1.
勇者ヒンメルの死から約5年後──
フリーレンはひとり、森の中を歩いていた。
山と山の間に、目的地の村があった。
記憶している限り、小さな村だった。
取り立てて何も優れたものがない村だ。
いつのまにか滅んでいても、誰も気にしないだろう。
村人たちは自給自足の生活を営み、たまにやってくる旅人や、商人や、郵便との交流が外界との接点だった。
そんな村に、1人の優れた魔法使いが隠居していた。
かつて、まだ魔王が健在の時代に魔法使いたちに恐怖を刻み込んだ魔法──
その魔法使いがフリーレンに手紙をよこしたのだ。
『自分の命はあとわずかだから、自分が持っている貴重な魔道具や魔法書を好きなだけ持っていって欲しい』
手紙にはそう書いてあった。
だから、フリーレンは少々心躍る気分で村への道を歩いていた。
しかし、同時に心のどこかに引っかかっていることがある。
あの男は、すごいケチな男だった。
珍しい魔道具を見つけると金に糸目をつけずに買い取り、自分のものにすると決して人に貸さず、見せず、触らせなかった。
向上心と野心に溢れた男だった。
常に己の魔法を高みへ高みへと磨き上げようとする男で、そのためにはその他の全てを平気で捨てる性格をしていた。
その、ある種極まったワガママさには当時のフリーレンですら半ば呆れるほどだった。
魔法は集めるのではなく、自ら作り出すことが楽しいのだ──
その原理を究明し、より深く理解することが楽しいのだ──
そう言って憚らない男だった。
魔法の神秘性を分解して解き明かす。
全てを数式と文字に置き換えてしまう。
フリーレンにとってそれは、理屈としては理解できるが趣向のレベルで言えば決して相容れない考えだったと言っていい。
そんなドケチが自分の持つ全てを譲ると言い出したのは、どういう心境の変化なのか。
人は死を悟ると性格が変わるということがあるのはフリーレンは知っている。
しかし、それはあくまでそういう事例があるのだという話で、実際には懐疑的な目を向けてもいた。
ずいぶん、都合がいい。
ヒンメルは変わらなかった。
魔王を倒した人間。
背が自分より小さくなって、腰は曲がって、ハゲ頭になっても、死の瞬間まで何一つ変わらずに、ヒンメルはヒンメルだった。
「…………」
ヒンメルは、どうやら世間的には特別な人間と認識されていた。
フリーレンはそうは思わない。
ハイターもそうは思わないだろうし、
アイゼンもそうは思ってないだろう。
かっこつけで、自信に満ち溢れていて、お人好しで、バカで……
「…………」
そういう人間ばかりじゃないことも知っている。
だが、そういう人間がいることも、フリーレンは知っている。
しかし、人間としての特別性というのはヒンメルではなく自らの師であるフランメや、人類最強と言われた南の勇者のことを指すのだとフリーレンは思う。
人間は生死のサイクルが早い。
そして、外的要因がなければ死ぬペースより繁殖のペースの方が早い。
要は、母数の問題なのだ。
母数が増えれば、比例して子数の多様性は増す。
「そういう人間」と「そうじゃない人間」というのは大まかな分類でしかない。
しかし、だからこそ、ヒンメルのような人間は他にもいるだろう。
そんなことを考えていると、村の入り口が見えて来た。
相変わらず寂れた村だった。
たったの10年単位でガラリと情景が変わるのが人間社会のあるあるだが、この村は何一つ変わっていない。
安心感すら覚えるほどだ。
この村だけが世俗の人間の時間と切り離されて、独自の時間を歩んでいるようにさえ思える。
フリーレンの記憶通りなら、男の住居は村から少し外れたほったて小屋のはずだ。
なにも変わっていなければ、だが。
2.
「おや、ひょっとしてフリーレンさんですか?」
村外れを歩いていたフリーレンの前に現れた青年は、フリーレンの姿を見るやそう言った。
「そうだよ」
フリーレンは答えた。
警戒心はさほどなかった。目の前の男が誰なのか、大方の見当はついていたからだ。
「じいさんが待ってます」
青年はフリーレンに同行を促した。
「あいつ、結婚できたんだ」
フリーレンの問いに、青年は答えた。
「まず、俺は息子じゃなくて孫です」
「そうなんだ」
あっけらかんとしたやりとりであった。
「じじい、ああ見えて子供たくさんいるんですよ。確か……8人兄弟だったかな」
「物好きもいるもんだね」
「全員母違いですけどね」
「ああ、そういうことか……」
「俺のお袋のお袋が、最後の妻だったらしくて、俺がそのままじじいの面倒を見る羽目になったわけです」
「御愁傷様だね」
「苦労しましたよ、ほんと」
家に入る。
簡素な作りだった。物がなかった。
机と、炊事場と、本棚がひとつ、ベッドがひとつ、小さくて古ぼけた暖炉がひとつ。
「じいさん。フリーレンさん、きたよ」
ベッドの上に、老人はいた。
フリーレンの記憶している男とは思えないほど衰弱していた。
顔がやつれている。腕も枯れ木のように痩せこけていた。
肌の色もくすんでいる。
首を動かすのも億劫なのか、ベッドに近づいたフリーレンを見る動作もひどく緩慢で痛々しい。
「やぁ、フリーレン……久しぶり」
「まだ60年ぶりくらいだよ」
「変わらんな」
「お前よりはね」
ふふ、と老人は笑った。
とても優しい笑みだった。
とても、若い頃からは想像もできない笑みだった。
「魔導書貰えるって聞いたからきたんだけど……」
「心配、するな。裏の倉庫に、全部そのままだ……」
「そう。ならいいんだけど」
「……どうした、フリーレン。なにを、突っ立っている……?」
「いや、お前のことだから、何かしら条件あるんじゃないの?」
「ないよ」
「本当に?」
「私は……もうとっくに、魔法は捨てたんだ」
3.
「ねぇ」
薪を割っていた青年に、フリーレンは話しかけた。
「なんですか?」
「なんであいつ、あんなになっちゃったの?」
今は、日が落ちる少し前だ。
フリーレンはしばらく村に泊まることにしていた。
男の魔法書、魔道具の数があまりにも多すぎるからだ。
倉庫には、ざっと数千点。
それらが埃をかぶっていた。
これだけの量がありつつ、それらは男が若い頃に選別して集めたものだけに、その大半が二つとないレア物であったのだ。
これだけ多いと貰うものを選別するだけで数日は潰れてしまう。
だから、この質問に他意はなかった。
暇つぶしの、ついでと言っていい。
青年は、小斧を持つ手を止めた。
「さぁ。俺が物心ついた時には、ああでしたよ」
「本当に魔法を捨ててるんだね」
「まぁ、理由は知りませんけど、俺にも一切教えてくれませんでしたもん、魔法。捨ててるのはマジだと思いますよ」
青年に魔力はほぼ感じなかった。
言っていることは嘘ではないだろう。
「そっか、じゃあ本人に聞いてみるか」
4.
「
夜、老人は訪ねてきたフリーレンに言った。
フリーレンは白湯に「お湯がおいしくなる魔法」をかけてこくこくと飲みながら聞いていた。
「あれが、今は一般攻撃魔法になってるじゃないか」
「人ごとみたいにいうんだね」
「……そして、一般攻撃魔法を防ぐために発展した防御魔法」
「それも、基礎を作ったのはお前達でしょ?」
──フリーレン! 人を殺す魔法の解析が進んだぞ!
──フリーレン! 人を殺す魔法は鋭い針のような魔法なんだ!
現在の防御魔法、魔法防御装備はどんなに強固でも『一枚の板』のようなものだ! だから人を殺す魔法のように鋭く細いものだと一点に穴を開けられてしまいそこから全体が貫通される。
しかし、そこに人を殺す魔法の欠点がある!
貫通力と速射性に優れるために、人を殺す魔法はその質量自体が他の魔法に比べると軽すぎるんだ!
つまり、これを防御するためには『一枚の板』の強度を上げるのではなく、対になる魔法力を編み物のように組み上げて層を作るんだ!
人を殺す魔法の軽さでは複雑に重なった対の層を破壊することはできない!
繊維化した魔法力に鋒が絡め取られて途中で魔法力を維持できずに分散してしまうんだ!
これが私の仮説だ!! どうだ!?
「あの仮説はほぼ間違っていなかった」
そして、男の仮説が元になり、防御魔法の構築は加速度的に進んだ。
日進月歩。
人を殺す魔法はもはや魔法使いにとって脅威ではなくなり、防御魔法と共に一般的な魔法使いが習得する基礎的な魔法へと変わっていく。
「そうだ、私たちは今の魔法戦闘における基礎を作り上げてしまった。誇らしかったよ……その時は」
「今は?」
「後悔している」
男は言った。
「フリーレン。1000年を生きるおまえに、こんなことを言う意味はないだろうが……剣は未だに脅威だ」
「……」
「弓や魔法によって遠距離から一方的に攻撃できる今においても、優れた剣士の振るう剣は脅威だ」
「何が言いたいの?」
「
老人はフリーレンの目を見た。
「私は
人は、魔族がいなくても争いを起こす生き物だ。
最もそれだけなら、人に限らず動物はだいたいそうだ。同種間での殺し合い、意見の不一致からの争いは生物の常なのだから。
だが、国単位の規模で殺し合いを行うのは人類だけだと言っていい。
武器を生み出し魔法を駆使し、より効率的に人を殺せる術理を生み出し続けるのも、人間だけだ。
「私は間違っていた」
淡々と、老人は言った。
「魔法を分解し、解読し、究明する。それは、数式と文字に置き換えることだ……きみは、納得しなかったね」
「つまらないからね、それだと」
「その感性は正しかった。私の行いは、つまり、ふさわしくないものにまで魔法という奇跡を与えてしまう行為だったのだ」
今の……と、老人は続けた。
「今の魔法検定試験では選ばれしものが相応しい階級を持つことを信条とするらしいが、全くもって、同意だ。私たちは、奇跡を、一般化するべきではなかったのだ……」
「まるで女神様にでもなったような口ぶりだね」
「──ッ!」
フリーレンの言葉に、老人は言葉を詰まらせた。
ぎろり、と睨んだ。
フリーレンは相変わらず涼しい表情を浮かべていた。
「魔法は魔法だよ。それをどう使うか決めるのは魔法使いだよ」
「だが、人はより効率のいい……」
「たらればの話は意味がないけど、お前があの時に人を殺す魔法を解析しなくても、あの時代じゃ、いずれ誰かが解析していたと思うよ」
「だが、解析したのは私だ」
「そう。だけどそれを使ったのは人を殺したそいつだ」
「…………」
「人は、どうでもいいことに命を懸けない」
「お前の言葉とは思えんな」
「ヒンメルの言葉だよ」
「勇者ヒンメルか……」
「逆にいうと、お前が情熱と命を掛けていた魔法研究は、少なくともあの時のお前にとっては必要なことだったんだ」
「……どんな英雄でも、時が経てば忘れられる。……勇者ヒンメルでさえ、いつか、人々から忘れられる時が来るだろう……勇者ヒンメルでさえ、だ。いつか、人々から忘れられる時が来るんだよ」
「私は忘れないけどね」
カッコいいポーズ集は忘れてもいいけど、とつぶやく。
「だが、人を殺す魔法は、受け継がれるだろう」
「そうかな?」
「そうだよ、きっと。人は、便利なものは忘れない。自然と、頼り続けるからね。だけど、ヒンメルは人間だ。人々を救ったが、もう救えない……」
「……じゃあ、私が見ていてあげるよ」
「なんだって?」
「私が未来で、人を殺す魔法が廃れるその時まで、見ていてあげる」
「意地に、なってるな、フリーレン」
「そうかもね、ムッとしてる」
「ふふ……そうか、そういうことか……」
老人はふふと笑った。
今までの笑みとは、ニュアンスが違う笑みだった。
その違いが意味するものが、フリーレンにはよくわからなかった。
5.
「じゃあ、これだけ貰っていくね」
「そんだけでいいんですか? もっと持っていってもらうとありがたいんですけど……」
「うん、もう入らないし、他の本の魔法は大体知ってるやつだったからね」
1週間経っていた。
選別に選別を重ねた魔法書を鞄に詰めて、フリーレンは青年に村の入り口まで送ってもらっていた。
「でも、まだ欲しいやつがいくつかあったから、それは今度来た時にもらうとするよ」
「それ遠回しに俺に管理しててくれってことですよね……?」
「そうだね、ごめん」
「いや、別にいいですけど……」
申し訳なさそうに頬をかく青年に感謝しつつ、フリーレンは村を去った。
それから一月ほど後、フリーレンの元に青年からの手紙が届いた。
老人が亡くなった知らせであった。
手紙には簡素簡潔なフリーレンへの挨拶と、老人の死に際の状態。
そして、青年の筆記で「うちにあるすべての魔法書、魔導具をフリーレンに譲る」とする相変わらずの文言と、
その下に「ありがとう」というよれよれの手書き文字が書いてあった。
フリーレンは手紙を鞄に入れると、また歩き始めた。
さぁ、次はどこに行こう。
そういえば、まだハイターは生きているだろうか。
久しぶりにアイゼンの顔も見たい気もする。
それとも、森を巡って人知れない村々を探して、民間魔法でも探しに行くか。
風が吹いていた。
変わらぬ風が、吹いていた。
<終わり>