哲学的ゾンビの横行   作:後菊院

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第6話 空

    1

 

 

 「追い払う、ため……?」

 

 ヒカリはジュンの言葉を反芻する。さきほどのグラードンは、異空間から訪問する何かに備えたものだった? にわかには信じがたい。しかし、もしもそうだとすれば、それは一体何だろう。

 

「もしかして、悪の軍団とか……?」

 

 ヒカリの頭に浮かんだのは、かつてシンオウ地方で暗躍していた悪の組織、「ギンガ団」だった。ギンガ団のボスであるアカギは、宇宙を手中に収めるべく、シンオウ時空伝説に登場するポケモンたちを利用しようとしていた。ギンガ団はすでに消滅しているが、彼らのような集団が、異次元からやって来るのを阻止するために、グラードンの幻影がいたのだとすれば——いやいや、違う。それはおかしい。

 

 ヒカリはぶんぶんと首を横に振る。想像が飛躍してしまった。

 

「まず、グラードンの幻が自然にできた可能性を考えてみよう」

 

 話を戻す。最初に立ち返り、ヒカリは自分でもわかりやすいように整理を試みる。

 

「ジュン、自然にグラードンの幻が出現することってあると思う?」

 

「まず無いだろうな」

 

 ジュンは腕を組みながら答えた。「そんな話は聞いたことがないし、ありゃあ蜃気楼とはワケが違った。自然現象じゃない。なんせ俺たちに襲いかかってきたからな。ヒトかポケモンが関わっているのは確かだろーぜ」

 

「そうだね」ヒカリはうなずく。

 

「グラードンの幻がいたのには、人かポケモンが関わっている。ここまでは確実ってことにしよう。じゃあ、一体誰が作り出したんだろう?」

 

「それは、『何のために作り出したのか』も併せて考えないと答えが出ねーんじゃねーか」

 

 ジュンが言った。

 

「そうだね」ヒカリはにこりと笑ってうなずいた。「動機を考えないと答えにはたどり着けない。推理小説で言うワイダニットの考え方だね。『なぜそうしたか?』」

 

「ああそうだな、それに今回はハウダニットの考え方でも犯人を絞れそうだ」

 

 ヒカリの言葉を受けて、ジュンが思い出したように呟く。

 

「うんうん。『どうやってそうしたか?』——だって、今のガラル地方で普通に動ける人やポケモンって、とても限られているからね」

 

 ヒカリはガラルに足を踏み入れた当初を思い出しながら言う。ヒトもポケモンも、誰も彼もが意志なき人形のようになっているのが現状だ。それはグラードンの幻を作り出せそうなサイキッカーもエスパーポケモンも、ゴーストポケモンだって例外ではない。

 

「犯人候補は限られている」

 

 ヒカリは芝居がかった口調で言った。

 

「今のガラル地方でも自由に動ける人かポケモンの誰か、だろうね」

 

「そうだな……いや待て。そうとも限らねーんじゃねーか? 今回の異変が起こるよりも前に、グラードンの幻が作られたとしたらどうすんだよ」

 

 ジュンがここまでの理屈の穴を指摘した。「あ、そうか」とヒカリも気づく。

 

「そうだった、その可能性もあるね——いや、いやいや無い無い。ジュンも見たでしょ。ここの研究員のレポート」

 

「あ、そうか」

 

 ジュンはヒカリが何を言おうとしているのか合点し、短く首を動かす。

 

「グラードン関係の話はどこにもなかったな。じゃあ違うか」

 

「うん。もしあのグラードンが今回の異変より前からマックスダイ巣穴にいたなら、ここの研究員が記録に残すはずだもんね。それがないってことは、研究員たちが停まっちゃった後にこの巣穴に現れたって考えた方が良い」

 

「そうだそうだ。じゃあ幻を作ったのはユクシーか?」

 

「え? どうしてそうなるの?」

 

 ジュンがいきなり名指しでポケモンを挙げたので、ヒカリはそちらを振り返る。

 

「だってさ、湖のポケモン3体ん中で、グラードンのこと知ってそうなのって言ったらユクシーだろ」

 

「ああ、湖のポケモンなら時空異常にもある程度対応できるからってこと?」

 

「おう。実際、俺は『意志の神』のお力添えで自由に動けてるわけだしな」

 

 ジュンは腰につけたハイパーボールをぽんぽんと触れる。だが、ヒカリはうーんと首を捻った。

 

「ユクシーがシンオウから出るかな?」

 

「出たくなる時だってあんじゃねーの。なんたって知識の神だろ」

 

 ヒカリは自分の腕に目を落としかけたが、今はポケッチをつけていないことを思い出してやめる。ユクシーの所在はわからない。はるばるガラル地方まで出張に来ていたとしてもおかしくはないが、どうにもヒカリの腑に落ちなかった。

 

 確かに、3体揃えばディアルガやパルキアにも匹敵する力を持つ「湖のポケモン」ならば、単独でも時間や空間の異常にある程度の対応、適応が可能——というのは、他ならぬヒカリの意見だったし、その仮説を頼りにヒカリとジュンは現在のガラル地方に突入した。しかし、だからといってユクシーを「グラードン幻事件(今適当にヒカリが名付けた)」の犯人にしてしまって良いものだろうか。

 

「ふらふらガラルまで来るってなると、ユクシーよりエムリットの方がしっくり来るんだけどね」

 

「え? だってお前、エムリットは違うだろ」

 

「うん……」ヒカリは俯く——が、すぐに顔をあげた。「でもどうだろ、そうだとしたら、ユクシーは何のためにわざわざグラードンの幻をつくったのかな」

 

「そりゃあれだろ……ええと、んん、やっぱわかんねえわ」

 

 ヒカリもジュンも沈黙する。少しして、ヒカリが「なぜ幻をつくったのか、って方から考えてみよう」と言った。

 

「あのグラードンは私たちに襲いかかってきた。ってことは、私たちみたいなのをこの巣穴に近づけさせないためにいたんじゃないかって説がひとつね。そしてもうひとつ——ジュンの言った、『向こう側から来る何者か』を追い払うためっていう説がある」

 

「適当に言っただけだけどな」

 

 ジュンは少々自虐的に言う。

 

「いや、でもありそうな話だと思うよ。ここは行き止まりじゃなくて、どこか別の場所へ通じている道だから」

 

 ヒカリはマックスダイ巣穴の最奥部を見た。赤い粒子が待っていてよく見えないが、それはまだ先がありそうだった。

 

「道の真ん中に番犬を置いておく意味って言ったら、向こうからこっちに来させないためか、こっちから向こうに行かせないためか、もしくはその両方でしょ」

 

「まあ、そりゃそうだな」

 

 当然の理屈だ、と、ジュンはうなずく。ヒカリは言葉を続けた。

 

「だけどそもそも、このマックスダイ巣穴は、向こうからこっちにポケモンが来る例しか確認されていないんだよね。来てすぐ帰ってっちゃったってことはあったらしいけど。もともとこっちで生まれた人やポケモンが向こうに消えちゃったって事例は、報告書には書かれていなかった」

 

「ああ、そうだ。ってことはやっぱり、俺の言ったことが正しいのか?」

 

「可能性が高いね。グラードンの幻は、向こうから来る誰かを止めるために置かれていた——と考えるのが自然かな」

 

 ジュンはふーむと唸り、顎に手を当てて斜め上を見上げる。

 

「しっかし、誰が誰にグラードンをぶつけたかったかは結局わからねえな。『向こう側』にどんなやつがいるのかは、俺たちにはわかんねえしよ」

 

「……たぶんだけど、幻をつくったのは『向こう側』にいた人かポケモンだと思うよ。こっち側の人やポケモンは、向こうにどんなのがいるのかわからないでしょ。だから足止めのしようもない」

 

「ふーん? だとすると、そいつはまず巣穴の奥からガラル地方にやってきて、んで後続を切り離すためにグラードンの幻を置いたことになるな。何のためだ?」

 

「……追っ手から逃げるため、とか?」

 

 ヒカリはそう答えたが、自信はなかった。「うーん、やっぱりこのガラルの時空異常と絡めて考えないと駄目かなあ。ほんと、なんでこんなことになったんだろ」

 

 

    2

 

 

 「——『ときのはぐるま』って、知ってるかい」

 

 コウキと名乗った青年は、藪から棒にそんなことを訊いてきた。

 

 時刻は早朝。トンネルを抜けて、深い青の空の下、ガラルの森を切り裂く線路の上を、ユウリとコウキは2人並んで歩いていた。

 

「ときの、はぐるま……ですか?」

 

 ユウリは遠慮がちに、隣を歩くコウキを見上げる。彼は前を向いていて、ユウリと視線が合うことはなかった。しかしここにはユウリとコウキの2人しかいない以上、ユウリに向けられた問いであるのは確かだった。

 

「ええと、すみません。知らないです……」

 

 ユウリが恐縮すると、コウキは「あ、そう」と言って、喋りだす。

 

「時の流れを制御する道具だ。各地に隠されていて、周辺の時間の流れを安定させている」

 

「時の流れを制御できるんですか?」

 

「できるよ」

 

 コウキはうなずいた。

 

「『ときのはぐるま』はその地の時間を回すもの。滞りなく動かし続ければ時間は平穏に進むし、正しい場所から外れてしまえば時間は止まる。基本的にはそういう道具だ」

 

「そんなものが……じゃあ、今のガラルがおかしいのって、その歯車が原因なんですね。もしかして、誰かが正しい場所から外したとか」

 

「『ときのはぐるま』を誰かが持ち去ったとは考えにくいね」

 

 色めき立つユウリをおさえて、コウキは冷静に言う。

 

「歯車が無いと、その土地の時間が止まる。普通、どんな悪党だって『ときのはぐるま』を盗もうとは思わないし——それに、ガラル地方の時間は完全に止まっているわけじゃない」

 

「歯車がなくなると、完全に止まっちゃうんですか?」

 

「うん。風は凪ぎ、滴は落ちず。人もポケモンも動きを止める。けど、ここはまだそんなことになっていない。理由はいくつか考えられるけど……最近、時空に支障をきたすようなことはあった?」

 

「時空に支障、ですか。そんなことあったかな……あ、ブラックナイト」

 

 暴走したムゲンダイナのエネルギーは、時空を歪めるほどのものだった。あれが原因で、その「ときのはぐるま」とやらが狂ったのだろうか。

 

「ブラックナイト? 3000年前の事件を最近って言うとは、スケールが大きいね」

 

「あ、いえ、そっちじゃなくて、この前起こったほうのブラックナイトです」

 

 コウキは微かに首を傾げる。彼はこの前ガラルで起こった事件を知らないようだった。

 

「ついこの前……といっても、もう半年前ですか。ブラックナイトが起こったんですよ。ムゲンダイナっていうでっかいポケモンが暴れて、大変なことになりまして」

 

「ふうん」とコウキはうなずいた。そして何事かをぶつぶつと呟く。「しかし半年前か、なるほどね……」

 

 考え込むコウキの顔をユウリはじっと見る。やがてコウキがそれに気づき、「どうしたの」とユウリに問いかけた。

 

「ああ、別に、そんな大したことじゃないんです。ブラックナイトを知らないっていうのが、なんていうか、少し意外だったっていいますか……」

 

「悪いね、世情には疎いんだ」

 

 コウキがそう言ったので、ユウリは慌てて「大丈夫です! 謝らなくても!」と弁解する。

 

「私も、シンオウ地方のこととかあんまりよく知らないですし……お互いさまです!」

 

 

    3

 

 

 同じ頃。

 

 マックスダイ巣穴。

 

「おい、見ろヒカリ!」とジュンが叫んだ。

 

 ヒカリはジュンの指差す方向に視線を遣る。暗い巣穴の奥——そこに、何かがいた。

 

「誰!?」

 

 ヒカリはモンスターボールを構えて叫ぶ。

 

 その者は暗がりから一歩、また一歩とこちらに向かってくる。ポケモンではない、人間のようだった。背丈はヒカリと同じくらい——と、その時、人影がふらりと地面に倒れる。「おい!」と、ジュンが駆け出していった。

 

 仕方なく、ヒカリもジュンの後を追う。モンスターボールはしまわず、手の内に持ったままその者に近づいた。

 

 女性のようだった。雪山にもほら穴にも似合わない、よそ行きのトレンチコートを身に纏っている。見た目から察するに、ヒカリやジュンと同じくらいの世代。茶髪を短く切りそろえた活発な風貌。知らない顔——と言いたかったが、心なしか、ヒカリには彼女の顔に見覚えがあるような気がした。

 

「おい、なんだこれ!? ガラル粒子かよ!」

 

 ジュンが女性の容態を見て叫ぶ。彼女の体はうっすらと赤い光に覆われていた。確かに、この色はガラル粒子だ。彼女は苦しそうにもがいている。エネルギーが体内に充満しているのか?

 

 ジュンは彼女の額に手を当て、「あつっ!」と叫ぶ。

 

「熱いぞ! すげえ熱だ! ど、ど、ど、どうする!?」

 

「どうするって——」

 

 医療はヒカリの専門外だが、ヒカリも彼女の体に触れてみて、とんでもない高熱に襲われているのはわかった。まずい。これはまずい。この者が誰であるかはひとまず置いて、とりあえずは救命活動をしなければいけない。ヒカリはポケモンを繰り出して、矢継ぎ早に指示を出す。

 

「ビーダル、その辺にこの人を寝かせられるスペース作って! エンペルト、氷枕お願い! トゲキッス、『いやしのねがい』!」

 

 そう言うヒカリの腕を、女性が掴む。彼女は碧い瞳をヒカリとジュンに向けていた。呼吸をするのも辛そうで、朦朧とした意識の中で譫言のように「止めないと……」と呟く。

 

 ヒカリは彼女の手を取り、彼女の声に耳を澄ました。

 

「マクロコスモスを、止めないと——……」

 

 

    4

 

 

 それにしてもここまで話した感じ、青年はユウリがガラル地方の現チャンピオンだとわかっていないようだ。世情に疎いというのは本当らしい——いや、ユウリは新米チャンプだし、遠いシンオウの地まで名前が轟かないのは当然か。

 

 まあユウリにしたって、他の地方のリーグ事情にはそれほど明るくない。今のシンオウリーグチャンピオンは誰だったか。シロナの名前は知っているが、彼女は現チャンピオンではなかったはず。

 

「——ブラックナイトか。そんな事件がガラルで起こってたなんてね——収拾はついたのかい」

 

「あっ、はい。おかげさまで」

 

 ユウリはぎこちなく首を縦に振る。

 

「確かにそれは『ときのはぐるま』を狂わせた原因かもしれない」

 

「その、『ときのはぐるま』っていうのはどこにあるんですか!?」

 

 前のめりに尋ねるユウリに、コウキは「わからない」と答える。

 

「ひとつには誰にも知られないような、深い森の奥とか湖の底とかに隠されている——かといって全く見向かれないわけでもなくて、歯車のある場所は得てしてパワースポットみたいな扱いを受けるから、案外有名な場所だったりもする」

 

 それでコウキは観光名所やパワースポットを案内してくれと頼んできたのか——と、ユウリは合点した。

 

「心当たりはある? 僕には土地勘がないから、あまりよくわからなくてね」

 

「そうですね……『まどろみの森』とかでしょうか——いや、でも、どうだろう……あそこの伝説は、少し違うかも知れない……」

 

 「まどろみの森」は、ザシアンとザマゼンタに関わる伝説の地だった。「ときのはぐるま」と関連はあるのだろうか。

 

「まあとりあえず行ってみよう。違ったならそれでも構わないし。時間はいくらでもあるから」

 

「……なんで、コウキさんは普通に動けるんですか?」

 

 ユウリは気になっていたことを訊いた。彼はこの異常なガラル地方でも、ユウリと同じように、普通に自我をもって動けている。それによってユウリの心は大きく救われたが、何故かという疑問は消えない。

 

「ああ、ポケモンのおかげだよ」とコウキは答え、自分のベルトについているボールを見た。

 

「『時間』という概念に対抗できるポケモンを連れているから、僕はここでも活動できている」

 

「そうなんですか」

 

 時間に対抗できるポケモンなんているのだろうか。いったいどんなポケモンだろうとユウリは想像を巡らせる。ゴーストタイプのポケモンか? ——と推測したのは、コウキの手持ちの中に、ゴーストわざを使うポケモンがいることがわかっていたからだ。

 

 まがりなりにもユウリはポケモンリーグチャンピオンである。ポケモンに関する知識は豊富だ。先ほどは何が何だかわからなかったが、ユクシーを弱らせたあの技が何だったのか、ユウリにはもうわかっている。あれは「ポルターガイスト」だ。相手の持っている道具を操って攻撃するポケモンの技。あれを使うポケモンといえば——

 

「——君はどうして動けるのかな」

 

 コウキが呟いた。

 

「君も何か特別なポケモンを持っているのか、それとも君自身が特別なのか」

 

 ユウリを見ながら、彼は大真面目に言う。そんなコウキと顔を合わせ続けるのに照れてしまい、ユウリは視線をそっぽに向けた。

 

「私はそんな、特別なチカラとか無いですよ」

 

「じゃあ、ポケモンかな。伝説のポケモンとか持ってたり」

 

「ええと、そうですね、一応、連れてはいます」

 

「本当に? どんなポケモンか、訊いてもいいかい」

 

「ザシアンと、ムゲンダイナを……」

 

 そう言った後、数秒経ってもコウキからの反応がないので、ユウリは彼の方を窺う。彼は表情を崩さず、しかし相槌を打つにしては明らかに遅れたタイミングで「へえ」と言った。

 

 

    5

 

 

 ヒカリとジュンは、巣穴の奥から現れた女性を連れてマックスダイ巣穴を出た。晴れ渡る雪原の上、女性を背負いながらざくざくと歩くジュンが、前方を行くヒカリに「おい、外に連れ出すのはまずかったんじゃないか?」と声をかける。

 

「だからって、ずっとあの巣穴で寝かせとくわけにもいかないよ」

 

 ヒカリは雪を踏みしめ、道を作りながら答えた。

 

 2人はすぐ近くの村落——フリーズ村を目指していた。あそこなら巣穴よりも多少ましな診療所がある。ヒカリは後ろを振り返り、ジュンの背負っている女性の顔を見た。彼女には意識が無く、今はまぶたを閉じている。前よりは安らかな寝顔をしていた。

 

 信じられないくらい高かった熱は、ヒカリとジュンの介抱の成果か、それとも単に時間が経ったからか、巣穴で寝かせているうちに引いた。どうやら、あの高熱は一過性のものだったらしい。

 

 彼女の服は汗でびしょびしょになっていたので、今はヒカリの着替えを着せている。外に連れ出すということで、ヒカリの服の上に、巣穴の研究員の私物らしきダウンコートを羽織らせた。

 

「それにしても、どっかで見たことあるんだよね……」

 

 ヒカリはうーんと唸る。

 

 明るい茶髪に碧い瞳。碧眼はシンオウ地方では珍しいので、他の地方に遠征した時に会ったのだろうか。それとも、テレビか何かで見かけたのか。思い出せない。

 

「ジュンは見たことない?」

 

「さあな、覚えはねー」

 

 軽快に坂を降りながら、ジュンはヒカリの問いに答える。その時ずざざと滑りそうになって、ジュンは慌てて踏ん張った。

 

「危ねっ!」

 

「大丈夫? 代わる?」

 

「あと少しだし、いーよ。そこだろ、フリーズ村」

 

 ジュンが顎でしゃくった方には、確かに家屋の立ち並ぶ集落があった。カンムリ雪原において、人間の暮らす唯一の場所である。

 

「診療所、あるよね」

 

 家の数が少なすぎることに幾ばくかの不安を抱えながら、ヒカリはジュンに同意を求める。

 

「さすがにあるだろ。まともな病院は無いだろうけどさ」

 

 しかし、医療施設と呼べるものはフリーズ村には無かった。

 

 建物を一通り見て回ったが、それらしき看板の出ているところはない。「まじかよ?」とジュンが嘆いた。

 

「うっそ、ここの人って病気になった時どうしてるの?」

 

 ヒカリも驚く。一応、村長の家が簡易的な医療施設になっており、重病人が出た時はブラッシータウンからヘリを出してもらうのが通例なのだが、それはヒカリたちにはあずかり知らぬことだった。

 

「しゃーねえ、あそこのコテージ使うぞ」

 

 ジュンは観光客用のコテージを目指して歩く。ヒカリもそれに付いて行った。いつまでも成人女性をおぶるのが辛くて、ジュンは一番手近な場所にあるコテージの扉を開ける。中に誰かがいても構わない、どうせ繰り返しの状態なのだから——と、上がり込んだのだが、ジュンは玄関先で立ち止まる。後続のヒカリは不思議に思い、「どうしたの?」と訊いた。だが、ジュンの耳には入らなかったようだ。

 

「まじかよ……」

 

 呟くジュン。彼は家の中の何かを見て驚いている。

 

「なに?」

 

 もう一度問うと、さすがにジュンも気づき、「あ、わりぃ。詰まってたな」と中へ入る。どうやら、脅威的な何かが中にあるわけではなかったようだ。それでもヒカリは身構えながら、ジュンを驚かせた何かと対面する。それは居間の前に立っていた。

 

 それを——彼女を見たヒカリの第一声は、「うそ」でも「なにこれ」でもなかった。彼女を見て、ヒカリはジュンと同じように仰天すると同時に、「思い出した……」と言った。

 

 サイドテールにまとめた髪、碧いニットに白衣、頭の上に乗っけたサングラス。格好は違う。違うのだが、2人は不気味なほどに同一だった。

 

 ジュンの背負っている女性と、そこでたたずむ女性。

 

 双子のように、否、双子よりも瓜二つの顔をしている。

 

「ソニアさんだ……」

 

 ヒカリは呟いた。

 

 そうだ——彼女はたしか、各地方のチャンピオン同士で戦う大会で、ダンデの応援(というか送迎)をしにきていたダンデの幼馴染み。喋る機会はなかったが、あのダンデ相手に姉御肌を見せていた人物として、ヒカリの記憶に残っている。

 

「知ってんのか、ヒカリ」

 

「うん、まあ……でも、彼女がどうして2人いるんだろう?」

 

 

    6

 

 

「——君はガラルのポケモントレーナーだよね」

 

 唐突に、コウキが尋ねてくる。

 

 いきなりの問いに多少面食らったものの、その答え自体は単純だ。ユウリはこくりと首肯し、「はい。私はポケモントレーナーです」と言った。

 

「ってことは、ジムチャレンジもやったわけだ」

 

「まあ、はい。そうですね」

 

「楽しかった?」

 

「はい。辛いこともありましたけど……でも、楽しかったです」

 

「そうか。それは良かった」

 

 この問答は何なのだろうとユウリは思った。質問の意図がわからない——意味はわかるが、なぜ今そんなことを訊かれるのか、不思議だった。だがそんなユウリの胸中に構うことなく、コウキは言葉を続ける。

 

「その時、思わなかったかな。ずっとこの時間が続けばいいのにって」

 

「……え?」

 

 森の静寂に、線路の砂利を踏み締める音だけが響く。

 

「それは、まあ。そう感じたことも、あったと思います」

 

 ジムチャレンジは楽しかった。

 

 友達や仲間と一緒にガラル地方を駆け回ったあの旅は、ユウリにとって一生の思い出になるだろう。白熱したバトルも、癒しの時間も。ロトム自転車で小川を遡って「こだわりハチマキ」を見つけた瞬間だって、きっとずっと記憶に残る。8つのバッジを集めてシュートシティに着いた時、もうすぐ旅が終わるのかと残念に思ったのは事実だ。

 

 ユウリの答えを聞くと、コウキは「そうかい」とだけ呟いた。




まずい。ジュンの知能指数がどんどん高くなる。
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