哲学的ゾンビの横行   作:後菊院

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第2話 承

    1

 

 

 ほとほと悩み疲れながら、ユウリはバトルタワーを後にする。自動ドアから出て、とぼとぼ数十歩進んだ時、おや、とユウリは立ち止まった。

 

 バトルタワーの敷地から出るための出口はどこだ?

 

 建物そのものからは出た。ユウリの頭上には、シュートシティに蔓延する異変などまるで関係無い、突き放されたような遠い青空が広がっている。ユウリの足元は三角形の模様が描かれたアスファルトが敷かれており、周囲にはよく手入れされた芝生と生垣がある。

 

 ただ、アスファルトの道はモノレールの駅入り口にしか接続されておらず、どこの公道にも繋がっていない。さきほどガラルタクシーに乗って死ぬ思いをしたユウリは、未だ公共交通機関への不信感が抜けきっておらず、モノレールを使わず、歩きか自転車で移動したいと思っているのだが、そのための道がどこにも見えなかった。

 

「そういえば、ここに来る時っていつもモノレールかタクシーだったな……」

 

 バトルタワーがまだローズタワーだった頃も、ユウリが徒歩でこのおかしな塔に来たことはなかった。ユウリはタワーの方を振り返り、もしかして、このタワーの裏側に道があるんじゃない? と考える。

 

 来た道をちょっと戻り、タワーの周りをめぐっている道を時計回りに回る。タワーの真裏が見える位置まで進んで、さきほどの予想が間違っていたことがわかった。タワーの裏側にも、公道に続くような出入り口は存在していなかった。

 

「バトルタワーって、モノレールかタクシーじゃないと来られないの……?」

 

 本当にそんな不便なアクセスなのだろうか。物資の搬入とかどうやっているのだろう。もしかして、ここから見えない右裏に出入り口があるんじゃないか——ユウリはさらにタワーの左に回り込むため、立ち入り禁止をしめすように置かれている柵から身を乗り出そうとして、奇妙な現象に遭遇する。

 

 越えられない。

 

 柵の向こうに抜けられないのだ。

 

「え……、あれ?」

 

 柵といってもこれといって本格的なものではない。「ここから先にはなるべく行かないでね」ということをわからせるために置かれているだけの代物だ。一応、鉄製ではあるが、柵と柵の間にはユウリが余裕ですり抜けられる隙間が空いている。にもかかわらず、柵より向こうに進めない。まるで見えない壁があるように、ユウリの体を拒絶するのだ。

 

「なに、これ……?」

 

 見えない壁伝いにタワーから離れていくユウリ。芝生に足を踏み入れ、一メートルあまりの高さの、大きな段差に差し掛かるまで、壁はずっと張られていた。この段差の向こうにも張られているのだろうか——そう考え、段の上に乗ろうと、ユウリは段に手をつこうとして、そこにも見えない壁があることに気づく。

 

「嘘……」

 

 壁はずっと続いている。どれだけユウリが頑張って段に触ろうとしても触れなかった。

 

 怖くなったユウリは、壁に沿って早足で歩き出す。この壁はどこで切れているのか——もしやバトルタワー全体を囲んでいるのか?

 

 結論から言うと、今度のユウリの予想は当たっていた。

 

 見えない壁は、ユウリの活動できる範囲をバトルタワーの表側だけに制限していた。つまり、ここから脱出するにはタクシーかモノレールを使わないといけないようだった——いや、待て。あのモノレールの駅に続くエレベーター、あれは本当に開くのか?

 

 バトルタワーのエレベーターは、ユウリがボタンを押しても開かなかった。

 

 不安になったユウリはエレベーターの入り口へ駆け寄る。カチカチカチとボタンを連打して、祈るような面持ちで上方を見つめた。ドクンドクンと心臓が大きく、速く拍動する。果たして、エレベーターは稼働した。ゆっくりと降りてくる鉄の箱を見て、ここまで安心したのは初めてだった。

 

 ウィンと開いた扉を見て、入るかどうか一瞬悩んだユウリだったが、結局は足を踏み入れる。

 

 とりあえず、この街から抜け出そう。

 

 そう決めて、ユウリはモノレールに乗り込んだ。

 

 

    2

 

 

 モノレールはユウリ以外誰も乗っていなかった。

 

 車内はとても不気味だった。モノレールからの景色は見慣れたもののはずで、レールがぐるっと円を描いている以外は車庫にしか続いていないこともよく知っているのに、このまま知らない場所まで連れて行かれてしまうのではないかという、タクシーに乗った時にもあった不安がずっと消えなかった。

 

 ユウリが駅のホームに着いた時、実にタイミング良く車両がやってきて、そのまま乗り込んだのだが、プラットホームにすら人影を見なかった気がする。ユウリ以外にモノレールを利用する客がいないような、そんな錯覚すらしてしまう閑散ぶりだった——いや、実際そうなのかもしれない。今このシュートシティはなぜか皆おかしな状態になってしまっているのだから。

 

 なんにせよ、どうにかシュートシティ駅にたどり着いたユウリは、エレベーターの前でジグザグマをボールから出して突っ立っている青年を見つけて話しかける。ここにもおかしくなっている人間がいるのかどうかの確認だった。

 

「すみません、大丈夫ですか——」

 

「オレの ポケモンたち とにかく音楽が 好物でよ! ナイスな サウンドが 聴こえると 一目散に 駆けだすのさ!」

 

「あ……そ、そうなんですか」

 

 やっぱり駄目だ。

 

 念のためもう一度話しかけてみても、彼は今と全く同じセリフを言うのみだった。彼のすぐ近くで壁の広告を眺めている女性も同様だろう、この駅には、異変に気づいて慌てている人間が見られない。つまり誰も彼もが異変の餌食になっている。

 

「ガラル地方を 見回したいの! 観覧車って ぴったり じゃない?」

 

「シュートシティは 広い ですからね モノレールを 使うか そらとぶタクシーが 便利ですよ」

 

「ようこそ フレンドリィショップへ! お買い物ですね?」

 

「線路が 好きな ポケモンがいて おもしろい トラブルも あります……」

 

 誰も彼も、一様に同じセリフを繰り返す。ユウリの顔が悲壮に歪み、目元が潤んできても、慰めの言葉をかける者はいない。絶望に呑まれて、頭がおかしくなってしまう前に、ユウリは改札を通って列車のホームに逃げ込んだ。ちょうどよく来た車両に乗り込み、シュートシティからの脱出を果たす。

 

 ああよかった、ひとまず安心だ。

 

 ホワイトヒルを見送り、ナックルシティで下車する。改札を通って早々、マメパトの元気な鳴き声が聞こえてきた。それは不気味な冒険を終えたユウリを迎える歓声に聞こえた。マメパトから視線を上げると、備え付けのベンチに座る少女と目が合う。彼女はにこやかに微笑んだ。ユウリも微笑みを返す。

 

「可愛いマメパトですね!」

 

 ユウリが言うと、少女はこう答えた。

 

「はやく おともだち 来ないかな マメパトが フードを 狙ってるよ」

 

「っ……お友達、ですか?」

 

 首を傾げるユウリ。少女はユウリと視線を合わせず、真顔でまた口を開く。

 

「はやく おともだち 来ないかな マメパトが フードを 狙ってるよ」

 

「え……」

 

「はやく おともだち 来ないかな マメパトが フードを 狙ってるよ」

 

「な、なんで……なんで……?」

 

 ユウリは一歩後ずさる。少女はベンチに腰掛けたまま、何も言わず。マメパトの鳴き声だけが響く。

 

 まさか、

 

 シュートシティだけじゃないのか?

 

 ユウリは駆け出し、駅舎から出る。道を見渡し、手近にいた少年と少女に声をかけた。

 

「あの! すみません、あのっ! なにかっ、なにか! なにか答えてください! お願いします!」

 

「ねがいぼしが 落ちてくる 人って なにか 持っている 人なのかな?」

 

「ぼくが チャンピオンに なったら 世界中の ねがいぼしを きみに プレゼント しちゃおうかな」

 

「あぁ……なんで、なんで……!」

 

 少年も少女も、ユウリに構わずセリフを喋る。喋った後は、無言で手を前に出して振り続け、何か会話をしているような所作を繰り返す。「あぁ、あぁあぁ……!」ユウリは逃げるようにその場から離れ、今度は階段横でアオガラスと一緒にいる老人に助けを求めた。

 

「助けて、助けてください……! お願いです、返事をしてください!」

 

「シュートシティに 行ってごらん」老人は言った。

 

「世界の あちこちから いろんな 人が 遊びに 来てるよ」

 

「……あぁ……」

 

 ユウリは老人から離れると、フラフラとした足取りで道を歩き出す。目に入った人に手当たり次第声をかけていくが、誰も彼もが同じ状態で、ユウリと会話ができる者はいなかった。

 

「ドラゴンは 宝を 守るもの そういう 意味で キバナさんが 宝物庫の 番人て ぴったり!」

 

「こどもでは ワイルドエリアを とおれないので れっしゃです だいじょうぶです こどもだけでも のれます!」

 

「列車の なかで 食べる お弁当が あれば 人気なのに!」

 

 気が狂いそうになる。

 

 道の真ん中で、ユウリは頭を抱えてうずくまった。

 

「ぅう、ぐうぅぅぅぅうう————!」

 

 夢なら覚めてくれ。

 

 はやくここから抜け出したい。

 

 そうしていると、ユウリに人影が近づいてくる。その人影はユウリの前で立ち止まった。もしや、動ける人間か? ユウリは淡い期待を込めてその者を見るが、ユウリの前に直立するその女性はユウリと視線を合わせず、ただ一言、機械的に呟いた。

 

「ポケモンと 旅行 どこに 行こうかなあ」

 

「ひっ、ひぃ……!」

 

 後ろに尻餅を着くユウリ。もう嫌だ、こんなところに居たくない。慌てて立ち上がり、元来た道を逃げ戻る。

 

 走りながら、最悪の予想が頭を過ぎりそうになり、それを振り切るためにスピードをあげる。——考えるな。何も考えちゃいけない——ペース配分も何もあったものではない、無茶苦茶な走りで駅を通り越し、ナックルシティ外れのポケモンセンター前まで走ったところでとうとう限界が来て、ユウリは膝に手をついて立ち止まった。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ——うッ、ヴヴォエッ!」

 

 吐き気に耐えられず、ゲボを路面にぶちまける。口の中に酸っぱい味が広がった。涙目になりながら、滲んだ視界で自分の吐瀉物を見つめる。ほとんどが胃液で、食べ物の残骸は見当たらなかった。

 

「なんでみんな、おかしくなっちゃったの……?」

 

 呟く。

 

 当然、誰も答えてはくれない。

 

 考えないようにしていた嫌な想像が、とうとうここでユウリに追いつく。この異変はどこまで及んでいるのだろう。シュートシティ全域どころの話じゃないということはわかった。では、ガラル全域だろうか? もしかして、世界中がこうなってしまっているんじゃないだろうか?

 

 もしかして、自分だけが取り残されてしまったのではないか。

 

 もう一度吐き気が襲ってきて、ユウリはまたえずく。胃の中はもう空っぽだった。空腹感はまだないが、まもなく感じることになるだろう。

 

「嫌だ……嫌だ……誰か……」

 

 ユウリはとぼとぼと歩き出す。

 

 街を出て、7番道路を往く。ユウリの頭にこびりついて離れない「最悪の予想」を剥がそうと、まともな人間に出会うために。

 

 人を見れば話しかけ、正常かどうか確かめる。誰か、誰かいないか。必死に願いながら会う者会う者に声をかけるが、誰とも会話は成立しない。ユウリの予想が確かなものになっていくばかりだった。

 

「みんなの あこがれに なりたいの そう チャンピオン みたいにね!」

 

「うちの 自慢の ニャハトちゃん キャンプを してたら きのみを 拾ってきて くれたのよ!」

 

「敵を つくらない 生き方…… それが ジェントルマンの スタイルさ」

 

 誰も彼も、自我を失っている。話しかけてみては相手が機械的な返答しかしないことにその都度絶望し、心をすり減らしていくうちに、ユウリはルートナイントンネルの入り口まで来てしまった。

 

「マリィ……」

 

 微かな声で呟く。

 

 このトンネルを抜けた先にあるのはスパイクタウン。ネズやマリィの故郷だということを思い出す。そうだ——マリィとは今日、ガラルスタートーナメントでタッグを組んで一緒に戦った。その時彼女は正常だった。「ユウリ! やったね! マリィたちの優勝ばい!」——並いる強豪たちを倒して、一緒に優勝したんだ。マリィなら、きっと大丈夫なはず。ネズさんだっている。きっと異変に気付いて、何か対策を講じようとしてるはずだ。

 

「大丈夫……あの二人なら、大丈夫……」

 

 うわごとのように呟きながら、ユウリはトンネルに入っていく。ネズもマリィも数時間前までシュートスタジアムにいたのだから、そもそもまだスパイクタウンに帰っていないかもしれないなどという可能性は、今のユウリには考えられなかった。

 

 トンネルを出て、9番道路を突き当たりまで行くと、もうそこはスパイクタウンだ。アーケードになっている商店街入り口のシャッターが半分以上降りていて、中の様子が薄暗くてよく見えないのは、ユウリが前にここへ来た時と変わらない。ユウリはシャッターを潜り、アーケード街へ足を踏み入れる——と、入ってすぐ、ポケモンセンターの前に立っている人物を見て、憔悴したユウリの顔に笑みが浮かんだ。

 

 マリィだ。

 

 いつもの装いで、マリィがいる。

 

「マリィ……!」

 

 マリィはこちらに気づいたのか、ユウリと視線を合わせてくれる。なお近づくと、ユウリの方に向き直ってくれた。よかった——ちゃんと動いている。ユウリは駆け足でマリィのもとに向かう。

 

「マリィ! よかった、よかったよぉ!」

 

 思わずマリィに抱きつくユウリ。マリィからは人肌の温もりが感じられた。

 

「ユウリ、また来たの」とマリィは言った。

 

「うん……ゔん! マリィ、マリィぃ……!」

 

 マリィを抱きしめながら、ユウリの目から涙がこぼれる。涙はマリィの肩を濡らすが、それをマリィが気にするそぶりはなかった。

 

「しかたなかね」

 

 マリィはほのかに笑みを浮かべてそう言い、

 

 

「あたしが 相手しちゃろうか?」

 

 

 と、続けた。

 

「……マリィ?」

 

 ユウリは泣き腫らした目でマリィの顔を見る。

 

 彼女の両目は確かにユウリを捉えていた。捉えていたが——何か、おかしい。

 

 もしや、とユウリの心に傷のような疑念が芽生える。

 

「……相手って、なんの?」

 

 マリィは何も答えない。

 

 ほのかな笑みを浮かべたまま、変わらぬ表情でユウリをじっと見つめている。

 

「マリィ、ねえ、相手ってなんの相手……? 教えてよ、ねえ……」

 

 ユウリはマリィに抱きつくのをやめた。沈黙の時間が経つにつれ、ユウリの笑顔はだんだんと引きつったものに変わっていく。やめてやめて嫌だ、嘘でしょそんなの嫌だよと心の中でどれだけ強く願おうとも、マリィの様子が変わることはなかった。

 

「ちょっと、ねえマリィ……? 相手するって、もしかしてポケモンバトルのこと……? それだったら、せっかくだけど、今はできなくて——」

 

「ま スパイクタウンは あたしらの ホームタウン」

 

 全く動かなかったマリィの口が唐突に稼働する。

 

「ビビっても しかたなかね」

 

 それだけ言うと、また彼女は無表情に戻って口を閉じた。

 

「……うそだ」

 

 ユウリはポツリと呟く。

 

「嘘だよ、ねえ……こんなの嘘でしょ? あはは……嘘だよね、マリィ」

 

 落ち着いていたのは最初だけで、声にはだんだんと震えが混じる。

 

 瞳にギリギリまで溜まっていた涙がこぼれ落ちた。

 

「マリィ! お願い、正気に戻って!」

 

 ユウリはマリィの両肩に手を置いて揺らす。マリィの頭がぐらぐらと揺れるが、彼女が抵抗するそぶりは一切なかった。

 

「マリィっ、マリィっ、マリィっ!」

 

「ユウリ また来たの」

 

 ユウリにぐらぐら揺らされながら、マリィは先ほどと同じセリフを吐く。

 

 彼女もまた他の人々と同様の状態になっているのは、もはや明らかだった。

 

「しかたなかね あたしが 相手しちゃろうか?」

 

「嫌だよマリィ! ねえ! お願いだから元に戻ってよぉ! ねえ!」

 

「ま スパイクタウンは あたしらの ホームタウン」

 

 マリィは変わらずセリフを続ける。

 

「ビビっても しかたなかね」

 

「うっ、うああああああああああああ————————!」

 

 ユウリは再びマリィを抱きしめ、慟哭した。




バトルタワーは徒歩じゃ行けないってことは、駅にいるお姉さんが言ってますね。
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