愛に報いて   作:敷き布団

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第1話 沙綾との日常

部屋の机に置いていたスマートフォンの画面が光って、通話が来たことを教えてくれる。その電話の相手は久しく連絡を取っていない、かつての子役時代の友人の名前が表示されていた。出るか出まいか迷ったが、相手をしてやらないのも可哀想かと思い直して通話に出る。

 

「……もしもし」

 

『おっ、蓮。久しぶり』

 

テレビやドラマでたまに聞こえてくる、そんなかつて親交を深めた友人の声が電話の向こう側から聞こえてくる。

 

「……菊磨(きくま)か。久しぶり、急にどうしたんだ?」

 

最後に連絡を取ったのはいつだっただろうか。最近は俺自身の私生活も忙しくてそんなことすら簡単には思い出すことができなかった。そんなもんだから菊磨から連絡が来た用事なんてものも思いつくはずがなくて用件を問いただすと、際立って緊急の話があるとかではなく、ただ単に暇だから世間話がしたかった、なんてことだけらしい。そんな暇に付き合わされるのは面倒ではあった。

 

「で、世間から引っ張りだこの人気俳優が暇だと?」

 

『嫌味な言い方するねぇ』

 

「ま、俺は芸能界だなんてとっくの昔に辞めたからな、生憎暇じゃねぇんだ」

 

嫌味な言い方を指摘されたから、さらに嫌味な言い方で返す。こんな軽口を叩き合うというのもどこか懐かしさが感じられた。

 

『んでまぁ、最近はどうなんだ?』

 

しかし、そんな嫌味すら意にも介さず、変わらぬテンポで話を続ける、かつての友人。そんな友人から飛んで来た質問はえらく抽象的で、どんな答えを求めているのかはよくわからない。

 

「どうって、えらく雑な聞き方だな。何が聞きたいんだ?」

 

『えー何でもいいぞ? 面白かったこととか、それこそ恋愛とか』

 

「恋愛ねぇ……」

 

恋愛か……。どうやらこいつは本当に暇だから、それだけの理由で連絡してきたらしい。それはそうと、さてどうしたものか。沙綾とのことを言っても良いが、言ったところで無駄に弄り倒されて終わりか。ならばわざわざこいつに言ってやる義理もなかった。

 

「別に特には。逆にねぇのか?」

 

『おもんねー、で、俺?』

 

すっとぼけた俺に想定通りの反応を示す菊磨。少しだけそんな反応に腹も立ったのだが、こいつは面白くないだなんて言いつつも、自分が語る話の流れになると急に声色が変わり出す。どうやらこっちが主題だったらしいが、諦めてそんな見え見えの誘導尋問に乗ってやる。

 

「当たり前だろ、お前以外に誰がいるんだ」

 

そもそも電話なんだから、そりゃあ相手はお前しかいないだろう。なんてツッコミも気にせず会話を続ける菊磨。

 

『そうだなー、まぁ、でもー? スキャンダルとか怖いし?』

 

「……それもそうか」

 

仮にも芸能人の御身分。今話題の人気若手俳優が熱愛だなんてそんな面白いネタ、週刊誌のゴシップの連中が聞きつけたら最後、相手の素性から顔まで何から何まで探られるだろう。そりゃあそんなリスクのあることは誰にも言わない……か。

 

「で、用はそれぐらいか?」

 

『いやいや、他にも話すことはあるぞ?』

 

「俺はそんな暇じゃないんだが」

 

『良いじゃんかよ。久々に話す友人だぞ。暇じゃないってもこれから用事でもあるのか?』

 

「あぁ、出かける」

 

『妹か?』

 

(きずな)? ちげーよ、んで、そういうわけだからもう切ってもいいか?」

 

『おいおい待て待て、まさか一人で出かけるとかじゃないだろうし一体誰と出か』

 

ピッ、という音共に、菊磨の声も消える。そしてまた部屋は静かになる。時計を見れば時間は10時半過ぎぐらい。約束は11時だからそろそろ家を出なきゃいけない。やっぱり切って正解だったか。

鞄を持って、階段を駆け降り靴を履く。背後からフローリングの軋む音がして、現れたのは件の俺の妹、豊岡絆だった。

 

「あれ、お兄お出かけ?」

 

「そーだ、留守番頼むわ」

 

「はいはい、行ってらっしゃい」

 

絆に送り出されて家を出る。待ち合わせの場所までは歩いて20分とちょっと、急がないと間に合わないな、だなんて考えながら俺は見慣れた道を急いだ。

 

 

 

少々早歩きで待ち合わせ場所へ向かった俺は、多少荒くなった息を整えて駅前の噴水の周りをグルリと見渡し、待ち人を探した。駅前は休日にも関わらずスーツの格好で改札の方へと急ぐ人、私服でこれからどこかで遊びに行こうとする人たちで溢れかえっていた。そんな街行く人々の中からお目当ての人を探すのだが、その待ち人は少し離れたベンチでスマホを弄って待っていた。

 

「よっ、沙綾。待たせたな」

 

「あれ、蓮ー。今日は早いじゃん」

 

「……まぁな」

 

早いと言っても、待ち合わせの約束の時間のせいぜい5分前かそれぐらい。そんな沙綾の発言の意図は間違いなく普段のデートで悉く遅刻する俺への嫌味を含んで……いやまぁ遅刻する俺が悪いけども。そんな透けた心持ちがわかって不機嫌を装う俺の腕に、ベンチから立ち上がった沙綾が抱きついてくる。そして俺の右腕を抱え込んで、耳元で小さな声で呟いた。

 

「急いで来てくれたんだね、ありがと」

 

「……どういたしまして」

 

ふふんと機嫌が良さそうに二の腕に数度頬を擦り付けると沙綾は歩き出す。それについて行くように俺も足を踏み出した。

 

「まっ、でも今度からは家出る時間ももうちょっと余裕見ようね?」

 

「すんません」

 

こう言うところではやはり長女として嗜める立場にあるからか、少し厳しいようである。俺がまた少し気を落としているのを知ってか知らずか、沙綾は柔和に笑みを浮かべた。

 

「今日のところは及第点だから大丈夫だよ」

 

「これでもまだ及第点かよ」

 

「デートの時女の子待たせすぎちゃダメだって言われたことない?」

 

「あるけど?」

 

「……はぁ」

 

これほどまで分かりやすくため息をつくとは。けれど、沙綾の表情はすぐに変わって。

 

「まぁ、私はずっと待ってるから、大丈夫だよ」

 

「……そりゃありがたいことで」

 

「……でもできれば早く来てね?」

 

「努力はするけど」

 

駅前の人波が途切れてきて、喧騒は一気に静まる。沙綾の声はさっきよりもはっきりと聞こえるようになって、沙綾の手の熱もより熱く感じられるようになった。

 

「……早く会いたいから」

 

人気の少なくなった街路樹の下で、暗い日陰でも分かるほどに頬に朱を差しながらそう呟いた沙綾は、これ以上ないほどに可愛らしかった。

 

「で、どこ行くんだ?」

 

俺はそんな照れを隠すために別の話題を振る。沙綾からは一転クスクスという含み笑いが聞こえたが、華麗にスルーすることにしよう。

今日のデートで、集まってから行き先を決めるだなんて変な話だと思うかもしれないが、お生憎様俺と沙綾のデートスタイルはいつもこんな感じだった。特別行きたいところがお互いあって、とかそう言うわけでもなく、その日の気分で学生らしくカラオケや映画館へ遊びに行ったり、たまには遠方まで電車を乗り継ぎ旅をしたりもする。それがデフォルト。

 

「うーん、蓮は行きたいところとかないの?」

 

「特にはないな。あんまり思いつかないし」

 

だからこんなことだって平常運転で。沙綾には、何でもいい、って答えが一番困るだなんて口酸っぱく言われるけれども、それすらも日常であった。

 

「たまには公園でも行こっか」

 

「……ま、それも良さそうだな」

 

ちょうど駅から東へ向かった、今ある場所は川沿いに木々が立ち並ぶ公園の方向に近かった。無駄に当てもなく反対方向に歩こうとするよりはそっちの方が断然良いだろう。こんな真っ昼間から公園が人で溢れるなんてこともないだろうから。

 

「歩いてすぐだしな」

 

早速向かおうと、思わず気が急いて歩みのスピードが速くなってしまう。しかし、それをすぐさま止めたのは隣で俺の右手を握る沙綾だった。

 

「あはは、もうちょっとゆっくり行こうよ」

 

「すまん、速かったか?」

 

歩幅も俺の方が大きいのに、沙綾のことを考えずに早歩きしてしまった、なんて悩んでいた俺だったけど、その謝罪は杞憂であった。

 

「……ううん、折角蓮が急いで来てくれたら、ね?」

 

「……あぁ」

 

全く、このパン屋の少女は人の心をくすぐるのが上手いらしい。

 

 

 

色の落ち始めた落ち葉の転がるコンクリートの道を抜けていく。沙綾の隣にある柵の向こうには河川敷……というほどには大きくないが、少し大きめの川が穏やかに流れている。川の立てる僅かな水の音と俺たちが踏み鳴らす低い音以外には、何も聞こえないほどに休日の住宅街の外れは静かだった。

 

「それで朝、蓮がパンを買って出て行った後に……お、着いたね」

 

話しながら歩いていると、あっという間に川を臨む公園の入り口が現れる。幸い公園には近くに住んでいるご老人や子供たちの姿もなく、本当に静かで音のない空間が広がっていた。

 

「人がいないと、意外と広いんだな」

 

普段ここを通りがかる時は大体子供たちが遊び回ったり、日向ぼっこする人もいたりと、街の人たちの憩いの場となっているはずが、休日の太陽がてっぺんにある今は、奇遇なことに誰もいないようで、どこのベンチを眺めても空いている。

 

「じゃ、あそこに行こっか」

 

沙綾の指差した向こうには、木々の元にひっそりと佇む木製のベンチ。背もたれもないベンチだが、2人で腰掛けるにはなんの柵もない素朴なベンチ。そんなところで腰を下ろすと、沙綾は手提げからゴソゴソと、音を立てながらビニール袋を取り出した。それと一緒に香ってくる、香ばしい匂い。

 

「お昼ご飯、ちょっと早いけど食べる?」

 

「丁度お腹が空き始めたところだよ。持ってきてくれて、ありがとうな」

 

そっと沙綾の茶色い髪を撫でると、袋に入ったパンよりもクラクラとするような匂いが立ち上がる。鼻腔一杯にそんな誘惑の匂いを吸い込むと自分がどうにかなってしまいそうで、やり場のない想いを腕に力として込めた。

 

「……パン、食べないの?」

 

「しばらく、こうさせてくれ」

 

「……ふふっ、うん。いいよ」

 

こちらを振り向くこともしないまま、薄ら目を閉じて体を少しこちらへと倒す沙綾。そんな沙綾を両腕で包みながら俺はこの平穏に享受できる日々の中にいる沙綾を確かめるように力を込める。沙綾はただ無言で、俺に抱き締められていた。

静かに、穏やかに、無限と思しき時を刻み続ける。2人だけの世界でゆっくりと刻まれる針の音は、重なって聞こえる鼓動の音に溶けて消えた。

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