Ideal Fantasy:Online 作:暁星
テスト中の微睡みが、チャイムに遮られるように。
タイミングよく鳴った着信音が、緩やかに起きあがろうとする俺の意識を掴み上げた。
「三コールもせずに切るって……いたずら電話みたいじゃん」
ベッドから体を起こしきる前に、電話は切られた。
ぽん、とスマホに浮かぶ不在着信の表示。続けざまに、メッセージが送られてくる。
『ごめん、間違えた。寝坊してない?』
いたずらではなく、かけ間違いだったらしい。文字を打つ時間も惜しいので、既読表示のシステムが状況を伝えてくれることを祈る。あの人のことだ、既読スルーという事実で察してくれるだろう。
『大丈夫そうだね。急いでるなら返信はいらないよ』
やっぱりそうだ。感謝を込めたスタンプを送り、既読がつくかつかないかも確認しないままアプリを閉じた。
この街の技術によって超小型化された、腕輪型のVRギア。左手首にあるそれを外し、充電残量を確認しながらケースにしまう。
ショルダーバッグに荷物を入れてから、浴室へ。ささっとシャワーを浴び、昨日買ってきたバナナを食べながら髪を乾かした。
「忘れ物は……思い出せるなら忘れてないよな」
靴を履きながら思い返すのは、我ながら遅いのではないだろうか。自分の行動に苦笑しつつ、玄関を出た。
全力で急いだ結果、ログアウトしてから家を出るまでにかかった時間は五分足らずだった。栄養食品に類されるゼリー飲料を飲みながら、駅までの道を早歩きで進む。時間に間に合わない、ということはなさそうだ。
いざ──登校!
平和はあっても、安穏はない。そう称されるこの街は、本州から遠く離れた海上に存在する。数多の先進技術が集い、VR技術が生まれた人工島に。
騒がしくも便利なこの街に住む者は、大きく二つに分けられる。ここにある企業の社員とその関係者か、あるいは俺のような学生だ。
電車に揺られ向かう先は、変則的な通信制の高校。俺はそこの二年生であるわけだが、肩書きとしての学年はあまり信用をおけるものではないと思っている。
最寄り駅で降りて校門まで歩いていくと、その不信感を俺に教えたあの人の姿があった。
「やっほー、
「先輩、教室行かなくていいんすか」
「さっき着いたばかりなんだ。ちょうどキミが来そうなタイミングだったから、待ってみたよ」
「そりゃどうも」
俺より少し小さい後ろ姿を見ながら、教室へ歩いていく。思いの外、時間には余裕があった。家であそこまで急ぐ必要はなかったかもしれない。
「冷たいなー。初日と試験被ってるのが、面白くないんでしょ」
「そうですよ。回線トラブルでスタートも一時間以上遅れましたし」
待ちに待った正式サービス開始日だというのに、即スタートができなかった理由。それは、ルーターに突然の不調が起きたからだった。素人でどうにかなるものではなさそうだったので業者を呼んで直してもらったが、そのトラブルがなければもう少し気持ちよく登校できていただろう。
「あははっ、災難だったね」
「そういう先輩はどうなんです? 俺はまだレベル1なんですけど」
「ボクには知識という力があるからね。ギフトの武器で無双状態さ。レベルは5……の直前だったかな」
「マジすか。完全に出遅れたなぁ」
「追いつかれそうだったら困るよ。スタートだって、キミより一時間速いんだから」
「それもそうっすね」
天音先輩は、半年前に行われたクローズドβテストの当選者だ。俺と異なりIFについて詳しくはないが、原作とβテストどちらの知識がより役立つかといえば、それはもちろん後者だろう。知識面でリードされている相手にプレイ時間でも負けていたら、まあ勝てるはずはない。
「帰ったらすぐ潜って、向こうで会いましょうよ。踏み台にして追い越しますから」
「いいよ。キミを囮にして、もっと差をつけるから。……ねえ透也。面白いスキルあった?」
「あー、ありましたよ。スキル名は伏せ字で、詩的なヒントのやつが」
「それさ、『暗き闇の中でこそ、見える星がある。力を示せ』ってやつ?」
「いや、違います。風前の灯火がどうとか、そんな感じでした。はっきりとは覚えてないですけど」
「そっか。IFOのスキルシステムは奥が深いし不透明で、テスターでも分からないことが多いんだよね。このヒントも、どんなスキルのものなのか……というか、そもそもβテストにはヒント自体存在しなかったから、完全に未知の領域だよ。ワクワクするね」
「あ、そうなんすか」
意外だった。まさかシステムが丸々存在しなかったとは。初見の楽しみを優先して、βテストの情報は調べないようにしていたから知らなかった。
そういえば、エルはヒントの情報を持っていると言っていたな。彼女に聞けば、アドバンテージを──いや、それはダメだ。俺自身の楽しみを減らすことにもなる。答えを見ながら謎解きをするのは、きっと楽しさが失われるだけだろう。
そういえば、先輩が選んだという武器はどんなものなのだろうか。質問しようとして口を開いたが、声は予鈴に妨げられた。教室のドアを開け、自分の席に座る。
仕方ない、話は後でするとしよう。試験の時間が過ぎるまでの辛抱だ。
キーンコーンカーンコーン、と。忌々しい束縛からの解放を告げる福音が鳴った。
現在時刻は午後の四時。ホームルームも試験も終わり、あとは帰るだけだ。
「一時間半で終わる用件のためにわざわざ学校まで来るの、やっぱダルいなあ……」
「透也。早く帰ろう」
いつの間にか横に来ていた先輩が、俺のバッグを突き出して言う。受け取って立ち上がると、先輩はスタスタと教室を出て行った。
それを追いかけて、先輩の横に並ぶ。
「透也の家、お菓子ある?」
「いや、あんまり。塩のポテチが何袋かって感じですけど」
問いの意図を解さぬまま、状態を思い出して答える。
単なる雑談程度に捉えたが、次の言葉を聞いてそれは間違いだと気づいた。
「それならコンビニ寄ろうか。プリン食べたい」
「……え、もしかして来るつもりっすか」
俺が一人暮らしなことを、先輩は知っているはずだ。放課後にそんな男の家へ行こうとするのは、無防備が過ぎるだろう。まさかとは思うが、この人なら突然そう言い出しても不思議じゃない。なにせ、前例がある。
「うん。ほら、ボクの家遠いからさ。大丈夫、VRギアは忘れてないよ」
「天音先輩、さすがにそれはちょっとどうかと思います。ちゃんと自分の家帰ってください」
「えー」
天衣無縫というか、なんというか。常識という固定観念の枠を、猫のようにするりと潜り抜けてしまう。自由気ままなこの人は見ていて楽しいが、振り回されるのには少々困る。
駅まで来て、同じ問いを「どうしても?」と再確認される。もちろん、俺の答えが変わるわけもなく。それをさらりと受け入れて、先輩は「また後でね」と電車に乗った。
からかっているのか、なんて。そんな疑問が浮かぶのは、似たような会話がこれで数回目だからだ。けれど俺も先輩も、直接的表現で言葉にして、確かめようとはしない。その理由は、果たして同じなのだろうか?
(きっと違うな。紳士ぶってる俺より、もっとまっすぐなこと考えてそうだ)
──先輩を、傷つけたくない。不用意な言葉を向けたくない。だから、口にしないで逸らすんだ。
『先潜ってますね。メッセアプリと連携しておくんで、来るときに連絡ください』
『分かった。向こうで会おう』
具体的な場所までは知らないが、先輩の家は最寄り駅までの電車だけで三十分ほどかかる距離にあると聞いたことがある。それに対して、俺の家は十五分もあれば余裕で自室のベッドに飛び込める。先輩がログインのために使おうとする気持ちは察せられるが、だからといって受け入れることはできなかった。俺自身が、俺の理性に託せないから。
自分ほど信じられる存在はないからこそ、自分ほど信じられない存在もない。自分の理性は信じられないということを、俺は信じている。
「我思う、故に我あり……とはまたちょっと違うけど」
いつまでも考えていたって仕方がない。ケースから取り出したVRギアを左腕に嵌め、ベッドに横たわる。
VRギアの中でも最新型であるこいつには、思考制御が搭載されている。短期バイト一ヶ月分の給料に貯金を加えてようやく手が届いた、お高い代物だ。その甲斐あって、旧型機とはまるで違う高い質の世界に飛び込めた。
「レベル、3くらいまでは上げておけるかな」
バディであるエルのスキルにより、俺は他のプレイヤーよりもモンスター一体あたりの取得経験値が多い。といっても、先輩のように武器のギフトを選んだ人は、初期装備で戦う俺よりも速くモンスターを狩ることができる。そのため、最終的にどちらのほうが効率が良いのかは、検証しなければ分からない。
初ダイブの時と異なり、二度目はすんなりと意識が切り替わった。
始まりの街、アウローラの風景が俺を出迎える。
「おかえりなさいませ、マスター・クロト」
いや、街並みだけではない。肩甲骨あたりまでまっすぐに伸びた若芽色の髪と、翠玉のような瞳を持つエルフの少女。
ギフトとして、バディとして俺を助けてくれるエルも、丁寧に俺のログインを迎えてくれた。
「ただいま、エル。急に落ちて悪かった」
「ノープロブレム、です。忘却というのは人間らしさの一つですから」
「それと、これまたいきなりになるんだけど。今から外に出て、少しでもレベルを上げたい」
「かしこまりました。一旦中央広場に行き、そこから西の草原まで転移しましょう」
「へえ、転移機能なんてあったんだ」
新たな知識への反応を見て、エルがさらに解説を加えてくれた。
転移機能は一方通行であり、転移先も各エリアの入り口に限られるということ。そのための門は街の中央にあり、やがて行けるようになるアウローラ以外の街にも転移門はあるということなど。
広場の転移門で、アウローラ西部の草原を指定する。
光に包まれて視界が白に染まったかと思うと、次の瞬間にはもう、緑の草原の端にいた。
「すげえ。あっという間だ」
「まっすぐ西へ歩いた先に、中規模の森があります。そこが狩り場として最も適した場所だと判断します」
「ありがとう。じゃあ早速行こうか」
草原を渡る風が、さらさらと草花を撫でる。それ以外の音は、何一つしなかった。相変わらず、モンスターの湧きは少ないらしい。
急ぎたいとエルに伝えてから、森へ向かって走る。道中で一匹のグレーラットに遭遇したので、前回と同じように飛びかかりを捌いて倒した。
レベルはそこで2に上がり、経験値メーターは半ばまで進んだ。スキルのほうも、片手剣のものだけはレベル1に上昇した。このペースが続くならレベル上げは容易いのだが、IFOに原作のIFと同じ傾向があるとしたら、そう簡単にはいかないだろう。
ともあれ。そうだとしても、最序盤のうちは関係ないことだ。今は先輩とのレベル差を埋めることに注力しよう。
「先ほどレベルアップしたわけですが、ステータスを上昇させないまま森に入るのですか?」
「そうするつもり。もう少ししたらリアルの知り合いと合流するんだけど、その人のビルドを聞いてから決めようかなって」
「なるほど。それまでは実質レベル1の状態で戦闘する、ということですね。HPとMPはレベルによって僅かに上昇していますが、やはり各種ステータスの影響が大きいので。……私も、積極的に戦っていくとしましょう」
「ああ、頼む」
腰に提げていた赤銅の剣を引き抜き、森に足を踏み入れる。頭上には広葉樹がのびのびと枝葉を広げているが、ところどころ木漏れ日が射しているので特に暗いというようなことはない。
リアリティとプレイアビリティの兼ね合いか、草原に伸びるは膝より下程度の高さだった。森に入って、その背丈はより低くなった。もっとも、俺はきらびやかな灰の街暮らしで、この環境にどれだけのリアリティがあるのかは実のところ分からないが。少なくとも、違和感がないのは確かだ。
「……いた。オレンジカーソルか」
前方、そう遠くない位置に二匹。並んで何かを食べているようだ。
猿型モンスター、名前は《ブラウンモンキー》。その頭上に表示されたカーソルの色が、相手がまだこちらに気づいていないことを教えてくれる。
モンスターの状態を示すカーソルの色は、三色ある。グリーンと、オレンジと、レッドだ。
グリーンは中立。こちらが何かをしない限り、見つかっても敵対しない存在。
オレンジは非友好。発見されるか、そのうえで接近するといった行動を取ると、敵対状態に移行する。
レッドは敵対。交戦状態に入った全てのモンスターは、必ずこの色のカーソルになる。
「まずは不意打ちを狙う。失敗したらそのまま戦闘だ」
「了解です、マスター。それまで私はここにいますね」
息を潜めて、一人で猿の背後へ忍び寄る。慣れないブーツと、慣れない環境。故に予想はしていたが、剣が届く距離まで近づく前に、耳聡い猿たちに気づかれてしまった。
赤色に変化したカーソルを見て、声を張る。
「エル、やるぞ!」
「はい」
黄金に輝く短剣を手に、エルが合流する。剣竜の背にも似た刺々しい峰の、ソードブレイカーと呼ばれる短剣。確かにこれは、杖のスキルも弓のスキルも適用されない武器だ。
「銘は《アウレア・ラウルス》。花が咲かない金属製ですから、花言葉の通りに届けましょう。マスターへ、勝利と栄光を」
「キィィー!」
エルが掲げた短剣を睨んで、片方の猿が吠える。システム的な効果は何も持たない、ただの威嚇だ。その間にもう一匹は木を登り、上から俺たちを見下ろした。
「逆光で見づら──うおっ!?」
「キキッ!」
耳元を、何かが通り過ぎた。驚いて漏らした声を聞いてか、頭上の猿が笑った……ような気がする。
「ずいぶん生き生きとしてるじゃねえか。今に見てろよ!」
「マスター、発言がチンピラのそれです」
返す言葉もない。本当はそんなことを言っている間に切りかかりたいのだが、相手が木の上にいると剣が届かないのだ。木を登れる自信はないし、もし登れたとしても相手は猿。俺が木の上で戦うのは難しいだろう。
さて、どうしたものか。
「こうすればいいのでは?」
「えっ?」
「──セイッ!」
とてとて、と猿が乗っている木に歩いていった彼女は、力強く一歩踏み込んで。
その木に、鋭い蹴りを入れた。
トーガの構造上、エルの白い足が曝け出されて……などと言っている場合ではなく。
彼女のステータスがそれだけ高いということなのか、その一蹴りで木は揺れ、森は震え、樹上にいたグリーンカーソルの小鳥たちは一斉に飛び立っていった。
当然、枝の上に立っていた猿がそのままでいられるはずもなく。奴は足を滑らせて落下した。咄嗟に尻尾を伸ばして足掻いたが、それは空中をうねるだけに終わる。
「ナイス! ──食らえ、《スラッシュ》!」
頭から落ちたブラウンモンキーが、大の字になって目を回す。その頭をめがけて撃ち込むのは、《片手剣スキル》のレベルアップによって開放されたばかりの《アーツ》。
視界の左上にあるMPバーが、一割消費された。振り上げた剣が黄色く発光し、パーティクルを放つ。
赤銅の刃は、自身の身体能力を超えた速度で放たれた。茶猿の顔面に、一文字のチープなダメージエフェクトが刻まれる。
満タンだったHPバーの減少は、止まらない。一匹目のブラウンモンキーが、ポリゴンに砕けた。
「あと一匹だな」
「キキィーッ!」
十メートルほど先にいるもう一匹のブラウンモンキーが、俊敏な動きで足元の小石を拾い上げて投擲した。今は亡き猿も、同じように果実を投げてきたのだろう。じっと見続けていなければ見逃しそうな予備動作だった。
小石は綺麗な軌道を描いてまっすぐこちらへ飛んでくるが、これを避けるのは容易だ。焦ることなく足を動かそうとして。
──エルが、その軌道上に割り込んだ。
「何を……」
「条件を満たしました」
短剣で小石を弾き飛ばすと、彼女の唇は小さな音で何かを紡ぐ。
「《リベロ》」
「キ──」
猿が、消えた。
右手の短剣が小石を弾き、そのあと左手から光が伸びた。それと同時に、猿の姿が消えていた。
認識できた事実は、それくらい。あまりの早業に、理解が追いつかなかった。
「マスター、次の標的を探しましょう」
「……ああ、そうだな。今の一瞬に意識が取られてた」
エルは行動に制限がかけられ、ダメージを与えることができない。そしてその枷は、カウンターに対してだけは作用しない……ということだったが。
「あれ、カウンターか……?」
命中しないはずだった投擲物の軌道に割り込んでそれを弾き、そしてその後に放った攻撃。果たしてそれは、カウンターと判定されていいのだろうか。それができるなら、なんでもありになる気がするが。
「……ああ、大雑把なニュアンスだけで話しましたね。あれは正確な効果ではありません。正しくは、『攻撃に適切な対処をしたとき、特定のアーツが発動される』です」
「攻撃に飛び込んで弾くのを、適切な対処とは言わないと思う」
「しかしアーツは発動しました。その結果だけが真実であり、世界の意思です」
「それでいいのか、世界。おかげで狩りは……ん? メッセージ」
『アウローラ中央なう。今どこ、後輩くん』
徐行してる車に駆け寄って「正当防衛です」と搭乗者ごと消し飛ばすみたいな当たり屋、エル。
留年スレスレのラインを生きていたら年度末に体調を崩して脱落した一乙学生、星野天音。
そして、それらと親しい一般人。
一番やばいのはどいつだ