哲学的ゾンビの横行   作:後菊院

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第5話 怪

    1

 

 

 ——暗い。

 

 足元灯があるとはいえ、トンネル内はやはり暗い。天井が見通せず、妖怪変化のたぐいがへばりついていてもおかしくない雰囲気が漂っている。夜のワイルドエリアとはまた違った闇があった。

 

 ユウリの足音だけが闇に響く。暑くもなく寒くもない、ちょうど良い気温だったが、歩きっぱなしのユウリのひたいには、うっすらと汗が滲んでいた。

 

 後ろを振り返ってみる。曲がり角を曲がった記憶はなかったが、入り口の光はどこにも見えなかった。まっすぐに見えているが、道がなだらかにカーブを描いているのかもしれない。

 

 不気味である。

 

 なるべく前だけ見て歩くようにしようと、ユウリは思った。

 

 そのうちに、向こうの方から何やら巨大な轟音が鳴り響いてくる。列車だった。ユウリは目一杯トンネルの壁に張り付き、両手で耳を塞ぐ。運転手の姿は見えたが、ユウリを見ても特に何の警笛も鳴らさず、速度も落とさなかった。

 

 突風とともに列車がユウリの鼻先を通り過ぎていく。速すぎてあまりよく見えなかったが、乗客は乗っていないようだ。

 

 電車を無事にやり過ごしたユウリは、また無言で歩き出す。出口はまだ見えてこない。

 

「……?」

 

 ふと、ユウリは歩みを止める。何かが聞こえた気がしたのだ。

 

 左右を見てみるが、何もない。気のせいだろうか。いや、今確かに何かが蠢く音がした。

 

 トンネルの中には線路が二車線敷かれていて、間に柱が等間隔で立っている。ユウリは柱の影を睨んだ。このトンネル内で、隠れられる場所があるとすればあれの裏だ。

 

 じっと動かずいると、急に何かが柱の影から飛び出した。

 

「っ、やっぱり!」

 

 小人のような、飛翔するナニカ。

 

 それがトンネルの奥の方へ飛んでいくので、ユウリは追いかける。なんだろう、ポケモンだろうか? しかしあんな姿のポケモン、ガラルでは見かけたことがない。どこか他の地方のポケモンかもしれない。

 

「待って! ちょっと、敵じゃないから!」

 

 それは柱の間を縫ってユウリの追走を躱す。幸いなことに、動きはそれほど速くない。ユウリの足でも追いかけられる程度の素早さだ——と、その時、それが柱にぶつかった。

 

「きょううんっ!」

 

 そんな風に鳴き——ごつっという音がして、それは宙で一瞬だけ停止する。意識を失って浮力が消えたのか、真っ逆さまに地面へと落ちていった。

 

「わあっ!?」

 

 ユウリが走り込んでギリギリで受け止める。柱との激突は避けられなかったが、地面との衝突は免れた。

 

「ごめんね、いきなり追いかけたりして……」

 

 ユウリは自分の腕の中でぐったりしている小さな生命に謝った。

 

 黄色い頭に白いボディ、手足がそれぞれ2本ずつの赤ん坊体型に、お尻から身の丈と同じくらいの尻尾を生やしている。ひたいには赤く輝く宝玉のような器官があった。やはり知らないポケモンだ。図鑑を調べようとポケットに片手を伸ばしたその時、意識を取り戻したのか、ポケモンがピクリと動き、眼を開けようとして——

 

 

    2

 

 

 カンムリ雪原のマックスダイ巣穴といえば、ガラルのポケモン研究者にとっての注目の的であり、今もっとも熱い調査スポットであると言える。資本力のあるマクロコスモスの研究機関が主体となって調査・研究しているが、この手の研究機関にしては珍しく独占状態にせず、他大学や野の研究者にも情報を公開しており、申請すれば現地調査にも参加できる。

 

 もっとも巣穴内のポケモンはどれもこれもが強力で、なおかつダイマックス状態にあるので、ポケモンバトルに精通した者でないと危険だ。巣穴に入る前にはマクロコスモスが用意したポケモンを借りることができるのだが、それでも素人が扱うには、ポケモンという「戦力」は少々手に余る。

 

「ダイマックスポケモンって、相手にするとどんな感じなんだ?」

 

 マックスダイ巣穴の中を進みながら、ジュンは隣に立つヒカリに訊いた。ヒカリは「え?」とジュンの方を向く。

 

「ああ、そっか。ジュンはダイマックスポケモンを相手にしたことないもんね」

 

 そうだなー、とヒカリは斜め上を見上げた。「Zワザを撃てるメガシンカポケモン? みたいな感じ」

 

「無敵じゃんかよ」

 

 あははと笑うヒカリだったが、ジュンは笑えなかった。アローラ地方やホウエン地方に遠征した経験のあるジュンは、メガシンカやZワザを操るトレーナーを相手取って戦っている。メガシンカもZワザも、単体で恐るべき威力を誇るのに、それの複合だと? そんな相手とどうやって戦えば良いのか。

 

「今のはさすがに言い過ぎだったよ」ヒカリはそう言って謝る。「ダイマックスワザとかキョダイマックスワザは強力だけど、Zワザに比べたら威力は控えめだし、体力が増えるからって、メガシンカとダイマックスを同じようには語れないね」

 

「なんだそうなのか」

 

 ジュンは安堵する。

 

「でも、すごく強力なのは確かだよ。私、なんだかんだでダンデくんに1回も勝ててないし」

 

「そりゃお前が頑なにダイマックスもメガシンカもZワザも使わないからだろ」

 

 クラシックスタイルを貫いたまま、ダンデと互角に渡り合う方が凄いとジュンは思う。

 

「つーか何で使わないんだよ? ダイマックスはメガシンカと違って、どんなポケモンでも使えるんだろ? この前の試合はダイマックス使えば勝ててたってみんな言ってたじゃんかよ」

 

「そこはそれ、シンオウ出身のプライドというか何というかですね……。うん、もう今クラシックスタイル採用してるのってシンオウだけでしょ? そこを売り出してかないとさ」

 

 ヒカリがガラル地方のとあるジムリーダーと喋った時、「ダイマックスを使わない」という彼のポリシーに感銘を受けてのバトルスタイルなのだが、ジュンには内緒にしておく。

 

「それにしても、まさかあのダンデくんがチャンプの座から落ちちゃうなんて思わなかったよ」

 

「それなー。向こう10年はダンデの天下だと思ってたけどな」

 

 全力のダンデに勝てるトレーナーなんて、シロガネ山の頂上にしかいないんじゃないかとヒカリは思っていたのだが、どうやらガラルにはとんでもない逸材がいたらしい。

 

「名前なんてったっけ、ガラルの新チャンピオン」

 

 ジュンが訊くので、ヒカリは答える。

 

「ハロンタウンのユウリだね。まだ会ったことないけど、リーグの決勝戦は見たよ。強かったなー。あと可愛かった」

 

「会ってもいきなりほっぺとか突っつくなよ? 罰金取られるぞ」

 

「大丈夫。私お金持ちだから」

 

「そういうことじゃねえよ」

 

 めずらしくジュンがツッコミにまわった時、ズウゥンという異音が巣穴の奥から響く。ヒカリとジュンはモンスターボールを構え、いつでもポケモンを繰り出せる体勢を取った。

 

 ズウゥンという異音——地響きのような音は断続して鳴り、だんだんと大きくなっていく。近くの水たまりに波ができる。パラパラと天井から土埃が落ちてくる。ヒカリはマックスダイ巣穴の奥を見据えたまま、肩に落ちた埃を片手で払った。

 

 ——来る。

 

 地響きを鳴らす主が、2人の前に姿を現わす。

 

 そのポケモンを見てヒカリは目を見開き、ジュンは「いぃっ!?」と声をあげた。高らかな咆哮を放つそのポケモンを見て、ヒカリも叫ぶ。二足歩行の怪獣型——赤い甲殻、黒い地肌に白い腹部、太い尾についた白いトゲ。間違いない、ホウエン地方の神話に登場する伝説のポケモン——

 

「グラードンっ!?」

 

 たいりくポケモン、グラードン。

 

 この迫力、威圧感、間違いない。

 

 グラードンは巣穴への侵入者2人に明らかな敵意を向けている。ギラギラと瞳を光らせて、今にも襲いかかってくる勢いだった。なぜ怒っているのか、なぜ襲いかかってくるのかはわからないが、そんなことを考えている余裕はなさそうだった。

 

 生き残るために、まず戦わなければ。

 

 ジュンはすぐさまボールを投げようとしたが、ヒカリがそれを制する。「待って! ジュンはフローゼルを出して!」「フローゼル? いやでも『ひでり』にみずタイプは相性が悪いだろ——」「いいから!」——そう言いながら、ヒカリはエンペルトを繰り出す。

 

「ったく、なんだってんだよー!?」ジュンは手に持っていたボールを腰に収め、別のボールを取り出して投げた。

 

「頼む、フローゼル!」

 

 シンオウ地方のポケモンたちが、ガラルのマックスダイ巣穴に出現する。2体は目の前の巨大な敵にも一切物怖じせず、果敢に嘶いた。

 

 フローゼルとエンペルト。ともに「みずタイプ」を保有するポケモンであり、「じめんタイプ」のグラードンに対しては弱点を突ける。しかし相手はあのグラードンだ——海の化身カイオーガと争い続け、一歩も退かなかったポケモンである。みずタイプのワザを使えるから勝てるなんて甘い考えで、たいりくポケモンの前に立てば、大地のうねりと灼熱のマグマに身を焼かれるだろう。

 

 ジュンもそれはわかっている。だからこそジュンはフローゼルではなく、「くさタイプ」のロズレイドを繰り出そうとしたのだ。ヒカリだってそれくらい承知のはずで、だが、彼女にはどのような考えがあるのだろうか?

 

「どうするんだヒカリ? 俺のフローゼルは『あまごい』覚えてねーぞ」

 

「『あまごい』はなくても、みずタイプのわざは覚えてるでしょ」

 

「そりゃまあ。けど、『ひでり』で効果は半減だぜ」

 

 ——暑い。

 

 陽光の届かない洞窟にいるはずが、炎天下にいるような暑さが辺りを包んでいる。これはグラードンの特性「ひでり」によって、日差しが強い状態が擬似的に再現されているのだ。

 

「大丈夫」

 

 ヒカリが言う。そして、白い手袋のような物をジュンに投げ渡した。

 

「ここはガラル地方、天候奪取はバトルの華だよ?」

 

 ジュンはそれを受け取って、何なのか確認する。ヒカリが投げたのは、ダイマックスをする時に使うダイマックスバンドだった。

 

「——なるほどな」

 

 ヒカリの意図を、ジュンは理解する。

 

 ダイマックスバンドを右手に嵌めると、フローゼルを一度ボールに収める。そしてダイマックスバンドに付けられた「ねがいぼし」の力を注ぎ、ボールを巨大化。そのボールを両手で抱えるように持つと、再びグラードンの前に投げ込む。

 

「ぬおおおおおっ! いけっ、フローゼルっ!」

 

 グラードンの真正面に、グラードンよりも遥かに巨大なフローゼルが出現した。

 

 本当に大きくなっているわけではない。ポケモンの体内から放出されるパワーにより、一時的に巨大になったように見えているのだ。だが、その強さは見掛け倒しなどではない。

 

「みずタイプのダイマックスわざは『ダイストリーム』だよ!」

 

「フローゼルっ、『ダイストリーム』!」

 

 ヒカリに言われた技の名を叫ぶジュン。ダイマックス状態のフローゼルだったが、それでもその素早さは健在だ。エンペルトよりもグラードンよりも早く動き出し、口から大規模な水流をグラードンに向けて撃った。

 

 水流はグラードンの身体全体にぶち当たる——しかし、その派手な見た目に反して実際の効果はそれほどでもないようだった。弱点技を食らったはずが、グラードンは健在である。グラードンの耐久力に加えて、「ひでり」の効果によって、みずタイプの技の威力が半減しているのが原因だった。

 

「よし! いいぞフローゼル!」

 

 だが、これでいい。

 

 ジュンとヒカリの狙いは、ダイストリームの威力そのものではなく、その付加効果だ。

 

 大量の水が一瞬にして場に溢れ出た影響で、「ひでり」によって作り出された周囲の状況が上書きされる。高い湿度、天井からボタボタと滴る水滴が、擬似的に洞窟内に「あめ」の天候を再現していた。

 

 天候を奪った。

 

 ジュンが得意げに笑った次の瞬間、地面がメリメリと裂け、亀裂から岩盤のように硬い刃が生え出してくる。

 

 グラードンの技——「だんがいのつるぎ」である。

 

 無数の刃が、フローゼルの体を傷つけた。

 

「フローゼルっ!」

 

 ジュンはフローゼルの安否を確かめる。野生のポケモンとの戦いに、戦闘不能か否かを判定してくれる審判はいない。全てはトレーナーの判断に委ねられているのだ。

 

 幸いにもフローゼルはまだ戦闘不能には陥っていなかった。ダイマックスによる体力の増大によって、ギリギリで耐えられたようだ。フローゼルは体勢を立て直し、グラードンを睨む。

 

 だんがいのつるぎはエンペルトも襲ったが、エンペルトは身を捻ってそれを躱すことに成功したようだった。無傷のエンペルトに、ヒカリが指示を下す。

 

「エンペルト、ハイドロポンプ!」

 

 エンペルトは口元から、先ほどダイストリームよりも遥かに強力な水砲を放つ。天候が「にほんばれ」状態から「あめ」状態に変わったため、半減だったみず技の威力が跳ね上がっているためだった。ヒカリのエースポケモンであるエンペルトのハイドロポンプは、元々高い攻撃力を誇っていたが、文字通り、さらに水増しされてグラードンに直撃する。

 

 たまらず、グラードンは絶叫する。オオオオオオ——という怪音が洞窟内に響き渡り、ヒカリとジュンの腹底を揺らした。

 

 だがそれだけでグラードンは倒れない。大ダメージを負いながらも、再び「だんがいのつるぎ」を使おうと身を屈める。

 

 その瞬間、ジュンのフローゼルが動く。

 

「もう一度だ、ダイストリーム!」

 

 ダイマックス状態の巨体ながら、驚異的なスピードでフローゼルがダイストリームを撃った。洪水のような流水がグラードンの体を押し倒し、向こうの壁まで押し込む。効果あり。ジュンはぐっと右手を握りしめた。

 

 しかし、伝説のポケモンはこの程度では沈まない。

 

 地が裂け、硬い岩盤の刃が突き上がる。

 

 「だんがいのつるぎ」がフローゼルとエンペルトの体をズタズタに切り裂いた。

 

「————!」

 

 フローゼルが声にならない悲鳴をあげた。「フローゼルっ、戻れ!」ジュンはすかさずボールを出してフローゼルを回収する。エンペルトは戦闘不能に陥らなかったようだが、弱点のタイプ技であるのもあって、かなりのダメージを受けて膝をついた。

 

 ヒカリとエンペルトは視線を交わす。いける?——無論。エンペルトは僅かにうなずいた。ほんの一瞬で自らの相棒と意思疎通を図ったヒカリは、この時、この場における最適解を叫ぶ。

 

「ハイドロポンプ!」

 

 立ち上がったエンペルトが、これまでで最大規模の水砲を撃ち放つ。

 

 「あめ」下における強化、それに加えてエンペルトの体力が削られていることによる、とくせい「げきりゅう」の威力上昇が乗り、それはダイストリームを遥かに凌ぐ一撃に化けていた。

 

 グラードンは腕を胸の前でクロスし、真っ向からハイドロポンプを受けた——両腕の甲殻に水砲が当たり、四方八方に水しぶきが飛ぶ。初めはこれすらも耐えるのかと思われたグラードンだったが、じりじりと後ろに退がっていき、やがて体力の限界が来たのか、仰向けに弾け飛んだ。

 

 ようやく戦闘不能に陥ったようだった。

 

「やった!」

 

 ヒカリが諸手をあげて飛び跳ねる。エンペルトは深く息を吐き、残心するように姿勢を直した。「さすがだなヒカリ! 伝説のポケモンを倒したぞ!」と、ジュンも喜ぶ。

 

「ジュンのフローゼルもすごかったよ!」

 

「だろ!? 俺たちだって鍛えてるからな!」

 

 ヒカリとジュンはハイテンションのままハイタッチした。「イェーイ!」とはしゃぎ、そのまま手を繋いでむちゃくちゃなダンスを始めた人間2匹を見て、エンペルトは呆れまじりのため息をつく。見てられないので視線を外し、強敵だったグラードンの方を向く——と、そちらで不思議なことが起こっているのに気づいた。

 

 エンペルトは一声鳴いて、自分のトレーナーとその親友に事態の急変を知らせる。2人はエンペルトのただならぬ叫びを聞いて踊りをやめ、何事かとエンペルトの視線の先を見た。

 

「ん……あれ?」

 

 ヒカリは自分の目を擦り、もう一度首を伸ばしてグラードンを凝視する。こころなしか、グラードンの輪郭が薄くなっている風に見えたのだ。

 

「なんだよおい、どうしたんだグラードン?」

 

 ジュンにも同じ光景が見えているらしい。グラードンがだんだん透明になっていき、奥の壁が透けて見えるようになる。

 

 最終的に、グラードンは影も形も無くなってしまった。

 

 慌ててグラードンの倒れていた場所まで駆け寄るが、そこには何もいない。本当に消えてしまったようだった。

 

「なんだよ今の? なんで消えたんだ? ヒカリ、わかるか?」

 

「わかんない……」

 

 呆然とする2人。

 

 ヒカリもジュンも、フォクスライにつままれたような顔をしていた。

 

 

    3

 

 

 ユウリと黄色い頭のポケモンの視線が合うかという直前、突如としてユウリの鞄ががさがさと揺れ出した。

 

「え、な、なに——」と驚く暇もなく、鞄の中にしまっていた荷物が勝手に飛び出し、紙吹雪のように宙を舞う。それらは意志を持っているかのごとく、ユウリの腕の中にいるポケモンに突撃を敢行した。

 

「うわあっ!?」

 

「きょううんっ——!?」

 

 それはユウリには全く当たらず、黄色い頭のポケモンだけを攻撃する。黄色い頭のポケモンはユウリの腕から投げ出され、派手に宙を舞って地べたに落ちた。荷物もボタボタと辺りに散らばる。なんだ、一体何が起こったのだろう——ユウリは辺りを見渡し、少し離れた場所に立つ人影に気づく。

 

 顔は見えない。こちらを向いているのは確かだろうが、足下灯はその者の顔まで光を届けていなかった。ハンチング帽子を被っていることも、顔がよく見えない一因だろうか。ユウリよりも背が高い。輪郭も厳密には暗くてよくわからないが、おそらく男性だろう。ちょうどユウリが追っていたあの青年と背丈が似ているが、雰囲気は全くの別物だった。

 

 彼はモンスターボールを構えていて、ちょうどポケモンを仕舞っているところだった。ということは、今の不思議な現象はポケモンの技によるものだったのだろうか。ユウリは傷だらけになった黄色い頭のポケモンの方を見る——と、その時、そのポケモンに空のモンスターボールが投げられた。

 

 ハンチング帽子の彼が投げたらしい。ポケモンにこつんと当たったボールは黄色い頭のポケモンを吸い込み、メトロノームのように規則的に左右に揺れる。しばらくして、カチリという音が洞窟に響いた。捕獲に成功したようだった。

 

「……よし」

 

 彼の呟きはユウリの耳にも届く。やはりあの青年の声ではない。別人のようだ。

 

 彼は黄色い頭のポケモンを入れたモンスターボールを回収するべく、歩いてユウリのほうへやってくる。距離が近まるにつれて、ようやく彼の顔を拝むことができたが、ユウリには見覚えがなかった。

 

「危なかった」

 

 青年が言う。自分に話しかけているのだというのに気づくまで、ユウリは数秒かかった。

 

「危ないって、何が、ですか……?」

 

「このポケモン」

 

 青年はモンスターボールを拾い上げ、そこでようやくユウリを見る。落ち着いた雰囲気の、静かな目をしていた。

 

「ユクシー。ちしきポケモン。知らない?」

 

「ユクシー、ですか。すみません、知らないです……」

 

「ふうん」とうなずく青年。怒っているようにも、失望しているようにも、まったく何の感情を抱いていないようにも見えた。

 

「『その ポケモンの めを みたもの いっしゅんにして きおくが なくなり かえることが できなくなる』」

 

 青年が呟く。「え?」とユウリが訊くと、「ユクシーと目を合わせたら、記憶が失くなる。シンオウ地方の神話」と解説してくれた。

 

「記憶が失くなる、んですか? 本当に?」

 

「本当」

 

 ユウリは散らばった荷物の中からスマホロトムを拾って、青年の持つモンスターボールを解析する。図鑑の解説を読んで、ようやく青年の行動の意味を理解した。

 

 彼はユウリを助けてくれたのだ。

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 慌てて礼を言い、頭をさげる。青年は「別に」とだけ言って目をそらした。

 

「私、ユウリっていいます! ハロンタウンのユウリです! あの、本当、ありがとうございました……!」

 

 喋っていると、ユウリの視界がなぜか滲み始めた。涙が溢れているのだということに自分で気づき、目元を袖で拭う。だが、拭っても拭っても涙は止まってくれなかった。

 

 ようやく、会話ができた。

 

 久しぶりの、まともな人間との会話だった。

 

 ——駄目だ、泣くな。まだみんなは元に戻っていない。ホップもマリィも助かっていないんだ。ユウリは泣き止もうと努力する。体を抑え、感情の昂りを必死で律した。ゴシゴシと強く目元を擦り、青年に向けてにっと笑顔を作ってみせた。

 

「ハロンタウンって、君、地元の人?」

 

 急に泣いたり笑ったりするユウリを変な奴だと思ったのか、青年は訝しむように訊く。

 

「はい!」とユウリは元気よく答えた。「私はガラルのポケモントレーナーです!」

 

「ふうん」

 

 青年はさっきと同じような抑揚で言った。「なんで君、動けるの?」

 

「え、わかりません……」

 

 それはユウリの方が聞きたかったのだが、青年が訊くということは、彼も答えを持ち合わせていないのだろうか。少し不安になるユウリ。そんなユウリの心中など察することなく、「まあいいや」と青年は呟いた。

 

「君、僕にガラルを案内してくれない? 観光名所とか、パワースポットとか。僕、あんまりガラル地方に詳しくないんだよね」

 

「は、はあ。それは、どうしてですか……?」

 

「時間の止まった原因は、大体そういうところにあるんだよ」

 

 そう答えた青年は、唇の端をわずかに上げる。そして名前を名乗った。

 

「僕はコウキ。フタバタウンのコウキだ」

 

 

    4

 

 

 マックスダイ巣穴にて。

 

 一通りの調査を終えた後、ヒカリは「やっぱりそうだ」と呟く。彼女の視線の先には、何やら専門的な表やグラフが映された小型タブレット端末があった。

 

「どうしたヒカリ、なにかわかったか」

 

 戦いで傷ついたポケモンの回復を担当していたジュンが、ヒカリのひとり言に反応する。フローゼルの傷口に薬を噴きかけてガーゼを貼った後、ジュンはその場から立ち上がってヒカリのほうに歩いていった。

 

「やっぱりここ、ウルトラホールと似たような性質を持ってるよ」

 

 肩口から覗くジュンに、ヒカリは端末の画面を見せる。「なるほどなぁ」とジュンがうなずいた。

 

「どっか別の世界と繋がってるってことか。じゃあやっぱり、今回の事件にもディアルガとパルキアが関わってるんだな」

 

「んー……それはまだわからない。そうなんじゃないかって予想はしてるけど、まだ証拠はどこにもないよ。別世界への道を作れるポケモンは、なにもパルキアだけじゃないしね」

 

「ん? じゃあなんでお前さっき『やっぱりそうだ』って呟いたんだよ」

 

「それはね、これ」

 

 ヒカリは端末を繰り、ジュンにあるデータを見せる。それは映像データだった。場所はこのマックスダイ巣穴。ジュンとヒカリが映っていて、両者ともポケモンを繰り出す——ジュンはフローゼルを、ヒカリはエンペルトを。2体のポケモンは高らかに吠えて、やる気十分であることを周囲に知らしめていた。

 

「さっきのグラードンとのバトルじゃねーか。これがどうしたんだよ」

 

「いいから見てて」

 

 怪訝な顔をしながら、ジュンは映像を見続ける。しばらく見ていて、映像におかしな点があることに気づいた。

 

「おい、グラードンはどこだよ」

 

 グラードンの姿が映像内に見えない。エンペルトやフローゼルは、虚空に向けて技を撃っているようだった。

 

「気づいた?」

 

「あ? なにに?」

 

「グラードンがいないことに」

 

「おう。なんでだ? この映像、さっきのバトルのやつじゃねえのか」

 

「さっきのバトルのやつだよ。さっきのバトルのやつなのに、グラードンの姿がない」

 

「つまりどういうことだ」

 

「つまり、さっきのグラードンは幻だったってこと」

 

「まぼろしぃ?」

 

 ジュンは先ほどのバトルを回想する。バトル中は気にしている余裕がなかったが、そういわれてみると、何かおかしかったような気がした。

 

「そうだ、あのグラードン、ダイマックスしてねえじゃん」

 

「でしょ? これだけのエネルギーが充満している場所なのに、あれって変だったよね」

 

 先ほどのグラードンのサイズは4メートル足らず。通常の大きさだった。

 

「この辺りに、ゾロアークのイリュージョンの劣化版みたいな現象の痕跡があった。映像記録も併せて考えると、あのグラードンは幻だったんじゃないかって結論が一番しっくり来るね」

 

「ポケモンのまぼろしはダイマックスできないってことか?」

 

「まあね、そうでしょ。普通に考えて」

 

「でもなんでグラードンのまぼろしなんかが、こんなところにいたんだよ」

 

「それはわかんない。自然に発生したのか、誰かが作って置いといたのか……」

 

「誰かが置いといたって、なんでだよ?」

 

「この巣穴の番をさせてたとか? ほら、グラードンを見たらみんなすぐ逃げて、巣穴に近寄らないでしょ」

 

「……」

 

 ジュンが黙ったので、ヒカリは端末から顔を上げる。振り向いてジュンを見た。「どうしたの?」と訊くと、ジュンは静かに喋り出す。

 

「逆かもしんねえぞ」

 

「逆、って?」

 

 ヒカリの問いに、ジュンは巣穴奥の暗がりを睨んだまま答えた。

 

「向こうから来る奴を、追い払ってたんじゃないのか」

 

 




ダンデのリーグカードって誤植ですよねあれ多分。「以来 相棒の リザードンと 公式戦 ふくめて 無敗記録を 更新中」って部分。
公式戦を含めない無敗記録ってなんだよ。
本来は「非公式戦 ふくめて」だったのでしょう。
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