今回は過激な描写等も含まれますので、苦手な方はお控えください。
いつかの真っ暗闇を思い出した。沙綾に裏切られたことを自覚して、真っ暗闇に堕ちたかつての俺を。まやかしを、幻の夢を見せてくれる魔法に取り憑かれ、夜通し外をふらつき周り、そして酔いから覚めて現実を知った。
死んでもいいや、そう思って俺は無理を承知でそんな麻薬を使いすぎて、意識が耄碌として、気がつけば雨が降り頻る中で傘もささずに橋の欄干にもたれかかっていた。俺の耳に聞こえていたのは橋の下を流れる轟々とした水の音、そしてそんな地獄のどん底にいた俺に天から救いの手を差し伸べた千聖の声だったのだ。
けれど、そんな天使の声を授けてくれた千聖は、他でもない俺によって壊され、そして俺は、千聖にとどめを刺してしまったのだ。己のエゴのために。俺は愚かだった。
「は……」
俺はそんなところで目が覚めた。視線の先に映るのは代わり映えのないいつもの天井。
「おはよう、蓮」
「……千聖?」
まるで俺が起きるのを待っていたかのように隣から千聖の声がかかる。千聖の表情は読めない。何を考えているか、分からなかった。
……それに俺は縛られている。今度は首輪などではなかった。先ほど視線を動かした時に気が付いた。俺の両手につけられた手錠は、ベッドの両端に繋がれていて、動かすことはできそうにない。
「……一つ聞きたいことがある」
「何かしら?」
「……絆はどうした?」
千聖は何も答えない。俺は千聖を問い質そうと、もう一度口を開こうとした。
「ぐあっ」
「……どうして他の女の話をするの?」
千聖の手に握られた黒い鞭。しなった鞭の先は俺の腹を直撃した。服を着こまされているからか、そこまで痛くはないのが幸いだった。
「だって……妹だから……」
「……さぁ? 私には分からないわ」
「はぁ? どういう……ぐうっ!」
「……絆ちゃんがどうなるかは、蓮次第じゃないかしら」
「……ふざけんぐぁっ!」
千聖に暴言擬きを吐いたのなんていつぶりなのだろうか。目を覚ます前までは弱い千聖が守りたくて、それを愛おしさだと思っていたのに、今俺の目の前にいる千聖は、変わり果てたように冷たい目線を俺に向けていた。
「……私も貴方を傷つけたくないの……だから、分かってちょうだい」
「……くそ」
「お腹空いたわよね、ご飯持ってくるわね」
千聖はスタスタと部屋から出ていくと、すぐにお盆をもって入ってくる。
「さて、何が食べたいかしら?」
「……この手錠を外してくれたら、自分で食べられるから」
「……何を言ってるの?」
「……へ?」
「蓮、貴方は何もしなくていいわ。ずっと私の傍に居てくれたらそれだけでいい……。私が貴方の全てを管理して、貴方は私に愛を注いでくれるだけで良いの……」
「な、何言って……」
「だから、口を開けなさい?」
「え、ん……」
「……ふふっ、好きなだけ食べていいのよ……?」
俺は千聖が勧める朝ご飯……、これが朝かどうかすら定かではないが、口に運ばれるものを順に咀嚼していく。口を閉じて、拒もうかとも思った。けれど、拒む理由もよく分からず、俺はただ運ばれるものを口に入れるだけだった。
「口を拭くわね。何か飲みたいものはあるかしら?」
「……じゃあ、水を」
「分かったわ」
そしてコップになみなみと注がれた水を持って帰ってきた千聖は俺の口にコップをつけるでもなくベッドサイドの椅子に座りこんだ。
「……飲ませてくれるんじゃないのか?」
「えぇ、飲ませてあげるから」
そう言うと千聖は何故かコップの水を自ら口につける。そして。
「え、何して、んっ……んんっ……」
「んちゅ……ん……」
口に含んだ水をそのまま口移しで飲ませてくる。口の端から水が溢れているがそんなの気にする様子もない。水を飲ませただけで満足したかと思えば、千聖の舌が無理やり俺の口の中を蹂躙していた。
「んっ、んはぁっ、はぁっ」
「ん……、どうして抵抗するの?」
「え、いや抵抗なんんっ?!」
少し舌で押し返しただけだったのに、抵抗と見られたのか、またも千聖の熱を持った舌が俺の口腔を否応なしに責め立てる。息が詰まる。呼吸が全て支配されて、遂に俺は咽せた。
「ごほっ、ごほっ! はぁっはぁっ」
「すぐに……私の愛を全部受け入れられるようにしてあげるから、蓮」
「……愛?」
俺が小さく、これが愛かよと思わず愚痴を零した瞬間だった。
「……反抗的なのね、分かったわ」
「……へ?」
「いいえ、少し用事が出来たから、ちょっと蓮の妹ちゃんに、会いに行こうと思って」
「な……」
俺は直感でまずいと察した。
「ま、待ってくれ!」
「……どうしたの?」
「……絆には……手を出さないでくれ……」
「けれど、蓮が私のものだって、分かっていないみたいだから。仕方がないわよね?」
「……それは」
「なら、お仕置きが必要ね」
「お仕置き……?」
千聖は錠で俺を縛りつつも、寝かされていた俺を起こし、背もたれのある椅子に座らせた。
「一体……何を……」
「……蓮には、私が必要だってことを分かってもらわないといけないから」
そういって俺の両手は背もたれにかかるように結びつけられた。当然足も縛られたせいでまるで動くことは叶わない。
「……どういうことだよ」
「蓮が私のものになってくれないのなら……蓮が自ずと私を求めるようにしてあげるから……」
「……へ?」
そうして身動きの取れない俺の視界は何かで遮られた。目隠しをされたのだろう。俺の視界は完全に奪われ、部屋の光すら分からなかった。
「それじゃあ、明日になったら、また起こしに来るから。それまで1人で頑張るのよ?」
「え?」
どういうことかと問いただす前に両耳に耳栓が付けられた。さっきまで感じられていた千聖の気配が消えたのだ。
「お、おい! 千聖?! どういうことだよ!」
俺は叫ぶ。しかし、何の反応も返ってくることはない。それどころか、自分の声だけが頭に変に響くようで気持ちが悪かった。外界の音が全てシャットダウンされたのだから。
「あ……」
数度頭を撫でられた気がした。ゆっくりと、数回。この優しい手つきは、間違いなく千聖だった。
しかし、それも束の間、頭が撫でられたかと思えばゆっくりとその気配も薄れて消えていった。
「どういう……ことだよ」
けれど、そんな俺の問いに答えてくれるものはいなかった。
そんな状況に置かれた俺は暗闇の空間の中で只管思考に耽るしかなかった。身体を動かそうとしても動かしている実感がない。せいぜい動かせる首を動かしても、何も分からない。動かしてるはずなのに動かしてる実感がない。気が狂いそうだった。
落ち着け。そう自分に言い聞かせる。考えるべきことは山ほどある。絆は無事なのか。沙綾にだって危害が及ばないか心配だ。俺だってこの先どうなるか分からない。屈してしまった方が身のためなのだろうか。しかし、屈してしまっては、俺が決心した意味も、絆の力を借りた意味も無くなってしまう。
情報がなくて何も分からないが、沙綾の話を出すのはまずいだろう。絆ですら千聖はああなったのだ。
それにしても、何も感じない。肌に触れる空気の感覚さえ無くなってしまった。音も、光も。声を出しても、頭の中にだけ声が響いて変な感じがする。
何より、何も見えないというのが恐ろしかった。あの言いぶりだと、千聖はきっとどこかへ出かけているとかであろう。俺の周りには本当に人が居ないのだろうか。それすら分からない。
……何も感じられなかった。時間がどれくらい経ったのかも分からない。お腹が空いただとか、小便に行きたいだとか、思うのだけれど、けど、それだけだった。
何の音もしない。何の姿も見えない。それが、恐ろしい。
千聖は、どこに行ったのだろうか。帰ってきてくれないのだろうか。何も分からない。
何も聞こえない。何も見えない。何も分からない。
急に音がした。一気に明るくなった。
「……おはよう、蓮。よく眠れたかしら?」
「千聖……?」
「どう、私だけのものって分かったかしら?」
俺は、迷った。でも絆が心配だった。
「絆……は……」
「……まだそんなことを言うのね」
「……無事なのか?」
「……そんなに妹ちゃんが心配なのね。良いわ、連れてきてあげる」
千聖は部屋を出て行った。すぐ帰ってきた。
「こう言うことよ、分かったかしら?」
「え」
服が真っ赤だった。汚れていた。
「あ、あ、あ……」
「……残念ね、蓮が素直に私のものになってくれれば、……こうはならなかったのに」
「ああぁぁぁぁっっ?!?!」
俺は、壊れた。
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蓮は叫びながら、気絶してしまった。私は仕方なく部屋を出る。そして汚れた服を着替えてキッチンへと戻った。
蓮の顔が歪んでいく姿がフラッシュバックした。とても愛おしい蓮の顔。最初こそ、私に憎悪の瞳を向けていたのに、気がつけば捨てられた仔犬のように助けを縋るような目で私にお世話をされて、ああ、本当に可愛い。愛おしい。
けど、そんな歪む蓮の顔を見るたびに私の心がズキンと痛んだ。吐きそうになる。大事なのに、大事だからこそ歪む姿に愛情を感じて、けれど、苦しくなる。
「うっ……、はぁっ……はぁっ……」
私の呼吸までおかしくなりそうだった。私の思考回路までぐちゃぐちゃになりそうだった。
私は気がつけば涙を流していた。蓮が傷つく姿なんて……見たくない。見たくないのに……どうして私は……蓮を傷つけているの……? なんで私は……この世で一番大事な人を傷つけて……悦んでいるの……?
自分が嫌だ……死にたい……消えてしまいたい……。蓮に殺されたい。醜く無様に足掻く私をぐちゃぐちゃにして欲しい……。だって……蓮を真っ直ぐに愛せない私には……、蓮の隣に並び立つ資格などないから。私は少しも蓮を大事にすることが出来ていない。蓮はあんなにも私に寄り添ってくれたのに……。嫌だ……もう嫌だ……。
蓮を大切にできない自分が嫌いだ。愛する人を傷つけてしまう自分が嫌いだ。全部が全部……。
どれくらいの時間が経っただろうか。私はキッチンで血糊の入った袋を持って突っ立っていた。そろそろ絆ちゃんも起きる頃だろう。きっとお腹も空いているだろうし。
私は絆ちゃんの元へと向かった。案の定絆ちゃんは起きていた。私のことを睨んでいる。当然だった。
「……ねぇ、……早く、お兄と私を、解放してよ」
「……それは出来ないわ」
「……なんで?」
「だって、私と蓮の、桃源郷を壊すのでしょう? そんなこと、許されないから」
絆ちゃんは押し黙ってしまった。
けれど、これには私も困った。絆ちゃんをこちらに取り込まなければ、どのみちこんなことバレてしまうのは当然の理だった。それに、長くここに軟禁しておくわけにもいかなかった。
「……ねぇ、どうやったら。お兄を解放してくれるの?」
「あら、どうしてそんなことをしなくてはいけないのかしら?」
「……じゃあ、お兄だけでも、解放してあげてよ」
「私が蓮と一緒に居れないと意味がないもの」
「……じゃあ、誰にも言わないから、1日だけでも解放して」
「誰にも言わないという保証がないわ」
どう交渉されようとも、これが外部に漏れるリスクがあるなら、出来なかった。
「……ご飯はここに置いておくから」
手は縛らずにおいてあるから食べることはできるだろう。どのみち縛ってはいるから逃げられないし、この部屋は防音を施してあるから叫ばれたぐらいではどうにもならない。何も変わらないと思った私は諦めて部屋を出た。
そして私は蓮を閉じ込めた部屋へと帰ってきた。蓮は気絶してしまったからか、私が部屋に入ったことには気が付いていなかった。蓮の体は細く、その姿を見るだけで、心臓が苦しくなる。
「……蓮」
もちろん返事はない。けれど私は蓮の体を抱き締めて、その体温を確かめた。
「……ううっ、ひぐっ……蓮……」
もう嫌だ。こんなことやめたいのに。もうやめてしまいたい。蓮と一緒に幸せに生きていければそれで良いのに。苦しい。しんどい。
「蓮っ……、ごめんねっ……ひぐっ……」
私の零した涙は、暗い部屋の床へと落ちて、溶けていった。
登場人物全員が極限状況。
☆9をくださった、チョーク様。
高評価していただきありがとうございました。