真剣で旭に恋しなさい!〜月鏡、朝日に照らされて〜   作:夢迷月

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第四話

 某日。

「ほんっとーに申し訳ございません!」

 自室で、相馬巴は見事な土下座を披露していた。地面に擦り付けられた頭に、溜息が一つ落とされる。

「もう、本当に貴方は……」

 土下座されている方、最上旭は呆れていた。我が恋人未満ながら、安請け合いにも程があると心底呆れていた。半紙に馬鹿と書いて背中に張り付けてやりたかった。

「だって、あの人間国宝に土下座なんてされたら言うこと聞くしかないって」

「慣れないことはするものじゃないと思うけど」

「それは本当に、何の申し開きも出来ない」

「でも止める気もないんでしょう?」

「それは、もちろん」

 男の子というものは意地っ張りなのである。そして女は、この男が一度約束したことを反故にする人間ではないことも理解していた。

 ベッドに腰掛けていた旭は、ちょいちょいと手招きをする。吸い寄せられるように巴が動くと、旭はその頭を抱えるようにお腹に押し付けた。目の前の女体から返ってくる柔らかさと芳香で、巴の心臓が跳ねる。

「まったく貴方は、いつだって無茶するんだから」

「……ごめん、旭さん」

「それに、その日は黛さんに貴方の視線が釘付けになるわね」

「あ、また嫉妬してる? 付き合っちゃいます?」

「調子に乗らない」

「あたっ」

 細い指からデコピンが繰り出される。さながら躾けだった。

 それから、また旭は強く抱きしめる。巴の方からも背中に手を回す。

「甘えん坊ね。そんな貴方のために、立ち合いの時付き人になってあげる」

「……いやー、当日は情けない姿見せるの確定だから、出来れば来ないで欲しいかな、って」

「それでも見に行くわ。今回の貴方の役目は一流の役者。見られてナンボ、でしょう?」

 髪をかき上げつつ断言する最上旭の姿に、相馬巴は見惚れていた。

「……うん。じゃあ、景気づけのキスとか」

「こら。調子に乗らない」

「あたっ」

 ぐだぐだだった。

 

 2009年 5月 9日

 

 この日の川神学園は異様な雰囲気に包まれていた。土曜日の半ドン授業を終えても、今日学校に来た生徒たちは一人として帰宅していなかった。

 元々サボっていた人間2割、そして今日の川神学園の空気に気圧されて門前で帰ったものが5割。

 そして残った3割の視線を一身に集めつつその空気を創り出しているのは、たった一人の男。

 校庭のど真ん中で胡坐をかいて目を閉じ、身の毛のよだつような殺気を全身から放ち続けて黙想する裃姿の男、相馬巴である。

 男性にしては長めでいつも顔の横に垂らしていた髪を、今日の彼はヘアゴムでくくってオールバックにしていた。

 その姿を見て、後ろに控える旭は懐かしさすら覚える。彼女と彼が出会った時の、彼が本気を出す時の髪型だったからだ。

 だが残っている学園生たちは、あのひょうきんでいつも笑顔を見せている先輩もしくは同輩の違う一面を見て、大半が怯えていた。

「おいおい、あれどうなってんだ……?」

「知らないわよ、相馬先輩って言ったらもっとこう、ニコニコしてて、ちょっと抜けてるとこがあって……」

「相馬くん、最上さんに告白して玉砕しまくってるときとは全然別人みたい……」

「親殺したとかって噂で聞いてたけど、嘘だと思ってたのに……」

 生徒たちが恐れ慄く中、気が渦巻く空気を切り裂くように三人の人間がグラウンドに出てくる。

「相馬先輩。お待たせしました」

 一人は、黛由紀江。既に袋から出してある刀を携え、清らかな闘気で殺気を中和しながら悠然と歩いて決戦場に向かう。

「よう相馬。お前が戦う姿、楽しみにしてるぞ。もちろんまゆまゆもな」

 一人は、川神百代。2人つけられるセコンドの内の1人として武神は由紀江についた。相馬流と黛流の激突を特等席で見られると思い、申し出たとの事だった。

「……まゆっち、頑張れよ」

「はい、ありがとうございます大和さん」

 最後の1人は、風間ファミリーの軍師直江大和。この決闘における違和感をいち早く言語化し、金曜集会で由紀江以外のみんなと共有した結果、今回のセコンドとして百代に呼ばれた男だった。

 巴は目を開け、やおら立ち上がる。すると校内中に立ち込めていた不穏な空気が立ち消えになっていき、生徒たちは重圧から解放された。

 そして巴は、放散させていた殺気を自分の体に戻し、凝縮して一気に由紀江へ叩きつける。

「……へえ、これで倒れないか」

「ええ、私は倒れません。倒れるわけにはいきません!」

 足は竦み、体が痺れるような眼光を由紀江は睨み返す。その両足は地面をしっかりと踏み締め、瞳には一点の濁りもなかった。

「まゆっちー! 頑張れー!」

「応援してるぞー!」

「あんなデコ広しな先輩なんか吹っ飛ばしちまえ!」

「まゆまゆならイケる! 勇往邁進だ!」

「が、頑張れー!」

 一子、クリス、ガクト、キャップ、モロの声援を受け、そして京の静かに背中を押す視線を受け止めつつ由紀江はフィールドへ一歩を踏み出す。

「双方、準備は良いか」

 川神学園学園長、川神鉄心が両者の中央に立つ。二人が頷くのを見てから、今回のルールを読み上げる。

「勝負は三本勝負。途中でどちらかが戦闘不能になった時点でも勝敗が決したものとする。時間は3本合わせて5分。それ以上は結界が保たんのでな」

 グラウンドの周囲を囲むように、川神院の師範代クラスの僧が50人ほど配置されていた。これに加えて、九鬼家従者部隊永久欠番零番ヒューム・ヘルシングが控えている。

「双方前へ! 東方、相馬巴! 西方、黛由紀江!」

「相馬流、相馬巴。参る」

「黛流、黛由紀江。いざ、参ります!」

 両者が刀を抜く。由紀江が構えているのは真剣である。これが勝負の条件であった。

 由紀江の気が増幅していく。そして巴の気は自分の体と刀身に収束していく。

「「「川神流極技・天陣!」」」

 川神院の僧たちが防御結界を展開すると同時に、鉄心の声が響き渡った。

「それではいざ尋常に―――始めいっ!」

 

 

 一本目。先手を取ったのは黛由紀江。薫風を纏いつつ、一気に敵へと飛び込む。

「やあああああっ!」

 鋭い踏み込み、ブレない体幹、そこから繰り出される……瞬間12発の斬撃。一太刀一太刀に闘気が練り込まれ、並の人間なら12回絶命出来る攻撃群。

 後ろから第三者として見ることが出来ていた大和は目を見開く。

「まゆっち……今6回斬った?」

「いや、よく見えてるが12発だ。まゆまゆ、ここまで強いのを隠してるなんて。無理矢理にでも挑んで勝負しとけばよかった。けど……」

 武神川神百代は舎弟の間違いを訂正しつつ悔しがる。それほどに、今目の前にいる由紀江は強者だった。

 見学している学園生も驚愕を隠せない。競争を重視、推奨している川神学園において異例の決闘禁止令が出されるような異端中の異端、相馬巴との対戦が許される一年生はこれほどのものか、と。

 だが―――――

「―――――っ!?」

「ヌルい」

「……やはり、相馬が上手か」

 巴は見事に12斬全てを叩き落とす。避けるわけでもなく、全てを。刃同士がぶつかり合い、余波で結界内の大気がビリビリと震える。

 由紀江が態勢を立て直す前に、巴はすぐさま反撃に移った。瞬間に5撃が走り、洗練された致死の一撃たちが由紀江を襲う。

「連撃ってのは、こうやんだよっ!」

 一発目の反撃は、唐竹割り。黛流の娘は自分の頭を断ち割るはずの一刀を足捌きで回避する。

 二撃目、三撃目は二刀を使った喉と水月への両突き。直線に走る二つの閃光はどちらも弾かれる。

 四つ目、胴を二つに割りに行く閃きを由紀江は搔い潜る。

 五つ目、袈裟掛けに鎖骨を切断に行った一撃はまた弾かれ、六撃目。これを待って、由紀江が攻撃に転じようとする。

「ここですっ!」

 弾かれていない方の刀で逆袈裟に行った瞬間、巴の体が僅かに開く。その一瞬の隙を、由紀江は文字通り突く。しかし巴の姿は目の前から消えていた。由紀江の白刃が空を裂く。

「隙はわざとだ。見抜けないか」

「そんなっ……きゃあっ!」

 練磨された足運びと体捌きで巴は易々と由紀江の背後を取る。回り込むときに前から足首を一度押さえつけ、後ろから膝を蹴って地面に這いつくばらせてから倒れこんだ相手の首に刀を添えた。鉄心が手を高々と上げる。たった30秒ほどの攻防だった。

「……それまで、一本! 相馬巴の勝ちじゃ!」

 

 

 

「はあっ……はあっ……」

 四つん這いに倒れこんだ由紀江は、荒くなった呼吸を整える。その姿を、相馬巴は息一つ乱さず見下ろしていた。

 体力がなくなったわけではもちろんない。極度の緊張と、絶望的な実力差。これらが由紀江から正常な呼吸を奪っていた。

 百代は大和に向け、今の戦闘の考察を話すことで自分の思考を整理する。

「まゆまゆの剣は、確かに神速の域に行ってるんだ。あれだけ鍛え上げられてる斬撃を、真っ向から跳ね除けられる相馬がおかしい。でも、もっとヤバいのはその後だ」

 舎弟が頷くのを見て、姉貴分は続ける。

「相馬の攻撃は全て斬られたら死ぬ類の、極限まで絞り込まれたものだった。まゆまゆのは悪い言い方をすれば当てればいいみたいなところがある、ってことを指摘されたわけだ。それにあの一瞬でバックを取った足運び。しかも後ろから膝裏蹴ってるのに、まゆまゆは転んで膝小僧擦りむいただけで済んでる。足なんて簡単に壊せたろうに」

「姉さん、つまり」

「ああ。あれで手加減してるんだ。バケモノだよ、あいつは……ほら、私たちはまゆまゆを迎えに行こう」

 ようやく立ち上がった由紀江を、百代と大和が両側から支えることで一度戦場から出す。セコンドが座る用のシートに、疲労した体が横たえられる。

 大和は用意していたスポーツドリンクを、上体だけ起こした由紀江の喉めがけて紙コップから流し込み、体を休ませる。

「はあっ……はっ……」

「まゆまゆ、よく聞け。お前自身で勝つ手段、浮かぶか?」 

 百代の言葉に由紀江はこくこくと頷く。その答えに満足した武神は後輩の胸を後ろから擦ってやった。

 それから呼吸を整え、立ち上がった。しっかりした足取りで、またグラウンドに戻る。背中越しに、由紀江はセコンド二人に方針を示した。

「初撃に、全てを賭けます」

「よし、行ってこい。まゆまゆ」

「頑張れよ! まゆっち!」

 再度、二人の剣士は向かい合う。始めの礼がかかる前に、由紀江が口を開いた。

「申し訳ありません。少々時間を頂けますか?」

 要領を得ない質問の回答権を、鉄心は対戦相手である巴に渡す。

「と言っておるが、相馬はよいか?」

「いいですよ。気溜めるんでしょう。何時間でもどうぞ」

「……私のやることなすこと、全てお見通しのようですね」

 やりたいことは全部やらせてやる、と言いたげな余裕のある態度。それに礼を告げたあと、由紀江は刀を抜いて中段に構えた。

「……ふぅーっ……」

 一度肺の中の空気を全て排出し、それから気を全身で作り出していく。

 由紀江は自分の中の気の容積を測り、それがいっぱいになるまでの時間を算出した。

「……お言葉に甘えて、2時間、いただけますか」

「委細承知した」

 巴は肯定の意を返すと踵を返し、自陣のシートで仰向けに寝っ転がった。

「んじゃ、2時間したら起こしてくれや。ふぁーあ……」

 あくびをしたかと思うと、すぐに寝息が聞こえてくる。見方によっては挑発とも取れた行為を由紀江は全く気にせず、気を溜めることに集中した。

 ……この光景を見て、直江大和は確信する。

「姉さん。俺が考えてた事大体合ってる、かも」

 横に座る舎弟の言葉を、百代は素直に肯定した。

「そうだな。まったく、相馬のやつもらしくないことをする」

 百代はどこか寂しそうにそう言った後、気で全身を覆い始めた由紀江の背中に声をかける。

「まゆまゆ! 集中だ! 見るべきものを見損なうなよ!」

 これが、百代の精一杯の応援だった。

 その言葉を由紀江は聞いていたが、思考するまでには至らない。それに割くリソースさえ惜しいとばかりに、気の貯蔵を増やしていく。

 そして、1時間50分が経過した。

「……」

 天を衝くように立ち上る気の柱の中心にいる黛由紀江の心は完全に無になり、

「よう。そろそろ溜まったかい?」

 相馬巴は起き上がって、純粋な闘気の塊と化した由紀江の正面でいっそ涼し気に立つ。

 巴は刀を抜き、相手と同じように気を溜めていく。ただし、由紀江のように外に放出するのではなく、己と一体になった武器にのみ、その気を凝縮させていった。

 2時間という実戦ではまずあり得ないスパンを費やした由紀江をまるで嘲笑うかのように、巴の体はたちまち闘気に満たされていく。

「……双方良いか!」

「おう」

「……」

「良いようじゃな。では、結界準備!」

 押忍! と川神の僧たちの声が響く。

「二本目、いざ尋常に―――始めいっ!」

 

 

 

 二本目。

 無我の境地に至った由紀江から、一本目と同じように仕掛ける。

 しかし、違っていたのはその攻撃の性質。最初から次の太刀を考えるのではなく、ただ一刀のみに全てを乗せる。

「そうだまゆまゆ。多分それが、正解だ」

 加えて、納得したように呟く百代の視線の先では、空を突き破らんとしていた巨大な気の柱が由紀江の体サイズまで収束していた。

 そう、それはまるで……

「行くぞっ! 黛さんっ!」

 目前の敵がやっていたのと、同じ気の運用だった。

 父を傷つけられたことも、仲間となる前に傷つけられたクリスのことも、由紀江の頭からは消え去っていた。心の中にあるのはただ、相馬巴に勝つことのみ。

 その目的を達するために、由紀江は最大効率の手段……模倣を取った。

 これまで会った剣士の中で間違いなく最強と言える、相馬巴を写すことによって高みに至ろうと試みたのである。

「……やあっ!」

「……応っ!」

 由紀江は気で創り出した刃を上段に振りかぶり、振り下ろす。邪念の一切介在しない、清廉なる一撃。涅槃寂静、と心の中で女剣士は呟いた。

 巴は迎え撃つ。練り上げた気をぶつけるように斜め下から切り上げる。ただ、それだけ。

 決着は、一瞬でついた。

「……参った」

「はあっ、はあっ……や、やりました……!」

 勝ったのは、黛由紀江。刃を刃で受け止める形になった巴は地面に膝をつき、由紀江は腕を振り下ろした態勢のまま固まっていた。

「それまで! 二本目の勝者、黛由紀江!」

 

 

 

 名前が挙げられると、巴の時とは打って変わって校舎中から歓喜の声が上がる。

「うおおおおおっ! ナーイスだまゆっちー!」

「まゆっちー! かっこいーわー!」

 ガクトと一子は、窓から身を乗り出して応援していた。校舎の至る所から由紀江に対する声援が飛び交う。

 しかし、次の一本もと盛り上がる観客のボルテージは、前のめりに倒れこむ由紀江を見て冷や水を浴びせられたように下がった。

「……おっと危ない」

「まゆまゆ!」

 一番近くにいた巴がその軽い体を受け止め、百代が駆け寄って受け取り、その後ろから鉄心も近づいてくる。

「黛。棄権するかの?」

 優し気な声色での、冷たい詰問。いつものセクハラじじいは影も形もなかった。

 川神院の長の問いに、息も絶え絶えな由紀江は首を横に振る。

「待って、ください。もう少しで、何か、掴めそうなんです」

「続行で良いのじゃな」

「は、い……っ!」

「じゃ、しっかり休息取りなよ。待っとくからさ」

 余裕綽々といった様子で、巴は悠々と自陣に引き上げていく。由紀江は疲労困憊のまま百代に抱きかかえられ、這う這うの体で下がっていった。

「あれじゃ、どっちが勝ったか分からないね、京」

「それは違うよモロ。これから三本目を取った方が勝ち。相馬先輩もきっとそう思っていると思うよ」

 天下五弓と呼ばれている弓使いの視線は、由紀江の対面に座る一人の剣士に集中する。

「……しょーもない」

 この勝負の顛末を予見して呟きながら、京は由紀江を介抱する直江大和に視線を戻した。

 巴はシートに胡坐で座り込み、唇を湿らせる程度にお茶を口に含む。次の勝負に向けて集中している男に、黒タイツを履いた黒髪美人が話しかける。

「将来の旦那様のピンチ、かしら?」

「……普通に口が緩みそうになるから、そういうのは後で聞かせて旭さん」

「そう? じゃあ二度と聞かせてあげない」

「あたり強いなあ」

「だって、口が緩むとか以前に楽しそうなんだもの。貴方」

 つんとそっぽを向いた旭に、巴は驚いたように反問する。

「……俺、そんなに楽しそうだった?」

「それはもう。他の女と遊んで楽しそうにして。帰ったらお仕置きね」

「わんわん」

「わんは一回」

「わん」

「うん。よろしい」

 くだらない会話の中でも、巴はコンセントレーションをしっかりと高めていた。

「ちゃんとお仕事出来たら、また抱きしめて頭を撫でてあげるわ」

「そいつは魅力的。そんじゃまあ、レッスン2と行こうか……!」

 シートから立ち上がった巴の視線の先では、気合を入れた後輩が自分の両の足で大地を踏みしめていた。

 勝負は、最終戦。距離を空けた両者の視線が交錯したのを確認してから、鉄心は号令をかけようとする。

「双方……黛、よいか」

「はいっ。相馬先輩、お相手、お願いします……っ!」

 今にも力が抜けそうな体に喝を入れて刀を構える由紀江を、巴は眼光鋭く睨みつけながら話しかける。

「黛さん、一つ言っておきたいことがある」

「伺います」

「俺に敵わないなんて、思うなよ」

 由紀江はきょとんとして、それから心からの笑みを浮かべた。見る者全てが見惚れるような、可愛らしい微笑みだった。

「言われなくても」

「……なんだ、そういう顔も出来るんじゃん」

 事の発端からは考えられないほど、穏やかな対峙。

 防御結界の残りは、あと三分。それまでに決着をつけるよう伝えてから、鉄心は腕を振り上げる。

「それでは三本目、いざ尋常に、始めいっ!」

 川神学園学長の腕が振り下ろされ、最終戦が始まった。

 

 

 最終、三本目。

 初っ端からお互いフルスロットルで斬り結んでいく。由紀江の神速剣は、一本目の時から明らかに進化を遂げていた。

 速度はあまり変わらず、急所を狙うわけでもない。だが、一振り一振りに対する気の込め方が桁違いに上手くなっていた。

 瞬間13発、それぞれが一撃必倒の斬撃を、巴は6発体捌きで避け、7発を弾き落とす。

「まだまだ行きますよっ! 相馬先輩っ!」

「ああ、どんどん来いっ! 黛さんっ!」

 まさに一進一退。波が寄せては返すように、二人は攻守をめまぐるしく入れ替えながら剣を合わせていく。

 一回攻防が入れ替わるたびに巴は戦闘のレベルを上げ、引っ張られるように由紀江のレベルも目に見えて向上していった。

 

 それを見ていた百代は、前日の金曜集会で大和が言っていたことを思い出す。

『これ、まゆっちのために誰か仕組んだんじゃないかな』

 風間ファミリーの軍師直江大和曰く。今回の決闘には分かりやすく不可解な点が多すぎる、と。

 相馬巴をわざわざ決闘の場に引きずり出したこと。それを決闘禁止令を出した学長自ら認めたこと。勝負とは命のやりとりをする真剣勝負、という世界で生きてきたらしい巴が、三本勝負なんてルールを受け入れたこと。

 そして、どこか戦うことを敬遠している由紀江を焚き付けるように、剣聖黛大成を巴が倒したという話が出てきた事。

 もっと言えば、今日この決闘中での相馬巴の態度。戦っている最中だと言うのにまるで正解を見せつけるような余裕ぶったあの行動。

 これらの話は、それぞれを聞いても何が何だか分からない。

 ただ、一つの概念を通底させると途端に一本の線として繋がるのだ。

 すなわち、黛由紀江を成長させるため、というものを。

 羨ましいなと百代は心底から思った。

 話が本当なら、剣聖黛大成と彼女の祖父、そして同級生は一芝居打っているのだろう。あと恐らく、屋上で鬱陶しい気を放っているヒュームも。

 百代は二人に視線を戻す。一心不乱に打ちかかる由紀江と、それを受け止める巴の姿が、かつての彼女と祖父を想起させていた。

「……私は見取り稽古か。貴重な体験してるんだぞー。がんばれ、まゆまゆ」

 急成長を遂げつつある後輩に、稽古相手がいることの嫉妬が混じった言葉を贈った。

 

 百代の感傷がこもった視線を受けながらの剣戟の最中、巴の全身は歓喜に満ち満ちていた。

「凄え、凄えよ黛さんっ……!」

 今日戦う直前までは、たとえ一本先に斬らせても勝てる自信があった。だが、今目の前にいる剣士の斬撃は既に巴を倒し得る破壊力を手に入れている。

 まだ実力の4割ほどで相手しているが、これからもっと伸びれば全力で相手をしなくてはいけないかもしれない。

「やあっ!」

「お、らあっ!」

 緩急のついた鋭い踏み込み、たとえ弾かれても揺るがない体幹。そして振る瞬間にのみ気を集中させる技術。

 かつて巴が死線を潜り抜けてようやく体得したものを、後輩は砂漠が水を吸うように吸収していく。たとえ今まで積み上げた膨大な基礎があり、目の前に手本があるとは言っても異常な成長スピードだった。

 何より不可解なのは、巴がこの現象にあまり恐怖を覚えていないことだった。

 本来相馬巴は臆病な人間である。そうでなくては生きていけなかったからだ。

 もしかつての彼が対戦前の由紀江と会っていたら、相手にすらしなかっただろう。そして今の由紀江と会っていたら……迷いなく、殺していただろう。いつか自分を脅かすものとして。

 だが、今の彼は由紀江の成長を心から喜ばしいと思っていた。その一番の理由は、黛の剣が綺麗だったこと。

 剣聖黛大成も、その娘由紀江も。剣を交えて、人間が綺麗だった。澱みも濁りもない純粋な心が、触れていて心地よかった。だから、少しでも役に立ちたいと思った。

 けれど、巴は今自分から教えることはもうないことも理解している。足の位置調整や間合いの取り方、視線の使い方などの細々した技術は教える時間がないし、これ以上は相馬流の指南になってしまう。由紀江には、あくまで黛流として強くなってほしかった。

「残り30秒じゃ!」

 鉄心の声に、二人は一旦距離を空ける。由紀江は肩を上下させながら必死に酸素を取り込み、巴の呼吸もほつれつつあった。

 意を決したように、巴は両手に握った二刀を鞘に納めた。

「引き分けになんてしない。次で決めるよ」

「お受けします」

「黛さん、そこは受けるんじゃダメだよ」

 巴が微笑みかけると、由紀江は構えをより前傾させた。

「―――黛由紀江、行きますっ!」

「うん、それでいい。じゃあこれが、最後だ」

「やあああああっ!」

 だらんと腕を下げたままの巴に、由紀江の剣が吸い込まれていく。最後の、全てを込めた渾身の一撃は、二本目を取った一太刀となんら遜色ないものだった。

 しかし、相馬巴には届かない。

「相馬流、新月」

「……っ!?」

 技の名前を呟いた瞬間、巴の姿が"消えた"。決して足捌きや体捌きで消えたように由紀江が錯覚したわけではなく、誰の目からも消えていた。

 そして、呆気に取られた由紀江の肩に後ろから刀が添えられる。背後を取られた剣士は一度天を仰いでから、悔しそうに地面へ視線を落とした。

「……参りました」

「それまで! 勝者、相馬巴!」

 学園長が、この決闘の終結を宣言する。勝ったのは相馬巴。結果としては順当で、前提と過程が不自然まみれな戦いが、ようやく終わりを迎えたのだった。

 

 

 

「うおおおおおっ!」

「二人ともすごかったぞー!」

「黛さーん! 素敵ー!」

 今度は、全校の歓呼の声が二人に降り注いだ。

 自分にかかる声を受けつつ、由紀江は刀を納める。振り返って巴に礼を言おうとしたところで、またしても倒れ込んだ。男は同様に軽々と受け止める。

「おっと。よく倒れるねえ」

「すみません……そして、ありがとうございました、相馬先輩。今日一日で、また強くなれました」

 由紀江の言葉に対し、巴はからかい気味に返事する。

「おいおい、俺は君のお父さんをのした男だぜ」

「それでも、です。それに、先輩は……」

 由紀江がその先の言葉を紡ごうとしたその時、校庭に凛然とした声が響いた。

「由紀江、よく頑張ったね」

「……お父、様」

 その声の主は、川神院で治療を受けているはずの剣聖、黛大成だった。ピンと背筋を立てて、地面に根が張ったような見事な立ち姿。とてもけが人とは思えない様子で……実際、全治一か月の重傷などは受けていなかった。

 親子と一人の剣士の三人に、百代と鉄心が歩み寄る。

「……おいじじい、大体察しはついてるがちゃんと説明しろ」

「焦るでないわ。ちゃんと話すわい」

 鉄心は女子生徒二人に、川神院で交わされたやり取りについてかいつまんで説明した。その内容は、直江大和の予想と大きく外れることはなかった。

 またその中で巴の頼みごとの残り二つ、黛大成にけが人のふりをさせることと、由紀江にのみ真剣を使わせて巴はレプリカを使っていたことも伝えられた。事実、巴の腰に差さっている二振りは月鏡でも極楽蝶でもなかった。

「つまり、父親が怪我したと嘘を聞かせて、その上で実戦の中でまゆまゆに一皮剥けさせたかった、と」

「相馬くんに負けたのは事実だが、騙す形になってすまない、由紀江。普段から嘘は吐くなと言っていたのは私なのに」

「いえ、いいんですお父様……でも、よかった」

 由紀江の言葉に、大成は怪訝そうな目を向ける。気を失いそうなほど疲労した剣聖の娘は、誰に聞かせるでもなく呟いた。

「相馬先輩が、心を修羅道に呑み込まれていたわけでなくて、本当によかったです」

 これには、鉄心がうむと頷いた。

「よもや、相馬がここまでうまく人へ稽古をつけられるとは思っておらなんだぞい」

「ええ。我が道場にも来て欲しいくらいです」

 川神院総代と黛流当主から褒められても、巴は平常心を崩さずに謙遜した。

「黛さん……由紀江さんに才能と下地があったからですよ。大した事してませんて」

「それでもじゃよ。よくやってくれた。相馬」

「私からも礼を言わせてもらう。本当にありがとう、相馬くん」

「や、やめてくださいよ、学長、黛さん」

 達人二人が頭を下げる光景に巴が言葉を詰まらせていると、抱きしめた体から眠たげな声が聞こえてくる。

「あの、相馬先輩」

「どうした、黛さん」

「騙されたお詫びということで、私のお願いをひとつ聞いていただけますか……?」

「まあ、一つくらいは聞こう。一本取られたしな」

「では……」

 巴を見上げる顔は、ほんのり頬が染まっていた。

「父と紛らわしいので、これからは由紀江と呼んでください……」

 これだけ言って、眠気の限界だった由紀江は意識を手放す。

 

 土曜日の決戦は、これにて終幕した。

 

 

 

 

 

 勝負を見届けたヒューム・ヘルシングはビルの屋上を足場に跳躍を繰り返して九鬼極東本部のある大扇島に向かいながら、二人の決闘について考えていた。

(まあ、今回は想像以上の収穫だったな。黛の娘も、あれでまた成長するだろう。だが)

 九鬼家の最強従者は、違和感を言語化していく。

(相馬の実力の向上具合は、おかしい。あいつは護衛に回され、最上幽斎は相馬が父親を殺した事件以来三年間特に襲撃も受けていない。つまり、死線をくぐっていないはずだ。対人戦闘の勘も鈍っているはず。よほど拮抗した相手と組手を繰り返していない限り)

「まあ、考えても仕方あるまい。調査してもいいが……」

 一人納得すると、それから興味は最後に放たれた技に移る。

「それにしても、あの新月とかいう技、滾るな」

 クククと喉を鳴らしながら、川神市の空を執事服が駆けて行った。

 

 

 

 

 

 

 余談。

「つーん」

「旭さん」

「つつーん」

「旭さぁん」

 巴と由紀江のやり取りを聞いていた最上旭は、一日いっぱい巴と口を聞かなかった。もちろん頭は撫でられなかった。

 

 

 

 

 




まゆまゆはヒロインじゃない。ヒロインじゃ、ない。
ないはずなんだけどなあ……
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