愛に報いて   作:敷き布団

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第9話 (まやか)しの幸せと

その後も俺の放浪癖というか、外を深夜にほっつき回ることは無くならなかった。深夜に煌めく街を徘徊して、酒を浴びて、そして冷静になって。かつて送っていた日常とは正反対のような生活を送っていた。それは、かつての日常を忘れ去りたいからなのかもしれない。

当然そんな深夜に徘徊をするようなダメ兄貴を絆が見逃すはずもない。それが分かっていたから意図的に俺は絆を避けていた。絆がいるであろう時間には家には帰らないし、なんだったら世間一般が休日になる日だったら俺は外にいた時間の方が長いかもしれない。

 

「……そろそろ帰るかな」

 

スマートフォンが示す時間はまだそんな遅くはないし、街もまだ人がいる。きっと絆も寝ているわけがない。だが、絆はずっと前から今日は修学旅行だかなんだかと言っていたから、今日は家にいるはずがない。そんな予想で俺はこうやって夜の帰路を歩いているのだ。

 

「……ちょっと寒いな」

 

今日は珍しく冷え込んだせいか、特段厚着をしているというわけではなく、剥き出しの指先はかなり冷えていた。試しに暖かくなるよう息を吹きかけたけど、息を吹きかけたぐらいで冷えが解消されるほどではなかった。俺は仕方なく上着のポケットに手を突っ込んだ。

 

「……ん?」

 

突っ込んだ先に入っていた紙に気が付いて取り出した。クシャクシャになっていた紙は俺の先日の逢瀬の残滓だった。英数字と名前の書かれたメモ用紙。もしも俺がこいつのファンだったらどれほど喜んでいたか分からないだろうが、生憎心に葛藤を抱えながらこいつと逢瀬を重ねていた俺にとっては手放そうにも手放せない諸刃の刃のようであった。

 

「……白鷺千聖か」

 

まだ彼女とそんな長い時間を過ごしたわけではなかったが、不覚にもなぜか深く心を通わせてしまった相手。俺は傷つけた心を癒やそうとして、さらに心の傷を増やしてしまった。俺の心はこいつと会えば会うほど、壊れてしまいそうだった。だからもうこいつに会ってはいけないんだと思って、それほど使わないようなポケットに封印して、見ないことにしていたのだ。これ以上沙綾を、失わないために。

 

「考えても仕方ない……か」

 

考えれば考えるほど鬱々とするので、俺はその紙をまたもポケットに封印して家路を急ぐ。寒さを感じれば感じるほど、心が辛くなってしまうから。

 

「……ただいまと」

 

「……おかえり」

 

「は……?」

 

多分晩御飯の時間ぐらいだろうか。妹は修学旅行で、親も絶対に仕事から帰ってくるような時間ではない。なぜ俺に返事をする相手がいるんだ。電気も付いておらず、暗い廊下の奥から現れたのは、家にいないはずの。

 

「……なんで今日お前がいるんだよ。絆」

 

修学旅行だかで今日は一日家に居ないはずの妹がいた。その表情は暗く、何を考えているかは読み取ることができそうにない。絆は俺の問いかけに僅かに口を開いた。

 

「私が家にいる理由なんてどうでもいいじゃん」

 

「はぁ? 修学旅行なんて一生に一回だぞ、行ってこれば良いのに」

 

「……本気で言ってるの?」

 

絆の声色はいつにもなく暗く、そして迫力を持っていた。怒気を含んだその声は冷たく張り詰めた玄関の空気を真っ二つに切り裂いた。

 

「行けるわけないでしょ? 誰のせいだと思ってんの」

 

「……俺のせいって言いたいのか?」

 

俺は何を言わんとしているのか分からないままで睥睨してくる妹に、同じような目線を突き返した。

 

「当たり前でしょ?! 夜も家に帰ってこないでほっつき歩いて! 前に私言ったよね?! そういうのやめてって!!」

 

「……んなもん俺の勝手だろ」

 

聞いたこともないような大声で胸に溜まったものを思い切り吐き出す妹。俺は真正面からそんな顔を見れるわけもなく、小さくつぶやいた。

 

「勝手?! お母さんもお父さんも何も言わないけど、お兄が帰ってこないのどれだけ心配か分かってんの?!」

 

「別に、生きてるし良いだろうがよ」

 

「そういうことじゃない!! なんで……なんで、分かってくれないのぉ……」

 

妹は感情を爆発させすぎたのか、涙を流し始める。どうにもバツが悪い俺はなんて言葉を返せば良いかも分からずただ閉口する。

 

「お兄がなんでそんなに荒れてるのか私には分かんないよ? けど、けど……お願いだからこれ以上心配させないでよ……」

 

「……分かんないなら、余計にこれ以上首突っ込んでくんな」

 

俺だって、お前をこんなクソみたいな人間のことで悩まさせたくないから。それに、惨めじゃないか。こんなに心配されてるのに、それに真正面から向き合えなくて、逃げることしかできない自分なんか。だからもう、これ以上関わらないでくれ、そんな思いで突き放した。そして俺はこれ以上話しても実りはないと思って、廊下に立っている妹の横を通り抜けようとする。

 

「……なんだよ」

 

そんな俺の前に聳え立ったのは絆だった。

 

「まだ、話が終わってないでしょ」

 

「関わんなって言ってんだよ」

 

次第に俺の語気も荒くなってくる。後になって思えば俺だって、こんな解決しそうにない深い苦しみの部分にズカズカと入ってこられようとして、イライラしていたのかもしれない。沙綾を失って、支えのなくなった俺が必死に縋ったら、そこでもさらに沙綾の喪失感で苦しくなって。そんな無限の地獄に俺だって限界が近づいてたんだ。だから、こんなの、ただの八つ当たりだった。

 

「じゃあ心配かけないでよ」

 

「かけてねぇよ、お前が勝手に心配してるだけだ」

 

「それが迷惑かけてる妹に対する態度?」

 

「うるせぇ。関わんなって言ってるの聞こえねぇの?」

 

「じゃあ、なんでそんなふらついてばっかいんの?」

 

「……関わんなってんだろ」

 

「それが分かったら私だって引くから、で、なんで?」

 

「俺だって……」

 

「何?」

 

「……とにかく、関わんな」

 

「誤魔化すのもいい加減にして!」

 

「それはこっちのセリフだ」

 

「ふざけないでよ!!」

 

「うっせぇな! 関わんなって言ってんだから関わってくんな!!」

 

パァン!! ……鼓膜を貫くような鋭い音が響いて、俺の頬に鋭い痛みが走った。焼けたようなヒリヒリとした感覚が頬に残る。俺の目の前には大粒の涙を目に溜めた絆が肩を震わせながら立っていた。

 

「もう知らない、お兄なんかどっか行っちゃえばいい!!」

 

「……言われなくても」

 

俺は踵を返して家を出る。バタンと大きな音を立てて玄関の戸は閉まった。未だに俺の頬には鈍い痛みが残っている。少しばかり外の寒さに冷えていた肌に与えられた強い刺激はずっとずっと残り続けた。

 

「……何だってんだよ」

 

妹の優しさだとか、そんなのが全部煩わしく思えた。何も分かっていないのに、しつこいぐらいに絡んでくる妹が煩わしかったのだ。けれど僅かながらの後悔というか罪悪感も同時に募る。

もっと素直に絆に悩んでることだとか全部言えたら良かったのだろうか。絆の言う通り、夜間に徘徊したりだとかをやめたら良かったのだろうか。それすらもよく分からない。

けれどこうなった以上俺に選択肢がそれほど残されているというわけではなくて、仕方がなく俺は深まり始めた夜の街に繰り出す。こうやって生きづらい世の中から離れて、不安定に揺らぐ依代に縋ることだけが、俺を一時的にでも苦しみから解き放ってくれるのだから。

家を出て暫く歩いたところにあったお店に入る。店内は外と違ってとても明るい。そこに居れば居るほどなんだか自分が惨めになって欲しかったものだけ籠に入れてレジで買う。そしたらそこから逃げ出すように店を出た。右手に提げたビニール袋からはカランという金属のぶつかり合う音が聞こえてくる。

 

「……はぁ」

 

結局やることは何も変わっていない。また大事な人を蔑ろにして、大事な人を失って。沙綾の時と同じじゃないか。考えれば考えるほど自分のクズさ加減が身に沁みる。大切な人を大切にできない自分を殺してしまいたい。

そんなネガティブな考えに背中を押されるように、徐々に宵闇が近づく街を抜ける。着いたのは小さな児童公園で、こんな時間にはきっと誰も来ない。ひっそり佇むベンチは案の定すっからかんで、殺風景な光景が公園中に広がっていた。少しだけ高台にあるせいか街の様子が少し見えた。公園は酷く殺風景なのに、そこから見える街はどこか揺めきながら輝いていた。

 

「どうしてなんだろうな」

 

一体どこで、どんな道を選び間違えてしまったのか。沙綾に誠実に向き合えなかったことだろうか。酒という娯楽に逃げてしまったことだろうか。女という沼に逃げ込んでしまったことだろうか。妹を突き放してしまったことだろうか。

どこかで間違えた俺は、こうして大事な人を失い、大事な人を惜しんで代わりを探して、また大事な人を失って。改められなかったせいで、ついに実妹にすら愛想を尽かされてしまった。馬鹿な奴だ。

 

「寒いな……」

 

どうにも夜の風が吹き荒ぶ公園は寒く、買ってきた缶を開けて一気に飲み干す。体はあったかいはずなのに、心が凍ったように固まっていた。それに手足の指の先は全然暖まりそうにない。

 

「……あ」

 

ポケットに手を突っ込んで掘り出したのは、あのメモ用紙。揺れる視界の先には、メッセージアプリのIDかなんかが書いてある。

 

「……これか、……送ろうかな」

 

既に思考が停止し始めている頭から文章をなんとか捻り出して打ち込んでいく。といっても今の自分の感情だとかを上手く言葉にできるはずもなく、改めて見返すと何の意味もわからない文章が出来上がっていた。

 

『よお千聖、なんて言って良いか分からないんだけどちょっとだけで良いから話そう』

 

送ってはみたものの、内容がすっからかんのメッセージ。そもそも向こうは仕事も忙しいと言っていたから返してくれるかも分からないけど。

そんなことを考えていると、数分も立たないうちにメッセージが返ってくる。意外と早い返信にビックリして、画面を眺めた。

 

『ちょっと今忙しいから、後にしてもらえるかしら?』

 

「……そうかい」

 

隣に置いていた缶は中身が空になっていて、袋の中から新しい缶を取り出して開栓する。炭酸か空気かの抜ける音が聞こえて、カチッという音がしたと同時に思い切り缶を傾ける。喉を一気に流れていくアルコールが粘膜を全て焼き尽くす勢いで吸い込まれてゆく。

 

「はぁ……」

 

なんて情けない。こんなに簡単に人の心なんてものはすぐに傷つくのか。自分のことなのに、まるで赤の他人の話を聞いているかのように感じられた。結局世の中自分が生きるのに精一杯で他人のことなんか気にしている余裕はない。現に俺がそれを証明していた。

 

「ぶはっ」

 

すぐさま開けられた3本目も気がつけばすっからかんになっている。いつにも増して酒の減りも速い。そういえばさっきから視界が霞んでいるような気がする。

 

「あーだめだ……」

 

僅かな後悔を募らせながら俺の意識は闇に落ちた。

 

 

 

あまりの寒さにくしゃみをして目が覚める。嫌な目覚めである。それにちょっとしか時間も経っていないらしくまだ視界はぐるぐる回っているし、思考もまとまらない。ただ無意識にバイブレーションの震えるスマートフォンを弄っていた。

 

ざっざっ、という砂の音が聞こえてくる。ゆっくり顔を上げると、そこにいたのは先程メッセージを送り合っていた相手だった。

 

「……待たせたわね」

 

「ん、なんでここが分かったんだ?」

 

「……? 貴方が言ってきたんじゃない」

 

そういうと千聖はスマートフォンを指さす。よくよくみると、確かに俺はご丁寧に今いる場所をメッセージでこいつに送っているではないか。正直に言うと送った記憶自体なくて、相当自分がアルコールにやられてることを自覚した。

 

「はぁ。またそんなベロベロになるまで飲んだのね」

 

「どっちも大概だろ」

 

そんな答えを返せば千聖は苦笑いを浮かべ、ため息をつく。

 

「隣、失礼するわね」

 

「どうぞ」

 

「寒くないの?」

 

「寒い」

 

「風邪引くわよ」

 

「いんだよ、別に」

 

「……何があったかは聞かないわ」

 

「……あぁ」

 

淀みなく続く会話。まだ会ったことが容易に数えられる程しかないなんてことが嘘のように感じるほどであった。そんな考えが朧気に浮かんだら、何故か心がすっと軽くなって、胸に抱えていた痛みが少しだけ和らいだ、そんな気がした。

 

「……ここからの景色意外と綺麗ね」

 

「そうか?」

 

高台から見える景色は、眩しすぎるほどの街並み。俺はその陰の住人だった。隣に佇む千聖は向こうの世界の住人のはずなのに、なぜかこの間から俺と同じ世界の住人にしか見えなかった。それも、今日は特に。

 

「私ね、怒られちゃったの」

 

「怒られた?」

 

「そう、家に帰らない時とかあったから。何考えてるんだって」

 

「……そうか」

 

「私がしたいようにしているだけなのにね」

 

「そうかもな」

 

「大切な人との……まやかしの幸せが欲しいだけなのに。……我儘ね、私」

 

そう呟くと千聖は愁いの篭った瞳を空へと向けた。まやかしの幸せを求めることは我儘なのだろうか。俺が無言でいると、千聖は何を喋るでもなくただじっと、俺の隣に座っていた。

 

「……俺さ、大事な人、大事に出来ない、クズなんだよ」

 

「……そう」

 

「俺みたいなクズは、どうしたらいい?」

 

千聖にそう問いかける。ただ酒に溺れて、身近な人を傷つけ続ける自分が嫌で嫌で堪らなかった。そんなの千聖に聞いたところで、千聖を困らせるだけなのに。

 

「……千聖?」

 

急にこちらを向き直ったかと思うと、千聖は俺の体を抱き締めた、いつもより強く。けれど、千聖は何も言わない。

さっきまで凍っていた心が少しずつ溶けていく気がした。自然と涙が溢れて、視界が滲んだ。なぜ、こんなにも温かくて居心地が良いのだろう。

 

「……なぁ千聖」

 

「……なぁに? ……んっ」

 

その瞬間、俺は千聖の唇を奪っていた。何かの壊れる音がした。瑞々しい感触が身体中に広がって、枯れた大地に水が行き渡る。溺れたくなるような、まやかしの幸せ。頑なに自分から求めようとはしなかったまやかしの幸せ。それは今、ここにある。

 

「ねぇ……蓮……、好きよ」

 

「……ありがとう」

 

その答えを返せないのは、これがまやかしだからなのかもしれない。










なんだったらこの話妹が一番可哀想。それはそうとどんどん深みに嵌っていくなこの二人。
よろしければ感想や評価もよろしくお願いいたします。
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