風になりたい逃亡者と走ったら死ぬ風神 作:Hetzer愛好家
「ねえ、今日も一緒に走らない?」
「良いよ。どこまで行こうか」
「私たちが知らない場所まで。お母さんには迎えに来てもらうから」
1も2もなく、僕は彼女の提案に承諾した。知らない場所まで延々と走るのはこれが初めてではない。1日中走って、2人が見たこともない景色に囲まれるのは。
「分かった。それじゃ行こうか」
その言葉を心待ちにしていたのだろう。彼女はニッコリと笑い、先行して走り始めてしまった。慌てて僕も追いかける。
殺人的なペースで走って行く彼女の名をサイレンススズカと言う。住む家が仲良く並んでいるお隣さん。幼馴染みとも言えるだろう。
彼女は普通の人間ではない。ウマ娘と呼ばれる、人間とウマのハーフ的な存在だ。だから、彼女にはウマ耳とウマ尻尾が生えていた。
ウマ娘な彼女と僕の関係。それは、世間一般が考える“幼馴染み”という言葉ではとても表せない。
いや、別に仲が悪かった訳ではない。むしろ仲良しだったと思う。サイレンススズカの家に遊びに行ったことも、またその逆も100回を超えているだろう。
僕たちは恋人関係ではない。ただ、友達と言うには少々仲が良すぎたかもしれないが。
強いて言うなら、僕たちは協力者。とあることを探求するための協力者である。
「今日も風になりましょう?」
風になる。そんなことを口にするサイレンススズカと僕は、毎日のように走り続けた。
走って、走って、走って。気が付けば、僕は高校生になっていた。
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「く……ぁあ。やっべ、眠すぎ……」
大きな欠伸を1つ。隣に立っていた専属マネージャーの後輩ちゃんが呆れた眼差しで僕を見る。
「ダメですよ。私たちがやって来てるのは世界大会なんですからね? もっと目を見開いて観戦しなきゃ」
「分かってる分かってる。ただ、こうやって待つ時間は暇でしかないなぁ……」
「もうすぐ走るって言うのにものすごい余裕ですね」
サイレンススズカとのランニングに毎日付き合った僕は、当然と言うべきなのだろうか。人間という枠組みで見ると、もう異常クラスの体力を身に付けていた。
そりゃそうだ。ウマ娘と毎日ランニングである。しかも僕の体力ではなく、サイレンススズカの体力が尽きるまでのランニング。僕の方は何回ガス欠になったか分からない。
まあその甲斐あってか、走る時は常にゾーンに入れる変な特技を手に入れられた。あとは5kmぐらいなら走っても息切れしなくなった。息切れするのはフルマラソンの終盤ぐらいから。息切れしたらしたで、またすぐ次のゾーンへ入ってしまうのだが。
並外れた体力を陸上部の顧問が見逃す訳なく、僕は気が付いたら強制的に陸上部へ入部させられていた。で、好きに走ってたら高校2年になった時に世界大会への切符を手に入れてしまった。ほんでアメリカにある会場に来てる。今ここ。もう数分もしたらレース開始である。
眠くて落ちそうになる瞼を擦って無理やり開き、何となく観客席を見渡す。
「……あれ?」
そして、妙な物を見つけた。見覚えのある、明らかに人間の持つ物ではない耳。暁色の髪の毛。
いや、そんなはずはない。彼女はトレセン学園という高校に入り、寮生活をしていたはず。アメリカまでやって来るはずがない。
「先輩、出番ですよ」
「……おう。すぐ行く」
気のせいだろう。そう考えて、僕は後輩ちゃんの案内に従ってスタートラインまで向かった。
スタートラインに立って周りを見る。決勝戦に進出した日本人は僕だけらしく、黒や白の肌を持った人間しか見当たらない。
ま、誰がこの場に立ってようが関係ない。皆等しく後ろに置いていくのだから。
バンッ!
スタート合図のピストル音が鳴り響く。その音を耳にした瞬間に足を動かし、集団に呑み込まれる前に僕は先頭に立った。
競技種目は1500m走だ。トラックを走る陸上競技の中では中距離だろうか。トラックは1周400mなので、3周と半分ちょいを走って終わりだ。
ちなみに世界記録は2分40秒91だ。1周辺り50秒ぐらいで走っていることになる。
僕の400mのタイムを念の為に伝えておこう。
44秒だ。
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『お、おい。あの日本人クレイジーだ! あれは100mを走るペースだぞ!』
『バカなんじゃないのか? あんなペースで走ったらすぐにバテる。最後に抜かされるさ』
観客席が喧しくなってきた。この耳では聴覚が鋭すぎて、喧しいのは少々キツい。だが、喧しくなった原因が、下のトラックで走っている彼なのはちょっと嬉しく思う。
私はサイレンススズカ。ウマ娘だ。トレセン学園の1年生である。
下で走っている彼とは幼馴染みだ。中学生の頃までは、毎日のように会っては走って、走って、走って。歳を重ねる毎に増えていく体力が尽きるまで、走り続けた。私がトレセン学園に入学してからは全く会えてないので、ほんの少しだけ寂しい……。
ゴ、ゴホン。普段は寮生活をしている私だが、彼が世界大会に出場する情報を手に入れた私はトレーナーや学園長に頼み込み、1週間の休みを貰ってアメリカまでやって来た。
『おいおい、これは大逃げをするつもりなのか!? しかもどんどん加速しているような気がするぞ!』
興奮している実況の声が聞こえ、私は少しだけ口の端を緩めた。
実況の言ってることは間違いではない。実際に彼は加速している。ただ、「人間」と言う枠組みで彼の走り見ているうちは絶対に理解不能な出来事が、間違いなくこれから起きる。
『400mのラップタイムは……44秒ジャスト!』
『全くスピードが落ちてないぞ。一体どうなってるんだ!? あんな速度で走ったらこの辺りでスピードが落ちる筈なのに、彼を見てくれ。疲れた表情1つ浮かべずに、しかもまだ加速を続けているぞ!?』
彼の走り方。私は大好きだ。自分の前に立ち塞がる障害は存在せず、ただ風だけを感じられる。走ることだけに集中をすることが出来る。
私が1番好きで、かつ得意な走り方。その名を“大逃げ”。
ウマ娘のレースには様々な戦術がある。しかし大逃げは、それらの戦術を全て無意味と化する可能性のある、選ばれた者にしか扱えない必殺技みたいな走り方だ。
先頭の景色を誰にも譲らないその圧倒的な姿は見る者を魅了し、対戦相手を絶望させる。
『800mのラップが出たぞ! タイムは……ウソだろ!? 1分27秒63だ!』
『やっぱり彼は加速を続けてるんだ。400mのタイムがどんどん縮まっている。とても信じられないよ……』
彼はウマ娘ではない。だが、私と10年少々、一緒に走り続けたからなのだろう。スピードは落ちるどころか、後半になるにつれて速くなっている。
1回目の400mを44秒ジャスト。2回目の400mは43秒63。徐々に400mの世界記録へ近づいている。もうそろそろ周回遅れになる人が出て来るだろう。
以前、私に向かって彼はこんな事を口にした。
「距離が長ければ長いほど速く走れる」
「加速自体は永遠に出来る」
「しかし、そのうち身体が追い付かなくなるので4000mぐらいが丁度良い」
恐ろしい話だ。彼がウマ娘じゃなくて良かったと思う。
私が得意なのは中距離。彼と私の走り方の理想型は全く同じなので、レースをする事になれば、間違いなく最初から並走状態になる。
だが、後半になるにつれて私は不利になるだろう。同じく加速の段階を上げられる私だが、ウマ娘の視点から見ても“異常”と言える彼の加速力には敵う気がしない。彼の加速は速すぎるし、何より限界が存在しないのが恐ろしい。
彼が“人間”と言う種族に生まれた御蔭で脅威にはならなかったが、もしもウマ娘として生を受けていたら。私の異名である「異次元の逃亡者」は、きっと彼の物になる。
「やっぱり凄いなぁ。私も頑張らないと」
1200m地点を通過しても尚、加速力が衰えない彼を見て呟いた。
私のライバルは彼だけだ。共に風となり、その先の景色を掴もうと奮闘する探究者が、私にとって唯一のライバルである。
『ゴール! ゴールだぁぁあ! 速報タイムは2分47秒65! 1500m走の世界記録を大きく更新だぁぁ!」
『クレイジーだ。クレイジーすぎるぞ! 世界記録を40秒近くも一気に更新するなんて、彼は本当に人間なのか!?』
風のようだった。その名前に違わず。最初から最後まで、誰1人彼の影を踏むことすら叶わなかった。
「久しぶりに話したいな。フウ君、変わってなさそうだし……」
嵐山風輝。私が走ること以外で恋をした、ただ1人の人間。
『まさに異次元だ! 東洋にもこんなモンスターが潜んでいたなんてね!』
『風神だ。あれは神様だよ。人間が敵う相手じゃなかったんだ』
未だ興奮が冷めない実況と解説にクスリと笑った私は、フウ君と話すためにも観客席から飛び降りた。
ギョッとした他の観客は放っておく。だが現在、ウマ娘の立場は普通の人間より上。これぐらいのお茶目は許してくれる。
「フウ君!」
「え、ちょ!? やっぱりスズカちゃん居たんだ!」
人目も憚らず、私はフウ君に抱き付く。フウ君の勝利のお祝いと、長年我慢していた私へのご褒美も兼ねて。
「そっかぁ。わざわざアメリカまで応援に来てくれたんだね」
1500mを全力疾走したのに呼吸を全く乱していないフウ君の笑みを見て、私は心臓が跳ね上がった気がした。
彼とはその後、抱き合った状態のまま暫く話し込んだ。インタビューのためにフウ君を連れて行こうとする記者たちに声を掛けられたことでやっと離れることになったが、今度は日本でゆっくり話す約束を取り付けた私は満足してその場を離れた。
またいつの日か、フウ君の走りを見られる日がやって来ると考えて、1人私は笑みを浮かべるのだった。
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そんな日がもう2度とやって来ないことを知る者は居なかった。知っているのは神様だけである……。
参考程度に陸上の世界記録(リアル)を。
400m…43秒03
800m…1分41秒91
1500m…3分26秒0
フウの異常性が分かった人も居ると思います。