艦隊これくしょん ストレンジリアル軍艦艦娘転生海戦譜 Season1 作:岩波命自
「誰ですか、あなたは」
艤装事自由を奪った張本人の顔を見据えて、大和は低い声で問う。
「誰ダト思うカネ?」
愉悦を交えた声で魔鎖鬼は返す。どこか快楽殺人鬼を思わせる、相手をいたぶる事に楽しみを覚えているようにも思える魔鎖鬼の口調に、僅かながら怒りを混ぜた声で武蔵が脇から口を挟む。
「質問に質問を持って返すとは、無礼だぞ」
「武蔵」
今は黙ってて、と妹の名前だけ呼んで大和は目配せも交えて武蔵の口を閉じさせた。長門と陸奥も、今ここは大和に倣おうと無言で魔鎖鬼を睨みつける。
視線を転じると加古と雪風、時雨、吹雪、白雪、初雪、深雪達は四肢を縛る鎖にがむしゃらに抵抗して、余計に手足を縛る鎖の強さを強められている様だった。
大和は目の前に鎮座する男性型深海棲艦の服装もつぶさに見て、推測出来る事を交えながら答えた。
「深海棲艦の中で、あなたの様な存在は未知だった……見るからに男性型と見る。女型しか確認されていなかったはずの深海棲艦の中において、恐らく唯一の男性型。かつては船乗りか、海洋に携わる人間だったのではないか。そして今はこの海域の主。状況証拠から言えるのはそれだけ」
「……マア、良い。そノ通リダ。私ハ、ココ最シン部海域の主。深海魔鎖鬼ダ」
「魔鎖鬼……」
人間の男性、日本人の男性名として同音の「まさき」と言う名前を持つ人物は山程いる。名前からしてきっと日本人だったのだろうか。それとも深海棲艦の中で男性型として誕生した変異型が日本人と同名の名前を名乗っているとでも言うべきか。
「私達を捕らえたのは何故です……?」
「何故ダト思ウ?」
質問に対して質問を返すやり方を魔鎖鬼は繰り返す。弄んでこちらの反応を楽しんでいるのか、そう疑いたくなる反応だった。
大和が答えず、険しい表情と視線を向けて無言を答えとすると、魔鎖鬼はあっさりと両手を挙げて茶番は終わり、とするかのようにラフに腰かけていた艤装の様なものから立ち上がると、海上を地面の様に歩いて、大和の前に立った。不思議な事に魔鎖鬼が歩いても海面に波紋一つ残らない。
「君達ノ攻撃で、私ノ作リ出しテ来た眷属ノホボ全てガ死ンだ」
眷属……深海南方任務部隊本隊を構成していた深海棲艦や、サーモン北方海域に展開していた数多の深海棲艦艦艇の事だろうか、と大和は考える。
「シカシ、私ニ取ってハ都合良ク、『海域ノ境界』に君達ガ落チテ来た。君ハ知ってイル筈ダ。艦娘ト深海棲艦ノ関係と言ウモノを」
大和の顎に手を伸ばして持ち上げながら魔鎖鬼は言う。直後、大和の脳裏に六年前の記憶が蘇る。峡一号作戦を決行し、ポイントレコリスを巡って死闘を繰り広げたあの時の事を。
大和に向かって不敵な笑みを浮かべた後、魔鎖鬼は吹雪の方を見つめる。はっと自分に視線が向いた事に気が付いた吹雪は魔鎖鬼の顔を見据えて、精一杯の目力を込めて睨む。
そんな吹雪に魔鎖鬼はその場にいる殆ど全員が知らない事を口走った。
「オカエリ、吹雪。姫ノ帰還を私ハ待ってイタ」
「私は姫じゃない。ましてや深海棲艦の姫様になったつもりなどない!」
ぴしゃりとした口調で返す吹雪に魔鎖鬼は不敵な笑みを浮かべて、彼女の額に手をかざす。
「思イ出せ……姫ヨ」
唐突に吹雪の脳裏で大和と同じように六年前、ポイントレコリスで、もう一人の自分、深海吹雪と対面した時の光景がフラッシュバックする。まるで強引に目をこじ開けて光を眼光に照らし込まれているかの様な、眼球への痛み、脳への負荷に吹雪が呻きと喘ぎ声を上げる。
すると魔鎖鬼は吹雪から急に手を放して、些か不満さと悲しさを露に呟いた。
「姫ノ『素質』を喪ッタか……悲シイ事ダ。ソシテ忌々しキ事だ、我ガ深海の女王ガ不在デアル事は」
「お前は深海棲艦と寝て子供をつくる様に多種多様な深海棲艦を作り出して来たのか? 悪いが私は貴様にどんなにねだられ様と懐柔されようと寝る気は無いぞ」
凌辱されると思ったのか長門が今にも鎖を引きちぎって殴りかからんばかりの声で言うと、魔鎖鬼は乾いた笑い声をあげた。
「ソンナ馬鹿ゲタ行為等私はシナイ。オ前達ヲドウスルかハ簡単ナ事ヨ」
「どうするというのです?」
間髪入れずに尋ねた大和に、魔鎖鬼は愉快そうに笑いながら答えた。
「我ガ眷属ヲ一蹴したソノ火力、戦闘力ヲ持つ君達ヲ深海ノ色に染メ直すダケの事ダ」
その言葉で大和やその場にいた全員が魔鎖鬼の目論見を悟った。こいつは自分達を、鹵獲した艦娘を深海棲艦として再生して、最強格の深海棲艦として利用する気だ。
考えても見れば、艦娘を鹵獲し、深海棲艦として利用すると言う事は実に理に適った活用だ。特に頑強に抵抗し、大火力と堅牢さを持ってラフシーズ作戦決行までに実施されたサーモン北方海域の最深部への攻略作戦の全てを退けて来た深海南方任務部隊本隊を、文字通り五一センチと四一センチの大火力を持って粉砕した大和型改二と長門型改二を深海棲艦の戦力として再利用出来たら、文字通り深海棲艦版の「無敵艦隊」の誕生だ。加古、雪風、時雨、吹雪、白雪、初雪、深雪もそれぞれ重巡級と駆逐艦級の棲姫として深海化されれば、主力艦となる深海化大和型改二と長門型改二の随伴を務める事が出来る。現に特型駆逐艦娘の深海棲艦版と言える駆逐棲姫は実際存在する。北太平洋を管轄する人類統合軍海軍第五方面軍第五艦隊が交戦した深海千島棲姫と深海釧路沖棲雲姫がそれだ。加古、雪風、時雨に相当する棲姫級が存在しないが、存在しないのならこれからその存在と言うものを作り上げてしまえば良い、と言う事だろう。
何とかこの場を切り抜ける術は無いか、と大和は策を巡らせる。
「こんのお、縛りプレイの変態野郎が! 放しやがれっての! 隷属させる前にまずアタシと拳で話そうじゃないか! ステゴロでかかってこい、腰抜け!」
策も何も無い、言葉通り殴り合う気満々の加古が喚き散らし、きつく締めあげられる手足を藻掻かせる。鎖がしなる音が響き、じゃらじゃらと言う錨鎖の擦れる金属音が鳴り響く。
「良イ活力ダ。マズ君から深海ノ色に染メ上げヨウか」
さも楽しそうな顔で魔鎖鬼は加古に向き直る。その場にいた大和達の視線が加古に集まる中、今だと加古は艤装の探照灯を明滅させて隣の陸奥に信号を送った。探照灯は鎖の陰に隠れて魔鎖鬼からは見えない位置にあった。
信号に気が付いた陸奥が、その信号を読み取って微かに頷く。陸奥はヘッドギアの脳波操作で身動きが取れず艤装内に閉じ込められている航海科妖精に指示を伝達した。加古の提案は一か八かの賭けだったが、やりようによっては形勢逆転もあり得る作戦だった。
伝言ゲームの要領で素早く互いに魔鎖鬼に悟られない様に信号を送って、とあるアクションを艤装内で起こす艦娘達に魔鎖鬼はお見通しだと、そして無駄だと言う様に嗤った。
「無駄ナ事だ、ビーコンを出しテモ仲間達ニハ届カンよ!」
「そうね。でも、この世界にいるのなら届くかもしれない」
「何?」
どういう事だと哄笑を止めた魔鎖鬼が大和に振り返る。
その時、遠くにもう一人の存在を感じ取った様に魔鎖鬼は彼方へと振り返った。
「確認出来るのはビーコンだけ。一斉に一一個のビーコンが点いたと言う事は……」
CIC妖精の報告に両腕を組んでタナガーは顎を軽く引いて、水平線の彼方の霧を見据えた。水平線、と言うよりも水上と言うべきか。少なくともこの世界には地球の丸みが存在しない。幾ら進んでも電波は海面と並行して進み、レーダーの反射波が跳ね返る事が出来るオブジェクトが出力圏内にある限り、タナガーのレーダーはあらゆるものを拾う事が出来た。
艦娘の艤装ビーコンと言うものを拾ったタナガーはそれが、自分がはぐれた大和達のモノであると確認すると、その発信の意図を探った。
明らかにおかしいこの海域で、外様の様に置かれている自分には情報が不足していた。ただ一一人の仲間のビーコンが確認出来たと言う事は、一一人とも健在な可能性があった。
「行ってみようかな」
情報不足を補うべく、タナガーはここに居るというメッセージの様なビーコンを頼りに、霧の中へと進んだ。
突如現れたタナガーに深海魔鎖鬼は初めて見せる困惑を浮かべた顔で、タナガーを見据えた。一方のタナガーは拘束されている仲間達の姿と、その前に立つ魔鎖鬼の姿を見て即座に状況を理解していた。
「オ前は誰ダ?」
明らかに異物を見る目で、この世にあるとは思えないものを見る目で自分を見て来る魔鎖鬼に、タナガーはまず人としての姿を得てから学んだやり方を取った。
「はじめまして。私は戦艦タナガーです。人類統合海軍所属です」
「……」
なお訳が分からないと言う目で見て来る魔鎖鬼に、タナガーはどう相手すればいいか、と手探りの心境で続けた。ここでは嘘を言って事態を悪化させるべきではない、真実を語って、大和達の身柄の解放に繋げようと彼女は考えた。
「つまり……」
「何ダ?」
「私は艦娘です。大和さん達と同じ」
訳が分からないと言う目から不思議なものを見る目に目の色を変えた魔鎖鬼は、不意に痒くなった左頬を掻きながら、タナガーに誰何した。
「ナルほど。ドウ言ウ艦娘ダ?」
その返しにタナガーは言葉に詰まった。自分はこの世界の軍艦の記憶を引き継いだ艦娘ではない。もう一つの平行世界の、ストレンジリアルと呼ぶ世界の軍艦の船魂が、時空を超えて現世化し、人となった姿、要約すればそうなるが、タナガーはこの男性型の深海棲艦を相手に、平行世界から来た、と語って信じるだろうか、と言う不安と疑問が浮かんだ。
そんなタナガーを他所に魔鎖鬼は質問を容赦なくぶつけて来る。
「アメリカか? ロシアカ? 日本カ?」
それら何れでもない、とタナガーは無言で両手の拳を握りしめる。私は……。
「何ダ?」
早く答えろ、異物、と言うかのような催促染みた声にタナガーははっきりと、誇りを込めた声で言った。
「エルジア」
「エルジア? 何処ノ地域ノ国ダ? ユーラシアか?」
ヨーロッパの国とでも思ったのだろうか、魔鎖鬼はタナガーに問う。思わずニヤケかけそうになる自分を制しながらタナガーはエルジアがある大陸のユージア大陸とユーラシア大陸、似た響の固有名詞だと思っていた。どうしてこうもこの世界とストレンジリアル世界は奇妙な間で似通っているのだろうか。
だが長すぎる説明は、今のこの状況下では不利だろうとタナガーは判断し、最も当たり障りのない答えを返した。
「地球よ」
「地球……」
軽く噴き出す声が魔鎖鬼の口から洩れる。間違った事は一言も言っていない、とタナガーは冷静に自分の発言を振り返っていた。間違いなくエルジアは地球にある国だったし、事実としてタナガーのルーツはこの世界では無い、もう一つの世界でありストレンジリアル世界で生まれた。何一つ嘘は言っていない。
「艦娘ダナ。実ニ艦娘の答エダ。一〇〇パーセント君ハ艦娘ダ」
そう言って魔鎖鬼は笑い声を漏らした。先ほど上げていた哄笑ではない、くっくっくとした静かな笑い声が暫くその場に響いた後、ざわりとタナガーの肌を粟立たせる冷気が彼女を襲った。直後、彼女の目を魔鎖鬼の異物を見る目が冷酷に射抜いた。
「ダがソンナ国は、何処ニモ無い!」
伸ばされた右手と共に、鎖が海面下から飛び出して来て、タナガーの身体と艤装を鞭の様に殴りつけた。轟音、金属の衝突音を上げて、タナガーの身体は霧のベールの向こう側へと吹き飛ばされていった。彼女の口から身体に瞬間的にかかった衝撃で漏れ出た鮮血が線を描いたが、物理の法則に従って鮮血は海面に落ち、タナガーの姿は霧によって見えなくなった。
事態解決の糸口が見いだせないまま、二四時間が経過しようとしているサーモン北方海域深部では、哨戒艦隊が常時哨戒に周り、ヘリコプターや哨戒機が海域を囲う様に展開し、やや離れた海域には母艦兼最前線拠点となる艦娘母艦「わかたか」「ジオフォン」の二隻が洋上に停泊していた。
濃紫色の染まるグラウンドゼロから一定の距離を置いて、哨戒に当たる哨戒艦隊の艦娘達は、その異業と言える光景に圧倒され、息を呑んで見つめていた。
その哨戒艦隊の一群を担う再編第八艦隊の旗艦にある青葉は、妹の衣笠、六戦隊の長女同士の古鷹、傷病療養上がりたての鳥海、そして天龍、それに夕張を加えた六人編成で哨戒任務に当たっていた。
本来第八艦隊の旗艦は鳥海が担っているのだが、負傷治療を終えてリハビリもそこそこに戦線に送られた鳥海から、大事を取って六戦隊一番艦である青葉に一時的な委譲と言う形で第八艦隊の旗艦を任されていた。
濃紫色の柱が黒雲と言える雲が立ち込める天空へ向かって伸びる赤い海の上を、六人はグラウンドゼロから最低でも五キロは距離を取って進んでいた。
「六年前の峡一号作戦を思い出すね」
「古鷹はあの時最深部突入部隊の救援隊だったっけ」
震える声でサーモン北方海域のグラウンドゼロを見つめる古鷹に、青葉が記憶を頼りに聞く。青葉と衣笠、鳥海、それに天龍と夕張も峡一号作戦を戦った艦娘の一人ではあるが、最深部突入部隊に参加したのは第八艦隊のメンバーでは加古ただ一人であり、古鷹と天龍は救援隊として赴いたショートランド泊地防衛艦隊所属だった。古鷹と天龍を含む救援隊が向かった時にはポイントレコリスのグラウンドゼロは眩い光を放ちながら崩壊を始めていた為、古鷹と天龍自身は鉄底海峡の中心部を直に見た事はない。
「私と青葉は第三艦隊所属で、囮支援部隊だったから、見る事も叶わなかったわね。青葉は突入部隊に志願してたっけ」
「そうだよ。何が起きているのか、カメラに収めようと思ってね。結局長門さんから止められてガサと共に二航戦の直掩についた訳だけど」
「加古もそんなにあの時の事は語らなかったわね」
最後尾から話を聞いていた夕張が口を挟む。確かにその通りだと青葉、衣笠、古鷹の三人は頷いた。加古自身もあの鉄底海峡を巡る峡一号作戦に関する詳報は書いて、六戦隊と第八艦隊所属艦娘の間で共有してはいたが、加古自身がポイントレコリスの体験談そのものを語る事は余り無かった。何か思う所があったのか、単純に加古の性格であるサボり癖から話さなかったのか、詳報に纏めた事が全てだからもう語る事などないと思っていたのか。
「語り部なしに語る事なしだ。それよりも何をどうしたら、この海域異常を収められるか、大和達をどうやって救助するかだよな」
その加古を含む艦隊が呑み込まれたグラウンドゼロを見つめながら天龍が返す。やや租な口調がデフォルトだが、人を思いやる心は人一倍強い仲間想いな軽巡艦娘の天龍は内心、打つ手が見つからない事に苛立ちを募らせていた。
気持ちは分かると青葉は頷く。普段は自由気ままにやっている青葉も仲間意識は天龍に負けないくらい強く持っている。ましてやグラウンドゼロに呑み込まれた加古は、同じ六戦隊第一小隊を組む戦友だ。気にも留めない訳がない。
「緑の閃光、グリーンフラッシュが走った時、海域の異常は起きました。つまり、もう一度グリーンフラッシュが起きれば、別々の所にある二つの事柄を繋げられるかもしれない。或いは」
そこまで言ってから青葉はそこから先を安易に口に出す事が憚られた。或いは、グラウンドゼロの中に吹雪の様に飛び込むか。しかし、吹雪が飛び込んだ時と同じように戻って来られるか分からないのだ。ハイリスクハイリターンを望めない以上は、リスクを冒すだけの価値を見出すべきではない。
「でも、何もしないでいるのでは、何も変わらないのと同じですよね」
その青葉の呟きに第八艦隊の一同は同感だと頷いた。
呼吸をする度に、胸の奥の肺が痛んだ。定期的に喘ぐ声と共に喉から咳が出て、唾や痰では無く、鮮血が口から零れ出た。
魔鎖鬼の鎖の一撃はタナガーの肋骨をへし折って、肺に突き刺さったようだった。ファーストエイドキットのモルヒネを打ってようやく痛みは引いたが、咳は止まりそうにない。
霧の外まで弾き飛ばされたタナガーは自分の艤装の状態を確認して、天を仰いだ。主砲搭は弾き飛ばされた時の衝撃で通電回路の何処かが損傷して使用不能だ。応急修理班妖精は一〇分で復旧させると言って来たが、一〇分も待っている余裕は無いだろうとタナガーは霧の向こうを見つめながら思った。
何かの儀式の場の様に供されている大和達の身に、危害が及ぶ可能性は非常に高い。タナガーに対して一切の迷いのない暴力を振るって来た相手だ。
それにあえなく一蹴された事がタナガーのプライドを傷つけていた。報復を望まないと言えば嘘になる。
「主砲搭は一時使用不能。燃料も余裕は無し……そうとなれば形勢逆転を図るのであれば」
タナガーは未だに使用不能のエラー報告が上がっていない艤装上の兵装を一瞥すると、口元から溢れる鮮血を右手の甲で拭い、口に溜まった分を吐き捨てて霧の向こうから尚送られてくる一一人の仲間達のビーコンを頼りに、準備を始めた。
「長い槍で精確に突き刺すしかないわね」
もう一度噎せ込む様に咳をして血痰を吐き捨てながら、タナガーは凛と張った声を上げた。
「攻撃始め!」
大和達のいる海面の少し離れたところから、赤い海の水面を割って、大きな艤装に腰かけた深海棲艦が潜水艦の様に浮上して来た。長大な飛行甲板の様なものを備えたその深海棲艦の後に続いて、空母ヲ級改や戦艦タ級、軽空母ヌ級を始めとする大艦隊が海面を割って浮上して来た。
「見たマエ。新シイ眷属達ダ」
「空母……?」
恐らく旗艦らしい飛行甲板の様なものを備えた未知の艤装と見た目の深海棲艦を見て、大和は呻く。それに対して魔鎖鬼は玉座の様な椅子に座り、操り人形を吊るす様な手付きで大和達を繋ぐ鎖を操りながら、自信に満ちた声で答える。
「新たナ眷属、空母棲姫ダ。君達ガ深海ノ鎖の色ニ染マッタ暁にハ、彼女達ガ空ノ守リを固メル。言ワバ守護天使ダ!」
「そんな天使に頭の上を守られたくはないな」
そう啖呵を切る時雨だったが、彼女の意識は徐々にだが鎖で縛られている手足から浸透して行くように弛緩していくのが分かった。時雨だけではない、全員が鎖で縛りつけられている両手、両足から徐々に寝ている時のようなまどろみの底へ落ちかけていた。
これが魔鎖鬼の言う、深海の鎖の色に染まる、と言う事なのだろうか、と大和は重くなる瞼を必死で上げ、歯を食いしばって意識を保とうとする。本来十字架にかける磔刑の聖女の如く鎖で縛られているから、水平に伸ばされる両脇や真っ直ぐ揃って伸ばされた状態で拘束されている足先が疲労で意識を強引に覚醒させてくれそうな筈だが、今は逆にただただ胡乱な意識の底へと、海底深く沈んでいく沈降して行く様な感覚に全神経が覆いつくされていた。
駄目だ、ここは魔鎖鬼の空間と言うべき世界だ。この世界の住人である自分達の力では不可抗力と言う程に勝ち目が見いだせない。人の身体を、脳を意のままに操り、深海棲艦へと変貌させる魔術師だ。
消えそうになる意識の中で、自分が深海棲艦になってしまったら、と思うと不甲斐なさと、申し訳なさ、悔しさ、海上の生への未練が胸一杯に広がって来る。
じっとこちらを見つめるだけの空母棲姫達を見て、大和は歴史の本に掲載された肖像画の画像で見たことがるゴルゴタの丘で磔刑に処されたイエス・キリストの様な姿勢になりながら、深海棲艦が何故生まれるのか、一瞬だったが視覚的にも、知覚的にも見えた気がした。
深海魔鎖鬼は一種の勝利の美酒に酔いしれていた。サーモン北方海域に送っていた精鋭の深海棲艦は敢え無く艦娘に敗れ去ったが、その撃破した艦娘達を自分の空間に引きずり込む事に成功し、今目の前で自分の思うままにその身体を、脳を深海の色に染め上げられようとしていた。
艦娘の中でも最強格の火力と防御力を誇る戦艦艦娘四人、秀でた才能を持つ重巡艦娘一人、非凡なる勇気と献身さを持つ駆逐艦娘六人、これに空母棲姫を中核とした深海空母群が加われば、深海棲艦の無敵艦隊が誕生する。
「君達ガ深海(ふかみ)ノ色ニ染マッタ先に、我ガ再生ノ道を阻ム人類ハ存在しナい。愚カナ抗いハ砕カレ、岐レタ命ハ母ナル海へ戻り、再生が始マルノダ」
「何を言っている……」
「頭狂ってるのか……」
理解出来ないと長門が呟き、加古が吐き捨てる。二人の声には心なしか、深海棲艦特有のエコーがかかった声になりかけていた。
もう、駄目なのか……諦観が全員の脳裏を覆った時、一一人の背中に、腰に纏う様に、或いは背負う艤装が金属の軋む音を上げ始める。かつてポイントレコリスの戦いで変色海域にいる艦娘の艤装は、その海域異常によって徐々に侵食され、破壊されていく、と言う超常現象に遭った。変色海域に長くいればいる程、艤装は蝕まれる様に破壊されて行き、最悪航行する事も出来なくなる。それに対して人類側は特殊塗料をコーティングする事で侵食を防ぐ方法を編み出していた。
以来、このコーティングは度重なるメンテナンスや作戦前の度に塗り直され、常にその状態は最新のモノへと書き換えられていた。サーモン北方海域に挑んだ艦娘達にもまだ塗りたての、コーティングしたばかりの対浸食塗料がその表面を覆っていた。
それが、砕け、割れた壁紙の如く剥がれ落ちて行き、塗料が落ちた一一人の艤装が徐々に痛みを見せ始める。まるで錆びの様な茶色く薄汚れた赤みが艤装に浮かび上がり、砲身に、砲塔の正面装甲版に亀裂が入っていく。金属が軋む音が鳴り響く度に、一一人の艦娘の艤装は少しずつだが破壊されて戦闘能力を喪っていった。
視界が真っ黒になりかける中、大和はまだ辛うじて主機だけは破壊されて無い事だけは把握していた。背中の腰を介して機関部の胎動もまだ伝わって来る。だが主砲が使えなくなっていく以上は抗う術を喪ったも同然だ。最も姿勢的にも発砲不可能だし、捕らえられた時から艤装内では作動不良のエラー音が大合唱を繰り広げていたのだが。
もう駄目だ、そう諦めかけた時、遠くで凛と張った声が叫ぶのが聞こえた気がした。遂に耳と脳もやられたか。
「旗艦指示の目標! SLCM、SSM、全弾発射! サルヴォー!」
赤い海を、暗い空を、フウキンチョウ(Tanager)の鋭い叫び声が引き裂いた。遅れて、全てを包み隠すロケットモーターの噴煙が、無風の世界の海面に膨れ上がり、タナガーの姿を煙の中へと隠し去った。
塊の様な噴煙の中から三六本にも上る軌跡が空高く飛び上がって行き、未だに反応が辛うじて得らえる一一人の艦娘達のビーコンの反応と、タナガーの砲術で培った照準を基に、吹き消されない噴煙を残して飛び去って行った。
その軌跡を目で追いながら、タナガーはヘッドセットに向かって、自身の言葉を聞く艤装内の妖精に向かって、かつてのストレンジリアル世界の自分の艦長、マティアス・トーレス艦長を彷彿させる張りのある声で叫んだ。
「想像せよ、妖精諸君! 一発で一つの命が解き放たれる!」
急速に何かが猛然と飛ぶ音が幾つも鳴り響き始め、それらは音の速さをギリギリ超えないか、くらいの速度で急激に大和達の元へ、そして魔鎖鬼へと迫った。
「何!?」
はっきりと目前に迫る「異物」の群れを凝視して、動揺を露にした声でうめき声を漏らし魔鎖鬼の玉座に、放たれたSLCM二発が纏まって着弾した。
そしてほぼ同時に、大和達一一人の艦娘達を拘束する鎖の群れに、狙いすました正確無比の照準で放たれたSLCM、SSMの弾体が次々に直撃し、鼓膜を聾する金属の甲高い破断音を上げて断ち斬って行った。
「バ、馬鹿ナ……!」
着弾したSLCMの爆薬で吹き飛んだ玉座を見て、驚愕する魔鎖鬼の前で、自由の身となった艦娘達が次々に正気を取り戻して立ち上がる。
再び鎖を巻き付かせようと、手を伸ばした魔鎖鬼に、今度は九発の飛翔体が迫る音が彼の頭上から鉄槌の如く振り落とされた。
「私が味わった恥辱の最期。それ以外を屈辱と呼ぶのは私が許さない!」
復旧した一六インチ主砲で急斉射を送り込みながら、タナガーは咆えた。霧をかき分け、再び魔鎖鬼の前へと進み出たタナガーは、口元から血を流している自分と、正確無比なミサイルの射撃を、砲撃をやり遂げたタナガーを驚きの目で見つめる大和達にはっきりと聞こえる声で、叫んだ。
「退路は無い! 生き残るには、相手の命を奪うしかない! 命を求めるなら命を捨てよ!」
さらに放たれた一撃は、今度は空母棲姫に直撃した。
一六インチの大口径砲弾の直撃を受けた空母棲姫は、被弾箇所をゆっくりと見下ろして、破孔を穿った熱い鉄塊を手に取った。
ぐしゃりと空母棲姫の手の中でタナガーの徹甲弾の一部が砕け散る。それを合図に空母棲姫の周りを取り囲んでいた大勢の深海棲艦が一斉に突撃を開始した。
何かを叫んでいる様に聞こえたのはその場にいたタナガーを始めとする艦娘全員が認知していた事だった。心なしか「魔鎖鬼の為に!」とでも言っている様に聞こえた。
自分達の状態が、今どの様な状態であるかを良く知っていた大和は、この場で最も賢いと言える判断を下した。
「反転一八〇度! 全艦離脱!」
砲撃の矛先を再度魔鎖鬼へ向けて行おうとするタナガーを殿にする形で、大和、武蔵、長門、陸奥、加古、雪風、時雨、吹雪、白雪、初雪、深雪が脱兎のごとく駆けだす。
一一人の艦娘の背後で、タナガーが血を吐きながら「てエェェェッ!」と叫び、また九発の砲弾を魔鎖鬼へ叩き付けた。
タナガーと言うストレンジリアル世界から現れし、本来存在する筈のない「異物」が魔鎖鬼の世界で、「死に神の鎌」でその鎖を切り落とした事が「トリガー」となったのか。
彼女の砲撃を受けて怒り狂う魔鎖鬼が雄叫びの様な叫びをあげた時、世界に緑の閃光が再び走り、眩い閃光はその場の全てを包み込んだ。
タナガーは再び、足元の感覚が消失し、平衡感覚が失われ、手足が虚空を掻き、掴むのを感じた。
それでも、せめてもう一撃、と放った砲撃が、再度魔鎖鬼へと届き、一発が彼の顔面を強打する。殴り飛ばされた様に仰け反りながら、魔鎖鬼が憎悪をためた目でタナガーを見た。
魔鎖鬼とタナガー、二人の視線と視線がぶつかったその瞬間、二人を、大和達を、深海棲艦達を、拡大する緑の閃光が呑み込んだ。
「うわ!?」
「Holy shit !」
突如グラウンドゼロから放たれた緑の閃光は、西へと太陽が傾き始めていた旧サーモン北方海域に居た第八艦隊やTF58、その他、その場に哨戒艦隊として展開していた艦娘達の網膜を瞬間的に焼き、一時的に視界を奪っていた。
緑の閃光と共にグラウンドゼロを起点に広がっていた海域異常は拡大し、後方に展開していた「わかたか」「ジオフォン」にまで覆い被さる黒雲が広がった。
「総員戦闘配置!」
緊急事態と察した両艦の艦長が乗組員全員に戦闘配置を命じ、当直士官がマイクに飛びつき、「General quarters! General quarters! All hands battle station!」とスピーカーに向かってがなり立てた。
そしてその場に居合わせた全ての艦娘の、閃光によって奪われた視界が元通りになった時、グラウンドゼロに呑まれて行方不明になったはずの第一、第二艦隊の艦娘と、未確認の深海棲艦を中心とした深海棲艦の大艦隊が姿を現していた。