有咲をあの日追い出してから、この部屋はずっと真っ暗闇が続いていた。きっと純や紗南には悲しい思いをさせているだろうし、お母さんやお父さんもそうだ。ポピパのみんなも。
……蓮はどうしているだろうか。私のかつての裏切りを許してくれるわけがあるまいし、もしかしたらもう他の人と幸せになっているかもしれない。そう考えたら、蓮に私が助けを乞うのは烏滸がましい話なのかもしれない。
「……あはは」
考えれば考えるほど、自分が愚かしくて、自らの生きている意味を見失いそうだった。きっとこの気持ちが晴れるようなことはないし、私はきっとずっとこんな世界を生き続けるのだと考えると、鬱々として死んでしまいたくなる。
どうして有咲の助けを拒んでしまったのだろうか。どうして蓮に助けを求められなかったんだろうか。考えたって仕方がないのに。
どんっどんっどんっ!
「え……」
いつか聞いたような、激しいノックの音。私の反応を待つまでもなく、そのドアは開かれた。やはりというかなんというか、そこに居たのは有咲だった。
「……有咲」
「……沙綾」
有咲が部屋に入ってくる。きっとまた私は有咲に怒られ、問い詰められるのだろう。そう考えていたから、私は思わず目を見張った。
「……え?」
「……ごめん、私、沙綾のこと、何も考えずに……詰め寄っちまって……私はっ、さあやがぁ……」
「え、……え?」
頭を下げた有咲の言っていることの意味がよく分からず、私は困惑した。最初有咲が入ってきた時は思わず以前のことを思い出して身構えていたから、拍子抜けだった。
「ちょ……なんで有咲が……」
「……こないだ、沙綾の家の前で、……豊岡蓮ってやつに会って」
「……え?」
蓮? 今有咲の口からそんな名前が聞こえた気がした。
「そいつから聞いたんだ、沙綾が各務菊磨ってやつに……、それでっ、後で襲われたって知ってぇっ、私は……沙綾のことっ、何も知らずにぃっ……」
蓮が、私の家に来たということ? どうして……、きっと蓮は私にもう愛想を尽かしてたと思ってたのに。
「はぁっ……、ぐすっ、はぁっ……、だから、ごめんな、さあやぁっ……」
私の家の前まで蓮が来た。とても嬉しかった。蓮はまだ、私のことを気にかけてくれているのだと知ったから。
「ごめんっ、本当にごめん……沙綾……」
「……有咲」
泣き噦る有咲を見ていると、何故だか少しだけ、凍りついていた心が溶けていくような気がした。塞ぎ込んでいた私の世界にようやく一筋の光が差し込んだように思えた。
まるで弟たちを宥めるように有咲を宥めすかす。時間はかかったけれど、なんとか有咲は泣き止もうとしていた。
「……ごめんな、沙綾」
「……ううん、私こそ……この間は、有咲に当たっちゃって、ごめん……」
私こそ、有咲に八つ当たりしてしまったのだから。
「そ、そんなの……良いんだよ別にっ」
「……あはは、変わんないね、有咲」
久しぶりに心から楽しいと思って笑ったかもしれない。有咲の姿を見ていると、何故かどことなく落ち着いた。
「それで、蓮ってやつと……話をしたのか?」
「……え? どういうこと……?」
「そいつと会った時、そいつが謝るだの何だのって言ってたからさ」
「……そっか」
「……会って、ないんだな」
有咲から詳しく事情を聞いた。なんでも言い争いをして、蓮は私の家に向かったってことらしい。けれど、当然私は蓮になんて会ってはいない。
……少しだけ、胸がざわめいた。何か嫌な予感がした。けれど、変な予想をしても仕方がないし、有咲もあーだこーだと文句を言っていたから、考えもまとまらなかった。
「ありがとう、有咲。……ちょっと、私から、連絡してみる」
「……いいのか沙綾?」
「……うん、謝りたいのは……私だっておんなじことだから」
「沙綾がそう言うなら……私からは何も言えねーよ……」
そうして久方ぶりに親友と会って、僅かな生きる活力を見出した私は、長らく開いていなかったメッセージを立ち上げたのだ。
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代わり映えのしない景色が部屋の中には広がっている。俺が千聖に実質的に監禁されてから数日が経っただろうか。俺はまるで飼い犬のように千聖につけられた首輪をリビングの柱に固く繋がれている。首輪とリードのおかげか、数mぐらいの行動範囲が許されていることはせめてもの救いだった。
「……蓮、こっちに来てくれるかしら?」
千聖の言葉や様相も数日前、俺を襲ったあの日がまるで嘘であるかのように落ち着いている。
だが、俺が監禁されているという事実は揺るぎないものであり、まさに千聖の寵愛を受けて生きているのだ。
「ふふっ……ぎゅー♪」
上機嫌な千聖の頭をそっと撫でる。そうすれば千聖は一杯喜んでくれる。そこにはまるで付き合いたての学生カップルが織りなすような甘ったるい空間が広がっているはずなのに、そこに入り込んだ首輪やリードという存在は実に異様であった。
「……けどもう仕事行かなくちゃ」
千聖は大きなため息をつきながら立ち上がる。
「ちゃんとお家で留守番していてね?」
「……わかった」
「ふふっ、良い子ね……蓮……」
千聖が柔らかい手つきで俺の頭を撫で回す。俺は監禁されているはずだというのに、何故か俺と千聖の関係は、表面上は何もないように思えたのだった。
千聖は太い柱に近寄って、俺のリードが固く柱に結ばれているのを確認すると、甘いキスを残して仕事に出かけていった。……リードで繋がれているならこのリードを切ればいいじゃないか、なんてことも思ったことはあるが、千聖は抜け目なく刃物などは俺の行動範囲内には置かないようにしていたし、自力でこのリードを切ろうとするのはあまりにも無謀そうだった。何よりどのようにしてもこの首輪は外れそうにはなかった。
「……どうするかな」
千聖が帰ってくるまでは俺にとってこの狭い箱庭で過ごす退屈な時間であった。そんな暇を自覚すると、無性に沙綾に対する罪悪感だとか、千聖への複雑な想いだとかが一気に渦巻いて息が苦しくなる。
俺は結局、沙綾に会うことができずに、こうやって閉じ込められてしまった。畢竟、沙綾を裏切った償いなんてのは何も出来ていなかった。いや、こうして閉じ込められることが最早俺の償いなのかもしれない。
「……だめだな」
そんなことばかり考えていると、不意にテーブルの上に置かれた俺のスマートフォンが通知の音を立てた。千聖から何かの連絡だろうかと思い、のそのそとスマートフォンの画面を確認すると、俺は一瞬で息が詰まった。
「……沙綾?」
そこには、『沙綾』という文字が見えた。見たいようで見たくなかったようなそんな2文字。そんな沙綾からメッセージが届いていたのだ。
俺は深く思い悩んだ。ここで沙綾からの言葉を見るべきなのか。詰まるところ俺は怖いのだ。沙綾に向き合うなんて言いながら、本当は沙綾に今までのことを告げて、軽蔑されるのが怖い、矮小な人間なのだ。
きっと俺があの時話した有咲という子から、沙綾に話は行くのだろう。間違いなく俺の過去にした過ちを沙綾は知っているはずだった。そんな沙綾と向き合うのが怖い。
「……はぁっ、はぁっ」
気がつけば俺の額からはものすごい量の汗が流れていた。呼吸も思わず荒くなる。なんとかそんな荒い呼吸の中で深呼吸を試みると、俺は意を決して、その画面を開いた。
『蓮、久しぶりだね。長い間何の説明も無しに逃げていて、ごめんなさい。有咲って子から蓮が私の家の前まで来てくれたってことだとか、色んな話を、聞きました』
何の絵柄もないドライな背景の画面には、そんな沙綾のメッセージが淡々と記されていた。やっぱり沙綾は有咲から話を聞いていて、きっと俺の所業は全て知られているんだろう。
『私は蓮のしたことだとか、咎めたりするつもりはないよ。きっと全ての始まりは、私のせいだから。だからこそ、ごめんなさい。謝っても許されることじゃないって分かっているけれど、私にはもう謝ることしか出来ないから』
画面にはそんな日本語の文字列が並んでいるだけなのに、俺にはその画面の先に、優しげな眼差しで全てを包み込むような、沙綾の姿が見えた。少し前までは当たり前のように受け入れていた沙綾の温もりに、俺は、沙綾を失ってから初めて気づいたのだ。俺は、愚かだった。
『きっと蓮も思うことが色々あるだろうし、蓮も知ってるかもしれないけど、私も今こんな状態だから、少しだけ冷静になれる時間が欲しいと思っています』
そんな沙綾の姿を見たからこそ、俺はこの文字列が怖くて堪らなかった。そんな文字列を産ませてしまったのは、紛うことなく俺のせいだったから。俺がきっと、道を踏み外さなければこんなことには、ならなかったのに。
これ以上知ることは怖かった。けれどメッセージにはまだ続きがあって、ゆっくりと、ゆっくりと、震える指でスライドした。
『もし蓮さえ良ければ、どこかのタイミングで会いませんか。有咲から色々聞いて、きっと蓮も整理がついていないってことも分かるけれど、それでも私は、蓮に会いたいです。蓮に許して貰えるか分からないけど、蓮に、会いたいです』
「沙綾……」
何故沙綾はこんなクソな俺に会いたいと言ってくれているのだろうか。それは俺にも分からなかった。
『もしも蓮が許してくれるなら、また連絡してください。
返事、待ってるね』
「そう……か……」
沙綾はこんな俺にでも会いたいと、謝りたいと言ってくれるのだ。けれど、謝りたいのは俺の方こそであった。沙綾とやり直すのか、やり直しても許されるのかなんてことは分からないし、これからどうなるかなんて俺には予想もつかないけれど、沙綾と直接話をして、重ねた過ちを懺悔したい気持ちは変わらなかった。
……けれど、そんな俺の脳裏に過ったのは、俺をこの世界に繋ぎ止めた、千聖の存在だった。今の、こんな状態で沙綾と会って話したいだなんて千聖に言えるはずがなかった。
こうやって閉じ込められてしまったのだから、きっと普通の人間は逃げ出すことを考えるのだろう。……でも、俺にはそんな選択は出来なかった。監禁されたというのに、千聖を捨てて逃げることも出来ないのだ。余りに優柔不断な自分に反吐が出る。
ならば、俺に残された道はきっと千聖を説得することしかないのだ。
千聖と初めて出逢った時のことを思い返す。俺と同じ境遇で、人生に絶望していた千聖。けれど、あの時はこんなに歪んだ愛を育んでいなかったはずだ。
歪ではあった、けれど、それは復讐で、寂しさの穴埋めで。ただのその場凌ぎだったんだ。今みたいな、依存だとか、縛り付ける愛ではなかったはずだ。ならば、沙綾と真正面から向き合うためには、千聖に許しを乞うしかないのだ。
けど、けれども、……俺には千聖を説得する勇気なんてなかった。俺の頭の中には、千聖と2人でこの隔絶された世界でも苦痛の少ない人生を享受しろと叫ぶ悪魔と、千聖を見捨てて過去の行いを贖えと叫ぶ悪魔がいる。
沙綾と千聖、どっちをとっても外道の道なのだ。
怖かった。千聖を説得して、許しを乞うなんて、怖かったのだ。怖いのに、愛を授けてくれる千聖が大事なのだ。
「俺には……、……ごめん、沙綾」
俺は逃げたのだ。いつまで経っても逃げてばかりのくだらない人間だ。頭のどこかで誰かが罵った。それで良いじゃないか。どうせお前はいつまで経っても変わらないクズなんだから。
俺はそんな自嘲をしながら、沙綾とのメッセージ画面を閉じる。そこで気がついた。沙綾のメッセージで隠された、もう一つのメッセージがあることに。
かつての記憶が喚び起こされる。
『ほっとけないでしょ! 心配してるの分かんないの?!』
心臓の動悸が激しくなった。
『お兄がずっと……辛そうだったから』
息が苦しい。
『もう知らない、お兄なんかどっか行っちゃえばいい!!』
「……絆」
それはあの夜、俺が愚かさ故に喪った、大切な妹からの便りだった。
平穏な監禁とはこれいかに。
☆10をくださった、島達也様、☆9をくださった、一般学生C様。
高評価していただきありがとうございました。
今日UAが普段の倍以上に増えたなと思って色々見ると二次創作日間ランキングで9位にランクインしていました。応援していただきありがとうございます。読者の皆様方にこの場を借りて改めてお礼申し上げます。