松永さんだなあと思考しながら会話を回していく。
「負かした自分が言うのもなんですが、川神百代はいつか負けてましたよ。彼女は本物の天才には違いありませんが、負けもせずに強くはなりません。なれません」
「……姉上は、負けた後一線を退いてしまった」
芯を外されたような返答を受け取った巴は僅かに戸惑う。今の話からどう九鬼揚羽の引退へ繋がるのだろうかと思案していると、泣きそうな顔をした紋白の方から話が続けられた。
「姉上は川神百代に負け、経営の道に専念した。それは強くなったと言えるのだろうか。お主の考えを聞きたい」
「そう、ですねえ」
これは真剣に応じるべき問いだろう、と相馬流の当主は居住まいを正し、その上でさらに固い口調の言葉を返す。
「強くなった、と言えると思います。恐れながら揚羽様の御心を斟酌すると、あの決闘で揚羽様は納得を求めたのではないでしょうか」
「納得、か」
「決して敗北を前提に戦うわけでもなく、また敗北を容認するわけでもない。ご自分の今の実力を確かめた結果、人生の舵を家業の方に切ったというだけのお話だと考えます。さらに愚言を連ねますれば、一つの道に拘泥せず、より人の役に立つ、社会に貢献する道を選択した揚羽様の視野の広さは称賛されるべき資質であり、喜ばしいご決断であると考えます」
「そんなことは……」
やや越権じみた生意気な発言ではあるものの、概ね的を射た巴の言葉を聞き届け、九鬼紋白は―――
「―――そんなことは、お主に言われずとも分かっておるわ!」
上司としてはあるまじき、そして年相応に怒りのこもった語気を部下へぶつけた。子供を怒らせてしまったと感じた青年は、申し訳なさを素直に表現する。
「お気分を害してしまいましたね。申し訳ありません」
低くなった黒い頭を見て紋白はハッと正気を取り戻し、こう命令した。
「ええい、かしこまった表現などいらぬわ! お主の言葉で、思った通りに話すがよい!」
「……では、お言葉に甘えて」
巴は冷えた緑茶で喉を潤し、一度その美味しさへ瞼を僅かに動かしてから自然体で語り始めた。
「ぶっちゃけ、揚羽様が川神百代に勝てるわけないじゃないですか」
「……っ!」
「出力で完璧に負け、技術もほぼ五分。精神面の成熟具合では揚羽様が圧倒的だったことは事実ですが、こと引退試合と銘打たれれば、あの武神とはいえ油断なんて一欠片もありはしません」
「条件は、同じだったというのか」
「条件が同じ勝負なんて存在しませんよ。揚羽様の勝ちの目の薄い勝負だった、そして実際に負けた。自分が言ってるのはただそれだけのことです」
ここまで話してから、巴はまた一口玉露を含む。一呼吸置いた後、わざと湯呑を唇の近くから離さずにこう言ってのけた。
「第一、結果を云々する権利があるのは勝負した二人だけです。こうやって自分が訳知り顔で論評しているのがそもそもおこがましいですし、後になって貴女が手を出すのは筋違いだ」
「……っ! そんな、ことは……」
行儀悪く口元を隠し、表情を見せない部下の発言に対して九鬼家の次女は小さな手を握りしめる。
元々白い手がさらに血の気を失うほど強く拳を作ったのを見かねて、完璧執事がやんわりと手を添えた。骨太な手が湯呑みをテーブルへ静かに戻す。
「紋様。私から彼へ、少々お話してもよろしいでしょうか」
「……構わん。好きにするがよい」
紋白が手を解いたのを見届けてから、クラウディオは軽く頭を下げつつ巴に向き直る。それから普段通りの優しい口調でとある事実を開示した。
「相馬。紋様は局様に認められたいのです。武神討伐依頼もそのために各地の武芸者を調べ上げ、これはという人物にお声がけしました」
「局様、と言いますと帝様の奥方ですよね? つまり紋様の母君にあたるのでは?」
財閥の一従業員でありながら、九鬼家のお家事情に無頓着だった青年が問い返すと、執事は温和に応じる。
「紋様は帝様が局様以外の方と作られたお子なのです。ですので、局様としては帝様が自分以外の女性を愛した証である紋様と少々距離を置いているという次第でして」
「……なるほど」
この一言しか返せなかった修羅は改めて九鬼紋白の尊顔を拝謁する。
そしてもう一度、なるほどと心の中で呟く。九鬼帝の印象が強く、その遺伝子を濃く受け継いだカリスマ性を垣間見せる紋白が雇い主の子供であることは疑っていなかったものの、母親が違うことなど思いつかなかったのである。
これからは血縁も意識しながら人を観察することにしよう、と短く思考した巴は本題に意識を戻す。
「目に見える実績という意味での武神討伐、及び討伐できる人間を推挙出来る情報収集能力や人脈形成能力を、人材派遣会社を営んでおられた局様に証明したかったということですね」
こういう事情ならば、紋白がヒュームや巴を使わなかったのも納得出来る。
もとから九鬼にいる人間を使役して勝ったところで、紋白の手柄になるわけではない。むしろ予め登用していた帝の慧眼がさらに評価されるだけのことだ。
あくまで外部から招聘した人間が川神百代を打ち倒すことでしか、九鬼の次女としては認められない……そんな思いが、紋白を衝き動かしたのである。
考え込んだ巴に目尻の下がった優しい目つきを向けつつ、白い髭がまた動く。
「紋様は、どうしても局様に認められたい。その一心で、貴方やヒュームのような武人の流儀に反するようなことを言ってしまったのです。どうかご容赦を」
「いえ。自分はいいんです」
だって、関係ないから。
相馬巴とは自分と関係のないことにはとことん関心を持たない人間だった。
これが例えば、自分が複数人を孕ませた結果自分の子供と血のつながらない方の母親が険悪になっている、ということならば巴は全力で問題解決にあたる。
しかし、よその家庭事情に首を突っ込むのはさきほどの問題以上に筋違いだ。口や手を出すならば、それこそ家族になるだけの覚悟を持ってやるべきである。修羅は短く思考し、そう結論を出した。
何も言えない巴、何も言わないクラウディオ、俯いたままの紋白。沈黙が場を支配する中、一人の老女が動いた。
「じゃあ、あたしから聞いておきたいことがあるんだけどねえ。相馬」
「なんでしょう、ミス・マープル」
星の図書館とも呼ばれる、従者部隊の二番が若者に言葉の矢を向ける。
「あんた、ヒュームに勝ったのをどう思ってるんだい」
クラウディオと対称的に鋭く睨むような視線を受け止めても怯むことなく、若武者は毅然として返答する。
「自分としては、ようやく勝てたなと思っています。いずれ越えなければいけない人でしたから」
「ようやく、ねえ。大した自信家だ。でもあたしが聞きたいのはそんなことじゃあないよ」
一度言葉を切り、さらに目線と口調に厳しいものを乗せてマープルは若者を詰問する。
「あれはヒュームに勝たせてもらった勝負じゃないか、って言いたいんだよあたしゃ」
この嘲るような問いに対し、相馬流当主はあっけらかんと返答した。
「その通りですよ。でなければわざわざジェノサイドチェーンソーで勝負に来てくれたりしないでしょう。対策できるものならやってみろ、と言われたのでそうしたまでです」
ここで一息つき、今度は巴の側から老婆へ威圧感を差し向ける。
「ですが勝ちは勝ち。少なくとも、結果について文句を言われる筋合いはないですね。それは先ほどから申し上げているはずですが?」
修羅の威嚇に対し、星の図書館はフンと居丈高に鼻を鳴らした。
「なにもケチつけようってんじゃないよ。あんたらみたいな腕比べが好きなバカどもは何言ったって聞きゃあしないんだからね」
強い口調で言ってから、マープルはこう繋げる。
「ただ、あんたみたいな若造がヒュームのことを勘違いしてやしないか心配になっただけだよ。詮無いことを言ったね。老婆心さ、忘れておくれ」
年の功と言うべきなのだろうか、最後には優しげな声色になった老婆の語り口で、相馬巴は毒気を抜かれた。
「……自分はヒューム・ヘルシングに負けたからこそ、ここまで強くなりました。その点はあの人に感謝していますよ」
「そういうのは本人に言ってやりな。きっと泣いて喜ぶよ」
「恥ずかしいですから言いませんよ」
「まったく、可愛げのないガキだ」
マープルは一度微笑むような表情を作った後、視線を鋭いものに戻して若者へ忠告した。
「ヒュームを負かした褒美とは言わないけどね、一つ言いつけておくよ」
「伺いましょう」
「最上幽斎には、気をつけておきな」
あんたの方が付き合いは長いだろうけど、と付け加えた老婆の諫言を相馬巴は真剣に受け止める。
「肝に銘じます」
少なくとも表面上は素直に頭を下げた若者の礼を聞き届けてから、従者部隊序列2位は気品のある声で主人に水を向けた。
「紋様。とりあえずこの場はお開き、ということでよろしゅうございますか。紋様も来週からのテストに集中していただきませんと」
「……うむ」
紋白がか細い声で返事したと同時に、マープルから鋭い視線が巴に飛ぶ。
(さっさと出てけってことだな)
そう解釈した若武者は、音を立てずに起立して出入り口へ向かった。
失礼しますと一言断ってからドアに手をかけた裃姿の大きな背中に、雇い主の声がかかる。
「っ、相馬!」
「なんでしょうか、紋様」
振り返り、できる限りの優しさを込めた声色で応対した巴だったが、紋白の反応は鈍い。立ち上がったままの一年生は、何度か小さい口を開閉させた後、ゆっくりと椅子に体を預け、
「……今度からは、もう少し召集に応じるがよいぞ」
ぶっきらぼうな口調でもたらされたこの命令に対し、修羅は小さく頷いてからもう一度頭を下げて退室した。
来客に威圧感を与える目的もある豪奢な扉をそっと閉めた巴を出迎えたのは、黒い眼に金の瞳。
「何の用だ、史文恭」
「なに。最上旭、葉桜清楚両名が部屋を移動したのでな。現在地を教えてやろうと待っていただけだ」
相馬巴は思わず目を丸くした。まるで自分の忠実な部下であるかのような振る舞いだったからである。
閉口したままの将来の主君に、褐色美女は溜息と呆れた視線をぶつける。
「お前な、私を戦うしか能のない人間だと思っていないか?」
「俺と同じレベルで暴力装置だと思ってはいる」
巴の憎まれ口に、史文恭は余裕の薄笑いで応じた。
「否定はせん。ともかく、監視対象が動いたことを主人に報告する程度のことはするさ」
「……なるほど。じゃあ、部屋の場所教えてくれよ」
「了解した。こちらだ」
部屋を移動したと聞かされた瞬間から気で旭の位置は把握していた巴だったが、階層を割り出すのが面倒だったのか大人しくついて行った。
道すがら、若武者は曹の武術師範の背中に話しかける。
「なあ、史文恭」
「なんだ、トモエ」
しかし、巴の表情は冴えない。横目にチラリと見ただけで青年の心情が晴れやかでないことを看取した史文恭ははっきりと苛立ちを込めた声を発した。
「言いたいことがあるならはっきり言え」
「……いや。なんでも、ない」
歯切れの悪い応対に、褐色美女は視線を前へ戻してから厳しい口調を作る。
「中の会話も聞いていたがな。お前はもう少し内心の隠し方を覚えろ。上司として信用出来ん」
「努力する。それは約束しよう」
「頼むぞ」
それからは、目的地に着くまで互いに無言だった。
ちなみに、曹一族コンビが赴いた先では。
「ぬぬぬ……」
「ふむ。こちらね」
「ああっ! 義仲さん、お強い……」
「いやいや主、顔に出過ぎだよ。まあそこが可愛いんだけど。ぐびぐび」
木曽義仲対源義経のババ抜き勝負が行われていたのだった。
一口メモ:巴くんは基本的に性格が悪い。